ハリー・ポッターと合理主義の方法   作:ポット@翻訳

34 / 122
34章「協調問題(その2)」

◆ ◆ ◆

 

ミネルヴァがダンブルドアと技術を結集してつくりだした壮麗な舞台に、クィレルがよたよたとのぼっていく。 舞台の核となる部分は丈夫な木材でできているが、表面はぴかぴかの大理石にプラチナをはめこみ、四つの寮の色の宝石をちりばめてある。 ミネルヴァも総長も〈ホグウォーツ創設者〉ほどの能力はないが、今回つくりだしたものは数時間維持するだけでよい。 全力を尽くして巨大な〈転成術〉の仕事をする機会はなかなかないし、こまごまとした職人芸や豪華にみせかける技術の、せっかくのみせどころである。ミネルヴァはふだんなら楽しんでやっていたところだ。 けれど今回ばかりは、まるで自分の墓を掘っているようにぞっとする気分だった。

 

だがいまはすこし気分がましだ。 一触即発の空気が臨界に達したかと思われる瞬間が一度ありはした。だがダンブルドアが立ちあがり、あたたかい拍手をはじめると、総長のまえであばれだすほどの愚か者はでてこなかった。

 

爆発寸前の雰囲気はあっさりとなくなった。いまはもう、全員が一致して『もうやってられるか!』と言おうとしているような空気だ。

 

ブレイズ・ザビニが自分を〈太陽〉の名前で撃ったことにより、各軍の最終的な点数は254対254対254になっていた。

 

◆ ◆ ◆

 

舞台の裏で、登壇を待つ三人の子どもたちが怒りといらだちのまざった表情でおたがいをにらみあっている。 三人とも、湖から釣りだされたばかりでびしょびしょで、〈温熱の魔法(チャーム)〉も十二月の身を切る寒さにはなかなか太刀打ちできないようだ。だが、機嫌が悪いのはそのせいだけではなさそうだ。

 

「もうたくさん!」とグレンジャーが言う。「やってられない! 裏切り者はもううんざり!」

 

「完全に同感だ、ミス・グレンジャー。」とドラコが冷淡に言う。「ぼくも愛想がつきた。」

 

「それで、どうしようと言うんだ?」とハリー・ポッターが反撃する。 「クィレル先生は、スパイを禁じるつもりはない、って言ってたじゃないか!」

 

「かわりにぼくらが禁じてやる。」と言い返しながら、ドラコはどういうつもりでそんなことを言ったのか自分でもわかっていなかった。だがこうして口にしてみると、どうやればいいのか見えてきたような気がした——

 

◆ ◆ ◆

 

立派な舞台だ。すくなくとも臨時の建造物にしては。 製作者はよくある自己満足的な豪華さの演出におちいっておらず、建築と視覚効果のなにがしかを知っているようだ。 ドラコはあきらかに自分用に用意された位置に立った。ここなら、観客の生徒たちからは、緑玉(エメラルド)がほのかに後光のように見えるはずだ。 グレンジャーはドラコがそれとなく誘導して、レイヴンクローの青玉(サファイア)の光を後光とする位置に立たせた。 ハリー・ポッターについては、いまはドラコの眼中にない。

 

クィレル先生は……目覚めた、というか、それらしき変化をした。 〈防衛術〉教授は宝石のないプラチナ製の演台にもたれる姿勢をとり、 芝居がかった動作で、慎重に三通の封筒をかさね、かどをそろえている。 そのなかには、司令官三人分の願いごとが書かれた羊皮紙がはいっている。 ホグウォーツの全生徒がそれを注視し、待っている。

 

クィレル先生はようやく三通の封筒から顔をあげた。 「ちょっと、困ったことになったな。」

 

小さなくすくす笑いが群衆のなかから聞こえたが、とげのある笑いだった。

 

「みな、わたしがどうするつもりかを聞きたいのだろう。」とクィレル先生が言う。 「なにも特別なことはしない。すべきことをするまでだ。 最初にちょっとした演説をする予定だが、そのまえにミスター・マルフォイとミス・グレンジャーからも、みなさんに一言あるそうだ。」

 

