ハリー・ポッターと合理主義の方法   作:ポット@翻訳

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41章「前頭葉の優越性(フロンタル・オーヴァーライド)

◆ ◆ ◆

 

身を切るような一月の寒風が音をたてて吹きつける。閉じた窓や石の小塔のあいだを抜ける風の音は、奇妙な音程の笛の合奏のように聞こえる。一面のまっさらな石の壁は、ホグウォーツ城内外を物理的に区別している。 新雪はすでに吹き飛ばされてなくなっているが、一度とけてから固まった氷が壁面のところどころにちらばり、陽光をまぶしく反射している。 遠くから見れば、城に何百もの目がついて、またたいているように見えることだろう。

 

突風がやってきた。ドラコはびくりとし、思わず壁面にからだを寄せようとしたが、すでに隙間はない。壁面は氷のような手触りと、氷のような味がした。 自分のなかのどうにも正当化しようのない本能の部分が、もうすぐ自分はこのホグウォーツの外壁から吹きとばされると確信している。そしてそうなりたくなければ、みっともない反射的なうごきをして、おまけに吐いてしまえ、と言っている。

 

ドラコは非常に苦労して、眼下にある六階分の空間のことを忘れようとした。かわりに考えたのは、どうやってハリー・ポッターを殺してやろう、ということだった。

 

「ねえ、ミスター・マルフォイ。」と、となりにいる女の子がなにげない口調で言う。 「もしもわたしについての予言があって、いつか城の外壁に自分の指さきだけでぶらさがって、下を見ちゃいけない、ママが見たらどんなに大きな悲鳴をあげるかも考えちゃいけないって、自分に言い聞かせる羽目になるんだって言われたら、どうやってそんなことになるのか想像もできなかったと思う。ハリー・ポッターのせいだっていうことだけ、わかっただろうけど。」

 

◆ ◆ ◆

 

そのすこし前のできごと:

 

同盟した二人の司令官がいっしょに、床によこたわるロングボトムを乗りこえていく。二人がブーツで床を踏みならす音が、ほぼ完全に同調する。

 

二人とハリーのあいだに立ちふさがる兵士はあと一人。サミュエル・クレイモンズというスリザリン生で、杖を手が白くなるまで必死ににぎって、〈虹色の壁(プリズマティック・ウォール)〉を維持している。 呼吸があさくなってきてはいるが、その冷たい決意の表情は司令官ハリー・ポッターとかわらない。〈虹色の壁〉のむこうがわのハリー・ポッターは、廊下のいきどまりで開いた窓を背に立ち、意味ありげに両手をうしろにまわしている。

 

二対一で劣るはずの人数の敵にしては、とんでもなく手こずらされた。 もっと楽な戦闘のはずだった。〈ドラゴン旅団〉と〈太陽(サンシャイン)部隊〉はすでに演習を何度もくりかえし、おたがいをよく知っている。 士気もたかい。というのも、今回は両軍とも勝つことだけを目的にしているのではなく、裏切り者のない世界を実現するために戦っているからだ。 連合軍の兵士は自分たちを〈ドラマイオニーのサンゴン旅隊〉と呼びはじめたばかりか、両司令官が愕然として抗議したのをよそに、炎にまみれたニコちゃんマークの紋章を着用しだした。

 

そのいっぽう、ハリーの兵士たちは紋章をまっ黒にして——塗りつぶしたのではなく、制服の紋章部分を()()()()ように見えた——ホグウォーツ城上層階をかけまわりながら、必死の形相でたたかった。 ドラコのまえでハリーがときどき見せる冷たい怒りは兵士にも伝播したようで、その戦いぶりはもはや遊びのように見えなかった。 ハリーはあらゆる手だてを動員した。床や階段には小さな金属球がばらまかれ(グレンジャーによれば、玉軸受(ボールベアリング)だという)、排除できるまで通行が不可能になった。ハリーの軍だけが事前の練習のおかげで、金属球をばらまくとほぼ同時に、いっせいに〈浮遊の魔法〉を使って飛びこえていった……

 

外部から道具を持ちこんではならないが、安全なものであればなにを()()()()()〈転成〉してもいい、というのがルールになっている。 科学者にそだてられた少年が相手となると、不公平なルールだ。相手はボールベアリングやスケートボードやバンジー・ロープの構造を知っているのだから。

 

その結果がこのありさまだ。

 

