ハリー・ポッターと合理主義の方法   作:ポット@翻訳

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33章「協調問題(その1)」

◆ ◆ ◆

 

おそろしいのは、それがあっというまに手がつけられないほど進行してしまったことだ。

 

「アルバス、」 ミネルヴァは心配を隠そうともしない声で言う。二人はちょうど大広間にはいるところだった。「なにか手をうたなければなりません。」

 

例年であればホグウォーツは冬至祭(ユールタイド)をまえにするこの時期、楽しげな雰囲気になる。 大広間はすでに緑と赤のかざりつけがされている。これは冬至(ユール)に結婚式をおこなったスリザリン生とグリフィンドール生にちなんだもので、以来、寮や陣営の垣根をこえるシンボルとなった。ホグウォーツ創設とほぼおなじくらい古い伝統でもあり、マグル諸国にもひろがっている。

 

夕食中の生徒たちは、神経質そうにまわりをちらりと見たり、ほかのテーブルににらみをきかせたり、テーブルによっては論争を白熱させたりしている。 ()()()()雰囲気とでも言えるかもしれないが、ミネルヴァはどうしても()()()()()ということばを考えてしまった。

 

一つの学校を四つの寮に分割し……

 

さらに学年ごとに、三つの軍を作って交戦させる。

 

〈ドラゴン〉と〈太陽〉と〈カオス〉の党派心はいまや一年生にとどまらず、軍に属していない生徒もそのどれかを支持するまでになった。 火とスマイルと手の紋章のどれかを腕章にしてつけるだけでなく、廊下でおたがいに呪文をうちあう。 一年生司令官は三人ともやめろと言うのだが——ドラコ・マルフォイでさえ、ミネルヴァが忠告するのをじっと聞いて、険しい表情でうなづいた——三人の支持者であるはずの生徒たちは聞きいれなかった。

 

ダンブルドアはテーブルがならぶ方向を見て遠い目をした。 「どの都市も——」と老魔法使いは小声で引用する。「はるか昔に〈青〉党と〈緑〉党へと分断され…… なんのためかも知らず、自分を犠牲にして敵とたたかい…… だれもがいわれのない敵意を隣人にむけるようになり、両党が結婚や交遊や友情によりむすびつくことはなく、色がちがえば兄弟姉妹、親戚も関係なく、だれも敵意をたやすことがない。 わたしに言わせれば、これはたましいの病気以外のなにものでもない……

 

「すみませんが、なんのことか——」

 

「プロコピオス。当時のローマ帝国では戦車(チャリオット)競走は単なる遊戯ではなかった。 ミネルヴァ、たしかになにか、手をうたねばならんと思う。」

 

「猶予はありませんよ。」と言ってミネルヴァはさらに声をおとした。「つぎの土曜日までに、どうにかしなければ。」

 

日曜日には、大半の生徒が家族とクリスマスを過ごすためにホグウォーツを去る。そのため、一年生三部隊の最後の模擬戦は土曜日におこなわれ、その結果により、三重に呪われたクリスマスの願いごとをクィレル先生にかなえてもらえる勝者が決まる。

 

ダンブルドアは彼女に視線をむけ、深刻そうにながめた。 「でなければ破綻が起き、だれかが傷つくことになってしまう、と思うか。」

 

ミネルヴァはうなづいた。

 

「そしてクィレル先生がその責任を問われることになると。」

 

ミネルヴァは表情をかたくして、もう一度うなづいた。 〈防衛術〉教授が解雇される状況については彼女もよく知っている。 「アルバス、いまクィレル先生をうしなうわけにはいきません! 一月までいてもらえれば、五年生は全員OWLs(オウルズ)に合格できます。三月までいてもらえれば、七年生がNEWTs(ニューツ)に合格します。クィレル先生がいれば、何年分もの教育放棄をおぎなえ、〈闇の王〉の呪いに反して、この世代は自衛ができるようになるのです——あの模擬戦はやめさせるしかありません! 軍を解散させるのです!」

 

「当人は、こころよく思わないのではないかと思う。」と言ってダンブルドアは〈主テーブル〉でスープによだれをたらしているクィレルに目をむけた。 「彼は模擬戦にはとくに思いいれがあるらしい。模擬戦の授業を許可したとき、わしは学年ごとに四つずつ軍ができるものと思っていたが。」 老魔法使いはためいきをついた。 「かしこい男ではあるし、おそらく善意でのこととは思うが、かしこさが足りなかったということになりかねん。 かといって軍を解散させるのもまた、破綻の火だねとなるやもしれん。」

 

「ではアルバス、なにをするつもりですか?」

 

老魔法使いは温厚そうな笑みをむけた。 「それはもちろん、謀略でいく。 最近のホグウォーツの流行にのって。」

 

二人は〈主テーブル〉のすぐまえまで来てしまったので、ミネルヴァはそれ以上なにも言えなかった。

 

◆ ◆ ◆

 

おそろしいのは、それがあっというまに手がつけられないほど進行してしまったことだ。

 

十二月最初の戦闘は……ひどいありさまだった。すくなくとも、ドラコが聞いたかぎりでは。

 

二回目の戦闘は()()()()だった。

 

そのつぎはもっと悪化する。司令官三人が協力して、今回こそ、それを止める絶望的なこころみを成功させないかぎり。

 

「クィレル先生、これは狂気です。」とドラコが言う。「もうスリザリン的でもない。これじゃ……」 と言ってドラコはことばをうしない、 両手を無力そうに振る。 「このありさまでは、まともな謀略をはたらかせることなんかできません。 前回の戦闘では、うちの軍で自殺をよそおった兵士が一人いました。 ()()()()()()()()()()なにかたくらもうとしているんですが、当人はできているつもりで、ぜんぜん()()()()()()のを自覚していない。 なにもかもでたらめに起きていて、もはや、かしこいかどうかも、戦力が上か下かも関係なく……」  ドラコにはもはや表現するすべがない。

 

「ミスター・マルフォイに同感です。」 グレンジャーは、自分がこんなことを言うのが信じられないというような言いかたで言う。 「裏切りを許すというルールは失敗でした。」

 

ドラコは自分以外だれも謀略をたくらんではならないと命じたが、謀略が裏でおこなわれるようになっただけだった。ほかの軍の兵士は謀略をしていいのに自分たちができないのは不公平だと思ったのだ。 前回でみじめな敗北を喫してやっと、ドラコはあきらめて、その命令をとりけした。 だがその時点で、兵士たちはみなすでに自分自身の作戦にもとづいて動きはじめていた。中央で管理している人はいない。

 

各自の作戦を聞きだして、というか各自が自分の作戦と主張するものを聞きだして、ドラコは最終戦に勝つための策をねろうとした。 しかし、三つのことを個別に成功させる、どころではない複雑さだったので、ドラコは紙をインセンディオで燃やし、のこった灰をエヴェルトで消した。父上にあれを見られたら、親子の縁を切られるところだった。

 

クィレル先生は目を半分とじて、両手の上にあごをのせ、机に身をのりだしている。 「では、ミスター・ポッター。 きみも同調するのか?」

 

「あとはもうフランツ・フェルディナントを射殺するだけですね。そうすれば〈第一次世界大戦〉になります。」とハリーが言う。 「みごとなまでの混沌(カオス)状態。ぼくはいいと思いますよ。」

 

()()()()」とドラコは純粋にショックをうけて言った。

 

一瞬あとまで気づなかったが、ドラコがそう言うのとまったく同時に、まったくおなじ憤慨した調子で、グレンジャーもそう言っていた。

 

グレンジャーはぎくりとした様子でドラコを一瞥した。ドラコは慎重に中立的な表情をたもつ。……迂闊(うかつ)だった。

 

「そう! 裏切るとも! きみたち両方を裏切るとも! 今回も! ハッハッハ!」

 

クィレル先生は薄ら笑いをしているが、目はまだ半分とじたままだ。 「そうする理由は?」

 

「ぼくはミス・グレンジャーとミスター・マルフォイが耐えられないようなカオスにも耐えられるからです。」と裏切り者が言う。 「この模擬戦は零和(ゼロサム)ゲームですから、絶対的に簡単か困難かは気にしてもしょうがない。相対的に上をいければいいんです。」

 

ハリー・ポッターは物おぼえがよすぎる。

 

クィレル先生の目がまぶたの下でドラコの方向をむき、それからグレンジャーの方向をむいた。 「実のところ、この破滅が最高潮に達するのを止めてしまっては、わたしは自分を許せそうにない。 きみたちの兵士のなかにはすでに、四重スパイになった者さえいる。」

 

()()()」とグレンジャーが言う。「でも陣営は三つしかありません!」

 

