ぼくはサイコパスじゃない。発想がゆたかなだけだ。
水曜日、〈防衛術〉の教室にはいってすぐ、ハリーは
まず、ホグウォーツでこれほど広い教室は見たことがない。大学の大教室のように、席の列が段をなして、白い大理石の巨大な教壇にむかってならんでいる。 この教室は城のうえのほう——五階——にあるが、このような部屋がどうやってこの城にはいるのかということについての説明は、きっとそれ以上えられないのだろう。 だんだんと分かってきたことだが、ホグウォーツにはユークリッド幾何学もそうでないものも含めて、
大学の講堂にあるような折りたたみ式の椅子はない。 そのかわり、ごくふつうのホグウォーツの木製机と木製椅子が、教室の各段の曲線にそってならべてある。 ちがうのは、それぞれの机のうえに、ひらたくて白い正方形の謎の物体がおかれていることだ。
巨大な教壇の中心にある黒っぽい大理石の小さな演台が、孤立した教師の机だ。 クィレルは椅子にしずみこみ、あたまをうしろにもたれさせ、ローブにわずかによだれをたらしている。
なにか見おぼえがあるような……?
ハリーは授業にいちはやく到着したので、ほかの生徒はまだひとりもいない。 (時間旅行を表現することにかけて英語には欠陥がある。具体的には、英語には時間旅行の便利さを十分に表現する語彙がない。) クィレルはいま……機能していないようだし、いずれにしろクィレルにちかづきたいとはとくに思わない。
ハリーは机をえらび、そこまであがっていき、座り、〈防衛術〉の教科書をとりだした。 この一冊の進捗は八分の七ほど——実はこの授業のまえに読みおえておこうと思っていたのだが、予定が遅れ、そのために今日すでに〈逆転時計〉を二回つかってしまった。
ほどなくして教室にひとがはいってきて、音や声がした。 ハリーはそれを無視した。
「ポッター? なんできみがここに?」
ここにあるはずでない
ドラコのうしろに立つ少年のうちのひとりは十一歳にしてはかなりの筋肉をつけており、もうひとりはあやしげにバランスをとっているような立ちかたをしていた。
白い金髪のドラコがやけに得意げな笑みをうかべ、自分のうしろを手でさした。 「ポッター、紹介する。こちらはミスター・クラッブ。」 そして手を〈筋肉〉から〈バランス〉にうごかして、 「……こちらはミスター・ゴイル。ヴィンセント、グレゴリー、こちらはハリー・ポッターだ。」
ミスター・ゴイルはくびをかしげ、多分意味ありげな表情をこちらにむけているが、結果としてはただ、視力がわるそうに見えている。 ミスター・クラッブはできるだけ声を低くしようとした感じで「よろしくな」と言った。
ドラコの顔につかのまの狼狽がうかんだが、すぐに優越感のある笑顔にかわった。
「
ドラコの顔に薄ら笑いがひろがった。 「申し訳ないが、ポッター、そのためにはまずスリザリンに〈組わけ〉されておかないと——」
「は? 不公平じゃないか!」
「——それに、きみの生まれるまえに一族どうしがとりきめをしておく必要がある。」
ハリーはミスター・クラッブとミスター・ゴイルを見た。二人とも一生懸命に威嚇しようとしているようだ。 つまり、まえのめりになって、背中をまるめて、くびをつきだして、こちらを見つめている。
「その……ちょっと待って。」とハリー。「何年もまえから、きみにはこれが用意されてたってこと?」
「そのとおり、ポッター。きみは運がわるかったと言わざるをえない。」
ミスター・ゴイルは威嚇姿勢のまま、爪楊枝をとりだし、歯を掃除しはじめた。
「そして、その護衛と知りあいに
これをきいてドラコの顔から笑いがきえた。 「もういい、ポッター。きみが優秀だということは学校全体がもう知っている。だから見せびらかすのはそこまでに——」
「つまり二人は
ドラコはひるんだ。
「——それだけじゃなく、二人は
「やめろって親分が言ってんだろ。」とミスター・クラッブが声をならした。ミスター・ゴイルは爪楊枝をかみ、歯のあいだにはさんで、片手でもう片方のこぶしをならした。
「ハリー・ポッターのまえではそれをやるなと言っておいただろう!」
二人はすこし恥ずかしそうにし、ミスター・ゴイルは爪楊枝をすばやくローブのポケットにもどした。
