ハリー・ポッターと合理主義の方法   作:ポット@翻訳

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14章「未知と不可知」

謎めいた問題というものは存在するが、謎めいた解答というのは用語上の矛盾である。

 

◆ ◆ ◆

 

「どうぞ。」とドアごしにマクゴナガル先生の声がした。

 

ハリーは入った。

 

副総長室はよごれがなく、よく整理されていた。机のすぐとなりの壁には、いろいろな形とおおきさの木製の棚が迷路のように組みあわさっていて、ほとんどの棚には羊皮紙の巻き物がつめこまれていた。不思議なことに一目見ただけで、マクゴナガル先生はどの棚がなんの置き場であるかを正確に把握しているということがわかる。おそらくほかのだれにもできない芸当だ。一枚の羊皮紙が、それ以外なにもない机本体の上におかれている。机の背後にある扉は、複数の錠で封じられていた。

 

マクゴナガル先生は机のむこうで背もたれのない椅子に座って、困惑した顔をしている。目は見ひらかれ、どこかすこしだけ不安そうに、こちらを見ている。

 

「ミスター・ポッター? 用件はなんですか?」

 

ハリーのあたまのなかがまっしろになった。自分はゲームに指示されてここにきたのだ。()()()()()なにか言うことがあるのだろうと思っていた……

 

「ミスター・ポッター?」とわずかにいらだちはじめた様子でマクゴナガル先生が言った。

 

パニックになったハリーの脳はこの時点で、ありがたいことに、マクゴナガル先生に話す予定の話題がいちおうあったのを思いだした。重要で、彼女の時間を無駄にしない話題が。

 

「あの……できればだれにもこの話をきかれないようにするための呪文をかけていただけないかと……」

 

マクゴナガル先生は椅子から立ちあがり、外がわのドアをしっかりと閉め、杖をとりだして呪文をかけようとした。

 

この時点になってハリーは、マクゴナガル先生にコメッティーを進呈するためのこのうえなく貴重でまたとない機会があらわれたのに気づいたが、自分がそんなことを真剣に検討していることが信じられず、ジュースは数秒で消えるんだからなんでもないと言ったが、それを言っている部分の自分に()()()と言いつけた。

 

その自分がだまったので、ハリーはこれから話すことをあたまのなかで整理しはじめた。この話は()()()()はやいうちにする予定ではなかったが、せっかくここにきたからには……

 

マクゴナガル先生はラテン語よりもずっと古いひびきの呪文をとなえおえて、もとの場所に座った。

 

「これで……」とおさえた声で彼女が言う。「だれにもきかれません。」  その顔はかなり緊張している。

 

あっ、そうか。予言に関する情報をひきだすためにぼくが脅迫しにきたと思われているのか。

 

うーん、それはまた今度にしよう。

 

「〈組わけ帽子事件〉についてなんですが。」(ハリーがそう言いだすのを聞いて、マクゴナガル先生は目をしばたたかせた。)「その……〈組わけ帽子〉には追加の呪文がかかっていると思います。〈組わけ帽子〉自身も知らない、〈組わけ帽子〉がスリザリンと言うときに発動するなにかです。レイヴンクロー生がきっときかされるはずではなかったメッセージを、ぼくはききました。〈組わけ帽子〉がぼくのあたまから離れて、接触がとだえる感じがした瞬間にきこえました。シューシューという音のような、同時に英語のような音がしました。」マクゴナガルがすばやく息をのむ音がした。「そしてこう言いました:スリザリンからスリザリンへの挨拶、我が秘密を知りたければ、我がヘビにきけ。」

 

マクゴナガル先生は口をあけたままそこに座り、ハリーからもう二つあたまが生えてきたとでも言うかのように、ハリーをみつめた。

 

「それで……」とマクゴナガル先生はゆっくりと、まるでくちから出ていくことばを自分で信じられない、というような顔で言う。「あなたはまっすぐここにきて、わたしにそれを伝えることにしたのですか。」

 

「まあ、そうですね。もちろん。」 そう決めるまでどれだけ長く逡巡していたかを告白する必要はない。「たとえば、自分でしらべようとしたり、ほかの子に伝えたりするのではなく。」

 

「なる……ほど。そしてもし、サラザール・スリザリンの伝説の〈秘儀の部屋〉の、あなただけがひらくことのできる入り口をみつけることができたなら……」

 

