ハリー・ポッターと合理主義の方法   作:ポット@翻訳

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108章「真実(その5)——答えと謎かけ」

〈防衛術〉教授が釜を用意し、杖のひとふりでそれを浮遊させて位置につけ、またひとふりで釜の底に火をおこした。 指で小さく円をえがくと柄の長い(さじ)があらわれ、ひとりでに釜のなかをかきまぜはじめた。〈防衛術〉教授はいま、大きな瓶のなかから花をいくつもとりわけて積んでいる。その花はホタルブクロのように見えた。藍色の花びらは壁の照明光のもとで光をおびたように見え、内がわにすぼむその形状には『そっとしておいてほしい』と言っているような印象がある。 最初のひとつかみの花が溶液に投入されてからも、釜はただそのまま、かきまぜの動作をつづけている。

 

〈防衛術〉教授は顔の向きをすこし変えさえすればこちらが見える姿勢をとっている。ふりむかずとも周辺視野にはおさまっているにちがいない。

 

部屋の隅には〈悪霊の火(フィーンドファイア)〉の鳥がいる。その周囲の石材は徐々に溶けて艶がでてきている。 燃える羽が発する赤い光が部屋のすべてをうっすらと血の色に染め、容器のガラス面を赤くきらめかせている。

 

「時間を無駄にするな。質問があるなら言うがいい。」

 

なぜ……なぜあなたはこうなってしまったのか……なぜ自分を怪物にしたのか……なぜヴォルデモート卿でなければならなかったのか……あなたが目ざすものはぼくが目ざすものとはちがうかもしれないけれど、それがなんであるにしろそのための最善の手段が()()だとは思えない……

 

ハリーの脳が知りたいと思っているのはそういうことだった。

 

ハリーが知る必要があるのは……このあとに起きるできごとをなんとかして回避する方法だ。 しかし〈防衛術〉教授は将来の計画をあかす気はないと言っていた。 ()()()()()話す気があるというだけで十分奇妙だ。それはまずまちがいなく彼の〈ルール〉のどれかに違反している……。

 

「考えているところです。」

 

クィレル先生はうっすらと笑った。 同時に乳棒をつかって、最初の魔法性の材料である光る赤い六角形をつぶしている。 「無理もない。しかし一定の時間の限度はあるぞ。」

 

目標:ヴォルデモート卿がひとを傷つけるのを止めること、ヴォルデモート卿を殺すか無害化すること。それ以前に、〈石〉を手にいれてハーマイオニーを生きかえすこと……

 

……あるいはクィレル先生を説得してこれをやめさせる……

 

その感情を押し殺し、目になみだが浮かばないようにする。ヴォルデモート卿になみだを見せてもいいことはない。 クィレル先生はもう眉間にしわを寄せている。といっても視線の方向からすると、あざやかな白色と緑色と紫色がまじった葉を観察しているだけだが。

 

どの目標に到達する手段も、まだあきらかではない。 いまできることがあるとすれば、有用な情報をひきだせそうな質問をすることだけ。まだこちらにはなんの計画もないとしても。

 

つまり、興味のおもむくままに質問するということ? だったら賛成——とハリーのレイヴンクロー面が言った。

 

だまれ——とハリーは言った。が、もう一度考えて、自分にレイヴンクロー面があると思うのをやめることにした。

 

重要なものごとについて探るという観点で優先度の高い話題は四つ、思いつく。 つまりこの水薬(ポーション)の調合がつづくうちに、質問しておくべき分野が四つ。

 

四つの質問……。

 

「第一の質問は、 一九八一年十月三十一日の夜のできごとについて。その夜、実際にはなにがあったのか。」 『その夜のなにが特別か』……。 「最初から最後まで教えてください。」

 

死んだように見えたヴォルデモート卿がなぜ、どうやって生きのびたのかという問いは、将来の計画に役立ちそうに思える。

 

「そう来るだろうと思っていた。」と言いながらクィレル先生はホタルブクロの花と白い艶のある石を液に投入した。 「まず言っておくが、わたしがホークラックスの呪文についておまえに聞かせたことはすべて事実だ。〈ヘビ語〉で話していた以上、言うまでもないことだが。」

 

ハリーはうなづいた。

 

「おまえはこの呪文の詳細を聞かされてほとんど即座にその欠陥に気づき、改善する方法を考えはじめた。 若いころのトム・リドルがそうでなかったと思うか?」

 

ハリーはくびを横にふった。

 

「それが、そうではなかった。 わたしはおまえに見切りをつけたくなるたびに、もう一回り上の年齢のころの自分がどれほどあさはかであったかを思いだすようにしている。 わたしは十五歳で、ある本にならってホークラックスを作った。そのために、スリザリンのバジリスクの目で死んだアビゲイル・マートルの死をつかった。 ホグウォーツを出てからは毎年一つ新しいホークラックスをつくるつもりでいた。ほかのどのやりかたでも不老不死を実現できなかった場合にそなえた、滑り止めの策として。 いま思えば、それはただの暗中模索にすぎなかった。 学んだとおりの呪文そのままで満足することなく……ホークラックスを()()()()()()にして実践する……当初のわたしにそういう考えかたはなかった。凡庸な人間の愚かさ加減を知り、自分が彼らの轍を踏みつつあると気づくまでは。 しかしやがてはわたしも、おまえが受けついだのとおなじ、なにごとも鵜呑みにせず、よりよくする方法を追求する習慣を身につけた。 自分がもとめているような呪文となにがしかの類似点があるにすぎない呪文を本で見つけてそれで満足するなど、ばかげている。そう気づいてからは、よりよい呪文をつくることに専念した。」

 

「それでいまはもう真の不死を達成したんですね?」  これだけ差し迫った状況ではありながら、ハリーはこの質問が戦争や戦略の質問より重要であることを認識している。

 

「そのとおり。」と言ってクィレル先生は調合の手をとめ、ハリーに正面から向きあった。 その目には、ハリーがはじめて見る歓喜があった。 「さまざまな〈闇〉の魔術を探しあて、〈スリザリンの怪物〉がくれた手がかりをたよりに禁令のかかった秘密を解きあかし、魔法族につたわる伝承をひもとき、その果てに手にいれられたものはごく断片的な知識にすぎず、わたしの必要は満たされなかった。 わたしはすべてをほどいて織りなおすことで、新しい原理にもとづく新しい儀式を生みだした。 何年もかけてその儀式をこころのなかで燃やし、想像のなかでとぎすまし、意味を検討し細部を調整し、寝かせることで安定化させようとした。 そしてついに、その生けにえの儀式を実行にうつすときが来た。既知のいかなる魔術でも試されたことのない原理にもとづく、わたしの発明品たるその儀式を試すときが来た。 そしてわたしは死なず、いまもこうして生きている。」  〈防衛術〉教授は静かに勝ちほこる調子でそう言った。ことばに言いつくせない偉業なのだと言いたげな態度だった。 「いまだにこれを『ホークラックス』と呼んでいるのは感傷にすぎない。 これはわたしがいちから作りなおした呪文で、わたしの最高傑作でもある。」

 

「では、質問には答えるという約束の一部として、その呪文のつかいかたを質問します。」

 

「ことわる。」  〈防衛術〉教授はもとの姿勢にもどり、ところどころ灰色がまじった白い羽を一枚、ホタルブクロを一輪、液に投入した。 「おまえがもうすこし大人になってから教えようかと一度考えはした。どのトム・リドルもそれを身につけずして満足することはないと思ってそう考えたのだが、そのあとで気が変わった。」

 

記憶というものは簡単に思いだせないことがある。ハリーはクィレル先生が以前どこかで手がかりを残していたのではないかと思い、記憶をさぐった。どこかで似たような表現を聞いたような気がした。 『もしかすると、きみがもっと大人になってからなら、教えられるかもしれない……』

 

「やはり物理的なよりどころが必要なんですね。 その点では古いホークラックスの呪文とおなじ。それもあって、まだホークラックスと呼んでいる。」  これをくちにするのは危険だが、それでも()()()()()()()と思って言う。 「もしそうでないなら、〈ヘビ語〉でちがうと言ってください。」

 

クィレル先生は邪悪に笑う顔をする。 「ソノ 予想ハ 正解ダ。正解スルコトニ ナンノ意味モ ナイガ。

 

残念ながら、知的な〈敵〉にとってこの弱点をおぎなうことはたやすい。 〈敵〉がまだ気づいていないかもしれないことをわざわざ指摘すべきではないのだが、今回の場合、ハリーはすでに指摘してしまっている。 「重りをつけて活火山の火口にほうりこんで、地球のマントルのなかまで沈ませたホークラックスがひとつ。 ディメンターを破壊できないならどうすればいいかと考えて、ぼくが思いついたのがそれだった。 それからあなたは、だれにも見つけてほしくないものがあったらどこに隠す、とぼくにたずねた。 地球の地殻の何キロメートルもの地下のどこかの、なんの変哲もない一立方メートルの空間にうめたホークラックスがひとつ。 マリアナ海溝に落としたホークラックスがひとつ。 成層圏の上空に浮かばせてある透明なホークラックスがひとつ。 そのどれについても自分自身の記憶を『オブリヴィエイト』したから、あなた自身も正確な場所は知らない。 最後のひとつは、あなたがNASAにしのびこんで細工したパイオニア十一号の板。 あなたが星見の呪文をつかうときに思いうかべる星空はそこから来ている。 火と地と水と空と無。」  『謎かけのようなもの』と〈防衛術〉教授は言っていた。だからハリーはおぼえていた。〈謎かけ(リドル)〉的なものと。

 

「そのとおり。それほど即座に思いだすとは、すこしおどろかされたが、どうせできることはない。その五つはすべて、わたしの手にもおまえの手にもとどかないところにある。」

 

たとえば魔法的なつながりをたどって場所を特定する方法があったりするなら、とどかないとはかぎらない…… けれど、ヴォルデモートはきっと手を尽くしてそのつながりを隠蔽している…… とはいえ、魔法にできることは魔法でとりけせるのではないか。 パイオニア十一号がいる場所は魔法族にとっては遠すぎるかもしれないが、NASAなら正確な位置を知っている。もし魔法でツィオルコフスキーのロケットの等式をごまかすことができるなら、到達できる可能性はずっとあがりそうだ……

 

不意に不安がハリーを襲った。 ホークラックスの呪文をかけられているのは()()星間探査機か。その点について、〈防衛術〉教授が嘘をついてはならないというルールなどない。ハリーが記憶しているかぎりで、パイオニア十号は木星を接近通過(フライバイ)した直後に通信と追跡がとだえたという。

 

その両方にホークラックスの呪文がかけられていたということも十分ありえるのでは?

 

そのつぎに思いつくべきことを、ハリーは思いついた。 〈敵〉がまだ思いついていない可能性を考えれば、触れるべきではないことを。 しかし〈敵〉がまだ思いついていないという可能性はかぎりなく低いように思われた。

 

先生、教エテ ホシイ。ソノ 五ツノ ヨリドコロヲ 破壊スルト アナタハ 死ヌノカ。

 

ナゼ タズネル?」と〈防衛術〉教授がシュッと空気音でそう返事する。音のゆらぎかたでヘビがおもしろがる感情が表現されている。 「答エハ 否ト 予想シタカ?

 

返事が思いつかない。とはいえ、どう返事しても違いはない気がしてならない。

 

予想ノ トオリ。 ソノ 五ツヲ 破壊サレテモ ワタシハ 不死ノ ママダ。

 

のどがまた乾燥しているように感じられる。 もしその呪文に法外な代償がないなら…… 「アナタハ ヨリドコロヲ 何個 ツクッタ?

