ハリー・ポッターと合理主義の方法   作:ポット@翻訳

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46章「人間主義(その4)」

◆ ◆ ◆

 

太陽の上の端が地平線にしずみ、木々のこずえからのぞく赤い残光も薄れていく。青みがかった空だけが、雪が混ざる冬の枯れ草のうえに立つ六人を照らしている。そのそばにからっぽの檻があり、床には中身のないぼろぼろのマントが落ちている。

 

ハリーはまた……()()にもどった気がした。正気っぽくなった。 あの呪文がこの一日のできごとや痛みを取り消してくれたわけではないし、最初から傷がなかったかのように、元どおりに直してくれたわけでもない。だが傷は……応急処置した、というか、好転した、というか。表現しづらい状態だ。

 

ダンブルドアも完全にではないとしても、多少元気をとりもどしたように見える。 老魔法使いはしばらくクィレル先生のほうに顔をむけ、しっかりと目をあわせ、それからハリーのほうに視線をもどした。 「ハリー、きみはこれからふらふらになって倒れたり死んだりするような気はしないかね?」とダンブルドア。

 

「なぜか無事なようです。 自分のなかのなにかを使ったのはたしかですが、思ったほどたくさん使ってはいなかったようです。」  それとも、使っただけでなく、もらったものもあるのだろうか……。 「正直言えば、そろそろ自分のからだがばたりと地面に倒れているんじゃないかと思っていました。」

 

どう聞いても、からだがばたりと地面に倒れるような音がした。

 

「手を貸してくれて助かったよ、クィリナス。」とダンブルドアがクィレル先生に言う。クィレル先生は、昏倒した〈闇ばらい〉三人を後ろから見おろしている。 「実際、まだすこし体調が万全ではない。とはいえ、〈記憶の魔法〉についてはわしの手でやらせてもらう。」

 

クィレル先生は軽くあたまを下げ、それからハリーのほうを見た。 「信じられない、といったたぐいの無意味なことばは省略しよう。マーリンその人でさえこんなことはできなかった、というたぐいのことも置いておく。 肝心なところをずばり聞かせてもらう。あれはいったいどういうしろものだったのだ?」

 

「〈守護霊の魔法〉ヴァージョン二・〇です。」とハリー。

 

「いつもの調子にもどってくれたのは、よろこばしいが。」とダンブルドアが言う。 「若きレイヴンクローよ、どんなぬくもりと幸せのイメージを使ったのかを教えてもらわないことには、ここを去らせるわけにはいかんな。」

 

「うーん……言ってしまっていいのかどうか?」と言ってハリーは思案げに指を一本ほおにあてた。

 

クィレル先生が突然にやりとした。

 

「お願いって頼んでも? 一生のお願い、って頼んでも?」と総長。

 

ハリーはある衝動を感じて、それに身をまかせた。 危険ではあるが、これ以上の機会は永遠にこないかもしれない。

 

「炭酸ジュース三本。」とポーチに呼びかけて、〈防衛術〉教授とホグウォーツ総長を見あげた。 「ご両人、これはぼくがホグウォーツに来た初日に、九と四分の三番乗り場にはじめて行ったときに買ったものです。 特別な機会のために、とっておいたものです。 これにはちょっとした魔法がかけてあって、飲むべきときに飲まれるようになっています。 この三本で手持ちはなくなってしまいますが、これ以上ぴったりの機会はまずないと思いますので。 いかがですか?」

 

ダンブルドアはハリーから一本受けとり、ハリーはクィレル先生に一本ほうりなげた。 二人の大人は缶にむけてまったくおなじ魔法をつぶやき、その結果を受けて一瞬だけ眉をひそめた。 ハリーのほうは、単に缶をあけて、飲んだ。

 

〈防衛術〉教授とホグウォーツ総長は行儀よくそれにつづいた。

 

「あのとき考えたのは、自然の摂理としての死を、ぼくは徹底的に受けいれない、ということでした。」

 

〈守護霊の魔法〉を使うために感じるぬくもりとしてはぴったりとは言えないかもしれないが、それでもハリーにとっては上位十個にはいる。

 

こぼれたコメッティーが消滅すると同時に、〈防衛術〉教授とホグウォーツ総長はハリーを不安にさせるような視線を一瞬送ってきた。 だが二人はおたがいをちらりと見て、この相手がいるあいだは、ハリーにあまりひどいことを言うとあとで困る、と思ったようだ。

