痛切な場違い感。九と四分の三番乗り場から出てきたとき、ハリーはそんな感覚をおぼえた。 地球のこちらがわのことを、唯一の現実世界だと以前の自分は思っていた。 道ゆく人は魔法使いや魔女の威厳あるローブではなく、カジュアルなシャツやパンツの服装をしている。 ベンチのまわりのあちこちに、ごみが散らばっている。 空気を吸うとひさしぶりに鼻をつく、ガソリンエンジンの排気の生なましいにおい。 キングス・クロス駅の雰囲気は、ホグウォーツやダイアゴン小路ほど楽しげな感じがない。 ここにいる人たちは小さく、おびえて見える。この人たちは、この世界の問題を解決してやるから引きかえに闇の魔術師とたたかえ、と言われれば、よろこんで引きうけるだろう。 よごれにスコージファイをかけ、ごみにエヴェルトをかけて始末してやりたい。もし呪文さえわかれば、〈
〈第一世界〉の先進国から〈第三世界〉の国に来た人は、きっとこういう感じをうけるのだろう。
今回ハリーがあとにしたのはさしずめ、魔法界という〈第ゼロ世界〉だった。〈清掃の魔法〉や
そこから、マグルがわの地球の、魔法界でないロンドンに、ハリーは一時的にもどってきた。この世界でママとパパは一生をすごす。技術の進展によって魔法族の生活水準が一足飛びに追いこされたり、世界に深い変革が起きたりということさえなければ。
無意識のうちにハリーはぱっとふりむいて、後ろにいるトランクのほうを見た。トランクはマグルに気づかれずに小走りしてきている。爪のある触手を見ると、すべてが空想でなかったとわかってほっとさせられる……
胸をしめつけられるような感じがしているのにはもうひとつ理由がある。
両親は知らない。
両親はなにも知らない。
知らないのだ……
「ハリー?」とすらりとした金髪の女性がハリーを呼んだ。肌は完全にすべすべで染みもなく、とても三十三歳には見えない。それが魔法だったことに気づいて、ハリーははっとした。以前は気づかなかったが、いまはそうだとわかる。 これほど長く効果がつづくなら、きっとものすごく危険な
ハリーの目に水分がたまった。
「
ハリーは片手をあげて振って答えた。声がでてこない。まったく声にならない。
二人は走らずに近づいてきた。ゆったりとした、威厳ある歩きかただ。マイケル・ヴェレス゠エヴァンズ教授はいつもこの速度で歩くし、ペチュニア・エヴァンズ゠ヴェレスもそれ以上急ごうとはしない。
お父さんはうっすらとした笑みしかしていないが、もともと満面の笑みをするたちではない。 すくなくとも、ハリーが見たなかでは一番の笑みだ。あたらしく助成金を獲得したり、指導学生の就職が決まったりしたとき以上だ。つまり、これ以上ない笑みということだ。
ママはいそがしくまばたきをしている。笑みをおさえようとしながら、うまくいっていない。
「さて!」と目のまえまで来たところでお父さんが言う。「画期的な新発見はできたか?」
当然冗談だと言うような態度だ。
以前は両親がハリーの可能性を十分信じてくれないときも、それほどつらいと思わなかった。あのころは、ほかのだれも信じてくれていなかったし、ダンブルドア総長やクィレル先生のような人たちに真剣に相手にされるというのがどういう気分かを知らなかった。
そこでハリーは気づいた。〈死ななかった男の子〉はブリテン魔法界にしか存在しないのだ。マグルがわのロンドンにはそんな人物はいない。ここにいるのは、家族とクリスマスの休暇をすごす、まだおさない十一歳の男の子でしかない。
「あの、ちょっと、」と言うと声が震えた。「いまから声をだして泣くけど、別に学校で嫌な目にあってるとかじゃないから。」
ハリーは一歩まえに出て、止まり、お父さんを抱擁するかお母さんを抱擁するかで迷った。どちらがどちらより愛されていると思われても困る——
「バカなことを考えてはいけないよ、ミスター・ヴェレス。」と言ってお父さんが肩をそっとつかみ、ハリーをお母さんのほうに押しだした。お母さんはすでにひざをついて、ほおに涙が流れていた。
「ママ、」と震える声でハリーは言う。「ただいま。」 それから抱擁し、周囲の機械的な雑音と燃えるガソリンのにおいを感じ、ハリーは泣いた。ことばとは裏腹に、もはやなにひとつ、もとの場所には帰らない。とりわけハリー自身は。