ドラコは目をしばたたかせ、それからグレンジャーとすばやく視線をかわし——()()()()()——()()()——口をひらいて声にちからをこめた。

 

「グレンジャー司令官とぼくから一言、言わせていただきたい。」とドラコは自分のいちばん正式な口調で言う。この声は増幅され、全員によく聞こえるようになっている。 「今後われわれ二人は、裏切り者をいっさいうけいれない。 ポッターがわれわれ二人の軍のどちらかから裏切り者をうけいれた場合には、両軍が連合してポッターをたたきつぶす。」

 

ドラコは〈死ななかった男の子〉に敵意をこめた視線を送った。 ()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「わたしはマルフォイ司令官に全面的に賛同します。」ととなりのグレンジャーが明瞭な声で高らかに言う。 「わたしたちは裏切り者をうけいれない。ポッター司令官はうけいれるというなら、わたしたちが彼を殲滅させるまで。」

 

観客の生徒たちがおどろいて、ひそひそと話しだした。

 

「よろしい。」と言って〈防衛術〉教授は笑みをうかべた。 「ずいぶん長くかかったものだが、ほかの司令官らに先んじてそのことに気づけたことは賞賛にあたいする。」

 

その一言の意味がしみこむのにしばらくかかった——

 

「ミスター・マルフォイとミス・グレンジャー。今後はなにかわたしに助けをもとめにくるまえに、自力で達成する方法がないか考えたまえ。 今回はクィレル点を減らさないが、またおなじことがあれば五十点うしなうことは覚悟するように。」 クィレル先生は愉快そうににやりとした。 「これについてミスター・ポッターからなにか言いたいことは?」

 

ハリー・ポッターはまずグレンジャーを見て、それからドラコに目をむけてきた。 落ちついた表情だ。 むしろ、抑制された表情、と言うべきか。

 

やっとハリー・ポッターが口をひらき、ゆらぎのない声でこう言った。 「〈カオス軍団〉はこれからも裏切り者を歓迎する。ではまた、次回の戦場で。」

 

ドラコは自分の顔にショックがうかんだのがわかった。 それを見ていた生徒たちからは、愕然としてささやきあう声が聞こえた。最前列をちらりと見ると、ハリーの〈カオス〉兵でさえびっくりしたようだった。

 

グレンジャーは怒りの表情だ。どんどん怒りをつのらせている。 「ミスター・ポッター、あなたわざと嫌がらせがしたくてそう言っているの?」  教師が生徒に使うような、とげのある口調だった。

 

「いや、まったく。 何度もくりかえす必要はない。 一度でも負ければ、ぼくは負けをみとめる。 でも、脅迫だけでぼくをしたがわせられるとは思わないでもらいたいね、〈太陽〉軍司令官。 きみたちはぼくに協定に参加するよう呼びかけず、問答無用でしたがわせようとした。 自分の意思を相手に強制しようと思うなら、まず実際に負かす必要があるんじゃないか。 それに、一方には、成績優秀なホグウォーツ期待の星ハーマイオニー・グレンジャー。もう一方には、ルシウスの息子で〈元老貴族〉マルフォイ家の御曹司ドラコ。どうやったらこの二人が連合軍を組んで、共通の敵ハリー・ポッターを倒したりできるのかな。」  愉快そうな笑みがハリー・ポッターの顔をよぎった。 「ドラコがザビニに対して使った手を、ぼくも使ってみようか。ルシウス・マルフォイがこのことを手紙で聞いたら、どう思うだろう。」

 

()()()()」とグレンジャーがひどく愕然とした表情で言った。聴衆からも息をのむ音が聞こえた。

 

ドラコは全身で感じる怒りをおさえた。 ハリーは()()()()()。人前で言ってしまうなんて。 もしなにも言わずに行動に出ていたなら、うまくいったかもしれない。 ドラコにもあんな発想はなかった。だがこうなってから父上が応じようものなら、ハリーの手玉にとられたように見えるだけ——

 

「見くびってもらっては困る。ぼくの父、マルフォイ卿(ロード・マルフォイ)がそんな見えすいた手に乗ると思うなよ、ハリー・ポッター。」

 

