ハリー・ポッターと合理主義の方法   作:ポット@翻訳

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119章「守るべきもの——アルバス・ダンブルドア」

総長の——マクゴナガル総長の居室を守るガーゴイルの組を前にして立つハリー。 シニストラ先生に呼びだされ、緊急の件だと言うから来たのだが、門はひらく様子がない。

 

これまでの実験結果により、〈石〉は三分五十四秒ごとに一つのものの〈転成〉を、対象物の大きさによらず永続化できることが分かった。 一度だけ、真っ暗なクローゼットにはいって手持ちのフラッシュライトのなかでもっとも強力なものを〈賢者の石〉に照射したとき、赤色のガラスのかたまりのなかに小さな点がならんでいるのが見えたような気がした。けれどそれから二度と見えたことがないので、いまは見まちがいだったかもしれないと思っている。 〈石〉にはそのほかになんの能力もないらしく、ハリーがどんなことを念じて命じてみても反応がない。

 

ハリーは明日の正午までを締め切りとして、当面どんな風に〈石〉をつかいはじめればだれにも奪われずにすむかを考えることにしてみた。まだ終わっていないできごと、ずっと以前からつづいていたできごとのことは、ひとまず考えないことにして。

 

約束の時刻の十分後、ミネルヴァ・マクゴナガルが早足で近づいてきた。 両手にいっぱいの書類をかかえ、また〈組わけ帽子〉をかぶっている。

 

それに対して、ガーゴイルの組が一度音をたてて動いてから、深く一礼した。

 

「あたらしい合言葉は『無常』。」  ミネルヴァがガーゴイルにむけてそう言うと、ガーゴイルは道をあけた。 「すみません、ミスター・ポッター。遅くなりましたが——」

 

「お気づかいなく。」

 

ミネルヴァは長い螺旋階段に足をのせ、運ばれるのを待たずに登っていく。ハリーもそのあとに続く。

 

「これから会議があります。〈魔法法執行部〉のアメリア・ボーンズ長官と、アラスター・ムーディ……彼とは面識がありますね、それと〈国際魔法協力部〉のバーテミウス・クラウチ長官が出席します。 三人とも、わたしやあなたと同じくらいダンブルドアの後継者たる資格があります。」

 

「ハーマイオニーは——どんな様子ですか?」  そのことを聞く機会がまだなかった。

 

「フィリウスの報告では、かなりのショック状態だそうです。無理もありませんね。 彼女はあなたの居場所をたずね、クィディッチ場だと言われると、ほんとうの居場所はどこかと食いさがってたずねたそうです。なにがあったのかと問われても、あなたと話すことを許されるまではほかのだれにも話す気はない、と言っています。 彼女は聖マンゴ病院に送られて、そこで……」  マクゴナガル総長はすこしだけ気がかりそうな声で言う。 「そこでかけられた標準的な検査用〈魔法(チャーム)〉の結果、ミス・グレンジャーは、たてがみを整える必要があることをのぞけば、肉体的にはいたって健康なユニコーンだと判断されたそうです。 発動中の魔術を検知する〈魔法(チャーム)〉を何度かけても、彼女は別のすがたに変形しつつあるということが検知されるそうです。 〈無言局〉員が一人そこに来て、フィリウスに……その、退室させられるまえに、ある種の、本来知ることが許されていないはずの呪文をハーマイオニーにかけ、ハーマイオニーの魂は健全な状態だが肉体から少なくとも一マイル以上離れた場所にあると判定したそうです。 病院の上層部はそれ以上のことをするのをあきらめたようです。 彼女はいま単独でネズミとハエの独房のなかにおかれて——」

 

「ネズミとハエ?」

 

「すみません、〈転成術〉の業界の言い回しです。 つまり、ミス・グレンジャーはいま隔離室に入れられていて、そこにはおとなしいネズミを入れた籠と、一日後に産卵するハエがつまった箱があります。 彼女の復活にどんな謎があるのかはまだ分かりませんが、いずれにしろその余波として癒者のチャームの結果をでたらめなものにするものが放出されているとみて、まずまちがいないでしょう。 しかし、ネズミにも孵化したハエの幼虫にも異常がなかったあかつきには、ミス・グレンジャーは翌朝目ざめたあとホグウォーツに帰らせても安全とみなされます。」

 

ハーマイオニーが自分が生きかえったことについてどう思っているだろうか……とくにああいう状況下で生きかえされたことについてどう思っているだろうかというと、まったく分からない。 さすがに、やりかたがまちがっていると言ってしかりつけてくることはないだろうと思う。 それはハリーの脳がハーマイオニーをステレオタイプに当てはめて考えようとしている想像でしかない。 あのときの自分は心底疲れきっていて、まともに思考力がはたらかないまま、あんな復活劇の設定をでっちあげてしまった。そこまではハーマイオニーもおそらく理解してくれる。 しかし、それでは実際にはハーマイオニーはどういう風に考えているのだろうか……

 

「ミス・グレンジャーは自分が〈例の男〉を滅ぼしもしたのだということについてどう思うでしょうね。」  ミネルヴァは思いにふけるようにそう言いながら、あとにつづくハリーが息を切らすほどの速度で自動階段をかけあがる。 「そして、ほかの人たちが勝手な想像をたくましくしていることについても。」

 

「つまり、自分はごく一般的な優等生だと思っていたのに、いろんな人が自分を〈生きかえった女の子〉としてあつかうようになっていて、やたらと握手をもとめられたりするとかいう?」  自分がそれだけのことをしたという記憶がないにもかかわらず。 別のだれかの仕事、別の人たちの犠牲のおかげなのに、自分が祭りあげられていて、 持ちあげられるほどのことをなにもしていないように感じるにもかかわらず。周囲の人たちが想像するような人物にはいつになってもなれないのではないかと思えるにもかかわらず。 「いやあ、どんな気分なんでしょうね、それは。」

 

彼女をこんな目にあわせてしまうべきではなかったのかもしれない。 けれど人間は()()()()あたえられてはじめて自分のちからを信じることができるようになるものだ。 そのことをうしろめたく感じていてもしかたがない、と思う。

 

二人は階段の頂上に着き、総長室にはいると、何十もの奇妙な道具たちと、その奥の巨大な机と玉座に迎えられた。

 

ミネルヴァが黄金色のぐらぐらするもののついた道具の上に手をかざし、一度目を閉じた。 それから〈組わけ帽子〉をぬぎ、それを左足用のスリッパが三足かけられた帽子かけに置いた。 彼女は立派な玉座をクッションつきの地味な椅子に、大きな机を円卓に変え、円卓のまわりに四脚の椅子を出現させた。

 

ハリーはそれを見ていて、のどもとに奇妙な感情がこみあげた。 二人ともあえて言わないが、きっとこの椅子の切り替わり、机の切り替わりは本来、もっと本格的な儀式をともなうものなのだ。 着任した総長がはじめて自室に来室するときの儀式が。 しかしなぜかいまはそうしている時間がなく、ミネルヴァ・マクゴナガルは速度をすべてに優先させている。

 

ミネルヴァが杖をひと振りすると〈煙送(フルー)〉の暖炉に火がともり、そのあいだにミネルヴァはダンブルドアの椅子であった椅子に着席した。

 

ハリーは円卓のまわりにある椅子のうち、ミネルヴァの左にあった椅子に静かについた。

 

ほとんど間をおかずに〈煙送(フルー)〉の火が緑玉(エメラルド)色に燃え、アラスター・ムーディを吐きだした。アラスター・ムーディは杖を持ったまま回転し、部屋全体の様子をひと目で確認するようにしてから、まっすぐハリーに杖を向け、「アヴァダ・ケダヴラ」と言った。

 

あまりの速度と意外な展開に虚をつかれて、ハリーはアラスターの詠唱が終わるまでにまだ杖を半分も持ちあげていなかった。

 

「試しただけだ。」  アラスターはアラスターに杖を向けている総長に向かって言う。総長は口をあけたまま、言うべきことを見つけられないようだ。 「ヴォルディがこいつの肉体に乗りうつっていたなら、よけようとしたはずだ。 あとでそのグレンジャーとやらも試しておく必要がある。」  アラスター・ムーディはミネルヴァの右がわに行き、着席した。

 

ハリーはそこまでのごく短い時間のうちに無詠唱で銀色の〈守護霊〉の光を杖から出して迎撃してみることを考えはしたが、手を杖にとどかせることすらできずに終わった。

 