 

通常ナラ 言ワナイガ、明ラカニ オマエハ 既ニ 答エヲ 予想シテイル。」  〈防衛術〉教授はいっそうにやりとした。 「ワタシニモ 分カラナイト イウノガ 答エダ。 百七ヲ 越エタ コロニ 数エルノヲ ヤメタ。 隠レテ 人ヲ 殺スタビ 実行スル 習慣ニ シタ。

 

()()以上を暗殺し、そのあとは数えてもいない……。 それ以上に問題なのは—— 「その後継版でも人間を死なせる必要があるんですか? ()()?」

 

他者ノ 生命ト 魔法力ヲ 犠牲ニシテ ツクル 装置ノ ナカニ 生命ト 魔法力ヲ 保持スル トイウ 偉大ナ 発明。」  またヘビの笑う音。 「過去ノ ほーくらっくすノ 呪文ノ 偽ノ 説明ガ 気ニ入ッタ。真実ヲ 知ッテ 落胆シ、改善版ヲ ソノヨウニ 作ル コトニ シタ。

 

なぜ〈防衛術〉教授がこんな重要事項をぺらぺらと話しているのかは分からないが、()()()()()()()()()()()()()()。そう思うとハリーは不安になった。 「つまりあなたはほんとうに、クィリナス・クィレルに憑依している、肉体のない魂だということ。」

 

ソウ。 コノ 体ガ 殺サレテモ、ワタシハ スグニ 復帰スル。 ソレヲ ヒドク 不愉快ニ 思イ、復讐シヨウト スル。 わたしがわざわざこうやって話しているのは、おまえに愚かな真似をされたくないからだ。」

 

「わかりました。」  ハリーはつぎになにを聞こうとしていたのかを思いだし、できるかぎり考えをまとめようとする。〈防衛術〉教授はまた溶液のほうに目をむけて、 粉ごなにした貝殻を左手で釜のなかにふりかけ、右手でホタルブクロをもう一輪投入する。 「十月三十一日には、なにが起きたんです? あなたは当時赤子だったハリー・ポッターを……古いほうか新しいほうの、ホークラックスにしようとした。意図してそうしたのだということは、リリー・ポッターにあなたが話していたから分かる。」  ハリーは息をすいなおした。 寒けはあるが、それがどこから来ていたのかが分かったいま、耐えることもできるようになった。 『よかろう。その取り引きに応じよう。おまえは死に、その子は生きる。 では杖を捨てろ。そうしたら殺してやる。』 いま思うと、このできごとについてのハリーの記憶は、ほとんどがヴォルデモート卿の視点での記憶であり、一番最後の部分をのぞいて当時のハリー・ポッターから見えたものではない。 「あなたがそのときなにをしたか、()()そうしたかを言ってください。」

 

「トレロウニーの予言。」と言ってクィレル先生はまた一輪のホタルブクロを銅板にあててから投入する。 「スネイプが持ってきたその予言について、わたしは何日も何日も考えた。 無為な予言というものはない。 おまえに愚かなことを考えさせないような言いかたをするとすれば…… しかたない、率直に言う。しかし愚かなふるまいはわたしを不愉快にさせるのを忘れるな。 わたしはわたしにならぶものが登場するというその予言に魅力を感じた。知的な会話をする相手ができるかもしれないと思ったからだ。 まともに会話が成立しない者どもにかこまれた五十年を経て、わたしは自分があまりにありきたりな印象をあたえる反応のしかたをしていようが、気にしなくなっていた。 その機会をよく検討すらせずに見送る気はなかった。 そしてわたしは……言ってみれば、()()()()を思いついてしまった。」  クィレル先生はためいきをついた。 「自分なりの解釈で、自分の利益になるようにその予言を成就させればいいのではないか、とわたしは思った。 古いほうのホークラックスの呪文をつかって、白紙の状態にあるその赤子にわたしの魂を刻印することで、わたしと対等な者としてしるしづければよい。赤子には混ぜあわせられるべき自我がないから、複製としてより純粋なものになる。 何年かして、わたしがブリテンを支配するのに飽きてほかのことに目をむけるころに、そのもう一人のトム・リドルと相談し、こちらが倒され、あちらが救世主としてブリテンを支配することにすればよい。二人はたがいを相手にそのゲームを永遠につづける。そうすれば、愚か者たちの世界にいながら、おもしろい人生をおくることができる。 劇作家なら、そんな二人は最終的に共倒れすると考えるだろう。 しかしわたしは熟慮の結果、おたがいトム・リドルである以上どちらも共倒れの道をえらぶほど愚かではありえないと考えた。 予言は、わたしがハリー・ポッターのごく一部をのぞいたすべてを破壊しさえすれば、われわれ二人はほとんど同じような魂をもち、同じ世界に共存することができる、と示唆しているようでもあった。」

 

「なにかがうまくいかなかった。」とハリーが言う。 「なにかが〈ゴドリックの谷〉のポッター家の屋根をふきとばし、ぼくのひたいに傷あとをのこし、あなたの焼死体をのこした。」

 

クィレル先生はうなづいた。 調合の手の動きが遅くなっている。 「魔法力の共鳴。わたしが赤子の魂を自分の魂に似せたことで……」

 

クィレル先生の〈死の呪い〉がハリーの〈守護霊〉と衝突したときのこと、 そのときのあたまが割れてしまいそうなほどの猛烈な熱と痛みを思いだす。

 

「わたしは数えきれないほど何度もあの夜のことを考え、どう失敗したかを思いかえし、自分がどうしていればよかったかを考えた。 やがて、杖を捨てて〈動物師(アニメイガス)〉の変身をしていればよかった、という結論にいたった。 しかしあの夜……あの夜にわたしは本能的に自分の魔法力の乱れを制御しようとばかりしていて、自分が内がわから燃えていく感覚にとりあわなかった。 そのあやまちが命とりだった。 わたしがハリー・ポッターの精神を書きかえているあいだに、わたしの肉体は破壊された。 ()()()他方のかけらのみを残して滅ぼさなければならない、というわけだ。そして……」  クィレル先生の表情は抑制されている。 「ホークラックスのなかで意識をとりもどしたとき、わたしは自分の偉大な発明が期待どおりに機能していないことに気づかされた。 ホークラックスを離れて自由に飛びまわり、憑依に同意した者や憑依を拒否できないほど弱い者に憑依することができるはずだった。 が、まさに()()部分に狂いが生じていた。 できたのは、もとのホークラックスの呪文の場合とおなじく、物理的なホークラックスに触れた者にのりうつることだけ……そしてわたしの数知れないホークラックスは、だれにも見つからない場所に隠してあった。 おまえが本能的にそう判断したのはただしい。()()()()()()()()()()()()()()()。」

 

ハリーはそのまま無言でいる。

 

調合がすすんで、いったん材料を投入する手をとめ、釜が煮えるのを待つ段階になった。 「わたしはほとんどの時間、星を見て過ごした。」  クィレル先生は声をおとして話す。からだの向きを変え、白く発光する壁をじっと見ている。 「望みは、救いようのなく愚かな若いころの自分が隠したホークラックスにしか残されていなかった。 どこにでもある小石にではなく、古くから伝わる首かざり(ペンダント)に浸透させたホークラックス。 ポートキーで海中に飛ばすのではなく、〈亡者〉の湖にかこまれた毒の井戸の底に保管したホークラックス。 だれかがそのうちのひとつを探しあて、あのばかばかしい防護措置を突破したなら…… しかしその望みは薄いように思われた。 二度と肉体をとりもどせないのではないかとも思った。 しかし、わたしは不死ではあった。 偉大な発明のおかげで最悪の事態だけはたしかに回避できていた。 それ以上いだくべき希望も恐怖もほとんどなかった。 狂気におちいってはなんの得にもならないと思い、そうならないようにした。 かわりに、消えゆく太陽の光を背に、星をながめて考えた。 過ぎた人生での失敗を思いかえした。ふりかえれば失敗は数多くあった。 自分がまた自由に魔法力をつかえるようになり、同時に確実に不死でいられるなら、実践してみてもよいと思う強力な儀式を、想像のなかで組み立てた。 古い謎かけの文言について思索し、もともと忍耐力はあるほうだと思っていたが、それに輪をかけて、じっくりと検討した。 わたしは自由の身になれれば、過ぎた人生における自分よりはるかに高い実力を身につけられることを確信していた。しかし自由がやってくることをあまり期待してはいなかった。」  クィレル先生はまたポーションのほうを向いた。 「あの夜から九年と四月が経った日、クィリナス・クィレルという名の探検者が、わたしの初期のホークラックスのひとつの防護措置を突破した。 あとの話は知ってのとおりだ。 さて。わたしもおまえも、おまえがいまなにを考えているかを知っている。それを言ってみるがいい。」

 

「その……あまりそれをここで言うのは賢明でない気が——」

 

「そのとおりだよ、ミスター・ポッター。賢明ではない。 むしろ賢明とは対極にある。 しかしわたしは()()()()()()()()()()()()()()()()()。きみはそれを言うまでそれを()()()()()()し、わたしも()()()()()()()()()()。 だから、言うがいい。」

 

「じゃあ……その。 これはあとになって考えると簡単に気づきそうなことのように思えるだけだとは思いますし、いまからでもやりなおしてみたらどうかと言うつもりはまったくないんですが、もし〈闇の王〉が予言によって自分を倒すことになっている子どもの話を耳にしたなら、防御も阻止もできない、脳のあるものにならかならず効果のある呪文が、ちょうどひとつありますよね——」

 

ありがとう、ミスター・ポッター。わたしも九年のあいだに何度かおなじことを考えたよ。」  クィレル先生はまたホタルブクロを一輪つまみ、それを手のなかでばらばらにしはじめた。 「自分がそれで痛い目を見てからというもの、わたしはその原理を〈戦闘魔術〉で教えるべき最重要事項に位置づけることにした。 若いトム・リドルはそれが〈ルール〉集の一番目だとは思っていなかった。 われわれは過酷な経験をしてはじめて、どの原理がほかの原理より優先されるべきかを知る。ことばのうえではどれもおなじように説得があるように見えてしまうものだ。 あとになって思えば、わたしの身がわりにベラトリクスをポッター家に行かせるべきだった。 しかしわたしには、そういう案件は腹心の部下にまかせず自分でやらねばらないという〈ルール〉があった。 そのときのわたしも、〈死の呪い〉を考えはした。 しかしその赤子に〈死の呪い〉をつかったとしたら、なぜか呪いが反射してわたしに命中し、それで予言が成就するということになるのではないか、というようにも思えた。 そうならないという保証はなかった。」

 

「それなら斧とか。斧のなかから予言を成就する呪文がでてくることは考えにくいでしょう。」  そう言ってからハリーは黙った。

 

「わたしは予言を自分なりのやりかたで成就させようとするのがもっとも安全だと判断した。 言うまでもなく、今後また自分に好ましくない予言を聞くことがあれば、そのときは予言の内容にあわせた行動をとろうとするのではなく、()()()()()()()()()()()()()()()とことん邪魔しようとする。」  クィレル先生はバラをやはり素手で潰し、そこから汁をしぼりとろうとしているように見える。 「いまやだれもが〈死ななかった男の子〉には〈死の呪い〉への耐性があるというように考えている。〈死の呪い〉は家を崩壊させないし、焼死体をあとにのこすこともないのに、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。」

 

ハリーはやはりなにも言わない。 ヴォルデモート卿が失敗を避ける方法はそれ以外にももうひとつあった、ということにハリーは気づいている。 魔法族的な考えかたをするよりも、マグルにそだてられた人のほうが気づきやすいことなのかもしれない。

 

これをクィレル先生に言うべきかどうか、まだ判断がつかない。このもう一つの指摘をすることには利益と損失の両方がある。

 

しばらくして、クィレル先生はつぎの材料を手にとった。ユニコーンの毛のように見える糸状のものだった。 「あらかじめ言っておくが、仮におまえがこの肉体を破壊できたとして、それがわたしにとって九年の手戻りになると思ってはならない。 ホークラックスはそれぞれ以前より適切な場所に置いてある。また、今回はその必要すらない。 おまえのおかげで、わたしは〈よみがえりの石〉のありかを知った。 〈よみがえりの石〉は無論死者を生きかえらせはしない。しかしそこには、わたしが知る古代魔術より古い魔術で、魂の似姿を投影する能力がある。 そしてわたしは死を克服しているから、カドマスの〈秘宝〉はわたしを主人と認識し、わたしの意思によく反応した。 それはいま、わたしの偉大な発明に取りこんである。」  クィレル先生は小さく笑った。 「あれをホークラックスにするという考えは、何年もまえに検討したが、やめたほうがいいというのが当時のわたしの判断だった。あの指輪には得体の知れない種類の魔法力が感じられる、と考えてのことだったが……ああ、人生は皮肉なものだ。 それはさておき…… おまえが、ほかならぬおまえがあまりにも気軽に秘密をくちにし、情報をもたらしたことで、わたしの魂はどこへでも自由に飛んで、もっとも好都合な獲物を誘うことができるようになった。 おまえがティーカップの受け皿に描いた一筆の絵が、わたしの敵対者にとって破滅的なこの能力をもたらした。 魔法族生まれの者なら幼くして身につける判断力をおまえが身につけてくれれば、この世界はだれにとってもいまより安全な場所になる。 ワタシガ イマ 言ッタコトハ スベテ 真実ダ。

