「『ロマンティック』? 二人とも男の子でしょ!」とハーマイオニーが言った。
「へえ。」と言って、ダフネはすこしショックを受けたようだった。「マグルって、ほんとに男どうしを受けつけないの? あれって〈死食い人〉の作り話じゃなかったんだ。」
「そうそう。」と言うのは、ハーマイオニーの知らないスリザリンの上級生女子。「だから結婚するときもこっそりやるし、ばれたら火あぶりにされるんだよ。それをロマンティックだと思う女の子がいたら、その子も火あぶりにされるんだから。」
ハーマイオニーがまだなんと言っていいかわからないでいるうちに、「そんなのおかしい!」とグリフィンドール女子のだれかが抗議する。「もしそれがほんとだったら、マグルの女の子はとっくに全滅してる!」
あのときハーマイオニーが静かに読書しつづけるとなりで、ハリー・ポッターは謝罪しようとしつづけていた。それを聞いているうちにハーマイオニーははたと気づいた。ハリーはこれまでの人生で、だれかを怒らせてしまったと自覚したことが一度もなかったのではないか。友だちの縁を切られかねないという
つぎの日、十三歳以上のレイヴンクロー女子ほぼ全員の票により採択された案は、『ドラコにハリーを落とさせる』だった。
あまりに安直な案で多少がっかりだったが、たしかにフェアなやりかたではある。
けれど、こうやって城の大扉のすぐそとに立ち、ホグウォーツの全女性の半数にかこまれていると、ハーマイオニーの心中に二つの気持ちがうまれた。自分が理解していない
これだけの高さからだと、細部はよく見えない。ただ、なにかを楽しみにしている女性の顔がたくさんならんでいることが分かるだけだ。
「きみはこれがどういう意味がわかってないんだろう?」とドラコはおもしろがって言った。
ハリーは読むべきでない本をそれなりにいろいろ読んだことがあった。そもそも、その手の『クィブラー』の見出しも見てしまっている。
「〈死ななかった男の子〉がドラコ・マルフォイを妊娠させるってやつ?」とハリー。
「ふうん。じゃあ、わかってるんだな。マグルはそういうのが嫌いなんじゃなかったか?」
「あたまの悪い人が嫌ってるだけだよ。でもぼくらだと、その、ちょっと若すぎない?」
「あっちはそう思ってないんだろうな。」とドラコは鼻息をあらくした。「女子ってやつは!」
二人は無言で屋根のへりまで歩いていった。
「こちらはきみへの復讐の意味でやっているわけだが、きみはなんで協力するんだ?」
ハリーはあたまのなかですばやくいろいろな要因を重みづけして計算をして、これが時期尚早かどうかを考える……
「正直に言うとね、ああやって氷の壁をのぼらせるところまではよかったけど、屋根から落とすことになるとは思わなかったんだ。 それで、まあ、彼女にとても悪いことをした気がした。 なんというか、彼女のことをほんとに友好的なライヴァルだと感じるようになってきてね。 だから今回はすなおに、謝罪のつもりでやってる。謀略とかじゃない。」
沈黙。
そして——
「ああ。そうだろうな。」とドラコが言った。
ハリーは笑顔をひかえた。笑顔をしないのがこれほどむずかしいのは生まれてはじめてかもしれない。
ドラコは屋根のへりを見て、顔をしかめた。 「これは事故でやるよりもわざとやるほうが、ずっとむずかしいんじゃないのか。」
ハリーのもう片ほうの手ははっとして反射的に屋根をしっかりつかみ、どこまでも冷たい石に強く指をのめりこませるようにした。
意識上では自分が〈落下低速の飲み薬〉を飲んだとわかっているのだが、 意識下の自分にそれがわかるかどうかとなると別問題だ。
ハーマイオニーはどれくらい怖かったのだろう、とハリーは想像してみていたが、ちょうどおなじだけの怖さだ。その点はひとつ成功だ。
この体勢では思うように声が出しにくいが、事前にレイヴンクロー女子たちから渡されていた台本を思いだす。 「ドラコ、その手を離して!」
「はーい!」と言ってドラコはハリーの腕を離した。
もう片ほうのハリーの手は、へりのところでもがいた。そしてこころの準備ができるまえに指がずり落ち、ハリーは落下した。
最初の一瞬で、胃はのどまで飛びあがろうとし、からだは体勢を立てなおす方法がないのに必死に立てなおそうとした。
つぎの一瞬で、ハリーは〈落下低速の飲み薬〉が発動したのを感じた。自分がぐらりと揺れ、なにかに受けとめられたような感じがした。
それから、なにかが
