ハリー・ポッターと合理主義の方法   作:ポット@翻訳

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漫画『デスノート』の軽いネタバレがあります。ご注意ください。


24章「マキャヴェリ的知性仮説」

◆ ◆ ◆

 

第三幕:

 

ドラコは大広間のちかくに見つけた小窓のまえの壁龕(アルコーヴ)で、動揺をおさえつつ、待った。

 

これから、代償をしはらうことになる。それも小さな代償ではない。 朝起きてすぐの時点で、大広間の朝食に行くのは無理だ、とドラコはわかっていた。もし行けばハリー・ポッターと顔をあわせるかもしれないし、そうしたら、もうどうなるかわからない。

 

足音がいくつかちかづいてきた。

 

「おう。」とヴィンセントの声が言う。「今日の親分、機嫌が悪いからな。変なまねすんじゃねえぞ。」

 

あのバカの皮を生きたままはいでから死体を送りかえして、もっとあたまのいい従僕にかえてくれと要求してやりたい。死んだスナネズミとかに。

 

足音が一組去り、もう一組の足音が近づいてきた。

 

ドラコは不吉な予感がしていたが、それがさらにひどくなった。

 

ハリー・ポッターのすがたが視界にはいった。 注意ぶかく中立的な表情をしているが、青色のえりのローブは妙に曲がっていて、ちゃんと着れていないように見えた——

 

()()()。」とドラコはなにも考えずに言ってしまった。

 

ハリーは自分でもながめるかのように左腕をあげた。

 

そこからだらりと下がる手は、死んでいるように見えた。

 

「マダム・ポンフリーからは、一時的なものだって言われた。あしたの授業がはじまるころには、ほぼ回復するって。」

 

そう知ってドラコはほんの一瞬だけほっとした。

 

そして気づいた。

 

「マダム・ポンフリーのところに行ったのか。」と小声でドラコが言った。

 

「そりゃ行くよ。」とあたりまえのことのようにハリー・ポッターは言う。「手がつかえなくなってたんだから。」

 

ドラコはゆっくりと、自分がどうしようもないバカだったことに気づいた。自分がしかりつけたスリザリンの上級生たちよりも、はるかに下だったことに気づいた。

 

マルフォイ家の人間になにかされたとき通報するような人はいない、とドラコはたかをくくっていた。 ルシウス・マルフォイに目をつけられたがる人などいない、と。

 

だがハリー・ポッターは、ゲームにくわわるのに気おくれするハップルパフ生ではない。 彼はすでに参加している。そして父上にはもう、目をつけられている。

 

「それ以外にマダム・ポンフリーはなんて言った?」と言って、ドラコは心臓がのどから出そうになった。

 

「フリトウィック先生から、ぼくの手にかけられた呪文は〈闇〉の拷問呪文で、きわめて深刻な事態だから、だれにやられたのか言えないという答えはとうてい許容できない、と言われた。」

 

沈黙がながくつづいた。

 

「それで?」と震える声でドラコが言った。

 

ハリー・ポッターはわずかに笑みをうかべた。 「本気であやまった。フリトウィック先生は()()()けわしい表情になった。それからぼくは、一連のできごとはたしかにきわめて深刻で、秘密で、()()()事態だ、だから総長にこのことはもう報告してある、と言った。」

 

ドラコは息をのんだ。 「だめだ! フリトウィックがそれだけですませるわけがない! ダンブルドアに確認をとりにいくだろう!」

 

「そのとおり。ぼくはその場で総長室に連行された。」

 

ドラコは震えだした。 もしダンブルドアが、本人の同意をとるかどうかは別にして、ハリー・ポッターをウィゼンガモートに連れだしたら……、そして〈真実薬〉を与えられたうえで、〈死ななかった男の子〉がドラコに拷問されたという証言をしたりしたら……。 ハリー・ポッターはあまりに多くの人に愛されている。採決になれば父上も勝てないかもしれない……

 

ダンブルドアは父上の説得に応じるかもしれないが、かならず()()を要求する。おそろしい対価を。 ゲームにはいまやルールがあり、好き勝手にだれでも脅迫できるわけではない。 でもドラコは、自分の自由意志で、ダンブルドアの手のなかにはいっていってしまった。 そしてドラコは高い価値のある人質だ。