 

「ミスター・ポッター、わたしでも、あれが本来そういうものでないことは分かるぞ。」とクィレル先生。

 

「そのとおり。もっと詳しく聞かせてもらいたい。」とダンブルドア。

 

ハリーは口をひらき、はっとしてあることに気づいて、あわてて口をとじた。 ゴドリックはこのことをだれにも言わなかった。ロウィナも知っていたなら、言わなかった。 このことを知った魔法使いはいくらいてもおかしくないが、そのだれもが口をとざしたのだ。 自分が実はどういうことをしていたのかを()()()、もはや忘れることはできなくなる。 この仕組みに一度気づいた人は、動物のすがたをとる〈守護霊の魔法〉を二度と使えなくなる——そして魔法族の大半は生い立ちからして、ディメンターを撃退し粉砕する準備ができていない——

 

「うーんと……すみません。ついさっきまで気づいていなかったんですが、自力で解明できていない人にこれを説明してしまうと、()()()()()まずいことになりそうです。」

 

「それは真実か?」とダンブルドアがゆっくり言う。「それとも、仮そめの知恵を言おうとしているだけではないか——」

 

()()()」と、クィレル先生は本心からショックを受けたような言いかたで言う。 「ミスター・ポッターが言っているのは、これは使えない人には教えてよい呪文ではない、ということでしょう! 魔法使いがそういう秘密を守ろうとするとき、食いさがって聞くべきではない!」

 

「もしここでぼくが教えてしまえば——」とハリーは言いかけた。

 

「やめなさい。」とクィレル先生はかなりきびしい口調で割りこんだ。 「理由はけっこう。 わたしたちは知るべきではない、と言うだけにとどめるのが正しい。 ヒントをだそうというなら、十分に時間をとって慎重に準備することだ。会話の最中の思いつきでやるべきではない。」

 

ハリーはうなづいた。

 

「しかしそれでは、〈魔法省〉にはなんと報告すればよい? ディメンターをなくしてしまった、などと言うわけには!」

 

「クィレルが食った、と言えばよろしい。」とクィレル先生が言うのを聞いて、ハリーは無意識のうちに口をつけていた缶のジュースをむせかえらせた。 「わたしはそれでかまいません。ではもどろうか、ミスター・ポッター?」

 

二人は舗装されていない道をたどってホグウォーツへむかった。一人ぽつんと残されたアルバス・ダンブルドアは、からっぽの檻と、〈記憶の魔法〉をかけられるのを待って眠る〈闇ばらい〉たちを見つめた。

 

◆ ◆ ◆

 

余波——ハリー・ポッターとクィレル先生:

 

しばらく二人で歩いてからクィレル先生が口をひらいた。すると背景の雑音がそっと静まった。

 

「わたしの教え子のなかでも、きみほど殺しに秀でた生徒はなかなかいない。」

 

「ありがとうございます。」とハリーは本心から言った。

 

「詮索するつもりはないが、万一の可能性として聞いておきたい。もしや、あの秘密を打ちあけられない相手は総長だけだったのでは……?」

 

言われてみるとどうだろう。クィレル先生はもともと動物の〈守護霊の魔法〉を使えない。

 

だが秘密というものは聞かなかったことにはできない。ハリーは飲みこみがいいほうなので、この秘密を世界に放出してしまうまえに()()()べきだということは、もうわかっている。

 

ハリーはくびをふり、クィレル先生はわかったというようにうなづいた。

 

「興味本位の質問ですが、もしあなたがディメンターをホグウォーツに連れこむというのが邪悪な謀略の一部だったとしたら、その目的は何になると思いますか?」

 

「ダンブルドアを弱らせたところで暗殺すること。」とクィレル先生はためらうことなく言った。 「ふむ。総長はわたしを疑っている、と総長本人が言っていたのか?」

 

ハリーはなにも言わずに一秒間かかって返答を考えようとしたが、その沈黙がこたえになってしまっていることに気づいた。

 