そう言い終えた瞬間にドラコは、ほとんど自覚しないまま()()()()()()窮地に追いこんでしまったことに気づいた。 おそらく父上は連合のことをこころよく思わない。思うはずがない。しかし、こうなってはもう、父上はそんな評価を言うことができない……。 あとで父上に謝らなければならない。不注意の事故とはいえ、そもそもなぜこんなことをしてしまったのだろうか。

 

「それならどうぞ、邪悪な〈カオス〉軍司令官を倒してみるがいい。」と言って、ハリーは愉快そうな表情を変えない。 「ぼくだって、二つの軍を相手には勝てない——もしほんとに連合できるものなら。 でもそのまえに、きみたちを分断することならできるかもしれないな。」

 

「そうはさせない。たたきつぶしてやるからな!」とドラコ・マルフォイ。

 

そしてとなりのハーマイオニー・グレンジャーもきっぱりとうなづいた。

 

全員が唖然としてしばらく沈黙がつづいたが、「いや、」とクィレルが口をひらいた。「実のところ、こういう展開になるとは思っていなかった。」 〈防衛術〉教授はやけに興味をそそられた表情をしている。「正直、ミスター・ポッターは笑みを浮かべて即座に譲歩するのだろう、と思っていた。クィレル先生がなにを教えようとしていたかはとっくにわかっていたけれど、ほかの人が気づくまで黙っていただけだ、とでも言って。実のところ、わたしもそれにあわせた演説を準備していたのだが。」

 

ハリーは肩をすくめ、「すみません。」とだけ言って口をつぐんだ。

 

「いや、けっこう。これはこれでいい。」

 

クィレル先生は子どもたち三人をおいて、演台にまっすぐ向かい、自分に注目する観客全体に語りかける姿勢をとった。 相手をつきはなして楽しむような態度をとることの多い先生だが、その態度が脱げ落ちる覆面のように消えた。つぎに口をひらいたとき、その声は一段と大きく増幅されていた。

 

「もしハリー・ポッターがいなければ、」クィレル先生の声は十二月の空気のように鮮明で冷たい。「勝つのは〈例の男〉だった。」

 

その一言には有無を言わせず全員を沈黙させる効果があった。

 

◆ ◆ ◆

 

「うたがいの余地なく〈闇の王〉は勝利をおさめつつあった。 日を追うごとに、彼に立ちむかおうとする〈闇ばらい〉の数は減り、彼に反対する自警団は追討された。 〈闇の王〉一人と〈死食い人〉せいぜい五十人が、何千何万の国民に()()しつつあった。 あまりにばかげている! わたしなら最低点をつけることすらはばかるほどの無能さだ!」

 

ダンブルドア総長は眉をひそめている。観客は困惑の表情をしている。沈黙がつづく。

 

「なぜそんなことになったのか理解したければ、今日の模擬戦の結果を見ればよい。 わたしは兵士に裏切りを許し、司令官に抑制の手段をあたえなかった。 結果どうなったか。 巧妙な謀略と裏切りがくりひろげられ、ついには最後に生き残った兵士が自分を撃ってしまった! ここに外敵がいれば、そしてその外敵が仲間割れを起こしてさえいなければ、三つの軍がどれも倒されてしまっただろうことは火をみるより明らかだ。」

 

演台にいるクィレル先生は前のめりになった。声がきびしさを増す。右手がのび、五本の指をひろげる。 「分断は弱さであり、」 右手がこぶしをかためる。「団結は強さだ。 〈闇の王〉は多くのあやまちをおかしたとしても、このことをよく理解していた。 理解していたからこそ、歴史上のほかのどの〈闇の王〉よりも徹底した恐怖をあたえるための、小さな発明をすることができた。 諸君の親世代が対決した〈闇の王〉一人と〈死食い人〉五十人は、完全に団結していた。忠誠をたがえた罰は死であり、無能なふるまいへの罰は苦痛であることがわかっていた。 一度あの〈紋章〉を受けとれば、だれひとりとして〈闇の王〉からのがれることはできなかった。 そして〈死食い人〉が〈闇の紋章〉を受けとったのは、分断された国とのたたかいに際して、自分たちは〈紋章〉のもとに()()できるとわかっていたからだ。 〈闇の紋章〉のおかげで、〈闇の王〉一人と〈死食い人〉五十人は一国の国民全体を打倒するまでになった。」