オクスフォードの大学町のクリスマスの渋滞をくぐりぬけるころには、空は暗くなり、星が見えだした。一家は自分たちのみすぼらしい家の敷地にはいって停車した。蔵書に雨風をしのがせるための家だ。
三人が玄関までの短い舗装道を歩き、花壇に小さく暗い電飾がついているところを通りすぎると(暗いのは、日中は太陽光で充電させているからだ)、電飾はそのタイミングで光った。 これを作るときに苦労したのは、ちょうどいい距離で起動する防水型の人感センサーを手にいれることだった……
ホグウォーツでは、ほんもののたいまつがこういう風に機能する。
玄関をあけてリヴィングルームにはいると、ハリーは目を何度もしばたたかせた。
壁一面が書棚で覆われていて、どの棚も六段からなり、天井近くまで届いている。 科学、数学、歴史などなど、ハードカバーの本ばかりであふれんばかりの棚もある。 ペーパーバックのサイエンスフィクションの段は二層ある。後ろの層はティッシュ箱か木の棒で底上げされていて、前の層のうえからはみでて見えるようになっている。 それでもたりず、本はテーブルやソファにこぼれだし、窓の下にも積み重ねられている……
ヴェレス家はハリーが出ていったときとまったく変わらない。ただ、本が増えている。つまり、おなじだ。
クリスマスツリーもあった。クリスマスイヴまであと二日なのに、まだなにもつけていない。一瞬考えてから、その意味に気づいてハリーは胸があたたかくなる気がした。もちろん、両親は
「部屋のベッドは、本棚を増設する場所をつくるために片づけたからな。ハリーの寝る場所はそのトランクのなかにもあるんだろう?」とお父さん。
「パパの寝る場所だってあるよ。」
「それで思いだしたが、睡眠周期については、けっきょくなにをしてもらった?」
「魔法」と言ってハリーはまっすぐに自分の部屋へとむかった。念のため、パパが冗談を言っていなかった場合にそなえて……
「説明になってないぞ!」とヴェレス゠エヴァンズ教授が言うと同時にハリーがさけんだ。「
ハリーは十二月二十三日いっぱいを使って、
クリスマスツリーは三人でいっしょにかざった。ハリーはてっぺんに、小さな踊る
グリンゴッツはなんの問題もなくガリオンを紙のおかねにかえてくれた。だが、大量の黄金を、あやしまれない非課税のマグル貨幣にかえて、匿名のスイスの銀行口座にいれるとなると、単純にはいかないようだった。 これで、ハリーが自分から盗んだおかねのほとんどを投資にまわすという計画は頓挫した。六割を国際
十二月二十四日の一部は、ヴェレス゠エヴァンズ教授がハリーの本を読んで質問するという作業についやされた。 お父さんが提案した実験のほとんどは、すくなくとも現時点では、実現のみこみがなかった。みこみのあるものは、たいていハリーが実験ずみだった。 (「呪文の発音を変えたものをハーマイオニーに教えて、なにが変わったのかは教えないでおく、っていうのはもう試したよ、パパ。一番最初にやったのがそれ!」)
お父さんは『魔法水薬・油薬』を読むのを中断して、愛想がつきたという顔で、最後にこう質問した。魔法使いなら、これを読んで意味がわかるのか。ハリーの答えはノーだった。
その段階でお父さんは、魔法は非科学的だと宣言した。
いま考えても、
(といっても、物理学者にも量子力学を変だと思う人はたくさんいる。彼らは、変なのは自分であって量子力学ではない、とは思わないのだ。)
ハリーは自宅用に買っておいた治癒キットをお母さんにみせた。ただし、パパには効果がない
リリー・エヴァンズは実際、
もちろん、ハリーとしては、そんな運命に家族をまかせるつもりはない。
十二月二十四日の夜にさしかかったころになって、三人はクリスマスイヴのディナーの場所へと車でむかった。
そこは大邸宅だった。ホグウォーツにはおよばないものの、著名な大学教授でもオクスフォードで家をかまえようとすると、ここまではいかない。 煉瓦づくりの二階建ては夕日にかがやいていて、窓のうえにもう一列窓があり、ありえないほど縦長の窓もひとつある。あそこには、かなり大きなリヴィングルームがありそうだ……
ハリーは深呼吸をしてから、ドアの鐘をならした。
遠くから、「あなた、出てくれない?」という声がした。
それから、ゆっくりと近づいてくる足音がした。
ドアが開き、温和そうな男性があらわれた。赤ら顔で太っていて、髪の毛が薄くなってきている。青のボタンダウンシャツは、とじ目のところがすこしきつそうに見える。