「おもしろい……。 ミスター・ポッター、たしかに謀略がおこなわれたという可能性は排除できない。 きみの杖があれほどディメンターの檻のちかくにあったのは、事故という見かたもできる。 だが〈闇ばらい〉のだれかが、〈服従(インペリオ)〉や〈錯乱(コンファンド)〉や〈開心(レジリメンス)〉をかけられて、一定の操作を受けていたのかもしれない。 可能性を検討するなら、フリトウィックとわたしも容疑者からはずすべきではない。 スネイプ先生が今日一日、授業をすべて取りやめたのに目をむけるなら、彼とて自分に〈幻解〉(ディスイリュージョンメント)をかけて隠れるくらいの能力はあるだろう。 〈闇ばらい〉たちは最初に検知魔法をかけたが、きみの番の直前にかけなおすことはしなかった。 だがだれかが悪事をなすとしたら、一番簡単な可能性はダンブルドア本人かもしれない。ダンブルドアが犯人なら、事前にきみがほかの方向に疑いをむけるよう仕向けたとしても不思議ではない。」

 

二人はもう数歩あるいた。

 

「でも動機がないのでは?」

 

〈防衛術〉教授はしばらく無言をたもってから、口をひらいた。 「ミスター・ポッター、きみはこれまでに総長の人柄に関してどういう種類の調査をした?」

 

「大して調査していません。」 これは最近気づいたことだが……。 「まだ全然たりていません。」

 

「ではわたしからは、ある男のことを本人の味方から聞いた情報だけで知ろうと思ってはいけない、と指摘しておこう。」

 

ホグウォーツへつづくこの道は、かすかに踏みならされた形跡がある。今度はハリーが無言で数歩あるくことになった。 クィレル先生に言われるまでもなく、わかっているべきことだった。 専門用語では確証バイアスという。その意味はいくつかあるが、重要なのは、人は情報源をえらぶとき、自分の現在の意見にあう情報源をえらぶ傾向が強いということだ。

 

「ありがとうございました。いや……それより、さっきのお礼もまだでしたね? 本当にいろいろありがとうございました。 また別のディメンターに襲われたり、すこしでも困らされたら、ぼくに知らせてください。あの〈ぴかぴか光る人間〉をお見舞いしてやりますから。 仲間がすこしでもディメンターに困らされるのは嫌なので。」

 

クィレル先生がちらりとハリーを見たが、それがなにを意味するのかわからなかった。 「わたしを脅迫してきたから、あのディメンターを粉砕したということか?」

 

「うーん。それ以前に決心はついていましたが、たしかに、それだけでも十分理由にはなったと思います。」

 

「そうか。ではあの呪文でディメンターを粉砕できなかったとしたら、きみはどうやって脅迫の件を解決するつもりだった?」

 

「予備の作戦は、融点の高い高密度金属、多分タングステンで箱をつくって、そのなかにディメンターをとじこめたうえで、それを活火山の火口にほうりなげて、地球のマントルまで到達することを祈ること。 ああ、地球の地表のしたには溶岩がつまっていて——」

 

「マントルは知っている。」  クィレル先生はとても奇妙な笑みをみせた。 「考えてみれば、わたしも自力で思いついていてしかるべき方法だな。 では、あるものを手ばなして永遠にだれにも見つからないようにしたいとしたら、きみならどこに置く?」

 

ハリーはすこし考えた。「なにを手ばなしたいのかは、聞くべきじゃないんでしょうね——」

 

「そのとおり。もしかすると、きみがもっと大人になってからなら、教えられるかもしれない。」  前半部分は予想どおりだったが、後半は予想外な返事だった。

 

「地球の中心核に送りこむという方法以外だと、無作為に場所をえらんで、一キロメートル地下の岩盤のなかに埋めこんでもいいかもしれない——具体的には、目的地を指定せずに瞬間移動させる方法があるならそれでいいし、あるいは、穴をあけて送ってから埋めなおしてもいい。 重要なのはいっさい痕跡をのこさないことです。地球の地殻のどこかの、なんの変哲もない一立方メートルの空間をえらぶのがいい。 あるいは、マリアナ海溝という地球上で一番深い深海に落とす——いや、それだと分かりやすいから、ほかの海溝のどれかにしたほうがいいか。 空中に浮かばせて、目に見えないようにできるようなものなら、成層圏に投げこんでもいい。 理想的には、検知をふせぐマントにつつんで宇宙に射出して、無作為に変動する加速度をあたえて、太陽系のそとに送りこむとか。 もちろんそのあとで、自分を〈忘消〉(オブリヴィエイト)して、自分でもそれがどこにいったか分からないようにする。」

