アルバス・ダンブルドアがかすれた声で呼びかける。「フォークス、たのむ。ハリーを助けてくれ——」
赤と黄金色にかがやく生物が視界にはいってくる。不思議そうな顔をしてこちらを見おろし、歌いはじめる。
なんら意味をなさないそのさえずりは受けとめられることもなく、空虚な存在を素どおりした。
「声がうるさい。おまえは死ぬべきだ。」
「チョコレート。きみにはチョコレートが必要じゃ。それにそばにいてくれる仲間も——けれどあの場所にもどすわけには——」
かがやくレイヴンが飛んできて、フリトウィック先生の声で一言言った。 アルバス・ダンブルドアはそれを聞いてはっとして息をのみ、自分の愚かさを呪うことばを口にした。
空虚な存在はそれを見て笑った。愉快さを感じる能力はまだ残っていた。
一瞬のうちに二人はまた、ぱっと炎につつまれて消えた。
フリトウィックのレイヴンがどこかへ飛びたってから、アルバス・ダンブルドアが赤と黄金色の炎とともにハリーを抱きかかえて現れるまで、ほとんど時間がたったような気がしなかった。 けれどその短い時間にもなんとか、ハーマイオニーはチョコレートをかきあつめて両手をいっぱいにすることができた。
ハーマイオニーが近づくまえに、チョコレートがテーブルからハリーの口へと直接飛んでいった。彼女はこころのかたすみで、不公平だ、と思った。あれができるなら、わたしにもしてくれればよかったのに——
ハリーはまたチョコレートを吐きだした。
「失せろ。」と言う声は冷淡ですらなく、ひたすら空虚だった。
……
すべてが凍りついたように見えた。ハリーに駆けよろうとした人が全員足をとめた。生気のないその一言を聞いたショックで、すべての動きがとまった。
そして。 「いや、離れるつもりはない。」とアルバス・ダンブルドアが言って、時間がまた動きだし、チョコレートがもうひとつテーブルから飛んできてハリーの口へはいった。
ハーマイオニーはハリーの表情がよく見えるところまで来た。機械的な、不自然なリズムで噛む動きをするたびに、ハリーの憎悪の表情が深まっていく。
総長の声は鉄のように重おもしい。 「フィリウス、ミネルヴァを呼んでくれ。ただちに来るようにと。」
フリトウィック先生が銀色のレイヴンにささやくと、レイヴンは空中に飛びたち、消えた。
チョコレートがもうひとつハリーの口に飛びこみ、口はまた機械的に噛んだ。
総長がけわしい目をしてハリーを見おろすまわりに、生徒たちが集まってきた。 ネヴィル、シェーマス、ディーン、ラヴェンダー、アーニー、テリー、アンソニーが来たが、だれもハーマイオニーより前に出ようとはしなかった。
「ぼくたちになにかできることは?」とディーンが震える声で聞いた。
「もうすこし距離をおいて、そっとしてやれ——」とクィレル先生の乾いた声がした。
「ならん!」と総長がその声をさえぎる。「むしろ、彼を仲間でかこむのじゃ。」
ハリーはチョコレートを飲みこみ、やはり空虚な声を出す。 「みなバカだ。だから死ぬべき……ムググ」とチョコレートがもうひとつ口に突っこんだ。
ディーンたちがショックの表情をしているのが見える。
「あれは本気じゃないんだよね?」とシェーマスは懇願するように言う。
「そうじゃなくて。」とハーマイオニーも弱よわしい声で言う。「あれはハリーじゃない——」と言いかけたが、そのさきを言ってしまうまえに口をつぐんだ。ただ、これだけは言っておかないと、と思った。
ハーマイオニーはネヴィルの表情を見て、ネヴィルにはわかったのだ、と思った。それ以外の人にはわかっていなさそうだ。 もしハリーがああいったことを一度も考えたことがなければ、ディメンターに一分たらず被曝しただけで口にしたりはしない、という風に彼らは考えているのだろう。
一分たらずのディメンターの被曝で、なにもないところから邪悪な人格が生まれるはずがない。
でもそれが、なかに
総長は知っているのだろうか?