自分が無敵になったように思うなんて、身のほど知らずだったな。大切な教訓をありがとう、ミスター・ムーディ。

 

煙送(フルー)〉の火がまだ緑色に燃え、ハリーの見たこともないほど厳格で老練な顔つきの魔女を吐きだした。ビーフジャーキーを人間にしたような印象だった。 老魔女は杖を手にしていないが、ダンブルドアより強力で厳格な権威の雰囲気を放射している。

 

「ミスター・ポッター、こちらはアメリア・ボーンズ長官です。」と体勢をたてなおしたマクゴナガル総長が言う。 「あと来る予定なのはクラウチ長官——」

 

「〈死食い人〉の死体のひとつがバーテミウス・クラウチ・ジュニアの死体だと判明しました。」  前おきなしにそう言いながら老魔女は椅子に向かって歩くのをやめない。 「まったく予想外の結果でした。 バーテミウスは残念ながら両方の理由で傷心のため、 今日ここには来れません。」

 

ハリーは内心でだけびくりとした。

 

アメリア・ボーンズはムーディの右がわの椅子に着席した。

 

「マクゴナガル総長。」  年齢が上の魔女はやはりためらいなく言う。 「わたしは摂政という立ち場でダンブルドアから〈マーリンの不断の線条〉を持たされたのですが、それがわたしの手に反応しません。 ウィゼンガモートには信頼できる〈主席魔法官〉が()()()()()必要です。 ブリテンの状況は混沌としています。 ダンブルドアがどんな措置をしていたのか、ただちに教えていただけますか!」

 

「なんだそりゃ。」とムーディがつぶやき、狂眼がぐるぐる回転する。「そりゃよくない。よくないどころじゃない。」

 

「そうですね。」とミネルヴァ・マクゴナガルがやけに心配げに言う。 「正確なところはよく分かりません。 アルバスは——内心では自分がこの戦争を生きのびられないという可能性も意識していたようです。 ですがそれから数時間後にミス・グレンジャーがよみがえってヴォルデモートを殺すということまで想定していたかというと、 その点はまったく想定外だったろうと思います。 アルバスの遺産がこれをどう判断するのかは、皆目わかりません——」

 

アメリア・ボーンズが椅子から腰を浮かせた。 「つまりその()()()()()()という子どもが〈マーリンの不断の線条〉を継承しているかもしれないと? ()()()じゃありませんか! まだなんの経験も実績もない十二歳の子どもがそんな—— ヴォルデモートを倒しただれかに〈線条〉を受けつがせる——アルバスがそんな無責任なことをするわけがない。相手が()()()()()かも分からないうちに!」

 

「それが、簡単に言えば……」と言いながらミネルヴァは持ちこんだ書類を机の上でそろえる。 「アルバスはヴォルデモートを倒すことになるのがだれであるかを確信したうえで動いていたようです。 それに関する検証ずみの予言があったので……ただ、その予言はいま利用不可能なようで——どうすればいいのか! ここに、アルバスが死ぬか、ほかの理由で去ったときにミスター・ポッターに渡すようにと言われている手紙がひとつと、ミスター・ポッターがヴォルデモートを倒したときにはじめて開封できるようにしてあるという手紙がひとつあります。 ですが、この状況ではどうなるのか。 ミス・グレンジャーなら開封できるのか、それともだれにも開封できなくなってしまったのか——」

 

「待った。」と言ってマッドアイ・ムーディがローブのなかに手をいれ、細長い、灰色の持ち手がついた杖をとりだした。ハリーはそれに見おぼえがあった。ダンブルドアの杖だ。この形と様式はホグウォーツにあるほかのどの杖とも似ていない。 ムーディはそれを卓上においた。 「そのさきの話をするまえに、アルバスから預っている指示が二、三ある。 この杖をひろえ、坊主。」

 

ハリーはためらい、考えた。

 

アルバス・ダンブルドアはぼくを救うために自分を犠牲にした。 あの人はムーディを信頼していた。 これは多分、罠じゃない。

 

そしてハリーはその杖に手をのばした。

 

杖はテーブルを横断し、ハリーの手のなかに飛びこんできた。 持ち手の部分をにぎった瞬間、歌が聞こえたような気がした。栄光と武勇の歌がこころのなかに鳴りひびいたように感じられた。 白い火が持ち手から波うって杖をつたわり、しだいに大きくなり、杖先から巨大な火花となって噴出した。 指でつかんだ杖のなかから、ちょうど綱につながれたオオカミのような、強さと制御された危険さが感じられる。

 

同時に、懐疑心を持たれているような感じもつたわってくる。まるで杖自身がいくらかの意識をもっていて、いったいなにがあって自分はホグウォーツ一年生の手にわたってしまったのかと思っているかのように。

 

「そうか。」  ムーディが周囲のいぶかしげな視線に答えて言う。 「つまりヴォルディを倒したのはミス・グレンジャーじゃなかった、と。 そんなこったろうと思った。」

 

「なんですって。」とアメリア・ボーンズが言った。

 

マッドアイ・ムーディは重おもしくうなづいて言う。 「アルバスはこの杖は前の所有者を倒した者に所有されると言っていた。 アルバス自身がそうやってグリンディの野郎から奪ったんだ。 そして昨日、ヴォルディがアルバスを倒した。 あとはおれが言わなくても分かるな? アメリア。」

 

アメリア・ボーンズはぽかんと口をあけてハリーを見つめている。

 

「そうは言えないような気がします。」と言ってハリーはまたこみあげてくる罪悪感を飲みこむ。 「その、ぼくが……ぼくがばかだったので、ぼくはヴォルデモートに人質としてつかわれていて、ダンブルドアは自分を犠牲にしてぼくを救ったので、そのせいでその杖はぼくがダンブルドアを倒したと見なしているんじゃないかと。 その、ぼくがヴォルデモートを倒した、というか制圧したというのも事実なんですが。 ただ、ぼくがあの場にいたことはだれにも秘密にしておくほうがいいと思います。」

 

ビーッ。チッ。ブーン。リン。プッ。

 

「その結果にいたるには、苦労もあっただろう。」  マッドアイはゆっくりと敬意を示すように首肯した。 「どんなばかなことをしたにしろ、アルバスとデイヴィッドとフラメルを死なせたことについては、そんなに気にやむな。 おまえは最終的に勝った。 おれたちが全員がかりでもできなかったことだ。 いちおう聞いておくが、おまえとデイヴイッドはヴォルディのホークラックスも壊したんだろうな? ほんもののホークラックスだったことも確認ずみだろうな?」

 

ハリーはためらい、ムーディを信用して伝えた場合と伝えなかった場合にありうる帰結をそれぞれ検討してから、首を振ることで返事した。 もともと、いずれにしろ少なくともマクゴナガルには学校のなかになにがあるのかを伝えておくつもりではあった。 「実は、ヴォルデモートは……ホークラックスをいくつも持っていました。 なので、ホークラックスを壊すのではなく、記憶の大半を『オブリヴィエイト』してあとで彼をこれに〈転成〉しておきました。」  ハリーは手をもちあげ、指輪のエメラルドを無言で指さした。

 

ビシャッ。ピョン。ビシャッ。ビシャッ。

 

「ふむ。」と言ってムーディは椅子に背をあずけた。 「いつかおまえが〈転成術〉を更新し忘れるということもあるかもしれん。あとでミネルヴァとおれがそいつにいくらか警報と防護をつけておこうと思うが、いいな。 このさきは、また〈闇の魔術師〉を狩ろうなんて思わず、おとなしく平和に暮らすことだ。」  傷顔の男はハンカチを手にして、ひたいに粒となって浮かんでいた汗をぬぐった。 「しかしよくやったよ、おまえも亡くなったデイヴィッドも。 その手はきっとあいつが思いついたんだと思うがな。 とにかく、よくやった。」

 

「同感。」と落ちつきをとりもどしたアメリア・ボーンズが言う。 「われわれはあなたたち二人に大変な恩がある。 しかし〈マーリンの不断の線条〉の件は喫緊の問題です。」

 

「では……」とミネルヴァ・マクゴナガルがゆっくりと言いはじめる。 「アルバスの手紙はどちらもミスター・ポッターに渡したほうがいいでしょうね、この場で。」  積まれた書類の頂上に羊皮紙の封筒ひとつと、灰色のリボンで封をされた羊皮紙の巻きものがひとつ乗った。

 

総長はまず封筒をハリーに渡した。ハリーはそれをひらいた。

 