 

ハリーは目をとじ、手でひたいをさする。外から見れば、考えこむクィレル先生の鏡像のように見えるだろうやりかたで。

 

クィレル先生を倒すという問題は、ますます困難に見えてくる。ハリーがこれまでに解決した問題の不可能さに輪をかけた難度だ。 その難度をつたえることがクィレル先生の目的だったとしたら、それは成功している。 クィレル先生が()()()()()()()()()()()()()()()()()ならば、自分はヴォルデモートの()()()()()()()代理人としてブリテンを支配してもいいと真剣に自分から申し出ようかと思いたくなるほどだ。()()()()()()()()()()()とまで譲歩してしまうかもしれない。

 

しかしそんな取り引きは成立しそうにない。

 

ハリーは床に腰をおろしたまま自分の両手を見つめ、絶望感のなかに悲しさが混じってくるのを感じた。 ハリーに暗黒面をあたえたヴォルデモート卿は、()()()()()()反省し、自分の思考過程を点検しなおし……その結果、冷静沈着で、やはり殺人癖はあるクィレル先生として登場したのだということ。

 

クィレル先生が黄金色の毛をつまんで『光輝のポーション』に追加した。それを見てハリーは、時間が動きつづけていることを思いだした。 明るい色の毛を入れる頻度はホタルブクロより少ない。

 

「二番目の質問です。 〈賢者の石〉のことを教えてください。 〈転成術〉を永続させる以外の効果はなにかありますか? 〈賢者の石〉をいくつもつくることはできますか? つくるのがむずかしい理由は?」

 

クィレル先生はポーションの釜にかがみこんでいるので、ハリーからは顔が見えない。 「それでは、わたしが推理した〈石〉の物語を聞かせよう。 〈石〉の唯一の能力は永続性をあたえること、仮そめのすがたを真の持続性ある実体に作り変えること——尋常な呪文にはおよびもつかない能力だ。 ホグウォーツ城のようなものを実体化する魔法が維持できているのは、恒常的な魔法力の供給源があってのことだ。 〈変化師〉(メタモルフメイガス)といえども、黄金の爪を生成し、それを切りとって売ることはできない。 メタモルフメイガスの呪いは、マグルの鍛冶屋が槌や(やっとこ)で鉄を変形させるのとおなじように、自分の肉体を構成する物質の配列を変えるものにすぎないと考えられている。そして彼らの体内には黄金がない。 マーリンが無から黄金をつくりだすことができたというような記録は存在しない。 したがって〈石〉は非常に古いものであるにちがいないということが、調査をするまでもなく分かる。 これに対し、ニコラス・フラメルの存在はわずか六百年まえまでしか、さかのぼることができない。 では、このつぎに問うべき問いはなにか。〈石〉の歴史を本気でたどりたいなら考えつくはずだ。」

 

「ええと……」と言ってハリーはひたいをさすり、思考に集中する。 〈石〉の歴史の古さとくらべて、ニコラス・フラメルの存在は六百年まえまでしかさかのぼれない、ということは……。 「ニコラス・フラメルが登場するのと前後して、別の長命の魔法使いが消息をたっていたとか?」

 

「おしい回答だ。 六百年まえに不死の〈闇の女王〉と呼ばれたバーバ・ヤーガという魔女がいたことは忘れていまい? 彼女はあらゆる傷を治癒でき、どんなすがたにも変身できると言われた……つまり、〈永続性の石〉を持っていたとしか考えられない。 ある年、古いしきたりによる停戦の協約にしたがい、バーバ・ヤーガはホグウォーツでの〈戦闘魔術〉の教師の職を引き受けた。」  クィレル先生は……怒っている。あまりハリーに見せたことのない表情だ。 「しかし彼女は信頼を欠いていた。そこで呪いがとりおこなわれた。 ある種の呪いは、他人と同時にみずからを縛るようにすれば難度がさがる。 スリザリンの〈ヘビ語〉の呪いもその一例だ。 このときの呪いのために、バーバ・ヤーガの署名とホグウォーツの全生徒、全教師の署名が、〈炎の(ゴブレット)〉と呼ばれる、いにしえの魔法具のなかにおかれた。 バーバ・ヤーガは生徒に一滴の血も流させないこと、生徒に属するものを奪わないことを誓った。 その引きかえに生徒も、バーバ・ヤーガに一滴の血も流させないこと、バーバ・ヤーガに属するものを奪わないことを誓った。 全員が署名し、〈炎の杯〉が誓いの証者となり、以後違反者を罰することになった。」

 

クィレル先生はまた別の材料を手にとった。黄金色の糸がゆるく巻きつけられた、けがれを感じさせる材料だった。 「そこに、入学して六年目の、ペレネルという名前の魔女がいた。 若いペレネルの美はまだ開花しはじめたばかりだったが、心根の黒さにかけてはすでにバーバ・ヤーガ以上で——」

 

「よりによって、あなたがそれを言いますか?」と言ってからハリーは自分が『お前だって論法』の錯誤を犯していることに気づいた。

 

「ひとの話の腰を折るな。 どこまで話したか。 ……ああ、ペレネルという欲深い美女……この女が何カ月もかけて〈闇の女王〉を誘惑した。恥ずかしげな態度の演技、甘くいたずらっぽい仕草とことばに、バーバ・ヤーガは魅了され、二人は恋人になった。 その後のある夜、ペレネルはバーバ・ヤーガの変身能力のことを聞いて、自分の欲望に火がついたとささやきかけた。さまざまな変身で一夜を楽しみたいとペレネルに言われ、バーバ・ヤーガは〈石〉を手に、彼女のもとに行った。 バーバ・ヤーガはペレネルの注文に応じてさまざまな変身をくりかえし、男にも変身した。 二人は男と女としてベッドをともにした。 ところがペレネルは、それまで処女だった。 当時の古風な習慣ではそれはバーバ・ヤーガがペレネルに血を流させたことにあたる。〈炎の杯〉はそう解釈し、バーバ・ヤーガの防備をといた。 そうとは知らずベッドで眠ったままのバーバ・ヤーガを、ペレネルは殺した。停戦を受けいれて平和的にホグウォーツで仕事し、彼女を愛していた〈闇の女王〉を。 かくして〈闇の魔術師〉がホグウォーツで〈戦闘魔術〉を教えるという協約は決裂した。 以後数百年、〈炎の杯〉は無意味な学校間対抗の試合を監督するためにつかわれた。その後はボーバトン内の空き部屋におかれ、最終的にわたしが盗みだした。」  クィレル先生が薄い桜色の枝を釜に投入すると、それは水面に触れると同時に白色に変わった。 「……その話はさておき。 ペレネルはバーバ・ヤーガの〈石〉を奪い、ニコラス・フラメルの外見と名前をつかいはじめた。 フラメルの妻という位置づけで、ペレネルとしてもふるまいつづけた。 二人がそろって公の場に登場したことはあるが、それを実現する方法はいくらでもある。」

 

「〈石〉の精製方法については?」と言いながら、同時にハリーはここまでの話を処理するために脳をはたらかせる。 「本には錬金術的な精製方法が書いてありましたが——」

 

「それも偽装。 『ニコラス・フラメル』はだれでも試すことのできる大魔術を完璧になしとげることで永遠に生きる権利を勝ちえた、というようにペレネルが見せかけたのだ。 ペレネルは、自分以外の人間がバーバ・ヤーガの真の〈石〉へいたる道をはずれて偽の道をたどるように誘導した。」  クィレル先生は多少くやしそうな表情をしている。 「予想できるだろうが、わたしは何年もかけてその偽の精製方法を極めようとした。 つぎにおまえはこうたずねるだろう。なぜわたしはペレネルを誘拐し拷問したうえで真実を吐かせてから殺すという方法をとらなかったのかと。」

 

実際にはハリーはその質問を思いついていなかった。

 

「答えは、わたしのような〈闇の魔術師〉がそうした手にでることを見こして、ペレネルが先手を打っていたからだ。 『ニコラス・フラメル』は、どんな手段で強要されようとも〈石〉を手ばなさないという〈不破の誓い〉を公の場でおこなった。ニコラス・フラメルは、それは不老不死が欲深い者の手にわたることを防ぐための措置だと言った。あたかもそれが公共への奉仕であるかのような言いかただった。 わたしは、ペレネルが〈石〉の隠し場所を秘密にしたまま死ねば、〈石〉が永遠にうしなわれてしまうのではないかと恐れた。〈誓い〉のおかげで拷問は通用しなかった。 うまい策さえ見つかれば彼女から秘密を引きだすことができるのではないかという期待もした。 ペレネルはもともとこれといって学のない人間だったが、自分より偉大な魔法使いの生命を人質にとり、わずかばかりの治癒と引きかえに秘密をわたさせ、すこしだけ加齢を逆行させる見かえりに権力を受けとる、というような取りひきをくりかえした。 ペレネルは下じもの者に真の若さをあたえるような人間ではなかった——ただ、二百五十歳に達してまだ死なない老人などは、彼女の世話になっているものと考えてまちがいない。 そうやってペレネルはわたしの世代までの数百年のうちに有利な立ち場をきずき、アルバス・ダンブルドアを強化して〈闇の王〉グリンデルヴァルトに対抗させることができるようになっていた。 わたしがヴォルデモート卿として登場すると、ペレネルは秘蔵の知識のひとかけをダンブルドアに分けあたえてダンブルドアをさらに強化した。ひとたびヴォルデモート卿が優位にたったと見れば、またおなじことをした。 わたしはその状況を打開する一手がきっと見つかるような気がしていたが、けっきょく見つかることはなかった。 わたしはペレネルを直接攻撃しようとしなかった。自分の偉大な発明の有効性を信じきれず、いつか自分も彼女に加齢を逆行させてくれと頼みこむことがないとは言いきれないと思っていた。」  クィレル先生はホタルブクロを二輪同時にポーションにいれた。泡立つ液体に触れた瞬間、二輪が溶けあったように見えた。 「しかしいまやわたしの発明は有効だと分かった。だからわたしは〈石〉を強奪すべきときが来たと判断した。」

 

ハリーは言いよどんだ。 「その話のすべてが真実だと〈ヘビ語〉で言ってもらえますか。」

 

虚偽デアルト 知リナガラ 話シタ 部分ハ ナイ。 物語を語ることは行間を埋めることでもある。 わたしもペレネルがバーバ・ヤーガを誘惑するところをこの目で見てはいない。 話ノ 基本線ハ オオムネ 正確ダト 思ウ。

 

ハリーはそこに小さな困惑の影があることに気づいた。 「それなら〈石〉がホグウォーツ内におかれている理由がわかりませんね。 それよりグリーンランドのどこかのなんの変哲もない岩の下にでも隠したほうがいいのでは?」

 

「ペレネルはわたしの探索能力を非常に高く評価しているようでね。」  〈防衛術〉教授は雨水の〈薬学〉記号のラベルがついた瓶のなかの液体にホタルブクロを漬けながら釜を注視しているように見える。

 

〈防衛術〉教授とぼくは、すべてではないにしろある点でとてもよく似ている。 ぼくなら彼の問題とおなじ問題をどう解くか、想像してみるとすれば……

 

「はったりをつかって、あなたならなんらかの方法で〈石〉を見つけられると周囲の人たちに()()()()、ということですか? そうすればペレネルはダンブルドアの守護を頼って〈石〉をホグウォーツにおくだろうと考えて。」

 

〈防衛術〉教授はためいきをついたが、顔は釜のほうを向いたままでいる。 「その戦術をおまえに対して隠そうというのは無理があるだろうな。 たしかにわたしはクィレルに憑依して復活したあとで、星をながめていた時期の着想を実行に移した。 まずは自分がホグウォーツ〈防衛術〉教授にかならず就任できるような状況をととのえ、求職中に疑いをかけられるという不都合が起きないようにした。 それから、〈石〉の隠し場所を見やぶることができるという〈蛇の王冠〉のことがもっともらしく記された碑文を用意し、ペレネルが派遣した呪い破りチームのうちのひとつにそれが発見されるように仕組んだ。 発見のすぐあと、ペレネルが〈王冠〉を買いとる間もなく、〈王冠〉は盗みだされる。さらにその盗人にヘビと会話する能力があったと示唆する証拠を残した。 これを受けてペレネルは、わたしがいつでもかならず〈石〉のありかを突きとめられるようになったと信じ、〈石〉はわたしを倒せる実力のある守護者に託さねばならないと考えるようになった。 こうして〈石〉はダンブルドアの監督下におかれることになった。 もちろんそこまでがわたしの狙いだった。そのためにわたしはその年ホグウォーツに出入りする権限を得ていたのだから。 おまえに関係し、わたしの未来の計画には関係しない部分を話すとすれば、これがすべてだ。」

