ハリー・ポッターと合理主義の方法   作:ポット@翻訳

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翻訳者より:長くなってきたので最近数章の状況をおさらいしておきます

アメリア・ボーンズ……軍事警察のトップで、ベラトリクスが脱獄の報を受け捜索を陣頭指揮。謎の侵入者がいることも知った。
ベラトリクス・ブラック……ヴォルデモート(偽)に連れられて脱獄しつつある。衰弱しているが、ヴォルデモート(偽)を精いっぱい助けてもいる。
ハリー・ポッター……ハリーのふりをしているヴォルデモートのふりをしている。なにか作っていた。
クィレル……ハリーのふりをするヴォルデモートの従僕のふりをしていた。ヘビになっている。
ダンブルドア……民間人なのにこっそり知らせを受けて捜索に協力。
マクゴナガル……ハリーがいることになっている(けれどいない)店に急行中。



58章「スタンフォード監獄実験(その8)——制約つき認知」

漆黒の闇のなかで少年がひとり、手にした杖をアズカバンの金属壁にあてて、とある魔法をかけている。この少年をのぞけば世界じゅうであと三人しか可能だと信じていない魔法であり、実際にできるのは彼ただひとりである。

 

といってもこんな壁は、有能な魔法使いならものの数秒で切断することができる。

 

平均的な成人魔法使いなら数分かかるかもしれないし、息をきらしてしまうかもしれない。

 

ホグウォーツ一年生がひとりでおなじ結果をえたければ、()()のいいやりかたが必要になる。

 

運よく——いや、運などではなく、まじめさのたまもので——ハリーは〈転成術〉(トランスフィギュレイション)を毎日一時間復習し練習していた。そのかいあって〈転成術〉の科目ではハーマイオニーの上をいくことさえできるようになった。 そして部分〈転成術〉の練習をかさねた結果、真の宇宙のありようを当たりまえのものと見なすことができるようになり、〈形相(けいそう)〉と物質の概念を分離する思考をする際にほんのすこし努力するだけで宇宙の無時間量子論的性質を並行して考えることができるようになった。

 

そんな高度な技術も日常化すると……

 

……同時にほかのことを考える余裕ができてしまう。

 

幸か不幸かハリーは今までのところ、とある明白な事実を考えずにすんでいた。それが、あと数分で実際に実行するという段階になって、考えてしまった。

 

いま自分がやろうとしていることは……

 

……危険だ。

 

とても危険だ。

 

本気で人間が死ぬかもしれない、というくらいの危険さだ。

 

〈守護霊の魔法〉なしにディメンター十二体と対決するのは()()()。でもこわいだけだった。 ディメンターに対して持ちこたえるのにも限界がきた、と思えば、いつでも〈守護霊の魔法〉をかければいいだけだったし、実際そうする用意もあった。 仮にそれすら失敗したとして……それでも()()()な失敗にはならない。ディメンターが手あたりしだい〈口づけ〉するよう命じられていたのでもなければ、死ぬようなことはない。

 

これはわけがちがう。

 

〈転成〉したこのマグル装置は爆発するかもしれない。それで自分たちが死ぬかもしれない。

 

テクノロジーと魔法の界面が崩壊する理由はいくらでもある。崩壊すれば、ハリーたちは死ぬかもしれない。

 

〈闇ばらい〉の攻撃を運悪く被弾してしまうかもしれない。

 

とにかくこれは……

 

()()()危険だ。

 

そう気づいたとき、これが安全であると自分に思いこませようとする自分がいることにも気づいた。

 

たしかに、うまくいく可能性だってある。でも……

 

まず、合理主義者としては、自分になにかを思いこませようとするなどあってはならない。仮にそこに目をつむるとしても、これを実行して死ぬ確率が二十パーセントより少ないとは到底思いこめそうにない。

 

『負けるんだ』とハッフルパフが言った。

 

『負けるんだ』とこころのなかのクィレル先生の声がした。

 

『負けなさい』とこころのなかのハーマイオニーとマクゴナガル先生とフリトウィック先生とネヴィル・ロングボトムが言った。というより、ハリーが知る人物ほぼ全員のイメージがそう言っていた。例外は、『迷わずやれ』と言っているフレッドとジョージだけだった。

 

ダンブルドアをみつけて自首する。自首するしかない。もはや()()()()選択肢はほかにない。

 