連合軍の生存者は協力して、ハリー・ポッターの残存軍の全員を廊下のいきどまりに追いつめた。

 

ウィーズリーとヴィンセントは同時にロングボトムに襲いかかった。二人は数時間どころか数週間訓練したような連携を見せた。なのにロングボトムはその両方に呪文を当ててみせてから、倒れた。

 

残ったのはドラコとグレンジャーとパドマとサミュエルとハリー。サミュエルの表情からすると、〈虹色の壁〉の残り時間はもう長くはなさそうだ。

 

ドラコはすでにハリーに杖をむけており、〈虹色の壁〉が自壊するのを待っている。急いで〈破壊のドリルの呪文〉をやって消耗してしまうまでもない。 パドマは自分の杖をサミュエルに、グレンジャーはハリーに向けている……

 

ハリーはまだ両手をうしろに隠したまま、杖をかまえていない。氷から切りだされたような顔つきを見せている。

 

はったりかもしれない。が、おそらくはったりではない。

 

緊張した空気のもと、みじかい沈黙があった。

 

それからハリーが口をひらいた。

 

「今回はぼくが悪役だけど、 悪がこんなのであっさり降参すると思っているなら、考えなおしたほうがいい。 真剣勝負できみたちが勝てたなら、ぼくもおとなしく負けを認めよう。でも勝てなきゃ、そのつぎもおなじことになるぞ。」

 

少年は両手をまえに出した。その手に奇妙な手ぶくろがはめられているのが見えた。奇妙な灰色っぽい素材が指の位置についている手ぶくろで、留め具でしっかりと手首に固定されている。

 

ドラコのとなりで、〈太陽〉軍司令官が恐怖に息をのんだ。なにがそんなに恐ろしいのかと聞くまでもなく、ドラコは〈破壊のドリルの呪文〉を撃った。

 

サミュエルはよろめき、悲鳴をあげもしたが、〈壁〉を維持した。しかしここでパドマかグレンジャーが撃ってしまっては、こちらが戦力を消耗しすぎて、負けてしまうかもしれない。

 

()()()() ()()()()()()」とグレンジャーがさけんだ。

 

ハリーはすでに動きだしていた。

 

そしてひらりと窓を通りぬけ、冷淡な声で「はたして、ついてこれるかな。」と言い残した。

 

◆ ◆ ◆

 

二人のよこで、凍りつくような風が吹きすさぶ。

 

ドラコの両腕に疲労感がではじめた。

 

……話を聞けば、自分もつけさせられたこの手ぶくろは『ヤモリの手』と呼ばれるものが仕込まれていて、ちょうど昨日、グレンジャーはハリーからその〈転成〉方法を教わったところらしい。さらには、同じ素材を靴の指の位置に貼りつける方法もあわせて、念入りに実演してみせてもらっていたらしい。そのあとで、子どもらしい遊びの(てい)で、二人して壁や天井にのぼってみることまでしたという。

 

そして、やはり昨日、ハリーはグレンジャーに〈落下低速の飲み薬〉をちょうど二人分、ポーチに携帯しろと言って持たせたという。『万一のために』と言って。

 

当然ながら、パドマは同行すると言いだすわけもなかった。パドマはまともだから。

 

ドラコは慎重に右手を壁からはがして、できるだけ伸ばしてから、また壁をびたっとたたいた。 となりではグレンジャーがおなじようにしている。

 

〈落下低速の飲み薬〉はもう飲んだ。 ゲームのルール違反すれすれだが、この薬は実際に落下しないかぎり発動しない。そして落下するまでは、アイテムを使ったことにはならない。

 

三人はクィレル先生に監視されている。

 

こちら二人は()()()()()()()()()()()だ。

 

いっぽうのハリー・ポッターは、これから死ぬことになる。

 

「なんでハリーはこんなことしてるんだろう。」とグレンジャー司令官がひとりごとのように言って、ゆっくりと粘着質の音を出しながら、片手の指を壁からはがした。 その手は壁から浮いたかと思うとすぐにおりた。 「殺したあとで、聞いておかないと。」

 

二人にこれほどの共通点があるとは、思いがけない発見だ。

 

ドラコはあまり会話をしたい気分ではなかったが、歯を食いしばりながらも、一言だけ言った。 「復讐じゃないか。あのデートの。」

 