◆ ◆ ◆

 

ハリー・ポッターへ。君がこの手紙を読んでいるなら、私はすでにヴォルデモートに敗れている。使命は君の手に委ねられたということになる。

 

君にとっては思いもしなかったことかもしれないが、私はこの結末を心から望んでいた。 というのも、私がこの手紙を書いている時点ではまだ、ヴォルデモートが私自身の手で倒されることがありえるように見えているからだ。 その場合はいずれ私自身が、君が真の意味で成長するにあたって克服すべき暗黒となる。 君が君の師、君を作った者、君が愛した者を敵として戦わざるをえないときが来るかもしれないとも、君が私を滅ぼすかもしれないとも言われているのだ。 君がこれを読んでいるなら、そのような未来はなくなったということだから、私はうれしく思う。

 

とはいえ、君がヴォルデモートを相手に孤独に戦う事態はできれば防いであげたいと思っている。 君をできるかぎり長く安全な立ち場におくためなら、私自身には最終的にどんな代償があってもかまわないと誓いながらこれを書いている。 しかし私がそれに失敗していたとしても、私は私なりの利己的な意味で満足していると思ってほしい。

 

私亡きあと、ヴォルデモートと対等に戦える者は君をおいて他にない。 ブリテン魔法界は彼の影のもとで長く過酷な時代を迎え、そのために多くの人が苦しみ、死ぬ。 君がその影の源を断ち、その暗黒の心臓部を清めないかぎり、影は消えない。 どんな方法でそれができるのかを私は知らない。 君が持つ力をヴォルデモートが知らないなら、私も知らない。 君はその力を君自身のなかに見つけ、その操りかたを知り、ヴォルデモートに最後の裁きをあたえなければならない。どうかそのとき彼に慈悲を見せるというあやまちは犯さないでほしい。

 

私の杖は君に宛ててムーディに託したが、君はそれをヴォルデモートに対して使ってはならない。 あの杖の所有権は、所有者が倒されたとき、勝者に移る。 私を倒した者を君が倒した時点で、杖は真に君の意思に反応して動く。しかしそれ以前にヴォルデモートに対してこの杖を振るおうとすれば、杖はかならず君を裏切る。 なにがあってもこの杖にヴォルデモートの手がおよばないようにしなさい。 どんなときもこの杖を持たないのが賢明だと言いたいところだが、強力な道具ではあるから、窮地には必要となることもあろう。 しかしこの杖を持つときは、いつでも裏切りにあいかねないものと思いなさい。

 

私がいなくなれば、ウィゼンガモートがマルフォイの手に落ちることは避けられない。 マーリンの不断の線条は君に譲っておいた。君が成人するか実力を身につけるまでは、アメリア・ボーンズに摂政をつとめさせる。 しかし私が消え、ヴォルデモートが戻ってマルフォイに助言しはじめれば、彼女はそう長くマルフォイに対抗できまい。 近く魔法省は陥落し、ホグウォーツが最後の砦になるであろう。 ホグウォーツの鍵はミネルヴァにゆだねたが、受け継ぐのは君だ。彼女には全力で君を助けるように言ってある。

 

アラスターが不死鳥の騎士団の長となる。 彼の助言、彼が明かす情報にはよく耳をかたむけなさい。 私はより多く、より早くアラスターの言うとおりにしていなかったことをこの上なく悔やんでいる。

 

私は最終的に君がヴォルデモートを倒すであろうことを確信している。

 

私はそれが君にさずけられた運命のはじまりにすぎないということも確信している。

 

ヴォルデモートを滅ぼし、この国を救ったとき、君はきっと真の人生の意味を目指す旅に出ることができる。

 

だからそのために急ぎなさい。

 

死の世界(またはそれ以外のどこか)より

 

——ダンブルドア

 

追伸。総長室で使う合言葉は『不死鳥の代償』と『不死鳥の運命』と『不死鳥の卵』。 個々の部屋をもっと行き来しやすい配置にしたければ、ミネルヴァに頼みなさい。

 

◆ ◆ ◆

 

ハリーは思案げな顔で羊皮紙をたたんで封筒にもどし、灰色のリボンがついた巻き物を総長から受けとった。 ハリーが持つ灰色の杖がリボンに触れると、リボンははらりと落ちた。 ハリーは巻かれた紙をひらいて読んだ。

 

◆ ◆ ◆

 

ハリー・ジェイムズ・ポッター゠エヴァンズ゠ヴェレスへ。

 

君がこれを読んでいるなら、君はすでにヴォルデモートを倒していることになる。

 

その点はおめでとう。

 

この手紙をひもとくまでに君が祝杯のひとときを過ごせていることを願う。というのも、ここには喜ばしくない知らせが書いてあるからだ。

 

私は第一次魔法界大戦中のあるとき、いずれ近くヴォルデモートが勝利し、すべてを手中におさめるであろうということに気づいた。

 

やむにやまれず、私は神秘部に行き、マーリンの不断の線条の歴史上、一度もつかわれたことのない合言葉を起動し、禁じられてはいるものの完全には禁じられていない、あることをした。

 

記録されていた予言を一つのこらず聞いたのだ。

 

そして事態はヴォルデモートよりはるかに憂慮すべきものであることを知った。

 

ある種の予見者や占術師が揃って続々と、世界が破滅する運命にあるということを語っていたのだ。

 

そして世界を壊滅させる者の一人として、ハリー・ジェイムズ・ポッター゠エヴァンズ゠ヴェレスが予言されていた。

 

本来であれば、私は君につらなる可能性の芽を()み、君が生まれるのを阻止しておくべきだった。その日知ったそのほかのどの可能性をもできるかぎり摘んでおいたのと同じように。

 

しかし、君に関してだけは、破滅の予言にごくわずかながらも抜け道があった。

 

文言はきまって『世界を終わらせる』であり、『生命を終わらせる』ではなかった。

 

君が星ぼしそのものを引き裂くという表現はあれど、君が人びとを引き裂くという表現はなかった。

 

この世界の先が長くないとされていることは明らかだった。そこで私は文字どおりすべてを君に、ハリー・ジェイムズ・ポッター゠エヴァンズ゠ヴェレスに賭けた。 世界を救いうる方法を教える予言はなかった。そこで私は破滅に対する抜け道を提供する種類の予言を見つけ、そのような予言が成就するための奇妙で複雑な条件を生じさせた。 予言の一つをヴォルデモートが確実に発見するように仕向け、そのことを通じて(それ以前から恐れていたとおり)君の両親を死なせ、君がいまの君として育つようにした。 わたしは君のお母さんの薬学教科書に奇妙な助言を記入した。当時はなんのためにそうしているのか分からなかったが、これは結果的に、リリーに姉ペチュニアを助ける方法を知らせ、君がペチュニア・エヴァンズの愛情を受けられるようにするためのものだった。 オクスフォードの家の君の寝室に透明になって忍びこみ、逆転時計をもつ生徒に与えられるのと同じ水薬を君に飲ませ、君の体内時計が一日二十六時間になるようにした。 君が六歳になったとき、私は君の部屋の窓辺の石を粉砕したが、なぜそうする必要があったのかはいまだに分からない。

 

このすべては、君がなんとかして嵐の目を通り抜けて、世界を終わらせながらも人びとを死なせずにすませられるようにという、わずかな望みに賭けてのことだった。

 

君はもうヴォルデモートを倒すという予備試験に合格した。私は君にすべてを賭け、私が与えうる道具をひとつ残らず君に与えた。 マーリンの不断の線条、不死鳥の騎士団の指揮権、私が持っていたあらゆる財宝、死の秘宝の一つであるニワトコの杖、私の友人たちからの私に対するのと変わりない忠誠。 ホグウォーツに割く時間はないであろうと思い、ホグウォーツはミネルヴァの手にゆだねておいたが、必要とあれば君はそれもミネルヴァから明け渡させることができる。

 

私が君に与えないものが一つある。それは予言だ。 私が去ると同時に予言はすべて破壊され、新しいものが記録されることもなくなる。君は予言に頼ってはならないとされていたから、このようにした。 余計なことをしてくれた、と君は思うかもしれないが、君でさえ想像できないほど余計な面倒から君は解放されたのだということは私が保証する。 私は死んでいるか、君のもとを離れているか、なんらかの意味で君の手のとどかないところに行っていると思う——当然ながら、予言の表現は不透明だ。私は私が去る時点で、未来の正確なありようも、なぜ自分がこのようなことをしなければならないのかも知らない。 このように謎めいた狂気のしろものに君が関わりをもたないことを幸運に思ってほしい。

