「彼のような環境におかれれば、超自然的な干渉をされないかぎり、きみのような倫理観をもてるはずがなかったんだ。」
モーク・ショップは古風で小さな(かわいらしいとさえいえるかもしれない)店舗で、ダイアゴン小路から一本裏手にはいったところにある魔法の手袋の店の裏手にある野菜売りの裏手にあった。 店主がしわだらけの老女でなく、黄色っぽい色あせたローブ姿の神経質そうな若い女性なのは残念だった。 その店主はいま、モーク・スーパー・ポーチQX31をさしだし、〈隠し部屋追加の
ハリーはここにまっさきにくることを
それでも正当でないほうのコイン……こいつをどうやってばれずにポーチにいれることができるか、という問題は未解決だ。金貨は自分のものなのだが、盗んだことにかわりはない——ということは自己盗難でいいのか? 自盗?
ハリーはモーク・スーパー・ポーチQX31から目をはなし、顔をあげて言った。 「これをすこし試してみてもいいですか? ちゃんと、その、安定して動くかどうかをみたいんです。」 ハリーは少年らしい、いたずらっぽい無邪気さをこめて目をみひらいた。
コインの袋をポーチにいれ、手をつっこみ、「金貨の袋」とささやいてとりもどすのを十回くりかえしていると、案の定マクゴナガル先生は一歩とおざかって店のなかのほかの商品に目をやりだし、店主はそれを見るために向きをかえた。
ハリーは金貨の袋を
マクゴナガル先生はハリーのほうを一度みかえしたが、ハリーはかたまったりびくりとしたりしないでやりすごし、先生はなにも気づかなかったようだった。 といっても、ユーモアのセンスがある大人の場合、
ハリーは手をのばして、ひたいから汗をぬぐい、息をついた。 「これをください。」
十五ガリオン分(魔法の杖の二倍の価格、だそうだ)軽くなりモーク・スーパー・ポーチQX31ひとつ分重くなったハリーとマクゴナガル先生は、扉をおしあけて外にでた。でると、扉は手のかたちになり、ゆれてさよならの動きをした。うでのかたちが浮きでている部分はすこし気味がわるかった。
運悪くそこへきたのが……
「きみはほんもののハリー・ポッターか?」と年配の男性が小声で言って、ほおに大粒の涙をながす。 「あのことで嘘をついたりする輩はいないだろうな? あの子はほんとうは〈死の呪い〉を生きのびることができなかった、だからだれひとり話のつづきを知らないんだ、という噂をきいたものでね。」
……マクゴナガル先生の目くらましの呪文は、熟練の魔法使い相手にはさほど有効でないようだ。
『ハリー・ポッターか?』ということばを聞いた瞬間、マクゴナガル先生はハリーの肩に手をのせ、ちかくの裏道へと引っぱりこんだ。 男はついてきたが、すくなくとも他の人には聞かれずにすんだようだ。
ハリーはその質問の意味を考えた。自分は
マクゴナガル先生は片手を顔にあて、いらだたしそうにした。 「あなたの風貌はお父さんのジェイムズがホグウォーツで一年生だったときとそっくりです。
「
「いや……」と男が震えて言う。「言われてみれば、きみはお母さんとおなじ目をしている。」
「うーん……」とハリーは眉をひそめた。「もしかすると
「そこまでです、ミスター・ポッター。」
男はハリーにさわろうとするかのように手をあげたが、すぐにおろし、 「生きていてくれただけでよかった。」とつぶやいた。「ありがとうハリー・ポッター。ほんとうにありがとう……これ以上はひきとめない。」
そして男はステッキをついてゆっくりと裏道をでてダイアゴン小路の大通りにもどった。
マクゴナガル先生はけわしい表情で緊張してあたりをみまわした。 ハリーもつられてみまわした。 しかし裏道には落ち葉のほかなにもなく、ダイアゴン小路との接点にはいそいで通りすぎる通行人しかみえない。
マクゴナガル先生はやっと緊張をといたようにみえた。 そして「いまのはうまくありませんでした。」と低い声で言う。「これになれていないのはわかりますが、あなたは気にかけられているのですよ。こころを広くしてあげてください。」
