ハリー・ポッターと合理主義の方法   作:ポット@翻訳

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30章「集団行動(その1)」

◆ ◆ ◆

 

十一月三日、日曜日。まもなくこの学年の三雄、ハリー・ポッター、ドラコ・マルフォイ、ハーマイオニー・グレンジャーが覇者の地位をめぐってあらそいはじめる。

 

(ハリーは模擬戦に申しこんだだけで〈死ななかった男の子〉としての覇者の地位から格下げされ、対等な三人のうちの一人にされてしまったのが不服だったが、すぐにもとの地位をとりもどせると思っている。)

 

戦場には〈禁断〉ではない森の、木々が多い部分を使う。敵陣がすっかり見えてしまっては初戦にしてもつまらないだろうと言って、クィレル先生はここをえらんだ。

 

一年次の隊に参加していない生徒は近くに陣取り、クィレル先生が近くに設置したスクリーンをみている。 病気でマダム・ポンフリーの治癒をうけるため病室を離れられないグリフィンドールの四年生三人をのぞいて、全生徒が来ている。

 

参加している生徒は通常の学校用ローブではなく、マグルの迷彩服を着ている。全員体型にあうものがいきわたるよう、クィレル先生がどこからか十分な量を取りよせて配布したのだ。 服が汚れたり傷つくことを心配してではない。それならチャームで解決できる。 意外そうな魔法族生まれたちにクィレル先生が説明したとおり、立派な服は森のなかに隠れたり木々のあいだをすりぬけるのに不向きなのだ。

 

迷彩服の胸の位置に、各隊の名前と紋章を記した縫い付けがある。 ()()()縫い付けというのがポイントだ。 色つきリボンを着用させて、遠くから自軍を認識できるようにすると同時に敵軍にも目立つようにしたければ、それも自由だ。

 

ハリーは〈ドラゴン旅団〉という名前を確保しようとした。

 

ドラコはそれをきいた瞬間に、まぎらわしくてしかたがない、と文句をつけた。

 

クィレル先生はその名前についてはまず、ドラコに優先権があると裁定した。

 

それで〈ドラゴン旅団〉はハリーの対戦相手の名前になった。

 

多分、あまりいい兆候ではない。

 

紋章としてドラコがえらんだのは、火をふくドラゴンのあたまという決まりきった意匠ではなく、単純な火の意匠だ。 上品で、ひかえめで、おそろしい。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。とてもマルフォイ的だ。

 

ハリーは自軍の名前として〈第五百一臨時連隊〉や〈ハリーと破滅のしもべたち〉などの候補を検討した結果、〈混沌(カオス)軍団〉という単純かつ威厳ある呼称に落ちついた。

 

紋章は、指をならすポーズをした手だ。

 

これはいい兆候ではないという点で全員が一致した。

 

女の子であり善良さで有名なハーマイオニーの指揮下にはいる若い男の子は不安だろうから、自軍を誇らしく感じさせるために、強さを印象づけるようなおそろしげな名前にして安心させてやるのがいい、とハリーはハーマイオニーに熱心にすすめ、たとえば〈血に飢えたコマンドー〉はどうかと提案した。

 

ハーマイオニーがえらんだのは〈太陽(サンシャイン)部隊〉という名前だった。

 

紋章はニコちゃん(スマイリー)マークだ。

 

開戦まで、あと十分。

 

ハリーは自軍の初期位置として割り当てられた、森のなかのひらけた場所にいる。 古びて腐った切り株のある空き地で、なんらかの目的で下草が刈りとられている。茶色の細かい落ち葉と、夏の暑さに負けて枯れた草が地面をうめつくしている。それを太陽が上方から照らしている。

 

まわりにいるのは彼にクィレル先生から割りあてられた二十三人の兵士だ。 グリフィンドール生は当然ほぼ全員申しこみ、スリザリン生の半分以上と、ハッフルパフ生の半分以下と、数名のレイヴンクロー生も申しこんだ。 ハリーの隊にはグリフィンドール生が十二人、スリザリン生が六人、ハッフルパフ生が四人、ハリー以外のレイヴンクロー生が一人いる……といっても服装からは区別できない。 赤も緑も黄色も青もなく、 全員マグルの迷彩柄で、胸に指をならすかたちの手の紋章が縫い付けられている。

 

ハリーは二十三人の兵士を見わたした。全員同じ服装で、あの縫い付け以外、仲間意識をしめすものはなにもない。

 

ハリーはほくそえんだ。この部分に関するクィレル先生の裏の目的がわかったのだ。そしてハリーは自分の目的のためにこれを存分に利用することにした。

 

ロバーズ・ケーブ実験という社会心理学の有名な逸話がある。 第二次世界大戦の傷あとがのこる時代に、集団間の紛争の原因と解消について研究する目的でおこなわれた実験だ。 研究者たちは、二十二校から二十二人の少年をあつめてサマーキャンプを企画した。 参加者はすべて安定した中流家庭の子どもだ。 実験の第一段階では、集団間の紛争がはじまるためになにが必要を調べるはずだった。 そのためにまず、二十二人が十一人ずつの二集団にわけられ——

 

——それだけで十分だった。

 

その州立公園に相手の集団がいることがわかった時点で、両集団に敵意がうまれ、すでに初回の打ち合わせでおたがいに悪口がかわされた。 それぞれが〈イーグル〉、〈ガラガラヘビ〉と名のりはじめ(公園にほかの集団がいないと思っているあいだは、どちらも名前を必要としなかった)、対照的な集団の特徴をうみだしはじめた。〈ガラガラヘビ〉は自分たちを口の悪いあらくれものとみなした。〈イーグル〉は自分たちを気どった正義漢とみなした。

 

実験ののこりの部分では、集団間の紛争を解消する方法がためされた。 全員をあつめて花火を見させることにはまったく効果がなかった。 おたがいに大声でののしりあって、距離をとっているだけだった。 効果があったのは、公園内に破壊行為をする者がいるかもしれないと警告してやることと、 公園の給水系を修理するために両集団が協力するようにということだった。 つまり共通の任務と、共通の敵だ。

 

クィレル先生はこの原理をとてもよく理解していたのだろう、と考えざるをえない。各学年に隊を三つ、と決めたくらいだから。

 

三つであって、四つではない。

 

ダメ押しとして、所属寮で行き先の隊が決まってしまわないようにもした……ただし、ドラコにはミスター・クラッブとミスター・ゴイル以外いっさいスリザリン生が割り当てられなかった。

 