 

〈防衛術〉教授は笑っている。表情も奇妙だが、それ以上に声が奇妙だ。

 

「クィレル先生?」

 

「どれもよくできた答えだ。だが一つ聞きたい。なぜその五個をえらんだ?」

 

「え? ただ、すぐ思いつくような方法を言ったまでですが。」

 

「ほう? だがその五個には興味ぶかいパターンがあるぞ。 言うなれば、謎かけのようなものかもしれない。 こう言ってはなんだが、今日はいろいろと山あり谷ありではあったとしても、全体としては思いのほかいい一日になったな。」

 

二人はまたホグウォーツ城の門へとつづく道をたどったが、かなり距離をあけて歩いた。 ハリーはなにも考えず無意識のうちに、クィレル先生と距離をとることで、破滅の感覚に襲われないようにした。このときはなぜか、いつになく強い破滅の感覚がきそうな気がした。

 

◆ ◆ ◆

 

余波——ダフネ・グリーングラス:

 

ハーマイオニーはいっさい質問にこたようとしなかった。それでスリザリンの地下洞への分かれ道にまで来ると、ダフネとトレイシーはすぐさま列を離れ、できるかぎり急いで歩いていった。 ホグウォーツでは噂はあっというまに広まる。だから地下洞でこのニュースをみんなに話す最初の一人になりたいなら、急がなければ。

 

「もう一回言うけど、部屋にはいるなりキスの話をしてもだめだからね。 最初からちゃんと順をおって話してあげるほうが、うけるんだから。」とダフネは言った。

 

トレイシーは興奮した面持ちでうなづいた。

 

そしてスリザリン談話室に飛びこむと、トレイシー・デイヴィスは深く息をすってから、まくしたてた。 「みんな聞いて! ハリー・ポッターは〈守護霊の魔法〉を使えなくてディメンターに食べられかけてクィレル先生に救われたけどポッターは邪悪になっちゃってグレンジャーがキスしたらやっと正気にもどったの! これはもう運命の愛でしょ!」

 

ある意味、ちゃんと順をおって話してはいる、とダフネは思った。

 

聴衆の反応は期待はずれだった。 ほとんどの女子はちらりとこちらを見たがソファを離れない。男子もみな、かまわず椅子に座って読書をつづけている。

 

「はいはい。」とパンジーが辛辣に言う。パンジーはグレゴリーの片足を太ももに乗せて座りながら、椅子の背にもたれかかって、塗り絵帳のようななにかを読んでいる。 「もうそれはミリセントに聞いた。」

 

どうやって——

 

「トレイシーが先にキスしてやればよかったんじゃない?」とフローラ・カロウとヘスティア・カロウが自分の席から声をかける。「このままじゃポッターが泥血の女の子と結婚しちゃうよ! トレイシーも先にキスしてさえいれば、運命の愛でむすばれてお金持ちの〈貴族〉家に嫁入りできたかもしれないのにね!」

 

そう気づかされて愕然とするトレイシーの表情は芸術的なほどだった。

 

「なに言ってんの? 愛ってそういうものじゃないでしょうが!」とダフネは甲高い声をあげた。

 

「あら、そういうものよ。」と言うミリセントはなにかの〈魔法(チャーム)〉の練習をしながら、窓をのぞいてホグウォーツ湖に渦ができるのを見ている。 「王子さまを勝ちとるのはファーストキス。」

 

あれはファーストキス(はじめて)じゃないんだって! ハーマイオニーは()()()()()()()ハリーと運命でむすばれてたの! だからハリーを取りもどせたの!」  そこでダフネは自分がなにを口にしてしまったか気づいて、こころのなかでたじろいだ。だがよく言われるように、出した舌は耳に入れるしかない。

 

「おおっと、待て待て。」と言ってグレゴリーがパンジーの太ももから足をおろした。 「なんだそれは? ミス・ブルストロードはそういう話はしてなかったぞ。」

 

いまや全員がダフネのほうを見ている。

 

「だからね。ハリーはハーマイオニーの手をおしのけて、『キスはなし、って言っただろ!』って叫んで、 それから、死にそうなくらいひどい悲鳴をして、フォークスが歌を聞かせに来て——このとおりの順序だったか、ちょっと自信ないけど——」