「へえ。これだけの月日がたつっていうのに。」とグレンジャー。

 

ギギギ。ポン。

 

「ありがたいこと。」

 

ギギギ。ポン。

 

「本気でロマンティックな返礼の方法を考えておこうかな。」

 

ギギギ。ポン。

 

「そっちはなんの恨みを買ってるの?」

 

ギギギ。ポン。

 

二人のよこで、凍りつくような風が吹きすさぶ。

 

◆ ◆ ◆

 

足をまた地につけることができてほっとする、と思ってもおかしくないところだ。

 

だが足の下にあるのは、かたむいた屋根のざらざらの屋根板であり、石の壁よりもずっとたくさん氷がのっている、そしてそこを相当な速度で走っている、となると……

 

とんだ期待はずれだ。

 

「ルミノス!」とドラコがさけんだ。

 

「ルミノス!」とグレンジャーがさけんだ。

 

「ルミノス!」とドラコ。

 

「ルミノス!」とグレンジャー。

 

遠くの人影はよけたり、あわてて立ちなおったりしながら走っていく。まだ一発もあたってはいないが、間あいはだんだん詰まっている。

 

そこでグレンジャーが足をすべらせた。

 

考えてみれば、こうなるのは必然だ。実世界では、凍りついた屋根のうえを相当な速度で走ったりすれば、ただではすまない。

 

そしてつぎに起きたこともまた必然だった。ドラコはまったくなにも考えずに、ふりかえって、グレンジャーの右腕をつかんだ。けれど、すでにグレンジャーは体勢をくずしてしまっていて、倒れこんだ。倒れるいきおいでドラコも引っぱられ、すべてがあまりにも速く展開し——

 

手痛い、強い衝撃があった。自分の体重だけでなく、グレンジャーの体重もいっしょに乗せて、屋根板に衝突したのだった。もし彼女が倒れた位置がもうすこしへりのほうだったら、なんとかなっていたかもしれない。しかし彼女はもう一度ずりおちて、足をすべらせ、もう片ほうの手で必死になにかをつかもうとする……

 

それで結局、ドラコはグレンジャーの腕をかたくにぎり、グレンジャーはもう片ほうの手で屋根のへりを必死につかみ、ドラコの靴の指が一枚の瓦のへりに食らいつく、というかたちになった。

 

()()()()()()()()」と遠くからハリーの悲鳴が聞こえる。

 

「ドラコ。」とグレンジャーのささやき声がして、ドラコは下を見た。

 

下を見たのはおそらくまちがいだった。 下にはやたらと空気があった。というより空気しかなかった。ここはホグウォーツ城にそそりたつ壁の上に突きでた屋根のへりなのだから。

 

「ハリーはわたしを助けにくる。でもそのまえに、わたしたち両方を『ルミノス』でしとめようとする。そうするにきまってる。だからその手を離して。」

 

こんな簡単な話はないはずだった。

 

相手はただの泥血(マッドブラッド)じゃないか。ただの泥血。()()()()()()()()()()()

 

けがさせるわけでもない!

 

……ドラコの脳はドラコの言うことを聞こうとしなかった。

 

「さあ。」とハーマイオニー・グレンジャーがささやく。その目はぎらぎらと燃えていて、恐怖の片鱗もない。 「はやく、ドラコ。やって。あなたが撃てば勝てる。()()()()()()()()()()()

 

だれかが走ってくる音がする。その音が近づいてくる。

 

合理的に考えろよ……

 

あたまのなかに聞こえるその声は、いやになるほどハリー・ポッターの講釈と似たひびきがあった。

 

……一生自分の脳の言いなりでいいのか?

 

◆ ◆ ◆

 

余波その一:

 

ダフネ・グリーングラスは、語り手のミリセント・ブルストロードがスリザリン女子談話室のみんなにこの話をしているのを聞いていて、口をはさみたくてしかたがなかった。(スリザリン女子談話室はホグウォーツ湖の地下にあるいごこちのいい場所で、窓からは魚が泳ぐのが見え、その気になれば寝ころぶことができるソファもある。) ありのまま話すだけでおもしろいのに、ミリセントがあちこちで自分なりの()()()()をしてしまっているのが、どうも気にいらない。

 

「それで、どうなったの?」と言ってフローラ・カロウとヘスティア・カロウが息をのんだ。

 