 

クィレル先生の声はかたく、冷たい。 「諸君の親たちは同じやりかたで反撃することもできた。しかし、しなかった。 ヤーミー・ウィブルという名の男が、全国で徴兵をはじめるよう、うったえた。しかし彼にも〈ブリテンの紋章〉のようなものを作る発想はなかった。 ヤーミー・ウィブルは自分の末路を知っていた。自分が死ぬことでみなを奮い立たせればと思っていた。 そこで〈闇の王〉は念をいれて彼の家族を殺した。のこされたからっぽの皮膚を見て、みな奮い立ちはせず、ただ恐怖し、反抗の声はなくなった。 これだけ見下げはてた臆病者が諸君の親たちだ。彼らには、自業自得の運命が待っていたはずだった。なのに、一歳の男の子に救われてしまった。」 クィレル先生は軽蔑に満ちた表情をした。 「彼らはあのように救われる資格などなかった。劇作家ならば〈機械仕掛けの神(デウス・エクス・マキナ)〉とでも呼ぶところだ。 〈名前を呼んではいけない例の男〉は勝利にあたいしなかったかもしれない。しかし諸君の親世代は敗北にあたいした。」

 

〈防衛術〉教授の声は鉄のように鳴りひびいた。 「特筆すべきは、諸君の親たちがなにも学んでいない、ということだ! この国は分断され、弱いままではないか! グリンデルヴァルドから〈例の男〉までに何年の猶予があった? 諸君は自分が死ぬまでにつぎの脅威がくることはないと思っているか? そのときが来たら、これほど分かりやすい今日の試合結果の教訓を忘れて、親たちの失敗をくりかえすのか? つぎの闇の時代が来たとき諸君の親たちがなにをするかは、聞くまでもない! 彼らがなにを学んできたかといえば、 身を隠し、恐怖におびえながらなにもせず、ハリー・ポッターに救われるのを待つことだけだ!」

 

ダンブルドア総長の目にうたがいの色が見えた。 聴衆は驚愕と怒りと畏怖の目で〈防衛術〉教授を見ている。

 

クィレル先生は声とおなじくらい冷たい目をした。 「このことを忘れるな。 〈名前を言ってはいけない例の男〉はこの国を支配する残酷な王として永遠に君臨しようとした。 だがすくなくとも彼は()()()国を支配しようとした、瓦礫の山ではなく! 彼以前の〈闇の王〉のなかには狂気に落ち、世界を巨大な火葬場にしようとした者もいた! 一国全体が総力をあげて別の一国を蹂躙しようとする戦争もあった! 諸君の親たちをほとんど倒しそうになった相手は、わずか五十人、しかもこの国を生けどりにしようとしていたのだ! もしそれがもっと多勢で、徹底的に破壊だけを求める敵だったとしたらどうなっていたか? 予言しよう。つぎなる脅威がきたとき、ルシウス・マルフォイは自分にしたがわなければかならずこの国は壊滅すると主張し、自分の強さと残酷さだけが唯一の希望だと主張する。 ルシウス・マルフォイ自身そう信じているとしても、それはうそだ。 〈闇の王〉がほろびたとき、ルシウス・マルフォイは〈死食い人〉を団結させなかった。〈死食い人〉は即座にちりぢりとなり、イヌのように尻尾をまいて、おたがいを裏切った! ルシウス・マルフォイは真の(ロード)の器ではない。闇の王(ダークロード)ならなおさらだ。」

 

ドラコ・マルフォイは白くなるまでこぶしをかためた。目になみだと怒りと耐えがたい屈辱が見えた。

 

「つぎに諸君を救うのはルシウス・マルフォイではない。 わたしがそうだと言いたいわけでもない。わたしがその任にないことは、遠からずわかることと思う。 今日ここでだれを推薦するつもりもない。 だが、一国をあげて〈闇の王〉に匹敵するとともに高潔で純粋な指導者を見つけ、〈紋章〉のもとに団結することができれば、〈闇の王〉は虫けらのように蹴ちらされ、魔法世界中のどの国もこの国をおびやかすことはできまい。 そしてもしそれ以上の敵が、おたがいの滅亡をかけて戦争をいどんできたとしたら、魔法世界全体が団結することだけが生きのびる道となるだろう。」