もしこれが自分一人の任務で、かかっているのが自分自身の生命だけだったとしたら、実際そうしていた。まちがいなくそうしていた。

 

いまやっている、部分〈転成術〉への集中力をあやうくとぎれさせるほどの原因、自分のなかみをディメンターにさらしかねなくしている原因は……

 

……クィレル先生だった。ヘビのすがたで、意識不明のままのクィレル先生だった。

 

もしこの脱走事件の罪でアズカバンに送られれば、クィレル先生は死ぬ。おそらく一週間ともたない。クィレル先生はそれくらいディメンターに敏感だ。

 

それだけだった。

 

ここで自分が()()()ということは……

 

クィレル先生をうしなうということだ。

 

クィレル先生は多分邪悪だよ——とこころのなかのハッフルパフが小声で言う。()()()()()

 

意識的にそう決心したのではなかった。ただとにかく、できない。寮点を捨てて負けることをえらぶのはいい。捨てるのが人命では話がちがう。

 

スリザリン面が反論する。きみはアズカバンの囚人全員を救えるとしても、八十パーセントの確率で自分が死ぬリスクは受けいれられないと思っている。その程度には、自分の命をだいじにしている。なのに、ベラトリクスとクィレル先生を救うために、二十パーセントの確率で自分が死んでもいいと言うのか。それではつじつまがあわない。きみがやっている効用評価には一貫性がない。

 

ハリーのなかの論理的な部分がスリザリンの論理に軍配をあげた。

 

ハリーは〈形相〉をイメージしつづけ、呪文をかけつづけた。 この〈転成術〉さえ終われば、任務を放棄してもいいかもしれない。ただ、ここまで努力したのを無駄にするのはいやだ。

 

だがハリーは突然あることを思いついた。そのせいで呪文を維持するのがむずかしくなり、ディメンターに抵抗しつづけるのもむずかしくなった。

 

あのポートキーを使ったとして、クィレル先生が言ったとおりの場所に転送されなかったとしたらどうする?

 

思えば当然考えておくべき可能性だった。

 

この脱出作戦が完璧にうまくいったとしても……そしてこのマグル装置が爆発もせず、魔法器具のがわと干渉して異常なことにもならず、ちゃんと動作したとしても……そして運悪く被弾することもなく、アズカバンから十分離れることができて、ちゃんとポートキーを使えたとしても……

 

……転移したさきに精神治癒の癒者がいるという保証はない。

 

クィレル先生を信頼していたとき、ハリーはそう信じていた。だがクィレル先生が信頼できなくなってからもそう信じつづけるべきだとはかぎらないのだから、可能性を評価しなおしておくべきだった。

 

ハッフルパフの声がする。 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

冷気が室内に広がっていくような気がした。自分のなかのディメンターへの抵抗力がゆるんだ。ハリーはそれでも〈転成〉をとめなかった。

 

クィレル先生をうしなうわけにはいかない。

 

あの人は警官を殺そうとしたんだぞ——とハッフルパフが言う。あれでもう、うしなったようなものじゃないか。 ベラトリクスだってきっと、通説どおりの悪人だ。 〈マント〉をとりかえせ。ダンブルドアを見つけて、自分はだまされてここに来たんだと言え。

 

いや、だめだ。そのまえにクィレル先生と話さないと……。なにか事情があるのかもしれない。多分、ぼくの〈守護霊〉から離れすぎて、ディメンターに支配されてしまったとか……。なぜクィレル先生があんなことをしたのか。どういう仮定をしても意味がとおらない。それを勝手に……決めつけて……

 

その方向の思考をつづけていると、恐怖への抵抗が完全にくずれてしまいかねないので、打ち切った。クィレル先生をディメンターに差しだすという可能性を考えながら同時〈死〉を拒絶する思考をするなど、認知的に不可能だ。

 

きみの推論過程には不自然な穴ができている……修復する方法を見つけるんだ——と論理的な部分の自分が言った。

 

よし、じゃあ代替案を出していこうか。選択もしない。重みづけもしない。もちろん決意もしない……純粋に、もとの案以外にどういうことができそうかだけを考えよう。

 

