ハリー・ポッターと合理主義の方法   作:ポット@翻訳

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61章「スタンフォード監獄実験(その11)——機密と開示」

緑色の炎をくぐりぬけ、回転の感覚とともに〈煙送(フルー)〉網のなかをかけめぐるあいだ、ミネルヴァは十年と三カ月ぶりに恐怖で動悸がした。空間と空間のすきまから二人が吐きだされて着いた場所はグリンゴッツの玄関ホール。ダイアゴン小路内でもっとも安全かつ傍受されにくい〈煙送(フルー)〉の受け口だ。また、不死鳥をのぞけば、ホグウォーツから出入りするにはこの方法がもっとも速い。 ゴブリンの係員が二人のほうを向いて目を見はり、少しだけ敬意のこもった礼をしようとする——

 

決意(determination)照準(destination)注意(deliberation)

 

そして二人は〈メアリーの店〉の真裏の小路に到着した。二人ともすでに杖を手にかまえ、背中をあわせている。セヴルスは〈幻解〉(ディスイリュージョンメント)防止の呪文の詠唱をはじめている。

 

路上にはだれもいない。

 

セヴルスに目をやると、彼はすでに杖を自分のあたまにあてていた。不可視化の呪文がセヴルスの口にのぼると同時に卵が割れるような音がして、 セヴルスはにじんで見える輪郭だけをのこし、背景とおなじ色になった。その輪郭も背景に完全にとけこんで、すっかり見えなくなった。

 

ミネルヴァは杖をおろし、自分にも〈幻解〉(ディスイリュージョンメント)をかけてもらうため、一歩まえに出た——

 

そこで背後から、炎が破裂するときの音が聞こえた。聞きまちがえようのないあの音だった。

 

ふりかえるとアルバスがいた。長い杖をすでに右手にかまえ、 半円形の眼鏡の奥の目を曇らせている。肩のうえのフォークスは火の色の羽をひろげ、いまにも飛びたちそうな姿勢だ。

 

「アルバス! なぜあなたが——」  ついさっきアルバスはアズカバンに向けて出発したところだったし、不死鳥でさえこれほど速くもどってはこれないはずだ。

 

そこでミネルヴァは気づいた。

 

「脱獄は成功した。おぬしの〈守護霊(パトローナス)〉はどうなった? 連絡はとれたか?」

 

動悸がはげしくなり、血管のなかで恐怖が凝集する。 「ここのトイレにいる、という返事でした——」

 

「そのことばが事実であることを願う。」と言ってアルバスは彼女のあたまを杖でたたいた。そこから水がしたたるような感覚がして、一息おいてから三人と一羽はレストランの正面に急行した(やはり透明にされたフォークスのあとには、ごくたまに火の粉がちらついた)。三人は扉のまえで一度とまり、アルバスがなにかをささやいた。すると窓のむこうで客の一人がぼーっとした顔で立ちあがり、扉をひらいて外を確認し連れがいないかたしかめるような動作をした。一行はその隙になかへはいり、どの客にも気づかれないまま(客の顔はセヴルスが照合し、不可視化している客がいればアルバスが見やぶっている)トイレの標識を目ざす——

 

トイレの印がついた古い木製の扉をいきおいよく開いて、救出隊の一行は内部へ突入した。

 

よごれのない小さな室内は無人だった。洗面台にまだあたらしい水滴がいくつかあるが、ハリーのすがたはない。かわりに便器のふたの上に紙が一枚、置かれていた。

 

ミネルヴァは息ができなくなった。

 

紙が空中を飛び、アルバスが受けとる。つぎの瞬間、それがミネルヴァのまえに渡されてきた。

 

Mへ——帽子がぼくを通じてあなたに伝えさせたメッセージの内容は?

 

——Hより

 

「あ……」とミネルヴァはおどろきをそのまま口にした。質問の意味が一瞬理解できなかった。もちろん忘れようのないことではあるが、思えば()()()()で思考するのは、ずいぶん久しぶりのことだった—— 「ひとの邪魔をするな、ずうずうしい小娘め、と。」

 

「なに?」となにもないところからアルバスの声がした。柄になくショックを受けたかのような声だった。

 

そして便器のとなりの空間にハリー・ポッターのあたまが出現した。冷たく緊迫した表情で、ミネルヴァはハリーがときどきこのように大人びすぎた顔をすることを思いだした。その目は周囲を急がしく確認している。

 

「いったいなにが起きたんです——」と少年が口火をきった。

 

アルバスは自分とミネルヴァとフォークスの目くらましを解き、すぐに前へ出て、左手でハリーのあたまから髪の毛を一本ちぎった(ハリーはびくりとして声をあげた)。ミネルヴァがそれを手で受けとり、アルバスは大半が見えないままの少年を両腕でさらい、赤色と黄金色の光が一閃した。

 

これでハリー・ポッターは安全だ。

 

ミネルヴァは数歩すすんで、アルバスとハリーがいた位置の壁に身をあずけ、気を落ちつかせようとした。

 

〈不死鳥の騎士団〉が解散してから十年。その間彼女はすっかり、ある種の……行動様式をとることがなくなっていた。

 