だがドラコが目をはなしてまたハリーのほうをむいた途端、二人は威嚇にもどった。
「この愚鈍な二人の侮辱行為について、謝罪させてもらう。」とドラコが堅苦しく言った。
ハリーは意味ありげな視線をミスター・クラッブとミスター・ゴイルにおくった。「ちょっときびしすぎるんじゃないかな、ドラコ。ぼくなら、子分にはちょうどああいうふうにしていてほしいと思うよ。ぼくに子分がいたとしたら、だけど。」
ドラコはぽかんと口をあけた。
「おい、グレゴリー、あいつ、おれらを親分となかたがいさせようとしてんのか。」
「ミスター・ポッターはそこまでバカじゃないだろう。」
「そんなまさか。」 ハリーはさらりと言う。「現在の雇用主が十分感謝してくれない場合にそなえてこころにとめておいたらどうか、というだけだ。それに、労働条件を交渉するときほかの
「
「想像できないね、ミスター・クラッブ。」
「二人とも
ハリーは眉をひそめた。「ちょっと待って」 ハリーの手がポーチにむかった。「時間割表」と言って、彼はその羊皮紙に目をやった。「防衛術は午後二時三十分、いまは……」ハリーは機械式腕時計を見た。十一時二十三分だ。「二時二十三分。ぼくが時間がたつのを忘れたのでないかぎり、だけど。」 まあ、もしそうだったとして、
「いや、時間はあってると思う。」とドラコが困惑したようすで言った。講堂のほかの部分に目をやると、緑色のえりのローブ姿の子たちがはいってきていて……
「グリフィン
「ふむ。」とハリー。「クィレル先生はたしか……正確な表現は忘れたけれど……ホグウォーツの教育の慣習をいくつか無視すると言っていた。たぶん自分の全授業を合同にしたんじゃないかな。」
「ああ。それで一人目のレイヴンクロー生がきみだったと。」
「うん。早くついたんでね。」
「それで、なんでまたあんなに奥の席に?」
ハリーはまばたきをした。「さあ、座るのにちょうどよさそうだったから?」
ドラコはあざけるような音をだした。「教師からあれ以上距離をおくことはできそうにないな。」金髪の少年はわずかに近よってきた。「ところで、きみがデリックたちに言ったという内容はほんとうか?」
「デリックってだれ?」
「きみがパイをひとつぶつけた相手だろう?」
「ふたつだけど。ぼくはなにを言ったことになってるの?」
「彼がしたことは狡猾でも野心的でもないし、サラザール・スリザリンの名をけがしている、と。」ドラコはハリーをじっと見た。
「だいたい……あってる。」とハリー。「ぼくの記憶では、『これは将来きみたちの利益となるものすごく巧妙な計画みたいなものなのか、それとも見ためどおり単にサラザール・スリザリンの名前をけがすだけのことなのか』、みたいな感じだったけど。正確な表現はおぼえてない。」
「きみはみなを困惑させているぞ。」と金髪の少年が言った。
「へ?」とハリーは正直に困惑して言った。
「ウォリントンによると、〈組わけ帽子〉のしたにいる時間が長かった者は〈
「〈組わけ帽子〉はぼくを『スリザリン!冗談さ!レイヴンクロー』寮にいれたから、ぼくはそのとおりにふるまっているということ。」
ミスター・クラッブとミスター・ゴイルは二人とも失笑し、ミスター・ゴイルはすばやく手を口にあてるはめになった。
「そろそろ席につかないと。」 ためらい、背をすこしのばし、ちょっとだけ正式な調子でドラコが言う。「前回の話し合いのつづきだが、ぼくはきみの条件をのもう。」
ハリーはうなづいた。「できたら土曜日の午後までのばしてもらえないかな? いまちょっとした競争をしてるんだ。」
「競争?」
「ぼくがハーマイオニー・グレンジャーとおなじくらいはやく教科書を読みおえることができるか、っていう競争。」
「グレンジャー……」とドラコは復唱し、怪訝そうな目した。「というとあの、自分がマーリンだと思いこんでる
ああ、これをやりくりするのはなかなかたのしめそうだ。いまからわかる。
緑、赤、黄、青の四色それぞれのえりをつけた子たちが教室にどんどんはいってきた。ドラコたちは最前列でとなりあう三席を手にいれようとしている最中のようだった。もちろん先客がいる席を。ミスター・クラッブとミスター・ゴイルは元気に威嚇しているが、あまり効果はないようだ。
ハリーはかがんで〈防衛術〉の教科書のつづきを読んでいった。
