ハリー・ポッターと合理主義の方法   作:ポット@翻訳

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17章「仮説のありかを見つける」

「世界のパターンが見えはじめる。リズムが聞こえはじめる。」

 

◆ ◆ ◆

 

木曜日。

 

細かく言えば、木曜日の午前七時二十四分。

 

ハリーはベッドのうえに座っていた。じっとうごかない両手のなかに教科書が一冊ちからなく横たわっている。

 

ハリーは()()()()実験のアイデアを思いついたのだった。

 

朝食までもう一時間よけいに待つことになるが、固形シリアルはこういうときのためにある。そう、このアイデアはどうしてもいますぐ、即座にテストしなければならない。

 

ハリーは教科書をわきにおいて、ベッドからとびおりるとそのベッドをまわりこんで、トランクの地下一層目をひきだし、階段をかけおり、本の箱をいくつもうごかしはじめた。 (そのうち書棚を手にいれて荷物をほどかないとと思いつつも、いまはハーマイオニーとの教科書早読み競争をしていて負けそうになっているから、そんな暇はない。)

 

ハリーは目的の本をみつけて、階上にかけもどった。

 

ほかの子たちは大広間の朝食にいき、一日をはじめるための準備にはいっていた。

 

「ちょっとお願いしたいことがあるんだけど。」 そう言いながらハリーはその本の索引をめくり、小さいほうから一万個の素数がのっているページをみつけ、そのページをひらいて、アンソニー・ゴルドスタインに本をつきだした。 「このリストから三桁の数字ふたつをえらんで。それがなにかは言わないで。そのふたつをかけ算した結果を教えて。あ、計算は二重にやってチェックしてね? 間違いがないことをしっかり確認してほしい。きみがかけ算を間違ったらぼくや宇宙がどうなっちゃうかわからないから。」

 

アンソニーがここで『なにを急にそんな興奮して?』とか『妙なお願いだなあ、なんのために?』とか『宇宙がどうなっちゃうかわからない、ってどういう意味?』とか言わなかったことは、ここ数日この共同寝室(ドミトリー)での生活がどういうものであったかをよくものがたっている。

 

アンソニーは無言で本をうけとって、羊皮紙と羽ペンをとりだした。 ハリーはくるりとうしろをむいて目をとじ、確実になにも見えないようにし、そのあいだ待ちきれず、ぴょんぴょんとはねた。 紙のノートとシャープペンは用意してあり、書く準備はできている。

 

「よし、十八万、一千四百二十九。」とアンソニー。

 

ハリーは181429と書きとめた。 書きとめてから復唱し、アンソニーに確認してもらった。

 

そしてハリーはトランクの地下一層目にかけもどり、腕時計に目をやって(腕時計によれば四時二十八分、つまり七時二十八分だった)、目をとじた。

 

三十秒ほどたって足音が、そのあとにトランクの地下一層目を引いて閉じる音が、聞こえた。 (窒息する心配はない。上等なトランクを買えば自動の〈空気清浄魔法(チャーム)〉が付属してくるからだ。電気代も心配しなくていい。魔法ってすごい。)

 

ハリーが目をひらくと、のぞんでいたものがまさにそこにみえた。 床の上にたたまれた一枚の紙。未来の自分からの贈りものだ。

 

この紙を『紙二号』とよぼう。

 

ハリーはノートから紙を一枚ちぎった。

 

これを『紙一号』とよぼう。もちろん、どちらもおなじ紙だ。 よくみれば、切れめのぎざぎざの部分が一致するのがわかる。

 

あらためて整理すると、これから自分がたどるアルゴリズムはこうだ。

 

〈紙二号〉をひらいてそれが空白だった場合、〈紙一号〉に『101×101』と書いてそれをたたみ、一時間勉強し、時間をさかのぼり、〈紙一号〉を落とし(それは以後〈紙二号〉となる)、地下一層目からでて、相部屋のみんなといっしょに朝食にいく。

 

〈紙二号〉をひらいてそこにふたつの数字が書かれていた場合、ハリーがそのふたつのかけ算をする。

 

かけ算の結果が181429であれば、ふたつの数字を〈紙一号〉に書き、〈紙一号〉に時間をさかのぼらせる。

 

そうでなければ、右側の数字に二を足し、新しい数字の組を〈紙一号〉に書く。 ただし、右側の数字が997を超えていれば、そのかわりに左側の数字に二を足し、右側には101と書く。

 

〈紙二号〉に997×997と書かれていれば、ハリーは〈紙一号〉を空白のままにする。

 

こうすれば、()()()()時間ループは、181429の素因数分解の結果となる二つの数字が〈紙二号〉上にある、というもの以外にありえない。

 

もしこれがうまくいけば、みつけるのは大変でも検証することは簡単などんな種類の解答も、おなじやりかたで回収することができる。 この発見は、〈逆転時計〉があればP=NPを証明できる、ということにとどまらない。 このトリックは()()()()()()()()()。 ダイヤル錠の数字の組み合わせをみつけるのにもつかえる。 どんなパスワードをあてるのにもつかえる。 ホグウォーツ内のあらゆる場所を系統的に列挙する方法さえ思いつけたなら、スリザリンの〈秘儀の部屋〉の入り口をみつけることさえできるかもしれない。 ハリーのカンニングの水準でいっても、すばらしいカンニング方法だ。

 

ハリーは震える手で〈紙二号〉をつかみ、ひらいた。

 

〈紙二号〉には、すこし震えた手書き文字でこうあった:

 

時間をもてあそぶな

 

ハリーはすこし震える手書き文字で『時間をもてあそぶな』と〈紙一号〉に書き、きっちりとたたんだ。そしてすくなくとも十五歳になるまでは、これ以上〈時間〉に関する天才的な実験をやるのはよそう、と決心した。

 

これはハリーの知るかぎり、科学史上もっともおそろしい実験結果だった。

 

つぎの一時間ハリーはあまり集中して教科書を読むことができなかった。

 

ハリーの木曜日はこうしてはじまった。

 

◆ ◆ ◆

 

木曜日。

 

細かく言えば、木曜日の午後三時三十二分。

 

ハリーたち一年生の男子はみな、マダム・フーチといっしょに草のはえた屋外の運動場にいた。 となりには、ホグウォーツの備品であるホウキがおかれている。女子の飛行術の授業は別にある。 どういうわけか女子は男子と同時にホウキ飛行術をならうのがいやらしい。

 

ハリーは朝からずっと、すこしなやんでいた。 ()()()()()安定した時間ループがえらばれたのはなぜだろう、ということが気になってやまない。 考えてみれば、かなりおおきな可能性の空間があったはずなのに。

 

ついでに言えば。本気で()()()なのか? まるで線分みたいなものにのって飛ぶだって? よりによって、小石にのるとかを別にすれば、これ以上ないほど不安定な形状の乗りもので飛ぶなんて。 飛行装置としていろいろありうるデザインのなかで、なんで()()にしたんだか。 『ホウキ』というのは、たとえかなにかなのではないかという一縷の望みもあったが、残念、目のまえにあるこれは、どうみてもふつうの木製の台所用ホウキだ。 ホウキでやるのがあたりまえだという観念にこりかたまってしまって、ほかのものを検討できなくなってしまったとか? そうにきまっている。 一から考えてみて、台所を掃除するのに()()()デザインと飛行するのに()()()デザインとが偶然一致するわけがない。

 

青空はあかるく、よく晴れている。太陽の光が目にまぶしく、空中を飛びまわろうとすれば、きっとなにも見えなくなってしまいそうなほど。 地面はよく乾燥していて、焼きたてのようなにおいがしている。そしてハリーの靴の下の感触は、どうもあまりにかたすぎるような気がする。

 

どんなに低水準の十一歳の子どもでもできることになっていることが、それほどむずかしいはずはない、とハリーは自分に言い聞かせつづけた。

 

「右手をだして、ホウキにのせなさい。左ききの人は左手を。」とマダム・フーチ。 「そして、あがれと言いなさい!」

 

あがれ!」と全員がさけんだ。

 

ハリーの手のなかにいきおいよくホウキがとびこんできた。

 

それでハリーはクラスで一番になった。めずらしく。 あがれと言うのは意外にむずかしいらしく、ほとんどのホウキは地面のうえをころがるか、乗り手になるべき人から距離をとろうとしていた。

 

(もちろん、賭けてもいいが、ハーマイオニーもすこしまえに自分の番がきたとき、これとおなじ程度にはうまくやっていたはずだ。 ()()()一度目に習得できることでハーマイオニーがまごつくなどありえない。 そしてもしそんなことがあったとして、それが知的ななにかではなく()()()()()()()()だったとしたら、死にたい。)

 

全員がホウキを自分の前にもってくるのにしばらくかかった。 マダム・フーチは乗りかたを実演し、運動場をめぐっていき、持ちかたや姿勢をなおした。 自宅で飛行させてもらっていた生徒もすこしはいたが、だれもただしい方法はおそわっていなかったらしい。

 

マダム・フーチは運動場の男子たちをながめて、うなづいた。 「では、わたしが笛をふいたら、地面を強くけりなさい。」

 

ハリーはごくりと唾をのみ、胃のなかの不安をしずめようとした。

 

「ホウキをふらつかせず、数フィートとびあがって、そのまますこし前にかたむけて、おりなさい。 ではいきますよ——三・二・——」

 

ひとつのホウキがそらへと打ちだされた。 一人の少年の——歓喜ではなく、恐怖の——悲鳴がつづいた。 その子は上昇しながらおそろしい速度で回転しつづけ、みえるのは白い顔だけだった——

 

スローモーションのようにハリーはホウキからとびおりて杖のありかをさぐった。 なにをしようとしているのか自分でもわからないでいたが、 これまでにちょうど二回あった〈操作魔法術(チャームズ)〉の授業のうち、 あとのほうはたまたま〈浮遊の魔法(チャーム)〉だったけれど、 三回試したうち一回しか成功できなかったし、人間ひとりを浮遊させるのはまず無理だ——

 

もし隠されたちからがぼくにあるなら、いますぐでてきてくれ!