となりで、セヴルスがすがたをあらわした。 右手にはすでにローブからとりだされた小瓶があり、左手はミネルヴァにむけて『寄こせ』と言っている。 ハリーの髪の毛をわたすと、そのままそれが作りかけの〈変身薬(ポリジュース)〉の小瓶のなかへ落とされた。すぐにぶくぶくと音をたて泡がたち、やがて〈変身薬〉は完成した。セヴルスがこれを飲んで囮を演じることになっている。

 

「意外ですな……。どうせ〈時間〉をゆがめるのなら、なぜ総長は()()()()()()()()()ミスター・ポッターを保護しなかったのか。 そうできない理由はあるまい……そもそも、あなたの〈守護霊〉がミスター・ポッターの身の安全を確認していたのであれば……」

 

ミネルヴァはそこまで考えがおよんでいなかった。それとは別のことに気をとられ、あたまがいっぱいになってしまっていた。 ベラトリクス・ブラックのアズカバン脱獄のニュースとくらべれば、恐るるにたりないことではあるが——

 

「いつのまにハリーが()()()()()()()を持っていたのですか?」

 

〈薬学教授〉は答えず、かわりに身をちぢめた。

 

◆ ◆ ◆

 

カチッ、コチッ、ポタッ、ピッ、リンリンリン——

 

慣れれば無視できるようになったとはいえ、やはりこの騒音は気になる。 仮にミネルヴァ自身が総長になることがあれば、ぜんぶまとめて〈消音〉してやりたいものだ。 どの代の総長が最初に、()()()()装置を後任者にのこすという暴挙をはじめたのだろうか。

 

彼女はいま総長室にいる。〈転成術〉(トランスフィギュレイション)でしつらえた机と椅子を使って、この学校を崩壊させないための細ごまとした書類仕事をしている。 この手の仕事は没頭しやすく、ほかのことを考えずにすむのがありがたい。 一度アルバスから、ずいぶんと皮肉な調子で『ミネルヴァが逃避のためにこうして仕事するから、外部に危機があるときほどホグウォーツの運営の瑕疵が減る』言われたこともある……

 

……最後にそう言われたのは、十年まえのことだった。

 

訪問者を知らせる鐘の音がなった。

 

ミネルヴァは手にしていた羊皮紙を読みつづけた。

 

扉が大きな音をたててひらき、セヴルス・スネイプが乗りこんできた。三歩なかにはいると、いっさい間をおかずにたずねる。 「マッドアイからなにか連絡は?」

 

もう椅子から腰をあげていたアルバスが口をひらいた。その横でミネルヴァも羊皮紙をしまい、机の魔法を解いた。 「ムーディの〈守護霊〉はアズカバンにいるほうのわしに連絡してきている。 あの〈眼〉はなにも見ていない。そしてなにかが〈ヴァンスの眼〉で見えないのなら、それは存在しないということ。 そちらの進展は?」

 

「さいわい、血をねらってわたしを襲うような輩は……」と言ってセヴルスは笑みをしつつ顔をしかめた。 「〈防衛術教授〉だけでした。」

 

「え?」とミネルヴァ。

 

「こちらから声をかける間もなく、彼はわたしが偽物であると看破して、無理もないことだが即座に攻撃してきた。そして『ミスター・ポッターの居場所を明かせ』と迫った。」  セヴルスはもう一度顔をしかめた。 「……わたしはセヴルス・スネイプだと釈明しはしたのですが、なぜか向こうはあまり安心する気配がなく。 あの男は一シックルも渡されればよろこんでわたしを殺し、五クヌートの釣りを返すでしょう。 そこでやむをえずわたしは失神呪文を——だいぶ苦労してですが——当ててやりました。それが変に効きすぎてしまったらしい。無論『ハリー・ポッター』は動揺した様子でそこを出て、店主の助けを呼び、クィレル先生は聖マンゴ病院へと送られました——」

 

「聖マンゴ病院ですって?」

 

「——癒者の見立てでは、おそらく何週間もの過労がたたって、困憊した状態にあったせいで倒れたのだろうとのことです。 ああ、大切なあのかたのことがご心配ですか。わたしが失神させたおかげで、数日休みをとらせることができたのですから、結果的によかったかもしれません。 その後わたしは〈煙送(フルー)〉の申し出をお断りして、ダイアゴン小路にもどり、ぶらついてみましたが、今日のところはミスター・ポッターの血をねらう輩はいないようでした。」

 

「あそこの癒者であれば、なにも案ずることはない。ミネルヴァ、いまは喫緊の問題に集中しよう。」とアルバス。

 

集中しようにもかなりの努力を要したが、ミネルヴァはともかく席にもどった。セヴルスも手振りをして椅子をしつらえ、三人の会議がはじまった。

 

ミネルヴァは自分が〈変身薬〉を使ってまぎれこんだ偽物のように思えた。この二人とちがって、 彼女は戦争や謀略に秀でていない。 ウィーズリー兄弟のたくらみの先手を打つくらいがやっとであり、それすらうまくいかないこともあった。 なぜ自分がここにいるのかといえば、つきつめれば、あの予言を聞いた一員であるからにすぎない……

 

アルバスが話しだした。「われわれはただならぬ謎に直面している。あのような脱獄をやりのける能力のある人物は、わしには二人しか思いあたらぬ。」

 

ミネルヴァははっと息をのんだ。 「〈例の男〉()()()可能性もあるのですか?」

 