 

ハリーは眉をひそめた。 クィレル先生がそこまで話すいわれはない。 可能性としては、いま話された戦術はなんらかの理由ですでに用ずみで、将来ペレネルをだますときには使えなくなってしまっているものなのだとか……? それとも、あまりにもあっさり話すことによって二重のはったりであると判断させようというつもりで、実は〈蛇の王冠〉が〈石〉を見つけだす能力はほんものだとか……。

 

ハリーはこの点について〈ヘビ語〉で確認をもとめないことにした。

 

また別の明るい色の、老齢によるものではなさそうな白みの毛の束が、ぱらりと釜に落とされた。それでまたハリーは時間の制約があることを思いださせられた。 これ以上この方向に追及を深める手は思いつかない。第二、第三の〈賢者の石〉を製造する方法が知られていない、方法を発明するのも簡単ではない、というのは、()()()()()今日ハリーが聞いたなかで最悪の情報だった。

 

ハリーは大きく息をすった。 「三番目の質問です。 この一年この学校で起きたできごとの真相を言ってください。 あなたが主導した謀略についても、あなたが知っている謀略についてもすべてを。」

 

「ふむ。」と言ってクィレル先生はまた一輪のホタルブクロと小さな十字架のかたちをした植物を溶液に投入した。 「そうだな……意表をつくできごとといえばまず、〈防衛術〉教授の正体がヴォルデモートだったというあたりか。」

 

「ええ、それはもう。」  ハリーは自分への苦にがしい思いを感じながら言った。

 

「それでどこから話せと?」

 

「なぜハーマイオニーを殺したのか。」  思わずその質問がくちをついた。

 

淡い水色の目がポーションを見るのをやめ、ハリーを見さだめる。 「理由は明白ではないか、と言いたいところだが—— おまえからすれば、一見明白なことを疑うのも無理はないかもしれない。 不透明な謀略の目的を理解するには、その帰結を観察して、だれの意図であったかを推理しようとすることだ。 わたしはルシウス・マルフォイに対するおまえの相対的な地位を向上させるためにミス・グレンジャーを殺した。わたしの計画上、ルシウス・マルフォイがおまえにあれほど大きな影響力を行使できるようになっているべきではなかった。 おまえがあそこまで被害を拡大してのけたことについては、わたしも多少感心させられてはいる。」

 

ハリーは歯を食いしばるのをやめるのに苦労した。 「それ以前に、ドラコに対する殺人未遂の罪をきせてハーマイオニーを()()()()()()()()()()もしましたね。あれはなんのためですか。 あなたから見て好ましくない影響を彼女がぼくにもたらしていたから?」

 

「まさか。 もしミス・グレンジャーを排除することだけが目的なら、マルフォイ家をかかわらせたりなどしない。 おまえのドラコ・マルフォイとのつきあいを観察しているのはおもしろくはあったが、遠からずルシウスが察知し介入してくるだろうことは目に見えていた。おまえがそこでバカな真似をすれば、大問題となるだろうことも。 あのウィゼンガモートの審判でおまえがわたしの教えどおり()()()ことができてさえいれば、わずか二週間後にはルシウス・マルフォイを確実に追いこむ証拠が浮上しているはずだった。息子の裏切り行為を知ったルシウス・マルフォイは、〈服従(インペリオ)〉であやつったスプラウト教授でミスター・マルフォイに〈血液冷却の魔法〉をかけ、ミス・グレンジャーに〈偽記憶の魔法〉をかけた……その罪で、政治のゲーム盤から放逐され、アズカバン行きではないにせよ流刑に処せられる。 ドラコ・マルフォイはマルフォイ家の富を相続し、彼へのおまえの影響力を邪魔するものはなくなる。……という手はずだった。 ところがその計略は途中で中断せざるをえなくなった。 おまえは真の計画を台無しにすると同時に、自分の資産の倍の金額をうしない、おまけにルシウス・マルフォイが純粋に息子を思いやるすがたを周囲に見せる絶好の機会まで提供してのけた。 余計な手出しをすることにかけてのおまえの才能についてはわたしも認めざるをえない。」

 

「そして……」  ハリーは暗黒面のパターンをつかっていてなお、声を平静にたもつ努力をする必要があった。 「アズカバンに二週間いさせることでミス・グレンジャーの性格を改良でき、ぼくへの悪い影響をなくすことができる、という思惑もあった。 そのために、彼女の刑はアズカバン行きでなければならない、という新聞記事が流れるようにも仕組んだ。」

 

クィレル先生のくちびるが閉じ、薄ら笑いのかたちになる。 「ご明察。 わたしは彼女をおまえのベラトリクスにすることができるかもしれないと思った。 そうなった彼女がとなりにいるのを見て、おまえはいつも法律を尊重することの無意味さを思いだす。〈魔法省〉に対しておまえがどういう態度をとるべきかを教える効果もあっただろう。」

 

「複雑すぎてどう考えても成功しようがない謀略ですね。」  いま自分はもっと言動に気をつけているべきだということも、これはクィレル先生の言う『バカな真似』にあたるということも分かっていながらも、この瞬間にはそんなことを気にしていられなかった。

 

「クリスマスの模擬戦で三軍を引き分けにするというダンブルドアの謀略ほどではないし、ダンブルドアがミスター・ザビニを脅迫したようにおまえに思わせるわたし自身の謀略とも大差ない。 ミスター・ポッター、きみはこの一連の謀略が成功()()()()()()()種類の謀略だということを見おとしている。」  クィレル先生はなにげなくポーションの攪拌をつづけながら笑顔で言う。 「成功()()()()()()()()()種類の謀略については、鍵となる部分をできるかぎり単純にし、あらゆる面で警戒をおこたらないものだ。 しかし失敗してもかまわない種類の謀略については、趣味に走ることもできるし、自分の能力を試すため限界まで複雑度をあげることもできる。 このうちどの謀略でしくじったとしても、わたしが死ぬようなことはなかった。」  クィレル先生はもう笑っていない。 「アズカバンへの旅は前者だった。あそこでのおまえのおふざけには感心しなかった。」

 

「あなたは結局ハーマイオニーになにをしたんですか。」  ハリーのなかの一部は自分の声の平静さを不思議に思っている。

 

〈忘消〉(オブリヴィエイト)と〈偽記憶の魔法〉。 それ以外にホグウォーツ城の結界と彼女の精神にかけられるであろう検査をやりすごせると確信できる方法はなかった。」  クィレル先生の表情に一瞬いらだちが混じった。 「なるほど、いくらか複雑すぎる部分があったことは認めよう。しかしそうなったのは、最初にしかけた謀略が思うように働かず、修正していかざるをえなかったからだ。 わたしは廊下でスプラウト教授の外見をまとってミス・グレンジャーに近づき、陰謀への誘いをもちかけた。 最初の説得は失敗した。 ミス・グレンジャーを『オブリヴィエイト』し、また別の外見をまとって、またおなじことをした。 二回目も失敗だった。三回目も失敗だった。()()()も失敗だった。 わたしはいらだちのあまり、手もちのありとあらゆる変装手段を試していった。なかにはミスター・ザビニのような相手につかうべきものも含まれていた。 ()()()()そのどれもが失敗した。 彼女は最後まで子どもじみた道徳律を破ろうとしなかった。」

 

「『子どもじみた』と言ってもらいたくはありませんね。」  自分の声が変に聞こえた。 「その道徳律は()()()()()。 だから彼女はあなたに騙されなかった。 義務論的倫理の規則というものがあるのは、それを破らせようとする議論が見た目以上に信頼できないものだからです。 彼女の規則が意図されたとおりの機能をはたしたからといって、文句を言うのはおかしい。」  ハーマイオニーを生きかえらせたら、ヴォルデモート卿でさえきみを悪に誘うことはできなかった、だからきみは殺されたんだ、と言ってやらなければ。

 

「まあ一理あるかもしれないな。 壊れた時計も一日に二度は正しい時刻を指すという言いまわしもあるし、わたしはミス・グレンジャーのあの態度は筋がとおらないと思っている。 とはいえ、〈ルールその十〉……こちらを負かした対戦相手のことを卑怯だと言ってはならない。 それはともかく。 まる二時間失敗しつづけた時点で、わたしは自分の考えかたが頑固すぎたことに気づいた。わたしの意図どおりの行動をミス・グレンジャーに実際にさせる必要はなかったのだ。 わたしは当初の計画をあきらめ、そのかわりにミス・グレンジャーに〈偽記憶の魔法〉をかけて、ミスター・マルフォイが自分に対して謀略をしかけているのを目撃した、という記憶を植えつけた。その記憶には、当局に通報すべきではないように思えるような状況を設定しておいた。 最終的に、わたしに必要な切っかけをくれたのはミスター・マルフォイだった。これは偶然でしかなかったがね。」  クィレル先生はホタルブクロを一輪と羊皮紙の切れはしを釜に投入した。

 

「結界の記録上、ハーマイオニーを殺したのが〈防衛術〉教授になっていたのはなぜですか?」

 

「ダンブルドアがわたしを〈防衛術〉教授としてホグウォーツの結界に登録するとき、わたしはあの山トロルを義歯として装着していた。」  うっすらとした笑み。 「〈転成〉できる生体兵器はあれ以外にない。ほかのものは〈逆転時計〉の追跡をかわすために六時間〈転成〉解除がつづいた時点で死んでしまう。 殺害の道具として山トロルがつかわれたという事実から、実行犯には安全に〈転成〉しうる代理の兵器が必要だった、ということが明らかになる。 結界の記録、そしてわたしをホグウォーツ城に登録したダンブルドア自身の知識をもってすれば、犯人を推理できてもおかしくない——理論上は。 しかし、わたしの経験上、このようなパズルは解を知らない状態でははるかに解くのがむずかしい。だからリスクは小さいと判断した。 ああ、それで思いだしたが、こちらからも聞きたいことがある。」  〈防衛術〉教授はハリーをしっかりと見すえた。 「ここの外の通廊で、最終的にわたしの正体を知る手がかりとなったものはなんだった?」

 

ハリーはほかの感情をわきにおき、正直に答えることで起きる損得を検討した。検討の結果、〈防衛術〉教授がいまこちらに提供している情報はその逆よりはるかに多く(なぜだろうか?)、こちらが出しおしみをしているような印象をあたえることは避けたい、という結論になった。 「一番大きかったのは、あの全員がおなじ時刻にダンブルドアの通廊に到着するというのはとても偶然ではありえない、ということですね。 それで、あの場にいる、あなたをふくめた全員が同時に来るように仕組まれていたにちがいないという仮定をして、そこからすべてを考えてみました。」

 

「しかしわたしはスネイプを追って来たと言った。もっともらしくはあっただろう?」

 

「そうですね、それでも……。 その。 説明力のあるなしを決める法則では、あとでもっともらしい口実を聞かされたかどうかという要素は考慮しません。 考慮するのは事前に設定した確率値です。 だから科学では、あとづけの説明は信用できないものだから、事前に予測をたてるという決まりになっています。 ぼくはあのとき、あなたがスネイプを追ってあそこに登場するということを事前に予測していたかといえば、そうではなかった。 仮にぼくがあなたがスネイプの杖に標識をしこむことができるということを事前に知っていたとしても、あなたがそれを実践してちょうどあのとき登場するという予測はしなかっただろうと思う。 あなたの説明を聞いたあとでも、ぼくは自分がその結果が起きることを事前に予測していたような気がしなかったから、低確率な事象であることは変わらなった。 そして、スプラウトを操縦している人物があなたを登場させたのではないか、と思いはじめた。 それから、自分にとどいていたメモも実際には未来の自分から送られたものではないのだと気づいて、それが決定打になった。」

 