 

「ちょっと、こっちにもどって!」とマダム・フーチが大声で言った (のは()()()()()()()()が制御不能のホウキを目のまえにしてする指示としてはまったく役立たずであり、ハリーの脳のうち完全自動操縦の部分がマダム・フーチを愚者のリストにいれた)。

 

その子はホウキからほうりだされた。

 

その動きは空中で、最初のうちは、とてもゆっくりとして見えた。

 

「ウィンガーディウム・レヴィオーサ!」とハリーがさけんだ。

 

呪文は失敗した。失敗した感触があった。

 

ドスンという音のあと、遠くでなにかが折れる音とともに、その子は草の山のうえで顔を下にたおれた。

 

ハリーは杖をしまって、全速力でそこへ走りこんだ。 マダム・フーチと同時にその子のそばにつき、ポーチに手をいれて、あれの名前はなんだったっけ、もういいや、「治癒パック!」、そして手にのってきたそれを——

 

「手くびの骨折。」とマダム・フーチ。 「落ちつきなさい、手くびを骨折しただけだから!」

 

ある種の精神的なよろめきを感じつつ、ハリーのあたまは〈パニック・モード〉を抜けだした。

 

〈緊急治癒パックプラス〉はふたがあいたまま目のまえにあり、液火の注射器がハリーの手のなかにある。これを使えば、あの子がくびを折ってしまった場合には脳に酸素を供給できたはずだった。

 

「あ……」とハリーは妙にふらふらした感じの声で言った。心臓がどきどきとする音がおおきく聞こえ、自分が息をあえがせている音がかきけされるほどだった。「骨折……そうか……〈固定線〉は?」

 

「それがいるのは緊急時だけ。」とマダム・フーチが返した。 「注射器はしまいなさい。たいしたことはありません。」 彼女はその子のほうに寄って、手をさしのべた。 「ほら、大丈夫だから、起きなさいな!」

 

「まさかまたホウキにのせるつもりじゃないでしょうね?」  恐怖にかられてハリーが言った。

 

マダム・フーチはハリーをにらんだ。「のせるわけないでしょう!」  彼女はその子の無事なほうの腕を引っぱって立たせ——それを見てハリーはショックをうけた。()()()()()ネヴィル・ロングボトム。なんでまた? ——まわりで見ていた子どもたちのほうをむいた。 「この子を病室につれていくまでだれも動いてはいけません! ホウキにふれたりしたら、『クィディッチ』と口にもできないうちにホグウォーツから退学にしますからね。ほら、こっちよ。」

 

マダム・フーチはネヴィルをつれて去った。ネヴィルは手くびをつかみ、すすり泣きを我慢しようとしていた。

 

二人から聞かれないほどの距離ができると、スリザリン生のひとりがくすくすと笑いだした。

 

するとのこりの人たちもそれにつづいた。

 

ハリーはむきをかえてそちらを見た。そろそろ何人かの顔を記憶してもいい。

 

するとドラコが、ミスター・クラッブとミスター・ゴイルといっしょにぶらぶらと歩いてくるのが見えた。 ミスター・クラッブは笑みをみせていないが、ミスター・ゴイルははっきりとみせている。 ドラコはよく制御されつつもときどきひきつる表情をしている。おそらく、吹きだしそうになっているが、ここで笑うことになんら政治的な利点がないのであとでスリザリンの地下洞で笑うことにしようとしているのだろう、とハリーは推論した。

 

「あのな、ポッター。」とドラコは低い、聞かれにくい声で言う。よく制御されつつも、ときどきひきつる表情のままだ。 「忠告するが、緊急事態を利用してリーダーシップがあるところを見せたいなら、状況を完全に把握している風にしたほうがいい。完全にパニックになったりするよりは。」 ミスター・ゴイルはくすくすと笑い、ドラコはそれをにらみ倒した。 「いずれにしろ多少の点数かせぎにはなっただろうな。その治癒キットをかたづけるのを手つだおうか?」

 

ハリーは〈治癒パック〉のほうを見て、同時にドラコから顔をそむけた。 「いや、だいじょうぶだと思う。」 ハリーは注射器をもとの場所にもどし、掛け金をとめなおし、立ちあがった。

 

ちょうどパックをモークスキン・ポーチに食わせているところで、アーニー・マクミランがきた。

 

「ハッフルパフを代表して感謝させてもらうよ、ハリー・ポッター。」とアーニー・マクミランが礼儀ただしく言った。 「いい行動だったし、いい発想だった。」

 

「いい発想、ねえ。」とドラコが言う。「ハッフルパフがひとりも杖をかまえなかったのはなぜかな? ポッターだけじゃなくきみたち()()()助けていたら、受けとめることができたかもしれないのに。ハッフルパフ生は助けあうんじゃなかったのか?」

 

アーニーは怒りをあらわすのと恥ずかしくて死にたくなるのとのあいだで揺れているように見えた。 「とっさに思いつかなくて——」

 

「ああ。」とドラコ。 「『思いつかなくて』。やっぱり、ハッフルパフ全員よりもレイヴンクロー一人のほうが友だちにしがいがあるってことだな。」

 

ああ、もう、これをどうさばけばいいんだ……。 「きみは役にたっていないよ。」とハリーはおだやかな調子で言った。 それを『きみはぼくの作戦に干渉している、だまってくれ』という意味でドラコが解釈してくれるかどうかは分からないが、願うしかなかった。

 

「おや、これはなんだ?」 ミスター・ゴイルがかがんで、大きなおはじきのような大きさのなにかを草むらからひろった。 渦まく白い霧でみたされているようにみえるガラスの玉だ。

 

アーニーは目をぱちぱちとさせた。「ネヴィルの〈思いだし玉〉だ!」

 

「〈思いだし玉〉って?」とハリー。

 

「なにかを忘れたときに赤くなる道具。 なにを忘れたかは教えてくれないんだけど。それ、ぼくにあずけてくれないか。あとでネヴィルにかえすから。」 アーニーは手をさしだした。

 

ミスター・ゴイルは突然ほくそ笑み、くるりとふりむいて、かけだした。

 

アーニーは一瞬おどろいて立ちすくんだが、「おい!」とさけんでミスター・ゴイルを追って走りだした。

 

ミスター・ゴイルはホウキをつかんで、なめらかな動きでまたがり、飛びあがった。

 

ハリーはぽかんと口をあけた。 それをしたら退()()だと、たったいまマダム・フーチが言ったじゃないか。

 

()()()()」とドラコが声をひそめて言い、 口をあけてさけぼうとし——

 

「おい!」とアーニーがさけんだ。「それはネヴィルのだぞ! かえせよ!」

 

スリザリン生がみな喝采と野次をはじめた。

 

ドラコの口がぴたりととじた。その顔に突然ためらいがよぎったのをハリーはみた。

 

「ドラコ。」とハリーは声をおとして言う。「きみがあのバカにおりろと命令しないでいて、教師がもどってきちゃったら——」

 

()()()()()()()()()()()()()()()()」とミスター・ゴイルがさけび、スリザリン生たちから大喝采をうけた。

 

()()()()()」とドラコがささやく。「スリザリンの全員からぼくは()()と思われてしまう!」

 

「それでもしミスター・ゴイルが退学になったら……」とハリーが声をひそめて言う。「()()()()()()だと思われるぞ!」

 

ドラコの顔が苦痛にゆがんだ。

 

その瞬間——

 

「おい、()()()()()()()。」とアーニーがさけぶ。「ハッフルパフ生は助けあう、って教わらなかったか? ()()()()()()()()()()()()()()

 

突然、ミスター・ゴイルの方向にたくさんの杖がむけられた。

 

三秒後——

 

()()()()()()()()()()()()()」と五人ほどのスリザリン生が言った。

 

そしてハッフルパフの方向にたくさんの杖がむけられた。

 

二秒後——

 

「杖をかまえろ、グリフィンドール!」

 

()()()()()()()()()()()()()()」とドラコがささやく。「ぼくが止めるわけにはいかない、きみでないと! きみへの借りにするから何か考えてくれ、きみはあたまがいいんだろ?

 

もう五秒半ほどすればだれかがシュメール語の〈簡易打撃呪文〉をとなえだして、それが終わって教師が退学の手つづきを終えたときにはこの学年にはレイヴンクローしかいなくなってしまう、とハリーは気づいた。

 

()()()()()()()()()()()()()()()」と、どうやらこの惨事から追いてけぼりにされたように思っていたらしいマイケル・コーナーがさけんだ。

 

グレゴリー・ゴイル!」とハリーが声をはりあげる。「ネヴィル・ロングボトムの〈思いだし玉〉の所有権をかけてきみに試合を申しこむ!」

 

全員がうごきをとめた。

 

「ほお?」とドラコは言う。ハリーがきいたことのないほど間のびさせた言いかただ。 「おもしろいじゃないか。なんの試合だ、ポッター?」

 

えっと……

 

『試合』というのがハリーの思いつきの限界だった。 なんの試合にする? 『チェス』だと、ドラコが応じようとするのが変に見えてしまうからだめだ。『腕ずもう』だと、ミスター・ゴイルにたたきのめされるだけだろうからだめだ——

 

「これはどうだ?」とハリーは大声で言った。 「グレゴリー・ゴイルとぼくは、おたがいから距離をとって立つ。 二人のまわりにはだれも近づいてはいけない。 二人やそのほかのだれも杖はつかわない。 ぼくもむこうも、自分の立ち位置からうごかない。 それでぼくがネヴィルの〈思いだし玉〉に手をふれられたら、グレゴリー・ゴイルはその手のなかにある〈思いだし玉〉を放棄して、ぼくにわたす。」

 

また全員の動きがとまり、安堵の表情が困惑へ変化していった。

 

「へえ!」とドラコが大声で言った。「ポッター、()()()()()ができるなら見せてもらおうじゃないか! ミスター・ゴイルは受けてたつ!」

 

「じゃあ成立だ!」とハリー。

 

「ポッター、()()()()()()()?」とドラコが、どうやっているのか口をうごかさずに、そうささやいた。

 

ハリーは口をうごかさずに返事する方法を知らなかった。

 

みんなは杖をしまいだしている。ミスター・ゴイルは優雅に地面に舞いおりたが、だいぶ困惑している。 何人かのハッフルパフ生がミスター・ゴイルのほうにむかっていったが、ハリーが必死のお願いの表情をすると、引きさがった。

 

ハリーはミスター・ゴイルのほうに歩き、数歩まえで止まった。おたがいの手をとどかせないのに十分な距離だ。

 

ゆっくりと、慎重に、ハリーは杖をおさめた。

 

のこりの全員は引きさがった。

 

ハリーはごくりとした。 自分がなにを()()()のかおおまかにはわかっているが、()()()起きたかだれにも理解されないようにしてそれをやらなくてはならない——

 

「よし。」とハリーは大声で言った。 「それでは……」 深く息をつき、片手をあげ、指をならすかまえをした。 息をのむ音が、パイのことをきいていた人、つまりほぼ全員から聞こえた。 「ホグウォーツの狂気をここに召喚する! ハッピー、ハッピー、ブーン、ブーン、スウォンプ、スウォンプ、スウォンプ!」 そしてハリーは指をならした。

 

何人もがびくりとした。

 

そしてなにも起きなかった。

 

ハリーはしばらく静寂をつづかせて、やがて……

 

「あの……」とだれかが言う。「もう終わり?」

 

ハリーは声をだした子のほうを見た。 「目のまえをみて。草のない、荒れ地みたいな一角があるだろう?」

 

「あ、うん。」と言ったその子はグリフィンドールだった(ディーン・なんとかだったか)。

 

「掘ってみて。」

 

ハリーのその一言に、怪訝そうな視線があつまった。

 

「え、なんで?」とディーン・なんとかが言った。

 