 

もう〈死食い人〉になれない以上、父上が思っているほどの価値はないのだが。

 

そう思うと〈切断の魔法(チャーム)〉をうけたように心臓が痛んだ。

 

「それから?」と小声でドラコが言った。

 

「ダンブルドアは即座にきみのしわざだと突きとめた。 きみとのつきあいのことは知られていたんだ。」

 

考えうる最悪のシナリオだ。 だれのしわざか推測できなかったとしたら、ダンブルドアも〈開心術〉をつかうリスクをおかさなかったかもしれないが……もし()()()()()のなら……

 

「それで?」と無理してドラコは言った。

 

「しばらく話をした。」

 

「それで?」

 

ハリー・ポッターはにやりとした。 「なにもしないことが一番あなたののためになる、とダンブルドアに説明してあげた。」

 

ドラコのあたまが煉瓦の壁にぶつかって飛び散った。 そして、バカみたいに口をぽかんとさせながら、ハリー・ポッターを見つめるしかなかった。

 

だいぶかかって、ドラコは思いだした。

 

ハリーはダンブルドアの謎めいた秘密を知っている。スネイプが脅迫の材料としてつかっている秘密を。

 

その様子がもう目にうかぶ。 ダンブルドアはものものしい態度で、裏ではそうなるのを待ちのぞんでいたのに、どれだけ事態が深刻なのかをハリーに説明する。

 

そこでハリーは礼儀ただしくダンブルドアに、自分がかわいければ余計なことを言うな、と言う。

 

父上から、こういう相手のことを警告されたことがある。自分を破滅させうるにもかかわらず、好人物で、心底憎めないような相手のことを。

 

「そのあとで、総長はフリトウィック先生に、この件はたしかに秘密で繊細な問題で、すでに報告はうけていた、だから今回はこれ以上追及しても、本人ふくめてだれのためにもならないと思う、と言った。 フリトウィック先生はそれから、総長のいつもの謀略も一線をこえた、とかなんとか言いかけたから、そこでぼくが割りこんで、これはぼく自身のアイデアで、総長に強制されたりしてはいない、と説明した。フリトウィック先生はふりむいて、ぼくに説教しかけたけど、総長がそこに割りこんで、〈死ななかった男の子〉は奇妙で不思議な冒険をする運命なのだから、偶然いきあたってしまうより、意図的にくびをつっこむほうがいい、と言った。そしたらフリトウィック先生は小さな両手をふりあげて、ぼくたち()()にむけて甲高い声で、こう言った。二人がなにをたくらんでいるのか知らないが、自分がレイヴンクローにいるかぎりこんなことは二度とごめんだ、つぎがあったら、もうハリー・ポッターの面倒は見きれないからグリフィンドールに引きとらせる、こういう()()()()()()()なことはあそこだけにしてもらいたい——」

 

ここまでされると、ハリーを憎むのはとてもむずかしくなる。

 

「とにかく、ぼくはレイヴンクローからほうりだされたくないから、こういうことは二度と起きない、とフリトウィック先生に約束した。もし起きたら、そのときはだれにやられたか話す、と。」

 

ハリーの両目は冷たくなっているべきだったが、そうではなかった。 声はおそろしげな脅迫の調子であるべきだったが、そうではなかった。

 

そこで、ドラコが当然きくべきだった疑問を思いついたので、その空気は一瞬でとぎれた。

 

「なぜ……言わなかった?」

 

ハリーは窓のほうへ歩いていき、細く日の光が差す壁龕のなかでとまった。そこで、くびを外にむけ、ホグウォーツの緑のグラウンドに目をやった。 そのからだとローブと顔が光にてらされた。

 

「なぜだろう?」 ハリーは声をつまらせた。 「多分、きみに怒る気になれなかったからかな。 ぼくが先にきみを傷つけたことはわかっていた。 公平だったとも思わない。ぼくがしたことのほうがひどかったから。」

 

また別の煉瓦の壁にあたったみたいに感じる。 ハリーの言いかたはドラコの理解をこえていて、古典ギリシア語のようなものだった。

 

ドラコはあたまのなかでパターンを見つけようとしたが、さっぱりわからなかった。 ハリーの言っているのは譲歩であり、本人の利益にならない。 弱みをにぎったハリーが、ドラコをもっと忠実なしもべにするために言うべきことですらなかった。 そのためにハリーが強調すべきなのは、ドラコをどれだけ傷つけたかではなく、自分がいかに寛容かだ。

 

「でも、」とほとんどささやくような小さな声でハリーが言う。「もうおなじことはしないでほしい。 あれはつらかった。 二度目は許せるかどうかわからない。 許したいと思うかどうかもわからない。」

 

わからない。

 

ハリーはドラコと()()()()なろうとしているのか?