「それも想定せざるをえない。」

 

となりに目をやると、セヴルスも同様に困惑しているようだった。 〈闇の王〉がもどってきたのではないという可能性を考えたくないとでも言うのか。 むしろ手ばなしでよろこぶべきところではないか。

 

「では……第一の被疑者、ヴォルデモートが再来し復活しようとしている可能性を考えよう。 これまでにわしは読んだことを後悔する本をいくつも読んだ結果、ヴォルデモートにとっての復活の手だてを三つ、探りあてることができた。 もっとも効果的なのは〈賢者の石〉を使う方法じゃが、フラメルの考えではヴォルデモートでもこれを自作することはできない。 成功すれば以前以上に強大なちからを手にできるとあれば、ヴォルデモートはその存在を無視することはできまい。さらに明からさまな罠が挑戦状のように用意されたとあれば、なおさら誘惑は強くなるはずじゃ。 もうひとつの方法も、〈賢者の石〉に劣らぬ効力がある。それはすすんで差しだされた従者の人肉、力づくで奪った敵の血、ひそかに遺贈された先祖の骨を必要とする。ヴォルデモートほどの完璧主義者であれば——」  アルバスの視線を受けて、セヴルスが首肯した。 「——もっとも強力な組み合わせである、ベラトリクス・ブラックの肉、ハリー・ポッターの血、父親の骨を目指すであろう。 最後にもうひとつ、誘惑してとらえた犠牲者から長い期間をかけて生命力を吸いとるという方法がある。 この方法ではヴォルデモートは弱体化したかたちでしか復活できない。 ベラトリクスが連れ去られた理由はあきらかじゃ。 そしてもしそれが〈石〉が手にはらない場合のための予備の策にすぎないとすれば、まだハリーを誘拐しようとしていないことにも説明がつく。」

 

もう一度セヴルスを見ると、熱心に耳をかたむけながらも、おどろいてはいないようだった。

 

「そこまではよい。説明がつかないのは、()()()()()この脱獄がなしとげられたか。 死人形が一体、ベラトリクスの身がわりに残されていた。ここから、だれにも気づれずにあの脱獄をやりとげようという思惑が読みとれる。 その思惑は結果的に破綻したが、最初の発覚以後、どのディメンターにも彼女の居場所はわからなかった。 ヴォルデモートはどんな手段を使って、何百年も不落の要塞アズカバンを攻略したというのか。わしには想像がつかぬ。」

 

「そうこだわることもないのでは。」とセヴルスが無感動な声で言う。 「〈闇の王〉がわれわれの想像の範疇を越えることをしたとしても、ただわれわれより想像力にすぐれていたというだけのことでしょうから。」

 

アルバスは深刻な表情でうなづいた。 「残念ながら、ここにもう一人、さまざまな不可能をものともしない魔法使いがいる。 それは比較的最近にみずからが発明した強力な〈魔法(チャーム)〉を使って、ディメンターの目をくらませ、ベラトリクス・ブラックをかくまうこともできたであろう人物でもある。 そして別の理由での嫌疑さえある。」

 

ミネルヴァは心臓が止まる思いがした。なぜそうなるのかはともかくとして、アルバスの言うのがだれのことなのかがぴんときて、戦慄した——

 

「そんな人物がどこに?」とセヴルスが困惑した声で言った。

 

アルバスは椅子に背をあずけ、確定的なひとことを言った。彼女が恐れたとおりの答えだった。 「ハリー・ジェイムズ・ポッター゠エヴァンズ゠ヴェレス。」

 

「ポッター?」  セヴルスはいつものなめらかの調子と一転した、ショックを隠せない声で言う。 「またいつものご冗談ですか? あれはまだ一年生です。 ときどき癇癪をおこし、不可視のマントを使って子どもじみたいたずらをするくらいがせいぜいで、とてもとても——」

 

「冗談ではありません。」とミネルヴァはささやき声に近い声で言う。 「ハリーはすでに〈転成術〉に関する新発見をしました。 〈操作魔法術(チャームズ)〉の研究もしていたとは初耳でしたが。」

 

「ハリーは尋常な一年生ではない。」と総長が厳粛に言う。「〈闇の王〉にならぶ者としての印があり、〈闇の王〉の知らぬちからを持っている。」

 

セヴルスがミネルヴァに視線をむけた。セヴルスのことをよく知る彼女には、それが懇願の意味の視線であることが分かった。 「あれは真剣な話ですか。」

 

ミネルヴァは首肯した。

 

「その強力な魔法とやらの存在を知る者が、われわれ以外にもいるのですか。」とセヴルスが問いつめた。

 

総長は申し訳なさげにミネルヴァのほうをみた——

 

なにを言いたいのか、不思議と聞くまでもなく理解できた。理解できたので、ミネルヴァは全力でさけびだしたくなった。

 

「クィリナス・クィレルが知っておる。」

 

室内の装置の半数を溶かしかねないほどの声がでた。 「ミスター・ポッターがあのかたに、この新型呪文を使えば囚人を脱獄させることができる、と話したとでもいうのですか。どこにそんなことをする理由が——」

 