「ああ……そうか。」と言って〈防衛術〉教授はためいきをついた。 「まあ、それでよかったように思う。 その時点で気づいても遅すぎたのだし、気づかないままでいられることには得もあるが損もあっただろうから。」

 

「あのときあなたはいったい、なにをしようとしていたんです? ぼくがあそこまで必死になって考えたのは、あの状況が奇妙すぎたからなんですが。」

 

「それを言うならわたしではなくダンブルドアに言ってもらいたい。」と言ってクィレル先生は眉をひそめた。 「本来、ミス・グリーングラスはもう数時間あとに到着するはずだった……しかしわたしが彼女用に用意しておいた手がかりをミスター・マルフォイから渡させたのは事実だから、二人がいっしょに来るのは意外ではなかったが。 ミスター・ノットが単独で来たように見えていれば、あれほどばかばかしい展開にはならなかったはずだ。 わたしは戦場を支配する魔法の専門家を自負している。あの戦闘もわたしの意図どおりに進行させることができていた。 結果的には多少ばかげた印象をあたえるものであったことは認めるが。」  〈防衛術〉教授は桃の薄切りとホタルブクロを釜に投入した。 「しかし〈鏡〉について話すのは現地に行ってからにしよう。 ミス・グレンジャーの不幸な——望むらくは一時的な——死について、ほかにも聞きたいことがあるのでは?」

 

「はい。 ウィーズリー兄弟にはなにをしましたか? ダンブルドアの考えでは——まず、ハーマイオニーが逮捕されたあと、総長がウィーズリー兄弟と話しにいったことは周知の事実でした。 ダンブルドアの考えでは、あなたが……つまりヴォルデモートがダンブルドアのその行動の理由を不思議に思って、ウィーズリー兄弟を検査して、それで地図がみつかったのでそれを奪って、二人には〈忘消〉(オブリヴィエイト)をかけた、ということになっていましたが。」

 

「ダンブルドアのその推理で正解だ。」と言ってクィレル先生は不可解そうにくびをふった。 「しかしいっぽうで、〈ホグウォーツ城内地図〉をあの愚か者二人組に持たせたままにするとは、ダンブルドアはなにを考えていたのか。 〈地図〉を再生して見ると、われわれ二人の名前が正しく表示されていたのだから、わたしも冷や汗をかかされた。 愚かなウィーズリー兄弟は誤作動だとしか思わなかったようだがね。とくにおまえが〈マント〉と〈逆転時計〉を手にしたあとでは。 もしダンブルドアが〈地図〉を自分の手もとにおいていれば——あるいはウィーズリー兄弟が一度でもダンブルドアに誤作動のことを話していれば——だが幸いそういうことはなかった。」

 

われわれ二人の名前が正しく表示されていた——

 

「それを見せてください。」

 

クィレル先生は釜から目を離れさせないまま、ローブのなかから折りたたまれた羊皮紙をとりだし、それに「コノ 周囲ヲ 見セヨ。」と言ってから、ハリーにむけてほうりなげた。 羊皮紙の軌道は正確で、破滅の感覚がすぐそばまでやってくるのが感じられた。羊皮紙はひらりとハリーの足もとに落ちた。

 

ハリーはそれを手にとって広げた。

 

最初それは白紙に見えた。 しかしそこに、目に見えないペンによって書かれるようにして、手書きの線で壁と扉の輪郭がつぎつぎと出現した。 線は部屋のならびを順に書いていった。そのほとんどが無人の表示だったが、最後の部屋だけは、中央部にぐちゃっと混乱した図形ができた。それは〈地図〉が自分のおどろきを表現しようとしているかのようだった。 そして、最後から二番目の部屋の、ハリーがいる位置とクィレル先生がいる位置に相当する場所に、二つの名前があらわれた。

 

トム・M・リドル

 

トム・M・リドル

 

それを目にして、ハリーは全身がぞくりとした。 おまえの名前はトム・リドルだとヴォルデモート卿に言われるのと、ホグウォーツ城の魔術にそう保証されるのとでは、またちがった重みがある。 「アナタガ コノ 地図ヲ 細工シテ コウシタノカ、ソレトモ アナタニ トッテモ コレハ 予想外ダッタノカ。

 

予想外ダッタ。」  クィレル先生のその声にはヘビ式の笑いが混じっている。 「小細工ハ ナイ。

 

ハリーは〈地図〉をたたんでクィレル先生の方向に投げかえした。 それは床に落ちるまえに見えないちからに捕獲され、クィレル先生のローブのなかへと押しこまれた。

 

「ついでに、ミス・グレンジャーが率いたいじめ退治の一行を誘導し、危なくなれば介入したりしていたのはスネイプだ、という情報も提供しておこうか。」

 

「それは知っていました。」

 

「ほう。それはダンブルドアの耳にもはいっていたのか? 〈ヘビ語〉で言ってくれ。」

 

彼ハ 知ラナカッタト 思ウ。

 

「興味ぶかい。ではもうひとつ、これも知らせておこうか。 薬ノ 教師ハ 隠レテ 動ク 必要ガ アッタ。彼ノ 策ハ 学校長ノ 策ト 対立シテイタ。

 

ハリーがその情報について考えるあいだ、クィレル先生はまだ火で熱せられているポーションを冷ますように息をふきかけ、そこに土をひとつまみと水一滴とホタルブクロ一輪を追加した。 「説明してください。」とハリーは言った。

 

「なぜセヴルス・スネイプがスリザリン寮監にえらばれたのか、不思議に思ったことはなかったか? ダンブルドアのスパイという裏の仕事に対する表の名目、というだけではなんの説明にもならない。 それなら〈薬学〉教授であればよく、スリザリン寮監になる必要はない。 ホグウォーツ内にいさせたいだけなら、〈門番兼森番〉でもいい! ダンブルドアの見かけ上の倫理観によれば、スネイプはスリザリン生たちをよい方向に導けるような人物ではありえない。なのになぜスリザリン寮監をまかせる? おまえはそれを不思議に思っただろう?」

 

いや、()()()()そういうふうには考えていなかった……。 「似たようなことなら。 ぴったりそのとおりの構図では考えていませんでしたが。」

 

「しかしこれでもう、一度は考えた。答えはすぐに思いつかないか?」

 

「いえ。」

 

「失望した。おまえは冷笑についての勉強がたりない。道徳主義者が言う善悪の区別の()()()を知らない。 謀略をみやぶるには、結果として生じたものごとに注目し、それが意図されて生じたという可能性を追うこと。 ダンブルドアは故意にスリザリン寮をだめにしようとしていた——そういう顔をするな。ワタシハ 真実ヲ 話シテイル。 前回の〈魔法界大戦〉でわたしの配下についたのはスリザリン卒業生ばかりだったし、ウィゼンガモートでわたしを支持したのもそうだった。 その状況を、もともとスリザリン的な考えかたに理解のないダンブルドアの視点から見てみるがいい。 スリザリン寮が悪の源泉となってしまったと考えるダンブルドアの(なげ)きは大きくなるいっぽう。 そのダンブルドアがあるとき、スネイプを寮監にすえる。 いいか、スネイプをだ。セヴルス・スネイプといえば、 狡知も野心も教えられず、きびしい規律を敷くこともせず、子どもたちを弱くするような人物であり、 ほかの寮の反感を買い、スリザリン寮の名をおとしめるような人物だ。 ブリテン魔法界で名の知られた家の出ではなく、無論貴族でもなく、服装はぼろ着同然。 そんな人物を着任させればなにが起きるか、ダンブルドアが気づいていなかったとでも思うか。 スネイプを推したのも、そうする動機があったのも、ダンブルドア自身にほかならない。 ダンブルドアはきっと、ヴォルデモートの〈死食い人〉予備軍たる生徒を弱くすれば、次の〈魔法界大戦〉で救える命が増えるのだと、自分に言い聞かせたのだろうと思う。」  クィレル先生は氷の小片を一枚、釜に投入した。それは溶液の表面に触れるとゆっくりとけていった。 「そのような介入がつづけば、やがてはどの子もスリザリンを忌避するようになる。 そこでスリザリン寮は廃止とし、仮に〈帽子〉がスリザリンと言うのをやめなかったとしても、それは不名誉の烙印でしかなく、実際の行き先は三寮のうちのどれかに振りかえる。 その日からホグウォーツには勇気の寮と学問の寮と勤労の寮だけがのこり、〈邪悪な子〉の寮はなくなる。 そもそもの話として創設者三人がサラザール・スリザリンを拒絶して三寮ではじめてくれていればこんな苦労はなかったものを……。というのがダンブルドアが想定した終局(エンドゲーム)ではないかと思う。 より大きな善のための短期的な犠牲ということだ。」  クィレル先生は皮肉な笑みをした。 「ルシウスはそのすべてを看過した……というより、異変が起きていることに()()()()()()()()()らしい。 わたしが不在であったあいだ、わたしの元従僕たちは敵の知略に完敗してしまっていたようだ。」

 

ハリーはどこか引っかかるように感じたが、しばらく考えて、いま突きつめようとすべきことではないと判断した。 ヴォルデモート卿はダンブルドアがそういう罪をおかしていると考えている。だが実際にそうであるかどうかは、ほかの材料とあわせて自分自身で見きわめる必要がある。

 

クィレル先生がつかった『従僕』ということばを聞いて、もうひとつ思いださせられたことがあった。このことをハリーはある意味……知ろうとする義務がある。 悪い知らせが返ってくる可能性は十分ある。 今日でなければ、それを聞かされるのは耐えがたい。 しかし今日なら洪水に流してしまえる。 「ベラトリクス・ブラックは、実際にはどういう人だったんですか。」

 

「わたしと出会う以前から彼女の精神はまともではなかった。」  クィレル先生はそう言って灰白色のゴムひものようなものを手にとって、釜の上にかかげた。蒸気のなかにおかれるとそれは黒く変色した。 「〈開心術〉をかけたのは失敗だった。 しかしその一瞬で、わたしがその気になればたやすく彼女を一目惚れさせることができると分かった。だからそうした。 以後彼女はわたしのもっとも忠実な従僕となった。わたしにとって信頼できる従僕に近いものがあったとすれば彼女だけだった。 彼女がもとめるものをこちらから与える気はまったくなかった。 だから彼女をレストレンジ兄弟に報奨として与えた。三人はその奇妙な関係が気にいったようだった。」

 

「それはどうでしょうね。 もしそうだったとしたら、ぼくらがアズカバンに行った時点でベラトリクスはレストレンジ兄弟のことを忘れているはずです。」

 

クィレル先生は肩をすくめた。 「まあ、そうかもしれない。」

 

「だいたい、あそこに行くことになんの意味があったんですか。」

 

「ベラトリクスがどこにわたしの杖を隠したかを知ること。 わたしはあらかじめ〈死食い人〉たちにわたしが不死であることを知らせてあった。そうしておけば——けっきょく無益なことだったが——わたしが死んだという知らせのあと()()くらいは離反をふせぐ効果があるのではないかと思っていた。 ベラトリクスには、わたしの死体のあとから杖を回収してとある墓地に持っていけばそこにわたしの魂があらわれる、と指示してあった。」

 

ハリーはごくりと息をのんだ。 ベラトリクス・ブラックが墓地で今か今かと待ちつづけ、焦りをつのらせる様子が思いうかぶ……。彼女があとさきを考えない状態になってロングボトム家を襲撃したのも無理はない。 「脱出させたあと、ベラトリクスをどうしましたか。」

 

平穏ナ 場所ニ オイテ 体力ヲ 回復サセタ。」  冷ややかな笑み。 「ベラトリクスには……少なくともベラトリクスのとある一部分には、まだ利用価値がある。わたしは将来の計画についての質問には答えない。」

 

ハリーは深く息をすいなおし、自制心を維持しようとした。 「この一年のあいだに秘密裏にしかけた謀略は、ほかになにかありましたか。」

 