口はすでにひらいていて、悲鳴をあげていたが、脳の一部はなにか自分にできることを発想しようとし、脳の別の一部は発想するのに使える時間があとどれくらいあるか計算しようとし、また別の小さな切れはし部分の脳は、その計算すら終わらないうちに自分が地面に激突してしまうと気づく——
ハリーは過呼吸を必死におさえようとした。まわりでは女子たちが地面に積み重なって悲鳴をあげていて、なかなか平静にさせてくれない。
「ふう。」と見知らぬ男が言う。古びた服を着て、顔にうっすら傷あとが見えるその男が、ハリーを両手にかかえている。 「きみとはどういうかたちで再会することになるか、いろいろ想像してはいたものだけど、空から落ちてくるとは思わなかったな。」
ハリーは自分が最後に見た光景、自分のからだが落下するところを思いだす。そして息を切らしながらやっと言う。 「クィレル……せんせい……が……」
「クィレル先生はあと数時間たてば回復するよ。」と、ハリーをかかえている見知らぬ男が言う。 「消耗しただけだから。 まさかあんなことが可能だとは……
男はしばらく肩を貸しながら、ハリーをそっと地面に立たせた。
ハリーは慎重に均衡をとって、男にむいてうなづいた。
男が手を離すと、ハリーはすぐに倒れた。
男はもう一度ハリーが立つのを助けた。 そのあいだずっと、ハリーと立ちあがりかけている女子たちとのあいだに身を置き、女子たちのほうに何度も目をやっていた。
「ハリー……」と男は静かに、しかしとても真剣な声で言う。「もしあの子たちのなかに、きみを殺そうとしそうな人がいるとすれば、だれだと思う?」
「あの子たちに殺意はない。愚かだっただけだ。」と、苦しげな声がした。
今度は見知らぬ男のほうが倒れそうになり、ひどくショックを受けた表情を見せた。
クィレル先生がすでに、自分が倒れた草のうえで上半身を起こしている。
「そんな! あと数時間は——」と男が息をのんだ。
「ミスター・ルーピン、気づかいは無用だ。 どんなに強い魔法使いでも、あれほどの〈
クィレル先生はそう言いながら、立ちあがりはしなかった。
「ありがとうございました。」とハリーは小声で言い、となりの男にも「ありがとうございました」と言った。
「いったいあそこでなにが?」と男が言った。
「こうなる可能性は考慮しておくべきだった。」 クィレル先生はぴしゃりと非難する調子で言う。 「女子生徒の何人かが、自分の両腕にミスター・ポッターを呼びよせようとしたらしい。一人一人は、おそらく親切のつもりでやったのだろう。」
あっ。
「この一件は、なにごとも準備が肝心、という教訓としてもらいたい。 もしわたしが複数名の成人魔法使いを用意してこの騒ぎを監督させろと主張していなければ、どうなっていたか。われわれ二人が杖をかまえていなければ、どうなっていたか。ミスター・ルーピンがきみを減速させることもできず、きみは重傷をおっていた。」
「おことばですが!」と男——ミスター・ルーピンという名前らしい——が言う。「この子にそんな言いかたはないんじゃないですか!」
「そちらは——」とハリーが言いかけた。
「わたし自身のほかに手があいていた唯一の人物だ。」とクィレル先生がこたえる。 「紹介しよう。こちらはリーマス・ルーピン。〈守護霊の魔法〉を教えるためにこの学校に来た臨時講師だ。 といっても、きみとは初対面ではないと聞いている。」
ハリーは男をながめたが、困惑した。このうっすらと傷あとのある顔と、奇妙にやさしい笑顔を見ていれば、おぼえているはずだが。
「どこでお会いしましたっけ?」
「〈ゴドリックの谷〉で。きみのおむつは何度もかえさせてもらったよ。」
ミスター・ルーピンの臨時居室は石づくりの狭い部屋だった。木製の机がひとつあるが、椅子はハリーからは見えないので、おそらくハリーの机についているような小さな椅子なのだろう。 きっとミスター・ルーピンはごく短期間しか在職しないか、少なくとも居室をあまり使う予定がないから、丁寧に調度品をととのえなくてもいい、と
「どうぞ座って。」と男は静かに言った。 着ているのは低品質なローブで、ぼろではないとはいえ、長年着古されていることがはっきりと見てとれ、単純な〈修復魔法〉ではなおせそうにない。 『よれよれ』とでも言うか。 それでもどこか、上質で高価なローブにはない尊厳が感じられるような気がした。上質なローブにはそぐわない、よれよれでなければ出せないたぐいの尊厳だ。 ハリーは謙虚さというものを