 

このチェス盤の上に王はただ一つ。

 

値段をつけようのない駒はただ一つ。

 

その一つの駒はこの世界ではない。この世界に生きる魔法族とマグル、ゴブリンとハウスエルフ、その他すべての種族だ。

 

天の星々が死のうとも、我々の同胞が少しでも痕跡を残しているかぎり、その駒はまだ戦うことができる。

 

しかしその駒が失われれば、ゲームは終わる。

 

他の駒すべての価値を知り、勝つための手を打ちなさい。

 

——アルバスより

 

◆ ◆ ◆

 

ハリーはしばらくその羊皮紙を手ににぎったまま、しばらく虚空を見つめた。

 

つまり。

 

世のなかには『それなら説明がつく』と言うだけでは済まないことがある。とはいえ、これで説明はつく。

 

やはり虚空を見つめたまま、うわのそらでハリーは手のなかで羊皮紙を巻いた。

 

「どんな内容でしたか?」とアメリア・ボーンズが言った。

 

「告白の手紙でした。ぼくの飼い石(ペットロック)を殺した犯人はダンブルドアだった、という。」

 

()()()()()()()()()()()()()」と老魔女が言う。 「けっきょくあなたが〈マーリンの不断の線条〉の真の持ちぬしなの?」

 

「はい。」とうわのそらで答えたが、ハリーはどのような客観的定量化の基準でもそれより圧倒的に重大なものごとに心をうばわれている。

 

老魔女は椅子のなかで動かなくなり、 やがて顔の向きをかえて、ミネルヴァ・マクゴナガルとたがいの目を見て離さなくなった。

 

そのあいだにハリーの頭脳は、あまりにも多くの種類の時間的規模でのあまりにも多くの種類の可能性のあいだを行き来していて、そのうちいくつかは文字どおり数十億年単位の時間と恒星の崩壊過程に関係していた。ハリーの頭脳はやがて認知的破産を宣言して最初からやりなおすことにした。 さて、世界を救うために()()()()()すべきことはというと…… いや、もっと手近な、()()すべきことはなにか……といっても、なにをすべきかを考えるというのを除いてだけど……それがわかるまでは〈不死鳥の卵〉の部屋にダンブルドアが残したなにかを確認しにいくわけにもいかない……

 

ハリーは巻かれた羊皮紙から顔をあげ、マクゴナガル先生——いや、マクゴナガル総長——とマッドアイ・ムーディと手ごわそうな老魔女を順に、はじめて見る相手にむけるような目で見た。 といっても、アメリア・ボーンズを見るのは実際はじめてに近いのだが。

 

アメリア・ボーンズ。〈魔法法執行部〉長官で、アルバス・ダンブルドアが少なくとも一時的にウィゼンガモートの運営をまかせてもいいと判断した人物。 ハリーの行く手になにがあるにせよ、彼女の協力は貴重、というより()()であるかもしれない。 ダンブルドアが彼女を選んだのも、選ぶにあたってダンブルドアはハリーが目にしていない予言を読んでいたのも事実。

 

〈マーリンの不断の線条〉に関する摂政と次期〈主席魔法官〉を任せられていたのに、十一歳の少年にその地位をうばわれたように思っているアメリア・ボーンズ。

 

ここはひとつ——と、あたまのなかのハッフルパフの声が言う。 ここはひとつ下手に出よう。 今回はいつもみたいなまぬけなことを言うのはやめよう。 世界の命運がかかっているかもしれないんだから。いや、いないかもしれない。 かかっているかどうかすらも分からない。

 

「こんなことになってしまってすみません。」とハリー・ポッターは言い、丁重な言いかたをした効果が少しでもあるか、確認するために待った。

 

「ミネルヴァの話では、あなたは率直に論評されても怒らないらしいとか。」と老魔女が言った。

 

ハリーはうなづいた。 レイヴンクローの部分が『批判に敏感すぎるという名目でこちらの口を封じようとすることを率直な論評に含めないかぎりは』という前置きを追加しようとしたが、ハッフルパフが拒否権を行使した。 どんな話にせよ、まずは聞いておこう。

 

「死んだ人のことをとやかく言うつもりはないけれど。 太古から〈マーリンの不断の線条〉の継承者は、ただ善人であるだけでなく、善良で見識ある後継者をえらべる人であることを()()()()証明した人に継承されてきた。 その連鎖の途中のどこかで一度でもほころびが起きれば、継承権は二度と本道にもどらないかもしれない! こんな年若いあなたに〈線条〉をゆだねるなんて、〈例の男〉を倒したらという条件つきだったとしても、狂気の沙汰だわ。 こんなことが知られれば、ダンブルドアは晩節を汚したと言われる。」  老魔女はハリーをじっと見たまま言いよどむ。 「このことはこの部屋にいるわれわれのあいだにとどめることにしましょう。」

 

「ええと……その、あなたはダンブルドアをあまり高く評価していないようですね?」とハリー。

 

「これまでは……。 いえ。 アルバス・ダンブルドアは魔法使いとしても、()()()()()()わたしより上を行っていた。ほかにも簡単に数えあげられないくらいの点でそうだった。 けれど、あの人にも欠点はあった。」

 

「それは……その。 ダンブルドアはちゃんと、ぼくが若すぎることも〈線条〉のしくみも知っていましたよ。 あなたの言いかただと、ダンブルドアがそういうことを知らなかったか知っていて無視してこの選択をしたように聞こえますが。 たしかに、ぼくのような愚か者はそんなとんでもない選択のやりかたをします。 けれどダンブルドアはしません。 ダンブルドアは()()()()()()()()ので。」  ハリーはごくりとして、急にうるんだ目を閉じた。 「まだぼくもわかりはじめたところですが……最初から、このすべてのなかで狂っていなかったのはダンブルドアだけだったんです。 ダンブルドアだけが多少なりとも正しい理由で正しいことをしようとしていた……」

 

マダム・ボーンズが声にならない声で小さく悪態をつき、ミネルヴァ・マクゴナガルがびくりとした。

 

「すみません。」とハリーがちからなさげに言った。

 

マッドアイの傷顔がにやりとゆるむ。 「昔からアルバスが仲間にも秘密で()()()たくらんでいたのは分かっていた。 坊主、その巻き物にこの〈眼〉をつかいたくなるのを我慢するのも大変なんだぞ。」

 

ハリーはいそいで巻き物をモークスキン・ポーチに食わせた。

 

「アラスター。」  アメリアの話す声が大きくなる。 「しっかりしてちょうだい。本気で、この子にダンブルドアの代役がつとまるとでも? いまこの時点で!」

 

「ダンブルドアは……」  その名前を言うと舌に奇妙な味がする。 「この選択をするとき、ひとつまちがった仮定をしてはいました。 ダンブルドアは、ぼくたち全員の、ヴォルデモートに対する戦いは何年もつづくものと思っていた。 ぼくがすぐにヴォルデモートを倒すというのは想定外のできごとだった。 倒したのは正しいことだし、そのおかげで戦いが長引いた場合に死んでいたたくさんの人を救うこともできたんですが、 ダンブルドアは、何年もかけてあなたたちがぼくを知り、信頼した段階でそのときが来ると思っていた……ところがそれがたった一晩ですんでしまった。」  ハリーは息をすった。 「ぼくたちが何年もかけてヴォルデモートと戦っていて、ぼくはあなたたちの信頼を勝ちえていた、ということにしちゃいませんか? ダンブルドアの想定よりも早く勝利したことでぼくが損してしまわないように。」

 

「たかが一年生にダンブルドアのかわりを務めさせるわけにはいかない。ダンブルドア自身がどう考えていようと!」

 

「ああ、またその『外見上十一歳』というやつですか。」  ハリーの手が鼻すじにのび、眼鏡のある位置をこする。 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「わたしにもあなたがただの子どもでないことくらいは分かる。 あなたがルシウス・マルフォイと話すところも、ディメンターを怖がらせるところも、フォークスがあなたの願いを聞くところもこの目で見た。 ウィゼンガモートでのあなたを見てすこし考えればだれでも——それに当たるのはわたし自身のほかに二名しかいないけれども——〈例の男〉が死ななかった夜に引きさかれた魂の一部をあなたが吸収し、制圧してその知識をよい目的に利用したのだということは想像できる。」

 

全員が一瞬沈黙した。

 