「ドクター・グレンジャーですよね?」とハリーのお父さんが快活に口をひらいて、ハリーの先をこした。「マイケルです。よろしく。こちらはペチュニアと、息子のハリー。 料理は魔法のトランクにいれてきました。」と言ってパパは適当に後ろのほうにむけて手ぶりをした——正確には、トランクがある方向はそっちではなかった。
「ようこそ。さあ、どうぞ中へ。」と言ってレオ・グレンジャーは一歩まえに出て、差しだされたワインボトルを受けとり、「どうもありがとう。」と言い、一歩もどって、リヴィングルームのほうに手をむけた。 「まず座って。ああ、それと……」と言ってレオ・グレンジャーはハリーのほうを向き、「おもちゃはたくさん、この下の地下室にあるからね。 ハーミーもすぐおりてくるよ。右手の最初のドアだ。」と言って廊下があるほうを指さした。
ハリーは一瞬、この人と対面したままかたまってしまった。この位置では両親がはいってくる邪魔になってしまって悪いと思いながらも。
「おもちゃ?」とハリーは明るく、甲高い声で言って、目を丸くした。「おもちゃ大好き!」
お母さんが音をたてて息をのみこむ音がした。ハリーはどたどたと音をたてすぎないように一応気をつけながら、家のなかへはいっていった。
外観の印象を裏切らず、リヴィングルームは巨大だった。アーチ状の天井が大きく張りだし、特大のシャンデリアがぶらさがっている。そして、どうやってドアを通りぬけさせたのかと思うほどのクリスマスツリーもある。 ツリーの下の部分は赤と緑と金色の緻密な模様のかざりがほどこしてあるが、追加で青と銅色もちりばめてある。大人しか手のとどかない高さの部分には、電飾と模造のリースがいくつか無造作に垂らしてある。 通路のさきにはキッチンのキャビネットと、階段が見える。階段は木製の踏み板と金属製の手すりでできていて、二階へとつづいている。
「わあ! 大きな家だなあ! 迷子にならないようにしないと!」
ドクター・ロバータ・グレンジャーは夕食の時間がせまるにつれ、なんとも落ちつかなくなった。 グレンジャー家から持ちよる料理として、七面鳥とローストビーフはオーヴンのなかで順調に焼けている。それ以外の料理は客人であるヴェレス家が提供することになっている。ハリーという名のヴェレス家の養子は、 魔法界では〈死ななかった男の子〉として有名な人物だという。 ハーマイオニーによれば「かわいい」男の子だそうだが、あの子はいままでそんな風に男の子を呼んだことがなかった。いや、というより、ハーマイオニーは男の子に目をとめたこともなかった。
ヴェレス家夫妻によれば、同年代の子どもたちのなかでハリーが多少なりとも存在を認知したのはいまのところハーマイオニーしかいないという。
早とちりがすぎるかもしれないが、あることが両夫妻の脳裡にちらりとうかんだ。もしかすると、あと何年かすれば、結婚式の鐘の音がきこえてくるのではないか。
ということで、クリスマスの当日は例年どおり一家で夫の家族のところへ行くとして、今年のクリスマスイヴは将来の婿家族になるかもしれない人たちを夕食に招こう、ということにしたのだった。
七面鳥にたれをかけている最中にドアの鐘が鳴ったので、ロバータは声をはりあげた。 「あなた、出てくれない?」
夫とその椅子からうなり声がして、それからどたどたと足音がして、ドアがバタンとひらいた。
「ドクター・グレンジャーですよね?」と、すこし年上の、快活な男の声がした。 「マイケルです。よろしく。こちらはペチュニアと、息子のハリー。 料理は魔法のトランクにいれてきました。」
「ようこそ。さあ、どうぞ中へ。」と言ってから、夫レオはすこし聞きとりにくい声で「どうもありがとう。」とも言った。おそらくプレゼントかなにかを受けとったのだろう。「さあ座って。」 それからレオは見せかけの高揚感をこめた声で、こう言った。 「おもちゃはたくさん、この下の地下室にあるからね。 ハーミーもすぐおりてくるよ。右手の最初のドアだ。」
一瞬、間があった。
すると少年の明るい声が聞こえた。「おもちゃ? おもちゃ大好き!」
それから家にはいってくる足音があり、もう一度明るい声がした。「わあ! 大きな家だなあ! 迷子にならないようにしないと!」