 

ハリー・ポッターが、あんなことをしたあとでそんなことができると信じるほどのバカであるはずがない。

 

ドラコがハリーにそうしたように、だれかを友や協力者にしようとすることはできる。あるいは、相手の人生を台無しにして選択肢をなくすこともできる。両方というのはありえない。

 

といっても、そうでないとすれば、ハリーがなにしようとしているのか全然けんとうがつかない。

 

そこでおかしな考えが浮かんだ。ハリーが昨日何度も言いつづけたことだ。

 

検証(テスト)せよ、ということ。

 

ハリーはこう言った。きみはもう科学者としてめざめた。そのちからの使いかたを学ばなかったとしても、きみはこれからいつも、自分の、信念を、検証しようと……。 苦悶のなかでつむぎだされたその重おもしいひびきが、ドラコのこころのなかをぐるぐるとまわった。

 

もしハリーがうっかり相手を傷つけてしまったと後悔している友だちのふりをしているのなら……

 

「そういう計画だったんだな!」と告発する調子にしてドラコが言う。「怒ったからじゃなく、そうしたいからやってしまったんだろう!」

 

ハリー・ポッターならこう言うだろう。愚か者め、もちろん計画どおりさ。これできみはぼくのものだ——

 

ハリーはドラコのほうにふりむいた。 「昨日のあれを、ああいうふうにやる計画はなかった。」  のどにつっかえるような声でハリーが言う。 「計画では、いつも真実を知るほうが得だということを教えてから、ふたりでいっしょに血統についての真実を解明しようとして、その答えがどうなっても受けいれるはずだった。 昨日は……いそぎすぎた。」

 

「いつも真実を知るほうが得、か。」と冷たくドラコが言う。「恩を売ったみたいに言うじゃないか。」

 

ハリーはうなづいた。それにドラコが心底びっくりしていると、ハリーはこう言った。 「ルシウスがおなじことを思いついて、強い魔法使いがあまり子どもを作らなくなったのが問題だ、と言いだしたらどうなる? 子どもを作ろうとする強い純血者に資金を出す事業をはじめるかもしれない。 純血主義が()()()()()()()()()()、ルシウスはまさにそうしているべきだ——自分のがわで、自分のちからで実行できることをして、問題に対処できるんだから。 いま、ルシウスの知り合いのなかできみだけが、ルシウスがそういったことで労力を無駄にするのを止めることができる。きみだけがほんとうの真実を知っていて、ほんとうの結果を予測できるから。」

 

育った場所が奇妙すぎて、ハリー・ポッターは実質的には魔法使いというより魔法生物だ、とドラコは思った。 つぎにハリーがなにを言ったりやったりするのか、まったく予想できない。

 

「なぜだ?」 痛みと裏切りの感覚を声にこめるのはむずかしくなかった。 「なぜぼくにこんなことをした? なにをするつもりで?」

 

「それは、きみがルシウスの跡とりだから。それに、信じられないかもしれないけど、ダンブルドアはぼくがダンブルドアの陣営にいると思っている。 だからぼくたちは大人になったら、あの二人の戦争で、戦う相手どうしになるかもしれない。 でも、別のこともできるかもしれない。」

 

ゆっくりと、ドラコの精神がこのことを理解した。 「二人の最終決戦を誘発して、二人が消耗しきったところで権力をうばう、ということか。」 ドラコは胸のなかに冷たい恐怖を感じた。 どんな対価が必要だろうとこれをなんとかして止めないと——

 

ハリーはくびをふった。 「とんでもない!」

 

「え……?」

 