「ああ、いくつもある。しかしおまえに関係するものは多くない。すくなくとも、いますぐに思いだせるかぎりでは。 わたしが一年生に〈守護霊の魔法〉を教えさせた真の理由は、ディメンターとおまえを対面させることにあった。そしてディメンターの吸魂能力がおよぶ場所におまえの杖が落ちるように仕組んでおいた。 害意ハ ナカッタ。オマエノ 真ノ 記憶ノ 一部ヲ 回復サセヨウト シタダケ。 屋根の一件で、女生徒何人かががおまえを引き寄せるように仕組んでおき、あたかもわたしがおまえの命を救ったように見せかけたのも、そのためだった。 その直後に予定してあったディメンター事件でわたしに疑いが向けられる可能性にそなえてそうした。 コレモ 害意ハ ナカッタ。 ミス・グレンジャー一行への襲撃のうちいくつかはわたしが仕向けたもので、ミス・グレンジャーたちが勝てるように仕組んであった。わたしもいじめは気に食わないのでね。 コノ 一年内ノ オマエニ 関係スル 謀略ハ コレガ スベテ ダッタト 思ウ。ワタシガ ナニカ 忘レテ イナケレバ。

 

ここで教訓がひとつ——とハッフルパフ面が言う。 他人の人生に無闇に介入したくなったときはできるだけ思いとどまれ。 たとえばパドマ・パティルの人生とかね。 あとでこんな状況におちいりたくなければ。

 

赤茶色の粉末がひとつまみ、釜のなかの液にふりかけられた。ハリーはそこで第四の、最後の質問をする。優先度は高くないように思われるが、それでも意味のある質問を。

 

「あなたにとって〈魔法界大戦〉の目的はなんでしたか。 その……あんな——」  声がふるえる。 「あれだけのことをしたのは、()()()()()だったんです?」  ハリーの脳は何度となく繰り返す。なぜ……なぜ……なぜヴォルデモート卿でなければならなかったのか……

 

クィレル先生は片眉をあげた。 「デイヴィッド・モンローについてはもう聞かされているな?」

 

「あなたが〈魔法界大戦〉当時デイヴィッド・モンローとヴォルデモート卿の両方であったということは分かっています。 あなたはデイヴィッド・モンローを殺して彼になりすました。そしてだれにも変化を察知されないよう、デイヴィッド・モンローの家族を皆殺しにした——」

 

「そのとおり。」

 

「〈魔法界大戦〉でどちらの陣営が勝っても、あなたは勝ったほうを支配できるという算段だった。 それはいいとして、その片ほうを()()()()()()()にしなければならなかった理由はなんですか? 支持を増やしたければ、そ……その、あれほど……ヴォルデモート的な人物にしないほうがよかったのでは?」

 

クィレル先生の木槌(きづち)がめずらしくドンと音をたて、すりつぶされた蝶の羽がホタルブクロに混ざる。 「()()()()、ヴォルデモート卿はデイヴィッド・モンローに()()()ことになっていた。 そのようにことが運ばなかったのはひとえに、あの無能な——。 いや、それでは順序が逆だ。順を追って話そう。 わたしはあの偉大な発明をなしとげ、自分の魔法力の最盛期をむかえて、自分自身で政治権力を掌握すべき時期がきたと考えた。 支配者であることは不自由であり、不愉快な仕事にも時間をさかねばならなくなる。 しかしわたしはいずれ確実にマグルによる世界の崩壊か、魔法族に対する戦争のどちらか、あるいはその両方がやってくると知っていた。なにか手を打たねば、わたしは生命の死にたえた世界をさまよって永遠の余生を過ごす羽目になる。 わたしには、不死を達成したつぎの数十年の時間をついやしてなしとげるべき目標が必要だった。マグルの傍若無人なふるまいをとめるという目標は、それなりに大きくやりがいのあるものに思われた。 その目標にむけて動くのが、よりによってこのわたし一人だけだということは、いつ考えても愉快だ。 とはいえ、虫けらが世界の終わりを気にかけないのも無理はないのかもしれない。どうせ自分は死ぬのだからわざわざ苦労して困難なことに取りくむ意味もないと思うのだろう。 それはさておき。 わたしはダンブルドアがグリンデルヴァルトを倒して権力を獲得していったのを見て、その真似をすることにした。 わたしはずっと昔からデイヴィッド・モンローへの復讐を誓っていた——スリザリン寮の同級生で、うっとうしい男だった——あの男になりすまし、モンロー家を皆殺しにし、モンロー家をついでしまえば両得だと考えた。 そしてデイヴィッド・モンローが対決する巨悪として、史上最悪の〈闇の王〉を配置することにした。グリンデルヴァルトよりはるかに凶悪で、グリンデルヴァルトにあった欠点と自滅性向をなくし、他の追随を許さない知性のある〈闇の王〉。 あらゆる知略を駆使して敵の同盟を瓦解させ、たくみな演説で追従者の忠誠を勝ちえることができる〈闇の王〉。 ブリテンの歴史上、いや世界の歴史上のどの〈闇の王〉より恐ろしい〈闇の王〉。デイヴィッド・モンローはそんな相手を倒すはずだった。」

 

クィレル先生の木槌がホタルブクロにふりおろされ、またもう二回、別の白い花にふりおろされた。 「わたしはそれまでに、〈闇の魔術師〉を演じたことなら何度かありはしたが、ひとそろいの手下と政治的計画をそなえた〈闇の王〉を演じた経験がなかった。 要は練習がまったく不足していた。いっぽうで、〈闇の福音〉という女が最初に公の場にすがたをあらわしたときの失敗談のことを意識してもいた。 あとになって本人があかしたのだが、彼女は〈歩く災厄(カタストロフィー)にして暗黒の使徒(アポストル)〉と名のるつもりで、興奮のあまり〈暗黒の(アポストロフィー)〉と言ってしまったらしい。 それから村二つを蹂躙し破壊しつくすまではだれも彼女のことを真剣にとりあおうとしなかった、という話だった。」

 

「だからあなたは小規模な実験からはじめることにした。」  いやな予感とともに、話を聞いた瞬間にハリーは()()()()()()()()。自分の鏡像が見えた。 そのつぎに自分なら、自分が倫理をまったくなくしてしまったとしたら、こころのなかが空虚であったとしたら、やるであろう行動が見えた。 「使い捨ての架空の人物をつくって、本番で失敗しないように、ひととおりそれで練習しておくことにした。」

 

「そのとおり。 デイヴィッド・モンローの宿敵たる真に恐るべき〈闇の王〉を演じるまえに、練習用に別の〈闇の王〉のペルソナをつくった。赤く光る目をしていて、配下の者どもに無意味に残酷な仕打ちをして、ノクターン小路の酔っぱらいが吹聴するようなたぐいの純血主義とあからさまに利己的な野望を政治的計画として語る〈闇の王〉だ。 最初の部下数名は酒場で雇った。そいつらにはマントと骸骨の仮面をあたえ、〈死食い人〉を名のるよう命じた。」

 

ハリーの腹の奥で、いやらしい理解の感覚が深まる。 「そして自分はヴォルデモートと名のった。」

 

「ご明察、〈カオス〉軍司令官。」  クィレル先生が笑顔になる。 「実名のアナグラムにしたいところだったが、そう都合よくはいかなかった。たまたまミドルネームが『Marvolo(マルヴォロ)』であったりはしなかったし、そうだったとしても無理があった。 ちなみに、われわれの実際のミドルネームはモーフィンだ。 それはさておき。 もともとわたしはヴォルデモートを数カ月か、せいぜい一年しかもたせる気がなかった。そのころまでに手下をみな〈闇ばらい〉に始末されて、使い捨ての〈闇の王〉は失踪する、というつもりだった。 もうわかったと思うが、わたしは対戦相手の能力を大幅に過大評価していた。 悪い知らせを運んで来る手下を虐待する〈闇の王〉という芝居じみた役割をわたしは徹底できなかった。 いくらノクターン小路の酔っぱらいに負けないほど非論理的に純血主義を論じようとしても今一歩だった。 手下を動かす際にこれといって的確な指示をだしているつもりはなかったが、かといって完全に的はずれな命令をしてもいなかった——」  クィレル先生は渋い顔で笑った。こういう文脈でなければ、魅力的と言っていいかもしれない笑顔だった。 「一カ月後には、ベラトリクス・ブラックが参上してわたしの足もとに手をついた。三カ月後には、ルシウス・マルフォイが高級なファイアウィスキーを片手に交渉する席をもうけてきた。 わたしはためいきをつき、魔法族の未来に希望をなくした。そしてデイヴィッド・モンローの立ち場で、恐るべきヴォルデモート卿との戦いをはじめた。」

 

「それからなにが——」

 

クィレル先生はニッとゆがんだ笑みをした。 「ブリテン魔法界を構成するありとあらゆる団体や機関がどこまでも無能だった、というのがその答えだよ。 おまえには分かるまい。わたしにも分からないのだから。 実際目撃しなければ、いや、目撃しても信じられないくらいだ! おまえも同じ学校の生徒と家族のことを話したことがあれば、四人に三人が〈魔法省〉のどこかで仕事をしているらしい、ということに気づいただろう。 どんな仕組みがあれば市民の四分の三を公務員にできるのか、と思うのはもっともだ。みながおたがいの仕事の邪魔をしていてはじめて、いくらかでも仕事が存在している、というのがその答えだ。 個々の〈闇ばらい〉は優秀で、新人を指導するのも〈闇の魔術師〉とたたかって生きのびている者ばかりだが、その上層部は右も左もわからない連中だ。 〈魔法省〉は書類をまわしあうばかりで、ヴォルデモートに対抗しているのは実質的にわたしとダンブルドアと臨時雇いの素人数名だけだった。 マンダンガス・フレッチャーという臆病で無能無策なごろつきが〈不死鳥の騎士団〉にかかせない人材だと言われた——無職なら〈不死鳥の騎士団〉に専念できるだろうというだけの理由で! ヴォルデモートが負けることはあるのだろうかと思って、試しにヴォルデモートからの攻撃の手をゆるめれてみれば、〈魔法省〉はすぐさま戦いにわりあてる〈闇ばらい〉の数を減らすではないか! わたしは『毛主席語録』を参考にして〈死食い人〉にゲリラ戦術を教えもしたが——そんな必要はどこにもなかった! われわれはブリテン魔法界のあちこちで攻撃をしかけたが、どの戦場でもわれわれの戦力は相手の戦力より()()()()()。 わたしはやむをえず、〈死食い人〉たちに〈魔法法執行部〉の無能な管理職の全員を順々に暗殺させることにした。 しかしいくら前任者が悲惨な末路をむかえても、役人どもは上の役職に昇進する機会に我先にと飛びついた。 そのだれもがヴォルデモートと密約を成立させる気でいた。 われわれは最後の一人を殺し終えるまでに()()()をかけたが、なんのためにそんなことをするのかと言いだす〈死食い人〉はいなかった。 そしてやっとバーテミウス・クラウチが長官の地位につき、アメリア・ボーンズが〈闇ばらい〉局長になったが、それでもまだまだ不十分だった。 わたし一人で戦ったほうがよほどましだった。 ダンブルドアの助力はダンブルドアの倫理的自制心で相殺されてしまっていたし、クラウチの助力はクラウチの遵法精神で相殺されてしまっていた。」  クィレル先生は釜の火を強めた。

 

「そして最終的に……」  ハリーは不快感をなかなかぬけだすことができない。 「あなたはヴォルデモートでいるほうがよほど楽しめることに気づいた。」

 

「ほかのどの役割よりも不愉快な思いをさせられない役割ではあった。 ヴォルデモート卿がひとたびこうしろと言えば、周囲は()()()()()()()()()()。 愚かな行為をした者に対しては、〈拷問(クルシオ)〉したいという衝動をおさえずにただそのまま実行することが役作りにもなる。 だれかがゲームをつまらなくすることをしたなら、わたしは戦略上の損得を度外視してただ『アヴァダケダヴラ』をとなえればいい。そのだれかにわずらわさせることは二度となくなる。」  クィレル先生はなにげなくイモムシを砕いていく。 「しかし明快な理解がおとずれたのは、ある日デイヴィッド・モンローがアジアの格闘術教師の入国許可を申請したときのことだった。〈魔法省〉の役人はさも得意げに笑って申請を却下した。 わたしはその役人に、その許可は役人自身のいのちを救うものでもあるのだということを分かっているのかと、たずねた。役人はいっそうにやにやとするだけだった。 わたしは怒りのあまり仮面と用心ぶかさを捨て、強力な〈開心術〉でそいつのいやらしい精神から真実をつまみとって引きずりだした。 その役人はなんのためにそんなことをしているのかを知りたいという一心で。 わたしは〈開心術〉を通じてその役人の意識を操作し、デイヴィッド・モンロー(わたし)ではなくルシウス・マルフォイやヴォルデモート卿やダンブルドアにおなじことを言われた場合の反応を再現させた。」  クィレル先生の手の動きがおそくなり、蝋燭をごく薄くけずりとる作業にはいった。 「わたしがその日理解したのは単純なことではなかった。だからこそわたしはその時点まで理解できていなかった。 しかしおまえにはそれをいま説明してみようと思う。 いまのわたしは、ダンブルドアが国際魔法族連盟最上級裁判長という地位にあるにもかかわらず、世界の頂点に立ってはいないということが分かる。 世の人は堂々と、ときには面とむかって、ダンブルドアを侮辱し批判する。ところがルシウス・マルフォイが相手ならまちがってもそんなことをしない。 ()()()()()もダンブルドアに非礼なふるまいをしていた。なぜか分かるか?」