クィレル先生は〈闇〉の態度をふりまいて、〈善〉と〈悪〉のあいだで中立的なふりをしているが、こういうところを見ると、クィレル先生が実は〈善〉の支持者なのだとハリーは納得させられる。わざわざそう口にしたりはしないが。

 

ハリーはクィレル先生の策略を存分に利用しつつ、自分のやりかたで仲間意識をうえつけることにした。

 

〈ガラガラヘビ〉は〈イーグル〉に遭遇してから、自分たちをあらくれものとみなし、そのように行動しはじめた。

 

〈イーグル〉のほうは自分たちを正義漢とみなした。

 

古びて腐った切り株にかこまれ、かがやく太陽に照らされ、明るくひらけたこの場所で、ポッター司令官と二十三人の兵士たちは、どう考えても隊列とは言えないならびかたをしている。 ある兵士は立っていて、ある兵士は座っていて、ある兵士はひととちがったことをしたいというだけの理由で、片足で立っている。

 

混沌(カオス)軍団〉という名前だけのことはある。

 

きちんと整列して立つべき()()がないときに、整列して立ってはならない、とハリーが尊大そうに命じておいたおかげでもある。

 

ハリーは自軍を四人ずつの六つの小隊にわけ、各小隊を〈顧問〉に指揮させた。 命令をあたえられていても随時自分の判断で無視するように、と全兵士に厳命してある(その命令自体もふくめて)。ただし、ハリーか〈顧問〉が「マーリンの命令!」と前置きして言った命令だけは、したがうようにと、命じた。

 

散開して複数の方向から突撃するというのが〈カオス軍団〉の主要戦術だ。使用していいことになっている睡眠呪文を、ランダムな軌道で、魔法力の回復速度が許すかぎり連射する。 敵軍を陽動したり混乱させたりするチャンスがあれば、のがしてはならない。

 

すばやく。創造的に。予測不可能なやりかたで。不均質に。 ただ命令されたとおりに動くのではなく、自分がいま意味のあることをやっているのか自問しろ。

 

ハリーはこれこそ軍事的な効率を最適化できるやりかただというふりをしていたが、本心ではそうでもなかった……だが同級生たち各人の自己認識を左右する絶好の機会ではある。ハリーはその機会をのがすつもりはなかった。

 

ハリーの腕時計によれば、あと五分で開戦だ。

 

ポッター司令官は空軍が緊張して待機しているところまで(ふつうに)歩いていった。各自、すでにホウキをしっかりにぎっている。

 

「全機集合。」とポッター司令官が言う。これのリハーサルは、土曜日に一度だけやった訓練にふくまれていた。

 

「〈赤一号(レッド・リーダー)〉、準備完了(スタンバイ)。」と言うシェイマス・フィネガンは、それがどういう意味かわかっていない。

 

「〈赤五号(レッド・ファイヴ)〉、準備完了(スタンバイ)。」と言うディーン・トマスは、これを言うために生きてきたかのような言いかただ。

 

「〈緑一号(グリーン・リーダー)〉、準備完了。」と言うセオドア・ノットはやけにかたくるしい。

 

「〈緑四十一号〉、準備完了。」とトレイシー・デイヴィスが言った。

 

「ベルが鳴った瞬間にはもう飛びたっているように。」とポッター司令官が言う。 「交戦は禁じる。 くりかえす。 交戦は禁じる。 攻撃を受けたら回避せよ。」 (当然ながらホウキ相手に睡眠呪文はつかわない。あたったものを一時的に赤く光らせる呪文を使うのだ。 それがあたったホウキか乗り手は、退場させられる。) 「〈赤一号〉と〈赤五号〉は全速力でマルフォイ軍へ。相手の様子が見える範囲でできるだけ高く滞空し、あちらの出かたが分かったらすぐに帰投し報告せよ。 〈緑一号〉はおなじことをグレンジャー軍に。 〈緑四十一号〉だけは攻撃を許す。この陣地の上空にいて、接近してくるホウキか兵士がいたら撃て。 以上の命令はどれも『マーリンの命令!』と言っていないのに注意。ただし、情報をつかむのが重要なのはたしかだ。すべては〈カオス〉のために!」

 

「すべては〈カオス〉のために!」と四人が復唱したが、熱心さはまちまちだった。

 

ハリーの予想では、ハーマイオニーはドラコに速攻をかける。その場合、自分としては兵をそちらに動かして彼女に加勢するつもりだが、そうするのはハーマイオニーが大半の兵をうしない、ドラコが多少損害をこうむってからだ。 可能なら、英雄的な救出劇にしたい。〈カオス〉を〈太陽〉の友軍だと思わせないのはもったいない。

 

だがもしむこうの狙いが別にあるとしたら……そのときのために、〈緑一号〉が報告を返すまで〈カオス軍団〉は待機しつづけることにしてある。

 

ドラコは利己的に行動するだろう。 ハーマイオニーの攻撃にそなえるよう自軍に指示しただろうことも予測がつく。 両者の戦闘がおわるまでハリーが待つ、と言ったのがうそだと気づかれたかどうかはわからない。 〈ドラゴン旅団〉のほうにもホウキを二機さしむけたのは、むこうがなにかをやろうとしている場合にそなえてだ。それと、ドラコかミスター・ゴイルかミスター・クラッブが空中からホウキを攻撃できるくらいうまく飛べる場合にそなえてだ。

 

だがグレンジャー司令官の行動は予測しがたい。だから、あちらの出かたがわかるまでハリーは動けない。

 

◆ ◆ ◆

 

森の深部。はるか頭上の林冠が風にそよぐ下で、地面に影が黒い模様をなして踊る。マルフォイ司令官は比較的木々のまばらな場所に立ち、ひとり満足そうに兵士たちを見ている。 三人ずつの小隊が六つと、グレゴリーら四人の〈飛行小隊〉と、自分自身とヴィンセントからなる指揮小隊。 土曜日にわずかな時間訓練しただけではあるが、基礎は十分説明できたとドラコは自負している。 仲間から離れるな。仲間の背後を守り、仲間に背後を守らせろ。 隊は一体となって行動しろ。 命令に服従し、恐怖を見せるな。 照準をあわせ、撃ち、移動し、また照準をあわせ、撃て。

 

六小隊はドラコをかこんで守る位置をとり、周囲の森を注視している。 それぞれ背中あわせに立ち、射撃の必要があるまでは杖をさげたままにぎっている。

 

ドラコが父につれられて視察にいったときに見た〈闇ばらい〉の隊とそっくりだ。

 

〈カオス〉と〈太陽〉がこれを見れば、あっとおどろくだろう。

 