午後二時三十五分になり、ほとんどの席がうまり、それ以上はいってくる生徒がなくなると、クィレル先生は椅子のうえでガタンと動き、背すじをのばした。その顔が、各生徒の机のうえの、ひらたくて白い正方形の物体にあらわれた。
ハリーはそこにクィレル先生の顔が突然出現したことと、それがマグルのテレビに似ていることにびっくりした。どこかなつかしく、悲しくもある。それはふるさとの一部のようでもあり、実際はそうではない……
「こんにちは習技生諸君。」 クィレル先生の声は机のうえのスクリーンからでていて、直接ハリーに語りかけているようにきこえた。「ようこそ〈戦闘魔術〉の初回授業へ。ホグウォーツ創設者はこう呼んだが、二十世紀末の呼びかたでは〈闇の魔術に対する防衛術〉ともいう。」
必死になにかをかきまわす音がきこえた。おどろいた生徒たちが羊皮紙やメモ帳に手をのばしたのだ。
「やめなさい。この科目の古い名前を書きとめる必要はない。わたしの授業ではそのような無意味な質問にこたえることができても成績にはむすびつかない。約束する。」
何人もの生徒たちがこれをきいて背をのばした。かなりショックをうけたようだ。
クィレル先生は薄ら笑いをうかべた。「あの役立たずな一年次〈防衛術〉教科書を読んで時間を無駄にした諸君は——」
だれかが息をつまらせたような音をだした。ハーマイオニーだろうか。
「——気づいたかもしれないが、この科目は〈闇の魔術に対する防衛術〉とよばれているわりに、そこで教えられるのは、たいした悪夢をみせるわけでもない〈悪夢蝶〉や、一日かけてやっと木材を二インチ分解することができる〈酸性スラグ〉から身をまもることにすぎない。」
クィレルは椅子をうしろにおしだして立ちあがった。ハリーの机のうえのスクリーンはそのうごきをすべて映しだしていた。クィレル先生は教室の前方にのしのしと歩いていき、声をとどろかせた:
「ハンガリアン・ホーンテイルの背のたかさは人間十人分以上だ! はやく正確に火をふき、空中をとぶ〈スニッチ〉をも溶かすことができる! 〈死の呪い〉一発でそれをたおすことができる!」
息をのむ音が生徒のあいだからきこえた。
「〈山トロル〉はハンガリアン・ホーンテイルより危険だ! 鋼鉄をかみくだくほどのちからがあり、 その皮膚は〈失神の
生徒たちはみなかなりのショックをうけたようだった。
クィレル先生はずいぶん暗い笑みをうかべた。「諸君のおそまつな三年次〈防衛術〉教科書は山トロルを日光にさらすようすすめている。その場でトロルは硬直するという。修技生諸君、これこそわたしの授業にはけっしてでてこない無益な知識だ。日光のある場所で山トロルにであったりはしない!日光を使って彼らをとめるというのは、実践を犠牲にして枝葉末節の知識をみせびらかすことにこだわる教科書著者のおろかさのたまものだ。山トロルに対処するバカげた奥の手があるからといってそれを実際に使うべきということにはならない! 〈死の呪い〉なら防御も阻止もできない。脳のあるもの相手にはかならず機能する。諸君が成人魔法使いになったとき〈死の呪い〉を使うことができないでいたとしても、単に〈
「無論……」とクィレル先生は声を低く強くして言う。「〈
クィレル先生のくちびるが細くむすばれた。「不本意ながら、ここでは〈魔法省〉が要求する部分の一年次期末試験に合格するための瑣末な知識も教えさせてもらうが、こういった部分の成績は諸君の将来にはまったく影響しない。合格より上の成績がほしい者は、どうぞそのおそまつな教科書で自習して時間を無駄にしてくれてけっこう。この科目の名前は〈地味な厄介者に対する防衛術〉ではない。諸君がここにいるのは〈闇の魔術〉に対して身をまもる方法をまなぶためだ。つまり、この際はっきりさせておくが、〈闇の魔術師〉に対してだ。つまり、諸君を傷つけようとする者たち、諸君がさきに傷つけなければおそらくそれに成功する者たちに対してだ! 攻撃なしに防衛はできない! たたかうことなしに防衛はできない! 諸君にこのカリキュラムを要求したのは、〈闇ばらい〉に護衛された、肥満体で穀潰しの政治家たちだが、彼らにはこの現実は荷がおもすぎるようだ。そんな愚か者のことなど知ったことか! 諸君がここにいるのは、ホグウォーツで八百年の歴史あるこの科目をまなぶためだ! 一年次〈戦闘魔術〉へようこそ!」