「ああ。」とクィレル先生が言う。 「そう思ってしまうところだね。 歴史上どこかに四重スパイが存在したのかどうかも、 そしてこれほど高い比率で真の反逆者や反逆者のふりをしている者がいる軍隊が存在したのかどうかも、さだかではない。 われわれはあらたな領域に足をふみいれつつある。そしてもはや、あともどりはできない。」

 

ドラコは防衛術教授室を去るとき、強く歯ぎしりをしていた。となりのグレンジャーは、もっといらだっていた。

 

「あんなのあんまりじゃない、ハリー!」

 

「ごめん。」と言いながらハリーはまったく申し訳なさそうではなかった。くちびるは陽気で邪悪な笑いのかたちをしている。 「でもこれはゲームだろう。司令官だけが謀略をさせてもらえるっていうのは変じゃないか? それに、きみたち二人になにができるのかな? 手をくんでぼくに立ちむかうとでも?」

 

ドラコはグレンジャーと視線をかわした。おたがい相手とおなじくらいかたい表情をしているのがわかっている。 ドラコは泥血(マッドブラッド)の女の子と共同戦線をはることなどしない。ハリーはそのことをあてにしてきたが、だんだんあからさまに吹聴し、嘲笑するまでになった。こうやってつけこまれると、ドラコとしても嫌になってくる。 このままでは、いずれグレンジャーと同盟する羽目になる。そう考えてしまうくらい、ハリー・ポッターをたたきつぶして、一泡ふかせてやりたくなってきた。

 

◆ ◆ ◆

 

おそろしいのは、それがあっというまに手がつけられないほど進行してしまったことだ。

 

ハーマイオニーはザビニにもらった羊皮紙を見つめて、心底無力感をおぼえた。

 

まず名前がいくつもあり、さらに名前と名前をつなぐ線がいくつもあり、色がついた線もいくつかある……

 

「この軍にスパイ()()()()人はいるのか、って聞きたくなるんだけど?」

 

二人は司令官室ではなく、別の空き教室にいる。ほかにはだれもいない。ザビニ連隊長が言うには、隊長クラスのうちだれか一人はハーマイオニーの軍を裏切っていることがほぼ確実だからだ。 ザビニがうたがっているのはゴルドスタイン隊長だが、確証はない。

 

ハーマイオニーの質問をきいて、スリザリン生ブレイズ・ザビニは皮肉な笑みをうかべた。 ザビニはいつもすこし不遜な態度ではあるものの、ハーマイオニーを積極的に嫌ってはいないように見える。 対照的に、ドラコ・マルフォイへはあざけりを、ハリー・ポッターへは敵意をつのらせているのが明らかだ。 ハーマイオニーはまっさきにザビニが裏切るのでは、ということが心配だったのだが、彼はもう二人の司令官に目にものを見せてやるということに意識を集中させているようだ。 きっと、相手がほかのだれかであれば、ザビニはよろこんで寝返るだろう。だがマルフォイとハリーの勝利に手を貸すつもりだけは、さらさらないらしい。

 

「大半の兵士は実際には裏切っていない。これはかなり確実だ。 みんな、おいてきぼりにされたくないと思ってるだけさ。」  軽蔑にみちたその表情からは、ザビニが真剣に謀略にとりくまない人たちのことをどう考えているかがはっきりと見てとれた。 「二重スパイになれば、裏切ったふりをしながらこっそりこちらを支援できる、と思っているんだ。」

 

「なら、スパイになりたいといってこちらに来た敵軍の兵についても、おなじことが言えそうね。」

 

ザビニは肩をすくめた。 「マルフォイから寝返るつもりだという兵については、ちゃんと本心かどうかを見きわめられたつもりだ。 ポッターからこちらへ本気で寝返る兵がいるのかどうかは、よくわからない。 でもノットがポッターを裏切ってマルフォイにつくのは、ほぼまちがいなさそうだ。エントウィスルがマルフォイの使者のふりをして、そう聞き出したんだ。エントウィスルは本心からこちらの指揮下にある。そこまで確認できていれば十分——」

 

ハーマイオニーはしばらく目をとじた。 「わたしたち、このままだと負けそうじゃない?」

 

「いや……」とザビニは辛抱づよく答える。「いまのところクィレル点ではグレンジャー司令官が首位にいるじゃないか。 この最終戦で惨敗するのさえ避けられれば、あのクリスマスの願いごとを勝ちとれるだけの点差はある。」

 

クィレル先生は最終戦では形式的な得点制を採用すると告知した。あとでもめないようにするためにこうしてほしい、という依頼をうけてのことだ。 ある軍に属する者がだれかを撃ってしとめると、その軍の司令官に二クィレル点がはいる。 鐘の音が戦場全体(つぎの戦場は知らされていないが、〈太陽〉軍の戦績がよかったのは森なので、森であればいいとハーマイオニーは思っていた)にひびき、その音高でどの軍が点を獲得したかわかる、ということになっている。 撃たれたふりをした人についても鐘は鳴るが、そのあとで二度目の鐘が鳴って撤回を知らせる。その時間差は毎回変動する。 「〈太陽〉に!」、「〈カオス〉に!」、「〈ドラゴン〉に!」という風にどれかの軍の名を叫べば、自分の所属軍を変更することができる……

 

ハーマイオニーでさえ、そのルールに穴があるのが分かった。 だが、クィレル先生の説明にはつづきがあった。もともと〈太陽〉所属の人を、〈太陽〉の名で撃つことはできない。いや、撃ってもいいが、そうすると鐘が三度鳴り、〈太陽〉は一クィレル点をうしなう。 これにより、自軍の兵士を撃って点をかせぐ真似ができなくなるし、敵にやられそうになった人が自殺することも防げる。だが必要であれば、スパイを撃つことはできる。

 

現在のハーマイオニーのクィレル点は二百四十四点で、マルフォイは二百十九点、ハリーは二百二十一点。各軍には兵士が二十四人ずつ。

 

「じゃあ今回は、慎重にやりましょうか。大敗しなければいいんだから。」

 

「いや……」と言ってザビニは真剣な表情をした。「まずいことに、マルフォイもポッターも、勝つためにはなにをしないといけないかが分かっている。あの二人からすると、まず協力してうちを倒して、そのあとでおたがいの決着をつけるしかない。そこで、こちらとしてとるべき策は——」

 

ハーマイオニーは軽いよろめきを感じながら教室をあとにした。 ザビニが提案したのは自明な作戦ではなかった。奇妙で複雑で何重にもなっていて、ザビニというよりハリーが考えつきそうな種類の作戦だ。 その作戦を自分が()()できたこと自体、おかしいような気がした。 ふつうの女の子は、ああいう作戦を理解できないものだ。 あんな作戦を理解するような子だと〈帽子〉に知られていたら、きっと自分はスリザリンに〈組わけ〉されていただろう……

 

◆ ◆ ◆

 

うれしいのは、意図してやるようにしただけで、混沌(カオス)がこれだけ早くはびこってくれたことだ。

 

ハリーは司令官室の席にいる。家事妖精(ハウスエルフ)に家具を注文する権利をあたえられたので、ハリーは玉座と、黒と紅の模様のカーテンを注文した。 床は血のような赤色の照明と影で色どられている。

 

ハリーはやっとふるさとに帰れたような気分がしてきた。

 

目のまえには、四人の大尉が立っている。ハリーの腹心の部下たちだが、そのうち一人は裏切り者だ。

 

これ。こうでなくちゃ。

 

「全員そろったな。」とハリー。

 

「世界に〈混沌(カオス)〉を。」と四人の大尉が唱和した。

 

「ワタシ ノ ホヴァークラフト ワ ウナギ デ イッパイ デス。」とハリー。

 

「コノ レコード ニワ キズ ガ アル ノデ カイマセン。」と四人の大尉が唱和した。

 

「総て弱ぼらしきはボロゴーヴ。」

 

「かくて郷遠しラースのうずめき叫ばん。」

 

ここまでが儀礼的な部分である。

 

「錯乱作戦はどうなっている?」とハリーは銀河帝国皇帝パルパティーンのようなかすれ声で言った。

 

「順調です、司令官。」とネヴィルは、軍関係のことを話すときいつもそうするように、低い声で言った。低すぎて、咳こんでしまうほどだった。 大尉としてのネヴィルは黒の学校用ローブを着、ハッフルパフの黄色のえりを見せ、髪の毛は活発な青年風にわけてなでつけてある。 上着はほかにもいくつか試させたが、ハリーはこのちぐはぐさが一番気に入っていた。 「わが軍は昨晩から、もう五件謀略を発動しました。」

 

ハリーは邪悪な笑みをした。「そのうちひとつでもうまくいきそうな可能性は?」

 

「ないですね。これが報告書です。」とネヴィル。

 