 

息をのむ音が、おもにマグル生まれの生徒から聞こえた。 緑色のえりのローブを着た生徒は困惑しているだけだった。 こんどはハリー・ポッターがこぶしをかため、震えさせている。そのとなりのハーマイオニー・グレンジャーは怒りで愕然としている。

 

総長が断固とした表情で席を立った。ことばは発していないが、なにが言いたいかは明白だ。

 

「来たる脅威が何者であるか、ここでは問うまい。」とクィレル先生がつづける。「だが、この世界の過去の歴史がすこしでも未来の道しるべとなるなら、平和は諸君が死ぬより早く終わることはまちがいない。 そのとき、諸君が今日見た兵士たちのような行動をとるなら、どうなるか。くだらない言いあらそいをやめて一人の指導者の〈紋章〉に服すことができないなら、どうなるか。むしろ、〈闇の王〉の支配を受けいれていればよかった、ハリー・ポッターなど生まれていなければよかった、と思うほどの事態になりかねない——」

 

()()()()()」とアルバス・ダンブルドアが声をとどろかせた。

 

静寂がおりた。

 

クィレル先生がゆっくりと首をむけたさきで、アルバス・ダンブルドアが魔法力を怒りに燃えあがらせていた。 二人の目があい、音のない圧力のようなものが生徒全員のうえにおりてきた。生徒たちは、かたずを飲んで見守っている。

 

「あなたも務めをはたさなかった。」とクィレル先生が言う。「その代償のおそろしさは、あなたにも分かっているはずだ。」

 

「このような演説は生徒に聞かせるべきではない。」とアルバス・ダンブルドアがすさまじい声を出す。 「教師が口にするべきでもない!」

 

乾いた声でクィレル先生が応じる。 「〈闇の王〉が頭角をあらわしたころ、大人たちはくりかえし演説を聞かされ、そのたびに拍手喝采して、ひとしきり楽しむと、自宅にもどったものです。 だがここは総長の命令にしたがいましょう。お気にめさないのであれば、今後こういった演説はしないでおきましょう。 わたしが学ばせたいのは単純なことです。 どれだけ裏切りが起きようが、わたしはこれからも介入しない。 教師の助けを待つのをやめたとき、はたして生徒たちになにができるのか。それを見てみたい。」

 

クィレル先生はまた生徒たちのほうをむいた。くちびるにゆがんだ笑みが浮かんだ。その笑みには、雲を散らす神の鉄槌のようにして、生徒たちにかかっていた重い圧力を散らす効果があったようだった。 「けれども、ここまでに裏切りをした者をあまり責めないでいただきたい。ちょっと遊びたかっただけなのだから。」

 

笑いが出た。最初はびくついていた笑いがだんだんと自信をましていくようだった。クィレル先生がゆがんだ笑みをしつづけると、緊張が多少はほどけていくようだった。

 

◆ ◆ ◆

 

ドラコのあたまのなかをいくつもの疑問とぞっとするショックがかけめぐるあいだ、クィレル先生は三人の願いごとが書かれた封筒をひらく準備をしていた。

 

魔法の長期的な衰退よりも、月にいくことができるマグルのほうが大きな脅威だなんて、考えたこともなかった。父上にそれを止める強さがないのだということも、考えだにしなかった。

 

けれどそれより奇妙で、なのに明白なことをひとつ、クィレル先生は示唆していた。()()()()()止められるというのだ。 クィレル先生はだれを推薦するつもりもないと言いながら、演説では何度もハリー・ポッターを引き合いにだした。ドラコ以外にも、おなじように受け取った人はいただろう。

 

ばかげている。ふかふかの椅子をかざりたてて玉座と言いはるような少年がなぜ——

 

ドラコのなかの裏切り者の声がささやく。スネイプと対決して勝った少年でもあるし、 いずれは強い〈王〉になって、魔法族を支配し、救うことができるかもしれない——

 

でもハリーはマグルに育てられたじゃないか! 事実上、泥血(マッドブラッド)のようなものだし、自分の養父母を敵にまわすことなどできないはず——

 

ハリーはやつらの技を、やつらの秘密を、やつらの方法を知っている。 マグルのあらゆる科学を利用して、対抗することができる。それにくわえて、魔法族としてのちからもある。

 

でも本人がやりたがらなかったら? それだけの強さがなかったら?