ハリーは拍手しはじめた。感激してしかたがなかった。
ハリーが手をたたきはじめたのに応じて、ちらほらとグリフィンドールから、さらにスリザリンからも拍手がでた。だがほとんどの生徒は、ただ呆然として反応できないようだった。
クィレル先生が宙を切るしぐさをすると、拍手は一瞬でやんだ。「どうもありがとう。では具体論にうつる。わたしは〈戦闘〉の一年次クラスをひとつに合併させた。この合同授業によりわたしは諸君に二倍の授業時間を提供することができ——」
恐怖に息をのんだ音があちこちからした。
「——その負担の増大の埋め合わせとして、宿題は課さないことにする。」
恐怖に息をのんだ音が急にとぎれた。
「そのとおり。聞きちがいではない。わたしは諸君に戦闘を教えるのであって、戦闘についての宿題を月曜日までに十二インチ分書かせるのではない。」
ハリーはいまハーマイオニーがどんな表情をしているかを想像し、となりに座っておけばよかったと心底おもった。おそらく正確に想像できている自信はあったが。
そしてハリーは恋におちた。これはもう、ハリー、〈逆転時計〉、クィレル先生の三者結婚だ。
「おもしろくかつ教育的となろう課外活動をのぞむ人のために、すでに手配ができている。 諸君はクィディッチに興じる十四人を観戦するかわりに
これは
「これら課外活動ではクィレル点を獲得することができる。クィレル点とはなにか? 寮点のシステムはわたしの目的には適合しない。希少すぎるからだ。わたしは生徒たちにもっと頻繁に評価を知らせたい。筆記試験を課すことはめったにないが、試験をおこなう場合、採点は即時になされる。誤答が多い生徒の試験用紙には、正答できた生徒の名前が表示される。正解した生徒はほかの生徒を手だすけすることによりクィレル点を獲得することができる。」
……おお。どうしてほかの先生はこういう風にしないんだろう?
「クィレル点はなんの役に立つのか? まず、十クィレル点は一寮点に相当する。だが利点はそれだけではない。通常とことなる時間帯に試験をうけたい、ある回の授業をできれば欠席したい、といった要望も、十分なクィレル点をためた生徒にだけは柔軟に対応しよう。隊の司令官は、クィレル点を基準にしてえらばれる。クリスマスにあたっては——クリスマス休暇の直前に——わたしはだれかひとりの望みをかなえる。わたしの能力、影響力、なによりも発想力のおよぶかぎり、学校関連のことがらであればなんでも。わたしもスリザリンだから、もし諸君ののぞみをかなえるために必要とあれば、諸君にかわって狡猾なたくらみを提供することもできる。のぞみをかなえられるのは、一年次から七年次までの全員のうちで最大のクィレル点を獲得した者だ。」
ぼくだ。
「では教科書と持ちものを机において——スクリーンが監視してくれるからそうしても安全だ——この教壇まできなさい。これから〈この教室で一番危険な生徒はだれか〉というゲームをする。」
ハリーは右手で杖をひねり「マ・ハ・ス!」と言った。
クィレル先生から標的としてわりあてられた、宙にうかぶ青い球体がまた、甲高くビンという音をだした。この音は完全な命中を意味する。直前の十回中、九回がこうだった。
クィレル先生はものすごく発音しやすく、
そんなことはハリーにはどうでもよかった。
「マ・ハ・ス!」
ホグウォーツにきて以来はじめてハリーはほんものの魔法使いになったような気がした。ベン・ケノービがルークを訓練するのに使った球体とおなじようにこの標的も逃げてくれればいいのにとハリーは思ったが、なぜかクィレル先生はそうせずに全生徒と標的を整列させ、おたがいに呪文があたらないようにしたのだった。
それで、ハリーは杖をさげ、右にスキップし、杖をふってからひねり、「マ・ハ・ス!」とさけんだ。
低いドンという音がした。つまりほぼ命中ということだ。
ハリーは杖をポケットにいれ、左にスキップしてもどり、杖をとりだし、また赤い閃光をとばした。
その高い音はハリーの人生でゆうに最高に満足感のある音だった。腹の底から勝利のおたけびをあげたい気持ちだった。
「マ・ハ・ス!」ハリーの声はおおきかったが、同様のさけび声が教室の教壇のあちこちからしていたためほとんど目立たなかった。