ハーマイオニーは総長の顔を見あげた。するとアルバス・ダンブルドアもちょうどこちらに目をむけていて、その青い目が突然突き刺さるようにして——
ハーマイオニーの精神にことばが流れてきた。
声にだしてはならん——とダンブルドアの思念が言った。
ハリーの……
うむ。しかしこれはそれどころではない。ハリーはフォークスの歌もとどかないところへ行ってしまった。
なにをすれば——
作戦がある。すこしの辛抱じゃ。
そのことばには、どこか不安にさせられるひびきがあった。
できれば、きみには知らせないでおきたい。
そう言われてハーマイオニーは本気で不安になってきた。 ハリーの暗黒面について、総長は
そう思うのは無理もない。では、いまから伝えるが、鋼のこころを持って、いっさい反応を外に見せないように。 準備はよいか? よし。 わしはこのあと、マクゴナガル先生に〈死の呪い〉をかける——反応するな、ハーマイオニー!
わかっていてもそう簡単なことではない。この人はやっぱり狂ってる! そんなことをしてもハリーを暗黒面から取りもどすことはできない。それどころか、ハリーは
けれどそれは真の暗黒ではない。それはだれかを守ろうとする気持ち。愛じゃ。 そうなればフォークスはハリーのもとへ届く。 ミネルヴァの命に別状がないことがわかれば、ハリーはもとどおりになる。
ハーマイオニーはふと思いついたことがあった——
おそらくその方法に効果はあるまい。ハリーの反応のしかたによっては、きみ自身が不愉快な思いをさせられるかもしれんぞ。それも承知のうえだと言うのであれば、試してみなさい。
そんな真剣に申し出たつもりはなかったのに! いくらなんでも——
そこでハーマイオニーは総長との見つめあいをやめて、空虚で軽蔑に満ちた少年の目をのぞきこんだ。少年の口はチョコレートバーをつぎつぎと噛んで飲みこむが、効きめはないようだ。 それを見ると胸がしめつけられて、急にいろいろなことがどうでもよくなってきた。やってみる価値はある、という思いだけがあった。
チョコレートを噛んで飲みこみたいという衝動を感じる。 衝動への対処は、殺すことだ。
まわりに人が集まって、こちらを見ている。 うっとうしい。 うっとうしい者への対処は、殺すことだ。
人垣の向こうにもまた、さえずりあう者たちがいる。 無礼だ。 無礼な者への対処は、苦痛をあたえることだ。しかし、このなかに利用価値のある者はいないから、殺すほうが楽でいい。
これだけの人数を殺しつくすのはむずかしい。 クィレルは強い。だが、クィレルを支持しない者もここには多い。 適切な引きがねを見つければ、全員をたがいに殺しあわせることができそうだ。
そこで一人の人間が視界にはいってきて、こちらに身をかたむけて、非常に奇妙な、異質な思考形態に属することをした。これに対する対処方法があるとすれば、ひとつだけ、どこかにしまってある——
息をのむ音がまわりから聞こえるが、そんなことはどうでもいい。ハーマイオニーはチョコレートまみれのくちびるに口づけしつづけ、涙を目からあふれさせた。
そしてハリーの両腕が上がって彼女を押しかえし、ハリーの口が一言さけんだ。 「
「あとはもう心配なかろう。」と言う総長の視線のさきで、ハリーが声をはりあげて泣いている。そこにフォークスが甘い歌声を聞かせている。 「ミス・グレンジャー、みごとな手ぎわじゃった。よもやあの手が通用しようとはのう?」
不死鳥はハーマイオニーのために歌ってはいない。そうわかってはいる。それでも癒しの効果はあるし、癒される必要もあった。これでハーマイオニーの人生は終了したも同然なのだから。
原作品の著者:J. K. Rowling
ファンフィクションの著者:Eliezer Yudkowsky