 

そのときは、おまえがやるんだ。そうじゃないのか、ドラコ・マルフォイ?

 

そのときあらためて、静かに、という声が聴衆のなかからあり、クィレル先生が最初の封筒をあけた。

 

「ミスター・マルフォイ。」とクィレル先生が言う。「きみの願いは……スリザリンが寮杯を勝ちとること。」

 

聴衆が一瞬困惑して沈黙した。

 

「はい、そうです。」とドラコが明瞭な声で言う。この声はまた、増幅されている。 「寮杯が無理であれば、なにか別のことをスリザリンのために——」

 

「わたしは寮点を不公平にくばるつもりはない。」と言って、クィレル先生はほおをたたき、思案げな顔をした。「だからきみの願いをかなえるのはむずかしく、それだけやりがいがある。 なにかつけくわえて言いたいことはあるかね?」

 

ドラコは聴衆にほうに向きをかえ、プラチナとエメラルドを背後に立って、群衆に視線を送った。 スリザリンが全員〈ドラゴン旅団〉を応援していたわけではない。反マルフォイ派のいくつかは不満を表明するために〈死ななかった男の子〉を支持したり、グレンジャーを支持したりさえした。彼らはザビニの行為を見て勢いを得たことだろう。 スリザリンでなければマルフォイではない、マルフォイでなければスリザリンではない、という掟をいま一度知らしめる必要がある——

 

「いえ。スリザリン生であれば、言わなくても分かってくれています。」

 

聴衆の、とくにスリザリンの部分から、笑いが聞こえた。ついさっきまでは反マルフォイを自称したであろう生徒たちさえ、笑っていた。

 

こうやって機嫌をとる一手がなんと効果的なことか。

 

ドラコはまたクィレル先生のほうを向いた。するとおどろいたことに、グレンジャーが恥ずかしそうにしていた。

 

「つぎにミス・グレンジャー。きみの願いは……レイヴンクローが寮杯を勝ちとること、か?」

 

聴衆からかなりの笑いがあがった。ドラコもくすりとした。 グレンジャーもこの手を使うとは思わなかった。

 

「あの……」と言うグレンジャーは、暗記していたはずの演説が急に出てこなくなった、というような口調だ。 「その、わたしはただ……」一度深呼吸をする。「わたしの軍には四つの寮の生徒がいました。わたしはどの寮のことも軽んじたりはしません。 でも自分がどの寮であるかというのにもやはり意味があって、 軍がちがうだけで、おなじ寮の生徒どうしが呪文を撃ちあうようになるのは悲しいことです。 おなじ寮の生徒は、いつも頼れる仲間であってほしい。 だからこそ、ゴドリック・グリフィンドールと、サラザール・スリザリンと、ロウィナ・レイヴンクローと、ヘルガ・ハッフルパフは、ホグウォーツに四つの寮をつくったんです。 わたしは〈太陽〉軍の司令官であるまえに、レイヴンクローのハーマイオニー・グレンジャーで、 八百年の歴史があるこの寮の一員であることに誇りをもっています。」

 

「よくぞ言った、ミス・グレンジャー!」とダンブルドアがよく響く声で言った。

 

ハリー・ポッターは眉をひそめている。それを目のかたすみで認めて、ドラコはなにかが気にかかった。

 

「ミス・グレンジャー、おもしろい意見だが、」とクィレル先生が言う。「ときには、スリザリン生がレイヴンクローに友人をもったり、グリフィンドール生がハッフルパフに友人をもったりしてもいいのではないか。 おなじ寮の仲間にも、おなじ軍の仲間にも頼れるのなら、それに越したことはないだろう?」

 

グレンジャーはちらりと生徒と教師の聴衆の列のほうに目を向けたが、なにも言わなかった。

 