「そこまで。」とクィレル先生が増幅された声で言った。(音量はおおきくなかった。ふつうの音量だが、クィレル先生に対する自分の位置とは無関係に、自分の左肩のすぐうしろから言われたようにきこえた。)「全員がすくなくとも一度は成功したのを確認した。」 標的の球体は赤くなり、ふらふらと天井にあがっていった。
クィレル先生は教壇の中央につきでた演台のうえに立ち、片手でかるく教卓にもたれていた。
「さきに言ったとおり、われわれは〈この教室で一番危険な生徒はだれか〉というゲームをしている。この教室にいる生徒一名は、シュメール語の〈簡易打撃
ああ、やだやだやだ。
「——さらにほかの生徒七人が学ぶのを助けた。これに対してこの年次最初の七クィレル点を進呈する。きたまえ、ハーマイオニー・グレンジャー。これからゲームはつぎの段階にうつる。」
ハーマイオニー・グレンジャーは、達成感と不安のまざった表情をしながら、まえにでた。レイヴンクロー生は自慢げになり、スリザリン生はにらみだし、ハリーは正直いらだちをおぼえていた。今回の自分のできは悪くはない。多分クラスの真ん中より上にさえいる。今回あたえられた呪文になじみがないのは全員おなじだし、ハリーはすでにアダルバート・ワフリングの『魔法理論』を最後まで読みとおしている。なのに
ハリーは、ハーマイオニーのほうがあたまがいいのかもしれないということを、こころのかたすみのどこかでおそれている。
だが、いまのところハリーはつぎの既知の事実にのぞみを託すことにした。(一)ハーマイオニーは標準教科書以外の本ももう何冊も読みおえている。(二)『魔法理論』著者のアダルバート・ワフリングは無能なバカ野郎で、学校の理事会にだけ迎合して十一歳の読者のことをろくに考えていない。
ハーマイオニーは中央の演台にたどりつき、そこにあがった。
「ハーマイオニー・グレンジャーはまったくなじみのない呪文を二分で習得した。次点の者とは、まる一分の差があった。」 クィレル先生はその場でゆっくりとからだを回転させて全生徒をながめた。 「ミス・グレンジャーのような知性がある者はこの教室で一番危険な生徒といえるだろうか? さあ、どう思う?」
この瞬間、だれもなにも考えられないようだった。ハリーでさえなにを言えばいいのか分からなかった。
「では試してみようか?」 クィレル先生はハーマイオニーのほうにむきなおり、まわりの生徒たちを指す手ぶりをした。「一人すきな生徒をえらんで、その子に〈簡易打撃呪文〉を当てなさい。」
ハーマイオニーはその場で凍りついた。
「どうした。」 クィレル先生はさらりと言う。「きみはこの呪文を五十回完全に成功させた。この呪文であとにのこる傷はできないし、さほど痛むわけでもない。殴打と同程度の痛さが数秒間つづくだけだ。」 クィレル先生の声がおおきくなる。「これは教師としての命令だ、ミス・グレンジャー。標的をきめて〈簡易打撃呪文〉をうて。」
ハーマイオニーの顔が恐怖にゆがみ、その手のなかで杖が震えた。その気持ちが伝わってきて、ハリーは自分の指さきで杖をにぎりしめた。クィレル先生がしたいことはわかるが。クィレル先生が言いたいことはわかるが。
「杖をかまえてうたなければ、ミス・グレンジャー、きみはクィレル点を一点うしなう。」
ハリーはハーマイオニーを見つめ、自分のほうを見かえしてくれと願った。右手をぽんと自分の胸におく。
ハーマイオニーの杖が手のなかでぴくりとした。そして彼女は顔の緊張をゆるませ、杖をからだの側面におろした。
「できません。」
ハーマイオニー・グレンジャーの声はおちついていて、大声ではなかったが、静寂のなかで全員がききとることができた。
「では一点減点させてもらう。これはテストで、きみは落第した。」
クィレル先生のことばは彼女に刺さった。ハリーにはそれがわかった。だが彼女は姿勢をまっすぐにたもった。
クィレル先生の声は同情的で、教室全体をみたすようだった。「知識だけでは不十分なこともあるのだ、ミス・グレンジャー。指を打撲する程度の暴力を行使したり受忍したりできないのであれば、きみは自分の身をまもることができないし〈防衛術〉にも合格できない。席にもどりなさい。」