「きみはそんな話にのらないだろうし、ぼくもそうだ。 ぼくは自分たちのいる世界をこわしたくない。 でも、想像してみてごらん。たとえば、ルシウスは自分の陣営にいるきみが〈陰謀団〉をあやつっていると思っていて、ダンブルドアは自分の陣営にいるぼくが〈陰謀団〉をあやつっていると思っている、としたら。そしてルシウスはきみがぼくを寝返らせて、ダンブルドアには〈陰謀団〉がぼくのものだと思わせていると思っているとしたら。ダンブルドアはぼくがきみを寝返らせて、ルシウスには〈陰謀団〉がきみのものだと思わせていると思っているとしたら。それでどちらも、相手に気づかれないようにして、ぼくたちを助けてくれるとしたら。」

 

ドラコは絶句したふりをする必要がなかった。

 

昔、父上に『(ライト)の悲劇』という芝居に連れていってもらったことがある。ライトという名前の、ものすごくあたまのいいスリザリン生が邪悪な世界を浄化しようとする話だ。彼はいにしえの指輪を使って、名前と顔がわかっている相手をだれでも殺すことができる。敵はもうひとりの、ものすごくあたまのいいスリザリン生で、名前をローライトといい、真の顔を隠すためにいつも変装をしている。 ドラコはとくに中盤のもりあがるあたりの場面で、何度もさけんだり声援をしたりした。結末は悲しく、ドラコはとてもがっかりした。父上はやさしく、題目に『悲劇』という単語が使われていたことを指摘した。

 

そのあとで父上はドラコに、なぜこの芝居に連れて来たか分かったか、ときいた。

 

ドラコは、大人になったらライトやローライトのように狡猾になれと教えるためだ、と言った。

 

父上は、まったく正反対だと言い、ローライトは自分の顔をうまく隠してはいたものの、不用意に名前をライトに教えてしまったということを指摘した。 そうやってその芝居のあらゆる部分がつぶされていくのを聞いて、ドラコは目を丸くした。 父上は最後に、こういう芝居はいつも非現実的だ、と言った。というのは、もしライトのようにかしこい人が実際にどうするかを劇作家が()()()()()知っていたら、その劇作家は劇を書くのをやめて、自分で世界征服をしようとするはずだからだ、と。

 

そこで父上はドラコに〈三の法則〉のことを教えた。みっつ以上のことを必要とする謀略は、現実世界ではかならず失敗するという。

 

それだけでなく、()()()()()()()()()()()()()()()のは愚か者だけだから、実際の限度はふたつだとも。

 

ハリーの作戦の不可能性はあまりに巨大すぎて、表現することすらできない。

 

だが、こういうのはまさに、師をもたない人が、自分はかしこいから芝居をみるだけで謀略についてまなべたと思いこんだときにしてしまう種類の失敗だ。

 

「それで、この計画をどう思う?」とハリー。

 

「よくできてはいる……」とドラコはゆっくり言った。 『名案!』と叫んで驚嘆したりしても、うたがわれるだけだ。 「ちょっと質問してもいいか?」

 

「どうぞ。」

 

「グレンジャーに高価なポーチを買ってやったのはなぜだ?」

 

「ぼくは気にしてない、という意思表示さ。」とすぐさまハリーが言う。「でもこれから数カ月のあいだ、ぼくからちょっとしたお願いをされたとき、彼女はことわりにくく感じるだろう。」

 

この瞬間、ドラコはハリーがほんとうに自分の友だちになろうとしているのだと気づいた。

 

グレンジャーに対するハリーのやりかたは、なかなかいい。みごととさえいえるかもしれない。 敵に不信がられずに、友好的なまま、債務をおわせることができる。ただなにか頼みをするだけで、相手を操作することができるようになる。 ドラコだったら標的に不信がられてバレるだろうが、〈死ななかった男の子〉だったら問題ない。 謀略の第一歩として、敵に高価な贈りものをする。考えたこともなかったが、この手はありかもしれない……

 

ハリーの敵からすれば、この謀略は最初、見ぬくのがむずかしいかもしれないし、バカげて見えるかもしれない。けれど一度理解してしまえば論理的ではあるし、ハリーに自分への害意があることにも気づかされる。

 

けれどハリーがいまドラコに対して見せているふるまいは、論理的ではない。

 

ハリーの友だちからすれば、ハリーはマグルに教えられた奇妙な、不可思議なやりかたで、友だちになろうとしてくるのだ。自分の人生が完全に崩壊させられたりもするやりかたで。