「とにかくそうして。」とテリー・ブートが疲れた声で言う。 「言っておくけど、なぜかはきいても無駄さ。」

 

ディーン・なんとかがひざをついて、土をすくいはじめた。

 

一分ほどすると、ディーンが立ちあがった。 「なにもないぞ。」

 

うーん。ハリーは時間をさかのぼって宝の地図をうめようと思っていた。 その宝の地図が教えてくれる場所にあるもうひとつの宝の地図にはネヴィルの〈思いだし玉〉の場所が書いてあって、ミスター・ゴイルから〈思いだし玉〉をとりもどしたらそれをその場所においておくことにして……

 

だが考えてみれば、〈逆転時計〉の秘密をあまりさらすおそれのない、もっとずっと単純な方法がある。

 

「ありがとう、ディーン!」とハリーは大声で言う。 「アーニー、ネヴィルが落ちた場所までいって、そこにネヴィルの〈思いだし玉〉があるか確認してくれる?」

 

みんなはさらに困惑した表情になった。

 

「とにかくやって。」とテリー・ブート。 「ハリーはうまくいくまでためしつづける。おそろしいことにそれが——」

 

()()()()!」とアーニーが息をあえがせて言った。 彼はネヴィルの〈思いだし玉〉をもっていた。 「()()()! ちょうど落ちた場所に!」

 

「ええ?」とミスター・ゴイルが声をあげ、視線をおとすと……

 

……ネヴィルの〈思いだし玉〉はまだ自分の手のなかにあった。

 

かなりながい沈黙があった。

 

「ええと。」とディーン・なんとかが言う。 「こんなことあるはずないよね?」

 

「ストーリーに穴があった。」とハリー。 「ぼくは自分を変にして宇宙を一瞬ごまかせたけど、〈思いだし玉〉がすでにゴイルにひろわれていたことを宇宙が忘れてしまったんだ。」

 

「いや、待って、その、そんなことは()()あるはずが——」

 

「ちょっと失礼、ぼくたちはこれからホウキで飛ぶ番をまっているんじゃないの? そうだよね。だからだまって。 とにかく、ぼくがネヴィルの〈思いだし玉〉に手をふれたら、試合はおしまいでグレゴリー・ゴイルはその手のなかにある〈思いだし玉〉を放棄してぼくにわたしてくれることになる。 そう決めたのをおぼえてる?」 ハリーは手をのばしてアーニーに手ぶりをした。 「ここまでころがしてくれる? だれも近づいちゃいけない決まりだから。」

 

「待て!」とスリザリン生のひとりが言った。ハリーにとって忘れがたい、ブレイズ・ザビニだ。 「どうやってそれがネヴィルの〈思いだし玉〉だってわかる? ()()〈思いだし玉〉をそこに落としたのかもしれないじゃないか——」

 

「スリザリンらしいことを言うね。」とハリーが笑顔で言う。 「でもアーニーのもっているのがネヴィルの〈思いだし玉〉だということは約束する。 グレゴリー・ゴイルのもっているものについてはコメントしない。」

 

ザビニはくるりとドラコのほうをむいた。「()()()()()! こんな言いのがれをとおすとでも——」

 

「だまれよ。」とミスター・クラッブがドラコのうしろから声をとどろかせた。 「ミスター・マルフォイは()()()の指し図はうけない!」

 

()()子分だ。

 

「ぼくが賭けをした相手は〈元老貴族〉マルフォイ家のドラコだ。 ザビニ、きみではない。 ミスター・マルフォイにやってみせろと言われたことをぼくはやった。 結果の判定については、ミスター・マルフォイにまかせたい。」 ハリーはくびをドラコのほうにかたむけて、眉をわずかにあげた。 これくらいでドラコの面目をたもたせるには十分なはずだ。

 

しばらく沈黙があった。

 

「それがほんもののネヴィルの〈思いだし玉〉だと約束するか?」とドラコ。

 

「うん。」とハリー。 「それはネヴィルが返してもらうほうのもので、もともと彼のものだった。 グレゴリー・ゴイルがもっているほうのものは、ぼくがもらう。」

 

ドラコはうなづいて、きっぱりとした表情をした。 「どんなにおかしなことであっても、〈貴族〉ポッター家の証言をうたがうつもりはない。 そして〈元老貴族〉マルフォイ家は約束をまもる。 ミスター・ゴイル、それをミスター・ポッターへ——」

 

「おい!」とザビニ。「()()勝負はついてない。手をふれていないじゃないか——」

 

「ほら、ハリー!」と言ってアーニーが〈思いだし玉〉をなげた。

 

ハリーは〈思いだし玉〉をたやすく空中でさらった。もともとこういう反射神経はある。 「これで、ぼくの勝ち……」

 

ハリーは声をだんだん小さくし、会話がすべて止まった。

 

手のなかの〈思いだし玉〉が赤くかがやき、日中でも小型の太陽のようにして地面に影をおとしていた。

 

◆ ◆ ◆

 

木曜日。

 

細かく言えば、木曜日の午後五時九分、飛行術の授業のあとでの、マクゴナガル教授室。 (そのあいだにハリーは追加の一時間をしのびこませていた。)

 

マクゴナガル先生は椅子に座っていた。 ハリーは机のまえで窮地に立たせられていた。

 

「先生……」とハリーは声をかたくして言う。 「スリザリンがハッフルパフに杖をむけて、グリフィンドールがスリザリンに杖をむけて、どこかの()()がレイヴンクローも杖をかまえろと言って、その全部がふきとんでしまうのをふせぐのに五秒間しかなかったんです! あれしか思いつかなかったんです!」

 

マクゴナガル先生はやつれた怒りの顔をしていた。 「()()()()()()()()()()()()使()()()()()()()()()()()()()()()()()()()() 秘密という概念はあなたに理解できないのですか?」

 

「どうやったのかはバレてはいません! 指をならすと変なことができると思われているだけです! 〈逆転時計〉があってもできない変なことをもうすでにしていますし、これから()()()そういうことをしていけば、()()一件は目立ちません! あれは()()()()()()()んですよ!」

 

「しかたなくなどありません!」とマクゴナガル先生がかえした。 「その匿名のスリザリン生とやらを地面におろして、杖をおさめさせれば、それでよかったのです! 〈爆発スナップ〉のカードゲームを申しこんでもよかった。なのに不必要な、最悪のやりかたで〈逆転時計〉をつかうなんて!」

 

「あれしか思いつかなかったんです! ぼくは〈爆発スナップ〉がどんなゲームかも知らないし、チェスには応じてもらえなかっただろうし、腕ずもうにしていれば負けてしまっていた!」

 

「それなら腕ずもうでよかったでしょうが!」

 

ハリーは目をぱちくりさせた。「だってそれじゃぼくは()()()()()()——」

 

ハリーはことばを切った。

 

マクゴナガル先生は()()()怒っている。

 

「すみません、マクゴナガル先生……」とハリーは声を小さくして言った。 「ほんとうにそうは考えていませんでした。でもたしかに、考えているべきだったし、そうしていたらよかったんですが、まったくそうは考えていなかった……」

 

ハリーの声がだんだん小さくなった。 急にもっと()()()()選択肢があったことがわかってきた。 ()()()()きいてなにかを提案してもらってもよかった。群衆にきいてもよかった……。あの〈逆転時計〉の使いかたはたしかに不必要で最悪だった。 膨大な可能性の空間がありながら、なぜ()()をえらんでしまったのか?

 

()()方法をみつけたからだ。 さほど大事でもない、いずれにしろ教師があとでミスター・ゴイルからとりかえしてくれるであろう道具を勝ちとる方法を。

 

勝利への意思。自分はそれにとらわれていた。

 

「すみません。」とハリーはもう一度言った。「ぼくのプライドと愚かさのせいでした。」

 

マクゴナガル先生は片手でひたいをぬぐった。 怒りはいくらかうすれているようだった。 だが次にでた声はまだ、かたかった。 「一度でもまたこんなことがあれば、ミスター・ポッター、〈逆転時計〉は返納していただきます。わたしの言っていることがわかりますか?」

 

「はい。わかりました、そしてすみません。」

 

「であれば、いまのところは〈逆転時計〉をもつことを許します。 あなたがあれだけの規模の騒動を回避してくれたこともたしかですから、レイヴンクローの点は引かないでおきます。」

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。だがハリーはそれを口にだすほどバカではない。

 

「もっと重要なことがあります。なぜ〈思いだし玉〉は突然ああなったんですか? ぼくは〈忘消〉(オブリヴィエイト)されたことがあるということですか?」

 

「それはわたしにとっても謎です。」とマクゴナガル先生はゆっくりと言った。 「それほど単純なことなら、法廷で〈思いだし玉〉がつかわれるでしょうが、実際にはつかわれません。 調べておきましょう。」 彼女はためいきをついた。 「以上です。」

 

ハリーは椅子から立ちあがりはじめ、途中でとまった。 「あの、すみません、ほかにおつたえしたいことがあるんですが——」

 

彼女はほとんどそれとわからない程度に、ひるんだ。「それはなんですか、ミスター・ポッター?」

 

「クィレル先生についてなんですが——」

 

「きっとそれはまったく些細(ささい)なことでしょうね。」とマクゴナガル先生は急いで発音した。 「〈防衛術〉教授に関する些細なことで苦情を言ってわたしたちを困らせないように、という総長の話はあなたもきいたはずですが?」

 

ハリーはかなり困惑した。「でもこれは重要()()()()()()んです。きのう、ぼくは急に破滅の感覚をおぼえて——」

 

「ミスター・ポッター! わたしも破滅の感覚がします! わたしの破滅の感覚はあなたに()()()()()()()()()()()()()()()()と言っています!」

 

ハリーは口をぽかんとあけた。マクゴナガル先生は成功した。ハリーは実際、ことばをうしなってしまった。

 

「ミスター・ポッター。 もしクィレル先生についてなにかおもしろいことを見つけたら、どうぞわたしやほかのだれかにそのことをつたえないでください。 さあ、わたしの貴重な時間を割けるのはここまでです——」

 

()()()()()()()()()」とハリーは突然言いだした。 「失礼ですが、それは()()()()()()()()無責任ですよ! ぼくが知るかぎり、〈防衛術〉の職にはなんらかの呪い(ジンクス)があって、あなたはなにかおかしなことが起きそうだと()()()()()。だったらかなり警戒心をもっているべきところでしょう——」

 

()()()()ことが、ですか? ()()()()()()()()()()()()()。」マクゴナガル先生の顔は無表情だった。 「ブレイク先生が三人ものスリザリン五年生といっしょにクローゼットのなかで見つかったのが去年の二月、サマーズ先生が教育者として完全に失格で生徒たちはボガートが家具の一種だと思っていたのがそのまえの年。いま、クィレル先生ほど飛びぬけて有能なかたについてなにか問題が報告されたりしたら、()()()です。そうなればほとんどの生徒は〈防衛術〉のO.W.L.s(オウルズ)N.E.W.T.s(ニューツ)に落第するでしょう。」

