ハリー・ポッターと合理主義の方法   作:ポット@翻訳

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40章「仮そめの知恵(その2)」

◆ ◆ ◆

 

ハリーはティーカップの正しい持ちかたの見本をクィレル先生に三度やってみせてもらって、やっと習得した。そのやりかたでカップを持ち、慎重に口をつける。 〈メアリーの部屋〉の中心的な存在である幅のある長卓のむこうがわで、クィレル先生が自分のカップに口をつけている。はるかに自然で優雅な飲みかただ。 お茶そのものの名前は中国語の単語で、ハリーには発音することすらできない。いや、真似して発音しようとはしてみたが、クィレル先生に何度も直され、最終的にハリーはあきらめた。

 

ハリーは挑戦をくりかえしてようやく勘定書きを盗み見ることに成功し、クィレル先生はとがめるそぶりをしなかった。

 

まず感じたのは、コメッティーを飲んでしまいたいという衝動だった。

 

()()()()()()()()()()、心臓がとまるほどのショックだった。

 

でも味がどうだったかといえば、やはりただのお茶だ。

 

どうも、クィレル先生は()()()()()()()()()のではないか、とんでもなく高いお茶をおごって、ハリーに違いをわからないことを実感させて()()()()()()()のではないか、という気がしてならない。 クィレル先生自身も、いいお茶だと思っていないのかもしれない。 というか、だれ一人本心ではいいお茶だと思っていないのかもしれない。被害者に自分は味がわからないと思わせるためだけに、とんでもなく高い値段がつけられているのかもしれない。 いや、実はこれはふつうのお茶で、とある暗号を使って注文すると、法外な値段が書かれた偽の勘定書きといっしょに出てくるようになっているのではないか……

 

クィレル先生は沈んだ表情で、思案げだった。 「きみはマルフォイ卿との会話を総長に報告すべきではなかったな。 次回はもっと早くそのことに気づくように。」

 

「すみません、実は、まだよくわからないんですが。」  ハリーはときどき、自分がペテン師であるように感じる。クィレル先生のまえで、自分は悪知恵があるというふりをしているだけのように感じる。

 

「マルフォイ卿とアルバス・ダンブルドアは敵どうしだ。 すくなくとも、現在の情勢下ではそうだ。 ブリテン全土をチェス盤とし、魔法族一人一人を駒として使うゲームをしている。 考えてもみろ。マルフォイ卿はミスター・マルフォイのためならすべてを投げうって、ゲームを放棄して報復する、とまで言った。これが意味するのは……?」

 

ハリーは何秒か待ったが、クィレル先生がそれ以上のヒントをださないつもりであることに気づいた。のぞむところだ。

 

そしてやっと話が見えて、ハリーは眉をひそめた。 「ダンブルドアはドラコを殺す。そして()()()やったように見せかける。ルシウスはダンブルドアとのゲームを投げうってぼくに復讐する。そういうことですか? そういうのは……総長の流儀ではなさそうな気がしますが……」  似たような警告をドラコからされたときのことが思いだされる。あのときも、ハリーはおなじ反応をした。

 

クィレル先生は肩をすくめ、お茶を一口飲んだ。

 

ハリーも自分のカップから一口飲んで、無言になった。 テーブルにかけられたテーブルクロスはとてもひかえめな模様で、一見、無地にさえ見えた。しかし、しばらくじっと見ていると、というより、しばらく黙っていると、ぼんやりと花模様が浮かびあがってくる。 気づくとそれにあわせて部屋のカーテン模様が変わっていて、音のない風にゆれているように見えた。 この土曜日のクィレル先生は、沈思黙考の気分のようだ。ハリーもそういう気分だった。〈メアリーの部屋〉はそういった客の気持ちをちゃんと知っているようだ。

 

「クィレル先生、死後の世界はありますか?」とハリーは出しぬけに言った。

 

ハリーは質問の表現に注意し、 『死後の世界を信じていますか』ではなく『死後の世界はありますか』にした。 人が本気で信じているものごとは、もはや()()ではなくなる。 ふつうのひとは『わたしは空が青いとかたく信じています』と言うかわりに、 『空は青い』と言う。 ある人のこころのなかにある世界地図は、その人にとって世界のしくみ()()()()であるように感じられる……

 

〈防衛術〉教授はもう一度カップを口につけてから、答えた。思案するような表情だ。 「かなりの数の魔法使いが、不死をもとめて膨大な労力をついやした。もし死後の世界があるなら、それがみな無駄だったことになる。」

 

「それは答えになってませんけど。」  ハリーはこれまでの経験で、クィレル先生との会話でこういうやりとりが起きるのを見のがさなくなっていた。

 

クィレル先生はティーカップを受け皿におろした。キンと小さな甲高い音がなった。 「そういったことをした魔法使いのなかには、それなりに知性的な人物もいる。だから死後の世界は自明な存在ではないと思ったほうがいい。 わたし自身も一度調べてみたことがある。 希望や恐怖によってつくりだされたであろう種類の主張も、多くあった。 信憑性がたしかなものにかぎれば、どの報告に書かれたできごとも、ただの魔法にできることを超えていない。 死者と交信することができるとされる道具はいくつかあるが、わたしの見るかぎり、どれも精神にイメージを投影するだけだ。 その効果は一見して記憶と区別がつかない。というより記憶そのものだ。 霊とされるものの口から、生者の世界で確認できる秘密や、霊が死後に知りうる秘密を聞こうとした例はあるが、使役者の知りえない情報がもたらされた例はない——」