そう言ってからハリーは壁に穴をあける作業にもどった。 部分〈転成術〉(トランスフィギュレイション)をかけている対象は、金属壁のなかの円筒形の領域だ。直径二メートル、太さはわずか〇.五ミリメートルの円筒で壁をつらぬいてできるその領域内の金属壁を、潤滑油へと〈転成〉している。 潤滑油は液体であり、液体は気化するため、〈転成〉してはならないことになっている。だがハリーとベラトリクスとヘビは〈泡頭(バブルヘッド)の魔法〉で保護されているし、 終わればすぐに潤滑油に『フィニート』をかけて〈転成〉を解除するつもりでいる……

 

……〈転成〉が終わり、円筒形にくりぬかれて潤滑された部分が壁から離れて床に落ちれば、すぐにそうするつもりでいる。くりぬかれた部分が重力で勝手に落ちるよう、ちゃんとかたむきもあたえてある。

 

ハリーとベラトリクスがその穴からホウキで飛びでること()()にできることといえば……

 

被覆を〈転成〉して壁の穴を上からふさいではどうだ、とハリーの脳が提案した。その空間にベラトリクスとクィレル先生をはいらせ、〈マント〉をかけて隠す。そして自分は自首する。 クィレル先生はいずれは目をさまし、ベラトリクスといっしょに自力で脱出する方法を考えられるだろう。

 

いや、まず第一に、バカげている。それに、巨大な金属のかたまりを床の上に放置してまっては、すぐに勘づかれる。

 

そこでハリーの脳がようやく気づいた。

 

この脱出経路をベラトリクスとクィレル先生だけに使わせて、出ていかせるんだ。自分は居残って自首すればいい。

 

いま危機に瀕しているのはベラトリクスとクィレル先生の生命だ。

 

あの二人はリスクをとることで利益こそあれ、損はない。

 

だが冷静に考えれば、ハリーがそこについていくべき理由などない。

 

そう考えるとハリーは静かな気持ちになり、精神の辺縁にくすぶっていた冷気と暗黒が退却していった。 これだ、とハリーは思った。これこそ枠にとらわれない発想だ。隠れた第三の選択肢だ。 なぜ二者択一の選択だと思いこんでしまっていたのかが不思議なくらいだ。 ハリーが自首するとして、ベラトリクスとクィレル先生を道連れにする必要はない。 ベラトリクスとクィレル先生が危険な脱出経路を使うとして、ハリーもついていく必要はない。

 

恥ずかしいのを我慢して、自分はだまされてここに来たのだと白状する必要すらない。ベラトリクスに命じて記憶を消させれば、 これは誘拐だったということで通る。自分自身にさえ、そう思わせることができる。 たしかに、〈闇の王〉がそんなことをしろと言うのは、ベラトリクスにしてみれば不可解だろう。それでもハリーがただほほえんで、おまえが知るべきでない事情がある、とでも言ってやればそれだけですむ……

 

◆ ◆ ◆

 

アメリアの隊はアズカバンを上から四分の三踏破した。ほかの二隊は、のこりの二つのスパイラルについてそうした。 緊張はかなり高まってきている。敵の犯罪者は下から二層目にいるというのがアメリアの読みだった。ダンブルドアがその層をもうすこし詳しく検分してくれていればと思いつつも、横取りされなくてよかったとも思っていた。

 

そう思った矢先に、遠くからキンという音が聞こえた。かなり距離があるようだった。 そう、たとえば下から二層目でなにかが轟音をたてた、というように。

 

アメリアは自分でも気づかないうちに、ダンブルドアのほうに目をやってしまった。

 

ダンブルドアは小さく笑って見せてから、「おのぞみとあれば」とだけ言ってまた、立ち去った。

 

◆ ◆ ◆

 

〈解呪〉(フィニート・インカンターテム)」 ハリーは床のうえの巨大な金属のかたまりの表面にある油にむけてそう言った。 そのかたまりが壁から抜けおちたときの爆音がまだ耳のなかにこだましていて、ハリーは自分の声もほとんど聞こえなかった。(思えば事前に〈音消しの魔法〉をかけておくべきだったが、いずれにしてもこの金属床にひびきわたる音まで消すことはできなかっただろう。) ハリーはもう一度、直径二メートルの壁の穴の油にむけて『フィニート・インカンターテム』と言い、呪文の効果をいきわたらせた。 これは自分自身のかけた魔法を取り消すだけだから、ほとんど労力なしにできる。 すこし疲労感はあるが、魔法が必要な部分はもうすべて終わった。 というよりこれは必要ですらなかったのだが、〈転成〉した液体をそのままにするのは気がすすまなかったし、部分〈転成術〉の秘密を漏らしかねない真似はしたくなかった。