「気をつけ。」とマルフォイ司令官が言った。

 

六小隊は隊列をとき、ドラコのほうを向いた。ホウキの乗り手たちはその場でホウキを手にもったまま、向きなおった。

 

敬礼をさせるのは、初陣に勝つのを待ってから、と決めていた。そうすれば、グリフィンドール生やハッフルパフ生もマルフォイ相手に敬礼することへの抵抗が減るだろう、と考えた。

 

だが兵士たちはすでにちゃんと直立不動の姿勢をしている。とくにグリフィンドール生がそうなので、遅延させるまでもなかったか、とドラコは思った。 グレゴリーがこっそり聞いてきた内容によると、クィレル先生の〈防衛術〉で負ける方法を教わったときのハリー・ポッターを支持した一件により、ドラコは指揮官として許容できることになったらしい。 すくなくとも、ドラコの隊にたまたま割り当てられたグリフィンドール生はそう思っているようだ。 彼らは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、というせりふを寮内に聞かせているという。

 

実際、信じられないほどすんなりことが運んでいて、唖然とするほどだった。 スリザリン生がいっさい自分に割り当てられないと知ったとき、ドラコは抗議した。だがクィレル先生は、全国を政治的に支配する最初のマルフォイになりたければ、人口ののこりの四分の三を統治する方法を学ぶ必要がある、と言った。 こういうことを聞かされるたびに、クィレル先生は表面上の態度よりもずっと善のがわに傾倒しているのではないか、という思いをドラコは強くした。

 

実際の戦闘は簡単にはいかないだろう。とくにグレンジャーがまず〈ドラゴン〉に攻撃してきた場合はそうだ。 ドラコは全兵力をかたむけてグレンジャーへの先制攻撃をすべきかどうか悩んだが、 (一)グレンジャーの行動予想に関して、ハリーは完全にまちがった方向にドラコを誘導しようとしていたのかもしれない、(二)グレンジャーの攻撃がおわるまでハリー自身は参戦しないという発言もまた誘導だったかもしれない、という二点が気にかかっていた。

 

だが〈ドラゴン旅団〉には秘密兵器がひとつ、いや、みっつある。これなら、敵軍両方から同時に攻撃されたとしても、十分勝てるかもしれない……

 

もうすぐ開戦時間だ。つまり、作文して暗記しておいた戦闘前の演説をする時間だ。

 

「まもなく戦闘がはじまる。」とドラコはおちついた明瞭な声で言う。 「ぼくとミスター・クラッブとミスター・ゴイルの教えたことを思いだしてほしい。 勝つ軍は、規律がたかく、殺意がある。 ポッター司令官と〈カオス軍団〉は規律がない。 グレンジャーと〈太陽部隊〉は殺意がない。 われわれは規律がたかく、殺意のある、〈ドラゴン〉だ。 まもなく戦闘がはじまる。勝つのはわれわれだ。」

 

◆ ◆ ◆

 

(以下、ポッター司令官が初戦の直前に〈カオス軍団〉のまえで即興でおこなった演説。一九九一年十一月三日、午後二時五十六分。)

 

兵士たちよ。正直に言おう。今日までの戦況はかんばしくない。 〈ドラゴン旅団〉はただの一度も敗戦したことがない。 そしてハーマイオニー・グレンジャーは……とても記憶力がいい。 はっきり言って、ここにいるほとんどの諸君は死ぬことになる。 生存者は死者をうらやむだろう。 だがわれわれは勝たねばならない。 勝って、いつか子どもたちにチョコレートの味をあじわわせてやらねばらならない。 このたたかいには、すべてがかかっている。 文字どおりすべてが。 われわれが負ければ、全宇宙が電球のようにふっと消えてしまう。 でもよく考えると、ほとんどのひとは電球がなにか知らないんだったな。 まあ、とにかくいやなことのたとえだと思ってくれ。 しかし死ぬなら、英雄のようにたたかって死のうではないか。 暗闇に自分がつつまれていくとき、こころのなかで、()()()()()()()()()()、と言えるように。 死ぬのはこわいか? ぼくはこわい。 自分が冷たく恐怖に震える様子が想像できる。ちょうどだれかにアイスクリームをこぼされたときのように。 だが……歴史がわれわれを見ている。 この迷彩服に着がえた瞬間から見ている。 多分そのときの写真もとっている。 歴史は勝者によって書かれる。 われわれが勝てば、われわれが好きに歴史を書ける。 反乱を起こした家事妖精(ハウスエルフ)によってホグウォーツが築かれたという歴史も書ける。 うその歴史でもみんなに勉強させることもできるし、もしみんながテストでただしいこたえを書けなければ、落第させることもできる。 そのためなら、命をかけてもいいのではないか? いや、こたえは聞きたくない。 自分のこころにとどめたほうがいいことだってある。 われわれは理由もわからずにここにいる。 理由もわからずにたたかう。 われわれは謎の森でこの服を着たすがたで目覚めただけだ。勝利する以外に自分の名前と記憶をとりもどす方法はないとだけ知っている。 他の隊にいる生徒も……ぼくらとおなじだ。 むこうも死にたくない。 彼らも自衛のため、残してきた数すくない味方を守るためにたたかう。 家族がいることがわかっているから、いまは思いだせなくても、たたかうのだ。 もしかすると世界を救うためにたたかうのかもしれない。 だがわれわれにはもっとすぐれた目的がある。 われわれは気分でたたかう。 われわれは〈時空〉のむこうがわからやってくる不気味な怪物にささげるためにたたかう。 もうすぐ最後の決戦がはじまる。だからいま、言えるあいだに言っておくが、みじかい期間ではあったが、諸君の指揮官をつとめることができて、ぼくはしあわせだった。 ありがとう。みんなありがとう。 忘れるな。目標は敵をたおすことではない。恐怖をあたえることだ。

 

◆ ◆ ◆

 

鐘の音が森にひびきわたった。

 

〈太陽部隊〉が行軍をはじめた。

 

◆ ◆ ◆

 

飛行隊が帰投するまで待っているハリーと十九人の兵士たちの緊張がたかまっていく。 ホウキははやく飛ぶし、森の広さは知れているから、それほど長くはかからないはず——

 

ドラコの陣地の方向から二機のホウキが、速力をたもったまま近づいてくるのを見て、全兵士が緊張した。 二機は友軍であることを示す暗号をだしていない。

 

()()()()()()()」とポッター司令官がさけび、自分もそのことばどおり、全速力でしげみに駆けこむ。 木々に隠れるとすぐにハリーはふりむき、杖をかまえ、上空にいるホウキを探す——