「その入り口を閉じて先生に報告して、熟練魔法考古学者のチームにあつまってもらえるようにします。」とハリーは即座に言う。「そのあとでもう一度入り口をあけて、その人たちにとても慎重になかに入ってもらって危険なことがなにもないようにしてもらいます。ぼくはあとで見にいったり、ほかのなにかをあけるのにまた呼ばれたりするかもしれませんが、それはその場所が安全だと宣言されて、ひとが立ちいるまえの貴重な遺跡がどんなようすだったかが写真におさめられたあとのことです。」

 

マクゴナガル先生は座ったまま口をあけて、ハリーがいきなりネコになったとでも言うかのようにハリーを見つめた。

 

「グリフィンドール生以外にはすぐにわかることですよ。」とハリーは親切に言った。

 

「それは……」とやけに息をつまらせてマクゴナガル先生は言った。「常識の希少さを()()()みくびりすぎていると思いますよ、ミスター・ポッター。」

 

そんな気もする。ただ……「ハッフルパフ生でもおなじことを言ったと思いますが。」

 

マクゴナガルははっとしてかたまった。「()()()()。」

 

「〈組わけ帽子〉はぼくにハッフルパフを提案しました。」

 

彼女はまるで自分の耳が信じられないというような顔でハリーを見ている。「そうだったのですか?」

 

「はい。」

 

「ミスター・ポッター。」とマクゴナガルが、今度は声をおさえて言う。「ホグウォーツの校内で生徒が最後に死んだのは、五十年まえです。そして、あなたの言うメッセージをきいた人が最後にでたのも、間違いなく、五十年まえです。」

 

寒けがハリーのからだをつきぬけた。「であれば、マクゴナガル先生、ぼくはこのことに関して()()()、あなたに相談しないまま()()()()()()おこしません。」彼は言葉を切った。「それと、適任者をできるだけあつめて〈組わけ帽子〉のあの追加の呪文を解除できないか試してみてもらえませんか……できなければ、()()呪文をかけるとか。〈帽子〉が生徒のあたまからはずれたときに短時間起動する〈音消(クワイエタス)〉なんかでも、応急処置にはなるかもしれません。そうすれば、もう生徒が死ぬことはなくなりますから。」 ハリーは満足そうにうなづいた。

 

マクゴナガル先生は、そんなことが想像できるとしてだが、さらに呆然とした顔になった。「これに見あうだけあなたに加点したとしたら、()()()()()()この場で寮対抗カップをレイヴンクローに進呈せざるをえなくなるでしょう。」

 

「うーん……。そんなにたくさんの寮点をもらうのは気がすすみません。」

 

それを聞くと、マクゴナガル先生は怪訝そうな目をした。「なぜですか?」

 

これはことばにするのがちょっとむずかしい。「だってうれしくないでしょう? たとえば……たとえばマグル世界でまだぼくが学校にいこうとしていたときのことですが、グループ課題があるたびに、ほかの子は荷物になるだけだったから、ぼくは全部ひとりでやることにしていました。点をたくさんもらえるのはかまいませんし、ぼくがそれで一番になるのもかまわない。ただ、寮対抗カップの結果を決めてしまうほどの点をぼくひとりで獲得してしまったら、ぼくひとりでレイヴンクロー寮をしょっているようなことになって、全然うれしくない。」

 

「なるほど……」と言ってマクゴナガルはためらった。このような考えかたにははじめて遭遇するようだ。「では五十点だけであれば、どうですか?」

 

ハリーはまたくびをふった。「ほかの子に対して不公平です、ぼくが関係できてほかの子が関係できない大人の世界のことで大量の点をもらうのは。〈組わけ帽子〉からきいたささやき声を報告することで五十点もらえるということを、テリー・ブートが知るはずがありますか? まったく不公平ですよ。」

 

「〈組わけ帽子〉がなぜあなたにハッフルパフを提案したのかがわかりました。」とマクゴナガル先生。奇妙な尊敬の目で彼女はハリーをみていた。

 

そう言われてハリーはすこし息をつまらせた。自分では正直、ハッフルパフにあたいしないと思っていた。〈組わけ帽子〉はただとにかくレイヴンクロー以外のところに、ハリーにない美徳を象徴する寮に彼を押しこもうとしていたのだと……

 