 

二メートル大の穴のむこうにある自由……それには抗しがたい魅力があった。

 

穴の外から光が差しこんでいる。太陽の光が直接あたっているわけではないにせよ、アズカバン内部のどこよりあかるい。

 

そのときハリーは、ベラトリクスとヘビといっしょにホウキに飛び乗ってしまいたくなった。 可能性としてはそれでうまく脱出できるかもしれないし、 一行がハリーつきで脱出できさえすれば、クィレル先生とハリーは問題なく時間をさかのぼって、なにもやましいことのないふりをして、日常にもどることができる。

 

ハリーがここに居残り、自首したとすると……たとえ、自分は誘拐されていたという説明と、マクゴナガル先生の〈守護霊〉がきたときには脅迫されていて嘘をついてしまったのだという説明がとおったとして…… そしてハリーには軽微な罰ですんだとしても……

 

クィレル先生がこのままホグウォーツの〈防衛術〉教師でいることが許されるようには思えない。

 

事前に目されていたとおり、この年度の二月にはクィレル先生は学校を去ることになる。

 

それにマクゴナガル先生に殺されるということも忘れてはならない。きっと楽には死なせてもらえそうにない。

 

それでも、居残るという選択肢のほうが安全であり、良識的であり、()()()だ。ハリーは残念であるというより、ほっとする思いがした。

 

ハリーはベラトリクスのほうに顔をむけ、口をあけて、最後の命令を——

 

そのときシューと小さな音がした。ごく小さな音が、ゆっくりと、困惑したように問いかけてきた。

 

何ダ……今ノ音ハ?

 

◆ ◆ ◆

 

ダンブルドアは通路をつかつかと通りぬけ、 ある金属扉のまえにきて押しあけたが、そのさきの監房は前回無人だと確認した記憶があった。

 

力強く明瞭な発声で七つの詠唱をしてから、ダンブルドアはつぎの場所へむかった。のこりの監房の数はわずかなので、このやりかたでもさほどの消耗にはならない。

 

◆ ◆ ◆

 

先生……」 ハリーのなかでさまざまな感情が同時に沸きたった。 目には見えないが、緑色のヘビがベラトリクスの肩のうえでゆっくりとあたまをもたげ、見まわす様子を想像できた。 「先生、ケガハ ナイカ?

 

先生ダト? ……ココハ ドコダ?

 

牢屋。命食イノ 牢屋。ボクト アナタハ 女ヲ 救出スル タメニ 来タ。 アナタハ 守ル男ヲ 殺ソウト シタ。ボクハ アナタノ 死ノ 呪文ヲ 止メタ。ソノトキ 共鳴ガ アッテ……アナタガ 倒レテ 気絶シタ。ボクハ 守ル男ヲ 倒サネバ ナラナカッタ……。守護ノ 呪文ハ 解除シタ。女ガ 逃ゲタ コトヲ 命食イガ 守ル男タチニ 報告シタ。 守護ノ 呪文ヲ 検知デキル 人ガ イル。オソラク 学校長……。ソノタメニ 守護ノ 呪文ヲ 解除 シタ。アナタト 女ヲ 命食イカラ 隠ス 代ワリノ 方法ヲ 考エタ。自分ヲ 守ル 代ワリノ 方法ヲ 考エタ。命食イヲ 脅ス 方法ヲ 考エタ。アナタト 女ノ 脱出方法ヲ 考エタ。一年生デモ デキル 方法デ 牢屋ノ 厚イ 金属壁ニ 穴ヲ アケタ。 説明スル 時間ガ ナイ。早ク 脱出シテ ホシイ。 先生トハ モウ 会エナイ カモシレナイ。アナタハ 邪悪 カモシレナイ。デモ 会エテ ヨカッタ。 最後ニ 話セテ ヨカッタ。 サヨウナラ。

 

ハリーはホウキを手にしてベラトリクスに押しつけ、「乗れ」とだけ言った。

 

記憶は消させないことにした。 第一に、記憶は重要だ。 それに、クィレル先生とこの計画を考えはじめたのは一週間まえからだ。一週間ぶんの記憶を消去させたくはないし、具体的にどんな記憶を消せとベラトリクスに説明するわけにもいかない。 多分〈真実薬〉をごまかすことはできるし、もしダンブルドアがもっと深く探るために〈閉心術〉の障壁を解除しろと言ったりしたら……それでもかまわない。今回の自分の行動にどこも英雄的でないところはない。

 

待テッ!」とヘビが声をあげた。 「待テ、待テ、待テッ。サヨウナラ トハ 何ノ コトダ?