「よし。」と言ってハリーは冷たく笑い、ネヴィルから羊皮紙をうけとった。できるかぎり、埃をのどに詰まらせたような声で笑うようにした。これで謀略は合計六十件。

 

ドラコはせいぜい応戦してみるがいい。できるものなら。

 

ブレイズ・ザビニについては……

 

ハリーはまた笑った。今回は邪悪にしようと意識する必要もなかった。 定例会議用に、だれかの飼いクニーズルをぜひ一匹借りておきたい。こうやって笑うときには、猫をなでるともっとさまになる。

 

「これ以上謀略をやる必要があるんですか?」とフィニガン大尉が言う。「その、もうこれくらいで十分なんじゃ——」

 

「いや、謀略はいくらあってもたりない。」とハリーはきっぱり言った。

 

まさにクィレル先生が言ったとおりだ。 もしかするとこれは、かつてない新境地にふみこみつつあるかもしれない。 ここで退いてしまえば、ハリーはひどく後悔することになるだろう。

 

ドアにノックがあった。

 

「〈ドラゴン〉軍司令官のおでましだ。」と言って、ハリーは邪悪に予見する笑みをした。「予想したとおりの時刻だ。お通しして、きみたちは下がりなさい。」

 

四人の〈カオス〉軍大尉がドタドタと出ていく。すれちがいざまに四人から邪険な視線をうけながら、敵軍司令官ドラコがハリーの隠れ家へと入ってくる。

 

大人になったらこういうことをさせてもらえないのなら、永遠に十一歳のままでもいいとハリーは思った。

 

◆ ◆ ◆

 

太陽の光が赤いカーテンを通って漏れ、血のような筋が床のうえをあばれているのを背に、ハリー・ポッターが大人サイズのクッションつき椅子に座っている。金銀の装飾がほどこされたこの椅子を、ハリーは玉座と呼ばせている。

 

(世界を征服されてしまうまえにハリー・ポッターを打倒するとドラコは決心していたが、その判断はただしかったという確信が強くなってきている。ハリー・ポッターに支配された世界での生活はどうなるのか、想像だにしがたい。)

 

「こんばんは、司令官。」とハリー・ポッターは冷ややかにささやく。「思ったとおりの時刻に来たね。」

 

なんということはない。二人はこの時間に会う約束をしていたのだから。

 

それ以前に、いまは夜ではない。だがドラコのこれまでの経験上、つっこまないのが得策だ。

 

「ポッター司令官。」とできるだけ尊厳ある口調でドラコは言う。「われわれ両軍がちからを合わせないかぎり、どちらもクィレル先生の願いごとを勝ちとれるのぞみはない。そうだろう?」

 

「そうだ。」 ハリーは〈ヘビ語つかい〉になったつもりのような声のだしかたをした。 「ぼくらは協力して〈太陽〉を打倒して、そのあとでおたがいの決着をつけるしかない。 でもどちらかが途中で裏切ったら、裏切ったほうがあとの戦闘で優位にたてる。 〈太陽〉軍司令官もそのことを承知しているから、おたがい相手に裏切られた、とぼくらに思いこませようとする策にでるだろう。 そしてきみとぼくのほうもそのことを承知しているから、自分から裏切っておいて、グレンジャーの罠にかかってしまったという言い訳をしたくなる。 そしてグレンジャーも()()()()を承知している。」

 

ドラコはうなづいた。 そこまではだれにでもわかる。 「そして……どちらにとっても重要なのは勝てるかどうかだけだし、裏切りをしようがだれにもとがめられはしない……」

 

「そのとおり。」と言ってハリー・ポッターは真剣な表情をした。「これは()()〈囚人のジレンマ〉だ。」

 

〈囚人のジレンマ〉は、ハリーがドラコに聞かせた講義ではこういう風に説明されていた。囚人が二人、別々の牢屋にいれられている。 両者を有罪とする証拠がすでにあるが、軽い罪で、懲役二年相当だ。 両者はおたがいに対する()()()をする機会をあたえられる。一人が相手の悪事を証言すれば一年減刑され、もう一人は二年懲役が増える。 沈黙をつづけるという()調()()な選択肢もある。 囚人が両方とも裏切って、おたがいの悪事を証言すれば、どちらも三年服役することになる。 両方が協調して沈黙をつづければ、それぞれ二年の刑、片方が裏切ってもう片方が協調的であれば、裏切ったほうは一年、協調したほうは四年服役する。

 

両者とも、相手の選択を知らされないまま決断をしなければならない。また、あとで決断を変更する機会はない。

 

ドラコの考えでは、もし囚人が〈魔法界大戦〉時代の〈死食い人〉だったら、裏切った者は全員〈闇の王〉に殺される。

 

ハリーはそれを聞いてうなづいて、それも〈囚人のジレンマ〉を解決するひとつの方法だ、と言った——〈死食い人〉にとっては〈闇の王〉がそうしてくれるのが()()()()()だろう、とまで言った。

 

(ドラコはハリーをさえぎって、そのさきに行くまえに、しばらく考えさせてほしい、と言った。 そういうことなら、父上や父上の友人たちが〈闇の王〉の支配を甘受して、ときにひどい処遇を受けいれたのもわかる気がする……)

 

ハリーによると、政府というものが存在する理由もほとんどこれだけだ、という——〈囚人のジレンマ〉の裏切り者とおなじように、個人個人はひとから盗むほうが得だと思うかもしれない。 だがもし全員がそう考えれば、国は混沌におちいり、全員が損をする。これもちょうど囚人両方が裏切る場合とおなじだ。 だから人びとは政府に支配されることをえらぶ。〈死食い人〉が〈闇の王〉に支配されることをえらぶのとおなじように。

 

(ドラコはそこでもう一度ハリーを止めた。 野望のある魔法使いは権力をもとめる。支配されるほうはあわれなハッフルパフだから支配される。それがあたりまえだと思っていた。 考えなおしてみても、やはりそれがただしいような気がする。いっぽうでハリーの視点も、まちがいではあれ魅力的だった。)

 

だが、第三者に罰せられるという恐怖だけが、〈囚人のジレンマ〉において協調をうながす唯一の手段ではない、とハリーは言った。

 

魔法でつくりだした自分のコピーとゲームをすることを考えてみるがいい、とハリーはつづけた。

 

もしドラコが二人いれば、どちらも相手に危害がくわわることは避けようとするだろうし、マルフォイ一族たるもの裏切り者の汚名をうけるようなことはしない、とドラコは言った。

 

ハリーはうなづいて、これももうひとつの〈囚人のジレンマ〉の解決法だと言った——ひとは相手の身を案じたり、自分の名誉を重んじたり、評判をよくしたいと思ったりする。 実のところ、()()〈囚人のジレンマ〉を組み立てるのはむずかしい——現実には、相手の身を案じたり、自分の名誉や評判を守りたかったり、〈闇の王〉に罰されたりなど、とにかく刑期以外の要素が気になってくることが多い。 でも仮に、そのコピーが、()()()利己的な人物のコピーだったとしたら——

 

(二人は例としてパンジー・パーキンソンを使った。)

 

——どちらのパンジーも()()の利益しか考えず、もう一人のパンジーのことは気にしないとすると——

 

もしパンジーが気にすることがほかになにもなく……〈闇の王〉に罰される心配もなく……パンジーは自分の評判を気にしないとすれば……名誉もどうでもいいと思っていてもう一人の囚人に対する責任感もないとすれば……その場合、パンジーにとって合理的な行動は、協調か裏切りのどちらだろうか?