「やはり、と言うべきか……」と言ってミネルヴァ・マクゴナガルがためいきをつき、総長席の椅子ですこしだけ肩をおとす。 「アルバスはもちろん()()()()()()()そうと分かっていた上で、賢明にもわたしにはなにひとつ教えないでいたということですね。」

 

「うむ。」とムーディ。「やっぱりか。あんなにあからさまじゃな。 全然迷いもしなかったぞ。」

 

「それは当たらずとも遠からずといったところです。 それで、その。けっきょくどこに問題が?」とハリー。

 

「問題は……あなたが右も左もわからない、ホグウォーツ一年生と〈例の男〉の不安定な混合物だということ。」   アメリア・ボーンズは完全に平静な声でそう言ってから、なにかを待つように口を閉じた。

 

「その点については、よくなってきてはいますよ。」  自分の返事が待たれているのだと思ってハリーが話す。 「しかもかなりの速度で。 もっと重要なのは、ダンブルドアがそのことを知っていたということです。」

 

「あなたは親友をアズカバンにいかせないために全財産をなげうってルシウスへの負債をつくった。これは立派な心意気だとも言えるにせよ、そんなことをする人にウィゼンガモートを仕切らせるわけにはいかない。 いまとなっては、あなたが自分自身の正気をたもち内なる暗黒を抑えるためにそうしなければならなかったのだということは分かる。 けれどもそれがマーリンの継承者たるものに許されないことであったのも事実。 感情的な指導者は利己的な指導者より、はるかにたちが悪い。 不死鳥に(つか)え仕られる身であったアルバスも、ぎりぎりの一線を守れていたにすぎない——そのアルバスでもあの日あなたに反対した。」  アメリアはマッドアイ・ムーディの方向に手をむけた。 「アラスターには強さがある。狡猾さもある。けれどまだ統治の才能がない。 ハリー・ポッター、あなたには犠牲を受けいれる能力という意味での強さが足りない。だから〈不死鳥の騎士団〉の指揮すら任せられない。 そしてあなたのなりたちからして、あなたはそのような人に()()()()()()()()()()()。 とくにいま、その若さでは。 じっくり時間をかけて、その分裂した魂を統合できるものならそうすればいい。 それが終わるまで〈主席魔法官〉になろうとしてはならない。 もしそうすればいいとアルバスが思ったのだとしたら、アルバスは実世界の都合をおろそかにして聞こえのいい物語をつくろうとしていたということ。わたしはあの人のそういうところがよくないと思っていた。」

 

その話を聞いているうちに、ハリーの両目が大きめにひらいた。 「ええと……あなたはここでなにが起きていると思っています?」  そう言ってハリーは自分の耳のすぐ上をたたいた。

 

「想像するに、あなたのなかにはまだ素直な少年の魂がいて、自分を飲みこもうとするヴォルデモートの魂の断片に対して意志力をふりしぼって押し返そうとしている。ヴォルデモートの断片はそれに対して、おまえは感情的で弱いと言っている——いま、笑わなかった?」

 

「すみません。 でも実際のところ、()()()()ひどかったことはないですよ。 いろいろと悪い習慣がのこっていて消しきれていない、といったほうが近いかな。」

 

「オホン。」とマクゴナガル総長が言う。 「この一年がはじまったころなら、()()()()ひどかったと思いますよ。」

 

「悪い習慣と悪い習慣が連鎖的に相互に発火するというくらいですかね。たしかにもうすこし大きな問題ではあります。」  ハリーはためいきをついた。 「そして、マダム・ボーンズ……。その、ぼくの誤解ならすみませんが、 あなたは〈線条〉が十一歳の子どもの手にわたってしまったということが気にいらなかったりするんじゃありませんか?」

 

「あなたが想像しているような方向で気にいらないわけではありません。」  老魔女は落ちついた声でいう。 「あなたがそれを心配するのは無理もありませんが。 〈主席魔法官〉はわたしにとって望んでつきたい地位ではありません。〈魔法法執行部〉の惨状を相手にするほうがまだましというもの。 アルバスがなかなか応じようとしないわたしを説得した。実のところは、わたしは勝てない議論をつづけてアルバスの時間を浪費しないことにしただけだった。 いやな仕事であるのは変わらない。それでも自分がやることになるのは変わらない。 ミネルヴァによると、あなたは多少は常識的に考えることができるという。とくに周囲の人からそううながされれば。 ウィゼンガモートの議長席にいる自分を想像できるか、よく考えてみてほしい。 〈例の男〉の残滓がその立ち場にいる自分を想像させている、あるいは望ませてすらいるのではないか、ということも。」

 

ハリーは眼鏡をはずし、ひたいをもんだ。 傷あとは、昨日演出のために自分で血がでるまでかきむしったせいで、まだすこし痛んでいる。 「ぼくは多少は常識的に考えることもできますし、〈主席魔法官〉というのはとても面倒なことが付随する仕事で、ぼくにはまったく向いていないらしい、とも思います。 問題はですね。その。〈マーリンの線条〉は〈主席魔法官〉のためにだけあるものじゃないかもしれないということです。それ以外にも……その。どうも、それ以外にも変ななにかがついてきているように思えるんです。 そしてダンブルドアはその……なにかに対する責任をぼくにまかせるつもりだったようで、 そのなにかは……()()()()重要なものであったりするかもしれません。」

 

「なんだそりゃ。」とアラスター・ムーディが一度言い、また言う。 「なんだそりゃ。坊主、そもそもそれはおれたちに話していい情報なのか?」

 

「さあ。取りあつかい説明書があるとしても、ぼくはまだ見ていません。」

 

「なんだそりゃ。」

 

「その別のなにかにも強さと犠牲が必要だとしたら?」  アメリア・ボーンズはやはり落ちついた声で言う。 「あのウィゼンガモートの審判のような試練がまたあるとしたら? わたしもそれなりの年で、神秘について知らないわけでもない。 わたしがあなたの正体をほとんど一目で見てとったのを思いだしてほしい。」

 

「アメリア。」とマッドアイ・ムーディが言う。 「昨夜あんたが〈例の男〉とたたかっていたらどうなっていた?」

 

老魔女は肩をすくめた。 「死んでいたでしょうね。」

 

「いや、()()()()()だろう。 〈死ななかった男の子〉はヴォルディを倒しただけでなく、ヴォルディが復活するのと同時にお友だちのハーマイオニー・グレンジャーを()()()()()()()という作戦までやってのけた。 これが偶然である可能性は万にひとつも億にひとつもない。デイヴィッドが言いだしたことだとも思えない。 エイミー、おれたちはマーリンの遺産の継承者が()()()()()ものかを知らない。しかしおれたちがこういうしろものを相手にする無茶苦茶さを持ちあわせていないのはたしかだ。」

 

アメリア・ボーンズは眉をひそめた。 「アラスター、知ってのとおり、わたしも怪しげなものごとを相手にした経験はある。あるどころか、かなりうまく対処してきたと自負している。」

 

「ああ。こういうしろものに()()はする。しかしそれが終われば実生活にもどるだけだろう。 あんたには、こういうしろものをつかって城館をたてて、そのなかに住みはじめるという無茶苦茶さがない。」 ムーディはためいきをついた。 「エイミー、あんたもアルバスがなにを思って、もうひとつの仕事とやらをこの坊主にまかせたのか、どこかで分かっているんじゃないのかね。」

 

老魔女はテーブルの上で両手をにぎりしめた。 「これがこの国にとってどれほどの()()なのか、すこしは考えてみたら? わたしのことを常識人と呼びたければ呼ぶがいい。それでもそんな結論は受けいれない! これだけ長く働かされて、なにも()()()()()にそれを台無しにされるなんて!」

 

「ひとつよろしいですか。」とマクゴナガル総長がきっちりとしたスコットランドなまりの声で言う。 「〈神秘部〉関連のことはおいておいて、〈主席魔法官〉の地位に関してミスター・ポッターが成人するまでのあいだマダム・ボーンズを自分の摂政とするということを、ミスター・ポッターが〈線条〉に指定すればそれですむのでは? アルバスがヴォルデモートが倒されるまでという条件で摂政を指定できたなら、〈線条〉はそういう複雑な指示をこなせるということでしょうから。」

 

意外な方向からきた良識の一撃に、その場にいる全員が打たれた。

 

ハリーはウィゼンガモート関連のことについてアメリア・ボーンズを摂政とすることに同意すると言おうとして口をひらいたが、また言いよどんだ。

 