ハリーは靴に目をおとし、「おかしい……」とかすかに苦にがしさをこめて言う。「つまり、あの人たちがをぼくのことを気にかけるのはおかしい。」
「あなたのおかげで〈例の男〉から救われたのです。なぜ気にかけてはいけないのですか?」
ハリーはとがった帽子のしたにある厳格そうな表情をみあげて、ためいきをついた。 「『基本的帰属錯誤』といっても、おそらくまったく通じないでしょうね。」
「はい。」と先生はきちんとしたスコットランドなまりで言う。「よろしければ説明していただけますか、ミスター・ポッター。」
「そうですね……」 ハリーはマグル科学のこの部分をどう説明したものかと考えた。 「あなたが仕事場にきたら同僚があなたの机をけっていたとします。『この人はなんて怒りっぽいんだ』とあなたは思う。 実はその同僚は仕事にくる途中でだれかにぶつかられて壁にあてられ、それから罵声をあびせられたことを思いだしていた。 こんなことがあれば
帽子のつばのしたで魔女の両眉があがった。 「わかったように思いますが……」とマクゴナガル先生はゆっくりと言う。「そのこととあなたになんの関係が?」
ハリーは裏道の壁を足が痛むほど強くけった。 「ぼくはある種の偉大な〈光〉の戦士だからあの人たちを〈例の男〉から救ったんだ、と思われてしまっている。」
「〈闇の王〉を倒す力の持ち主……」と魔女は奇妙な皮肉を声にこめてつぶやいた。
「そう、」と言って、ハリーはいらだちと落胆をたたかわせる。「まるで、ぼくが〈闇の王〉を倒したのはぼくが闇の王を倒す不滅不変の性格のようなものをもっていたからだ、とでもいうように。 そのとき生後十五カ月ですよ、ぼくは! そのとき実際なにが起きたのかは知りませんが、ぼくに言わせれば、特定の状況下の環境的条件とかが関係していたんじゃないかと。とにかくぼくの人格とはまったく関係ない。 あの人たちは
「自分なりの説ならあります。……あなたにあってから思いついたのですが。」
「というと?」
「あなたは〈闇の王〉以上にたちが悪かったからあの男に勝った。そして〈死の呪い〉以上に悪質だったからそれを生きのびた。」
「はっはっは。」 ハリーはまた壁をけった。
マクゴナガル先生はくすりと笑った。 「つぎはマダム・マルキンの店にいきましょうか。マグルの服のままでは目だちかねません。」
その途中で二人はもう二回、ハリーの支持者にいきあたった。
マダム・マルキンのローブ店は純粋に退屈な店がまえだった。赤いふつうの煉瓦、地味な黒いローブをいれたショーウィンドウ。 光ったり変化したり回転したりするローブや、シャツをつきぬけてくすぐってくる光線を放射するようなローブではなく、 ただの黒いローブ。ウィンドウから見えたのはそれだけだった。 なにも隠す秘密はないとでもいうかのように、扉はひらきっぱなしだ。
「あなたが寸法をあわせてもらっているあいだ、わたしはしばらくここをはなれます。それで問題ありませんね、ミスター・ポッター?」
ハリーはうなづいた。ハリーは服の買い物が激しく大きらいだった。この人も同類だとすれば責められない。
マクゴナガル先生は杖をそでからだして、ハリーのあたまを軽くたたいた。 「マダム・マルキンには、はっきりあなたを認識してもらう必要があるので、目くらましを解除しておきます。」
「あ……」 これはすこし不安だ。『ハリー・ポッター』のあれにはまだなれていない。
「マダム・マルキンとわたしはホグウォーツで同期です。 当時でさえ、彼女はわたしが知るなかで一番おちつきのある魔女でした。〈例の男〉本人に店にこられたとしてもぴくりともしないでしょう。」 マクゴナガルの声は感慨ぶかそうで満足げだった。 「マダム・マルキンはあなたのことをとやかく言う人ではありませんし、ほかの人にとやかく言わせたりもしないはずです。」
「あなたはどちらへ? 一応、なにかが
マクゴナガルはきつい目つきでハリーを見て、「