 

もう一人のパンジーを裏切るのが合理的な選択だ、という人もいるという。だがハリーと、ダグラス・ホフスタッターという人は異論をとなえる。もしパンジーが——いい加減な理由ではなく、()()()()()()()——裏切れば、もう一人のパンジーもまったくおなじように考えるはずだ。二体のコピーはかならずおなじ判断をする。 だからパンジーにとっての選択肢は、両方のパンジーが協調的になる世界と、両方が裏切る世界しかなくなる。その二つのうちなら、両方が協調する世界のほうが有利だ。 それに、もし合理的な人が〈囚人のジレンマ〉で裏切る選択をするなら、そんな『合理主義』は広める価値がない。というのも、そんな『合理的』な人間だらけの世界は混沌におちいるからだ。そんな『合理主義』は敵にあげてしまったほうがいい。

 

……という話をしたとき、その場ではまともな話に聞こえていたのだが、()()考えてみると……

 

「あのとき、合理的な回答は協調的になることだ、と言ったな。 でも、きみはぼくにそう信じさせたいに決まってるじゃないか?」  そしてもしドラコがだまされて協調的になってしまえば、ハリーは、()()()()()()()()()()()()、と言って、ドラコをあとで笑い者にするだろう。

 

「講義ではうそはつかない。」とハリーは真剣な調子で言う。「でも注意してほしいんだけど、ぼくはなにも考えずに協調的になれ、とは言っていない。 こういう()()〈囚人のジレンマ〉はそういうものじゃない。 ぼくが言ったのは、決断するとき、自分のことだけ考えて決断するべきじゃないし、みんなのためを考えて決断するべきでもないっていうこと。 自分と()()()()()()人ならおそらく同じ理由で同じ行動をするだろう、と思えるような選択にするほうがいい。 自分をよく知っている人なら予測できるような選択肢をえらんだほうがいい。そうすれば、ほかの人が自分についてただしい予測をした場合に、後悔する必要がなくなる——そのうち〈ニューカム問題〉のことを教えてあげよう。 そこで、ぼくらが問うべきことはこれだ。ぼくらは同じように考えて、どちらにしろ()()()()をする程度に、おたがいよく似ているか? それとも、おたがいをよく知っていて、おたがいがなにをするかを予測できるか? つまり、ぼくはきみが裏切るかどうかを予測でき、きみはぼくがその予測と同じ選択をするかどうか——なぜならぼくはきみがそう予測できると知っているから——を予測できるか?」

 

……ドラコはいまの話の()()を理解するのがやっとだった。ということは、答えは『ノー』しかないのではないだろうか。

 

「イエス。」とドラコ。

 

沈黙。

 

「そうか。」と言って、ハリーはがっかりしたようだった。「あーあ。じゃあ、なにか別の方法を考えないと。」

 

やっぱりうまくいかなかったか。

 

ドラコとハリーはああでもないこうでもないと言いあった。 二人はずっとまえに、戦場でなにが起きようが、実生活で約束をやぶったことにはならない、と合意してあった——といっても、ハリーがクィレル先生の居室でやったことについて、ドラコはちょっと憤慨してはいたし、実際そうだとハリーに言ったのだが。

 

だが二人が名誉にも友情にもたよれないとすれば、問題はのこったままだ。グレンジャーの分断工作をしりぞけて、〈太陽〉軍を倒すために両軍はどうやって協力すればいいのか。 クィレル先生のルールによれば、〈太陽〉軍をけしかけて相手がたの兵士を殺させる理由こそないが——そんなことをすれば、乗り越えるべき障害物を大きくするだけだ—— 一方で、連携する両軍にとっては、一体となって行動するよりも、先をあらそって獲物をとりあう理由があるし、混戦になったときおたがいの兵士を撃つ理由もある。

 

◆ ◆ ◆

 

ハーマイオニーはレイヴンクロー寮にもどるため歩いていたが、道順のことはほとんど眼中になかった。戦争や反逆行為やそのほか自分の年齢にふさわしくないことばかり考えていて、かどを曲がったところで、正面から大人にぶつかってしまった。

 

「ごめんなさい。」と無意識に口にしたあと、なにも考えずに「ヒィ!」と言ってしまった。

 

「心配無用、ミス・グレンジャー。」と明るい笑みをうかべて言っているのは、きらきらの目と銀色のひげのホグウォーツ総長。「なにも案ずることはない。」

 

どうしようと思いながら、ハーマイオニーは世界最強の魔法使いの優しげな顔から視線をはずすことができなかった。主席魔法官であり、最上級裁判長であり、長年の〈闇の王〉とのたたかいであたまがおかしくなった人物……などといういろいろな情報があたまのなかをすばやく駆け抜ける裏で、ハーマイオニーののどはまだ、なさけない声を出している。

 

「実は、こうやってぶつかったのはまことに好都合。ちょうど気になっていたのじゃ。きみたち三人は、どんな願いごとをしようとしているのかと……」

 

◆ ◆ ◆

 

土曜日の朝は快晴だった。生徒たちはひそひそ声で会話している。まるで一人が声をあげた瞬間、なにかが起爆するというかのようだ。

 

◆ ◆ ◆

 

ホグウォーツの上層階が戦場になってくれれば、とドラコは思っていた。クィレル先生によれば、森より都市のほうが実際には戦闘が発生しやすく、教室や廊下をリボンでくぎって戦場とすれば、いいシミュレーションになるという。 〈ドラゴン旅団〉はそういった戦場でいい戦果をあげている。

 

ところがドラコの不安が的中し、クィレル先生は今回のために()()な戦場を考案した。

 

ホグウォーツ湖だ。

 

しかも船は使わない。

 

水中戦だ。

 

〈巨大イカ〉は一時的に麻痺させられ、一帯にはグリンディロウよけの呪文がかけられ、水中人にはクィレル先生が話をつけた。兵士には水中活動用の(ポーション)が全員分支給され、水中で息ができ、視界が正常になり、会話もでき、速歩ほどではないがキックすればそれなりの速度で泳げるようになっている。

 

巨大な銀色の球体が戦場の中央に固定されている。水中で月のようにかがやくそれは、 方向の感覚をえやすくするためのものだ——最初のうちは。 この月は戦闘がすすむにつれゆっくりと欠けていき、最終的に新月になったとき、まだ戦闘がつづいていれば、それを合図として終了することになっている。

 

水中戦。となると、陣地を防衛することはできない。攻撃はどの方向からくるか分からないからし、ポーションを使っても、湖は暗いからあまり遠くまで見ることはできない。

 

そして、中心部から離れすぎると、一定時間後から、からだが光りだし、狙われやすくなるようになっている——通常であれば戦場から逃げだした軍にはすぐにクィレル先生が敗北を宣言するのだが、今日は点数制だ。 もちろん、光りだすまえに多少の時間はあるから、暗殺戦術をとることも可能だ。

 

〈ドラゴン旅団〉にわりあてられた初期位置は下のほうだった。そのはるか上に、水中の月がかがやく。水はにごっているが、〈光点(ルーモス)魔法(チャーム)〉の照明でほぼ見とおすことができる。といっても、作戦開始時点で照明を落とすよう、すでに兵士に命じてある。 こちらが敵軍を発見するまえにむこうから見られるような真似をするつもりはない。

 

ドラコは何度か足でキックして上昇し、水中に浮かぶ兵士たちを見おろせる位置についた。

 

ドラコの冷ややかな視線をうけて、おしゃべりはほぼ瞬時にとまった。恐れと不安のまじった兵士たちの表情を見て、ドラコは気をよくした。

 

「よく聞け。」 マルフォイ司令官の声は通常より低く、ゴボゴボした音がまじっていた。むしろ『よぎゅぎげ』に近かったが、音自体ははっきり伝わった。 「今回の戦闘に勝つ方法はただひとつ。 〈カオス〉と合流して〈太陽〉をたたきつぶす。 それが終わったら、ポッターとの決戦に勝つ。 かならず勝つ。わかったか? 途中の部分がどうなろうとも、この結末だけはゆずれない——」

 

そして、ドラコはハリーとのあいだで取り決めた作戦を説明した。

 

兵士たちは愕然とした表情でおたがいを見あった。

 

「——もしだれかの個人的な謀略のせいでこの作戦に支障がでるようなことがあれば……陸にあがったとき火刑にしてやるから覚悟しろ。」

 

兵士たちはおずおずと声をあわせ、イエッサーと言った。

 

「極秘命令をあたえた兵士にはもうひとこと言っておく。命令は一字一句たがえずに実行しろ。」

 

兵士の半数ちかくが()()()()()()()()()()()。ドラコは権力を掌握した際にその面々を処刑すると誓った。

 

もちろん秘密の命令というのはどれも、実際の命令ではない。ある〈ドラゴン〉兵には、別の〈ドラゴン〉兵に自軍を裏切る任務をさずけるように命じてある。その別の〈ドラゴン〉兵には、任務として言われた話を極秘に報告するよう命じてある。 こんな風にして兵士一人一人に、今回の勝敗はすべてこのひとつの任務の成否如何にかかっている、と言って秘密の命令をあたえておいたのだ。その任務が、各自が事前にたくらんでいたことよりも重要だと思わせられれば、しめたものだ。 バカを満足させるのが第一の目的だが、報告と命令に齟齬があった場合には、スパイを何人か洗いだすことができるかもしれない。

 

〈カオス〉軍に勝つためのほんとうの作戦については……廃案にした一個目の案よりはシンプルだが、それでも父上に認めてはもらえないだろう。 努力はしたのだが、これ以上ましな作戦は思いつかなかった。 こんな作戦はだれにも効きめがあるとは思えないが、相手がハリー・ポッターなら別だ。 実はそもそもハリーもおなじ作戦をたてていた、ということをドラコは裏切り者から聞いている。ドラコ自身、そんなところだろうと思っていた。その作戦に、ドラコは裏切り者と協力してすこし手をくわえておいた……

 

◆ ◆ ◆

 