「ええと、その。マダム・ボーンズ、ぼくもできればウィゼンガモートの運営はあなたに代行してもらいたいと思いますが。」

 

「その点では異議なし。じゃあ、そのとおりにしましょうか。」

 

「ただ——」

 

ハリーをのぞく全員が、やめてくれといった感じで後傾した。 「なにか気になることが?」と総長が言った。口調から、あまり深刻なことであってほしくないと思っていることがうかがえた。

 

「その。もしかすると、近いうちに……政治的な論争に発展しうるいくつかのことをぼくがする必要があるかもしれないので、〈線条〉の政治的権力をマダム・ボーンズにお渡しする見かえりに……その、ある種のことについて協力していただこうかなと思います。」

 

アメリア・ボーンズはもう一度ミネルヴァ・マクゴナガルとたっぷりと視線をかわしあってから、 ハリー・ポッターに向きなおった。

 

「その要求がなっていない! その躊躇は、自分は弱く、交渉に不慣れであると言っているに等しい。そして反撃があれば引き下がってしまいそうに見える。」

 

ハリーは両目をとじた。

 

()()()()()闇に染まったハリーが目をあけた。

 

「では、言いかえましょう。 ぼくはあなたの日々の仕事にも月々の仕事にも干渉するつもりがありません。ですが、ダンブルドアから託された最終的な責任をほうりなげることもできません。 ぼくはおかしな羊皮紙を前ぶれもなくフクロウで送るようなことはしませんし、事前に相談はしますが、ある時点であなたに命令をする必要ができるかもしれません。 あなたがその命令をこばめば、ぼくは〈線条〉のウィゼンガモート関連の機能を取りかえし、親政をする必要があるかもしれません。 それで文句ありませんか?」

 

「あると言ったら?」

 

すこしだけ、すこしだけ闇の色を…… 「いまのところほかの候補者はいません。 オーガスタ・ロングボトムにどういう適格者がいるかを考えてもらって、それを出発点としてもいいでしょう。 ですが、ぼくはダンブルドアの一連の行動の理由が正確にはわかっていません。その彼がアメリア・ボーンズをしばらく〈主席魔法官〉にしておくべきだと考えたなら、ぼくたちはダンブルドアの計画からできるかぎり外れないようにやるべきなのかもしれません。 マーリンを引き合いにだす気はありませんが……いや、もとい、マーリンを引き合いにだしますが、これはとんでもなく重要なことかもしれないし、そうでないかもしれません。」

 

老魔女はしばらく考え、そのあいだ視線はテーブルについた各人の顔をいったりきたりした。 「本意ではないけれど……ウィゼンガモートを近く開会しなければならないのも事実。いまのところはそれでかまわない。」

 

老魔女はゆっくりと自分のローブのなかに手をいれ、黒い石でできた短杖をとりだした。

 

そしてその短杖をハリーの前のテーブル上においた。 「とりなさい。それから返してもらいますからね。」

 

ハリーは片手をのばしてそれをとった。

 

ハリーの指さきが短杖に触れた瞬間——

 

——なにも起きなかった。

 

多分マーリンは大袈裟な演出が好きじゃなかったのかもしれない。 マーリンの最後の遺産がこのごくひかえめな小さな黒い棒であったのも、それなら説明がつく。 機能上必要なものだけがあればそれでいいということ。

 

ハリーは〈線条〉を持ちあげ、にらんだ。 「ウィゼンガモート関連の機能についてアメリア・ボーンズをぼくの摂政とする。」  そう言ってから摂政を停止する条件を指定する必要があると思い、つけくわえる。 「ぼくが返せと言った時点でそれは終わる。」

 

するとハリーは不満げな顔をした。 もっとなにかあってほしいと思っていたのに、実際には〈線条〉は〈神秘部〉内の保管庫をあけ、一般に流布されてはならないが破壊すべきでもないいろいろなものにマーリンとその後継者らがかけた封印をとく鍵でしかなく、 そのほかに大した機能はない。

 

〈マーリンの禁令〉を回避させてくれる機能もない。 銀河の命運が左右されるような事態であっても、 あるいは正気の人間が、〈不破の誓い〉をむすんだ上で、世界がもうすぐ崩壊するということを嘘いつわりなく信じている場合であっても、〈マーリンの禁令〉は守らねばならない。

 

マーリンは長くつづく世界を夢見ていた。数百年ではなく数億年の単位で。 真に危険なものをすべて排除し再発を防げば、世界が()()につづかない理由はない。 逆に、安全装置のどこかにたったひとつの穴があるだけで、世界の崩壊は時間の問題となる。 〈マーリンの線条〉はいつか誤った継承者を得る。 あからさまに不適格な者は拒絶されるとしても、いずれは検知できない程度に小さな欠陥のある継承者に行きあたる。 これは人間を相手にするかぎり避けようのないことだ。将来の〈線条〉の所有者には回避されうるやりかたでなにかを封印しようとするまえに、いつかそのなにかが悪用されることによって起きる災厄よりも、それまでの数千年間の利益のほうが大きくなるようにしなければならない、ということを思いだす必要がある。

 

ハリーはこっそりとため息をついた。 困ったやつだな、マーリンは……

 

そう念じても安全装置が解除される様子はない。

 

いま〈神秘部〉に火事は起きていないので、ハリーは〈線条〉を慎重にテーブルの上においた。

 

「どうも。」と言って老魔女がその黒い石の短杖を手にとる。 「ところで、ウィゼンガモートを開会するときにはこれでなにをすれば—— いや、まずは演台をたたいてみればいいか。むずかしく考えずに。 もちろん、ここにいる四人をのぞく全住民に対しては、わたしが〈主席魔法官〉だということにするわね。」

 

ハリーは返事をためらったが、 自分に〈主席魔法官〉に指し図する権利があるということが知られれば、どれだけの数のフクロウを受けとることになるか、そのことがアメリアの交渉力にどう影響するかを考えてから「かまいません」と言った。

 

アメリアは短杖をローブのなかにおさめた。 「話が通じる相手でよかったとはとても言えないけれど、この程度で助かったと思うべきか。 一応感謝しておきます。」

 

ハリーはマダム・ボーンズのふるまいを見ているだけで、ここに思わしくない権力の大小関係があるように感じた。 この人たちはごく論理的に、ヴォルデモートを倒すまでの過程の大半を計画をしたのはデイヴィッド・モンローだったと推理していて、そのためにハリーをいまだに過小評価している。 なんらかの危機が生じて、それをハリーがめずらしく悪化させるのでなく解決するということがあるまでは、アメリア・ボーンズにハリーの権威を尊重してもらうことはできないのではないだろうか。 というより、本気にしてもらうことも……。 「ところで、ダンブルドアが健在なときには相談しにいっていたような奇妙な事件でもあれば、ぼくがお聞きしますが?」

 

アメリアは思案げな顔をした。 「それでは……こちらからはそういう話が三件。 まず、〈死食い人〉たちを犠牲にして〈例の男〉を復活させるためにどんな儀式がつかわれたのか。それがわれわれにはさっぱり分からない。 あのような儀式にむすびつく伝承は知られていないし、儀式に由来する魔法力の痕跡は剥ぎとられている。 わたしの部下が見るかぎりでは、あの全員の首が自然に落ちたのだとしか思えない。 ウォルデン・マクネアだけは例外で、自分の杖で〈死の呪い〉を撃ってから魔法炎で殺されたということが分かっている。 なんとも謎めいた儀式だわね。」  アメリアはやけにぴたりとハリー・ポッターを見さだめた。

 

どう表現するか、ハリーは慎重に考える。 ヴォルデモートは結界を張ったと言っていた。だから、〈逆転時計〉でやってきた〈闇ばらい〉に見られていた、ということはまずないだろうと思う。それでも……。 「その件については、あまり深いりする必要はないと思いますよ、マダム・ボーンズ。」

 

老魔女はわずかに口角をあげた。 「あれだけの数の〈貴族〉の死人が出た事件の捜査をおざなりにはできないわよ、ハリー・ポッター。 デイヴィッドの最後の戦いについてのあなたの話を間接的に聞いた時点で、ふだんの仕事ぶりからして()()()()()捜査員を手配しました。 ノッブズとコロンは、〈魔法法執行部〉の外でも一目おかれているくらいでね。 なかなか読みごたえのある報告書だったわ。」  アメリアの話が一度とまった。 「それによると、オーガスタス・ルックウッドは幽霊(ゴースト)を残していた可能性があると——」

 