マクゴナガル先生は笑顔になっている。「でも、もしわたしがあなたに()()加点しようとしたとしたら……?」

 

「その十点はどこからきたのかとたずねられたとしたら、説明できますか? 〈組わけ帽子〉のあの呪文が解除されてそのことにぼくがかかわっていると知ったら()()()腹をたてるスリザリン生が……といってもホグウォーツで現役の子たちのことではありませんが……たくさんいるかもしれません。完全に秘密をまもるのがただしい勇気だと思います。お礼にはおよびませんよ。善行は見返りをもとめてするものではありません。」

 

「おっしゃるとおり。ですが実は、あなたにおくりたいとても特別なものがあります。わたしは内心であなたのことをだいぶ不当に評価してしまっていたようです、ミスター・ポッター。ここでお待ちなさい。」

 

彼女が席をたち、鍵のかかったうしろのドアまでいって、杖をふると、ぼやけたカーテンのようなものが彼女をつつんでひろがった。ハリーはそのなかでなにが起きているのか見ることもきくこともできなかった。数分たつとぼやけが消え、マクゴナガル先生がハリーのほうをむいてそこに立っていた。うしろのドアはまるでそもそもひらかれなかったかのようだった。

 

マクゴナガル先生は片手でネックレスをさしだした。細い金のくさりのなかに銀の円がはいっていて、そのなかには砂時計がひとつ鎮座している。もう片方の手には、折りたたまれたパンフレットがあった。「受けとってください。」

 

おお! 冒険(クエスト)の報酬としてすごい魔法道具(アイテム)かなにかがもらえるんだ! どうやら魔法アイテムがもらえるまで金銭的報酬をことわりつづけるという戦略はコンピュータゲームだけでなく現実世界でも有効らしい。

 

ハリーは笑顔でネックレスをうけとった。「これはなんですか?」

 

マクゴナガル先生は一呼吸おいた。「ミスター・ポッター、通常この道具は、授業の時間割のやりくりを助ける目的で、高度な信頼にあたいする実績のある子たちにだけ貸与されます。」マクゴナガルはなにかつけくわえようとするかのように、ためらった。「一点強調して()()()()()()()()()()ことがあります。これの正体は()()で、ほかの生徒のだれにも口外してはなりません。つかうところを見られてもなりません。この条件が守れないならば、この場でかえしてもらいます。」

 

「秘密は守れます。それでこれはなにをするものですか?」

 

「あなた以外の生徒が関知するかぎりでは、これは〈スピンスター・ウィケット〉です。〈自発性複製病〉という、めずらしいけれども感染性ではない魔法疾患の治療に使われるものです。衣服の下に身につけ、とくにひとに見せるようなものではありませんが、おおげさに隠すべきものでもありません。〈スピンスター・ウィケット〉はつまらない道具です。この意味がわかりますね?」

 

ハリーはうなづき、にこりとした。()()()スリザリンのした仕事のにおいがする。「では()()()()()なにをするものですか?」

 

「これは〈逆転時計〉です。砂時計を一度まわすとあなたは一時間まえの世界に送られます。つまり毎日二時間分ずつつかえば、あなたはいつも同じ時刻に就寝していられるようになります。」

 

ハリーの不信の一時停止は完全に窓から飛びでていってしまった。

 

あなたはぼくの睡眠障害に対処するためにタイムマシンをくれると言っている。

 

あなたはぼくの睡眠障害に対処するためにタイムマシンをくれると言っている。

 

あなたはぼくの睡眠障害に対処するためにタイムマシンをくれると言っている

 

「アハッハハハッハハ……」とハリーの口が言った。ハリーはそれが実弾の爆弾であるかのように、そのネックレスをからだから離して持った。いや、ちがった。実弾なんてものではこの状況の深刻さを表現し()()()()()()()()できない。ハリーはそれがタイムマシンであるかのように、そのネックレスをからだから離して持った。

 

あのですね、マクゴナガル先生、時間を逆転した通常物質はちょうど反物質のようになると知っていましたか? なるんですよ! 反物質一キログラムが通常物質一キログラムにぶちあたれば、四千三百万トンのTNTに相当する爆発をして消滅することを知っていましたか? ぼくの体重は四十一キログラムで、その結果おこる爆発はスコットランドをあとかたもなく吹きとばして、煙をあげる巨大クレーターしか残さないほどの規模なのが分かりますか?