総長はしわだらけの手を、やはりしわだらけのひたいに乗せた。 「クィリナスはたまたまその場にいあわせた。当時はわしも、そのことに問題があろうとは思わなかった……。 ハリーはあの呪文は危険すぎると言って、クィリナスにもわしにも詳細を話そうとしなかった。 今日あらためて確認しておいたが、クィリナスにもまだ話していないそうじゃ。彼のまえで〈閉心術〉の障壁をといたこともないということも確認した——」

 

「いつからミスター・ポッターが〈閉心術〉を? あの子はあなたから不可視のマントを受けとったのみならず、〈真実薬〉に抵抗することもでき、()()()()()()()()()()()()()()()()。アルバス、これがこの学校にとってどれだけの脅威をもたらすことか、おわかりですか?」  ミネルヴァの声はもはや悲鳴になった。 「あの子が七年生になるまでに、この学校そのものがあとかたもなく消し炭と化していることでしょう!」

 

アルバスは大きなクッションつきの椅子に背をあずけ、笑顔でこたえた。 「〈逆転時計(タイムターナー)〉もお忘れなく。」

 

今度はほんとうに悲鳴をあげた。小声ではあるが。

 

セヴルスがあざ笑った。 「おまけに〈変身薬(ポリジュース)〉の調合も教えておきましょうか? あの迷惑者への援助をまだし足りなければですが。」

 

「それは来年のお楽しみとしよう。諸君、問題はベラトリクス・ブラックをアズカバンから連れだしたのがハリー・ポッターであるか否か。もしそうであれば、いくら寛容なわしでも、若気のいたりですますわけにはいかぬ。」

 

「僭越ながら……」と言ってセヴルスは(ミネルヴァの知るかぎりでは)アルバスのまえであまりしないたぐいの、とげのある笑みを見せた。 「私見を申し上げれば、否。 これは〈闇の王〉のしわざ以外のなにものでもありません。」

 

「であればなぜわしは……」とアルバスは笑いのかけらもない声に切りかえた。 「ダイアゴン小路に到着してすぐの時点でハリーを保護しようとしたとき、それがパラドクスの原因になると知らされたのか?」

 

それを聞いてミネルヴァは椅子に一段と深く沈みこみ、クッションのない肘掛けに左肘を乗せ、片手であたまを支え、目を閉じ、絶望的な気分になった。

 

狭い範囲内でしか知られていないが、『〈逆転時計〉が関係する犯罪を捜査する能力のある〈闇ばらい〉は三十人に一人しかいない』という格言があり、その後段には『数少ないその〈闇ばらい〉のうち半数は発狂していて、残り半数もいずれ発狂する』とある。

 

「つまりあなたの考えでは……」と言うセヴルスの声が聞こえる。 「ポッターはダイアゴン小路を出てアズカバンに移動し、時間をさかのぼってからダイアゴン小路にもどった。そのタイミングでわれわれが保護した、ということですか——」

 

「まさしく。ただしもちろん、ヴォルデモートかその手下がハリーを待ちかまえていて、到着を確認してからアズカバン襲撃を開始した……そして〈逆転時計〉を持つだれかに襲撃成功のメッセージをとどけさせるようにしておき、メッセージがとどいたのを見て誘拐をおこなった、という可能性もある。 いや、その可能性をうたがったからこそ、おぬしらをこちらに派遣して、わしはアズカバンに乗りこむ、ということにしたのじゃ。 脱獄が成功することはあるまいと見こんではいたが、ハリー・ポッターを保護できたということが脱獄失敗という情報を知ることに相当するのであれば、わし自身がハリー・ポッターと顔合わせしてからアズカバンに乗りこむことはできなくなる。アズカバンの未来がアズカバンの過去に接続することは禁じられているからじゃ。 アズカバンにいるあいだ、わしのもとにおぬしら二人からの報告もとどかず、フリトウィックを通じて連絡しようとしても答えがなかったことから、おぬしらがハリー・ポッターと接触したことがアズカバンの未来との接触を意味していたのであろうと察することができた。つまり、だれかが〈時間〉をさかのぼるメッセージを送っていたにちがいないと——」

 

アルバスの声が止まった。

 

「しかし、そういうあなたは、アズカバンの未来から帰ってきた。われわれと接触してもいる……」

 

セヴルスもそう言いかけて止まった。

 

「いや、もしおぬしらからハリーの無事を確認したという報告をうけていたとすれば、そもそもわしは時間をさかのぼろうと思わない——」

 

「失礼、これは図にしてみる必要がありそうです。」

 

「同感じゃ、セヴルス。」

 

羊皮紙が卓上にひろげられる音がして、羽ペンの引っかく音がして、議論する声がした。

 

そのあいだミネルヴァは椅子のなかで、手にあたまを乗せ、目を閉じていた。

 

とある犯罪者と〈逆転時計〉の話を思いだす。〈神秘部〉がひどい誤判断をして、認可してはいけない人物に〈逆転時計〉を持たせてしてしまったのだった。その謎の時間犯罪者を追跡するよう命じられた〈闇ばらい〉にも、〈逆転時計〉が持たせられた。最終的には両名とも、聖マンゴ病院の〈徹底的に不治の症例〉の病棟に送られた。

 

ミネルヴァは発狂したくないので、しっかりと目を閉じたまま、耳からはいる声も拒絶し、その話について考えないよう努力した。

 