 

「位置にもどれ! むこうは退却していった!」とだれかがさけんだ。

 

ハリーはこころのなかで肩をすくめた。 どのみちあの情報をドラコに知られないままにするのは無理だったし、どうせ知られるのはこの兵士たちが待機しているということだけだ。

 

そして〈カオス〉兵がゆっくりと森からでると——

 

「グレンジャーの方向からホウキが接近中!」と別の声がさけんだ。 「〈緑一号〉みたいだぞ! 低く腰ふりしてる!」

 

すぐにセオドア・ノットが空中から飛びこんできて、兵士たちのまえにでた。

 

「グレンジャーは隊を二手にわけた!」とノットは滞空したまま言った。 迷彩服に汗がしみてきていて、声にはすっかり抑制がなくなっている。 「両軍を同時に攻撃しようとしている! 各軍に二機ずつホウキをふりむけていて、おれもさっきまで追いかけられた!」

 

二手にわけるなんて、いったいなにを——?

 

兵力が大きいがわが兵力が小さいがわを集中砲火すれば、あまり損害をうけることなく兵力をそぐことができる。 二十人が十人に対峙すれば、十人にむけて睡眠呪文を二十発撃てるが、逆方向にできるのは十発だけだ。その最初の十発が全弾命中でないかぎり、兵力が小さいがわは相手をたおせるだけの頭数を維持できない。 軍事用語でいえば、みずから『各個撃破』の的になりにいくということだ。 ハーマイオニーはいったいなにを考えているんだ……

 

そこでハリーは気づいた。

 

フェアに攻撃しようとしてるのか。

 

長い〈防衛術〉の一年になりそうだ。

 

「よーし。」とハリーは兵士たちに聞こえるよう大声で言う。「〈赤翼(レッド・ウィング)〉が報告しにもどるのを待とう。〈太陽〉に一発くらわせるのはそれからだ。」

 

◆ ◆ ◆

 

ドラコは飛行隊からの報告を落ちついて聞き、内心感じていたショックをあらわにしなかった。 ……グレンジャーはいったいなにを考えているんだ?

 

そこでドラコは気づいた。

 

陽動だ。

 

二手にわかれた〈太陽〉の片方が途中で向きをかえて、合流し……どちらに来る?

 

◆ ◆ ◆

 

ネヴィル・ロングボトムは〈太陽〉兵を迎撃するため、ときおり上空にホウキがいないかチェックしながら、森のなかを行軍した。 となりには小隊の仲間である、グリフィンドール生メルヴィン・クートとラヴェンダー・ブラウン、スリザリン生アレン・フリントがいる。 〈小隊顧問〉はアレン・フリントにまかされた。ハリーはもしやりたければネヴィルにまかせる、と個人的に言ってくれたのだが。

 

ハリーからは個人的にいろいろなことを言われた。まず言われたのは「こころのなかにかっこいい空想の自分がいて、きみがこわがりなせいでそいつはなにもできないんじゃないか。その空想の自分とおなじくらいかっこよくなりたいなら、クィレル先生の模擬戦にぜったい参加するべきだ。」だった。

 

〈死ななかった男の子〉は他人のこころを読めるのだ、とネヴィルは確信した。 そうでもなければ、ハリー・ポッターにああいうことがわかるはずがない。 あれはだれにも話していないし、さとられそうな素振りもしたことがない。それに、ネヴィルの知るかぎり、ネヴィル以外の人はあんなことを考えない。

 

ハリーの見立てはただしかった。たしかにこれは、〈防衛術〉の授業でのスパーリングとはちがう感じがする。 スパーリングで自分のダメなところが直ればいいと思っていたが、けっきょく直らなかった。 クィレル先生が事故をふせぐために監督している場で他の生徒にいくつか呪文をうつことはできるし、相手の呪文をよけて反撃することが許され、期待され、やらないほうが変に思われるというときにならできるけれども、それで自立することができたかと言えば、ちがう。

 

でも()()にはいるというのは……

 

指をならすかたちの手の紋章をつけた迷彩服すがたで、森のなかを仲間といっしょに行軍していると、なにか変な興奮が感じられた。

 

ふつうに歩いてもいいことになっていたが、ネヴィルは行軍(マーチ)したい気分だった。

 

となりのメルヴィンとラヴェンダーとアレンも、おなじように感じているようだ。

 

ネヴィルは小さく〈混沌の歌〉をうたいはじめた。

 

マグルならジョン・ウィリアムズの〈帝国の行進曲(マーチ)〉、あるいは「ダース・ヴェイダーのテーマ曲」という名前で知っている曲だ。その曲に簡単におぼえられる歌詞をハリーがつけた。

 

破滅(ドゥン) 破滅(ドゥン) 破滅(ドゥン)

ドゥン ドゥドゥン ドゥン ドゥドゥン

ドゥン ドゥン ドゥン

ドゥン ドゥドゥン ドゥン ドゥドゥン

ドゥーン ドゥン ドゥーン

ドゥン ドゥン ドゥドゥドゥン ドゥドゥン

ドゥン ドゥドゥドゥン ドゥドゥン

ドゥン ドゥドゥン ドゥン ドゥドゥン

 

二節目になるとほかの兵士たちもくわわって、やがて小声の合唱があたりの森から聞こえるようになった。

 

そうやって〈カオス軍団〉兵とならんで行軍していると、

ネヴィルのこころのなかに変な興奮が生まれて、

おそろしい破滅の歌を口ずさんでいると、

空想が現実になるように思えた。

 

◆ ◆ ◆

 

ハリーは森のあちこちに横たわる人体を見つめた。 すこし吐き気を感じたので、あれは眠っているだけだと自分に言いきかせなければならなかった。 たおれた兵士のなかには女子もいて、それを見るとなぜか、ずっといやな気分になってしまった。このことをあとでうっかりハーマイオニーに言ったが最後、ハリーの遺骸がティーポットに納められたのを〈闇ばらい〉が見つけることになるだろう。

 

〈太陽〉軍半数の兵力は〈カオス〉全兵力に対して、ほとんど勝負にならなかった。 地上にいた兵士九人はなにかわめきながら〈簡易防壁〉をかまえて突撃してきた。顔と胸を守るのには役立つが、 あの盾を発生させているあいだは射撃ができない。ハリーの兵士たちは単に足をねらった。 「〈睡夢(ソムニウム)〉!」という声が一度にひびきわたったとき、〈太陽〉兵は一人をのこしてたおれた。 最後の一人は盾を解除してハリーの兵士を一人しとめたが、すぐに第二弾の睡眠呪文に撃たれた(〈睡眠の呪文〉は複数回あたっても安全である)。 〈太陽〉のホウキ二機はずっと手ごわく、〈カオス〉兵も三人損害をだしたが、やがて二機は一斉地上砲火につつまれた。