 

脱出方法ハ 失敗スル 恐レガ アル。ボクノ 生命ハ 安全ダ。安全デナイ ノハ アナタト 女。 ダカラ ボクハ ココニ 残ッテ、自首スル——

 

ダメダ!」 ヘビは断固とした口調になった。 「ヤメロ! 許可シナイ!

 

ベラトリクスはホウキにまたがった。 (やはり見えないが)ハリーはベラトリクスの視線を感じた。なにも言わずにハリーが来るのを待っている。いや、ハリーの命令を待っている。

 

モウ アナタヲ 信頼シナイ。アナタハ 守ル男ヲ 殺ソウトシタ。

 

殺ス モノカ! ナニヲ 愚カナ。ワタシガ 邪悪ダロウト、アノ男ヲ 殺シテモ 意味ガ ナイ!

 

地球の自転が止まり、太陽を中心とする軌道上で静止した。

 

ヘビは怒っている。人間のクィレル先生のどの声よりも怒って聞こえた。 「殺ス? 殺シタケレバ、一瞬デ 殺セテイタ。 ワタシヨリ ハルカニ 劣ル 相手ダッタ。 制圧シ、屈服サセ、自発的ニ 精神ノ 壁ヲ 下ロサセル ツモリ ダッタ。ソウスレバ 記憶ヲ 読メル。上司ガ 何者カヲ 調ベラレル。調ベレバ、記憶ノ 魔法ヲ カケルノニ 役立ツ——

 

ソレナラ ナゼ 死ノ 呪文ヲ!

 

男ハ 当然 ヨケル!

 

生命ヲ 軽ク 見テイナイカ。ヨケナカッタラ ドウスル?

 

当然 ワタシガ 魔法デ 男ヲ ハネトバス!

 

また地球の回転がとまった気がした。 その発想はなかった。

 

愚カナ 策士メ。」  ヘビは怒りの声でまくしたてる。声と声がかさなって、尻尾を追いかけあうようだった。 「頭ガ イイガ 馬鹿ナ 少年メ。未熟ナ すりざりんメ。オマエガ 信ジナイ オカゲデ セッカクノ——

 

イマ 議論スルノハ ふぇあデハナイ。」  フェアどころではない。ハリーはどっと安堵を感じたのも束の間、それまで以上の緊迫を感じていた。 「ボクハ 怒レバ 命食イニ 対シテ 無防備ニ ナル。急ガネバ。ダレカガ 音ヲ 聞イタカモシレナイ——

 

脱出ノ 策ヲ 教エロ。早ク!

 

ハリーはヘビに説明した。〈ヘビ語〉には問題のマグル製品の名前に相当する単語がないので、かわりに機能を描写した。クィレル先生には伝わったようだった。

 

シュッという音が何回か繰り返された。一本とられた、というときの笑いのヘビ版だ。それからヘビはすばやく命令を言った。 「女ニ コチラヲ 見ルナト 言エ。音消シノ 魔法ヲ カケロ。守護ノ 魔法ヲ 扉ノ 外ニ 置ケ。 ワタシハ 変身スル。装置ニ 簡単ナ 手直シヲ スル。緊急用 ぽーしょんヲ 女ニ 飲マセテ ワレワレヲ 守レル ヨウニスル。変身ヲ 戻ス。ソノアト 守護ノ 魔法ヲ 消セ。コレデ 策ノ 安全ガ 増ス。

 

ボクハ 女ノ タメノ 癒者ガ イルト、信ジテイイカ、分カラナイ。

 

常識デ 考エロ! ワタシガ 邪悪ダト 仮定スル。 ココデ オマエヲ 用済ミニスル 策ハ アリエナイ。 コノ 任務ハ タマタマ 現レタ 機会ダッタ。オマエノ 守護ノ 魔法ヲ 見テ 思イツイタ。食ベル 場所ヲ 出テカラ、スベテ 気ヅカレズニ ヤル ハズダッタ。 当然、到着地ニハ 癒者ノ フリヲ スル 者ガ イル! ソレカラ 食ベル 場所ニ 戻ッテ、元ノ 計画ヲ 再開スル!