 

「それじゃあ運命の人とは言えないね。」と双子のカロウ姉妹が言う。「むしろ、()()()()()()()()()()がキスしちゃったみたい。」

 

「あたしだったんだ……」とトレイシーが小声で言った。まだ驚愕の表情をしている。 「あたしが運命の人になるはずだったんだ。 ハリー・ポッターは()()()()司令官なんだし。 あたしが……あたしが、グレンジャーを押しのけて行ってあげれば——」

 

ダフネはくるりとトレイシーのほうを向き、気色ばんで言った。「あんたが? ハーマイオニーからハリーをうばいとるの?」

 

「そうよ! あたし!」

 

「どうかしてる。」とダフネはきっぱりと宣告する。 「仮にあんたが先にキスできたとして、そのあとどうなってたと思う? 恋に夢中のまま第二幕のおわりで死ぬ、あわれな女の子、っていうのがオチよ。」

 

「失礼な! 撤回しなさい!」とトレイシーが叫んだ。

 

グレゴリーはそのあいだに、部屋の反対がわでヴィンセントが宿題をしている場所まで来ていた。 「ミスター・クラッブ。」とグレゴリーが声をひそめる。「これはミスター・マルフォイの耳にいれるべきだと思うぞ。」

 

◆ ◆ ◆

 

余波——ハーマイオニー・グレンジャー:

 

ハーマイオニーは蝋で封じられた手紙をじっと見つめる。そのおもてには『42』という数字だけが書かれている。

 

ぼくたちが〈守護霊の魔法〉を使えなかった理由がわかったよ。 幸せさがたりないとかじゃないんだ。 でもきみに教えることはできない。 総長にも教えることはできない。 この秘密は部分〈転成術〉(トランスフィギュレイション)よりも重大な秘密だ。少なくともいまのところは。 でももしきみがディメンターと戦うことになったときは、ここに書いてある秘密を読んでほしい。暗号で書いてあるから、ディメンターと〈守護霊の魔法〉についての内容だと知らずに読む人には、意味がわからないようになっている……

 

ハリーが死に、両親が死に、仲間全員が死に、だれもが死ぬのを見た、ということはすでにハリーに話した。 だが、孤独に死ぬことへの恐怖については話していない。なぜかまだ、話すことに耐えられない。

 

ハリーはハーマイオニーに、両親が死んだときの記憶のことを話した。見ていて笑いがこみあげた、と言っていた。

 

ディメンターに連れられて行くさきに、光はない。 ぬくもりも思いやりもない。 幸せが理解できなくなる場所なんだ。 苦痛と恐怖はあって、それが自分を動かす。 憎むこともできるし、憎い相手を粉砕することで愉快になることもできる。 他人が苦しむのを見て笑うこともできる。 でも幸せにはなれない。自分からなにがなくなったのかも分からなくなる…… きみに救ってもらうまでぼくがいたあの場所のことは、どうやってもちゃんと説明できるような気がしない。 人に迷惑をかけるといつもは恥ずかしく思うし、だれかが自分のために犠牲になるのはいつもは我慢できないんだけど、今回だけは、あのキスで最終的にきみにどれだけの代償があったとしても、あれがまちがいだったとは一瞬たりとも思わないでほしい。

 

ハリーからそう聞かされるまで、ハーマイオニーは自分がディメンターにどれだけ()()しか触れられなかったのか、理解していなかった。自分が連れこまれた暗黒がどれだけ小さく浅いものだったのか、理解していなかった。

 

彼女はみなが死ぬのを見たが、見ていてまだ、つらいと感じることはできた。

 

ハーマイオニーは聞き分けのいい女の子らしく、手紙をポーチにしまった。

 

でもできれば、読んでしまいたかった。

 

ハーマイオニーはディメンターが怖い。

 

◆ ◆ ◆

 

余波——ミネルヴァ・マクゴナガル:

 

凍りつくような感じがする。これほどのショックを感じるいわれはない。ハリーに対面することを、これほどむずかしく感じるべきではない。だがハリーの身にあんなことが起きたあとでは……。 自分のまえにいる少年にすこしでも〈吸魂〉(ディメンテイション)の兆候がでていないかと思い、注視してみても、なにも見あたらない。 だが、これほど不吉な質問をこれほどおだやかにしてくるというのは、どこかとても心配だ。 「ミスター・ポッター、そういったことについては、総長の許可がないかぎり、わたしの口からはなにも言えません!」