 

戦没者のなかにハーマイオニーはいない。 ドラコがしとめたにちがいない。そう思うとハリーはまったく不合理な()()を感じた。それがハーマイオニーを守りたいという気持ちなのか、獲物を横どりされてくやしいという気持ちなのか、わからなかった。多分両方かもしれない。

 

「よーし。」と言ってハリーは声をはりあげた。 「はっきりさせておこう。これはほんものの戦闘ではなかった。 グレンジャー司令官が初陣で失敗した。ただそれだけだ。 今日のほんとうの戦闘は〈ドラゴン旅団〉との戦闘で、こんな風にはすすまない。 もっとずっと楽しいことになる。 じゃあ、いこう。」

 

◆ ◆ ◆

 

ホウキが上空からおそろしい速度で落ちてくる。それが尾をひねって、空気の悲鳴がきこえるほど急激に減速し、ドラコのとなりにぴたりと止まった。

 

これは迂闊な自己顕示ではない。グレゴリー・ゴイルは単純にそれだけの腕前があって、時間を無駄にしようとしないだけだ。

 

「ポッターが来ます。」と、ふだんよそおっている鈍重さのかけらもない口調でグレゴリーが言う。 「むこうのホウキは四機とも残っています。殺りましょうか?」

 

「いや。むこうの陣地上空での戦闘は不利すぎる。地上砲火をされるだろうし、おまえでもぜんぶよけるのは無理だ。 地上軍が交戦するのを待て。」

 

〈太陽〉兵十二人とひきかえにドラコは〈ドラゴン〉兵を四人うしなった。 グレンジャー司令官はどうやらとんでもないバカだったらしい。 彼女自身は襲撃にきた面々のなかにいなかったから、なじるチャンスも、マーリンの名にかけてなにを考えていたのかと問いただすチャンスもなかったが。

 

真の戦闘はハリー・ポッターとの戦闘であるということは、はっきりしている。

 

「そなえをおこたるな!」とドラコが兵士にどなる。「仲間から離れるな。隊は一体となって行動しろ。敵が射程にはいったらすぐに撃て!」

 

規律対〈混沌(カオス)〉。

 

勝負にもならないだろう。

 

◆ ◆ ◆

 

アドレナリンが血のなかにどんどんはいってきて、ネヴィルは息もできないような感じがした。

 

「もうすぐそこだ。」とポッター司令官が全軍になんとかとどく程度の声量で言う。「散開しよう。」

 

ネヴィルの小隊の仲間が離れていく。離れてもおたがい支援はする。かたまりになっていては、敵からすれば格好の的で、仲間のだれかに向けられた流れ弾が自分にあたるかもしれない。 散開してできるだけ高速に動いていれば、あてるのはずっとむずかしくなる。

 

土曜日の訓練でポッター司令官が最初に兵士たちにやらせたのは、走りながらおたがいを撃ちあうのと、どちらも直立して時間をかけて狙うのと、片方が動きつづけ片方が直立してやるのとを、試すことだった——〈睡眠の呪文(ヘックス)〉を取り消す魔法(チャーム)は簡単だが、模擬戦では使用してはならないことになっている。 ポッター司令官はなにが起きたかを慎重に記録し、数字と暗号かなにかをあやつって、結論を発表した。減速して狙いをさだめるより、高速に動いて撃たれないようにしたほうが合理的だ、というのが結論だった。

 

ネヴィルはまだ、ならんで行進するのがすこしなごり惜しかった。でも事前におそわっていたおそろしい(とき)の声があたまのなかですでに鳴りひびいていたので、だいぶ埋め合わせになった。

 

今度はぜったい、甲高い悲鳴のようにはしない、とネヴィルはこころのなかで誓った。

 

「盾をだせ。」とポッター司令官が言う。「攪乱兵の前進を支援しろ。」

 

「〈防幕(コンテゴ)〉」と兵士たちがつぶやくと、各自のあたまと胸のまえに円形の幕が実体化した。

 

ぴりっとする味がネヴィルの口のなかに生まれた。 ポッター司令官が盾を命令したということは、両軍がおたがいほぼ射程内にはいったということだ。 まだ気づいていない〈ドラゴン〉兵たちが深い茂みのむこうで動いているのが見える。〈ドラゴン〉からももうすぐこちらが見えるようになる——

 

()()()()!」と遠くからドラコ・マルフォイの声で咆哮があり、ポッター司令官は「()()()——」と声をとどろかせる。

 

ネヴィルの血のなかのアドレナリンが爆発した。足が勝手に飛びだし、ネヴィルをのせて、いままでにない速度で敵軍にむかってまっすぐ突進した。となりを見るまでもなく、仲間たちもおなじようにしているのがわかった。

 

血の神に血を(ブラッド・フォー・ザ・ブラッドゴッド)骸の玉座に骸を(スカル・フォー・ザ・スカルスローン)」とネヴィルがさけぶ。「イア! シュブ゠ニグラス! ()()()()()()()()()

 

ネヴィルの盾に睡眠呪文がひとつあたり、音もなく消えた。 それ以外に呪文が放たれていたとしても、まだあたっていない。

 

ネヴィルはウェイン・ホプキンズの顔に一瞬恐怖がうかんだのを見た。となりにいるのはグリフィンドール生二人だが、ネヴィルは名前を知らない。そして——

 

——ネヴィルは〈簡易防壁〉を解除し、ウェインを撃ち——

 

——はずれた——

 

——ネヴィルの両足はそのまま敵がかたまっていた場所を通過して、つぎの〈ドラゴン〉兵三人のほうにむかう。むこうは杖をこちらに向けながら、口をひらき——

 

——なにも考えないうちに、ネヴィルは森の地面にむけてつっこんだ。同時に三人の声が「ソムニウム!」と言った。

 

痛い。かたい石とかたい枝がある地面に、身をころがせる。ホウキから落ちたときほどひどくはないが、それでも地面に激突したのはかわらない。ネヴィルはとっさに思いついて、横たわったままの姿勢で目を閉じた。

 

「やめろ!」とだれかがさけぶ。「撃つな、こちらも〈ドラゴン〉だ!」

 