 

「なぜでしょう……ね。」  自分のなかにトム・リドルの神経パターンの残滓があったからだ、という仮説は当然ありえるが。

 

「オオカミやイヌ、そしてニワトリでさえ、群れのなかでの序列をあらそいあう。 わたしがあの役人の精神のなかを見てついに理解したのは、彼にとってルシウス・マルフォイとヴォルデモート卿は強者のイメージがあり、デイヴィッド・モンローとアルバス・ダンブルドアはそれがなかったのだということ。 善の立ち場をとり、光の陣営を称したことで、われわれはみずからを()()()()にしていた。 この国でルシウス・マルフォイは、歯むかう者に対して債務をとりたて、〈魔法省〉の役人を送りこみ、『予言者日報(デイリー・プロフェット)』に糾弾させることができる。 いっぽうの世界最強の魔法使いには強者のイメージがない。というのも、その男は……」  クィレル先生のくちびるがゆがむ。 「()()()()()()然として、どこまでもひかえめで、復讐をくわだてようとなどしない、ということが周知の事実だからだ。 たとえば芝居の主人公が自国を救う役目を負う条件として、裁判を請け負う弁護士よろしく黄金を要求するのを見たことはあるか?」

 

「マグルの作品でならそういう主人公は()()()()いますね。まずハン・ソロがそうだし——」

 

「そうか。しかし魔法界の芝居はそうではない。 ダンブルドアに似たひかえめな主人公ばかりだ。 だれの上にも立とうとせず、だれの尊敬ももとめず、だれからも報酬をもとめない、有能な()()という幻想がえがかれている。 これでもう分かったか?」

 

「わかった……ような。」  『指輪物語』のフロドとサムワイズなら、完全に無害そうな主人公というキャラクターの好例のように思える。 「つまり一般の人はダンブルドアのことをそう思っていると? ホグウォーツ生はあの人のことをホビットのように思ってはいないと思いますが。」

 

「たしかにホグウォーツのなかではダンブルドアは自分の意にそわない者に罰をあたえる。だからそれなりにこわがられている——しかし生徒はいたって堂々とダンブルドアを笑いものにしてもいる。 この城を出れば、ダンブルドアは嘲笑の的だ。 『ダンブルドアは狂人だ』と言う声に対し、ダンブルドアは道化よろしく狂人を演じた。 われわれがひとたび芝居にでてくる救世主になろうとすれば、周囲は当然のようにわれわれを見返りなく働く奴隷と見なす。好きなようにわれわれを批判してもかまわないものと思う。 みずからの手はくださずに奴隷の労働をながめてはあれこれと親切に指図することこそ主人の特権だからだ。 古代ギリシアの物語でなら、その時代の人びとの妄想はまだ未完成だったから、英雄が英雄なりに高い地位をもっていることがあったかもしれない。 ヘクトールやアエネアスといった英雄は、みずからを侮辱した者に復讐する権利を有していたし、みずからの奉仕の対価として黄金や宝石を要求しても怒りを買うことはなかった。 ヴォルデモート卿が勝利してブリテンの支配者となっていたとしたら、彼も寛容さを見せたかもしれない。しかしだれも彼の善意を当然視することはなく、彼のやりかたが気にいらないと言って口出しすることはなかったにちがいない。 彼は勝っていれば()()尊敬を得ていた。 〈魔法省〉に行ったあの日、わたしはそれまでの自分がダンブルドアをうらやむあまり、ダンブルドアとおなじくらい妄想にとらわれたふるまいをしていたことに気づかされた。 自分が目ざしているべき地位は別にあったと気づかされた。 これが事実だということはもう気づいているはずだ。 おまえ自身、わたしに対してはしないような批判をダンブルドアに対してはしていた。 言動ばかりでなく内心の態度もおなじだった。本能とはそういうものだ。 強いクィレル先生を笑いものにするとあとが怖いが、弱いダンブルドアなら報復を心配せずこけにすることができる、という計算があったはずだ。」

 

「ありがとうございます、クィレル先生。勉強になりました。」  ハリーは痛みを感じながら言う。 「たしかにぼくはそういう思考をしていたように思います。」  理由もなくダンブルドアにきつくあたるようなことをしたのは、トム・リドルの記憶も関係していたのではないかとも思うが、マクゴナガル先生に対しては自分はそういう態度をとっていなかった…… マクゴナガル先生には寮点を減点する権限があり、ダンブルドア独特の寛容な雰囲気がないからでもあるが…… いや、それでもやはり、この人ならこけにしても()()()という考えがなかったなら、ハリーはもっと敬意をもってダンブルドアに対応していたにちがいない。

 

デイヴィッド・モンローとヴォルデモート卿についてはそれでいいとして……

 

最大の謎がまだ謎のままなのだが、それをたずねるのが得策かどうか分からない。 もしもヴォルデモート卿が()()()()()()()()()()ことだとしたら……クィレル先生が九年をかけて思索してまだ思いついていないことだとしたら、こちらからそれを言ってしまうのは得策ではない。……いや、いいのかもしれない。あの悲惨な〈魔法界大戦〉はブリテンにとっていいできごとではなかったのだから。

 

ハリーは腹をきめて話しだす。 「ひとつ理解できなかったのは、〈魔法界大戦〉がなぜあれほど長びいたのかということでした。 その……もしかするとぼくはヴォルデモート卿の苦労を過小評価しているのかもしれませんが——」

 

「つまり、なぜわたしは実力者何人かに〈服従(インペリオ)〉をかけてあやつってさらに〈服従(インペリオ)〉をかけさせて、同時にわたしの〈服従(インペリオ)〉に抵抗できるほど特別強力な相手は殺す、という方法で〈魔法省〉を乗っとることで、戦争を……たとえば三日で終わらせてしまわなかったのかと。」

 

ハリーは無言でうなづいた。

 

クィレル先生は考えこんだように見えた。その手は刈りとられた芝をひとつまみずつ釜のなかにいれている。 ハリーが記憶しているかぎりでは、これで全体の五分の四ほどの工程が終わったことになる。

 

「……わたしもトレロウニーの予言をスネイプから聞かされたとき、おなじように考えた。さきのことだけでなく過去のことについても思案した。 過去のわたしなら、なぜ〈服従(インペリオ)〉をつかわなかったのかと問われれば、他国に目をむける段階が来るまえに、わたしが〈魔法省〉の役人に命令し、支配しているところを見せておかなければならないのだと説明するだろう。 すみやかに粛々と勝利するやりかたはあとで面倒な事態を招くかもしれないのだとも、 防衛戦では思いのほか腕がたつダンブルドアに手こずらされているのだとも。 過去のわたしは、それ以外のどの近道をとらないことについても、似たような言いわけをすることができた。 不思議とどの計画も、最後の一手を打つべきタイミングが来なかった。なぜかいつでも、あともうひとつ先にやっておくべきことがあるようだった。 わたしは予言を耳にして、〈時間〉がわたしに目をむけたいまこそそのときだと確信した。 これでためらいの時間は終わったのだと。 そこでふりかえってみると、なぜかおなじ状態が何年もつづいていたことに気づいた。わたしは……」  ときおり芝を落とす手はとまっていないが、クィレル先生はその作業にいっさい注意をはらっていないように見える。 「星を見ながら過去のことを考えてみて、わたしはダンブルドアとの攻防に慣れすぎたのだ、ということに思いあたった。 ダンブルドアは知性があり、くわえて狡猾であろうと努力していた。こちらの攻撃を待つのではなく、こちらをおどろかせるような手をくりだしてきた。 奇抜な手でみごとにこちらの裏をかいてみせることもした。 考えてみれば、ダンブルドアを倒す明白な方法はいくつもあった。ただ、わたしはどこかで、チェスのかわりに一人遊び(ソリティア)をする状況に逆もどりするのはごめんだと思っていたようだ。 もう一人のトム・リドルをつくってそれを——ダンブルドア以上に手ごたえのあるだれかを——対戦相手とすることができる可能性が生まれて、はじめてわたしは戦争を終わらせることを考える気になった。 いま思えば愚かなことだったが、人間の感情はときに理性で認められないほどに愚かになるものだ。 無論わたしは意図してそんな方針で動いていたのではなかった。 そんな方針は〈ルールその九〉にも〈十六〉にも〈二十〉にも〈二十二〉にも違反することになるから、自分の楽しみのためだとしても、さすがにそれはやりすぎだ。 しかし現に、『もうひとつやりのこしたことがある』、『もうひとつ回収しそこねた得点がある』、『()()()()()配置しておくべき駒がもうひとつある』、などということにして、自分の楽しみから離れようとせず、ブリテンの支配者という面倒な仕事を先おくりしていたとなると……無意識のうちにしてしまったこととはいえ、わたしもそのたぐいの失敗に無縁ではないらしい。」

 

そこまでの話を聞いた時点で、ハリーはこれから〈賢者の石〉をとりだせたあと、最後になにが起きるかを知った。

 

クィレル先生はこの仕事が終わればハリーを殺すつもりでいる。

 

そしてクィレル先生はそうしたくないと思っている。 世界じゅうでクィレル先生が〈死の呪い〉を撃てない唯一の相手がいるとすればそれはハリーであるかもしれない。 それでもなにか理由があって、殺さなければならないと判断している。

 

だからこそ、クィレル先生はわざわざ手間をかけて『光輝のポーション』を調合する気になった。 だからこそこうやって質問に答えるという条件にあれほど簡単に応じた。だからこそついに話が通じるかもしれないと思って自分の人生の話をした。 かつてヴォルデモート卿がダンブルドアと戦いつづけるために〈魔法界大戦〉の終わりを先おくりしたのと同じように。

 

クィレル先生はハリーを殺さないとは言った。しかし正確にはどんな表現で言っていただろうか。 それはたとえば、『おまえが愚かなことをどうしてもやると言って聞かない場合をのぞいて、わたしはいかなる意味でもおまえを殺すつもりがない』などという率直なものではなかった。 ハリーはそのとき、曖昧性のない表現でなければ応じない、などと強く出る気がなかった。その時点でヴォルデモート卿を無力化しなければならないことは分かっていたので、真に拘束力のある約束をかわそうとして厳密な表現を提案することでその意図を察知されてしまうのは避けたいと思っていた。 であれば、きっといくつも抜け道のある文言だったにちがいない。

 

そう気づいて、とりたてて大きな衝撃は感じられなかったが、ただいっそうの緊迫感はあった。 ハリーのなかの一部にとっては既知のことで、いままでただ意識上にのぼらせる口実がなかっただけのことだった。 クィレル先生がこの場で言ったことのうち、のこり寿命がせいぜい数時間である相手にしか言わないであろうことはあまりに多い。 クィレル先生の人生が孤立と孤独に満ちていたということで、この場で〈ルール〉に違反してまでこんな話をしたことを説明できるかもしれない。それも、ハリーはもうすぐ死ぬと決まっていて、悪役が計画の内容を明かしてから主人公を殺そうとするとかならず失敗するという芝居のようなことは現実に起きない、という前提があればこそである。 それでも、その将来の計画のどこかにハリーの死がふくまれていることはまちがいない。

 

ハリーは息をすい、呼吸をととのえる。 クィレル先生はウマの毛束を『光輝のポーション』に追加した。ハリーの記憶がたしかなら、調合はもう終わりかけている。 積んであるホタルブクロの残量もあまり多くはない。

 

総合的に考えれば、そろそろリスクを気にしすぎるのをやめて、もっと大胆な発言をしてみてもいいのではないかと思う。

 

「ぼくがヴォルデモート卿のおかした失敗をひとつ指摘したとしたら、ヴォルデモート卿はぼくを罰しますか?」

 