 

彼女の居室に同席している少年は、そう言われても顔色をかえない。 「この件については、総長のお時間を使わせないほうがいいかと思いまして。 いや、というより、ぜったいに総長をわずらわせてはならない。それにあなたも、ここで話したことの秘密は守っていただけると約束してくださったでしょう。 では、別の言いかたをしてみましょう。 予言があったことをぼくは知っています。 その予言をトレロウニー先生から直接、あなたが聞いたということも知っています。 その予言で、ジェイムズとリリーの子が〈闇の王〉にとって危険な存在になると言及されていたことも知っています。 ぼくは自分がだれであるかを知っています。だれでも知っています。だから、あなたが情報を出したとしても、新しくも危険でもない。ぼくが聞きたいことは、たったひとつ。予言は()()()()()()()()()()()使()()()、ぼくを、つまりジェイムズとリリーの子を特定していたのか?」

 

トレロウニーのうつろな声がこころのなかにひびく——

 

彼を三度しりぞけた親のもとに生まれ

七番目の月が死ぬときに生まれ……

 

「ハリー、それをあなたに言うわけにはいきません!」  ハリーがすでにそこまで知っているというだけでも、骨の髄まで凍りつく思いがする。いったいどんな方法で知ったというのか——

 

少年は奇妙に悲しげな目を見せた。 「マクゴナガル先生、あなたは総長の許可がないとくしゃみをすることもできないんですか? こんな質問をするだけのそれなりの理由があるということも、答えてもらった内容を秘密にする理由があるということも、約束しますよ。」

 

「無理を言わないで、ハリー。」と彼女はささやいた。

 

「そうですか。では、こんどは簡単な質問をします。 ポッター家の()()は予言にはいっていましたか? 文字どおり『ポッター』という単語がありましたか?」

 

彼女はハリーをしばらくじっと見た。 なぜなのかもわからないし、どこからそんなことを感じとったのかもわからないが、いまきかれているのが決定的な部分なのだという気がした。軽がるしくことわってはいけないし、軽がるしく譲歩してもいけない。

 

「いえ」と彼女はやっとのことで言った。「ハリー、もう質問はやめてください。」

 

少年はすこし悲しそうな笑みを見せてから言った。 「ありがとう、ミネルヴァ。あなたは誠実な人ですね。」

 

あまりのショックで口をあけたままにしていると、ハリー・ポッターは立ちあがり退室していった。 そのときになって彼女は、ハリーはあの拒絶を回答として受けとったのだ、と気づいた。そしてそれが事実だと——

 

ハリーは外からドアを閉めた。

 

この論理は、ダイアモンドのような奇妙な明瞭さをもってハリーのまえにあらわれた。 これを思いついたのは、フォークスの歌を聞いていてのことだったかもしれないし、もしかするとそれ以前だったかもしれない。

 

ヴォルデモート卿はジェイムズ・ポッターを殺した。 リリー・ポッターのことは可能なら見のがそうとした。 襲撃はそこで終わらなかった。つまり、目的は二人の幼な子を殺すことだけだった。

 

〈闇の王〉になるような人はふつう、幼な子を怖がらない。

 

だから、ハリー・ポッターがヴォルデモート卿にとって危険であるという予言があったということ、ヴォルデモート卿がその予言を知っていたということがわかる。

 

「今回は特別に逃げる機会をやろう。おまえを制圧するのも手間だ。おまえが死のうとも、その子は助からない。 愚か者め、そこをどけ。すこしはあたまをはたらかせろ!」

 

特別な機会というのは、気まぐれだったのだろうか? だがそれなら、ヴォルデモート卿は彼女を説得しようとはしなかったはずだ。 ヴォルデモート卿はリリー・ポッターを殺すべきでない、という警告が予言にあったのか? それなら、ヴォルデモート卿は彼女を制圧する手間をかけていてもいいはずだ。 ヴォルデモート卿の意思は、リリー・ポッターを殺すのをできれば避けたいという方向に()()()()()かたむいていた。 つまり気まぐれほどに小さくはないが、警告ほどに大きな理由でもなかった、ということだ。

 