「除霊しておいてください。その幽霊がだれとも話さないうちに。」  ハリーは急に心臓がどきどきするのを感じながら言った。

 

「了解。」と老魔女は素っ気なく答える。 「ルックウッドの魂が現世につなぎとめられるのを邪魔して、実体化を失敗させておく。それで情報が漏れることはなくなる。 では、二番目の件について。〈闇の王〉が残したもののなかに、まだ生きている人間の片腕が一つあって——」

 

「ベラトリクス。」  その話を聞いてハリーはトラウマのせいで見えにくくなっていたつながりを見つけた。 「それはベラトリクス・ブラックの腕だと思います。」  レサス・レストレンジの名前は父母をうしなった人のリストになかったから——。 「大変だ。 彼女はまだつかまっていないんでしょう。 その腕が追跡につかえたりしませんか?」

 

アメリア・ボーンズは渋い顔をした。 「なるほど。 つづきを言わせてもらうと、〈闇の王〉が残したもののなかに、まだ生きている人間の片腕が一つあったものの、その片腕は問題なく燃やして始末できました。」

 

「なんてバカな——」  ハリーはそこで言いやめた。 「いや、バカではない。 〈魔法法執行部〉の方針で、〈闇〉属性の物品は即座に破壊することになっているから。 即座に火山に投げこんでおくべきだった指輪に関する過去の経験に学んで。 ですよね?」

 

ムーディとアメリアが同時にうなづいた。 「いい勘だ。」とムーディが言った。

 

文学的には、過去の自分の愚かさのためにいずれきっとひどい報いをうけることになりそうにも思えるが、だからといって奇をてらうようなことをしていい理由にはならない。 「もう検討ずみのことではないかと思いますが、つぎにやるべきこととして当然思いつくのは、左手をうしなった痩身の魔女の捜索依頼を国際手配書に相当するものに掲載することです。 ああ、その際には、どれだけの金額の賞金首にするにしろ、ぼくから二万五千ガリオンを加算するということも——総長、ここはどうかご心配なく——書いておいてください。」

 

「ご立派。」と言って老魔女はわずかに前傾した。 「では第三の、最後の件……昨夜のできごとに関してひとつ非常に不可解な点があるので、あなたがどう思うかを聞かせてもらいたい。 発見された死体のひとつが、シリウス・ブラックの体と頭部だったことについて。」

 

()()()()()」とムーディが椅子から腰を浮かせて叫んだ。 「()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「今でもね。 すぐに確認に行かせたところ、 アズカバンの看守からシリウス・ブラックは監房を出ていないと報告があった。 ブラックの頭部と体は聖マンゴ病院の地下墓地に移送され、死因はほかの〈死食い人〉とおなじ……つまり、頭部が脱落して死んだと見られている。 シリウス・ブラックは今朝も監房で両手に顔をうずめて揺らしていたという報告もあった。 このほかに〈死食い人〉のドッペルゲンガーは見つかっていない。いまのところは。」

 

人間たちが考えるあいだ、チクタク、ホーホーという音だけが聞こえた。

 

「はあ……」とミネルヴァが言う。 「それは〈例の男〉の所業にしても不可能にすぎるのでは?」

 

「あなたくらいの年ごろにはわたしもそう思っていたけれど。」とアメリアが言う。 「わたしが見たなかでは上から六番目の奇妙さだわ。」

 

「わかるか、坊主?」とムーディが言う。 「こういうことがあるから、人間はだれでも、おれをふくめ、いくら疑がっても疑いすぎるということはない。」  ムーディは思案げに傷顔をかたむけた。そのあいだにもあかるい青色の目はくるくると回転しつづけている。 「どこにも知られていなかった双子の兄弟がいたとか? ヴァルブルガ・ブラックが双子を産んだ。ポラクスの野郎はそのうち一人を殺せと言うにきまっている。ヴァルブルガはそれがいやで片ほうの子を……。いや、こりゃないな。」

 

「ミスター・ポッター、なにか思いつくことは?」とアメリア・ボーンズが言う。 「それともまた、これについても熱心に捜査しすぎるなと?」

 

ハリーは目をとじて考えた。

 

シリウス・ブラックはピーター・ペティグリューをとらえようとしていた。常識的には国外逃亡したほうがよさそうな状況で。

 

ブラックは発見されたとき、道のまんなかでたくさんの死体にかこまれて、笑っていた。

 

一本の指のほか、ペティグリューの残骸はいっさい残っていなかった。

 

ペティグリューは〈光〉の陣営のために働くスパイだった。二重スパイではなく、敵地に潜入して調査をするスパイだった。

 

ペティグリューはホグウォーツ時代から隠された情報を見つけるのが得意だった。だからペティグリューは〈動物師(アニメイガス)〉だったのだ、という陰謀論があった。

 

ディメンターは近くにいる者の魔法力を吸いつくす。

 

クィレル先生が言っていた、マグルの鍛冶屋が槌と(やっとこ)で金属を変形させるように骨肉を組みかえる種類の魔術の話を思いだすと……

 

ハリーは目をあけた。

 

「ピーター・ペティグリューは隠れた〈変化師〉(メタモルフメイガス)だったのでは?」

 

アメリア・ボーンズの表情が一変し、 あ゙、と声をだして背後の椅子に腰をおとした。

 

「ええ……それがなにか?」とミネルヴァが言った。

 

「シリウス・ブラックはピーター・ペティグリューに〈錯乱(コンファンド)〉をかけて……」  ハリーの辛抱づよい声が説明する。 「みずから変身してブラックになりすますように命じた。 〈錯乱(コンファンド)〉がとけるころには、ピーターはアズカバンにいて、変身をとくことができなくなっていた。 〈闇ばらい〉はアズカバンの囚人が解放されようとしてあることないことを言うのに慣れているから、ピーター・ペティグリューが何度声をからして話そうとしてもとりあわず、ピーター・ペティグリューは最終的に声がでなくなった。」

 

そこでマッドアイ・ムーディまでもが恐怖におそわれた表情をした。

 

「考えてみれば……」と自動操縦でしゃべっているらしいハリーの声が言う。 「あなたたちは()()()()()()()()()()を審判なしでアズカバンに送りこむことができたということ自体を怪しんでいるべきでしたね。」

 

「あのときはマルフォイが別のことに……自分の身を守ることに気をとられていたのだとばかり。 われわれが逃がさずにすんだ〈死食い人〉はほかもいた。ベラトリクスとか——」

 

ハリーはうなづいた。自分の首と顔が紐であやつられているような気分だった。 「〈闇の王〉のもっとも狂信的な従僕。ルシウスが〈死食い人〉たちを支配しようとするとき、自然と対抗馬になりそうな人物。 なのにあなたたちは、ルシウスはそのときも別のことに気をとられていた、と思ってしまったと。」

 

「釈放を。」とミネルヴァ・マクゴナガルが叫ぶように言う。「即刻釈放を!」

 

アメリア・ボーンズが椅子からいきおいよく立ちあがり、〈煙送(フルー)〉に飛びつく——

 

「そのまえに。」

 

全員があっけにとられた表情でハリーを見た。とりわけミネルヴァ・マクゴナガルが。

 

なにかが乗りうつったような声でハリーは言う。 「もう四つ話しておかなければならないことがあります。 一人の男が冤罪で十年と八カ月と十四日アズカバンに閉じこめられていた。 それがもう数分のびたところで害はありません。 このもう四つのことは、それくらい急ぐ案件です。」

 

「なにも——」とアメリア・ボーンズが小声で言う。 「なにも、あなたがその年齢でそんなふるまいをしようとする必要は——」

 

「一点目。()()()()()()()()()()()()()()()()()アズカバンに送られた〈死食い人〉一人一人の捜査記録一式に、目をとおさせてもらいたいと思います。 今夜までにそれをまとめられますか?」

 

「一時間以内に。」とアメリア・ボーンズが活力をうしなった様子で答えた。

 

ハリーはうなづいた。 「二点目。アズカバンは閉鎖します。 囚人はヌルメンガルトなど別の、ディメンターなしの牢獄に転送し、ディメンター被曝に関して治療する準備をしてもらいましょう。」

 

「それは……」  アメリアは勢いに欠ける様子で答える。 「それは……ウィゼンガモートの残りの面々が納得しないと思う。この……大失態を考慮にいれても。それに、ディメンターには餌がなければならない。われわれがあたえていたほどの量でなくとも、いくらかの犠牲者は必要。餌を用意しなければ、ディメンターは自由に徘徊し、罪のない者を捕食する……」