クィレル先生はひとりうなづいて、演台のほうに向きなおり、最後の封筒を手にとり、やぶってあけた。 ドラコのとなりにいるハリー・ポッターは、クィレル先生が羊皮紙をとりだすのを見て、はっきりと緊張していた。 「つぎに、ミスター・ポッターの願いは——」

 

クィレル先生は羊皮紙を見て一瞬沈黙した。

 

クィレル先生の表情に変化はなかったが、つぎの瞬間、羊皮紙が火につつまれ、ぼうっと燃えあがると、黒い灰となってその手からぱらりと落ちた。

 

「ミスター・ポッター、願いごとは実現可能な範囲にとどめてもらいたい。」 クィレル先生はとても乾いた声で言った。

 

長く沈黙がつづき、となりのドラコから見て、ハリーは動揺したようだった。

 

いったいハリーはなにを願いごとにしたんだ?

 

「これがかなわない場合にそなえて、別の願いごとも用意してくれていたのであればいいが。」とクィレル先生。

 

また沈黙。

 

ハリーは深く息をすい、「用意はしていませんでしたが、いま思いつきました。」と言って、聴衆のほうを向いた。声がだんだん自信を増す。 「裏切り者をおそれる人は、裏切り者による直接の被害を気にします。兵士をやられること、秘密をばらされることなどですが、 裏切りの効果はそれだけではありません。 裏切り者への()()()が人の行動を変える。最適な行動ができなくなる。 〈太陽〉と〈ドラゴン〉に対して今日ぼくが使ったのは、そこを利用した戦略です。 ぼくは裏切り者に、直接的な害をできるかぎり大量にあたえてこい、とは命じなかった。 命じたのは、できるかぎりたくさんの不信と混乱をうむことをやれ、ひどい代償をはらってまで予防措置を講じたくなるようなことをやれ、ということだった。 ごく少数しかいない裏切り者に全国民が対抗している状況なら、当然、少数の裏切り者がうみだせる損害よりも、それを止めようとする全国民がうみだす損害のほうが大きい。病気そのもの被害よりも治癒行為による被害のほうが大きいことだって——」

 

「ミスター・ポッター、」と〈防衛術〉教授が急にとげとげしい声でさえぎった。「歴史が教えるところによれば、きみの説は明らかにまちがっている。 きみの親世代は団結しすぎたのではなく、したりなかったのだ! この国は陥落しかけた。きみはその場にいなかっただろうが、 レイヴンクローの同室生に聞いてみれば、〈闇の王〉のために家族をうしなった者がどれだけいるか分かるだろう。 いやむしろ、あたまを働かせれば、そんな質問はすべきでないと分かるはずだ! 結局、きみの願いごとは何なのだ?」

 

「さしつかえなければ、」とアルバス・ダンブルドアがおだやかな声で言う。「この際、〈死ななかった男の子〉の意見を拝聴したい。 戦争を止めることに関しては、わしよりもクィレル先生よりも彼のほうが経験者なのじゃから。」

 

何人かの笑いが聞こえたが、あまり多くはなかった。

 

ハリー・ポッターの視線がダンブルドアのほうに向けられた。一瞬思案するような表情だった。 「クィレル先生、あなたの説がまちがっているとは言いません。 前回の戦争では、みんながちからを合わせることができず、わずか数十人の攻撃で国全体が陥落しかけた。たしかになさけないことです。 おなじあやまちをくりかえすことがあれば、もっとなさけないことです。 でもおなじ戦争は二度と起こらない。 問題は、敵もかしこくなることができるということです。 集団を分断すればある面で脆弱になりますが、団結させればまた別のリスクや代償が発生します。敵もそこを突いてくるでしょう。 おなじレヴェルでゲームを考えてばかりいてはだめなんです。」

 

「単純さにも、もっと見どころがあるということを分かってほしいものだ。自軍を団結させるという単純な方法をとらず、ずっと複雑な戦略を使ってしまえば、どんな危険につながるか。今日の戦闘できみもそのことを学んでいてくれればいいのだが。ところでここまでの話が願いごとに関係しない話だったとしたら、わたしは腹をたてるぞ。」