 

「失礼ですが……」とハリーはやっとのことで言う。「これはかなりかなりかなりかなり危険じゃないですか!」ハリーの声は悲鳴にまでは高くならなかったが、どうせこの状況にふさわしいだけの叫び声をすることなど不可能なのだから、挑戦する意味もなかった。

 

マクゴナガル先生は寛大そうな愛着をもった表情でハリーを見おろした。「このことを真剣にあつかってくれてうれしく思いますが、ミスター・ポッター、〈逆転時計〉は()()()()危険ではありません。もしそうなら子どもにあたえたりしませんよ。」

 

「そうですか。アハハハハ。もしタイムマシンが危険ならもちろん子どもにあたえたりしませんね。ぼくはなにを考えていたんだろう? でははっきりさせておきますが、この装置にむかってくしゃみをしても中世におくられ()()()()()()()()。そこで馬車でグーテンベルクに衝突して〈啓蒙時代〉がくるのを止めてしまったりもしませんね。そういうの、ぼくはあまり好きじゃないんですよね。」

 

マクゴナガルのくちびるが、あの笑いをこらえようとするときのしかたでぴくりとした。彼女は手にもったパンフレットをハリーにわたそうとしたが、ハリーは両手をのばしながら慎重にネックレスをもち、砂時計がまわりはじめないように見ていた。ハリーがうごこうとしないのがわかると、一瞬のためらってから、こう言った。「ご心配なく。そういったことはありえませんよ、ミスター・ポッター。〈逆転時計〉をつかっても六時間をこえて移動することはできません。一日に六回までしかつかえないのです。」

 

「へえ、そうですか。それはよかった。だれかにぶつかられても〈逆転時計〉は()()()()()()()()しホグウォーツ城全体が永遠にくりかえす木曜日に()()()()()()()()()()()、と。」

 

「まあ、()()な道具ではありますが……。それに、こわれたときにおかしなことが起きるときいたことはある気がします。でも到底()()()()()ことにはなりません!」

 

「多分、」とハリーはやっとことばをつぐことができた。「()()()()()かなにかをこのタイムマシンにつけるべきじゃありませんか。このままだと()()()()()()()()なので、()()()()として。」

 

マクゴナガルははっとしたようだった。「すばらしいアイデアです、ミスター・ポッター。〈魔法省〉にそう伝えておきましょう。」

 

これで決まりだ。確定だ。議会が承認した。魔法世界の住人は全員完全にバカである。

 

「なんでもかんでも哲学にしてしまうのはいやなんですが。」とハリーは必死に声を悲鳴より低くおさえようとしながら言った。「だれかが時間を六時間まきもどすということはほとんど、その影響をうけた人たち全員を削除して別ヴァージョンのその人たちにおきかえるのとおなじです。このことの意味を考えてみたことのあるひとはいたんでしょうか。」

 

「時間を()()したりはできません!」とマクゴナガル先生が割りこんだ。「まさか、ミスター・ポッター、もし()()が可能だとしたら生徒にこういうものを持たせるはずがありますか? だれかが自分の試験の成績を改変しようとしたりしたらどうなります?」

 

ハリーはしばらくかけてこの情報を処理した。砂時計をにぎって白くなっていた両手の緊張を、すこしだけゆるめた。自分がにぎっているのがタイムマシンではなく、ただの核弾頭だというように。

 

「つまり……」とハリーはゆっくり言う。「宇宙はたまたま……時間旅行をふくんでいても、どうにかして自己矛盾しないことがわかっていると。もしぼくと未来のぼくとが鉢合わせしたとして、ぼくにみえるものはどちらのぼくともおなじで、将来のぼくのほうは一度そこにきているからなにが起きたかすでに完全に知っているけれど、ぼく自身の視点ではまだそれは起きていない……」英語の限界にたどりつき、ハリーの声は小さくなって消えた。

 

「そのとおり、だと思います。ただ、これの使い手は過去の自分に見られることを避けたほうがいいとされてはいます。たとえば、あなたが同時にふたつの授業に出席していて、自分とすれちがう必要ができたとして、事前にきめておいた時間に——腕時計はおもちですね、よろしい——一人目のほうのあなたがそれをよけて目をつむり、未来の自分がとおりぬけられるようにします。こういったことはすべて、そのパンフレットに書いてあります。」

 

「アハハハハ。その助言を()()したらどうなりますか?」

 

マクゴナガル先生はくちびるをすぼめた。「だいぶ不恰好なことになるかもしれませんね。」

 

「それでも、たとえば、宇宙を崩壊させるパラドクスをつくることにはならないと。」

 

彼女は寛大そうな笑みをうかべた。「ミスター・ポッター、もし()()()()()が一度でも起きたとしたらわたしにききおぼえがあると思いますよ。」

 

安心できませんよ、そんなの! 人間原理ということばはごぞんじですか? こういうものを最初につくったバカはだれなんだ?