ハリーは深呼吸をして、肺のなかで水がゴボゴボと音をたてるのを感じた。肺に別状はない。

 

森が戦場になったとき、これを言うチャンスはなかった。

 

ホグウォーツ城の廊下が戦場になったときも、これを言うチャンスはなかった。

 

空中が戦場になって全員にホウキが支給されたときも、これを言うチャンスはなかった。

 

これを言うチャンスがくるとは思いもよらなかった。しかも、現実にこういうことをやるような年齢になるまえにくるとは……

 

〈カオス軍団〉は困惑の表情でハリーを見ていた。司令官は遠くのあかるい水面に両足をむけ、にごった水底にあたまをむけている。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()」と兵士たちにむけてどなると、若き司令官は重力が方向をあたえてくれない状況での戦闘方法を説明しはじめた。

 

◆ ◆ ◆

 

ボオーンという鐘の音が水中にひびくと同時に、ザビニとアンソニーにくわえて五人の兵士が、にごった水底にむけて泳ぎだした。 唯一のグリフィンドール生パーヴァティ・パティルが一瞬だけふりむいて、あかるい表情で手をふり、飛びこんだ。スコットとマットはおなじようにし、のこりは全員無言で沈んで、すがたを消した。

 

グレンジャー司令官はそれを見ながら、のどが詰まる感じを我慢した。 これはあとのない賭けだ。たんにできるだけ多くの敵をしとめようとするだけでいいのに、こうやって自軍を分散させるのは危険だ。

 

どの軍も自分たちの勝ちすじが見えるまで動こうとしない。そのことに注意しろ、とザビニは言っていた。 〈太陽〉軍にとっては、勝てる作戦があるだけではたりない。二つの敵軍両方に自軍の勝利が確実だと思わせて、手遅れになるまでそのまま勘違いさせておく必要がある。

 

アーニーとロンはまだショックの表情をしている。 スーザンは消えていく兵士たちの方向をじっと見て、計算だかそうな表情をしている。 この場にのこった兵士たちはただ当惑している。みな太陽にてらされた水面のすぐ下をただよっているので、軍服には光の模様が浮かんでいる。

 

「それで、これからどうする?」とロンが言う。

 

「あとは待つだけ。」とハーマイオニーが全兵士にきこえるくらいの声をだす。 口が水でいっぱいの状態で話すのは変な感覚だ。夕食の席について、はしたなく口からよだれを垂らしてしまっているような気分がしてならない。 「この場にのこっている人たちは、全員やられることになる。〈ドラゴン〉と〈カオス〉がよってたかってくるんだから、それはしょうがない。 でもやられるまえに、できるだけたくさんの敵を道づれにしましょう。」

 

「ちょっと聞いて。」と〈太陽部隊〉兵のだれかが言う……ハンナだ。声がすこし区別しにくい。 「かなりややこしい作戦なんだけど、このやりかたなら、〈ドラゴン〉と〈カオス〉が勝手におたがいを攻撃してしまうの——」

 

「わたしも!」とフェイが言う。「わたしの作戦も聞いて! ネヴィル・ロングボトムは実はこちらの味方で——」

 

「フェイもネヴィルと話してたってこと?」とアーニーが言う。「変だな。だってネヴィルとはぼくが——」

 

ザビニに同行していないスリザリン生は何人かいたが、そのうちのダフネ・グリーングラスほか数名が我慢できずにくすくすと笑いだした。「いや、ロングボトムと密通していたのはおれだ。」という声が続々と聞こえてくる。

 

ハーマイオニーはただ、うんざりした様子でそれを見つめた。

 

「もうわかった?」と騒ぎがおさまるのを待ってからハーマイオニーが口をひらいた。 「そうやって作戦だと思わされていたのはぜんぶ〈カオス軍団〉の偽計なの。〈ドラゴン〉がしかけた偽計もあったかもしれない。 本気でハリーやマルフォイを裏切ってきた人はみんな、わたしかザビニのところに来てる。一兵士じゃなくて。うたがうなら、秘密作戦のメモをおたがい見せあってみて。」  ハーマイオニーはザビニのように謀略が得意ではないが、どの士官の言うこともよく理解できる。だからこそクィレル先生は彼女は司令官に任命したのだ。 「だから、敵軍がここにきたら、謀略のことは忘れて、とにかく戦うこと。いい?」

 

「でも……」とアーニーはショックを隠せない様子で言う。「ネヴィルはハッフルパフなのに! ネヴィルがぼくらにうそをついたっていうのか?」

 

ダフネはげらげらと笑いつづけていたので、口からでた水のいきおいでひっくりかえってしまった。

 

「ロングボトムだからどうだ、ってのは知らないけどさ。」とロンが声を低くして言う。「もうハッフルパフじゃなくなってると思う。 あんなに()()()()()()()()に心酔してからは。」

 

「実はね、」とスーザンが言う。「本人から聞いたんだけど、いまのネヴィルはカオス・ハッフルパフなんだって。」

 

()()()()。」とハーマイオニーが声をはりあげる。「スパイと思われる兵士は全員、さっきザビニが連れていった。だから()()軍のなかでは、おたがい疑心暗鬼にならなくていい、と思う。」

 

()()()()()()スパイだって?」とロンが叫んだ。

 

()()()()()()()?」とハンナ。

 

「パーヴァティはどうみてもスパイでしょ。」とダフネが言う。 「スパイ用の靴も買いにいってたし、スパイ用の口紅もしてたし、そのうちスパイの男をつかまえて結婚して、たくさん子スパイを産むつもりでいるんじゃないの。」

 

そこで鐘の音がなりひびき、〈太陽〉軍が二点獲得したことがわかった。

 

そのすこしあとで鐘が三度なり、〈ドラゴン〉が一点をうしなったことを知らせた。

 

反逆者が司令官を殺すことは許されていない。十二月最初の戦闘で、開戦後一分以内に司令官が三人ともやられてしまった大惨事をうけてのルールだ。 けれど運がむけば……

 

「あら? ミスター・クラッブは一眠りしちゃったみたいね。」とハーマイオニーは言った。

 

◆ ◆ ◆

 

二すじの群れのようにして、両軍はならんで泳いでいく。

 

ネヴィルはゆっくりと落ち着いた動きでキックする。 つっこめ。どちらむきでもいいから、自分が動いている方向につっこめ。 敵に対峙する自分の断面が最小になるようにしろ。あたまか足を相手に見せろ。 つまり、下半身かあたまのどちらかからつっこめ、ということだ。そして敵がいる方向はつねに()だ。

 

〈カオス軍団〉兵が全員そうしているように、ネヴィルも泳ぎながらあたまをあちこちに向けている。上、下、ぐるりと回転、横。 〈太陽部隊〉兵がこないかの監視の意味もあるが、〈カオス軍団〉兵が裏切って杖をこちらにむけようとするのを見逃さないためでもある。 反逆者はふつうは混戦になってから動きだすが、今回はあれほどはやく鐘がなったので、みんな警戒している。

 

……実のところ、そのことにネヴィルはがっかりしている。 十一月には、ネヴィルたち兵士は全員一体となって、おたがいを助けあっていた。いまでは、おたがいが裏切らないか、疑心暗鬼になってばかりいる。 〈カオス〉軍司令官は楽しんでいるかもしれないが、ネヴィルはとてもそうは思えない。

 

かつて『上』だった方向が、着実にあかるくなっていく。水面と〈太陽〉軍に近づいている証拠だ。

 

「杖を準備せよ。」と〈カオス〉軍司令官が言った。

 

ネヴィルの小隊は全員杖をかまえ、進行方向にむけつつ、くびをふる速度をあげてあたりをチェックした。 〈太陽〉軍からだれかが寝返っているのなら、そろそろ攻撃に出てくれていていいころだ。

 

もう一すじの群れである〈ドラゴン旅団〉もおなじようにしている。

 

()()()()」と遠くで〈ドラゴン〉軍司令官の声がした。

 

()()()()」と〈カオス〉軍司令官がさけんだ。

 

「〈太陽〉に!」と両軍の兵士が全員さけんで、下にむかっておそいかかった。

 

◆ ◆ ◆

 

()()」と湖のそばのスクリーンを見ていたミネルヴァが思わず声をもらした。ほかの場所でもおなじように声があがっている。今回は初戦と同様、ホグウォーツのみなが観戦している。

 

クィレル先生は乾いた笑いをした。 「言っておいたとおりでしょう、総長。 どんなルールを用意しても、ミスター・ポッターなら、かならず悪用する方法を思いつくと。」

 

◆ ◆ ◆

 

四十七人の兵士が自軍の十七人の兵士におそいかかるよこで、ハーマイオニーはあたまがまっしろになった。貴重な時間が何秒もすぎていく。

 

なんのつもりで……

 