 

沈黙がながびいた。

 

「ぼくが友情を悪用してしまったことはわかってる。」とやっと、ハリーが言う。 「でもドラコ、最終的には、ぼくはきみといっしょに真実をみつけたかっただけなんだ。 これで許してもらえる?」

 

道はふたつにわかれている。あとで考えをかえて後もどりすることもできる道は、そのうちひとつしかない……

 

「そういうつもりだったなら、理解はできる気がする。」  うそだ。 「だから許す。」

 

ハリーの両目がかがやいた。 「そう言ってくれるとうれしい。」

 

二人は壁龕のなかで立った。いまも細く差す陽光がハリーに当たっているが、ドラコは影にいる。

 

そしてドラコは恐怖と絶望を感じながら気づいた。ハリーの友人になることはたしかにおそろしい運命だが、いまやハリーにはドラコを脅迫する種がいくつもあり、ハリーの敵になるのはもっとおそろしい。

 

おそらく。

 

多分。

 

いや、なりたければ、あとで敵になることはいつでもできるさ……

 

破滅的だ。

 

「それで、これからどうする?」とドラコ。

 

「来週の土曜日にまた研究?」

 

「今回みたいなことにはならないように——」

 

「心配いらない。ならないよ。もう何回か()()()()()になったら、ぼくが追い越されちゃうから。」

 

ハリーは笑った。 ドラコは笑わなかった。

 

「あ、解散のまえに……」とハリーがおずおずとした笑みをして言う。「こういう流れできくことじゃないと思うけど、ちょっと助言してほしいことがあるんだ。」

 

「ああ。」と言いながら、ドラコはハリーの直前の発言がまだすこし気になっていた。

 

ハリーの目にちからがこもった。 「グレンジャーにポーチを買ってやるために、グリンゴッツの金庫からくすねておいた金をほとんど使いはたしちゃって——」

 

え。

 

「——金庫の鍵はマクゴナガルか、いまはもしかするとダンブルドアがもっている。 ぼくはこれから多少おかねのかかる謀略を発動しようと思っているんだけど、どうにかしてあの金庫に行って必要な分を——」

 

「そのおかねはぼくが貸そう。」と完全に反射的にドラコの口が言った。

 

ハリーはいい意味でびっくりしたようだ。「ドラコ、そんなことをしてもらうわけには——」

 

「いくらだ?」

 

金額をつげられて、ドラコはついショックを表情にだしてしまった。 一年分のこづかいとして父上からもらった全額にちかい。これでは数ガリオンしかのこらない——

 

そこでドラコは自分をこころのなかで蹴とばしたくなった。 父上に手紙を書いて、()()()()()()()()()()()()()()()()()おかねがなくなった、と説明すればいいだけのことだ。父上は金色のインクで手紙をかえして、特別にほめてくれるはずだ。それに、二週間は食べつづけられる巨大な〈チョコレート・フロッグ〉と、ハリー・ポッターがまた借りにきたときにそなえた十倍のガリオンも送られてくるだろう。

 

「多すぎるよね。ごめん、頼むべきじゃなかった——」

 

「おいおい、ぼくはマルフォイだぞ。そんな大金が必要だというのにびっくりしただけだ。」

 

「だいじょうぶ。」とハリーはほがらかに言う。「きみの家族の不利益にはなるようなことはないから。ただの悪だくみさ。」

 

ドラコはうなづいた。「それならいい。いますぐとりにいこうか?」

 

「うん。」

 

そして二人は壁龕を出て地下洞にむかったが、ドラコはついこうきいてしまった。「その謀略の標的を教えてくれないか?」

 

「リタ・スキーター。」

 

ドラコはこころのなかで悪いことばをいくつか唱えたが、ことわるにはもう手遅れだった。

 

◆ ◆ ◆

 

地下洞につくまでに、ドラコはもう一度、考えをまとめておこうとした。

 

自分はハリー・ポッターを憎もうとしてもあまり憎めない。 ハリーは友好的であろうとしてくれている。ただし、あたまがおかしい。

 

だからといって、ドラコは復讐をやめたり遅らせたりはしない。

 

