つぎの瞬間にアルバス・ダンブルドアの表情の陰鬱さは驚愕に変化した。 「クィリナス? そこでなにを——」
無言の時間。
「これはしてやられた。」とアルバス・ダンブルドアが言った。
「そう思ってもらえたなら本望。」 クィレル先生はあっさりとそう返す。仮に現場をおさえられたことで動揺しているのだとしても、表面上は平静だ。 クィレル先生が手をひとふりすると、ローブが教授用の服にもどる。
ダンブルドアの顔がまたおなじ暗い表情にもどり、さらにいっそう暗い表情に変わった。 「ヴォルデモートの痕跡をあれだけ探しまわっておきながら、病気で死にかけのホグウォーツ〈防衛術〉教授が強力な霊魂に支配されているのを気づかずにいてしまったとは。 ほかに気づかなかった者がこれほど多くいなければ、老いのせいにもしたくなるが。」
「まったく。」と言ってクィレル先生は眉をもちあげた。 「この目が赤く光っていないというだけで、それほど気づきにくいものかな?」
「ああ、それはもう。」 ダンブルドアは平常どおりの声で言う。 「よくできた演技ではあった。完全にだまされていたということを白状しよう。 クィリナス・クィレルはまるで——なんと言うべきか、ちょうどいい表現があったと思うが。 ああ、これじゃ、思いだした。クィリナス・クィレルはまるで、正気に見えた。」
クィレル先生はあたかもなにげない会話の最中であるかのように笑う。 「わたしは正気でなかったことなど一度もないがね。 ヴォルデモート卿はわたしにとってゲームのひとつでしかなかった。クィレル教授がそうであったように。」
アルバス・ダンブルドアはなにげない会話を楽しんでいるような表情ではない。 「おまえならそう言うのではないかと思っていたよ、トム。 しかしまことに遺憾なことに、ヴォルデモートの役割を演じられる者はすでにヴォルデモート
「ああ。」と言ってクィレル先生は指導するように指をたてる。 「しかしその論理には抜けみちがひとつあるぞ。 ヴォルデモートを演じる人間はみな、道徳主義者が『邪悪』と呼ぶものにあたる、という点に異論はない。 しかしもしかすると真のわたしはどこまでも完全に邪悪で、その邪悪さはヴォルデモートにおける演技とはまた一味ちがった、改心のありえない邪悪さなのかもしれない——」
「どちらであれ、わしは興味がない。」とアルバス・ダンブルドアが平坦な声で言った。
「ということは、おまえはいまにもわたしを排除し終えるつもりなのだな。 それはおもしろい。 わたしの永遠の生はひとえに、おまえがしかけた罠を解明し、一刻もはやく脱出の道を見いだすことができるかどうかにかかっている、と。」 クィレル先生はそこで一度とまった。 「それよりもまずは意味もなくほかの話をして進行を遅らせるとしよう。 そうやって〈鏡〉のなかで待っていたようだが、どんな手をつかった? おまえは別の場所にいるとばかり。」
「わしは別の場所にいる。 そしておまえにとって不都合なことに、わしは〈鏡〉のなかにもいる。 わしは最初からずっとここにいた。」
「そうか。」と言ってクィレル先生がためいきをつく。 「するとあのちょっとした目くらましも無駄だったということになるな。」
それを聞いてアルバス・ダンブルドアは怒りを隠さなくなった。 「目くらましだと?」 声は荒あらしく、青色の目に激情がこもる。 「
クィレル先生はがっかりしたような素ぶりをした。 「そんな根も葉もない疑いをかけられて悲しいよ。 わたしはフラメルとして知られていた人間を殺していない。 別の者に命じてやらせたにすぎない。」
「なんということを。 いくらおまえでも限度があろう。 彼はわれわれの魔術の知識を一身に有していた! そのうしなわれた知識は二度と取りかえせない!」
クィレル先生の笑みに険がこもる。 「いまだに不思議なのだが、どんな歪んだ考えかたをしていれば、フラメルが不死になるのはよくて、わたしがおなじことをしようとすると怪物ということになるのかな。」
「マスター・フラメルは