ロバータはオーヴンをとじて、笑みをうかべた。 ハーマイオニーの手紙にでてくる〈死ななかった男の子〉の話にはすこし心配させられていた——もちろん、どの手紙にもハリー・ポッターが
ロバータが玄関についたとき、ハーマイオニーも階段をドタドタと、ちょっと危険すぎるほどの速度でかけおりてくるところだった。ハーマイオニーの話では魔女は落下の衝撃に強いそうだが、どこまで信用していいのやら——
ロバータはヴェレス教授夫妻の第一印象を吟味した。二人ともすこし落ちつかなさそうにしている。噂どおりの傷あとがひたいにあるその息子のほうは、ハーマイオニーのほうを向いて、さきほどと違った低い声をだした。 「これはこれは。ごきげんよう、ミス・グレンジャー。」と言って彼は片手の手のひらを見せ、両親を献上しにきた、とでも言うような動きをしてみせた。「ご紹介しましょう。わが父と母、マイケル・ヴェレス゠エヴァンズ教授とその妻ペチュニア・エヴァンズ゠ヴェレスです。」
ロバータが口をぽかんとあけると、少年は自分の両親のほうを向いて、さきほどまでの明るい声にもどった。 「ママ、パパ。ハーマイオニーだよ! すごくあたまがいい子だって言ったよね!」
「
少年はくるりとふりむいて、ハーマイオニーのほうを見た。 「残念ながら、われわれ二人は地下迷宮への幽閉の処分がくだされたそうだ。 ここでは大人たちがわれわれ子どもの頭脳にはおよびもつかない高級な会話をするそうだから、われわれはこのあいだの議論を再開して、ヒューム的投影論が〈転成術〉にあたえた影響について検討するとしようか。」
「ちょっと失礼しますね。」ときっぱりとした口調で言うと、ハーマイオニーは少年の左そでをつかんで、廊下に引きずっていき——ロバータはただ、二人が目のまえを通りすぎて、少年が明るく手をふっていくのを見守ることしかできない——そのさきで少年を地下室に引っぱりこみ、ぴしゃりとドアをしめた。
「も、もうしわけありません……」とヴェレス夫人がおろおろと言った。
「すみません。」と言って、ヴェレス教授が愛情のある笑みをした。「ハリーはあの手のことに敏感でして。 まあ、たしかに、あの二人が話したいことは、われわれの興味とはあわないんでしょう。」
『息子さんは危険ですか』と言いたくなるのをおさえて、ロバータはもっとさりげない別の言いかたを考えようとした。 夫はとなりで含み笑いをしている。まるで、あれが恐怖ではなく愉快なできごとだったと思っているかのようだ。
歴史上もっともおそれられた〈闇の王〉があの子を殺そうとした。ところが、襲ってきたほうが死に、燃えかすとなってゆりかごのとなりで見つかったという。
その子が将来、義理の息子になるかもしれない。
ロバータはあんな風に魔法の世界に娘を引きわたしてよかったのかと、だんだん悩むようになってきていた——とくに、入手したいろいろな本にあった日付けを総合して、とあることに気づいてからは。魔女であったロバータの母が死んだ時期は、グリンデルヴァルドの狂行が最高潮に達した時期に一致する。ロバータを出産するときに死んだのだと父親からは聞かされていたが、おそらくそうではなく、殺されたのだ。 だが、マクゴナガル先生は最初の買い物のあとも、「ミス・グレンジャーの様子を見る」ためにと言って、この家を何度か訪問しにきた。もしそこでハーマイオニーが、魔女としての人生を送るにあたって両親が邪魔になっている、というようなことを言ったとしたら、どうなっていたか。二人は
ロバータはできるかぎり満面の笑みをして、すこしでもクリスマスの雰囲気をもりあげるように努力した。
宴席のテーブルは六人分——いや、四人と子ども二人分か——よりはるかに長かったが、全面にきめこまかな白の亜麻布が敷かれている。料理は無意味にきらびやかな盛り皿にのせてられている。すくなくともその盛り皿は、ほんものの銀ではなくステンレス鋼だったが。
ハリーは七面鳥の味に集中しようとするが、ほかのことが気にかかっていた。
会話の話題は自然とホグウォーツのことにおよんだ。 ハリーの両親の目論見はあきらかだ。ハリーの学校生活について本人が言っていないことをハーマイオニーがうっかりもらしてくれないか、と期待しているのだ。 ハーマイオニーはそれを察してくれているらしい。いや、それとも、ややこしいことになりそうな話題を無意識に避けているだけなのかもしれない。
だからハリーについては問題ない。