 

「なるほど。」とゆっくりと言いながら、ハリーはその意味を飲みこもうとした。「つまり言いかえれば、クィレル先生にどんな問題があろうとあなたは一学年が終わるまで必死で耳をとざす。いまは九月だから、クィレル先生がテレビで生放送されながら首相を暗殺しようがあなたはかまわない、ということですね。」

 

マクゴナガル先生はまばたきをせずハリーを凝視した。 「そのような主張を支持したおぼえはありません。 当校は生徒の学業にさしさわりのある()()()()()()()()()積極的に対処するようつとめます。」

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。 「あなたのことが非常によく理解できたと思います、マクゴナガル先生。」

 

「あら、それはうたがわしいですよ、ミスター・ポッター。かなりうたがわしい。」 マクゴナガル先生はまえのめりになり、表情をまた厳しくした。 「あなたとはすでに、これよりはるかに機密度のたかい話をしていますから、はっきり言っておきます。 あなただけが、その謎の破滅の感覚を報告しにきた。 あなただけが、わたしがみたこともないほど混沌をひきよせる磁石だった。 ダイアゴン小路でのあの買い物があってから、()()()〈組わけ帽子〉があって、()()のひと悶着があってから、わたしの運命はもう十分予見できます。わたしが総長室に座って、クィレル先生についての、あなただけが主役を演じるおかしな話をきかされて、そのあとには先生を解任する以外の選択肢がなくなることになるのです。そのことについてはもうあきらめがついています。もしその悲しいできごとが五月の十五日(イデス)よりはやく起きてしまうのなら、わたしはあなたをあなたの腸でホグウォーツの門にしばりつけて鼻からホタルをいれます。 ()()()わたしのことがよく理解できましたか?」

 

ハリーは目を皿のようにしてうなづいた。 そして、一秒後、「この学年の最後の日にそれを起こすことができたら、ぼくはなにをもらえますか?」

 

「この部屋から出ていきなさい!」

 

◆ ◆ ◆

 

木曜日。

 

ホグウォーツの木曜日にはなにかがあるにちがいない。

 

午後五時三十二分。総長室の入り口をまもる巨大なガーゴイルの石像をまえにして、ハリーはフリトウィック先生とならんで立っていた。

 

マクゴナガル先生の部屋からレイヴンクロー自習室にもどった途端、ハリーは生徒のうちのひとりからフリトウィック先生の部屋へいくように言われ、そこでダンブルドアが話にくるようにと言っている、ときかされたのだった。

 

ハリーはそのとき妙に懸念を感じ、それがなんの話なのか総長からきいているか、とフリトウィック先生にたずねた。

 

フリトウィック先生は無力そうなやりかたで肩をすくめた。

 

どうやら、力と狂気の呪文を発動するにはハリーはわかすぎる、とダンブルドアは言ったらしい。

 

『ハッピー、ハッピー、ブーン、ブーン、スウォンプ、スウォンプ、スウォンプのこと?』とハリーは思ったが、声にはださなかった。

 

「あまり心配しないことです、ミスター・ポッター。」とフリトウィック先生がハリーの肩あたりの位置から甲高い声で言った。 (ハリーはフリトウィック先生のひげが巨大にもりあがっていることに感謝した。自分より背がひくいだけでなく声がたかい先生、というものにはなかな慣れない。) 「ダンブルドア総長はすこし、というかかなり変に見えるかもしれませんが、総長はいちども生徒に危害をくわえたことはありません。これからも決してないでしょう。」 フリトウィック先生はハリーを元気づけるような笑みをみせた。 「いつもそのことさえ覚えていれば、きっとパニックにはなりませんよ!」

 

むしろ逆効果だ。

 

「いってらっしゃい!」とフリトウィック先生が甲高い声で言い、ガーゴイルのほうに寄ってなにかを言ったがハリーはなぜか完全に聞きのがした。 (もちろん、立ち聞きしてしまえるようなものなら、パスワードとしてはいまいちだ。) 石のガーゴイルが、なんの変哲もない自然な動作で歩いて道をあけた。ガーゴイルはそのあいだずっと、がっしりとした不動の石のままのように見えたので、その自然さはハリーにとって衝撃的なほどだった。

 

ガーゴイルのうしろにはゆっくりと回転する螺旋階段があった。 それは不穏なほどにどこか催眠的だった。さらに不穏なのは、()()()()()()にのっていてどこかに移動することなどできないはずだということ。

 

「のぼりなさい!」とフリトウィック先生。

 

ハリーはだいぶ神経質そうに螺旋階段に足をふみいれ、その瞬間、脳のなかで視覚化できないなんらかの理由で、自分が上にうごくのを感じた。

 

ガーゴイルは彼のうしろでどすんと音をたててもとの場所にもどり、螺旋階段はまわりつづけ、ハリーはのぼりつづけた。かなり目まいがするようなひとときのあと、ハリーはいつのまにかグリフィンの叩き金がついた、オーク材の扉のまえに立っていた。

 

ハリーは手をのばして取っ手をまわした。

 

扉はひらいた。

 

そこに見えたのはハリーが人生で見たなかで一番おもしろい部屋だった。

 

ちいさな金属の仕掛けがいくつも、ウィンウィン、カチカチと音をたてたり、かたちを変えたり、けむりをプッとふきだしたりしている。 何十もの奇妙な容器に何十種類もの謎の液体がはいっていて、どれもぶくぶく、ふつふつ、じゅるじゅるとしたり、色を変えたり、おもしろい形にもりあがったかと思うと半秒後に消えたりしている。 時計のようなものがいくつかあり、たくさんの針には数字が刻まれているか、読みとれない言語で書かれている。 レンズ状の水晶がのった腕輪があり、何千もの色をかがやかせている。金色の台座にとまった鳥や、血のようなものでみたされた木製の器や、黒いエナメルでおおわれたハヤブサの像がある。 壁はいくつもの眠っている人の肖像画がかかっている。〈組わけ帽子〉は二本の傘と左足用の三足の赤いスリッパといっしょに、なにげなく帽子かけにのっている。

 

この混沌のさなかに、よごれのない黒いオーク材の机があった。 机のまえにはオーク材の椅子がある。うしろにはクッションたっぷりの玉座があり、そのなかにアルバス・パーシヴァル・ウルフリック・ブライアン・ダンブルドアがいる。ながい銀色のひげと、つぶした巨大キノコのような帽子と、マグルの目には三重にかさねたピンク色のパジャマのようにみえるものをまとっている。

 

ダンブルドアは笑みをうかべ、目を狂気じみた明るさできらきらとかがやかせていた。

 

ハリーはややこわごわと机のまえの椅子に座った。扉はうしろでドスンと大きな音をたてて閉じた。

 

「こんにちは、ハリー。」とダンブルドア。

 

「こんにちは、総長(ヘッドマスター)。」  二人はファーストネームで呼びあう関係なのか? ダンブルドアはもしかしてつぎに、ハリーにどう呼んでほしいかを——

 

「たのむよハリー! 総長(ヘッドマスター)では堅苦しい。略して〈ヘ〉と呼んでほしい。」

 

「ではそうしますね、〈ヘ〉。」

 

みじかい沈黙があった。

 

「そうやって、本気にしてくれたのはきみがはじめてなんじゃが、知っていたかね?」

 

「あ……」 いやな予感をおぼえながらもハリーは声を制御しようとした。 「すみません、その、総長、ぼくはただ言われたとおりのことを——」

 

「〈ヘ〉でけっこう!」とダンブルドアは愉快そうに言った。 「なにも心配することはない。 ひとつ間違いをおかしたからといってきみを窓からほうりだしたりはせん。 なにかきみが間違ったことをしていたら、まずは十分警告する! それに、どういう話しかたをされるかは重要ではない。どう思われるかが重要なのじゃ。」

 

総長はいちども生徒に危害をくわえたことはありません。 そのことさえ覚えていれば、きっとパニックにはなりませんよ。

 

ダンブルドアはちいさな金属製の箱をひっぱりだし、それをひらいて、黄色のちいさな粒をいくつか見せた。 「レモン飴はいかが?」と総長。

 

「えっと、いえ、いりません、〈ヘ〉。」 生徒にLSD〔訳注:麻薬の一種〕を仕込むのは危害にあたるだろうか、それとも無害ないたずらに分類されるのだろうか。 「あの、ぼくは力と狂気の呪文を発動するには若すぎる、というようなことをおっしゃったとか?」

 

「若すぎるのはまず間違いない! 〈力と狂気の呪文〉はさいわい七百年前にうしなわれて、どんな呪文だったのか、もはやだれにもさっぱりわからなくなってしまった。あれは感想として言っただけじゃ。」

 

「あ……」とハリーは自分の口がぽかんとあいているのを認識しながら言った。 「ではなぜぼくをここに?」

 

()()? ああ、ハリー、()()なにかをするのか自問してばかりいたら、わしは仕事をいっさいかたづけられんよ! かなり多忙な身の上でのう。」

 

ハリーは笑顔でうなづいた。 「ええ、かなり立派な名前のかずかずですね。 ホグウォーツ総長、ウィゼンガモート主席魔法官、国際魔法族連盟最上級裁判長。 失礼ですが、〈逆転時計〉を二つ以上つかえば六時間以上ふやしたりすることができますか? 一日わずか三十時間ですべてをやりこなしているとしたらかなりのみごとさですから。」

 

また短い沈黙があり、ハリーはそのあいだ笑みを維持した。 すこし、というかかなりの不安を感じながらも、ダンブルドアがわざといたずらをしかけてきているのが分かった以上、無防備な肉塊のようにしてそれをおとなしく受けいれることを、ハリーのなかのなにかが()()()()()した。

 

「あいにくなことに、〈時間〉はひきのばされるのが苦手なようで、 人は〈時間〉よりすこし大きすぎるようじゃ。だから人生を〈時間〉におしこむのはいつも大変になる。」

 

「たしかに。」とハリーは深く厳粛に言う。 「だからさっさと本題にはいるべきなんですね。」

 

ハリーは一瞬、言いすぎたかと思った。

 

そこでダンブルドアはくすりと笑った。 「すぐに本題にさせてもらうとも。」 総長は身を前にのりだし、つぶれたキノコの帽子をかたむけ、ひげで机をなでた。 「ハリー、きみが月曜日にしたことは〈逆転時計〉があっても不可能、というより〈逆転時計〉()()()()不可能じゃった。 あのパイ二枚はどこからきたのかな?」

 

アドレナリンがハリーのからだをかけぬけた。 あれは〈不可視のマント〉でやったのだ。 クリスマスプレゼントの箱にいれられて届いたマントで。 そこに同封されていた手紙には、もしダンブルドアが〈死の秘宝〉のひとつを入手する機会をみつけたら、彼は死ぬまでそれを手ばなさないでしょうから、ともあった。

 