 

マクゴナガル先生は笑ってしまった。厳格な顔つきにおどろくほど不釣り合いな感じの、ここちよい、うれしそうな声だった。「またあの『ネコになるなんて』の瞬間でしょうか、ミスター・ポッター。あなたは多分こう言われることはあまりないのでしょうが、なかなかかわいらしいですよ。」

 

「これはネコになるのとはまったく()()()()()()()なりません。ぼくはこころのかたすみのどこかで、考えまいとしながらも最後にのこった可能性は、この宇宙すべてが『Simulacron 3』にでてくるようなコンピュータシミュレーションだとついさっきまで思っていましたが、()()()()()()()()()()。このおもちゃがチューリング計算不可能だからですよ! チューリング機械は一定の過去までさかのぼってそこから別の未来を計算することをシミュレートできるし、神託(オラクル)機械は下位の機械の停止動作にたよれるけれども、あなたの話によれば、現実はどうにかして一回の走査だけで自己矛盾なしに計算をしてしまえることになる。つかうべき情報の一部がその時点で……まだ……生じて……いないのに……」

 

ハリーは杭うち機にうたれたようにはっとして気づいた。

 

これですべて説明がつく。()()()すべて説明がつく。

 

コメッティーはこういうしくみだったんだ! そりゃそうだ! ばかばかしいできごとを()()()()起こさせる呪文があるんじゃない、ばかばかしいことがいずれにしても起きる直前に、()()()()()()()()()()()()()()()だけなんだ! ぼくはばかだった。ダンブルドアの二番目の演説のまえにコメッティーを飲みたくなったうえで飲まずにおいて、自分の唾液でむせたとき、気づくべきだった……コメッティーを飲むことが喜劇(コメディー)をひきおこすんじゃない、コメッティーを飲むことを喜劇がひきおこすんだ! ふたつのできごとが相関していたから、因果には時間的順序の制約があって因果グラフが非循環的でなければならない以上、コメッティーが原因で喜劇は結果だと思ってしまったけれど、()()()()()()()()因果の矢をえがいてしまえば全部説明がつく!」

 

ハリーは()()()の杭うち機にうたれてはっとした。

 

今度は、しずかに、死にかけた子ネコがしぼりだすような小さな音をだすだけにとどめることができた。ハリーは、今朝だれがベッドにメモをおいたのかがわかったのだ。

 

マクゴナガル先生のひとみが燃えた。「あなたが卒業したあと、もしかするとそのまえにでも、ぜひそういったマグル理論の授業をホグウォーツでしていただきたいものです、ミスター・ポッター。まちがいであるにしても、なかなか魅力的な理論のようですから。」

 

「グアァアア……」

 

マクゴナガル先生はもういくつか社交辞令をのべ、もういくつかハリーに約束をさせ(ハリーはうなづいた)、だれかにきかれるような場所でヘビに話しかけてはいけないといったようなことを言い、パンフレットを読むよう念押しし、いつのまにかハリーは教授室からでて、しっかりと閉じられたドアのまえに立っていた。

 

「グァアアウァア……」とハリー。

 

もうこれは、驚天動地だ。

 

なかでも、あの〈いたずら〉がなければ〈逆転時計〉を入手できなかったかもしれない、という点が。

 

それとも、もっとおそい時間になるにしても、マクゴナガル先生はいずれにしろ、ハリーが睡眠障害の件で質問しにいくか〈組わけ帽子〉のメッセージのことを報告しにいくかしたときに、あれをくれるつもりだったのだろうか? その場合、そうなったときの自分は、〈逆転時計〉を()()()()()()手にいれることにつながるいたずらを自分自身にしかけたいと思うだろうか? となると、()()()()()()()唯一の可能性としては、ぼくの目がさめるまえに〈いたずら〉がはじまっていたというものしかのこらない……?