問題なのは、ハリーはすでに自宅へのフクロウ便で、ハーマイオニーに関わるいろいろなできごとを両親に教えてしまっていた、ということ。ハーマイオニーがまだ自分の両親に話していなかったような部分についてまで。
たとえば、ハーマイオニーは課外活動で軍の司令官になった、とか。
その話がでたときハーマイオニーの母親がぎょっとしたので、ハリーはすばやく割り込んで、模擬戦で使う呪文はすべて危害の発生しない呪文だし、戦闘はつねにクィレル先生の監督下にあって、魔法で治癒する手段もあるから、言うほど危険なことはなにもない、と説明しようとしたが、その段階でハーマイオニーがテーブルの下で蹴りをいれてきた。 そこでハリーの父親が助け船をだし、教師として断言するが、もし危険であれば学校が子どもたちにそんなことをさせるはずがない、と保証した。ハリーもこういうことに関しては父親のほうが一枚うわてであると認めざるをえない。
といっても、ハリーが食事をあまり楽しめていない理由はそこではない。
……自分の不幸を考えすぎるのも困りものだ。ほかのだれかがもっと不幸だったりすると、一瞬で気づくようになってしまう。
ドクター・レオ・グレンジャーは会話の途中のどこかで、マクゴナガル先生についてたずねた。あの先生はハーマイオニーのことを気にいってくれていたようだったが、授業でもいい点数をつけてもらえているのか、という質問だった。
ハーマイオニーは見たところ裏のない笑顔で、肯定する返事をした。
ハリーはかなり努力して、口をはさむのを思いとどまった。マクゴナガル先生はなにがあろうと生徒をひいきするような先生ではないし、ハーマイオニーはたしかにいい点数をもらっているが、公正で正当な評価をするとそうなるだけだ、と冷ややかに指摘したいところだった。
レオ・グレンジャーは、ハーマイオニーはとてもかしこいから、魔女のあれこれさえなければ医学部に進学して歯科医にだってなれたかもしれない、という話もした。
ハーマイオニーはそこでまた笑みをしながら、ちらりとハリーに視線をむけて『言わないで』という信号を送ってきた。 おかげでハリーはこう言おうとしたのを思いとどまった——ハーマイオニーなら
だが、ハリーはどんどん沸騰点に近づいていく。
そして自分自身の父親がああでなかったことを、いつになく感謝する気持ちになっていく。パパは天才児であったハリーの成長に役立つあらゆることをしてくれたし、つねに上を目指すことを奨励してくれた。ハリーはなにかを達成すれば毎回かならず正当な評価をしてもらえたし、所詮子どものやることだと言って軽んじられたことはなかった。 ママがヴァーノン・ダーズリーと結婚していたら、ハリーはグレンジャー家のような家庭でそだつ羽目になっていたのだろうか?
とにかく、ハリーはできるかぎりのことをした。
「彼女はたいがいの科目でハリーより成績がいいんだとか? ホウキのりと〈転成術〉のほかは。」とマイケル・ヴェレス゠エヴァンズ教授が言った。
「そのとおり。」と言って、ハリーはクリスマスイヴの七面鳥の肉をもう一口分切りとりながら、落ち着いた声をだすようつとめた。 「しかもほとんどの科目で大差をつけられてる。」 こんな状況でもなければあまり積極的に認めたくない事実ではある。だからこそ、今日までお父さんにも知らせる機会がなかったのだ。
「ハーマイオニーはいつも学校の成績がよかったからね。」とドクター・レオ・グレンジャーが満足げに言う。
「ハリーは全国大会に出るくらいですよ!」とマイケル・ヴェレス゠エヴァンズ教授が言う。
「あなた!」とペチュニア。
ハーマイオニーはくすくす笑っている。けれどハリーは、彼女がこんな風にあつかわれているのが気にくわない。 本人は気にしていない。だからこそ余計、ハリーは気にする。
「ぼくもハーマイオニーになら負けても恥ずかしくないよ。」 すくなくとも、いま、この場ならそう言える。 「ハーマイオニーは授業がはじまるまえから教科書をぜんぶ暗記してたっていう話もしたかな? もちろん、ちゃんと検証してみたから。」
「娘さんは、その、ふだんからそうなんですか?」とヴェレス゠エヴァンズ教授が夫妻に言った。
「ええ、ハーマイオニーはなんでも暗記するんです。」とうれしそうな笑顔でドクター・ロバータ・グレンジャーが言う。「この家にある料理本のレシピも、ぜんぶそらで言えますから。 夕食の準備のときにはいつも、ここにいてくれたらと思うわ。」