「自然に思いつくのは、 あそこにいた一年生のだれもそのような呪文をつかえなかった以上、見えないだれかがそこにいた、ということ。 だれからも見えない者が、パイを二枚なげつけるのはたやすい。 きみが〈逆転時計〉をもっている以上、見えない人物はきみだった、という推測もできる。 そして〈幻解〉(ディスイリュージョンメント)の呪文がまだつかえない以上、きみは不可視のマントをもっていた。」 ダンブルドアはいわくありげな笑みをうかべた。 「これまでのところはただしい方向にむかっているかな、ハリー?」

 

ハリーは凍りついた。 真っ赤な嘘をつくのはまったく賢明でないような気がするし、ちっとも役に立たないかもしれないが、ほかに言えることはなにも思いつかない。

 

ダンブルドアは親しげに手をふった。 「心配無用、きみはなにも間違ったことはしていない。 不可視のマントは規則違反ではない——めずらしいものだからおそらく、だれもリストに追加する暇がなかったのじゃろう。 気になっていたのはまったく別のことじゃ。」

 

「へえ?」とハリーはできる範囲で一番平静な声をして言った。

 

ダンブルドアの両目が熱意をおびてかがやいた。 「ハリー、いくつか冒険をやりとげると、こういうもののこつがつかめてくるものじゃ。 世界のパターンが見えはじめる。リズムが聞こえはじめる。 発覚の瞬間()()()()疑念がうかぶようになる。 きみは〈死ななかった男の子〉で、きみがブリテン魔法界にであってから四日しかたたないうちになぜか不可視のマントがきみの手にとびこんできた。 こういうマントはダイアゴン小路で売られてはいない。けれども、運命づけられた着用者にとびこんでくるかもしれないマントは()()ある。 どうしても気になってしまうのじゃが、きみは単なる不可視のマントを手にいれたのではなく、なにか奇妙な偶然によって、三種の〈死の秘宝〉のひとつで〈死〉の眼光から着用者を隠してくれるという、()()〈不可視のマント〉を手にいれたのではないだろうか。」 ダンブルドアの視線はまぶしく、熱かった。 「それを見せてもらえないかね、ハリー?」

 

ハリーは息をのんだ。 からだじゅうがアドレナリンでいっぱいだが、それはまったく役立たずだった。ここにいるのは世界最強の魔法使いで、ハリーは扉から脱出することができるはずもなく、できたとして隠れられる場所はホグウォーツのどこにもなく、はかりしれないほどの昔からポッター家に伝わるこの〈マント〉はもうすぐうしなわれてしまう——

 

ダンブルドアはゆっくりと背のたかい椅子にもたれなおした。 両目のかがやきは消え、困惑とすこしの悲嘆を見せた。 「ハリー。もし見せたくないなら、そう言えばいい。」

 

「いいんですか?」とハリーがかれた声で言った。

 

「いいとも。」 今度のダンブルドアの声は悲しそうな、心配している声だった。 「どうやらわしはこわがられているようじゃな。なにをしてきみの不信を買ってしまったのか教えてもらえないか?」

 

ハリーは息をのんだ。 「あなたがぼくのマントをとらないという、拘束力のある魔法的な誓約をしてもらう方法はありますか?」

 

ダンブルドアはゆっくりとくびをふった。 「〈不破の誓い〉はかるがるしくつかうものではない。 それに、もしもともとこの呪文を知らなかったなら、きみは拘束力のあるなしをわしの証言だけで信じるしかない。 そもそもわしが〈マント〉を見るのにきみの許可は()()()()ということには気づいているはずじゃ。 モークスキン・ポーチであれなんであれ、わしにはそれを取り出すちからがある。」 ダンブルドアは深刻な表情になった。 「だがわしはそうしない。 〈マント〉はきみのものじゃ。 わしはそれをとりあげたりはしない。 もしきみにそうする気がないのなら。しばらく見せてもらうだけであろうと。 そう約束し、誓う。 もし学校内でそれをつかうことを禁じる必要があれば、グリンゴッツの金庫にいってそれを保管してくれるように命じる。」

 

「あ……」と言ってハリーはごくりと息をのみ、アドレナリンの洪水をおちつかせ、合理的に考えようとした。 ハリーはモークスキン・ポーチをベルトからはずした。 「もしぼくの許可がほんとうに()()()()のなら……どうぞ。」 ハリーはポーチをダンブルドアにつきだし、くちびるを強く噛んで、あとで〈忘消〉(オブリヴィエイト)された場合にそなえた信号とした。

 

老魔法使いはポーチに手をのばし、取り寄せのことばをひとことも言わずに、〈不可視のマント〉を引きだした。

 

「ああ。」とダンブルドアが声を殺して言う。 「やはり……」 彼はそのゆらゆらとした黒いビロードの網を手にかけた。 「何百年たっても、つくられたばかりのときとおなじ完璧さ。 年月をへて技術はうしなわれ、このようなものはいま、わしにもつくれない。だれにも。 そのちからは、こころのなかにこだまするように感じられる。だれにもきかれないまま永遠にうたわれる歌のように……」 老魔法使いは〈マント〉から視線をあげた。 「これを売ってはならん。」 「所有権をだれにもあたえてはならん。だれかに見せるまえに、一度考えなおしなさい。〈死の秘宝〉であるとあかすまえにもう二度考えなおしなさい。敬意をもってあつかいなさい。これはまさに〈ちからあるもの〉じゃから。」

 

一瞬ダンブルドアが沈痛とした表情になり……

 

……〈マント〉をハリーに手わたした。

 

ハリーはそれをポーチにしまった。

 

ダンブルドアの表情がまたかげった。 「もう一度おしえてほしい。ハリー、きみはなぜわしを信じられなくなった?」

 

ハリーは急に恥ずかしくなった。

 

「〈マント〉にメモがついていたんです。」とハリーが小声で言う。 「あなたは〈マント〉のことを知ったら、ぼくからうばおうとする、とそこに書かれていました。 ただ、だれがそのメモを残したのかはわかりませんけれど。これはほんとうです。」

 

「ふむ……」とダンブルドアはゆっくりと言った。 「そのメモを残したのがだれであれ、その人物をせめるのは酷と思う。 ことによるとその人物も、善意でそうしたのかもしれん。 その〈マント〉をくれたのも、その人物なのじゃから。」

 

ハリーはうなづき、ダンブルドアの慈悲に感銘をうけ、それにくらべて対照的な自分の態度を恥ずかしく思った。

 

老魔法使いはつづけた。 「じゃがわしらふたりは同じ色の駒じゃ、と思う。 ついにヴォルデモートを倒した少年と、その勝利のときがくるまでヴォルデモートを押しとどめた老人。 きみの警戒心を非難することはせんよ、ハリー。だれもがみな賢明になろうとすべきなのじゃから。 つぎにだれかからわしを信じるなと言われたときは、一度考えなおし、また二度考えなおしてくれればそれでいい。」

 

「すみませんでした。」とハリー。 もう自分がなさけなく感じる。事実上ガンダルフに文句をつけたようなものだし、ダンブルドアのやさしさがよけいつらい。 「あなたを疑うべきではありませんでした。」

 

「悲しいかな、この世界では……」と老魔法使いはくびをふった。 「それが賢明でなかったとは言えん。 きみはわしのことをよく知らなかった。 それにホグウォーツには信頼をおくべきでない相手もたしかにいる。 もしかすると、きみが友だちと考えていた相手さえも。」

 

ハリーは息をのんだ。 ずいぶん不吉な言いかただ。 「たとえばだれが?」

 

ダンブルドアは椅子から立ちあがり、装置のうちのひとつをチェックしはじめた。八本のことなる長さの針がついたダイアルだ。

 

しばらくすると、老魔法使いは口をひらいた。 「たぶん彼は魅力的にみえているのじゃろう。 礼儀ただしい——すくなくともきみには。 話しぶりもしっかりしている。もしかするときみを賞賛してさえいる。 いつもきみを助け、きみの願いをきき、助言をあたえてくれる——」

 

「ああ、()()()()()()()()()ですか!」とハリーは言った。ハーマイオニーとかでなくてよかったと思いながら。 「あれは全然ちがいます。まったくの誤解です。彼がぼくを引きこんでるんじゃない、ぼくが彼を引きこんでいるんですよ。」

 

ダイアルをのぞきこんでいたダンブルドアが凍りついた。「彼をどうしていると言った?」

 

「ぼくはドラコ・マルフォイを〈闇の陣営(ダークサイド)〉から引きはなそうとしているんです。 つまり、善人にするっていうことです。」

 

ダンブルドアは姿勢をなおし、ハリーのほうをむいた。 ハリーはこれほど唖然とした表情を、とくに長い銀色のひげをした人物からは、みたことがなかった。 「確実に……」と老魔法使いは間をあけてから言う。「彼を改心させられると? きみが彼のどこに善をみいだしているにせよ、あまくみてしまっているだけではないか——へたをすれば、むこうの手玉にとられてしまっているということも——」

 

「えっと、まず大丈夫です。 もし善人のふりをしようとしているのだったとしたら、彼はとんでもなく演技がへたです。 ドラコがぼくのほうにきて、魅力をふりまいて、それでぼくが彼のこころの奥底には善があると判断したわけじゃありません。 彼がマルフォイ家の跡とりだからこそ、改心させる相手にふさわしいと思ったんですよ。だれかひとりをえらんで改心させるなら、彼をえらぶべきなのは明白です。」

 

ダンブルドアの左目がぴくりとした。 「マルフォイ家の跡とりはきみにとって価値がある、だからドラコ・マルフォイのこころに愛と親切心のたねをまこうというのか?」

 

()()()とってだけじゃありません!」とハリーは憤慨して言った。 「これがうまくいけば、ブリテン魔法界のすべてにとってですよ! ()()()彼自身ももっとしあわせで精神的に健康な人生をおくることができる! ()()()闇の陣営(ダークサイド)〉から引きはなすのには時間がたりません。だから〈光〉のがわに一番おおきな利益となるところから、最速で——」

 

ダンブルドアは笑いはじめた。 ハリーの予想よりずっと激しく、腹をかかえるいきおいの笑いだ。 それはどうも()()()()()()ように見えた。 強い老魔法使いは、低い声をとどろかせて笑うものであって、息がつげないほど激しく笑うものではない。 ハリーは以前マルクス兄弟の『我輩はカモである』という映画をみていて椅子から文字どおりころげおちたが、ダンブルドアのこの笑いの激しさはそれくらいだ。

 

()()()()笑わなくてもいいでしょう。」とハリーはしばらくしてから言った。 ダンブルドアがどこまで正気なのか、また心配になってきた。

 

ダンブルドアは目にみえて努力しながら自制をとりもどした。 「ああ、ハリー、知恵という名の病気の症状のひとつは、だれも笑わないものごとをおもしろく感じるようになることじゃ。つまり、かしこくなると、冗談の意味がわかるようになる!」 老魔法使いはなみだを目からぬぐった。 「これはこれは。まさに、悪意はしばしば悪を(そこの)う、とはよく言ったものじゃ。」