 

ハリーは自分の人生ではじめて、問題に対する解答が文字どおり()()()()()()にあるかもしれないと考えている自分を発見した。自分の脳にある神経細胞(ニューロン)は時間軸上でまえむきにしか機能しない。脳の()()()()()、脳がはたすことができるどの機能も、〈逆転時計〉の機能と組になることができない。

 

いまこの瞬間までハリーは、ある現象について自分が無知なとき、それは自分の精神の状態についての事実であって、現象そのものについての事実ではない、という E. T. ジェイネスの忠告にしたがって生きてきた。 自分が確信をもっていないということは自分についての事実であり、その確信をもてない対象についての事実ではない、ということだ。 無知は精神のなかに存在するということだ。 地図に境界がえがかれていないことは、土地に境界がないことを意味しない。 謎めいた問題というものは存在するが、謎めいた解答というのは用語上の矛盾である。 現象はだれか特定のひと()()()()謎めいたものになりうるが、そのもの自体が謎めいているということはありえない。 神聖な謎を崇拝することは自分の無知を崇拝することとなんら変わりがない。

 

だからハリーは魔法をみたとき、おじけづくことを拒否したのだった。ひとは歴史を知らず、化学や生物学や天文学をまなんで、こういったものは昔から科学の本流にあったと、謎めいていたことは()()()なかったのだと考える。星ぼしはかつて謎だった。ケルビン卿はかつて生命の本質と生物学とを——つまり人間の意思に対する筋肉の反応と、種子からの木々の生成とを——科学の到達しうる範囲から()()()()()遠い謎だとみなした。(多少ではなく、()()()()()遠い、という点に注意してほしい。ケルビン卿は()()()()()()()()()()によって非常に感情的になっていたのである。)人類の夜明け以来、解明されてきたどんな謎も、だれかがそれを解明する直前までは謎だったのだ。

 

いま、ハリーははじめて、ある謎が()()()に謎でありつづけるおそれのある可能性と対峙している。もし〈時間〉が非循環因果ネットワークとして機能しないなら、ハリーは原因と結果の意味するものがなにか理解できない。そしてもし原因と結果を理解できないなら、それ以外のなにによって現実がつくられているのかを理解できない。自分の人間脳ではそれを()()()理解できないという可能性も十分ありうる。この脳は古めかしい線形時間の神経細胞(ニューロン)でできていて、それが現実のうちの貧弱な一部分でしかないからだ。

 

前むきな点としては、全能で全面的に信じがたいように見えていたコメッティーは実はずっと単純な説明のつくものだということがわかった。自分がそれに気づけなかったのは、()()真実が自分の仮説空間や自分の脳が理解するように進化したなにものよりもまったく外にあったからだ。いまは多分、ハリーはそれを想像することができるようになった。多少元気づけられる事実ではある。多少。

 

ハリーは腕時計に目をやった。午前十一時にちかい。きのうの夜は午前一時に眠りについたから、自然な状態であれば今夜自分は午前三時に眠ることになる。午後十時に眠って午前七時に起きるためには、合計五時間まきもどすことになる。ということは、もし、まだだれも起きていない午前六時あたりの共同寝室(ドミトリー)にもどりたいなら、いそいだほうがいい。それに……

 

()()()()()()考えてみても、あの〈いたずら〉に関して自分がやったことの()()()理解することができない。あの()()はどこからきたんだ?

 

時間旅行が真剣にこわくなってくる。

 

一方で、これが二度とない機会であることは認めざるをえない。人生で自分自身に一度しかしかけることのできないいたずらだ。〈逆転時計〉のことを知って六時間以内にしか。

 

実際、考えてみると()()()理解しがたいところがある。〈時間〉は完成した〈いたずら〉を既成事実としてこちらに提示した。なのに、それは明らかに、自分自身の仕事なのだ。コンセプトも実施手法も筆跡も。最初から最後まで、自分自身まだ理解できない部分までふくめて。

 

いや、一日は最大三十時間しかないのだから、時間は無駄にできない。自分がやらねばならないことの()()()わかっているし、それにとりかかっているあいだに、パイなどまだわからないものも解明できるかもしれない。先のばしする意味はない。ここで()()について立ち往生していてもなにも達成できない。

 

◆ ◆ ◆

 