しばらくすると議論が落ちついてきたようだったので、彼女は声をだした。 「ミスター・ポッターの〈逆転時計〉は午後九時から午前〇時までしか使えないように制限されています。保護ケースのその機能は改竄されていましたか?」

 

「わしの呪文で検知できるかぎり、そういうことはない。しかしあの保護ケースはまだ作られたばかりでもある。〈無言局〉が用意した予防措置を無効化したうえで無事に見せかけることも……不可能ではないかもしれぬ。」

 

目をあけると、セヴルスとアルバスが羊皮紙に熱心に見入っていた。一面に線がのたくっているあれを理解しようとすれば確実に自分は気が狂うだろうと思えた。

 

「なにか結論はおありですか? 結論にいたる筋道についてはどうか説明しないでください。」

 

二人はたがいを見合ってから、彼女のほうを見た。

 

「結論としては……」と総長が深刻そうに言う。 「ハリーが関与した可能性もあり、関与していない可能性もある。ヴォルデモートが〈逆転時計〉を利用した可能性もあり、利用しなかった可能性もある。 ただ、アズカバンの件の真相がなんであるかによらず、わしにとっての過去である未来でムーディがリトル・ハングルトン墓地を監視していたが、その期間、墓地をおとずれた者はなかった。」

 

「簡単に言えば……」とセヴルスがもったいを付けて言う。「なにも分かっていない、ということですよ。 とはいえ、なんらかのかたちで犯人がわが〈逆転時計〉を使った可能性は高い。 個人的には、ポッターが買収か罠か脅迫を受けた結果、時間をさかのぼってメッセージを送らされたのではないかと思う。もしかすると脱獄が成功したことそのものを知らせたのかもしれない。 その場合、裏で糸を引いたのがだれであるかは、言うまでもなくお分かりでしょう。 ポッターに今夜九時から六時間目いっぱいの時間逆行をさせ、午後三時にもどれるかどうか試してみてはいかがでしょう。そうすれば、彼の〈逆転時計〉がそれまでに使用されていたかどうかの検証になる。」

 

「いずれにせよその検証はしておいたほうがよさそうじゃ。では頼む、ミネルヴァ。そしてそのあとでハリーに、都合がつくときに総長室に来るようにと。」

 

「それでもまだ、ハリーが直接脱獄にかかわった可能性もうたがっていらっしゃるのですね?」

 

「うたがいはあるが、見こみ薄でしょうな。」

「うたがっておる。」

 

ミネルヴァは自分の鼻のすじをつまみ、一度深呼吸をした。 「アルバス、セヴルス……いったいなんの()()があってミスター・ポッターがそんなことをするというのです!」

 

「理由は分からぬ。しかしいまのところ、ハリーの魔法以外にあれを実現する手段はないように思える——」

 

「いや……」と言ってセヴルスが完全に表情をうしなった。 「ちょっとした心あたりが。まず確認せねば——」と言い、〈煙送(フルー)〉の粉をひとつまみし、暖炉のまえまで歩いていき——そこにアルバスがあわてて杖で火をつけ——緑色の炎が燃えあがったところに「スリザリン寮監室」と命じて、セヴルスは消えた。

 

ミネルヴァとアルバスはおたがいを見てから、肩をすくめた。それからアルバスは羊皮紙の図をながめはじめた。

 

わずか数分後、セヴルスが〈煙送(フルー)〉で帰ってきて、灰をはらいながら席にもどった。

 

「さて……」とまた感情のない顔でセヴルスが言う。「残念ながら、ミスター・ポッターには動機がありました。」

 

「つづけよ。」とアルバス。

 

「さきほどスリザリン談話室に行き、そこで勉強中のレサス・レストレンジを見つけました。 わたしと目をあわせるのにとくに抵抗はないようでした。 彼はアズカバンにいる自分の両親が冷気と暗黒のなかでディメンターに生命を吸われて、日々苦しみつづけているという事実を気に病んでいる。そしてそのことをミスター・ポッターに話したことがあるばかりか、アズカバンから二人を出してくれと懇願したこともある。 ミスター・レストレンジは〈死ななかった男の子〉ならなんでもできるという噂を聞いていて、そこまでの行動に出たのです。」

 

ミネルヴァとアルバスはおたがいをちらりと見た。

 

「セヴルス……いくらハリーでも……そこまで非常識ではないでしょう……」

 

ミネルヴァはそれ以上なにも言わなかった。

 

「ミスター・ポッターは自分が〈神〉だと思っている。その彼のまえでレサス・レストレンジは土下座をして、必死に祈りをささげた。」

 

そう言うセヴルスをじっと見て、ミネルヴァは不吉な予感をおぼえた。 宗教が原因となって、マグル生まれの子を持った親に〈記憶の魔法〉をかけざるをえなくなることは多い。その関係で以前マグルの宗教について調べたことがあったので、セヴルスの発言の意味がよく分かった。

 

「それはともかく、ミスター・レストレンジの精神のなかを見て、母親の脱獄についてなにか知っているかも調べましたが、 まだ脱獄したことすら知りませんでした。 しかしそうと知ればすぐに、ハリー・ポッターのしわざであると確信することでしょう。」

 

「なるほど……いい知らせをありがとう、セヴルス。」

 

「いい知らせですって?」

 