マダム・マルキンは快活な年配の女性でハリーのひたいの傷あとを見てもなにもいわず、助手の女の子がなにか言いかけようとするとその子に鋭い視線をなげた。 そして、テープメジャーの役目をはたすらしい、わらわらと動く端切れの組をとりだし、計測にとりかかった。
ハリーのとなりで、とがった顔で肌が白く、
「やあ」とその子が言う。「きみもホグウォーツ、だろう?」
ハリーはこのさきどういう会話になるか予想できたので、もうたくさんだという気分になり、一瞬のうちに反撃を決心した。
「なんということだ。……そんなばかな。」とハリーは小声で言って目を見ひらく。 「……お名前をうかがっても?」
「ドラコ・マルフォイだが。」と言ってドラコ・マルフォイがわずかにとまどいをみせた。
「あなたが! ドラコ・マルフォイ……。まさか——まさかこんな光栄なことが。」 目からなみだをだせたらよかったのに。あの人たちはだいたいこのあたりで泣きだす。
「ほう……」とドラコはすこし困惑した声で言う。そしてくちびるをひいて得意げな笑みをうかべた。 「態度をわきまえた人にあえるとはぼくも運がいい。」
ハリーがだれであるかに気づいていたらしいほうの助手が、おさえながらむせぶような音をだした。
ハリーはべらべらとつづける。「お目にかかれて光栄です、ミスター・マルフォイ。 光栄すぎてことばになりません。 それにおなじ年にホグウォーツにかようことになるなんて! 心臓がとまってしまいそうです。」
おっと。 さいごのはちょっと変だった。ドラコをナンパしようとしているみたいにも聞こえる。
「ぼくとしても、マルフォイ家の人間にふさわしい尊敬をうけとることができそうで満足だ。」とドラコがうちかえした。 その笑みはあたかも、高貴な王が卑賤な民に対して、その民が貧乏であれ誠実なときにあたえるような笑みだった。
ええと……まずい。つぎのひとことがなかなか出てこない。 そうだ、みんなはハリー・ポッターと握手したがっていた。なら—— 「試着がすみしだい、わたしめと握手してくださいますか? わたしはそれ以上の栄誉は今日、いや今月、というより一生のぞみません。」
白っぽい金髪の男の子はにらみをかえした。 「その栄誉をうけるにあたいするなにをマルフォイ家のためにやったのだ、きみは?」
「そういうことだ。」とその子がかえした。厳格な顔つきがすこしやわらいだようだった。 「きみの〈組わけ〉はどの寮になると思う? ぼくは当然、父上ルシウスとおなじくスリザリン寮に決まっている。 きみならさしずめハッフルパフ
ハリーは弱気にはにかんだ。「マクゴナガル先生が見てきた範囲と伝説できいた範囲ではぼくほどレイヴンクロー的な子どもはいないそうです。ロウィナその人からいい加減にしなさいと言われるくらい……というのがどういう意味なのかはともかく。帽子の声が大きすぎてだれも聞ききとれなかったりしないかぎり、ぼくはまちがいなくレイヴンクロー寮になる、と。引用終わり。」
「ほう。」とドラコ・マルフォイはわずかに感心したように言い、ある種残念そうなためいきをついた。 「きみのお世辞はよかった。すくなくともぼくはそう思ったよ。とにかく——きみはスリザリン寮だったとしてもうまくやれると思う。ふだんはああいう風にへつらわれるのは父上だけなんだが。 学校にはいったからには、ほかのスリザリン生をうまくしたがえてやりたいし……これは幸先がよさそうだ。」
ハリーはせきばらいした。 「その、ごめん。ほんとのことを言うと、ぼくはきみがだれなのかさっぱり。」
「勘弁してくれよ!」とその子は激しく失望して言う。 「なら、なんであんな風にふるまうんだ?」ドラコは急にうたがいの目つきで目をみひらいた。 「それにどうやってマルフォイ家のことを
「親のうち二人は死んだ。」 こういう言いかたにすると、胸がいたむ。 「もう二人はマグルだ。ぼくはその二人にそだてられた。」
「は? きみはだれなんだ?」
「ハリー・ポッター。はじめまして。」
「
あたりが一瞬しずまった。
そして、まぶしいほどの熱烈さで「ハリー・ポッター?