「このことをおぼえていてくれるだろうか。」 クィレル先生は歌うように言う。 「トム・リドルが総長室に来た日のことをおぼえているかい? あの日わたしはあそこでひざまづいてまでして、いつかわたしは自分の手で〈賢者の石〉をつくりたい、だからニコラス・フラメルの弟子にしてもらえるよう仲介してほしい、と懇願した。 ちなみにあれはわたしが善人であろうとした最後の日だった。 おまえはそれを断り、死を恐れることのあさましさをわたしに講釈した。 わたしは苦にがしさと怒りを感じながら退室した。 ただ死にたくないと思うだけで邪悪と呼ばれなければならないなら、自分は邪悪でかまわない、と考えた。 一カ月後、わたしは別の手段で不死を実現するためにアビゲイル・マートルを殺した。 フラメルの内情を知っても、おまえの偽善を許しがたく思うのは変わらなかった。 わたしがおまえとその配下の者に余計な苦痛をあたえたのもそのためだった。 そのことはおまえにも知られているような気はしていたがね……率直に話す機会がなかっただけで。」
「拒否する。」 アルバス・ダンブルドアの視線はゆるがない。 「おまえがそのような道を歩んだことについて、わしはどんな些細な責任を負わされることも拒否する。 そのすべてはおまえがおまえの判断でおこなったことでしかない。」
「どうせそんなことを言うだろうと思ってはいた。 さて、となると、どんな責任なら引きうけると言うのかな。 おまえが非凡な〈占術〉の手段を持っている、というところまでは、わたしはずいぶん昔に推理した。 そうでもなければ、おまえは不合理な手を打ちすぎていたし、それでいておまえの有利に展開したできごとの例はばかばかしいまでに多い。 そこで聞こう。 おまえはわたしがつかのまの敗北を喫したあの万霊節前夜のできごとがどう運ぶかについて、事前の知識があったのか、なかったのか。」
「あった。」 アルバス・ダンブルドアの低く冷ややかな声で言う。 「それについては責任を引きうける。これはおまえにはいつまでも理解できない点であろう が。」
「おまえはセヴルス・スネイプが〈予言〉を耳にし、わたしに届けるように誘導したな。」
「わしはそうなることを止めなかった。」
「なのに、わたしはやっと自分も未来を知れたと思って
アルバス・ダンブルドアの目は石のようだ。 「ジェイムズとリリーはそうと知っていれば、みずからすすんでそのように死んでいたにちがいない。」
「では赤子については? ポッター夫妻も、そう積極的にわが子を〈例の男〉の進路に放置したがったとは思えないがね。」
ほとんど目に見えない程度の動揺があった。 「〈死ななかった男の子〉はそれなりに立派に成長した。 おまえは彼を
クィレル先生のくちびるがゆがんだ。 「おどろかされた、いや、むしろ愕然とさせられたよ。ミスター・ポッターの絶望的なまでの純朴さには。」
「おまえにはその状況の皮肉さが通じなかったのだろうが。」 そう言ってからはじめてアルバス・ダンブルドアは笑顔になった。 「わしはそのことに気づいたとき笑いがこみあげてしかたがなかった! おまえが邪悪なヴォルデモートに対抗する〈善〉のヴォルデモートをつくってしまったのだと分かって——ああ、それは大笑いをした! わしはもともとこの立ち場に向いていなかった。しかしハリー・ポッターならいずれは十分にその任に適する人物になってくれるにちがいない。」 アルバス・ダンブルドアの笑みが消えた。 「と言ってもハリーは倒すべき〈闇の王〉を別に見つけなければならないが。そのときおまえはもういなくなっているのだから。」
「ああ、うむ。そうか。」 クィレル先生は〈鏡〉から離れる方向に歩みをすすめてから、自分が(それまで〈鏡〉に映しだされていたのだとすれば)〈鏡〉に映しだされなくなる直前の位置で止まったようだった。 「おもしろい。」
ダンブルドアの笑みが冷ややかなものに変わった。 「そうじゃ、トム。おまえはここを出られない。」
クィレル先生は首肯した。 「どんな手をつかった?」