ハーマイオニーはレイヴンクローの一団に歩いてもどった。おだやかな顔つきで、ハリーはそれを見てなぜか拍手をしたくなった。クィレル先生のほうが
「さて。」とクィレル先生。「ハーマイオニー・グレンジャーがこの教室で一番危険な生徒でないことはわかった。ではこの教室で一番危険なのはだれだろうか? ——もちろん、わたし以外で。」
ハリーはなにも考えずにスリザリンのあつまりのほうを見た。
「〈元老貴族〉マルフォイ家のドラコ。友人諸君はきみのほうを見ているようだ。こちらへきてもらおうか。」
ドラコはそれにしたがい、自分の出自への一種の誇りをあらわして、歩いていった。演台にあしをのせると、クィレル先生を見あげて笑みをうかべた。
「ミスター・マルフォイ。」とクィレル先生。「うて。」
ハリーは間にあえばそれをとめようとしただろうが、ドラコはなめらかな動きでレイヴンクローの一団のほうをむき、杖をかまえて、まるで一音節のことばのように「マハス!」と言い、ハーマイオニーが「痛!」と言って終わった。
「おみごと。クィレル点を二点進呈する。だがなぜミス・グレンジャーを標的に?」
沈黙。
そしてやっとドラコが「一番、目だっていたからです。」と言った。
クィレル先生のくちびるが薄ら笑いのかたちになった。「これがドラコ・マルフォイが危険である真の理由だ。えらんだのがほかのだれかだったら、ミスター・マルフォイはえらばれた子におそらく恨まれ、敵をつくってしまうことになる。彼女をえらんだことをほかの理由で正当化してもよかったかもしれないが、一部の生徒たちはそんな理由を言おうが言うまいが喝采してくれるだろうから、そんなことをしてものこりの諸君を疎外してしまうだけだ。つまりミスター・マルフォイが危険なのは、攻撃すべき相手と攻撃すべきでない相手の差、同盟者をつくり敵をつくらない方法を知っているからだ。クィレル点をもう二点進呈しよう、ミスター・マルフォイ。さらに、模範的なスリザリンの美徳を実演してくれたことに対して、さらにサラザールの寮に一点加点だ。友人諸君のところにもどってよろしい。」
ドラコはかるく会釈してスリザリンの一団へ歩いていった。緑色のえりのローブをきた何人かが拍手をしはじめたが、クィレル先生が宙を切るしぐさをすると、静寂がもどった。
「これでゲームは終わったようにみえるかもしれない。だが、マルフォイ家の御曹司よりも危険な生徒が一名、この教室にいる。」
「ハリー・ポッター。きたまえ。」
これはあまりうまくない。
ハリーはしぶしぶと、つきでた演台に立つクィレル先生のところへ歩いていった。クィレル先生はまだ教卓にかるくもたれていた。
演台にちかづくにつれ、スポットライトのもとにおかれる緊張感で、ハリーは五感がとぎすまされるような気がした。そしてクィレル先生がハリーの危険さを実演させるためにやらせるかもしれないものごとの可能性をあれこれと思いうかべる。 なにをさせられるのだろうか。呪文の実演? それとも〈闇の王〉をたおす実演?
〈死の呪い〉への耐性があるかどうか、実際にやってたしかめる? いやクィレル先生は
ハリーは演台のだいぶ手前でとまり、クィレル先生はそれ以上ちかづくようにもとめなかった。
「皮肉なことに、諸君が彼を見たのはただしいが、その理由は完全に間違っていた。諸君はこう思ったのだろう……」クィレル先生のくちびるがぴくりとした。「ハリー・ポッターは〈闇の王〉をたおした、だから危険にちがいない、と。フン。彼はそのとき一歳だったのだ。〈闇の王〉を殺した運命のいたずらがなんであったにしろ、おそらくそれはミスター・ポッターの戦士としての能力とはなんの関係もない。だが、あるレイヴンクロー生が五人のスリザリン生に対峙したといううわさをきいてから、わたしは目撃者数人を取材して、ハリー・ポッターがわたしの生徒のなかで一番危険な人物だという結論にいたった。」
アドレナリンがハリーのすみずみにどっと流れ、背すじをぴんとさせた。クィレル先生がどんな結論をだしたのかはわからないが、いいものには思えない。
「あの、クィレル先生——」とハリーは言いかけた。
クィレル先生は愉快そうにした。 「わたしが間違ったこたえにいきあたったんだと思っているのではないかね、ミスター・ポッター?