そして答えがぴんときた。

 

もともと〈太陽〉軍所属の兵士が、〈太陽〉の名前を言うだれかにしとめられるたび、ハーマイオニーは一クィレル点をうしなう。 〈太陽〉軍兵士が二人やられると、やったのがどちらかの軍であっても、()()が二点分、彼女の点に近づく。おなじ獲物を()()()()()()()ということだ。 もしだれかが〈太陽〉の名前をつかわずに撃てば、そのときの鐘の音は、混戦だろうが見過ごされはしない……

 

ザビニは、攻撃してきた両軍を仲違いさせるという決まりきった作戦をえらばなかった。ハーマイオニーは急に、ああしなくてよかったとほっとした。

 

とはいえ、気分のいいものではない。こうやって自分が勝つ可能性が減っていき、希望がうしなわれていくのを見るのは。

 

ハーマイオニーの兵士は大半がまだ困惑した様子だが、何人かは意味を理解して恐怖をおぼえた表情をしている。

 

「だいじょうぶ。」とスーザン・ボーンズ隊長がきっぱりと言い、何人もがそちらをふりかえった。 「やることはいっしょ。できるだけたくさんの相手を道づれにすること。 それに、ザビニがスパイを連れていってくれたんだから! こっちは味方を監視しなくてもいいってことじゃない。むこうとはちがって!」  スーザンが挑戦的な笑みをしたので、ほかの兵士にも笑みがひろがり、ハーマイオニーもつられて笑みをうかべた。 「十一月のころとおなじようにすればいいだけ。 堂々と、全力をつくして、仲間を信頼して——」

 

ダフネがスーザンを撃った。

 

◆ ◆ ◆

 

血の神に血を(ブラッド・フォー・ザ・ブラッドゴッド)」と〈カオス〉軍のネヴィルが甲高い声で言った。水中なので、実際には「ブラブ・フォー・ザ・ブラブ・グルブ!」みたいに聞こえたが。

 

ウィーズリー隊長は回転してネヴィルに杖をむけ、撃った。だがネヴィルは()()()()、杖を進行方向にかまえて泳いでくる。つまり、ネヴィルの全身が〈簡易防壁〉におさまって見える。 いまネヴィルをしとめることができる人がいたとして、それは〈太陽〉軍のロンではない。

 

けわしい決意の表情をして、ウィーズリー隊長は上にいるネヴィルにむけて正面からつっこんでいくと同時に、〈防幕(コンテゴ)〉を言う口のかたちをした。盾は水中なので見えない。

 

両軍の二雄が弓を引くように撃ちあう。どちらも狙いは相手のどまんなかだ。 二人は何度も決闘をしたことがあったが、今回勝てば、すべてちゃらになる。

 

(はるかかなた、湖の岸では、百人ちかくの観客が息をひそめてその様子を見ていた。)

 

『虹とユニコーン!』と〈太陽〉軍のロン隊長が咆哮した。

 

『千匹の仔を孕みし〈黒山羊〉!』

 

『宿題やれよ!』

 

着実に距離をせばめながら、二人は撃ちあう。どちらもまったくからだの芯をゆるがせない。さきにゆるがせたほうが、側面をさらして撃たれることになる。かといって、どちらもゆずらなければ、いずれたがいに衝突する……

 

自分がまっすぐに落ちていくのに対して、敵はまっすぐに上がってくる。金づちが金どこにぶつかるように、どちらも道をゆずろうとしない……

 

「必殺、カオス式ツイスト!」

 

ネヴィルはウィーズリー隊長の恐怖の表情を目にしながら、〈浮遊の魔法(チャーム)〉に身をまかせた。 この技は戦闘開始まえに試してあった。ハリーの推測したとおり、ウィンガーディウム・レヴィオーサは彼我が水中にいるとき、まったく新しい効果を発揮する。

 

()()()()()()()()()()()」とロン・ウィーズリーが叫ぶ。「()()()()()()()()()()()()()()()()()()()——」

 

そう言うまえに身をひねって脇によけていたウィーズリー隊長の足をネヴィルが撃った。

 

「フェアにたたかうのは趣味じゃない。」と眠った相手にむけてネヴィルが言う。「ぼくはハリー・ポッターのようにたたかう。」

 

◆ ◆ ◆

 

グレンジャー:237点/マルフォイ:217点/ポッター:220点

 

ハーマイオニーを撃つときは、いまだにこころが痛む。 やすらかに眠ったハーマイオニーの表情や、両手がだらしなくただよい、太陽光線のえがく曲線が迷彩服と栗色の髪の毛のうえをさまようすがたを見るのは忍びない。

 

だがもしハリーが彼女を撃つことから逃げたとしたら……それがどういう意味かはドラコに伝わってしまうし、ハーマイオニー自身も怒らせてしまう。

 

()()()()()()()()()()、とハリーは自分の脳にむけて言いながら、足でキックしてその場を去っていく。()()()()()()()()()()()()()

 

はたしてそうかな?——と脳が言う。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()() ()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

ハリーはちらりとふりかえった。

 

いや、心配ない。口から泡がでているだろ。

 

たったいま息を引きとったところかもしれない。

 

うるさいな。なぜそこまで彼女を偏執的に守りたがる?

 

だって、人生はじめての真の友だちだろ? ほら、あのペット(ロック)はどうなった?

 

だまってくれないか。あのくだらない石ころは生きてすらいなかったし、当然意識もない。あんなのが幼児期のトラウマだなんて、なさけなさすぎる——

 

両軍はすばやく二手にわかれ、また二すじの群れにもどった。

 

グレンジャー司令官は十七点をうしなった。一方で、〈カオス〉兵三人と〈ドラゴン〉兵二人を道づれにしていった。 さらに、〈カオス〉兵一人と〈ドラゴン〉兵二人が裏切り者として撃たれた。 つまり正味としては、彼女がうしなったのは七点、ハリーがうしなったのは一点、ドラコがうしなったのは二点。 いまでも、〈カオス〉軍は二十人の〈ドラゴン〉兵を殲滅しさえすれば、楽に勝てる。 不確定要素はもちろん、のこる七人の〈太陽部隊〉兵だ……

 

……〈太陽部隊〉兵と呼べるのであればだが。

 

二つの群れはとなりあって進むが、ぎこちない。どちらの軍の兵士も、真の主人を宣言して攻撃にはいれ、と命令されるのを待っている……

 

「〈特務命令その一〉〈その二〉〈その三〉をうけた兵士は、命令内容を忘れるな。それと、〈その三〉には〈マーリンの命令〉がついてるのにも注意。応答はいらない。」とハリーが大声で言った。

 

軍の三分の二は信頼できる兵士であり、うなづかなかった。のこりの三分の一はただ、とまどっていた。

 

〈特務命令その一〉:今回は合いことばをかけたりする手間をかける必要はない。指揮官が個別に承認していない謀略はやるだけ無駄だ。泳いで、防御して、攻撃する。それだけを考えろ。

 

この十二月、ハーマイオニーもドラコも兵士と対立して、兵士が勝手な謀略をするのを防ごうとしていた。 いっぽうハリーは兵士たちとの約束で、前回と前々回、兵士が謀略をすることを支持していた……ただし、()()()にはいつか、謀略をちょっと止めてくれ、とお願いするかもしれないとも言ってあった。それでいい、という反応だった。 だからこそ、この決定的な場面で、兵士たちはよろこんでハリーにしたがってくれている。

 

ハーマイオニーやドラコがあんな命令をだしたとしても、効果はなかっただろうことは想像にかたくない。 兵士にとって、司令官が謀略をする仲間だと思えるか、せっかくの楽しみをだいなしにするつまらない頑固者だと思えるかは、大きな違いだ。 秩序を強制することは、混沌を拡大させることに等しい。そしてその作用は逆方向にもはたらく……

 

「来たぞ!」とだれかがさけんで、指さした。

 

湖の底のほうから忘れられた兵士たちがやってくる。直近の戦闘を避けた七人の〈太陽部隊〉兵はかがやく臆病者のオーラをまとっているが、戦列にもどったことで翳りが見える。

 

二つの群れはためらい、各自不安そうに杖をむけた。

 

「攻撃停止!」とハリーはさけび、マルフォイ司令官も似た命令を発した。

 

一瞬みなが息をひそめた。

 

それから七人の〈太陽部隊〉兵は上に泳いでいき、〈ドラゴン旅団〉に合流した。

 

〈ドラゴン旅団〉が歓声をあげて勝ち誇った。

 

〈カオス軍団〉の三分の一から狼狽した声があがった。

 

のこりの三分の二のうちの何人かは指示されたことを忘れ、笑みをうかべた。

 

ハリーは笑っていない。

 

ああ、これはちょっとうまくいきそうにないな……

 

かといって、ほかにましな作戦があるわけでもない。

 

「〈特務命令その二〉と〈その三〉はまだ有効だ! たたかえ!」とハリーがどなる。

 

()()()()()()()()()」と二十人の〈カオス軍団〉兵が咆哮した。

 

()()()()()()()()()()」と二十人の〈ドラゴン旅団〉兵と七人の〈太陽部隊〉兵が咆哮した。

 

〈カオス〉軍がまっすぐ下に飛びこむのと同時に、反逆者たちが攻撃の姿勢をとった。

 

◆ ◆ ◆

 

グレンジャー:237点/マルフォイ:220点/ポッター:226点

 

ドラコは必死であちこちを見やり、なにが起きているのか見きわめようとした。なぜか、数でまさるこちらが劣勢にたたされてる。〈カオス〉の小勢の四隊を〈ドラゴン〉の大きな四隊が追っている。だが交戦をしかけようとするのがこちらなせいで、むこうが()()()方向にこちらが()()することになる。そこにいつのまにか〈カオス〉軍が集結していて、〈ドラゴン〉は無防備ながわから攻撃をうける——

 

またこうなった!