「おまえは死をこばんだ。 仮にわしがその肉体を破壊しても、おまえの魂はさまよい、戻ってくるだけ。ちょうどものわかりの悪い動物が捨てられたことを知らずに戻ってくるように。 そこでかわりに、わしはおまえを〈時間〉の外の、凍った一瞬へと送りだすことにした。わしを含めて何者もおまえをそこから取りかえすことはできない。 もしかすると、予言が事実であれば、いつの日かハリー・ポッターがおまえを取りもどすことができるようになるかもしれない。 ハリー・ポッターはそうして自分の両親の死の責任がだれにあるかを話しあいたいと思うかもしれない。 おまえにとってはそれは一瞬にすぎない——仮に帰ることがあるとしても。 ともあれ、むこうで無事にやっていてくれ。」
「ふむ。」と言ってクィレル先生はハリーが無言で恐怖に似たものを感じながら立っている場所をとおりすぎ、反対がわの端まで行ってまた立ちどまった。 「こんなことだろうと思っていた。 これはマーリンの古い封印の方法だな。トファリアス・チャンの物語に言う、〈無時間の過程〉。 伝承がまちがっていなければ、この
「いかにも。」 アルバス・ダンブルドアはそう答えながらも、急に警戒する目になった。
ずっとおなじ、扉の右手の場所で無言で恐怖をおさえつけながら待っているハリーも、空気を通じてなにかを感じとった。〈鏡〉のなかの世界に
「しかしチャンが語ったことが事実なら、おまえはこの段階でも効果を反転させることができる。」とクィレル先生。 「伝承では、〈鏡〉の効能には両面性のあるものが多いという。 ならばおまえは〈鏡〉のそちらがわのものを放逐することもできる。 わたしでなくおまえ自身を、その凍った一瞬に送りだすこともできる。 おまえにその気さえあれば。」
「そうする理由がどこにある?」 アルバス・ダンブルドアはこわばった声で言う。 「人質があるとでも言うのかね? 無駄なことをしたものじゃ。愚かとしか言いようがない! まだ分からないか、わしはどんな人質をとられても一歩も譲歩しないのだということが。」
「おまえは昔からいつも一手遅い。」とクィレル先生が言う。 「紹介しよう。こちらがわたしの人質だ。」
別の存在がハリーの周囲の空気に侵入し、ハリーの全身にぞわりと栗立つ感覚があった。もう一人のトム・リドルの魔法力がハリーの肌のごく近くをかすめた。すると〈不可視のマント〉がハリーからはがされ、黒光りして空中を飛んでいった。
クィレル先生が受けとり、それでさっと自分の身をつつんだ。フードをかぶって消え終えるまでの時間は一秒もなかった。
支え棒かなにかがはずれたかのように、アルバス・ダンブルドアがぐらりとした。
「ハリー・ポッター。」 アルバス・ダンブルドアが声をひそめる。 「
ハリーはただアルバス・ダンブルドアの映像を見ている。アルバス・ダンブルドアの顔には衝撃と落胆がないまぜになっている。
あまりに耐えがたい罪悪感とやましさがハリーを襲う。同時にあの理解不可能な存在がハリーのまわりで最高潮をむかえる。 もう時間がないこと、これで終わりだということをハリーは言語を介さず理解した。
「ぼくのせいです。」 ハリーのなかのどの部分だかが最後の最後に小さな声をだして言う。 「ぼくは愚かでした。最初からずっと愚かでした。 ぼくを助けにこないでください。さようなら。」
「おや、これは。」 なにもないところからクィレル先生の楽しげな声がする。 「わたしの鏡像がなくなっているじゃないか。」
「いや、それは、それだけはならん!」とアルバス・ダンブルドアが言った。
アルバス・ダンブルドアの袖から手へと黒灰色の長杖がとびだし、もう片ほうの手には、どこから出てきたとも知れない黒い石の短杖があった。
アルバス・ダンブルドアがその両方をちからまかせに放りなげた。と同時に、高潮する力場が崩壊寸前にまで高まり、そして消えた。
〈鏡〉はもとのようにただ、黄金色の光に照らされた室内の白い石壁を映す。アルバス・ダンブルドアがいた場所の痕跡はもはやどこにも見あたらない。
原作品の著者:J. K. Rowling
ファンフィクションの著者:Eliezer Yudkowsky