ハリーは自分が理解されたことで一瞬、純粋なむきだしのショックをうけ、絶句した。
そしてアイデアがながれだした。
「ここにある机は重いので、十分な高さから落とせば致命傷になります。椅子を十分つよくおしだせば、金属製の足で刺し殺すことができます。教室の空気は欠如させれば、ここは真空になり人は死にます。空気は毒ガスの媒体として使うこともできます。」
ハリーは息つぎをするため少し沈黙しなければならなかった。その沈黙にクィレル先生がわりこんで言った。
「それで三個。必要なのは十個だ。ほかの生徒はみな、きみが教室のすべてを使いはたしてしまったと思っているぞ。」
「ハハ! 床はとりのぞいて、剣山の罠をおく穴にすることができます。天井はだれかにむけて落とすことができます。壁は〈転成術〉の材料として使えば、致命傷をあたえられる武器をいくらでもつくれます。——たとえばナイフとか。」
「それで六個。だがさすがにもうあとがないのでは?」
「まだこれからですよ! こんなに人間がいるじゃないですか! グリフィンドール生ひとりに敵を攻撃させるのはもちろん
「それは数にはいらない。」
「——その子の血はだれかを溺死させるのに使えます。レイヴンクロー生は頭脳で知られていますが、内臓を闇市場で売って暗殺者をやとう資金にすることもできます。スリザリン生は暗殺者として有用なだけでなく、十分な速度でなげれば敵をつぶすことができます。ハッフルパフ生は勤勉であるのにくわえて、骨がありますから、それをとりはずして、研いで、だれかを突き刺すのに使えます。」
ここまでくるとほかの生徒たちはある種の恐怖の表情でハリーを見つめていた。スリザリン生さえもショックをうけたようだった。
「それで十個。レイヴンクローのをおおめにみて数にいれればだが。ではここからはボーナス点だ。この教室にある、まだきみが言及していないモノの用法をひとつあげるにつき、クィレル点を一点進呈する。」クィレル先生はハリーに気さくな笑みをおくった。「ほかの生徒諸君はきみがピンチになったと思っている。すべてのモノが言及ずみで、のこったあの標的についても、きみにはあれをどうしていいかわかっていない、と思っている。」
「残念! 人間にはすべて言及しましたが、まだぼくのローブがあります。これを十分つよく敵にまきつければ窒息させるのに使えます。ハーマイオニー・グレンジャーのローブは、細くひきさいて編んで縄にして、だれかを吊るすのに使えます。ドラコ・マルフォイのローブは、火をおこして——」
「三点。」とクィレル先生。「以後、服はなし。」
「ぼくの杖は敵の眼窩につっこんで脳に刺すことができます。」と言ったところで、だれかが恐怖におそわれて息をしめだすような声をだした。
「四点。以後、杖はなし。」
「ぼくの腕時計をだれかののどに押しこめばその人を窒息させることが——」
「五点。そこまで。」
「フン。十クィレル点は一寮点になるんでしたね? このままやらせてもらえたら寮対抗カップをとれたのに。ぼくのポケットにあるモノの通常でない用法すら言いはじめてなかったんですから。」 あるいはモークスキン・ポーチのなかにあるモノの。〈逆転時計〉や不可視のマントについては口外できないが、あの赤い球体についても
「
ちいさなつぶやき声が同意した。
「はっきりと言ってくれないか。テリー・ブート、きみの相部屋相手はなぜ危険なのだ?」
「あ……その……発想力があるから?」
「
ハリーはおどろいてはっとした。
「床をとりのぞいて剣山の罠をおく? バカげている! 実戦ではそのような準備をする時間はないし、あったとして、もっといい使いみちはいくらでもある! 壁の材料を〈転成〉させる? ミスター・ポッターは〈転成術〉ができないではないか! ミスター・ポッターのアイデアのうち、いますぐに使え、入念な準備や敵の協力や彼の知らない魔法を必要としないものはたったひとつだけだ。それは杖を敵の眼窩につっこむというアイデアだ。それすら敵を殺すより杖をこわすだけの結果になる可能性がたかい! 端的に言えば、ミスター・ポッター、きみの案はどれも一貫して劣悪だ。」
「は?」とハリーは憤然として言った。「あなたが普通でないアイデアを