クィレル先生は片眉をあげた。 「まちがいなく失敗と言えるものであれば、罰しない。 わたしに道徳論をぶつことはおすすめしないが、 わたしは凶報を運んでくる者や率直に問題点を指摘しようとする部下を攻撃しようとは思わない。 ヴォルデモート卿を演じるときでさえ、わたしはそこまで愚かになることができなかった。 無論、わたしのこの方針を弱さと勘違いする愚か者もいたし、わたしを人前で言い負かすことで目だとうとする者、わたしはそれも批判として甘受せざるをえないだろうと考える者もいた。」  クィレル先生は昔をなつかしむようにほほえんだ。 「そんなやからに〈死食い人〉の一員でいられても害があるばかりだった。おまえはおなじ失敗をしないようにするがいい。」

 

ハリーはうなづき、身震いを感じた。 「さっき話にでた、〈ゴドリックの谷〉での、一九八一年の、ハロウィンの夜のできごとについて…… 話を聞いていて、あなたの考えかたには欠陥がもうひとつあったように思えました。 悲惨な結末を避けられる方法が実はあった。なのに、あとになってもそれが分からなかったのは、多分、あなたにとってそれが盲点になっているから……ある種の戦略のことを検討できていないからだと……」

 

「『人間を殺そうとするな』、というようなたぐいの愚かなことを言いだすのではないだろうな。 もしそうだとしたら、わたしは不機嫌になるぞ。」

 

価値観ノ 問題デハ ナイ。 アナタノ 目的ヲ 損ウ 真ノ 失敗。 ボクガ アナタニ 対シテ 教師ヲ 演ジ、教訓ヲ 教エタラ、アナタハ ボクヲ 傷ツケルカ。 アルイハ、ソレガ アマリニ 単純ナ 失敗デ、自分ガ 愚カデ アッタ ヨウニ 思エタラ、ソウスルカ。

 

イヤ。」とクィレル先生がこたえる。 「真ノ 教訓デ アルカギリハ。

 

ハリーは息をのんだ。 「では。あなたはなぜそのホークラックス網を実際につかうことになるまえにテストしなかったんですか?」

 

「テストだと?」  クィレル先生は顔をあげて言った。声には怒りがまじっている。 「どういうことだ、()()()()()とは。」

 

「ハロウィンのあの日にホークラックス網を否応なくつかうことになるまえに、なぜそれがちゃんと機能するかどうかを試していなかったんです?」

 

クィレル先生は嫌悪感をあらわにしている。 「なにをばかな——ミスター・ポッター、わたしは死にたくなどなかったのだ。わたしの偉大な発明を試したければ、死んで試すほかない! 急ぐ必要もないのに自分の命を危険にさらしてどうする? なぜそうしていたほうがよかったと言える?」

 

ハリーはごくりと息をのんだ。 「ほーくらっくす 網ヲ 試験スル タメニ 死ヌ 必要ノナイ 方法ガ アル。 ホークラックスにかぎらない重要な教訓がそこにあります。 これでわかったのでは?」

 

「いや。」とクィレル先生はしばらく時間をかけてから言って、 のこり少ないホタルブクロを一輪とって解体し、長い金色の毛といっしょに溶液に投入した。液は泡をたてて光りはじめた。 調合卓の上にあるホタルブクロはあと二輪だけ。 「へたな教訓を言うことはおまえのためにならない、とは言っておく。」

 

「仮にぼくが改良版ホークラックスの呪文をつかえるようになって、つかう意思もあったとします。 そこでぼくはなにをすると思いますか。」

 

クィレル先生は即座にこたえる。 「おまえが考える意味で外道な人間、ほかの命を救うためになら殺してもいいと思ってしまえる人間をみつけ、実際に殺し、ホークラックスを作る。」

 

「そのあとは?」

 

「第二、第三のホークラックスを作る。」と言って〈防衛術〉教授はドラゴンの(うろこ)のように見えるなにかの瓶を手にとった。

 

「それ以前に。」

 

しばらく時間をかけてから〈防衛術〉教授はくびを横にふった。 「なにが言いたいのか、見えてこない。もういいから、答えを言え。」

 

「ぼくなら、仲間のためにホークラックスをつくります。 もしあなたに世界じゅうで一人でも気にかける相手がいたなら……あなたの永遠の生に()()をあたえる人間、()()()()()永遠に生きてほしいと思える人間がいたなら——」  ハリーは声をつまらせる。 「自分以外のだれかのためにホークラックスをつくるということはそれほど直観に反しているように思えないはずです。」  ハリーはまばたきをくりかえす。 「あなたにとって他人への親切にあたることが含まれる種類の戦略は盲点であり、そのせいで利己的な価値を実現できなくなったりさえする。 そうすることが……自分の流儀ではないように思えているのかもしれない。 あなたは……自己像(セルフイメージ)のなかにそういう部分があるせいで……九年の時間を余計についやすことになってしまった。」

 

〈防衛術〉教授が手にもった油さしのハッカ油が、一滴ずつ釜のなかへ落ちていく。

 

「なるほど……。 なるほど。わたしはラバスタンに改善版ホークラックスの儀式を教えて、強制的にそれを試させているべきだったと。 たしかに、いま思えばあまりにも自明なことだ。 どうせなら、使い捨てにできる赤子を用意して、ラバスタンに命じて自分のしるしをその子につけさせるという実験をしてみてからはじめて、わたし自身が〈ゴドリックの谷〉へ行っておまえを作る、ということにしてもよかった。」  クィレル先生は不可解そうにくびをふる。 「まったく。しかし十年まえに知るよりは、いま知ってよかったとは思う。当時のわたしは自分をとがめる理由にはことかかなかったのだから。」

 

「あなたには、他人のためになるやりかたで()()()()()()()()()()という発想がない。」  ハリーは自分自身の声に必死さがまじっているのに気づいた。 「他人への親切が戦略として()()なときも、自分は()()()()()()()()という自己像があるせいでそれが見えてない。」

 

「その指摘はもっともだ。 実際、いまそう聞かされて、わたしは今日この日にも自分の計画に資する親切ができることに気づいた。」

 

ハリーはなにも言わずにそちらを見た。

 

クィレル先生は笑みをうかべている。 「いい教訓だったよ、ミスター・ポッター。 今後、これが身につくまでは、他人への親切がかかわる策略を見おとしていないかよく注意することにしよう。 意識せずともそういうことを思いつけるようになるまで、練習としてしばらく時間をかけて慈善行為をやってみるのもいいかもしれない。」

 

ハリーは背すじに冷たいものを感じた。

 

たったいま、クィレル先生はなんの躊躇をした様子もなく、そう言った。

 

ヴォルデモート卿は自分が改心させられる可能性はないと確信している。 そうなることをまったく心配していない。

 

最後から二番目のホタルブクロが溶液にそっと落とされた。

 

「ほかになにか、ヴォルデモート卿にむかって進言したい教訓は?」  クィレル先生はおまえの考えはお見通しだというような顔でにやりとしている。

 

「はい。」  声がかなりかすれている。 「幸せになることを目ざすなら、自分よりも他人をよろこばせようとするほうが気分がよくなるものだと——」

 

「わたしがそのことに思いあたらなかったとでも思うか。」  笑みは消えている。 「おまえはわたしをばかにしているのか。 ホグウォーツを卒業したあと、わたしは何年も世界を放浪し、ヴォルデモート卿としてブリテンに帰ってきた。 数える気もないほど多くの仮面をこれまでにつけた。 英雄の役割を演じることがどんな気分なのかと、試してみたことがないとでも思うか。 アレクサンドル・チェルヌイシェフという名前に聞きおぼえがないか。 その名前と外見で、わたしはある〈闇の魔術師〉が支配するみじめきわまる土地に目星をつけ、あわれな住人たちをそのくびきから解放した。 住人たちは涙を流してわたしに感謝した。 だが、これといって感慨はなかった。 わたしは周辺に滞在しつづけ、その後その土地を支配しようとした〈闇の魔術師〉五人を殺すことまでした。 さらには身銭を切って——いや、厳密にはそうではなかったが、それに近いことをして——町並みをととのえてやり、なにがしかの秩序をもたらした。 住人はいっそう平身低頭した。そこで生まれた子どもの三人に一人はアレクサンドルと名づけられた。 それでもわたしはなにも感じなかった。実験としてはもうそれでいいだろうと思って手を引き、自分の道にもどることにした。」

 

「かといって、ヴォルデモート卿をやっていて幸せでしたか?」  ハリーの声が大胆さを増す。

 

クィレル先生は返事をためらったが、やがて肩をすくめた。 「その答えは聞くまでもなく分かっているのではないかね。」

 

「それなら()()。 なぜ()()()()()()()()()ヴォルデモート卿という役割を?」  ハリーは声をつまらせた。 「()()()()()()()、あなたをもとにしてできている。だから『クィレル先生』はただの仮面ではないと分かる! あなたにはあのような人生もありえた! なぜそれをやめる必要があるんです? 〈防衛術〉教授の座の呪いを解いて、そのまま()()()()()()()()。あなたは〈賢者の石〉をつかってデイヴィッド・モンローに変身して、ほんもののクィリナス・クィレルは解放してやればいい。あなたが今後人間を殺さないと約束すれば、ぼくもあなたの正体は秘密にする。あなたはずっと()()()()()()()()()()()()! あなたはきっと教え子に感謝される。ぼくのお父さんが教え子に感謝されているように——」

 

クィレル先生は釜のなかをかきまぜながら笑い声を漏らした。 「ブリテン魔法界にいる魔法族の数はおよそ一万五千人。その数はかつてはもっと多かった。 人びとがわたしの名前をくちにすることを恐れるのには理由がある。 おまえは〈戦闘魔術〉の授業が気にいったからというだけの理由でわたしを許すのか?」

 

同感だね、むちゃくちゃ言うなよ——とハリーのなかのハッフルパフが言う。

 

ハリーは震えながらも前を見て言う。 「あなたの所業を許すかどうかはぼくが決めることではありません。 ただ、また戦争をするよりはましだと思っています。」

 

「ほう。 四十年の時間をさかのぼって歴史を改竄できる〈逆転時計〉をどこかでみつけたら、〈防衛術〉教授の職に応募したトム・リドルを追いかえすまえのダンブルドアに会ってそれを言ってみてくれ。 しかしいずれにせよ、リドルがホグウォーツの教師としてそういつまでも幸福でいることはなかっただろうと思う。」

 

「どうして?」

 

「その場合も周囲が愚か者だらけであることにかわりはなく、その場合は殺すこともできないからだ。」  クィレル先生はおだやかに言う。 「わたしは愚かな人間を殺すことに大きな喜びを感じる。これに文句をつけたければ、せめて自分でもやってみてからにしてくれ。」

 

「あなたにもそれより大きな喜びの源泉となるものが()()()あるはずです。」  また声がつまる。 「きっとどこかに。」

 

「なぜそう思う? それはまだわたしが知らない科学の法則かなにかか? 詳しく言ってみてくれ。」

 

ハリーはくちをあけるが、どう言えばいいかが分からない。なにか、()()()あるはずだ、決定的ななにかが——

 

「そう言うおまえにも幸せを語る権利はない。 幸せはおまえにとって最大の価値ではない。 おまえはこの一年がはじまったとき、〈組わけ帽子〉からハッフルパフを提案されて、そう答えた。 わたしがそれを知っているのは、わたし自身も何年もまえに、おなじような提案と警告をされて、おなじように拒否したからだ。 これ以上、トム・リドルとトム・リドルのあいだで話すべきことはもうないだろう。」  〈防衛術〉教授はまた釜のほうを向いた。

 

ハリーが返事をなにも考えないうちに、クィレル先生は最後のホタルブクロを投入し、釜のなかから光る泡が吹きでた。

 

「終わったようだな。ほかに質問があるなら、それはあとだ。」

 

ハリーはふらりと立ちあがった。同時にクィレル先生は釜を持ちあげて、釜十数杯にはなりそうなくらいのものすごい量の光る液体を、扉の手まえの紫色の火にそそいだ。

 

紫色の火は消えてなくなった。

 

「いよいよ〈鏡〉だ。」と言ってクィレル先生はローブのなかから〈不可視のマント〉をとりだして飛ばし、ハリーの靴のまえに落とした。

 

◆ ◆ ◆

 

原作品の著者:J. K. Rowling

ファンフィクションの著者:Eliezer Yudkowsky

 


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