 

「たしかに、団結することの危険性を知らしめるような願いごとはそう簡単には思いつきません。 でも一体となって行動することの危険性は戦争だけではなく、日常生活で遭遇する問題にも関係します。 だれもがおなじ規則にしたがっていて、その規則がくだらない規則だったら、どうなりますか。()()()()()()やりかたを変えれば、ただ規則違反と言われます。 でも()()()やりかたを変えれば、とがめられない。 まったくおなじことが、全員を一体にして行動させる場合の問題についても言えます。 最初に声をあげる人にとっては、集団全体が敵のように見えてしまう。 けれど、団結してさえいればそれでいいとばかり考えてしまっていては、どんなくだらないルールのゲームも変革することはできません。 そこでぼくの願いはこうです。人がまちがった方向に団結したときにどういう失敗が起きるかの象徴として、ホグウォーツでクィディッチをするときは、スニッチを使うのをやめてほしい。」

 

()()()()」と百人以上の叫び声が群衆から聞こえた。ドラコは口をぽかんとあけた。

 

「スニッチなんてものがあるから、あれはゲームにならないんだ。ほかの選手がなにをしても意味がなくなってしまう。 時計を買って使うだけで、ずっとまともになる。 こういう最低にくだらないルールは、子どものころからの慣れでやっていると気づかないものなんです。みんながそうしているから、だれもうたがわないだけで——」

 

そこまで言った時点で、ハリー・ポッターの声は暴動にかきけされた。

 

◆ ◆ ◆

 

暴動はおよそ十五秒後に終わった。ホグウォーツで一番高い塔から巨大な炎がながれだし、何重にもかさなった雷のような音をだしたのだ。ダンブルドアにあんなことができるとは、ドラコははじめて知った。

 

生徒たちは慎重に、そして静かに腰をおろした。

 

クィレル先生はずっと笑っていた。 「承知した、ミスター・ポッター。願いはかなえよう。」 そう言ってから、わざと間をあける。 「もちろん、わたしは謀略を()()()してやるとしか約束していない。 きみたち三人あわせてひとつだけだ。」

 

そのせりふをドラコはなかば予期していたが、それでもショックはショックだった。 グレンジャーとすばやく視線をかわす。同盟するならこの二人だろうが、二人の願いはまっこうから対立する——

 

「つまり、三人で話しあって願いをひとつにしろと?」とハリー。

 

「いや、さすがにそこまでは期待しない。きみたちには共通の敵がいないだろう?」

 

それから一瞬だけ、あまりに短いあいだだったので自分の想像かとドラコは思ったくらいだが、〈防衛術〉教授の目がダンブルドアの方向に動いた。

 

「わたしが言っているのは、ひとつの謀略でみっつの願いをかなえてみせよう、ということだ。」

 

一同は困惑して沈黙した。

 

「それは無理です。」とあっさりとハリーが切り捨てる。 「ぼくでさえそんなことはできません。 三人のうち二人の願いは同時に成立しえません。()()()()()()()な組み合わせな以上——」 と言いかけたところで、ハリーは口をつぐんだ。

 

「わたしになにができない、というせりふは、もう何年か生きてから言ってもらいたい。」と言ってクィレル先生は一瞬だけ乾いた笑みをした。

 

そして〈防衛術〉教授は聴衆の生徒たちのほうを向いた。 「はっきり言わせてもらえば、今日見せた教訓を十分理解してくれると思うほど、わたしは諸君の能力を高く評価していない。 実家に帰ったら、諸君には家族との時間が待っていることだろう。戦争を生きのびた家族がいるなら、存命のうちにそのひとときを楽しんでくれたまえ。 わたし自身の家族はずっと昔に、〈闇の王〉の手にかかって死んだ。 ではまた、休みあけの授業で。」

 

その後しんと静まるなか舞台をおりたクィレル先生が、もはや増幅されていない小声で言ったことばを、ドラコは聞いた。「ただしミスター・ポッター、きみにはこのあとすぐ、話がある。」

 

◆ ◆ ◆

 

原作品の著者:J. K. Rowling

ファンフィクションの著者:Eliezer Yudkowsky

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。