五時間まえになって、ハリーは自分の共同寝室(ドミトリー)にしのびこんだ。もしだれかが起きていて、ハリーがベッドで寝ているのと同時刻に自分がいるのを見られてしまうという場合にそなえて、みえすいた変装ではあるが、ローブをあたまにかぶっておいた。〈自発性複製病〉というちょっとした健康上の問題を説明しなければならないはめにはなりたくなかったからだ。

 

さいわい、まだ全員眠っているようだった。

 

そしてベッドのよこに、赤と緑の紙ときらきらの金色のリボンでつつまれた箱がひとつあった。完璧にステレオタイプ的なクリスマスプレゼントのイメージである。ただし、いまはクリスマスではないが。

 

だれかが〈音消器〉を止めていた場合にそなえて、ハリーはできるかぎりそっとそこへしのびよった。

 

箱には封筒がついていて、透明な蝋で封がされていて、印はおされていなかった。

 

ハリーは慎重に封筒をあけ、なかの手紙をとりだした。

 

そこはこうあった:

 

これはイグノタス・ペヴェレルからポッター家に子孫代々つたわる〈不可視のマント〉です。ほかの下等なマントや呪文とことなり、これはあなたをただ見えなくするだけでなく、()()ことができます。あなたのお父さんが亡くなるすこし前にわたしはこれを借りうけ、実のところ以後何年ものあいだ便利につかわせてもらいました。

 

今後はわたしは〈幻解〉(ディスイリュージョンメント)になれていかざるをえないでしょう。相続人であるあなたに〈マント〉をかえすべきときがきたのですから。クリスマスプレゼントにするつもりでしたが、〈マント〉はもっと早くわたしてほしいと言うのです。〈マント〉は自分があなたに必要とされることになると思っているようです。うまくお使いください。

 

あなたはきっといま、さまざまなすばらしいいたずらのことを考えていることでしょう。お父さんがしてのけたのとおなじように。彼の悪行がすべて知られることがあれば、グリフィンドールの全女性が集結して彼の墓をほりかえすでしょう。歴史がくりかえすことを止めようとは思いませんが、すがたを見られないよう()()()気をつけてください。もしダンブルドアが〈死の秘宝〉のひとつを入手する機会をみつけたら、彼は死ぬまでそれを手ばなさないでしょうから。

 

こころからメリー・クリスマスを。

 

差し出し人の署名はなかった。

 

◆ ◆ ◆

 

ほかの男の子たちがレイヴンクローのドミトリーをはなれようとしているとき、「ちょっと待って。」とハリーが言った。「わるいけど、トランクでやることがあるんだ。朝食にはあと数分で合流するよ。」

 

テリー・ブートがハリーにむけて眉をひそめた。「ぼくらの持ち物に手をだすつもりじゃないだろうな。」

 

ハリーは片手をあげた。「誓わせてもらうが、きみたちの持ち物にはそういうたぐいのことをするつもりはないし、ただ自分の所有物をさわるだけのつもりだし、きみたちのだれにもいたずらをしかけたり、そのほかいかがわしいことをするつもりはないし、朝食のために大広間にいくまでにそのどれについてもぼくの気がかわるとは思わない。」

 

テリーは眉をひそめて、「待て、そう言って——」

 

「心配いらない。」と彼らを先導するためにそこにいたペネロピ・クリアウォーターが言った。「抜け穴はない。器用な言いかたね、ポッター。法律家にでもなればいいんじゃない。」

 

ハリー・ポッターは目をしばたたかせた。ああ、そうだ。レイヴンクロー()()()だ。「ありがとう、でいいのかな。」

 

「大広間をみつけようとすれば、あなたは道に迷う。」  ペネロピはこれをまったくの議論の余地のない事実として述べた。「そうなったらすぐに、一階にたどりつく方法を肖像画にききなさい。また迷ったかもしれないと思った()()()、もうひとつの肖像画にききなさい。()()自分が上へ上へとうごいているような気がするときは。城全体の高さよりも上にいった場合は、()()()()捜索隊がくるのを待ちなさい。そうしなければわたしたちは四カ月後、雪にまみれて五カ月分年をとった、腰布一枚のあなたに会うことになる。()()()()()()()()()()()()()()()()()()。」

 