 

「プリズマティス!」と杖をかまえたドラコがさけぶ。あらわれた防壁は水のなかでも見とおせる、きらきらとした玉虫色の平坦な壁で、ドラコとあと五人の〈ドラゴン〉兵を守ることができる。ほぼ同時に、〈カオス〉軍はこちらを通りすぎて砲火をはじめる。そこでやっともう五人の〈ドラゴン〉兵が、自分たちの追っていた〈カオス〉兵のほうに注意をもどす——

 

緊張のなかで、ドラコの〈虹色の壁〉(プリズマティック・ウォール)に睡眠呪文が続々と投げつけられた。どうかこの四人の〈カオス〉兵が〈破壊のドリルの呪文〉を知らないでいてくれ、とドラコはマーリンに祈った。

 

そして〈ドラゴン〉の得点を知らせる鐘がなり、〈カオス〉軍は頭と足をひっくりかえして、泳ぎ去った。ドラコはかすかに震える手をおさえ、〈虹色の壁〉を解除して、杖をさげた。

 

水中でのたたかいはホウキ上でのたたかいよりも消耗させられる。

 

()()()()」とドラコが声をあげ、兵士たちはしたがった。 「〈(ソノラス)〉! こちらに集まれ!

 

〈ドラゴン〉軍はドラコのまわりに集結しはじめ、〈カオス〉軍はその瞬間をとらえて身をひるがえし、〈ドラゴン〉兵を追いはじめた——〈カオス〉の得点を知らせる鐘を聞いて、ドラコは大声で罵倒のことばを言った——〈簡易防壁〉もまともにかまえられないのはどいつだ——そして〈ドラゴン〉軍がたがいを支援できる距離をとったところで、〈カオス〉兵はよどんだ水のむこうにもどっていった。

 

数で優位であるはずなのになぜか、〈ドラゴン〉が〈カオス〉に三度得点をあげると、〈カオス〉は四度得点をとりかえす。〈ドラゴン〉のスパイが一人処刑された音も聞こえた。 ハリー・ポッターはすごくいい戦法をすごく早く思いついているのか、それとも、ありえないことだが、水中戦の方法を事前にたっぷり検討してあったのか。 このままでは勝てない。 作戦をたてなおす必要がある。

 

それに、泳ぎながら呪文を命中させるのは簡単ではないようだ。この戦闘は時間切れで終わることになるかもしれない……遠くにある水中の月はもう半分しかない、まずい……急いで作戦をたてなおさなければ……

 

「どういうつもり?」とパドマ・パティルが言った。兵士たちを連れてドラコのもとに来たのだ。

 

パドマは副司令官だ。 参謀としても戦力としても有能で、そればかりかグレンジャーとハリーをライヴァル視し、嫌悪している。だから部下として()()()()()。 パドマと仕事をしていると、レイヴンクローとスリザリンは姉妹だという古い格言を思いだす。 妻にするならレイヴンクローも許容可能な選択肢だと父から言われたときはおどろいたものだが、いまは理解できる。

 

「全員あつまるまで待て。」とドラコは言った。 正直に言えば、すこし休む必要があっただけだ。 司令官であると同時に最強の戦士でもあるというのはやっかいなものだ。休みなく魔法をつかわせられてしまう。

 

つぎにザビニが、〈太陽〉兵二人と〈ドラゴン〉兵四人を連れてやってきた。そのうち一人はザビニの監視役であるグレゴリーだ。 ドラコはザビニを信頼していない。 そして、ドラコもザビニも〈太陽〉兵を信頼していないので、〈太陽〉兵が過半数をしめる構成の隊はつくらない。 この〈太陽〉兵たちの忠誠はドラコかグレンジャーにあるはずだが、グレンジャーは両軍が消耗したところで兵士たちは〈ドラゴン〉を裏切ってくるという偽の約束にだまされていた。おなじようにハリーのほうでは、腹心の〈カオス〉兵たちが偽計にかかって、〈太陽〉兵から飛んでくるのは見せかけだけの〈睡眠の呪文〉だから撃ってはいけない、あとで〈カオス〉軍に寝返ってくるんだ、と思わされている。 だが可能性としては、〈太陽〉兵の一部は実際に〈カオス〉を支持していて、ほんものの〈睡眠の呪文〉を使っていないかもしれない。数で優位に立つ〈ドラゴン〉が勝てていないのは、そのせいなのでは……

 

つぎに来た隊は頭数が欠けていた。三人の兵が別の二人に杖をむけている。二人は武器をもたず泳いでいる。

 

ドラコは歯ぎしりをした。また反逆者か。 せめて反逆者を()()()()手段を用意してほしい、とクィレル先生にうったえておかなければ。こんな設定は()()()()だ。実世界なら、反逆者は死ぬまで拷問にかけてやれるのに。

 

「マルフォイ司令官!」とさけんで、問題の隊の隊長が上昇してきた。テリーという名前のレイヴンクロー生だ。 「どうすればいいか分からなくなりました——セシがボグダンを撃って、でもセシはボグダンがスペクターを撃ったとケラーから聞いたと言っていて——」

 

「そんなこと言ってないって!」とケラーが言った。

 

「言ったじゃん!」とセシが声をあげる。「司令官、スパイはケラーです。もっとはやく気づいていれば——」

 

「〈睡夢(ソムニウム)〉」とドラコ。

 

鐘が三度なって〈ドラゴン〉が一点をうしなったことを知らせた。ケラーのからだがぐったりとして、水のなかをただよいはじめた。

 

ドラコはすでに、『再帰』ということばを知っている。ある謀略がハリー・ポッターのしわざかかどうかも、見ればわかる。

 

(残念ながらドラコはまだ自己免疫疾患のことを知らない。ある種のかしこいウイルスが生物を攻撃するために自己免疫疾患の症状を発生させ、生物に自分自身の免疫系をうたがわせようとする、ということはなかなか思いつくものではない。)

 

()()()()()()()()()」とドラコが声をはりあげる。 「スパイを撃っていいのはぼくと、グレゴリーと、パドマと、テリーだけだ。 うたがわしい者を見たら、出頭させろ。」

 

そして——

 

鐘の音がなり、〈太陽〉が二点を獲得したことを伝えた。

 

()()」とドラコとザビニがほとんど同時に言い、くるりとあたりを見まわす。 だれも撃たれてはいないようだし、〈太陽〉兵は全員、持ち場にいる。 (ただしパーヴァティはパドマ隊のなかにいたらしき裏切り者にやられてしまったので、もういない。当然だが、撃たれたふりの可能性を消すためにパドマがもう一度撃った。だから、あれはパーヴァティではありえない……)

 

「〈太陽〉を裏切って〈カオス〉にいっただれかが?」とザビニは不思議そうに言う。 「でも調べたかぎりでは、裏切り者は全員、〈カオス〉が〈太陽〉に攻撃をしかけるのにあわせて打ってでる手はずだと——」

 

「ちがう!」とパドマがぴんときたらしい口調で言う。 「()()()()()()スパイを処刑したんだ!」

 

()() だったらなぜ——」とザビニ。

 

ドラコも理解した。クソッ! 「ポッターはもう〈太陽〉には勝てた気でいて、でもわが軍とのたたかいはこれからだと思っているんだ! だから損が出ないやりかたで裏切り者を処刑している! ()()()()()()()()() 裏切り者を処刑するなら、まず〈太陽〉になれ! ただしそのあとで〈ドラゴン〉にもどるのも忘れるな——」

 

◆ ◆ ◆

 

グレンジャー:253点/マルフォイ:252点/ポッター:252点

 