 

ハリーの脳はすこし時間をかけて、そのことばをどこで聞いたのだったか、思いだそうとした…… 「それって、()()()()()からの引用じゃないですか! ()()()()()のせりふだ!」

 

「いや、セオデンじゃが。」

 

「先生は()()()()()()だったんですか?」と衝撃をうけてハリーは言った。

 

「いや、ちがう。」と言って、ダンブルドアはまた笑みをうかべた。 「わしはあの本が出版される七十年まえに生まれたのじゃよ。 ただ、マグル生まれの生徒たちはある意味でみな、おなじように考えるものらしい。 『指輪物語』が二十組以上、トールキン全集が三組以上、ここにあつまった。どれもたいせつな宝ものじゃ。」 ダンブルドアは杖をとりだし、あるポーズをした。 「『ここは断じて通さぬ!』 ……さまになっているかな?」

 

「あ。」とハリーは脳の完全停止にちかい状態で言う。「バルログがたりませんね。」 それにピンク色のパジャマとつぶれたキノコの帽子がまったく余計だ。

 

「ふむ。」とダンブルドアはためいきをつき、不満げに杖をベルトにおさめた。 「最近わしはバルログにはなかなか会えなくなってしまった。 ちかごろはウィゼンガモートの会議で必死にあらゆる作業の進捗を妨害したり、公式晩餐会で外国の政治家たちが一番意固地な愚か者になろうと競いあうのをみるばかり。 ほかには、謎めいた雰囲気をだしたり、知るはずのないことを知っていたり、あとにならないと意味がわからない暗号めいた発言をしたり。あとは、強い魔法使いが、自分を英雄(ヒーロー)にしてくれたパターンからはずれたあとで、なぐさみにやるような、もろもろの小さなことばかり。 そう言えば、ハリー、きみにわたしたいものがある。きみのお父さんの持ちものがあるのじゃ。」

 

「わたしたいものが? そんな、思いもよりませんでしたよ。」

 

「あるのじゃ。 こういうのはすこしありきたりすぎたかな?」 ダンブルドアは厳粛な表情になった。 「ともかく……」

 

ダンブルドアは机にもどり、座り、そのながれで引き出しのひとつをあけた。 両手をそこにいれ、わずかにちからをこめながら、ずいぶんおおきな、重そうなものを引き出しからとりだし、オーク材の机のうえにどすんと音をたてておいた。

 

「これが、きみのお父さんの岩じゃ。」

 

ハリーはそれをみつめた。 白っぽい灰色で、退色していて、かたちは不規則で、縁はするどい、なんの変哲もない岩のようだった。 ダンブルドアは一番ひろい断面が下になるようにしてそれを置いたが、それでも岩は机のうえで不安定にぐらついている。

 

ハリーは視線をあげた。 「これはジョークですよね?」

 

ダンブルドアはくびをふり、「ジョークではない。」ととても真剣な表情で言った。 「わしはこれを〈ゴドリックの谷〉にある、ジェイムズとリリーの家の残骸から持ちだしてきた。きみをみつけたのもそこじゃ。 以来、きみにわたせる日を待ちながら、いままでそれを保管してきた。」

 

ハリーの世界モデルとして機能する仮説群の混合のなかで、ダンブルドアが狂人である可能性が急速に上昇した。 それでもまだ、そのほかの仮説にわりあてられた可能性()それなりにのこっている…… 「あの、これは()()()岩ですか?」

 

「わしが知るかぎり、ちがう。 だが、きみは万難を排していついかなるときもそれをからだから離さずにおくべきである、と助言させてもらう。」

 

なるほど。ダンブルドアは()()()()狂っているが、()()()()()()()()()……、謎めいた老魔法使いの助言を無視したばかりに災難にあうというのはあまりに()()()()()()()。 これはきっと〈わかりやすい失敗の類型百選〉のうえから四番目くらいにある。

 

ハリーは前にでて、両手を岩にのせ、切り傷をつくらずにもちあげられそうな角度をさがした。 「じゃあポーチにいれておきますね。」

 

ダンブルドアは眉をひそめた。 「それでは、からだから遠すぎるのではないかな。それに、モークスキン・ポーチをなくしたり、盗まれたりする危険もあろう?」

 

「どこにいくにもこの岩一個を持ち歩けと?」

 

ダンブルドアは真剣な表情をハリーにみせた。 「おそらくそれが賢明じゃろう。」

 

「ああ……」 ずいぶん重たそうだ。 「そういうふうにしていると、ほかの生徒からなにかきかれそうな気がします。」

 

「わしからの命令だと言えばよい。 だれも疑いはしない。みなわしが狂っていると思っているから。」  ダンブルドアの表情は完全に真剣なままだった。

 

「その、もし生徒に岩を持ち歩けと言ってまわってるのなら、率直に言って、そう思われてしまうのもわかる気がします。」

 

「ああ、ハリー。」 老魔法使いは片手で、部屋のなかの謎の装置をすべてすくいとるようなしぐさをした。 「ひとは若いときにはすべてを知っているように思うものじゃ。自分で説明がつけられないなら、説明は存在しないと思うものじゃ。 ひとは老いれば、宇宙全体がリズムと理由にもとづいてうごいているということに気づく。どういう説明であるかをわれわれが知らないとしても。 無知こそ、あたかも狂気のようにみえるものの正体なのじゃ。」

 

「現実のできごとにはつねに法則がある。」とハリー。「どういう法則であるかをわれわれが知らないとしても。」

 

「まさしく。これを理解するのが——そしてきみは理解してくれているようじゃが——知恵の本質といえよう。」

 

「それで……けっきょくぼくがこの岩を持ちあるかなければいけない()()はなんなんですか?」

 

「実は思いあたる理由はない。」

 

「……ないんですね。」

 

ダンブルドアはうなづいた。 「しかしわしに思いあたる理由がないからといって、理由が()()()()()わけではない。」

 

いろいろな装置がカチカチと音をたてた。

 

「あのですね。いま言うべきかどうかもよくわからないんですが……。宇宙がどう機能するのか、ぼくたちは知らないということを認めるとしましょう。そういう自分たちの無知に対処するやりかたとして、あなたの態度はまちがっています。」

 

「ほう?」と言って老魔法使いはおどろきと落胆の表情をした。

 

このさきの話をつづけても自分の有利にはたらかなさそうな気がしてはいたものの、ハリーはつづけた。 「この錯誤に正式な名前があるかどうかも知らないんですが、ぼくが名づけるとしたら、『仮説の特権化』とでもいうべきものです。 どういう形式にすればいいかな……うーん……たとえば、百万個の箱があって、そのうちひとつだけにダイアモンドがはいっていると思ってください。そして別の箱にダイアモンド検出器がたくさんはいっていて、どの検出器も、ダイアモンドがあれば鳴り、ダイアモンドがないときは五割の確率で鳴ります。 二十個の検出器を全部の箱にかければ、平均的にいって、偽の候補がひとつと真の候補がひとつのこります。 そこであとひとつかふたつだけ検出器をつかえば、真の候補のほうをのこせます。 なにが言いたいかというと、こたえの候補が非常にたくさんあるとき、()()()()()証拠は、百万個の可能性のなかからただひとつの真の仮説の()()()()()()()()ために——自分の注意をむける相手としてのこすために——つかわなければいけないということです。 それとくらべて、もっともらしい候補ふたつやみっつのなかからひとつを選ぶのに必要な証拠の量は、ずっとすくない。 だから、もしそれを省略して、証拠なしに特定の可能性にだけ注意を集中させてしまったら、ほとんどの仕事をすっとばしていることになります。 まるで、百万人の住人がいる都市で殺人が起きたとき、探偵が『まだ証拠はまったくないけれど、モータイマー・スノドグラスが犯人だという可能性を検討しないか?』と言うようなものです。」

 

「実際犯人だったと?」とダンブルドア。

 

「いえ。 でもあとで犯人の髪は黒いということがわかり、モータイマーの髪は黒でした。それでみんな、ああ、やっぱりモータイマーがやったんだな、と思いました。 うたがう十分な理由なしに警察が彼を()()()()()()()()()()()のは不公平です。 たくさんの可能性があるときは、労力のほとんどは真のこたえの()()()()()()()()ことだけ——注意をむけはじめることだけにそそがれます。 ()()とか科学者や裁判所が要求する正式な証拠とかは必要ありませんが、なんらかの()()()()は必要です。その手がかりは、特定の可能性をほかの百万の可能性からきわだたせるものでなければならない。 そうせずに、ただしいこたえをどこからともなくとりだす、なんてことはできない。 検討にあたいする候補をどこからともなくとりだす、なんてこともできない。 ぼくのお父さんの岩を持ちあるく以外にできるほかのことは百万個はあるはずです。 ぼくが宇宙について無知だからといって、不確実性があるときに推論をするやりかたをぼくが知らない、ということにはならない。 可能性について考えるときの法則は、古典的な論理を支配する法則とおなじくらい強固です。そしてあなたがいまやったことは()()()()()。」 ハリーはことばを切った。 「()()()、もちろん、あなたが言いそびれた()()()()があるのなら別ですが。」

 

「ああ……」 ダンブルドアはほおをたたいて、思案するような顔をしている。 「なるほど、おもしろい論理じゃが、百万人の犯人候補のうち一人だけが殺人をおかしたというのを、たくさんの行動の選択肢のうちひとつをとることの比喩にしたところで破綻してしまってはいないかな? 賢明な行動の選択肢はひとつとはかぎらないのでは? お父さんの岩を持ちあるくことが唯一のよい行動だとは言わん。ただ、持ちあるかないよりも、持ちあるいたほうが賢明というだけじゃ。」

 

ダンブルドアはまたさっきとおなじ引きだしに手をのばしたが、こんどはなかをかきまわしているようだった——すくなくとも腕がうごいてみえた。 まったく予想外の反論にどう返答しようかとハリーがあたまを整理しているうちに、ダンブルドアがこう言った。「一点、レイヴンクロー生についてよくある誤解として、あたまのよい子はすべてレイヴンクローに〈組わけ〉され、ほかの寮にはひとりもいかない、というものがある。そうではない。レイヴンクローに〈組わけ〉された者は知識への欲望にうごかされているとは言えるが、これは知性とおなじ特質とは言いがたい。」 老魔法使いは引きだしに腰をかがめながら、笑みをうかべていた。 「とはいえ、きみはたしかに知性があるタイプのようじゃ。ふつうの若い英雄(ヒーロー)というより若い謎の老魔法使いといったところか。 わしはきみへの態度を間違えていたのかもしれんな。 きみは余人の理解できないことを理解できるのかもしれん。 ここはひとつ、また別の遺品をわたしてあげようではないか。」

 

「というのは……」とハリーは息をのんだ。「ぼくのお父さんの……()()()()()()()だったりしませんよね?」

 