「了解」とごくりと唾を飲んでハリーが言った。「あの、そういうことは全部すぐに生徒に教えておいたほうがいいんじゃないですか?」

 

ペネロピはためいきをついた。「()()? そんなの、何週間かかっても終わらない。やりながらおぼえるのよ。」 そう言って向きをかえて去ろうとし、ほかの生徒が続く。「ポッター、三十分たってもあなたが朝食にあらわれなかったら、わたしが捜索をはじめるからね。」

 

全員がいなくなると、ハリーはメモをベッドにとりつけた。そのメモとほかのすべてのメモを、みなが起きるまえに地下一層目にはいって、書いておいたのだ。そして慎重に〈音消(クワイエタス)〉の区域へと手をのばし、眠っているハリー一号から〈不可視のマント〉をはがした。

 

そして単純にいたずらごころから、ハリーは〈マント〉をハリー一号のポーチに入れた……それがすでに自分のポーチにはいっているはずだという理解のうえで。

 

◆ ◆ ◆

 

「このメッセージがコーネリオン・フラバーウォルトへとわたされたのはわかったが。」と、貴族的な雰囲気なのに完全にふつうの鼻をもつ男の絵が言う。「()()()()()どこから来たのかをきいてもいいかね?」

 

ハリーは巧妙に無力感をだして肩をすくめた。「ぼくが聞かされた話では……『これを言ったのは空気そのもののなかにある隙間、燃えさかる奈落へ通ずる隙間から来た、うつろなうなり声だ』。」

 

◆ ◆ ◆

 

「ちょっと!」  朝食のテーブルのむこうがわの席から憤然とした調子でハーマイオニーが言う。「それは()()()のデザートでしょ! パイひとつまるごととってポーチにいれたりしたらだめじゃない!」

 

「これはパイひとつじゃない。ふたつだよ。悪いねみんな、ちょっと急いでるから!」 ハリーはほうぼうからの怒号を無視して大広間をあとにした。 ハリーは授業がはじまるすこしまえに〈薬草学〉の教室にいなければならない。

 

◆ ◆ ◆

 

スプラウト先生はするどい視線を彼におくった。「それで()()()()どうしてスリザリン生の計画の内容を知っているんですか?」

 

「情報源を教えるわけにはいきません。」とハリー。「というより、この会話自体をなかったことにしてもらいたいんです。なにか用事があってたまたまとおりかかった、というようにふるまってください。〈薬草学〉が終わりしだいぼくは先まわりしておきます。先生がくるまでスリザリン生の気をちらせることはできるかと。ぼくはこわがらせにくいし、いじめにくいタイプだし、彼らも〈死ななかった男の子〉を本気で傷つけようとはしないと思う。ただ……廊下で走ってほしいとは言いませんが、よりみちはしないでもらえるとありがたいです。」

 

スプラウト先生はながく彼のほうを見ていたが、やがて表情がやわらいだ。「気をつけて、ハリー・ポッター。そして……ありがとう。」

 

「遅刻はしないでくださいね。それと念を押しておきますが、そこにぼくがそこにいることを知らずにあなたは到着する。この会話はそもそも起きなかったことになっている。」

 

◆ ◆ ◆

 

ネヴィルをスリザリン生の輪からひっぱりだす自分をみるのは最低の気分だった。ネヴィルが言ったとおりだ。自分はあまりにもちからをこめすぎていた。

 

「こんにちは。」とハリー・ポッターが冷たく言った。「〈死ななかった男の子〉です。」

 

ほぼおなじ背たけの一年生が八人。そのうち一人はひたいに傷あとがあり、残りの一年生とちがったふるまいをしている。

 

ある〈力〉からの贈り物で

他人から見た自分のすがたを見ることができたなら!

失敗をすることはなくなり

愚かな考えもなくなり——

〔訳注:ロバート・バーンズの詩「To a Louse」の引用〕

 

マクゴナガル先生はただしかった。〈組わけ帽子〉はただしかった。こうして外部から見れば明らかだ。

 

ハリー・ポッターは、どこかおかしい。

 

◆ ◆ ◆

 

原作品の著者:J. K. Rowling

ファンフィクションの著者:Eliezer Yudkowsky

 




今回の非ハリポタ用語:「チューリング」
計算機科学の父と言われるアラン・チューリング。電子計算機の発明前夜の時代に仮想的な計算機のモデルを考案し、人工知能について考察した。

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