「それで、」と言うまえに、ドラコはあたりを見まわしてだれもいないことを確認した。 もちろん二人の声は〈曖昧化〉されているが、念をいれておくにこしたことはない。 「ずっと考えていたんだが、〈陰謀団〉にだれかを加入させるときは、ぼくときみが対等な関係にあると思われるようにしないといけない。 そうせずにいて、たったひとりでも、父上に謀略をバラそうとする人がでたら大変だ。 このことはもう気づいていただろう?」

 

「当然。」とハリー。

 

「実際対等になるのか?」

 

「申し訳ないけど、そうはいかない。」 ハリーはあきらかに、つとめてやさしい言いかたをしている。傲慢さを隠そうともしているが、だいぶ失敗している。 「きみはまだ〈ベイジアン陰謀団〉の『ベイジアン』の意味も知らない。 ほかのだれかをいれるまえに、きみには何カ月も勉強してもらわないと。 かたちだけでも。」

 

「ぼくがまだよく科学を知らないからか。」と言って、ドラコは中立的な声をたもつように気をつけた。

 

ハリーはくびをふった。 「デオキシリボ核酸とか科学のこまかいことを知らないのが問題なんじゃない。 対等にならない理由はそれじゃない。 合理主義の方法、つまりいろいろな発見の背後にある、()()()()秘密の知識について訓練をうけていないのが問題なんだ。 それも教えてあげようとは思うけれど、そう簡単じゃない。 昨日したことを思いだしてみてほしい。 きみもたしかにいくらかの仕事はしたけれど、 指令をしていたのはぼくだけだ。 きみはいくつかの問いにこたえたけれど、問いを発したのはぼくだけだ。 きみは車を押した。ぼくはひとりで舵とりをした。 合理主義の方法なしに、〈陰謀団〉の舵とりはできやしない。」

 

「そうか。」  ドラコはがっかりした声で言った。

 

ハリーの声はさらになだめるような調子になった。 「人づきあいとかについての、きみの専門性には敬意をはらうつもりだよ。 でもぼくの専門性についても敬意をはらってもらいたいし、〈陰謀団〉の舵とりに関しては、きみはぼくと対等になりようがない。 きみは科学者になって()()しかたっていないし、デオキシリボ核酸についての秘密をひとつ知っているだけだし、合理主義の方法の訓練をひとつもうけていない。」

 

「わかった。」

 

それはドラコの本心だった。

 

『人づきあい』とハリーは言った。 〈陰謀団〉の支配権をうばうことは造作もないだろう。 そのあとは、念のためハリーを殺してさえおけば——

 

昨晩、ハリーが泣き叫んでいることを思って自分がどれだけいやな気分になったかが思いだされる。

 

ドラコは悪いことばをもういくつか、こころのなかで唱えた。

 

よし。 ハリーは殺さない。 マグルに育てられたのだから、あたまがおかしいのはハリー本人のせいじゃない。

 

ハリーは生かしておく。そうすればドラコは、それがハリーのためだったと言ってやることができる。感謝してもらいたいくらいだと——

 

それが実際にハリーのためだということに気づき、ドラコは予想外にうれしい感覚をおぼえた。 もしダンブルドアと父上をもてあそぶような作戦を実行したりすれば、ハリーは()()

 

これで()()だ。

 

ドラコはハリーの夢をすべてうばう。ちょうどハリーがドラコにそうしたように。

 

ドラコはそれがハリーのためだったと教えてやる。そしてそれはまったくの事実でもある。

 

ドラコは〈陰謀団〉と科学のちからをたずさえて、魔法界を純化する。そうすれば父上は、〈死食い人〉になったのとかわらないくらい、ドラコを誇りに思ってくれるだろう。

 

ハリー・ポッターの悪だくみはくじかれ、正義が勝つ。

 

完璧な復讐だ。

 

ただし……

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、とハリーは言った。

 

ハリーのあたまがどうおかしいのかを正確に表現するすべをドラコはもっていないが——

 

(ドラコは『再帰の深さ』という用語をきいたことがないからである。)

 

——そのさきにどういう謀略がありそうかなら、だいたい想像がつく。

 

……ただし、ドラコにそうさせることが実は()()()()()()謀略の一部であれば……それをくじくことによってドラコが罠にはめられてしまっているのであれば、話はかわる。ハリーは自分の作戦がうまくいかないことを知りながら、ただドラコの妨害をおびきよせるためだけにこうしているのだったりしたら——