ハリーはミスター・ルーピンの机のまえにある小さな木製の椅子に腰かけた。
「来てくれてありがとう。」
「いえ、こちらこそ、さきほどはありがとうございました。 不可能を可能にできる人をお探しの際は、ぼくにご一報を。」
男はためらうように見えた。 「ハリー……ちょっと個人的な質問をしてもいいかな?」
「どうぞ遠慮なく。こちらからも、いろいろ聞きたいことがあります。」
ミスター・ルーピンはうなづいた。 「養父母の二人にはよくしてもらっているか?」
「養父母の『養』はいりません。ぼくは親が四人いるんです。マイケル、ジェイムズ、ペチュニア、リリーの四人が。」
「そうか」と言ってから、ミスター・ルーピンはもう一度「そうか」と言った。 そして、かなりしっかりとまばたきをした。 「それは……なによりだ。 いや、ダンブルドアはきみをどこに行かせたかも言ってくれなくて…… もしや、きみにいじわるな養父母を用意してしまったりしたのではないかと……」
ハリー自身がダンブルドアと最初に対面したときのことを思えば、それがミスター・ルーピンの杞憂だったとは言いきれない。 でも結果的に悪いようにはならなかったのだから、ハリーはなにも言わないでおいた。 「それで、ぼくの……」 ハリーはどう表現したものか考えた。どちらを上にも下にもしないような表現は……「もう二人の親の話にしませんか? 二人の、なんというか、すべてを知りたいんです。」
「なかなかの難題だ。」と言ってミスター・ルーピンは片手でひたいをぬぐった。 「そうだな、一から話すとすれば……。 きみが生まれたとき、ジェイムズのよろこびようったらなかった。一週間は杖にさわるたびに杖が黄金色に光るくらいだった。 一週間たってもだめで、きみを抱きかかえたり、リリーが抱いているのを見たり、きみのことを考えるだけでも、また杖が光るようになって——」
ハリーは話の途中で何度も腕時計を見て、また三十分たっている、と確認した。 リーマスに夕食をのがさせてしまったのが、すこし申し訳ない。自分はあとで午後七時にもどれるんだから不公平だ。それでも、どちらも夕食くらいで話をやめる気配はなかった。
ハリーがようやく勇気をだして決定的な質問をする決心がついたとき、リーマスはジェイムズの絶妙なクィディッチ技術を詳しく話しているところだった。話の腰を折るようでハリーは躊躇した。
「そこですかさず、」とリーマスは目をかがやかせて言う。「ジェイムズが
ハリーの声色でなにかが伝わったらしく、リーマスは自分の話を途中で切った。
「ぼくのお父さんはいじめをしていましたか?」
リーマスはだいぶ長く時間をかけて、ハリーをじっと見た。 「そういう時期もあったけれどね。ジェイムズはすぐにそこからは卒業した。 だれに聞いたんだい?」
ハリーはこたえなかった。うそにならず、うまく追及をかわせそうなことを考えようとしたが、間にあわなかった。
「いや、いい。」と言ってリーマスはためいきをついた。 「想像はつく。」 うっすらと傷あとのある顔に、不服そうな
「お父さんは、いじめっこになるような事情がありましたか? 家庭環境が不幸だったとか? それともただ……生まれつきいじわるだったり?」
リーマスは片手で髪の毛を前から後ろへ流した。ハリーの前で見せる、はじめての神経質そうな動作だ。 「ハリー。子ども時代のできごとだけでジェイムズの性格を決めつけるのはよくないぞ!」
「ぼくも子どもです。それに、これはぼく自身の問題です。」
それを聞いてリーマスは二度、目をしばたたかせた。
「なにか理由があるなら、知りたい。理解したい。ぼくには弁解の余地はないように思えるんです!」 すこし声が震える。 「お父さんがいじめをしていた理由を教えてください。人聞きの悪い理由でもかまいません。」
「当時のグリフィンドールでは、やるのがむしろあたりまえだった。」 リーマスはゆっくりと、不承不承話しだした。 「それに……当時は逆だと思っていたんだが……あれはブラックがジェイムズを誘ってはじまった、と考えるべきかもしれない…… ブラックはいつも自分が反スリザリンであると証明したがっていた。いや……だれもが、血統が人生を決めるのではないと信じたがっていた——」