ネヴィルはその瞬間成功の美味を感じた。〈ドラゴン〉の一集団から撃たれたタイミングで、別の一集団とはさまれる位置にはいることができたのだ。 これは敵に攻撃をためらわせる戦術だとハリーが教えてくれていたが、どうやらそれ以上に効果があったようだ。

 

それだけでなく、〈ドラゴン〉兵たちはネヴィルをしとめることができたと思っている。撃たれた直後にたおれたのを見たからだ。

 

ネヴィルはあたまのなかで二十をかぞえてから、目をほんのすこしだけ、ひらいた。

 

すぐそこに〈ドラゴン〉兵が三人いて、まわりから「ソムニウム!」や「骨の玉座に骨を!」という声がするたびに、あちこちふりむいている。 三人ともすでに〈簡易防壁〉をかまえている。

 

ネヴィルはまだ杖を手にもっていたので、たいして苦労せずに一人の少年の靴にむけて「ソムニウム」とささやくことができた。

 

それからすばやく目を閉じ、手を楽にすると、少年が地面にたおれる音がした。

 

()()()()()()()」というジャスティン・フィンチ゠フレチリーの悲鳴が聞こえ、敵影をさがそうとする〈ドラゴン〉兵二人がガサガサと落ち葉を踏む音がした。

 

()()()()()()()()()」とマルフォイが声をとどろかせる。「全員こちらに集合。分断させられてはならん!」

 

ネヴィルの耳は、近くにいた二人の〈ドラゴン〉兵がネヴィルの伏せているところを飛びこえていくのをとらえた。

 

ネヴィルは目をひらき、痛みをこらえてなんとか立ちあがり、杖をかまえて、ポッター司令官におそわったもうひとつの新しい呪文を言った。敵を錯乱させるほんものの幻覚呪文はまだできないが、これならもうできる——

 

「〈腹話(ヴェントリロクォ)〉」とささやいてから、杖をジャスティンともう一人の少年のむこうに向けて、「()()()()()()()()()!」とさけぶ。

 

ジャスティンともう一人の少年ははっとして立ち止まり、ネヴィルが声を移動させた位置に盾をむけた。その瞬間、「ソムニウム!」という声がいくつかひびいた。ネヴィルが杖さきを向けるまえに、ジャスティンでないほうの少年がたおれた。

 

()()()()()()()()()()()」とネヴィルがさけび、ジャスティンの方向に飛びこんだ。ジャスティンはハッフルパフの上級生にたしなめられるまで、ネヴィルに嫌がらせをしていた。 ネヴィルの周囲にはいま〈カオス〉兵たちがいる、ということは——

 

必殺、カオス式跳躍(リープ)!」と走りながら叫ぶと、ネヴィルはからだが軽くなり、もう一度軽くなるのを感じた。仲間たちが杖を彼にむけている。こっそり〈浮遊の魔法(チャーム)〉をかけてくれたのだ。ネヴィルは左手をあげて指をならし、両足で地面を力いっぱい蹴り、空中に飛び立った。 別の兵士の盾の上空を飛んでネヴィルがやってくるのを見て、ジャスティンはショックをあらわにした。交差する位置で下を向いて杖の狙いをさだめ、ネヴィルは「ソムニウム!」と叫んだ。

 

なぜこんなことをしたかと言えば、そういう気分だったからだ。

 

ネヴィルは着陸のまえに足のむきをうまく合わせうることができず、地面にかなりのめりこみかけたが、三人いたうちの二人の〈カオス〉兵の杖が間にあい、手痛い衝突はさけられた。

 

ネヴィルは立ちあがったが、息をきらしていた。 はやく動かなければならない。周囲ではあちこちで「ソムニウム!」の声がとびかっている——

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()!」とネヴィルが声をあげ、青天そのものに挑戦するかのように杖をまっすぐ上にかかげた。今日からの自分はちがう、と思いながら。「()()()()()()()()()()()()()()()()() ()()()()()()()()()()——」

 

(ネヴィルはあとで目覚めさせられたとき、この声を合図にして〈ドラゴン〉軍が反撃に転じたと知らされた。)

 

◆ ◆ ◆

 

ハリーのそばにいた女子が、ハリーに向かってきていた弾をかわりに受け、地面にくずれおちた。 空気を切り裂くように二人の横を一瞬で通りぬけたミスター・ゴイルが遠くで嘲笑しているのが聞こえる。

 

「〈光閃(ルミノス)〉!」とハリーのそばにいた男子のひとりが叫んだ。使い果たしてしまっていた魔法力をやっと回復できて撃ったのだが、ミスター・ゴイルはなめらかに回避した。

 

〈カオス〉の残存兵力六人に対し、〈ドラゴン〉は二人。唯一の問題は、その二人のうち一人が無敵だということだ。もう一人は自分がつくった防壁のなかにおり、それをこちらが三人がかりで囲んでいる。

 

〈ドラゴン〉軍の他の兵士にやられた兵の数の合計よりも、ミスター・ゴイル一人にやられた兵の数のほうが多い。 ミスター・ゴイルは高速かつたくみに飛びまわり、だれの弾もあてることができない。しかもむこうは、その動きをしながら弾を命中させることができる。

 

ハリーはミスター・ゴイルを止める手立てをいくつも考えたが、そのどれも()()ではなかった。〈浮遊の魔法〉をかけて速度をさげるという手は(これは光束(ビーム)状だから、ずっとあてやすいが)、相手をホウキから落下させるかもしれないから安全ではない。進路に障害物をおくのも安全ではない。そして血が凍るにつれ、ハリーは安全性が必須だということをどんどん忘れやすくなった。

 

これはゲームだ。相手が()()ような手はダメだ。たかがゲームのために自分の将来を台無しにしてはならない……

 

ハリーにはパターンが()()()。ミスター・ゴイルの飛んでいく道すじが見える。みなの弾をいつどこに重ねあわせればミスター・ゴイルの行き場をなくして被弾させられるかがわかる。だがハリーはそれを兵士たちにすばやく()()することができない。兵士の射撃の練度もたりない。もうそれだけのことをする兵力もない——

 

こんな負けかたはごめんだ。たった一人に全滅させられるなんて!