「グレンジャー司令官がマルフォイを見あげて、こう言ったの。」 ミリセントは劇的な調子で言う。 「『ドラコ! その手を離して! 心配しないで。わたしはきっとだいじょうぶだから!』 そんなことを言われて、マルフォイはどうしたでしょう?」

 

「『離すものか!』って言って、ぎゅっと手をにぎりなおした!」と言ったのはシャーロット・ウィーランド。

 

聴衆の女子たちがそろってうなづいたが、パンジー・パーキンソンだけはかたくなだった。

 

「はずれ! マルフォイは手を離してグレンジャーを落としました。それからさっと立ちあがって、ポッター司令官を撃ちました。 おしまい。」

 

一同が唖然としてしばらく沈黙した。

 

「そんなあ!」とシャーロット。

 

「相手は泥血(マッドブラッド)よ。」とパンジーが困惑した声で言う。「そりゃ離すでしょ!」

 

「それなら、まず手をつかんだのがまちがいだよ!」とシャーロットが返す。 「でも一度つかんだなら、離しちゃだめ! あんな破滅の元凶が、すぐそこまでせまってきてたんだから、余計にそう!」  そのことばに、ダフネのとなりの席のトレイシー・デイヴィスがきっぱりとうなづいて同意した。

 

「なんでそうなるのよ。」とパンジー。

 

「恋の才能のかけらもない人にはわからないでしょうね。」とトレイシーが言う。 「それに、女の子の手を離して落とすなんてありえない。 そんな風に女の子を落とす男なら……どんな相手でも落とすに決まってる。 あなたも落とされるわよ、パンジー。」

 

「どういう意味よ? 『落とす』って。」とパンジー。

 

ダフネは我慢の限界になり、声を低くして話しだした。 「あのねえ。あなたが朝食で〈大広間〉のテーブルの席にいたとするでしょ。気づいたらマルフォイが()()()()()()()()()()。そしたらつぎの瞬間、ホグウォーツ城のてっぺんからまっさかさま! そういう意味よ!」

 

「それそれ! マルフォイは魔女落としなんだよ!」とシャーロット。

 

「アトランティスはなぜ凋落したと思う? マルフォイみたいな男が()()()()のよ、きっと!」とトレイシー。

 

ダフネは声をひそめて言った。 「それより……実はマルフォイがハーマイオニー、じゃなくてグレンジャー司令官の足を、すべらせたんだったらどうする? マグル生まれを手あたりしだい転ばせてるのかもよ?」

 

「えっ、それって——?」とトレイシーが息をのむ。

 

「そう! つまりマルフォイは——()()()()()()()()()()なのかも?」

 

「〈落下の王(ドロップロード)〉の再来!」とトレイシー。

 

この二つ名は談話室一室にとどめておくにはもったいないできだったので、夜を待たずにホグウォーツ全体に知れわたり、翌朝には『クィブラー』の見出しをかざった。

 

◆ ◆ ◆

 

余波その二:

 

ハーマイオニーは今夕はかなりの時間の余裕をもたせて、いつもの教室に到着し、一人椅子に座って平穏に読書をきめこんでいた。そこにハリーがやってきた。

 

申し訳なさそうに開くドアのきしみ音というものがあるなら、これがそうだと思う。

 

「あの……」とハリー・ポッターの声が言う。

 

ハーマイオニーは読書をつづける。

 

「今回のは、なんというか、ごめん。ほんとにあんなところから落ちさせるつもりはなかったんだ……」

 

やってみると、わりと愉快な経験だったんだけれど。

 

「あの……その……ぼくは謝罪をした経験があまりなくて。ひざをついて謝罪したほうがよければそうするし、高価な贈り物がほしいなら買ってくるけど。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

ハーマイオニーは無言で読書をつづけた。

 

どういう謝罪をしてくれればいいのかなんて、きかれてもわかるわけがない。

 

いまはただ、もうすこしこうやって読書をしたままでいるとなにが起きるのだろうか、という奇妙な好奇心のようなものがあるだけだ。

 

◆ ◆ ◆

 

原作品の著者:J. K. Rowling

ファンフィクションの著者:Eliezer Yudkowsky

 




今回の非ハリポタ用語:「玉軸受(ボールベアリング)」
車軸と車輪のあいだなどに置いて摩擦を減らすのが軸受。球体を詰めた構造にすると接触する面積が小さいので効果的です。つまりよくすべる。

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