 

ハリーは透明なヘビをじっと見た。

 

一方では、そう言われる自分がバカだったように感じる。

 

一方では、あまり安心していい話でもなかった。

 

ソレデ 元ノ 計画 トハ?

 

時間ガ ナイ。オマエモ ソウ 言ッタ。ダガ 計画ハ 当然 オマエヲ コノ国ノ 支配者ニ スルコト。オマエノ 貴族ノ 友人デサエ、モウ 理解シテイル。聞キタケレバ 帰ッタラ 彼ニ 聞ケ。 イマ 話ス ノハ ソレダケダ。早ク 飛ブ 必要ガ アル。

 

◆ ◆ ◆

 

ダンブルドアはまたもうひとつの金属扉に手をのばした。その奥から縷々として絶望的な声が漏れ聞こえる。 『おれは本気(シリアス)じゃない……本気じゃない……本気じゃない……』 肩のうえの赤金色の不死鳥はすでに切迫した声で鳴いていた。ダンブルドア自身もすでに顔をしかめていた。そのとき——

 

もう一つの鳴き声が通路にひびきわたった。不死鳥の声に似ていたが、ほんものの不死鳥の呼び声ではなかった。

 

もう片ほうの肩に目をやると、銀色に燃える実体なき魔法鳥が、鉤爪で蹴って飛びたつところだった。

 

偽の不死鳥は通路にそって下層へ飛んでいった。

 

老魔法使いはそのあとを追い、元気のよい六十歳の若者のように駆けていった。

 

ほんものの不死鳥は金属扉のまえに滞空したまま、もう一度、二度、三度、声をあげた。 だがいくら呼んでも主人は引きかえしてくる様子がないので、不満げに主人のあとを追った。

 

◆ ◆ ◆

 

クィレル先生は今度は本来のすがたにもどった——〈変身薬(ポリジュース)〉は補充しないかぎり一時間で効果が切れる。顔色は悪く、手近な監房の鉄格子にもたれていながらも、魔法力はすでに十分強力で、詠唱なしに杖を呼びよせることができている。その横でベラトリクスが従順に〈マント〉を脱ぎ、ハリーに手わたした。 クィレル先生の回復とともに、強大な力場の辺縁がハリーの薄く未熟なオーラと衝突し、破滅の感覚がぶりかえしてきたが、最高潮のときほどではなかった。

 

ハリーはクィレル先生に問題の例のマグル装置のことを口頭で説明し、名前も教えた。その後、苦心して作ったそれを『フィニート』で角氷にもどした。 クィレル先生はハリーが〈転成〉したものに呪文をかけることができない。たったそれだけことでも、二人の魔法力は干渉してしまう。だが——

 

三秒後、クィレル先生の〈転成術〉で同じマグル装置がクィレル先生の手のなかに生みだされた。 ひとこと唱え、杖をひとふりすると、魔法器具のほうにのこっていた接着剤が消えた。 さらに三つの呪文がかけられ、魔法とテクノロジーの産物があたかも単一の物体のように融合した。 〈割れ止め〉の魔法と誤作動防止の魔法もかけられた。

 

(こうやって大人の監視下でやるほうがずっと安心だ、とハリーは思った。)

 

ポーションが一瓶ベラトリクスに投げわたされ、クィレル先生とハリーが同時に「飲め」とほとんど同じ口調で言った。 ベラトリクスは命令されるまでもなく、すでに口をつけようとしていた。 このポーションを作った男はどうみても〈闇の王〉の従僕だし、ヘビに変身できる〈動物師(アニメイガス)〉でもあり、有能で信頼されていることも明らかだからだ。

 

ハリーは〈不可視のマント〉のフードをかぶった。

 

おそろしい威力の呪文がクィレル先生の杖先から放出され、壁の穴を削り、床のまんなかに置かれた金属のかたまりを傷だらけにした。穴をあけた方法からハリーが割り出されるかもしれないから、そうしてほしいとハリーが頼んだのだった。

 

「左手用の手袋。」とハリーがポーチに言い、出てきたそれを手にはめた。

 

クィレル先生がさっと手をふるとベラトリクスの両肩にベルトがはまり、さらに手の上に小さな布製の装備がつけられ、手首に手錠のようなものがはめられた。ベラトリクスはポーションを飲みおえたところだった。