 

「〈よみがえりの石〉が世界一有用な魔法具とされていないのも、そのためですね。」

 

「そのとおり。しかし使う機会があれば、試してみるのも悪くはない。」  クィレル先生のくちびるに乾いた薄ら笑いが浮かんだ。そして目には、もっと冷たい、遠くを見るような感じがあった。 「その様子だと、ダンブルドアともおなじ話をしたのだろう。」

 

ハリーはうなづいた。

 

カーテンがほのかに青い模様に変わっていき、優美な雪の結晶がうっすらとテーブルクロスに浮かびあがっていく。 クィレル先生の声はとてもおだやかだ。 「総長の話には、ときに強い説得力がある。きみがまるめこまれていなければいいのだが。」

 

「まさか。一瞬たりとも、あんな話には乗りません。」

 

「そうであればいいが。」  クィレル先生は、まだおなじ、おだやかな口調をしている。 「総長はまた、死という来たるべき旅路があるからと言って、きみをくだらない謀略にでも巻きこもうとしたのだろうが、それできみが人生を棒にふる決断をしたりしたのだったら、非常に憂慮させられるところだった。」

 

「総長自身も信じていないんじゃないかと思います。」と言ってハリーはまたお茶を一口飲んだ。 「永遠の生があったらいったいなにをするんだ、と聞かれて、そのあとは、長く生きても退屈だというお決まりの話になって。総長はその話をしながら、それが不滅のたましいがあるという自説と矛盾するようには思っていないみたいでした。 そもそも、不死をもとめることは許されないという話を長ながとしておいてから、たましいは不滅だと言いだしたんです。 あの人のあたまのなかがどうなってるのか想像もつきませんが、死後の世界で永遠に生きる自分のすがたを実際にイメージしているようには思えません……」

 

部屋の温度がさがっていくように感じる。

 

テーブルのむこうがわから氷のような声がした。 「ダンブルドアは自分の言うことを本心では信じていない。きみはそう思っているのだな。 自分の主義主張について妥協したのではなく、 最初からなんの主義主張もないのだ、と。 ミスター・ポッター、きみはずいぶん冷めた見かたをしはじめてはいないか?」

 

ハリーは自分のティーカップに視線をおとし、 「そうですね、すこし……」と、もしかすると超高級で法外な値段なのかもしれない中国茶にむけて言う。 「すこし我慢しにくくなったりするのはたしかです。ああいう……話の通じない人に対しては。」

 

「ああ。わたしも我慢ならなくなることがある。」

 

「人がそうなるのを止める方法はないんでしょうか?」とハリーはティーカップに聞いた。

 

「実はその問題を解消してくれる便利な呪文がある。」

 

ハリーは希望の表情で顔をあげたが、〈防衛術〉教授はひどく冷たい笑みをしていた。

 

ハリーはその意味に気づいた。 「アヴァダ・ケダヴラ以外でですよ。」

 

〈防衛術〉教授は笑った。ハリーは笑わなかった。

 

「それはともかく、」とハリーは急いでつづけた。「〈よみがえりの石〉のわかりきった使い道については、あっさりダンブルドアに言ってしまわずにすみました。 線を丸でかこって、さらに三角形でかこった印があるんですが、そういう印のついた石を見たことはありますか?」

 

死を思わせる寒けが引いていき、折りたたまれたような気がした。そして、いつものクィレル先生がもどった。 しばらくしてからクィレル先生は思案げな表情で答えた。 「記憶にないな。それが〈よみがえりの石〉なのか?」

 

ハリーはティーカップをよけて、マントのなかに見えたシンボルを受け皿にえがいた。 それに〈浮遊の魔法〉をかけようとして杖に手をのばしたところで、受け皿はテーブルのむこうのクィレル先生のところへ従順に浮遊していった。 無杖魔法のことはぜひ勉強したいが、現在のハリーの授業構成からすると、はるか先のことのようだった。

 

クィレル先生はハリーの皿をしばらくながめてから、くびをふった。一息おいてから、皿がハリーのところにもどってきた。

 

ハリーはティーカップをまた皿に乗せた。さっきえがいたシンボルが消えていることをうわのそらで認めながら、こう言った。 「このシンボルがついた石を見かけて、それが実際に死後の世界と交信できるものだったら、教えてください。 マーリンか、ほかのアトランティス人のだれかに質問してみたいことがあるので。」

 

「そうしよう。」と言ってからクィレル先生はもう一度カップを持ちあげ、最後の一滴を口にいれようとするかのようにして、かたむけた。 「ところで、今日のわれわれの小旅行は予定より早く切り上げざるをえない。 できることなら——いや、いい。 わたしはこの午後にぜひやっておかねばらない用務がある、とだけ言っておこう。」

 

ハリーはうなづき、自分のお茶を飲み終え、クィレル先生と同時に席を立った。

 

クィレル先生のコートがコートかけを飛びたち、持ちぬしのほうへ向かったところで、ハリーは口をひらいた。 「最後にひとつだけ聞かせてください。魔法がこれだけやりたいほうだいなので、ぼくはもう自分の推測を信じられないんですが、 希望的観測なしの推測で答えてもらいたいです。死後の世界はあると思いますか?」

 

クィレル先生はコートを羽織りながら肩をすくめた。 「もしそう思っていたら、こんな世界にとどまっているはずがないだろう?」

 

◆ ◆ ◆

 

原作品の著者:J. K. Rowling

ファンフィクションの著者:Eliezer Yudkowsky

 


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