いま見えている表情から察するかぎり、パパもハリーとおなじ気持ちを多少は感じているようだ。
「パパ、心配ないよ。 ハーマイオニーはいまは好きなだけ高度な教材を使わせてもらってる。 彼女がどれだけかしこいかが、ホグウォーツの教師陣には分かっている。
最後の部分でハリーは声をあらげた。全員がハリーのほうに顔をむけ、ハーマイオニーはまた蹴りをいれている。暴言をしてしまったのはわかっているが、それでももう我慢できない。こんなのは我慢できない。
「わたしたちだって、もちろん分かっているとも。」とレオ・グレンジャーがむっとした様子で言った。この家の晩餐で声をあらげるとはいい度胸だ、とでも言いたげだ。
「いいえ、ちっともわかってない。」 ハリーの声に冷たさが混じってきた。 「たくさん読書をしていてえらい、とでも思っているんでしょう? 満点の成績表を見せられて、この子は学校でしっかりやっているな、とでも言うんでしょう。 彼女はぼくらの世代で一番才能がある魔女で、ホグウォーツ期待の星なんです。両ドクター、あなたがた二人が歴史にのこることがあるとすれば、彼女の親だという肩書きだけですよ!」
すでに静かに席を立ってテーブルをまわりこんできていたハーマイオニーは、このタイミングでハリーのシャツの肩をつかんで椅子から引きずりだした。 ハリーは抵抗こそしなかったが、引きずられていくあいだ、さらに声をはりあげた。 「……それどころか、一千年後の世界では、ハーマイオニー・グレンジャーの両親が歯医者だったということだけが歯科学について知られるすべてになっていたとしても、まったく不思議ではありません!」
ロバータはおさない娘が辛抱づよい表情をして、〈死ななかった男の子〉を引きずって消えていった方向を見つめた。
「いやはや申し訳ない。」とヴェレス教授が愉快そうな笑みをして言う。 「でもあまり気にしないでください。 ハリーはいつもあんな感じでして。 あの二人、まるでもう結婚しているみたいじゃありませんか?」
おそろしいことに、たしかにそう見えた。
ハリーはハーマイオニーからきびしくしかられることになると思っていた。
だが地下室への階段に二人を入れてから扉を閉め、こちらをふりむいたハーマイオニーは——
——笑顔だった。見るかぎり、裏のない笑みだ。
「ハリー、あれはもうやめて。」とハーマイオニーがおだやかに言う。「言ってくれるのはうれしいけど。なにも心配いらないから。」
ハリーはあっけにとられて彼女を見た。 「あれを我慢できるっていうの?」 親たちにきかれないようにと声をおさえたものの、音量はともかく高さはあがってしまった。 「
ハーマイオニーは肩をすくめてから言った。「だって親ってああいうものじゃない?」
「ちがう。」 ハリーは小声にちからをこめた。 「うちのお父さんは、ぜったいぼくをバカにしない——いや、するんだけど、あんな風にはしない——」
ハーマイオニーは指を一本たてた。どう言いあらわせばいいか、あれこれ考えているようだった。しばらくしてから彼女は口をひらいた。 「ハリー……。マクゴナガル先生とフリトウィック先生は、わたしがこの世代で一番才能がある魔女で、ホグウォーツ期待の星だから気にいってくれている。 ママとパパはそのことを知らないし、伝えてあげることもできないけれど、それでもわたしを愛してくれる。 つまりホグウォーツにもこの家にも、なにも問題はないっていうこと。 そしてこれは
ハリーはこくりとうなづいた。
「よろしい。」と言ってハーマイオニーは顔をちかづけて、彼のほおにキスをした。
やっと四人の会話が再開したところで、遠くから甲高い叫び声がきこえてきた。
「待って! キスはなし!」
男性陣は思わず笑いだしたが、女性陣は二人ともまったくおなじ愕然とした表情で席を立ち、地下室へむけて駆けだした。
テーブルに連れもどされてきたとき、ハーマイオニーは冷ややかに、二度とハリーにはキスしない、と言った。ハリーのほうは憤慨して、太陽が燃えつきて灰になるまでけっしてそういう距離感で近よらせない、と言った。
つまりなにも問題はないということであり、六人はそろって座ってクリスマスディナーの残りにとりかかった。
原作品の著者:J. K. Rowling
ファンフィクションの著者:Eliezer Yudkowsky