アルバスがこちらに顔をむけた。その顔がセヴルスとおなじくらい無表情になっているのを見て、雷に打たれたような気がした。そうだった。そういえばアルバス自身の—— 「ベラトリクスをアズカバンから連れだす理由としてそれ以上よいものは考えられん。 そしてこれがもしハリーのしわざでなければ、まちがいなくヴォルデモートの再来の第一手であろう、ということを忘れないようにしたい。 とはいえ、まだわれわれの知らない情報は多い。判断をするのは、いずれ来る情報を待ってからにしよう。」

 

アルバスがもう一度机のむこうで立ちあがり、燃えつづけている暖炉のまえに行き、緑色の粉をひとつまみして、炎のなかにかがみこんだ。「〈魔法法執行部〉長官室。」

 

すぐに、きっぱりとした口調のマダム・ボーンズの声が聞こえてきた。 「アルバス、なにかご用? この忙しいのに。」

 

「アメリア、伏してお願いする。この件に関しておぬしのもとにとどいた情報があれば、どうか開示していただきたい。」

 

しばらく間をおいてから、マダム・ボーンズの冷たい声が炎のなかから聞こえてきた。 「ということは、もちろん相互の開示なんでしょうね?」

 

「場合によっては。」

 

「またあなたが出しおしみするせいで部下が一人でも死んだら、しっかりと責任はとっていただきますから。」

 

「わかっておる。ただ、不要不急の警戒と疑念を起こさせることもあるまいと思ったまで——」

 

「あのね、ベラトリクス・ブラックがアズカバンを脱獄したというこの事態で、 いったいなにが不要不急の警戒と疑念になるんですかね?」

 

「今後の展開如何によっては、おぬしの言うとおりにもなろう。 もし真に懸念すべきことだと分かれば、しっかりと連絡する。 どうかいまは、この件についてすこしでも知りえたことがあれば、開示をお願いしたい。」

 

また間があいてから、マダム・ボーンズの声が言った。 「情報はある。けれどこれは四時間さきの未来から来ている。それでも聞きたい?」

 

アルバスはしばらく無言になり——

 

(比較衡量をしているのだろう、とミネルヴァは読みとった。問題は、現時点から二時間以上さかのぼりたくなる事情が発生しそうかどうか。〈逆転時計〉をいくつどのように組み合わせて使おうが、六時間を越える時間差で未来から過去へ情報が送られるような使いかたは不可能なのだ。)

 

——やっと返事をした。「聞かせていただきたい。」

 

「運よく突破口が見つかった。あの現場で脱出を目撃した部下の一人がマグル生まれだったの。 そしてわたしたちが〈火炎飛行〉の呪文と呼んでいたあれは、多分呪文ですらなく、マグル世界の製品だろうと証言した。」

 

腹を痛烈に殴られたような思いがした。からだの奥にあった不吉な予感も倍加した。 〈カオス軍団〉の戦法を思いだせば、だれが疑わしいかはもう言うまでもない……

 

マダム・ボーンズの声がつづける。 「応援としてマグル製品不正使用取締局のアーサー・ウィーズリーを呼んで——この分野で彼以上の専門家はいないので——現場にいた〈闇ばらい〉からあつめた証言を聞かせたところ、はっきりしました。あれは『ロッカー(rocker)』という名前のマグル製品で、頭のネジが飛んでる(off your rocker)人じゃないと使えないからそういう名前がついてるらしい 。 わずか六年まえには一度ロッカーが爆発して大事故になって、マグルが何百人も死んで、月が火事になりかけたりもした。ウィーズリーの説明では、ロッカーは反撃作用という特殊なマグル科学の原理で動いているそうだから、その種類の科学を抑制する呪文を開発して、できしだいアズカバン周辺にかける予定。」

 

「ありがとう、アメリア。」とアルバスが深刻な声で言う。「それ以外にはなにか?」

 

「六時間さきの未来からの新情報があるかもしれない。あったとしてもわたしへの報告はこないようにしてあるから、あなたに直接伝えさせるようにする。 それで、そちらから提供いただける情報は? 二人いるという候補のうち、どちらの確度があがった?」

 

「まだ言えることはない……が、遠からぬうちにまた連絡するかもしれん。」

 

そう言ってアルバスは暖炉から立ちあがり、暖炉の炎が黄色にもどった。 顔のしわに、この老人が生まれてからいままでに過ぎた天然ものの歳月にくわえ、〈逆転時計〉に可算された時間、そしてもう数十年ぶんに相当する負荷が見てとれた。

 

「セヴルス? あれは正確にはどういうことじゃ?」

 

ロケット(rocket)ですな。」  半純血の彼はマグル世界に属するスピナーズ・エンドで育ったので、この手の知識がある。 「精巧なマグル技術であることはまちがいない。」

 

「ハリーがそういった分野を学んでいる可能性はどれくらいありますか?」とミネルヴァ。

 

セヴルスは皮肉に笑った。 「ああ、ミスター・ポッターのような少年なら、ロケットについてはそれはもう隅から隅まで学習ずみでしょうな。 マグル世界にはわれわれのような風習はないのですから。」  そう言ってから眉をひそめる。 「しかしロケットとなると、危険性は無論、費用もかさむもの……」

 