「いやいや。わしのほうがきみよりは老人で、謎めいている以上、秘密をあかすのは()()の役割だという点はよろしく……ああ、あれはいったいどこに!」 ダンブルドアは引きだしのさらに奥へ、奥へと手をのばした。 あたまと肩とさらに胴体がそのなかへ消え、腰と足だけがつきでる格好になり、引きだしが彼を食べてしまったかのようだった。

 

あのなかにどれくらいのものがはいっているのか、内容物の全容はどうなっているのか、ハリーは気になってしかたがなかった。

 

ダンブルドアがようやく引きだしから、探しもとめていたものを手にして出てきた。そしてそれを机のうえの岩のとなりにおいた。

 

それは中古で、ふちがぼろぼろの、背表紙がすりきれた教科書。リバティウス・ボラージの『中級薬学実践』だった。表紙にはけむりをたてる小ビンの絵がある。

 

「これはのう……」とダンブルドアは抑揚をつけて言う。「きみのお母さんの五年次〈薬学〉教科書じゃ。」

 

「そしてそれをいつも持ちあるけと。」とハリー。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。この秘密があきらかになったときにおこるかもしれない災厄のおおきさを考えて、ここできみに誓ってもらわなければならないことがある。真剣に誓ってもらいたい、ハリー。きみがこれをどう思おうが——このことをだれにも、なににも言ってはならん。」

 

ハリーはお母さんの五年次〈薬学〉教科書と、そのなかにあるらしいとんでもない秘密のことを想像した。

 

問題は、ハリーはこういう誓いを非常に真剣にあつかうということだ。 どんな誓いも、誓う人によっては〈不破の誓い〉となる。

 

それに……

 

「のどがかわきました。のどがかわくのはあまりいい兆候ではありません。」

 

ダンブルドアはこの暗号めいたハリーの発言について質問しようとしなかった。 「誓ってくれるかね?」 ダンブルドアの目はハリーの目を熱心にみつめていた。 「でなければ、話すことはできん。」

 

「はい。誓います。」 これがレイヴンクロー生の宿痾だ。 レイヴンクロー生でありながらこんな申し出をことわれば、好奇心に生きたまま食い殺される。そこに付けこまれるのだが。

 

「わしも、これから言うことが真実であると誓う。」

 

ダンブルドアはその本を一見無作為にひらき、ハリーは見るために身をのりだした。

 

「ここの……」と言って、ダンブルドアはほとんどささやき声にまで声量をおとした。「余白の部分に書きこみがあるのが見えるかね?」

 

ハリーはすこし目をほそめた。 黄色がかったそのあたりのページには『ハヤブサの魅力の魔法薬(ポーション)』というものの解説があるようだった。まったく見おぼえのない、英語に由来していなさそうな名前の材料も多かった。 余白に走り書きされた註釈には、『ブルーベリーのかわりにセストラルの血をつかったらどうなる?』とあり、そのすぐ下に別の手書き文字で、『数週間病になり、死にいたることも』と返事があった。

 

「見えます。これがなにか?」

 

ダンブルドアは二番目の走り書きを指さした。 「この文字は……」と小さな声のまま言う。「きみのお母さんが書いたものじゃ。そして()()文字は。」と言いながら、ひとつ目の走り書きに指をうごかす。「わしが書いた。すがたを消して、リリーが寝ているあいだに共同寝室(ドミトリー)にしのびこんでな。リリーは友だちのだれかに書かれたと思って、それはすごい大げんかをしていたものじゃ。」

 

まさにこの瞬間、ホグウォーツ総長はたしかに狂っているとハリーは実感した。

 

ダンブルドアはハリーのほうを真剣な表情でみている。 「いまわしが言ったことの意味が理解できるかね、ハリー?」

 

「えー……」 いつのまにか声をつまらせてしまったようだった。 「すみません……よく……わかりません……」

 

「ああ、ふむ……」と言ってダンブルドアがためいきをついた。 「きみのかしこさにも限界があるのじゃな。この話はなかったことにしようか?」

 

ハリーは椅子から立ちあがり、かたい笑顔をした。 「よろこんで。 だいぶ夜もおそくなってきましたし、おなかがすきました。はやく夕食にいかないと。」と言ってハリーは一直線に扉にむかった。

 

ドアノブはまったくまわろうとしない。

 

「傷つけられたよ、ハリー。」とダンブルドアの静かな声が、ハリーの真うしろからした。 「こうして話してあげているのが、すくなくとも信頼のあかしだということに気づいてはくれなかったか?」

 

ハリーはゆっくりとふりむいた。

 

ハリーの目のまえにいるのは、銀色のひげとつぶれた巨大キノコのような帽子をつけ、マグルの目には三重にかさねたピンク色のパジャマのように見えるものを着た、とても強い、とても狂った魔法使いだ。

 

ハリーのうしろの扉はいまこの瞬間、機能していないらしい。

 

ダンブルドアはだいぶ悲しそうで疲れた表情をし、そこにない長杖に寄りかかりたそうに見えた。 「まさか。この百十年一度もかわらなかったパターンをたどるかわりに、新しいことをしようとしたりすれば、ひとはみな逃げていってしまうぞ。」 老魔法使いは悲哀の表情でくびをふった。 「きみにはもっと期待していたよ、ハリー。きみの友人はきみのことを狂っていると思っていた。それは間違いだとわしにはわかる。おなじようにわしのことを信じてはくれないか?」

 

「扉をあけてください。」とハリーは震える声で言った。 「もしぼくの信頼をとりもどしたいのなら、扉をあけてください。」

 

ハリーのうしろで扉がひらく音がした。

 

「話すつもりだったことはまだあるのじゃ。もしいま退室すれば、きみはいつまでもそれを知ることができない。」

 

ときどき自分がレイヴンクローであることが心底()()()()()

 

彼は生徒に危害をくわえたことがない——とハリーのグリフィンドール面が言った。そのことさえ覚えていれば、きっとパニックにはならない。こうやっておもろしくなってきたのに、逃げだしたりしないだろうな?

 

総長との関係をたつことはできないぞ!——とハッフルパフ面が言った。 寮点を減点されだしたらどうする? もし嫌われたら、きみの学校生活をとてもむずかしくされかねない!

 

そして自分としてはあまり好きではないが沈黙させることもできない部分のハリーが、こう考えはじめた。この狂った老魔法使いの数すくない友人のひとりになることによって、その狂った老魔法使いがたまたま総長であり主席魔法官であり上級裁判長である場合に、どんな有利なことが生じうるだろうか。 そして残念ながら、このこころのなかのスリザリンは、ひとを〈暗黒面(ダークサイド)〉につれこむのがドラコよりもずっと得意なようだった。そいつは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、とか、これほどの実力者に、したごころあるほかのだれかを信頼してもらっては困るだろう?——とか、ダンブルドアはどんなすばらしい秘密を教えてくれるんだろうな、もし、ほら、友だちになってあげたらさ——とか、さらには、彼の蔵書はそれはそれはみごとだろうと思うよ——とさえ言ってきた。

 

この狂人どもめ——とハリーはその集会全体にむけて思考したが、自分の全構成員による全会一致の多数票で否決された。

 

ハリーはふりむき、ひらかれた扉にむけて一歩すすみ、手をのばし、慎重にそれをとじた。 いずれにしろとどまるのなら、ダンブルドアがハリーのうごきを支配できる以上、これは費用のかからない犠牲であり、ダンブルドアに好印象をあたえるかもしれない。

 

ふりむくと、またおなじ、強い狂った魔法使いの顔があった。また笑顔になっていて、親しげにみえる。いいことだ。たぶん。

 

「もうおなじことはしないでください。ぼくは閉じこめられるのが嫌いです。」

 

「そのことについては申し訳ない。」とダンブルドアは真摯な謝罪のように聞こえる声で言った。 「お父さんの岩を持たせずにここから出してしまうのは、あまり賢明でなかったのでのう。」

 

「そうですよね。 冒険(クエスト)用アイテムを道具ぶくろにいれないままで扉がひらくと思うほうが非常識でした。」

 

ダンブルドアは笑みをうかべ、うなづいた。

 

ハリーは机のまえにくると、モークスキン・ポーチをひっぱってベルトのまえにだし、多少努力して十一歳の両腕でその岩をもちあげ、ポーチに食わせた。

 

〈口さけ口〉の魔法(チャーム)が岩を食べだすと、その重さがすこしずつ消えていくのがたしかにわかった。そのあとのげっぷの音はかなりおおきく、はっきりとした非難のひびきがあった。

 

(たしかにとんでもない秘密いりの)お母さんの五年次〈薬学〉教科書もすぐあとにつづいた。

 

ハリーのこころのなかのスリザリンはそこで総長にこびを売るべきだという狡猾な提案をし、そのことばたくみな説得に、残念ながら多数派閥レイヴンクローも引きこまれてしまった。

 

「ところで、あの、せっかくですから、お部屋の案内をしてもらうわけにはいかないでしょうか? ここにあるいろいろなものが何なのかちょっと興味があります。」 この『ちょっと』は、この九月最高の過小評価である。

 

ダンブルドアはハリーをじっとみつめ、ちらりと笑いをみせてうなづいた。 「興味をもってもらえて光栄じゃ。けれどもたいして言うべきことはない。」 ダンブルドアは壁に一歩ちかづき、眠る男の肖像画を指さした。 「これはホグウォーツ元総長の肖像画。」 向きをかえて机を指さす。 「これは机。」 椅子を指さす。 「これは椅子。」

 

「すみません。実はききたかったのはこっちにならんでいるものなんですが。」 ハリーが指さしたさきにある小さな立方体は、小さな声で「ブロプロ……ブロプロ……ブロプロ……」と言っている。

 

「ああ、この機械(からくり)たちのことか? これは総長室に付属してきたもので、ほとんどどれも、なんのためのものなのかさっぱりわからん。 ()()八本の針がついたダイアルは、フランス国内にいる魔女のうち左ききの者がくしゃみのようなことをした回数をかぞえておる。これをつくりあげるには信じられないほどの工夫を要したはずじゃ。 金色のぐらぐらする()()はわしの発明品で、ミネルヴァにはこれがなにをしているのかいつまでもわからないはずじゃ。」

 

ハリーがその意味を飲みこもうとしているあいだに、ダンブルドアは帽子かけのところへ歩みよった。 「こちらにあるのはもちろん〈組わけ帽子〉。きみとは初対面ではないと思う。〈組わけ帽子〉は、今後いかなる場合でも自分はきみのあたまの上におかれるべきではない、と言っておった。歴史上こう言われた生徒はこれで十四人目になる。バーバ・ヤーガはその一人で、もう何年かしたらのこりの十二人のことも教えてあげよう。これは傘。これも傘。」 ダンブルドアは数歩すすんでふりむき、満面にちかい笑みをみせた。 「そしてもちろん、ここにくるほとんどの人があいたがるのはフォークス。」

 

ダンブルドアは金色の台座にのった鳥のとなりに立っていた。

 

ハリーはだいぶ困惑しながらそこに近寄った。「これがフォークスですか?」

 

「フォークスは不死鳥(フェニックス)じゃ。 とてもめずらしい、とてもちからのある魔法生物じゃ。」

 

「ああ……」 ハリーはあたまをひくくして、その小さな、ビーズのような黒い目をみた。そこにはちからや知性が微塵もあらわれていない。

 

「あああ……」とハリーはまた言った。

 

この鳥のかたちには見おぼえがある気がする。見のがすほうがむずかしい。

 

「あの……」

 

なにか気のきいたことを言うんだ!—— とハリーのこころが自分にむけてわめいた。 ()()()()()()()()()()()()()

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()() とハリーのこころが反撃した。

 

なんでもいい!