 

ベラトリクスの青ざめた顔が健康的でない奇妙な色に変わり、背すじが伸び、くぼんだ目がかがやきと危険さを増し……

 

……小さな煙が両耳から出たように見え……

 

(ハリーは最後の部分を深く考えないことにした。)

 

……そしてベラトリクス・ブラックは突然、笑った。アズカバンのなかに似つかわしくない調子はずれの笑い声が、あまりにうるさく、監房のならびに反響した。

 

(このあとごく短時間のうちにベラトリクスは意識をうしない、そのまま当分目をさまさない、とクィレル先生は予告していた。このポーションにはそういう代償があるが、短時間ながらベラトリクスを最盛期の能力の二十分の一ほどにまで回復させる効果があるという。)

 

〈防衛術〉教授は自分の杖をベラトリクスに投げてわたし、そのつぎの瞬間、緑色のヘビに変じた。

 

さらにつぎの瞬間、ディメンターの恐怖が部屋のなかにもどってきた。

 

ベラトリクスはほんのすこしだけ、びくりとしたが、杖を受けとり詠唱なしにひとふりした。 するとヘビが空中に飛びだして、ベラトリクスの背中にまわされたベルトにはさまった。

 

ハリーは「あがれ!」とホウキに言った。

 

ベラトリクスは杖を手の平のホルスターにいれた。

 

ハリーは二人用のホウキの前部座席に飛びのった。

 

ベラトリクスはそのあとにつづき、手錠のような装備を使って自分の手とホウキの持ち手を縛った。そのとなりでハリーは右手で杖をポーチに押しこんだ。

 

そして三人は壁の穴にむけて飛びこみ——

 

——屋外におどりでた。巨大な三角柱をなすアズカバンの内面、ディメンターの奈落の真上。頭上にはくっきりとした青空が見え、太陽の光がまぶしい。

 

ハリーはホウキの角度をあげ、三角柱の中心をかけあがるように加速した。 左手は手袋をはめ、クィレル先生が〈転成〉した装置に肌に触れないようにしてある。ハリーはその左手を問題のマグル装置の操作スイッチにあてた。

 

はるか頭上に、怒鳴り声をかけあう人たちがいる。

 

——おい、そこの原始人ども!——

 

〈闇ばらい〉たちは高速な競技用のホウキを駆って、ハリーたちを目がけて急降下してくる。各自の杖からはすでに閃光が振り落とされている。

 

——ちょっと聞け!——

 

ベラトリクスが『プロテゴ・マキシマス!』とかすれた力強い声で言い、哄笑した。三人はゆらゆらとした青色の防壁につつまれた。

 

——見えるか?——

 

アズカバンの中心にある腐敗の奈落から、百体以上のディメンターが浮上した。ある者の目にはいくつもの死体を寄せ集めた飛行する墓場のように見え、ある者の目には無を重ねあわせた巨大な世界の裂け目のように見える。それがなめらかに浮かびあがっていく。

 

老魔法使いが力強い声でなにかを詠唱すると、白色と金色の爆炎がアズカバンの壁から噴出した。最初不定形だったその炎は、すぐに翼を持った。

 

——こいつが……——

 

〈闇ばらい〉たちはアズカバンの結界に組みこまれている〈反反重力の呪文(ジンクス)〉を起動した。これはあらゆる飛行呪文を無効化する効果があり、例外は最近変更された合言葉を使ってかけられた魔法だけだ。

 

ハリーのホウキの浮力がとぎれた。

 

重力はとぎれなかった。

 

上昇していたホウキが勢いをうしない、減速し、落下へと転じた。

 

——おれの……——

 

だがホウキの方向を安定させ操舵を可能にする呪文と、乗り手をホウキに固定し加速の衝撃をやわらげる呪文とは、まだ機能している。

 

——ホウキだっ!——

 

ハリーは点火スイッチを押し、二人乗りのホウキ『ニンバスX200』に融合ずみの、過塩素酸アンモニウム推進剤を充填した固体燃料ロケット、ゼネラルテクニクス製『バーサーカーPFRC』N級を発射させた。

 

そして音が生じた。

 

◆ ◆ ◆

 

原作品の著者:J. K. Rowling

ファンフィクションの著者:Eliezer Yudkowsky

 


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