 

ミスター・ゴイルのホウキがありえないほど高速に方向転換し、ハリーと残存兵たちのほうに狙いをさだめた。ハリーはとなりにいる少年が緊張するのを感じた。司令官のために身をなげだす準備をしているのだ。

 

もう知るか。

 

ハリーの杖がかかげられ、ミスター・ゴイルのほうを向く。ハリーのあたまのなかにパターンが浮かぶ。ハリーのくちがひらき、悲鳴をあげるように——

 

「ルミノスルミノスルミノスルミノスルミノスルミノスルミノスルミノスルミノスルミノスルミノス——」

 

◆ ◆ ◆

 

ハリーは目をひらいたとき、両手を胸のうえにあてて横たわる姿勢になっていた。戦死者のようなすがたで、杖は手のなかにある。

 

ハリーはゆっくりと身をおこした。 からだのなかの魔法力が痛む。奇妙だが完全に不快でもない感覚だ。身体を酷使するトレーニングをしたあとの、ほてりと倦怠感と似ている。

 

「司令官が目ざめたぞ!」とだれかが言い、ハリーは目をしばたたかせてその方向を注視した。

 

ハリーの兵士が四人、杖をかまえて、キラキラした玉虫色の半球のまえにいる。つまり、戦闘はまだ終わっていない。 そうか……自分は〈睡眠の呪文〉を被弾したのではなく、消耗しきってしまったんだ。だから目ざめれば、まだゲームのなかにいられる。

 

たかが子どものゲームで意識不明になるほど魔法力を消耗してはいけない、とこのあと、だれかから説教されることになる気がする。 だが重要なのは、冷静さをうしなった自分が、ミスター・ゴイルを傷つけなかったことだ。

 

そこである可能性にぴんときて、左手の小指にはめた鋼鉄の指輪に目をおろす。そして罵声をあげそうになってしまう。あの小さなダイアモンドがなくなっている。そして自分のたおれた位置のちかくに、マシュマロが落ちている。

 

あの〈転成術〉を維持しつづけて今日で十七日目だったのに、また最初からやりなおしだ。

 

不幸中の幸いだったかもしれない。もしこれがもう十四日あとで、お父さんの石を〈転成〉することをマクゴナガル先生に許されてからのことだったら、大惨事だった。 今回は重傷をおわずに、たいせつな教訓をまなぶことができた。

 

自分へのメモ:魔法力を使いはたすなら、そのまえにかならず指輪をはずせ。

 

ハリーは立ちあがろうとしたが、なかなか楽にはいかなかった。 魔法力を使いはたしても、筋力は消耗しない。だが木々をよけつつ走りまわっていれば、当然、消耗する。

 

ハリーはドラコ・マルフォイをつつむゆらめく半球のまえに向かった。ドラコは防壁を維持するため杖を上にむけたまま、ハリーにむけて冷たい笑みをした。

 

「五人目の兵士はどこにいった?」とハリー。

 

「その……」と言いだした少年の名前をハリーは度忘れした。「この防壁に〈睡眠の呪文(ヘックス)〉を撃ったら、はねかえってラヴェンダーにあたってしまって……あれは、あたるような角度じゃなかったのに……」

 

防壁のむこうでドラコが薄ら笑いをしている。

 

「ところで、」と言ってハリーはドラコの目をまっすぐに見た。「あの三人ずつのフォーメーションはきっと、プロの魔法軍隊のやりかたなんじゃないか? 訓練された兵士なら、移動しながらでも手を安定させて十分正確な射撃ができるし、近くにいればおたがいの防御をかためることができて効果的だから、ああするんだろ? きみの兵士とは大ちがいだね?」

 

ドラコの薄ら笑いが消えて、暗く険しい表情になった。

 

「ほら、」ハリーは気軽な声で言う。いま二人のあいだで実はどういうメッセージがかわされているのかは、ほかのだれにもわからないはずだ。「これで、自分が目標にしている人が相手でも、つねにうたがうべきなのがわかるだろう。あの人がああするのはなぜか、自分のおかれた状況でもおなじことが言えるか、と考えるべきなんだ。 ついでに言うと、これは実生活にも言えることだからね。 とにかく、速度が遅い標的があれだけかたまってくれていると撃つのも楽で助かったよ。」

 

ドラコには以前この説教を聞かせてあるが、どうやら、純血魔法族の慣習から引き離そうとする下心がある説教だと思ってドラコは無視したようだった。事実、ハリーにその下心はあった。 だが今回の例をちょうどいい口実にして、つぎの土曜日には、権威をうたがうことは単純に実生活で役に立つのだと主張してやることができる。 そして自分の実験がうまくいったことも紹介できる。最初は個人について、つぎに集団について、速度が重要であるという仮説が証明されたと言って、ドラコも日常生活で合理主義の方法を実践する機会をのがすべきではない、と強調しよう。

 

「勝ったと思うなよ、ポッター司令官!」とドラコがうなる。 「時間切れになれば、クィレル先生は引き分けと判定するかもしれないぞ。」

 

その点はたしかになやましい。 終戦判定はクィレル先生個人の判断にゆだねられており、現実世界の基準で勝ったと考えられる軍が勝者になるという。 ()()()()勝利条件は決まっていない。そういったルールがあればハリーに悪用されてしまうからだ、とクィレル先生は言った。そう言われると反論できない。

 

クィレル先生がまだ終戦を宣言しないことについても責めることはできない。〈ドラゴン旅団〉の最後の兵士が、のこり五名の〈カオス軍団〉残存兵を全員しとめる可能性はある。

 

「わかった。じゃあ、なんでもいいからマルフォイ司令官のあの防壁呪文のことをだれか知らないか?」

 

話をまとめると、ドラコの防壁は標準的な〈防盾(プロテゴ)〉の変種で、いくつか不便な点がある呪文のようだ。使い手の移動に追従してくれないというのが最大の欠点だ。

 

いいところは——ハリーの立ち場から言えば悪いところだが——簡単におぼえられて、簡単に使えて、長時間維持するのもたやすいということだ。

 

これを突破するには、攻撃呪文による打撃が必要だ。

 

そして壁にあたった呪文がはねかえるとき、ドラコはある程度角度をコントロールできるらしい。

 

ウィンガーディウム・レヴィオーサを使って重い石を防壁の上に積んでいく、という手があるかもしれない。そうすれば防壁はいずれ圧力に耐えられなくなるのではないか……が、石がドラコにあたるかもしれないし、敵軍の司令官に実際にけがをおわせるのは、今日やるべきことではない。

 

「じゃあ、盾をつらぬく専門の呪文とかはないの?」

 

ある、という返事があった。

 

だれかそういう呪文を知っているか、とハリーはきいた。

 

だれも知らない。

 

ドラコはまた壁のむこうで薄ら笑いをしている。

 

はねかえされないような攻撃呪文はないか、とハリーはきいた。

 