ドラコのそばの店員はくびをしめられたような音をだしたが、そのまま仕事をつづけ、市松模様のローブを慎重にぬがすためにドラコの両腕をあげさせた。
「うるさい。」とハリーは口をはさんだ。
「サインをもらえるかい? いや、そうだ、まずいっしょにならんで写真を一枚!」
「うるさい うるさい うるさい」
「きみにあえてとってもうれしいんだ!」
「炎につつまれて死ね。」
「でもきみはハリー・ポッターじゃないか。魔法世界の救世主! みんなの
ドラコは文の途中でことばをうしない、完全な恐怖の表情でかたまった。
背がたかく銀髪で冷たい気品があり、最高品質の黒いローブを着ている。片手にはにぎられた銀色のもちてのステッキはその手にあるだけで殺傷力のある武器の風格をそなえている。処刑人のようなさめた目が部屋のなかを見わたした。この男にとっては人殺しは苦痛ではなく禁断の美味でもなく、息をするような日常の行為。
そういう男が、開けっぱなしの扉から、たったいまはいってきた。
「ドラコ。それはなんのつもりだ?」 男が低い、強い怒りの声で言う。
同情してパニックになりながら、ハリーは一瞬のうちに救出作戦をたてた。
「ルシウス・マルフォイ!」とハリー・ポッターは息をのんだ。「
マルキンの助手の一人が壁のほうに顔をそむけた。
冷たい殺気だった目がハリーをとらえた。「……ハリー・ポッター。」
「おあいできて大変光栄です!」
黒い目がみひらかれた。殺気だった脅迫の視線が、おどろきとショックにおきかわっていた。
「ご子息から
「なにを言っているのですか、ミスター・ポッター?」と悲鳴のような声が店のそとからきこえ、一秒後にマクゴナガル先生が走りこんできた。
その顔にあらわれていた純粋な恐怖を見てハリーの口が無意識にあいたが、なにもことばがでなかった。
「マクゴナガル先生!」とドラコが声をあげる。「ほんとうにご本人ですか? 父上からあなたのことはよく聞かされました。ぼくもグリフィンドールに〈組わけ〉される方法がないかとずっと——」
「は?」と横にならんで立っていたルシウス・マルフォイとマクゴナガル先生が完全に同調して言った。 二人は横をむいておたがいをちょうどおなじタイミングで見あい、シンクロするダンサーのように反対向きにはねかえった。
ルシウスがぬっとドラコをつかみ、そのまま店の外へと引っぱって行った。
そしてあたりがしずまった。
マクゴナガル先生の左手には小さなグラスがあった。わすれられていた勢いでそれがかたむき、徐々にアルコールがしたたり、床に小さな赤ワインの水たまりをつくった。
マクゴナガル先生は店のなかへとすすみ、マダム・マルキンの対面に立った。
「マダム・マルキン。」とマクゴナガル先生はおちついた声で言う。「ここでなにが起きていたのですか?」
マダム・マルキンは目をあわせながら四秒間沈黙したあと、ふきだした。壁にたおれこみ、息ぎれするほど笑い、それをうけて助手の二人も、一人は床に手とひざをつきながら、狂乱の笑いにくわわった。
マクゴナガル先生は氷の表情でゆっくりとハリーに向きなおった。 「わたしがここを離れていたのは六分間です。六分。きっちり六分間ですよ。」
狂乱の笑いの声があたりをこだまするなか、「ちょっとふざけていただけです。」とハリーは抗議した。
「
「あの状況下ではああいう風に行動するのが内輪的に筋がとおって——」
「いいえ、説明はけっこう。ここでなにが起きたのか知りたくもありません。 あなたのなかに巣くっているのがどんな闇の力であるにしろ、それは
ハリーはためいきをした。 マクゴナガル先生が合理的な説明を聞く気分でないことはあきらかだった。 ハリーは壁によりかかってまだ息ぎれしているマダム・マルキンと、いまは二人とも床にひざをついている助手とを見て、最後にテープメジャーまみれの自分のからだを見おろした。
「こちらの試着はもうしばらくかかりそうなので……」とハリーは親切に言う。「もどってもう一杯飲んできてはどうですか?」
原作品の著者:J. K. Rowling
ファンフィクションの著者:Eliezer Yudkowsky