ロングボトムのからだがカオス的に水のなかをただよっていく。腕も足もばらばらの向きだ。 ドラコがやっとしとめたあとで、さらに念をいれて()()()()全員が撃ってあった。

 

その近くにいるのはハリー・ポッター。〈虹色の球体(プリズマティック・スフィア)〉に守られ、けわしい顔で全員を見ている。はるか遠くで細く欠けた月が、ゆっくりと消えかけている。 もしロングボトムがもう一人だけしとめていれば(とハリーが考えているのがドラコにはわかる)、もしあの二人の〈カオス〉兵がもうすこしだけ持ちこたえていれば、〈カオス〉は勝てていたかもしれない……

 

ドラコが隊列をたてなおして攻撃を再開し、おたがい戦闘で撃ちあい、スパイを〈太陽〉の名で処刑しあったところで、〈太陽〉はちょうど一点だけ、〈ドラゴン〉と〈カオス〉をうわまわっていた。 ハリーがこのやりかたをとった時点で、ドラコはそれにつづくしかなった。

 

だがいま自分たちは〈カオス〉軍司令官をまえに、三対一で優勢にたっている。〈ドラゴン旅団〉の生存者二人と〈太陽〉を裏切った最後の生き残り、ドラコとパドマとザビニだ。

 

そしてドラコは抜け目なく、パドマに命じてザビニの杖を没収させてあった。グレゴリーがドラコの身代わりにロングボトムに撃たれた時点で、そう判断した。 ザビニはそれを屈辱と感じたようで、貸しにするぞと言いながら杖をあけわたした。

 

〈カオス〉軍司令官の息の根をとめる役目は、ドラコとパドマにゆだねられた。

 

「降伏する気があるか、いちおう聞いておこうか?」と言ってドラコは邪悪な笑みをしてみせた。ハリー・ポッターにはいままで見せたことのない邪悪さだ。

 

「降伏するくらいなら眠ったほうがましだ!」と〈カオス〉軍司令官がさけんだ。

 

「参考までに言っておくと、」とドラコが言う。「ザビニが助けようとしている姉はいない。グリフィンドール生にいじめられているという姉はな。 でもザビニに母親はいるし、その母親はグレンジャーのようなマグル生まれのことをよく思っていない。だから彼女に一筆書いて、ザビニに多少の厚遇を約束してやった——父上にたのまなくても、ぼく一人でできる学校内のことだ。 ところで、ザビニの母親は〈死ななかった男の子〉のこともよく思っていない。 ザビニがほんとうは自分の味方だという幻想はあきらめるんだな。」

 

ハリーの表情がさらにけわしくなった。

 

ドラコは杖をかまえ、息をととのえて、〈破壊のドリルの呪文〉にそなえて気力を集中した。 グレンジャーはドラコの防壁とかわらない強度の〈虹色の球体(プリズマティック・スフィア)〉をつくれるようになっているし、ハリーもさほど見劣りしない。どこにそんな練習をする()()が?

 

「ラガン!」と言ってドラコが全力をこめると、燃える緑色の螺旋が飛びだし、ハリーの防壁をこなごなにした。ほぼそれと同時に——

 

「ソムニウム!」とパドマが言った。

 

◆ ◆ ◆

 

グレンジャー:253点/マルフォイ:252点/ポッター:254点

 

ハリーはゆっくりと安堵のためいきをついた。〈虹色の球体(プリズマティック・スフィア)〉を維持する必要がなくなったからというのもあるが、それだけではない。 杖をおろす手が震えている。

 

「一瞬、かなりあせったよ。」とハリーが言う。

 

〈特務命令その二〉:〈太陽〉を裏切った者が撃ってこないようなら、ときどき撃たれたふりをしろ。 〈太陽〉兵より〈ドラゴン〉兵を優先して撃て。だが〈ドラゴン〉兵を撃てないときは〈太陽〉兵を撃つのをためらうな。

 

〈特務命令その三〉:マーリンの命令。ブレイズ・ザビニとパティル姉妹は撃つな。

 

にやりとした表情をして、パーヴァティ・パティルが自分の制服の紋章のうえに〈転成〉して貼ってあった布をはがし、ぽいっと水にただよわせた。

 

「グリフィンドールは〈カオス〉の味方。」と言って、彼女はザビニに杖をかえした。

 

「協力ありがとう。」と言ってハリーはグリフィンドールのパーヴァティに深く一礼した。 「ザビニも、ありがとう。」と、ザビニにも一礼した。 「まあ、きみにこの作戦を持ってこられたときは、あたまがいいのか狂っているのかどちらだろうと思ったんだけど、両方だったみたいだね。ところで、」と言ってから、ハリーは意識のないドラコに向けて言うかのように、向きをかえた。「ザビニには実際、いじめられているいとこがいる——」

 

「ソムニウム。」と言うザビニの声がした。

 

◆ ◆ ◆

 

グレンジャー:255点/マルフォイ:252点/ポッター:254点

 

ハリー・ポッターのからだが水のなかをただよっていく。ショックと恐怖の表情はすぐにゆるみ、眠りについた。

 

「さっきのはやっぱりなしにする。」とパーヴァティが楽しげに言う。「グリフィンドールは〈太陽〉の味方。」

 

パーヴァティは笑いだした。人生最高の気分だ。()()()やってやった。双子の姉妹を暗殺してすりかわる、というトリックは、昔からずっとやってみたかったのだ。完璧だ。完璧にうまくいった——

 

——そしてザビニが杖をむけてきたのと同時に、パーヴァティは電撃的な速度で杖をふりむけた。

 

「待て!」とザビニが言う。 「撃つな。抵抗するな。これは命令だ。」

 

()()」とパーヴァティ。

 

「悪いな。」と言うザビニはちっとも悪びれていない。 「きみがまちがいなく〈太陽〉の味方だと信じきれない。 だから命令だ。このまま撃たせてくれ。」

 

()()()()()()()()」とパーヴァティが言う。 「〈カオス〉との点差は一点しかないじゃない! このまま撃ったら——」

 

「〈ドラゴン〉の名前で撃つ。あたりまえだろ。」と言うザビニの声はすこしえらそうだ。 「むこうをだましてああやらせたからといって、同じことをこちらがやっていけない理由はない。」

 

パーヴァティは彼をじっと見て、怪訝そうにした。「マルフォイ司令官の話じゃ、あなたの母親はハーマイオニーのことがをよく思っていないそうだけど。」

 

「そうかもしれない。」とザビニはまだえらそうに、にやにやしている。 「でもドラコ・マルフォイとはちがって、親を困らせたがる子だっているさ。」

 

「でもハリー・ポッターの話では、あなたのいとこがいじめられて——」

 

「あれはうそだ。」

 

パーヴァティは彼をじっと見ながら、考えようとした。でも彼女は謀略が得意ではない。 秘密裏に〈カオス〉と〈ドラゴン〉の得点をできるだけ一致させて、〈太陽〉の名で裏切り者を処刑するようにしむける、そうして一点もうばわれないようにする、というのがザビニに言われていた作戦だ。それ自体はうまくいった。……ただ……なにか見落としているような気がする。けれど彼女はスリザリンではない……

 

「なんで()()()()あなたを〈ドラゴン〉の名前で撃っちゃいけないの?」

 

「きみは階級が下だからだ。」

 

パーヴァティはいやな予感がした。

 

かなり長く、ザビニをじっと見た。

 

そして——

 

「ソムニ——」と言いかけたところで、()()()()()()()、と言い忘れたのに気づき、パーヴァティはあわててとりやめる——

 

◆ ◆ ◆

 

グレンジャー:255点/マルフォイ:254点/ポッター:254点

 

「やあ、みなさん。」という声とともに、ブレイズ・ザビニの顔がスクリーンに映った。愉快そうな表情だ。 「これで結末はおれしだい、だね。」

 

湖の岸にいる観客は全員息をひそめている。

 

〈太陽〉はちょうど一点だけ、〈ドラゴン〉と〈カオス〉をうわまわっている。

 

ブレイズ・ザビニは〈ドラゴン〉か〈カオス〉の名前で自分を撃ってもいいし、このまま終了を待ってもいい。

 

チャイムが鳴って、戦闘時間がのこり一分を切ったことを知らせた。

 

スリザリン生ブレイズ・ザビニは奇妙なゆがんだ笑みをして、なにげなく杖をもてあそんでいる。黒い木でできているそれは、水が暗いせいでほとんど見えない。

 

「といっても、」 事前に練習ずみのせりふのような言いかただ。「所詮これはただのゲームだ。ゲームは楽しまないと。 だから、とにかく好きにやらせてもらってもいいかな?」

 

◆ ◆ ◆

 

原作品の著者:J. K. Rowling

ファンフィクションの著者:Eliezer Yudkowsky

 


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