電撃ならふつうは防壁にはねかえされず、吸収されるらしい。

 

……電撃系の呪文の使いかたを知っている者はひとりもいない。

 

ドラコはほくそえんだ。

 

ハリーはためいきをした。

 

そしてわざとらしく杖を地面においた。

 

それから多少うんざりした声で、いまからとある秘密の方法で防壁をくずすことにしたから、防壁がやぶれしだい、ほかのみんなはすぐに砲火してくれ、と告げた。

 

〈カオス軍団〉兵はみな不安そうにしている。

 

ドラコは落ちついた表情をしている。つまり、コントロールされた表情をしている。

 

うすい毛布が一枚、ハリーのポーチから出てきた。

 

ハリーはゆらめく防壁のとなりに座り、その毛布をあたまにかぶって、自分のやることがだれにも見えないようにした——もちろんドラコ以外のだれにも、ということだが。

 

ハリーのポーチから自動車用バッテリーとジャンパーケーブルが出てきた。

 

……マグル世界を旅たって、魔法研究の新時代を切りひらこうというときに、電気を発生させる手段をもってこないようでは困る。

 

ほどなくして〈カオス軍団〉兵たちは、指がなる音につづいて、毛布のむこうでパチパチいう音を聞いた。 防壁がいままでより明るくかがやきだすと、ハリーの声がこう言った。 「こっちは気にしなくていいから、マルフォイ司令官から目をはなさないで。」

 

ドラコの表情に苦しさが見えだした。そして怒りといらだたしさがあらわれた。

 

ハリーは笑みをうかべ、声をださずに、()()()()()()()、と言った。

 

その瞬間、森のほうから緑色のエネルギーの螺旋が飛んできてドラコの防壁にあたり、ガラス同士をあてたときのような引っかき音がして、ドラコがよろめいた。

 

ハリーはあわてて取り乱し、ジャンパーケーブルをバッテリーから抜き、ポーチに食わせ、バッテリー本体もポーチにいれ、毛布をはがして杖を手にとり、立ちあがった。

 

ハリーの兵士たちもまだ取り乱した様子で、きょろきょろあたりを見まわしていた。

 

「〈防幕(コンテゴ)〉」とハリーが言い、兵士たちもつづいた。だが防壁をどの方向にむけるべきなのかわからない。 「いまのがどこから飛んできたのか見えなかったか?」 全員くびをふる。 「マルフォイ司令官、さしつかえなければ教えてほしい。グレンジャー司令官はきみたちがしとめたのか?」

 

「さしつかえあるね。」とドラコは辛辣に言った。

 

まずい。

 

ハリーのあたまのなかで計算がはじまる。ドラコは防壁のなかにいる。ドラコはそれなりに消耗している。ハリーも消耗している。ハーマイオニーは森のなかのどこにいるのかわからない。自軍の残りは自分と兵士四名……

 

「グレンジャー司令官、」と大声でハリーは言う。「惜しかったね。マルフォイ司令官とぼくがやりあうのを待つべきだった。そうすれば生存者を全員しとめられたかもしれないのに。」

 

どこからか女の子が甲高く笑う声がした。

 

ハリーは凍りついた。

 

いまのはハーマイオニーじゃない。

 

すると、不気味で明るい声の合唱が四方から聞こえてきた。

 

こわがることはなにもない

悪人以外、なにも心配することはない……

 

「グレンジャーめ、反則したな!」と防壁のなかのドラコが激昂する。「眠った兵士を起こしたんだ! どうしてクィレル先生は止めようとしない——」

 

「もしかして、」とハリーは言いかけたが、すでに腹のなかにいやな感覚がたまっている。 負けるのはやっぱりいやだ。 「そっちも、すごく楽に勝ててたんじゃないか? ほとんど一網打尽だったり?」

 

「ああ、全員一発目でしとめた——」

 

慄然としてなにかに気づいた表情がドラコから〈カオス〉兵たちへとひろがった。

 

「しとめてなかったんだよ。」とハリー。

 

木々のあいだから迷彩服の人影がつぎつぎとあらわれた。

 

「同盟する?」とハリー。

 

「同盟する。」とドラコ。

 

「発射」とグレンジャー司令官の声がして、緑色に光るエネルギーの螺旋がもう一発、木々のあいだから飛来して、ドラコの防壁を粉ごなにした。

 

◆ ◆ ◆

 

グレンジャー司令官は戦場を検分して、深く満足した。 残った〈太陽〉兵は九人だが、敵軍最後の生存者をしとめるには、まあ十分だろう。とくに、パーヴァティとアンソニーとアーニーがその相手に杖をむけているこの状態なら。まえもって、ポッター司令官は生け捕りにするように(というか、眠らせないように)、と命じてあったのだ。

 

それが〈悪〉なのはわかってはいるが、できればここで、すごくすごく嘲笑したい。

 

「トリックなんだろ?」とぴりぴりした声でハリーが言う。 「なにかトリックがあるはずだ。 ほかの科目ぜんぶにくわえて、こんなすぐに完璧に軍を指揮できるなんておかしい。 きみはそこまでスリザリン的じゃない! 気味悪い歌詞を書く才能もない! ()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

グレンジャー司令官は〈太陽〉兵たちを見わたして、ハリーの方向に向きなおった。 おそらく外野のスクリーンから、みんながこの様子を見ている。

 

そしてグレンジャー司令官はこう言った。「ちゃんと勉強しておけば、わたしはなんでもできる。」

 

「ふざけるのもいい加減に——」

 

「〈睡夢(ソムニウム)〉」

 

ハリーは最後まで言えずにくずれおちた。

 

勝者〈太陽(サンシャイン)」と宣言するクィレル先生の大きな声が、どこからともなくやってきた。

 

「いい子は勝つ!」とグレンジャー司令官が咆哮した。

 

「バンザーイ!」と〈太陽〉兵が歓声をあげた。 グリフィンドールからきている兵士でさえそうした。しかも誇らしそうに。

 

「今日の戦闘の教訓は?」とグレンジャー司令官。

 

『ちゃんと勉強しておけば、なんでもできる!』

 

〈太陽部隊〉の生存者が勝者の位置にむけて行進した。行進曲の歌詞はこうだった。

 

こわがることはなにもない

悪人以外、なにも心配することはない

ほんとの居場所を用意してあげたから

そこで待ってる友だちに

一言よろしく伝えてね

グレンジャーの〈太陽部隊〉より!

 

◆ ◆ ◆

 

原作品の著者:J. K. Rowling

ファンフィクションの著者:Eliezer Yudkowsky

 


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