「なんとも言えない。ブラックがなぜ逃亡しようとせず、ピーターを襲ったのかはわからない。 あの日ブラックは、悲劇のために悲劇を起こそうとしていたかのようだった。」 リーマスの声が不安定になる。 「仲間のだれも気づかなかった。なんの予兆も警告もなく——まさかあいつが——」 リーマスは口をつぐんだ。
ハリーは泣くのをこらえることができなかった。自分一人で感じていた以上に、こうやってリーマスから聞かされるほうがずっとつらい。 ハリーは両親をうしなったといっても、両親についての記憶がなく、話に聞いているだけだ。 リーマス・ルーピンは親友の四人を二十四時間以内に全員うしなった。そして最後の一人、ピーター・ペティグルーについては、死んだ意味さえわからない。
「彼がアズカバンにいると思うと、いまでもときどき胸が痛む。」とリーマスはつづけた。ほとんどささやき声になっている。 「〈死食い人〉に面会が許されていないのがありがたい。 おかげで面会にいかなくても、後ろめたく感じずに済む。」
ハリーは何度かつばを飲みこんでから、やっと言いだした。 「ピーター・ペティグルーの話をしてくれませんか? ぼくのお父さんの友だちだったなら——その思い出を知っておくべきだという気がして——」
リーマスはうなづいた。その目に涙が光って見えた。 「ピーターは、自分が最後にああなると知っていれば、きっと——」 リーマスはそこで声を詰まらせた。 「仲間うちで、ピーターほど〈闇の王〉のことを怖がっていた人はいなかった。自分が最後にああなると知っていれば、ピーターはきっと加勢してくれなかったと思う。 でもピーターは自分が犠牲になる
「そう思います。」 ハリーのほうも声を詰まらせて、ほとんど声にならないくらいだった。 「ミスター・ルーピン、もし時間があったら、ピーター・ペティグルーの物語を聞かせてあげてほしい生徒が一人います。ハッフルパフ一年生の、ネヴィル・ロングボトムという生徒です。」
「アリスとフランクの子だな。」と言ってリーマスは悲しそうな声になった。 「わかった。楽しい話ではないが、やってみよう。きみがそう言うなら。」
ハリーはうなづいた。
二人はしばらく無言になった。
「ブラックとピーター・ペティグルーのあいだには、なにかわだかまりがありませんでしたか? なんでもいいんです。殺すほどのことではないとしても、ブラックがミスター・ペティグルーを見つけだそうと思うような事情が。 たとえば、ミスター・ペティグルーがある秘密を知っていて、それをブラックも知ろうとしていたとか、あるいは殺すことでその秘密を隠そうとしたとか?」
リーマスは目になにかをちらつかせたが、くびをふった。 「その線はないよ。」
「じゃあ、なにか別のこころあたりはあるんでしょう。」
白と黒がまざった色のひげの下で、リーマスがにやりとした。 「きみにもピーターに似たところがあるんだな。 でも、大した話じゃないんだよ。」
「ぼくはレイヴンクローですから、秘密の誘惑に負けてもいいことになっています。それに、」 と言ってハリーは真剣な言いかたに切りかえた。 「もしブラックにとって自分がつかまってもいいと思うくらいのことなら、重要なんじゃないかという気がします。」
リーマスはいごこち悪そうにした。 「話すとしたら、きみがもうすこし大人になってからにしたいんだが。とにかく、大した話じゃないんだよ! 学校時代のちょっとしたできごとだ。」
なにか決め手になったかは自分でもよくわからない。 リーマスの落ちつかなさげな声の調子のせいかもしれないし、『もうすこし大人になってから』という部分の言いかたのせいかもしれないが、とにかくそれを聞いてハリーは突然直観を飛躍させることができた……
「すみません、実はもう予想できてしまった気がします。」
リーマスは両眉をあげて、「ほう?」と言った。すこし疑うような声だ。
「二人は恋人だったんじゃないですか?」
ぎこちない沈黙があった。
リーマスはゆっくりと、重おもしくうなづいた。
「そういう時期があった。昔の話だ。不幸な関係で、ひどい悲劇で終わった。すくなくとも、若かったわたしたちの目には、終わったように見えていた。」 苦渋と困惑がはっきりと表情にあらわれている。 「二人の気持ちはもう整理できていて、大人どうしの友情のむこうに消えたのだろう、と思っていた。ブラックがピーターを殺すあの日までは、そう思っていた。」
原作品の著者:J. K. Rowling
ファンフィクションの著者:Eliezer Yudkowsky