「ハリーはグリンゴッツの自分の金庫からすでに大金を盗んで隠しもっている。金額はさだかではないが、おそらく数千ガリオンにのぼる。」とアルバスが割りこみ、二人の視線を受けとめた。 「そうなってしまったのはわしの手違いじゃ。ハリーがクリスマスプレゼントを買うために五ガリオンを引き出しに行くとき、迂闊(うかつ)にも〈防衛術教授〉を監督者としてしまった……」  肩をすくめる。 「分かっておる。いま考えればどうしようもない迂闊さじゃ。とにかく話をつづけよう。」

 

ミネルヴァは椅子の頭支えの部分にゆっくりと何度か頭を打ちつけた。

 

「一点申し上げるとすれば……」とセヴルスが言う。「このまえの戦争で〈死食い人〉がマグル技術を使わなかったからと言って、あの男がその方面に無知だとはかぎりません。 グリンデルヴァルトの戦争のうちマグルがわの部分ではロケットが使われました。ブリテンにも兵器として落とされたことがあります。 あなたの話では、彼はあの時代にマグルの孤児院で過ごした時期があるという……。ならばロケットのことはもちろん知っていたはずです。 模擬戦でミスター・ポッターがマグル製品を使ったという話も、聞きおよんでいたかもしれません。そうなれば当然敵の戦術を取りいれて、倍にして利用しようともするでしょう。 あれはそういう男です。使えそうな能力はなんであれ自分のものにしようとする。」

 

それを聞いているあいだ、老魔法使いは立ったまま微動だにせず、ひげの一本一本すらも凍りついて固まったかのようだった。 そしてミネルヴァは考えたこともないほど恐ろしい可能性に思いあたった。アルバス・ダンブルドアはいま、恐怖で立ちすくしているのではないか。

 

「セヴルス……」と声にならない声でアルバス・ダンブルドアが言う。「いま自分がなにを言ったか分かっているか? ハリー・ポッターとヴォルデモートがつぎの戦争でたがいにマグル兵器を持ちだせば、全世界が火に飲みこまれてしまう!」

 

「え?」とミネルヴァは口にした。もちろん銃がどういうものかは聞いているが、あれは熟練した魔女にとって危険たりえるものではない——

 

セヴルスはミネルヴァを無視するように話をつづけた。 「であれば、おそらくあちらもまったく同じように考えて、ハリー・ポッターへの警告としてこういうことをしているのでしょう。 『そちらがマグル兵器を使うなら、こちらもマグル兵器で報復する』と。 これからマグル技術(テクノロジー)を模擬戦で使ってはならない、とミスター・ポッターに命じてください。 そうしておけば、こちらがメッセージを理解したという意思表示にもなり……あちらにこれ以上アイデアをあたえてしまうこともなくなる。」  眉をひそめる。 「よく考えると、ミスター・マルフォイにも——ああ、無論ミス・グレンジャーにも——いや、いっそ、テクノロジーを全面的に禁ずるべきでしょうな。」

 

老魔法使いは両手をひたいに押しあてた。とぎれがちな声で話しだす。 「今回の脱獄がハリーのしわざであることを祈りたくなってきた……。マーリンよ、どうかご加護を。わしはなんということをしてしまったのか。世界はどうなってしまうのか……?」

 

セヴルスは肩をすくめた。 「管見のかぎりで申しあげれば、ある種の()()な魔術もなかなか始末が悪いかと……。たしかにマグル兵器はそれ以上に凶悪ですが、そう大きな差ではないでしょう——」

 

「それ以上に凶悪?」と言ってミネルヴァは息をのみ、それからだれかに口を閉じさせられたかのように閉じた。

 

「この衰亡の時代の魔術とくらべれば、そうなるのじゃ。かつてアトランティスを〈時間〉から消滅させた魔術とくらべているのではない。」

 

ミネルヴァはアルバスをじっと見ながら、背すじに汗がふきだすのを感じた。

 

セヴルスがまたアルバスにむけて、話をつづける。 「あのころの〈死食い人〉も、ベラトリクスを別とすれば、そう盲目的にしたがっていたのではない。もしもあの男が真に危険な能力を無思慮にふるまったとしたら、支持者も離反し、世界じゅうの勢力が彼を打倒すべく結集したことでしょう。今回も同じことではありませんか?」

 

老魔法使いの顔にいくらか色と動きがもどった。 「そうかもしれぬ……」

 

「ともかく……」と言ってセヴルスは少しだけ優越感のある笑みをした。 「マグル兵器はそう軽がるしく入手できるものではない。費用も何千ガリオンや何百万ガリオンどころではありません。」

 

でもハリーはそういうものをいくつも〈転成術〉で作って模擬戦で使っていたじゃありませんか、とミネルヴァは思ったが、それを口にしようとした瞬間に——

 

暖炉に緑色の炎が燃えあがり、マダム・ボーンズの助手パイアス・シックネスの顔が出現した。 「主席魔法官(チーフウォーロック)、よろしいですか? ある情報をお届けにあがりました。これは——」  シックネスの目がミネルヴァとセヴルスをちらりと見る。 「六分まえに送信されたものです。」

 

「六時間さき、ということかな。」とアルバスが言う。「こちらの二人もその情報に接する立ち場にある。つづけなさい。」

 

「謎がとけました。ベラトリクス・ブラックの監房の隅に隠されていた薬の小瓶がありましたが、なかの残留物を試験したところ、〈動物師(アニメイガス)〉の(ポーション)であることが分かりました。」