 

「ウィゼンガモートがどう言おうが関係ありません。というのは——」  ハリーの声がつまった。 「というのは——」  ハリーは深呼吸をして自分を落ちつかせた。 近い将来に起きるできごとがありありと、太陽に照らされた黄金色の道のように目に浮かぶような気がした。 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()() 「というのは、ぼくの読みがあたっていれば、これからごく近いうちに、〈生きかえった女の子〉ハーマイオニー・グレンジャーがアズカバンに行ってディメンターをすべて破壊するからです。」

 

「不可能だ!」とマッドアイ・ムーディが言った。

 

「ああ、なんてこと。」とアメリア・ボーンズが小声で言う。 「ダンブルドアが『紛失』したあのディメンターも、そういうことだったの。だからディメンターたちはあなたに恐怖を感じていた——いまは彼女にも?」  その声が震える。 「なに、これは? なにがどうなってるの?」

 

もしハーマイオニーが死は克服できるものだと思えば——

 

以前はそう思っていなかったとしても、いまは思っているはずだ。

 

「できればアズカバン行きのポートキーを正式に手配してください——」  ハリーの声がまたとぎれ、涙がほおに流れた。

 

彼女は死ねない。ぼくがホークラックスを持っているから。

 

けれどハーマイオニーにそのことを知らせる必要はない。あと一週間は。

 

もしハーマイオニーが自分の命をかけてでもこれを終わらせようと思えば——

 

「といっても、彼女は自分なりのやりかたで行ってしまうかもしれませんが……」

 

「ハリー?」とマクゴナガル総長がたずねた。

 

ハリーはもう、ひどくしゃっくりをあげて泣いている。 しかし話すのはやめない。 自分が泣いているあいだにも、どこかでピーター・ペティグリューが待っているのだと思って。

 

自分が泣いているあいだにも、どこかでみんなが待っているのだ。

 

「三点目。 ホグウォーツの結界のなかのどこか。厳重な防衛のできる場所に。ただし緊急時には結界の外に出てポートキーを使えるような場所に。セキュリティの整った、び……病院を設置します。 〈不破の誓い〉をさせた強力な警備隊で守らせます。その〈誓い〉のためにどれだけの黄金をついやしてもかまいません。黄金はもう、文字どおりどうでもいいんです。 アラスター・ムーディに、やりすぎなほど極端な疑心暗鬼(パラノイア)の考えかたで、予算も正気も常識も捨てて、そこのセキュリティを設計してもらいます。開業を()()ということだけが条件です。」  泣くために話を中断してはいられない。

 

「ハリー。」と総長が言う。 「わたし以外の二人はその調子に慣れていないので、あなたがおかしくなってしまったと思っていますよ。 もっとゆっくり説明してください。」

 

その忠告をよそに、ハリーはポーチに手をいれ、指で文字を書き、その指で片手にあまる五キログラムの黄金のかたまりを持ちあげた。朝の実験の成果である。 それはドスンと重い音をたててテーブルに乗った。

 

ムーディが近づき、そのかたまりに杖をあててから、のどを鳴らした。

 

「アラスター、もしすぐに資金が必要ならそれが当座の予算です。 ニコラス・フラメルは〈賢者の石〉を作っていなかった。盗んだだけだった。 その経緯は秘密にされていて、ダンブルドアは知らなかったけれどモンローは知っていた。 一度仕組みがわかってしまえば、〈石〉は二百三十四秒ごとに一度人間を一人完全に健康で若く回復させることができる。 つまり一日に三百六十人、 一年に十三万四千人を治癒できるということです。 それだけの治癒ができれば、全魔法族、全ゴブリン、全家事妖精(ハウスエルフ)を老衰やそのほかどんな原因で死なせることもなくなります。」  ハリーは何度も涙をぬぐった。 「フラメルにはヴォルデモートが殺した人数の百倍以上の人の死に責任があります。彼はそれだけの数の人を救えたはずなのに救いませんでした。 フラメルはその気になればいつでも〈賢者の石〉をつかって、ムーディ、あなたの傷を治癒し足をもとどおりにすることができた。 ダンブルドアは知らなかった。きっと知らなかっただけだと思う。」  ハリーは下手に笑う。 「マダム・ボーンズ、十代に若がえったあなたは想像できませんが、きっとお似合いだと思いますよ。 それでウィゼンガモートがぼくに干渉しないように踏んばるだけの気力も出るでしょう。もしあちらが〈石〉になにかしようとしてきたら……たとえば課税とか規制とか……こちらとしてはただ、ホグウォーツをブリテンから分離して独立国家にするだけですから。 総長、ホグウォーツはもう〈魔法省〉に資金を依存することも、食料を依存することもなくなります。 教育カリキュラムも好きなように改革できます。 もっと高度な、とくにマグル学の分野の授業を追加してはどうかと思います。」

 

「ですから、もっとゆっくり!」

 

「四点目——」とハリーは言いかけて止まった。

 

四点目。 〈国際魔法機密保持法〉を整然と廃止していき、マグル世界に大規模な魔法的治癒を提供するための準備にとりかかること。 どんなかたちであれこの計画に反対する人は、〈石〉を処置される資格を失うものとする……

 

ハリーの口は動かない。動かすかどうかではなく、動かない。

 

六十億人のマグルが発想力をもって創造的なやりかたで魔法をつかうことを考えたとしたら……

 

反物質を〈転成〉するというのは小さな思いつきにすぎない。 特別に破滅的な思いつきでもない。 ブラックホールや負電荷をもったストレンジレットというものがある。 ブラックホールが魔法の定義するところではとある半径内に()()()()()()()から〈転成〉できないのだとしたら、大量の核兵器を〈転成〉することもできるし、黒死病の菌は〈転成〉がとけるより速く増殖する。五分間考えてこれだけの案ができてしまう。といってもこれだけの案があれば十分だ。 おなじことはだれかが考え、だれかが話し、だれかが試す。 それが起きる可能性は、実際上かならずそうなるとみなしていいくらいに大きい。

 

一立方ミリメートルのアップクォークを、それを束縛するダウンクォークなしに〈転成〉したどうなるだろうか。 そのあたりについてハリーは詳しくないが、アップクォークがすでに実在する物質であることはたしかだ。 クォーク全六種の名前を知っているたった一人のマグル生まれが、試してみる気になりさえすればいいだけ。 それこそが予言された世界の終わりまでの時間を刻む時計なのかもしれない。

 

できるものならその考えを合理化し、否定しようとするところなのだが……

 

そうすることもできない。

 

そうしないのがハリー・ポッターというものだから。

 

水が上から下に流れるのとおなじように、世界の壊滅につながりかねないいかなる可能性にも加担しないのがハリー・ポッターだということになっている。

 

「四番目……」  アメリア・ボーンズは惑星で顔を何度もなぐられたような表情をしている。 「四番目にはなにが?」

 

「いえ。」  ハリーの声は乱れていない。泣きくずれてもいない。 ほかにも救える命はあり、そちらを優先しなければならない。 「その話はやめておきます。 ボーンズ〈主席魔法官〉、ぼくはあなたにウィゼンガモートの運営権をゆだねました。 その地位をつかって、〈石〉の治癒力が近くだれにでも提供されるということ、同時に、いま死にかけている患者全員はどんな魔法をつかってでも生かしつづけるようにということを国際的に広報してもらいましょう。 この広報は最優先で実施してください。 それがすんでからはじめて、ピーター・ペティグリューを救出し、あなたの前職の部下たちに命じてアズカバンを閉鎖する準備をしてください。 投獄中の〈死食い人〉全員のリストと、それぞれの審判の内容と、ルシウスがそのとき不自然に弁護に消極的でなかったかどうかをまとめさせてください。 では、よろしくお願いします。」

 

アメリア・ボーンズは返事もせず、うしろを向き、自分自身が燃えているかのように急いで〈煙送(フルー)〉に突進した。

 

「それとだれか……」  手配が終わり、泣いても時間を損することがなくなったので、ハリーはまた声をつまらせる。といっても、救うべき命の大多数はまだ救えることになっていないのだが。 「だれか、この知らせをリーマス・ルーピンに届けてください。」

 

◆ ◆ ◆

 

原作品の著者:J. K. Rowling

ファンフィクションの著者:Eliezer Yudkowsky

 




残りの投稿予定は
120章 12月18日
121章 12月25日
122章(最後) 未定
です。
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