クィレル先生の表情は非難めいていたが、目尻に笑みが見えた。「ミスター・ポッター、わたしは一度も『殺せ』とは言っていない。ときと場合によっては、敵は生きたまま捕らえることもある。ホグウォーツの教室という場所は一般にはそれに該当する。だがきみの質問にこたえるとすれば、わたしなら椅子のへりで首すじを殴打する。」
スリザリン生のほうから笑い声があがったが、ハリーといっしょに笑おうとしたのであってハリーを笑いものにしたのではなかった。
スリザリン生以外の全員はむしろ戦慄していた。
「だが、ミスター・ポッターがこの教室で一番危険な生徒な理由は、もう本人がしめしてくれたとおりだ。わたしがもとめたのは、この部屋にあるものを通常でないやりかたで実戦に使う方法だった。たとえば、机を使って呪いをふせぐとか、むかってくる敵を椅子でころばせるとか、腕に服をまいて即席の盾にするとか言う回答も可能だったはずだ。ところがミスター・ポッターはそうせず、防衛ではなく攻撃、しかも致命傷かそのおそれがある攻撃方法ばかりを言いつらねた。」
え? いや、そんなまさか……。 ハリーは急に目まいをおぼえ、自分がなにを提案したのか思いだそうとした。反例があるに決まっている……
「そして、だからこそミスター・ポッターのアイデアはどれも奇妙で役立たずだった——
ハリーは呆然として口をあけたまま絶句し、必死になにか言うべきことをさがした。
だがほかの生徒をみると、それを信じはじめているようだ。ハリーはあたまのなかでそれを否定するために使えるものをいろいろとあたってみたが、クィレル先生の権威ある声にたちむかえるものはなにもみつからなかった。思いつけたのはせいぜい「ぼくはサイコパスじゃない。発想がゆたかなだけだ。」で、どこか不吉なひびきがあった。予想外のなにかを言わなければならない。相手を立ちどまらせ、考えなおさせるようななにかを——
「では、」とクィレル先生。「ミスター・ポッター。うて。」
もちろん、なにも起きない。
「ああ、そうか。」と言ってクィレル先生はためいきをついた。「最初はみなそんなものかもしれない。ミスター・ポッター、だれか一人生徒をえらんで〈簡易打撃呪文〉をうちなさい。きみが
ハリーは慎重に杖をかまえた。そのくらいはしなければ、クィレル先生はすぐさま寮点を減点しはじめるかもしれない。
ゆっくりと、鉄板のうえで焼かれているような動きで、ハリーはスリザリン生の方向をむいた。
ハリーとドラコの目があった。
ドラコ・マルフォイは微塵も恐怖をみせなかった。この金髪の少年は、ハリーがハーマイオニーにおくったような同意のしるしをどこにもみせていないが、そもそもそうすべき理由はほとんどない。ほかのスリザリン生からかなり変に思われてしまうだろう。
「なぜためらう? あきらかに選択肢はひとつしかないはずだ。」とクィレル先生。
「そうですね。
ハリーは杖をひねって「マ・ハ・ス!」と言った。
教室が完全に沈黙した。
ハリーは自分の左うでをさすり、のこった痛みをちらそうとした。
沈黙がつづいた。
やっとクィレル先生がためいきをついた。「ああ、なかなか巧妙だが、ここでまなぶべき教訓があったのに、きみは逃げた。本来の目標を犠牲にして自分のかしこさをみせつけたことについて、レイヴンクローから一点減点。授業はここまで。」
ほかのだれかが声をだすまえに、ハリーはこうさけんだ:
「冗談さ! レイヴンクロー!」
そのあと、みなが考えるあいだ短い静寂があったが、つぶやき声がきこえだし、すぐにそれは会話の轟音になった。
ハリーはクィレル先生のほうを向いた。二人ですべき話がある——
クィレルは肩をおとして、とぼとぼと椅子にむかっていた。
いや、許さないぞ。話をさせてもらわないと。ゾンビのふりはやめろ。何度かつつけばクィレル先生は多分おきあがるはずだ。ハリーがあゆみはじめると——
だめだ
よせ
間違いだ
ハリーはふらつき、道のりの途中でとまった。目まいがする。
そしてレイヴンクロー生の群れがおりてきて、議論がはじまった。
原作品の著者:J. K. Rowling
ファンフィクションの著者:Eliezer Yudkowsky