 

それって、「フォークスはニワトリですね。」以外のなんでもということ——

 

そう! それ以外ならなんでもいい!

 

「それで、あの、不死鳥はどんな魔法がつかえるんですか?」

 

「不死鳥のなみだには癒しの力がある。 炎の生物で、こちらで消えればあちらで燃えあがる炎とおなじように簡単に、さまざまな場所を移動できる。 生まれながらの魔法力の負担によりそのからだは急速に老化するが、不死鳥はこの世界のどの生物よりも不死にちかい。からだが朽ちるとき、不死鳥は炎を燃えあがらせて自分を焼き殺し、そのあとに雛、ときによっては卵をのこす。」 ダンブルドアはそのニワトリにちかづき、検分し、眉をひそめた。 「ふむ……すこしやつれているようじゃな。」

 

この発言の意味がハリーのあたまのなかで解釈されたときにはすでに、ニワトリは炎につつまれていた。

 

ニワトリのくちばしがひらいたが、カーと言う間もなくそのからだはしぼみ、焦げだした。 炎は一瞬で激しく燃え、完全にその内部で完結していた。燃えるにおいすらしない。

 

その炎ははじまってからわずか数秒でおさまり、小さな、あわれな灰の山を金色の台座にのこした。

 

「こわがることはないぞ、ハリー! フォークスは無事じゃ。」 ダンブルドアの片手がポケットにつっこまれ、そしてそのおなじ手が灰のなかをまさぐり、小さな黄色の卵をとりだした。 「ほら、卵がここに!」

 

「うわあ……すごい……」

 

「じゃがそろそろ話をさきにすすめよう。」 ダンブルドアは卵をニワトリの灰のなかにもどし、玉座にもどって座った。 「なにせまもなく夕食になるし、〈逆転時計〉をつかうはめにはなりたくない。」

 

〈ハリー政府〉内では激しい権力闘争がおきていた。 ホグウォーツ総長がニワトリを燃やすのを見て、スリザリンとハッフルパフが陣営を乗りかえたのだ。

 

「話ですね。」とハリーのくちがかってに言う。 「そのあとで夕食。」

 

またまぬけっぽいことを言ってるぞ——とハリーの〈内なる批評家〉が意見した。

 

「さて。 実は告白しなければならないことがある。告白と謝罪がある。」

 

「謝罪はいいですね。」 ()()()()()()()()()()() ()()()()()()()()()()()()()()()

 

老魔法使いは深くためいきをついた。 「わしが言うことを聞いたあとではそう思ってはくれないだろう。 申し訳ないが、わしはきみの人生をずっと操作してきた。 あのいじわるな養父母にきみをあずけることに同意したのも——」

 

「養父母はいじわるじゃありません!」とハリーは思わず言った。「というより()()ですが!」

 

「いじわるでない?」と言って、ダンブルドアがおどろきと落胆の表情をした。 「すこしも? それではパターンに合わん……」

 

ハリーのなかのスリザリンが全力で精神的な悲鳴をあげて、だまれ、両親にあわせてもらえなくなるぞ!と言った。

 

「いえ、そうではなく、」 ハリーが顔をゆがめてあおざめさせ、くちびるを凍りつかせる。「いまのは先生の負担をかるくしようとして言っただけで、実はかなりいじわるなひとたちで……」

 

「ほう?」とダンブルドアは身をのりだして、ハリーをじっとみつめた。 「なにをされた?」

 

()()()()()()()() 「えー、皿洗いをさせられたりとか、本をあまり読ませてもらえなかったりとか——」

 

「ああ、うむ、それはなによりじゃ。」と言ってダンブルドアは背もたれにもどった。 彼はどこか悲しげな笑みをうかべた。 「ではそのことについて謝罪したい。 つぎはなんだったかな? ああ、そうじゃ。 申し訳ないが、きみの身におこった不運のうち、事実上すべてがわしの責任じゃ。 そう聞いてきみがとても怒るとしても無理はない。」

 

「はい、とても怒っています! グルルルル!」

 

ハリーの〈内なる批評家〉はこれに即座に演劇史上最低演技賞を授与した。

 

「もうひとつ言っておきたい。きみかわしのどちらかになにかがあったときにそなえて、できるだけはやくこれを言っておきたかった。ほんとうに、ほんとうに申し訳ない。 これまでにおきたことすべて、これからおきることすべてについて。」

 

老魔法使いの目がしめり、きらめいた。

 

「そうですね。ぼくはとても怒っています! なのでほかに話がないのなら、すぐにここから出ていかせてもらいます!」

 

燃やされたくなかったら、はやく出ろ!——とスリザリンとハッフルパフとグリフィンドールがさけんだ。

 

「無理もない。 もうひとつだけいいかな。 三階の通廊にある禁じられた扉をあけようと()()()()()()。 そこにある罠をすべてきみがくぐりぬけられるのぞみはない。ためしたばかりにきみに危害がおよんだという報告をうけたくはない。 そもそも、最初の扉をあけることすらできないのではないかと思う。そこには鍵がかかっていてきみは『アロホモーラ』の呪文も知らないのじゃから——」

 

ハリーはくるりとからだを回転させ出口に全速力でむかった。手をのせるとドアノブはこころよくまわってくれた。足をもつれさせかけながら、螺旋階段がまわるのもかまわず走りぬけ、一瞬で一番したにまで着き、ガーゴイルがよけると、ハリーは階段から砲弾のようにとびだした。

 

◆ ◆ ◆

 

ハリー・ポッター。

 

ハリー・ポッターにはなにかがある。

 

たしかに今日はだれにとっても木曜日だが、こういう種類のことはだれにでもおきるものではない。

 

ハリー・ポッターが階段から砲弾のようにとびでて、全速力で加速しながら、ミネルヴァ・マクゴナガルにぶつかったのは午後六時二十一分だった。彼女は総長室にむかって角をまがったところだった。

 

さいわいどちらもけがはなかった。 この日、すこしまえに——自分はホウキに二度とちかづかないとハリーが宣言していたころに——ハリーが説明されていたとおり、クィディッチに鉄の〈ブラッジャー〉が必要なのは選手がけがをする多少の可能性をつくるためだった。魔法族は一般にマグルとくらべて衝突にずっと強いからだ。

 

ハリーとマクゴナガル先生は床にたおれはした。彼女がもっていた羊皮紙は廊下にまきちらかされた。

 

恐ろしい、それは恐ろしい沈黙があった。

 

「ハリー・ポッター。」とマクゴナガル先生はハリーのすぐとなりの、床にたおれたその場所から、声を殺して言った。 その声がほとんど金切り声にまであがった。 「あなたは総長室でなにをしていたのですか?」

 

「なんでもありません!」とハリーがさけんだ。

 

「〈防衛術〉教授の話をしたのですか?」

 

「いいえ! ダンブルドアに呼びだされて、大きな岩をもらって、それはぼくのお父さんのもので、どこにいくにも持ちあるきなさいと言われただけです!」

 

また恐ろしい沈黙があった。

 

「なるほど。」とマクゴナガル先生が、すこし落ちついた声で言った。 彼女は立ちあがり、髪をととのえ、散らばった羊皮紙をにらんだ。羊皮紙はとびあがってきれいに積みあがり、小走りして、そのにらみから隠れるように廊下の壁のしたにおさまった。 「同情します、ミスター・ポッター。そして、うたがってすみませんでした。」

 

「マクゴナガル先生。」 ハリーの声は震えている。 ハリーは自分を床から立たせ、彼女の頼れる、()()()顔をみあげた。 「マクゴナガル先生……」

 

「なんですか?」

 

「ぼくはお父さんの岩をいつも持ちあるいたほうがいいと思いますか?」とハリーは小さな声で言った。

 

マクゴナガル先生はためいきをついた。 「それはあなたと総長にしか決められません。」 彼女はためらった。 「ただ、総長の言うことを真っ向から無視するのはほとんどの場合賢明ではありません。 むずかしい判断をせまられていることは気の毒に思いますし、あなたがどうするかを決めたなら、わたしもできるだけのことはしてあげたいと思います——」

 

「あの。」とハリー。 「実は、やりかたさえわかれば、この岩を指輪に〈転成〉して指につけることができるんじゃないかと思っていたんですが。〈転成〉を維持する方法さえ教えてもらえれば——」

 

「わたしにまず質問したのはいいことです。」と言って、マクゴナガル先生がすこし厳格な表情になった。 「その〈転成〉の制御をうしなえば、反転によって指はもげ、おそらく手がふたつに割けます。 あなたの年齢では、指輪程度のおおきさでも無期限で維持するには目標物としておおきすぎ、魔法力が大幅に流出しつづけます。 ですが、あなたの皮膚に接する位置に小さな宝石をはめられるような指輪を鋳造してあげることはできます。あなたは安全な対象物、たとえばマシュマロなどをつかって維持の訓練ができるでしょう。 まる一カ月、眠っているあいだも維持することに成功したら、あなたにその、お父さんの岩ですか、を〈転成〉することを許します……」 マクゴナガル先生の声が小さくなっていった。 「総長は()()()()()——」

 

「はい。あ……その……」

 

マクゴナガル先生はためいきをついた。 「あのひとにしてもそれはちょっと変です。」 彼女はかがんで、積みあがった羊皮紙をひろった。 「お気の毒に、ミスター・ポッター。 あなたをうたがったことをあらためて謝罪します。 ですがそろそろわたしも総長のところへいかなければ。」

 

「あ……がんばってください、というか。その……」

 

「ありがとう、ミスター・ポッター。」

 

「あの……」

 

マクゴナガル先生はガーゴイルのところへいき、声にださずパスワードを発し、回転する螺旋階段に足をふみいれた。 登っていくすがたがみえなくなり、ガーゴイルがもとの場所にもどり——

 

「マクゴナガル先生、総長はニワトリを燃やしました!」

 

「総長が()()()()()()——」

 

◆ ◆ ◆

 

原作品の著者:J. K. Rowling

ファンフィクションの著者:Eliezer Yudkowsky

 





今回の非ハリポタ用語:「素因数分解」
六桁くらいならまだいいが、巨大な数の素因数分解には既知のアルゴリズムでは膨大な時間がかかる。いっぽう、多数の素数の積を計算するのは簡単である。この事実はコンピュータ上の暗号を解読困難にするためにつかわれている。
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