 

いや。 これ以上はもう気が狂う。 限度というものがある。 〈闇の王〉ですら、そこまでひねくれてはいなかった。 そんなことは現実社会では起きない。父上がきかせてくれたバカげたおとぎ話にしかありえない。英雄(ヒーロー)の作戦を妨害しようとして結果的に毎回その助けをしてしまう、愚かなガーゴイルの話みたいなものだ。

 

◆ ◆ ◆

 

そのドラコのとなりを歩くハリーは、笑みをうかべながら、人間知性の進化的起源について考えていた。

 

進化のしくみがだれにもよくわかっていなかった最初のころ、『人間知性が進化したのは道具を発明できるようになるためだった』、というようなとんでもない考えかたを皆がしていた。

 

これがとんでもないのは、たったひとりがある道具を発明しさえすれば、部族の全員がそれを使い、それがほかの部族に伝搬し、数百年後の子孫もそれを使うことができるからだ。 科学の進歩という観点からはいいことだが、進化的には、その発明者はあまり()()()()ではなかったはずだ。つまり、ほかの人()()()()それほど多くの子どもをつくれたわけではない。 ある遺伝子は、()()()()適応優位なときにだけ、母集団内での相対頻度をふやすことができる。孤立した突然変異を普遍的なものにし、全員にいきわたらせることができる。 すばらしい発明というのは頻繁には起きないから、変異を普及させるのに必要な一貫した淘汰圧をうみだすことができない。 銃や戦車や核兵器をもつ人間とチンパンジーとを比較してみると、知性は技術のためにできた、とつい思えてしまう。 つい考えてしまうことだが、まちがいなのだ。

 

進化のしくみがだれにもよくわかっていなかったころ、『気候が変わって、部族が移住しなければならなくなって、新しく現れたいろいろな問題に対処するために人間はかしこくなった』、というようなとんでもない考えかたを皆がしていた。

 

でも、人類はチンパンジーの四倍の大きさの脳をもっている。人間の代謝エネルギーのうち二割は脳が消費する。 人間はほかの種とくらべて()()()()()かしこい。 環境が問題の難度をちょっとあげたからといってこういう風にはならない。 それなら生物がちょっとかしこくなるだけで解決できる。 桁はずれに巨大な脳ができるまでには、なんらかの進化プロセスが()()して、限界のない巨大化を押しすすめたにちがいない。

 

こんにちの科学者は、進化プロセスのその暴走の正体についてかなりの確信をもっている。

 

ハリーは『チンパンジーの政治学』という有名な本を読んだことがある。 ラウトという名前の大人のチンパンジーが、最近大人になったチンパンジー、ニッキーに助けられて、老年の首領格(アルファ)、イエルーンと対決する。 ニッキーはラウトとイエルーンの対決に直接介入はしないが、両者の対決が発生すると毎回、部族内にいるイエルーン支持者の気をちらして、助太刀させないようにする。 ついにラウトが勝って次代のアルファになり、ニッキーは二番手につく……

 

……が、さほど時間がたたないうちに、ニッキーが敗者イエルーンと同盟をむすんでラウトを倒し、次々代のアルファとなる。

 

()()()()()出しぬこうとしてきた類人猿の何百万年もの歴史——限界のない進化的軍拡競争——が知的能力の増大につながったと思うと、感慨ぶかい。

 

人間なら、こうなることは最初から分かりきってたはずだから。

 

◆ ◆ ◆

 

そのハリーのとなりを歩くドラコは、復讐について考えながら笑みをうかべまいとしていた。

 

何年かかるかはともかく、いつか、ハリー・ポッターはマルフォイを見くびるというのがどういうことかを思い知る。

 

ドラコはたった一日で科学者としてめざめた。何カ月もかかるはずだったとハリーは言った。

 

だがもちろん、マルフォイであれば、ほかのどの家系よりも強力な科学者になる。

 

ドラコはこれからハリー・ポッターの合理主義の方法をすべて学ぶ。そして機が熟せば——

 

◆ ◆ ◆

 

原作品の著者:J. K. Rowling

ファンフィクションの著者:Eliezer Yudkowsky

 


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