では、ヴォルデモート卿の低級な協力者もしくは従僕であって、有用だが必要不可欠とまではいえない人物が、リリーの命を助けてくれ、と〈闇の王〉に懇願したとしよう。リリーの命乞いはしたが、ジェイムズについてはなにも言わなかったとしよう。

 

その人物はヴォルデモート卿がポッター家を襲撃することを知っていたことになる。 予言の内容も、〈闇の王〉がその内容を知っているということも、知っていた。 そうでなければ、リリーを助けてほしいとは言わない。

 

マクゴナガル先生の話では、マクゴナガル先生自身をのぞいて、予言のことを知っているのはアルバス・ダンブルドアとセヴルス・スネイプの二名だけだ。

 

セヴルス・スネイプ。リリー・ポッターになるまえのリリーを愛し、ジェイムズを憎んでいた男。

 

そしてセヴルスは予言の内容を聞き、〈闇の王〉に伝えた。 伝えたのは、予言がポッター家を名ざししていなかったからこそだ。 予言は謎かけ(リドル)であり、セヴルスがそれを解いたときには、すでに手遅れだった。

 

だがセヴルスが予言を聞いた一人目だったとしたら、〈闇の王〉に伝えて、それからダンブルドアやマクゴナガル先生にも伝えるわけがあるか?

 

だから、最初に聞いたのはダンブルドアかマクゴナガル先生だ。

 

ホグウォーツ総長がきわめて繊細で決定的に重要な予言のことを〈転成術〉教授に教えるべき理由はあまり見あたらない。 だが〈転成術〉教授のほうからすれば、総長に伝える理由がたっぷりある。

 

ということは、マクゴガナル先生が一人目であった可能性が高そうだ。

 

先験確率としては、その予言をしたのはホグウォーツおかかえの予見者、トレロウニー先生である可能性が高い。 見者はめったにいないから、マクゴナガル先生が生まれてから死ぬまでに予見者と同席した秒数を数えてみれば、そのほとんどはトレロウニーと同席した秒数になる。

 

マクゴナガル先生が予言をダンブルドアに伝えたなら、ダンブルドアの許可なしにほかのだれにも伝えるはずがない。

 

だから、セヴルス・スネイプがなんらかのかたちで予言の内容を知るように仕向けたのは、アルバス・ダンブルドアだ。 そして謎かけを解いたのも、ダンブルドア本人であるはずだ。そうでなければ、セヴルスを媒介としてえらびはしない。かつてリリーを愛したセヴルスを。

 

ダンブルドアは故意に、ヴォルデモート卿が予言の内容を知り、願わくばみずから死に向かうようにと仕向けた。 ダンブルドアは、セヴルスが予言の()()だけを知るように仕向けたかもしれないし、ほかにもいくつかセヴルスに知らせていない予言があったのかもしれない……。 ダンブルドアはなぜか、ヴォルデモート卿が()()()ポッター家を襲撃したとしてもヴォルデモート卿が()()()打倒されることになる、と知っていた。ヴォルデモート卿はそうなるとは思っていなかった。 それともこれは、ダンブルドアの狂気や奇妙な謀略を好む趣味が、たまたま運よく当たりを引き寄せただけなのだろうか……

 

セヴルスはその後、ダンブルドアに奉仕することになった。 もしダンブルドアがスネイプのはたした役割を知らしめたなら、〈死食い人〉は自分たちの敗北の原因となったスネイプのことをこころよく思わなかったにちがいない。

 

ダンブルドアはハリーの母の命が救われるように仕向けようとした。 だが謀略のうちのその部分は失敗した。 ジェイムズ・ポッターについては、ダンブルドアはそうと知りながら死に追いこんだ。

 

ダンブルドアはハリーの両親の死に責任がある。 ()()この論理の連鎖がただしければ、だが。 公平を期すなら、〈魔法界大戦〉を終結させるためだった、という事情はハリーとしても酌量できないわけではない。 だがそれでもどこか……()()()()()()()()()()()

 

だから、遅すぎるくらいだが、このあたりでドラコ・マルフォイの話を聞いておきたい。あの戦争の()()()()()()()には、アルバス・パーシヴァル・ウルフリック・ブライアン・ダンブルドアがどういう人間に見えていたのか。

 

◆ ◆ ◆

 

原作品の著者:J. K. Rowling

ファンフィクションの著者:Eliezer Yudkowsky

 


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