 

長く間があいた。

 

「そういうことか……」とアルバスが陰鬱な声で言った。

 

「どういうことですか?」とミネルヴァ。

 

シックネスのあたまがミネルヴァのほうを向いた。 「マダム・マクゴナガル、ディメンターはアニメイガス形態にある術師にあまり興味を示さないのです。 囚人がアニメイガスである場合にそなえて、アズカバンの収監前検査があります。そこで囚人はかならずアニメイガス形態を破壊されます。 しかし囚人がアズカバンに()()()()()()()()、〈守護霊の魔法〉に守られ、ポーションを飲み、瞑想をして、アニメイガスになれるかもしれない、というのは想定外でした——」

 

「わたしの理解では、その術の瞑想の部分にはかなりの時間を要するはずだが。」とセヴルスがお決まりの嘲笑の表情をまとってから言った。

 

「ベラトリクス・ブラックは元〈動物師(アニメイガス)〉だったことが記録上わかっていましてね。」とシックネスも不しつけな態度をとった。「アズカバンの刑を宣告された際に、破壊措置を受けています。 つまりこれは()()()の瞑想であったということになり、二度目であれば、短縮できていてもおかしくないかと。」

 

「アズカバンの囚人にそのようなことができようとは思いもしなかったが……」とアルバスが言う。 「ベラトリクス・ブラックは収監まえには大変有能な魔女じゃった。それをやりのけることができる人間がいるとすれば、彼女かもしれん。 アズカバンにこの脱走方法への対抗措置を組みこむことはできるのか?」

 

「できます。専門家の見解では、どれだけ過去に経験を積んでいようとも、三時間未満の時間でアニメイガスの瞑想を完了する可能性は皆無です。 今後は外部からの面会時間の上限は二時間までとし、監房区域で〈守護霊の魔法〉が二時間以上おこなわれた場合にはディメンターがわれわれに報告するようにします。」

 

アルバスは不満があるような顔だったが、うなづいた。 「なるほど。無論同一の手段がまた使われることはないと思うが、油断は大敵じゃ。 この報告がアメリアにいった時点で、こちらから提供したい情報があると伝えておいてほしい。」

 

パイアス・シックネスの頭部は返事を口にしないうちに消えた。

 

「また使われることはない、というのは……?」とミネルヴァ。

 

「それは……」とセヴルスがまだ嘲笑を多少のこした表情で言う。 「〈闇の王〉がアズカバンにいるほかの手下も解放する気でいたのなら、あのように小瓶を置いてヒントをのこすようなことはしないからですよ。」  そう言って眉をひそめる。 「とはいえ……ではなんのためにその小瓶をのこしたのか、となると、分かりかねますが。」

 

「なんらかのメッセージではあろうが……わしにもとんと見当がつかぬ……」 と言ってアルバスは机を指でたたいた。

 

たっぷり二、三分かけて、アルバスは虚空を見つめたまま、眉をひそめた。セヴルスも無言で動かない。

 

そしてアルバスは落胆したようにくびをふった。 「セヴルス、なにか読みとれたことは?」

 

「ありません。」と言ってセヴルスは皮肉な笑みをした。 「多分それでかえってよかったのでしょう。われわれがどういう解釈をするように仕向けられていたにせよ、その部分についてはあちらが計画していたようには働かなかった、ということです。」

 

「確実に〈例の〉……いえヴォルデモートの犯行だと思っていいのでしょうか。」とミネルヴァが言う。 「ほかの〈死食い人〉がこの巧妙な策略を思いついたという可能性は?」

 

「そしてロケットのことも知っていたと? マグル学に熱心な〈死食い人〉というのは寡聞にして知りませんな。これはあの男ですよ。」

 

「同じく。ヴォルデモートにちがいない。 長年脱獄者を防いできたアズカバンが、単純なアニメイガス薬でやぶられた。 巧妙で盲点をつくトリック。これはトム・リドルの名であったころからヴォルデモートのトレードマークじゃ。 それをほかのだれかが騙ろうとしても、まずヴォルデモートに匹敵するくらい狡猾になる必要がある。 そしてなにより、わしの能力を過大評価して、わしでも読みとれないようなメッセージをうっかり置きのこしてしまうなど、ヴォルデモート以外にはありえぬ。」

 

「いや、過大評価ではなく、まさにあなたならこう考えるであろうと見越してのことだったのかもしれませんな。」

 

アルバスはためいきをついた。 「なるほど。しかしそれだけわしがみごとに罠にかけられてしまったのだとしても、ハリー・ポッターが犯人でないという点だけは、信憑性がでてきたと思う。」

 

そう聞いて安堵すべきところだったような気がするが、ミネルヴァは寒けが体内に広がっていくのを感じた。背すじから血管へ、そして肺や骨にまで。

 

これと同じような発言がかわされたことがかつてあった。

 

十年まえにも、これと同じような発言がかわされたことがあった。この国土におびただしい量の血が流され、教え子たちも何百人と殺されたあの時代を思いだす。帰るべき家を燃やされ、悲鳴をあげる子どもたち、そして飛びかう緑色の閃光——

 

「マダム・ボーンズにはなんと伝えるのですか。」とミネルヴァは小声で言った。

 

アルバスは立ちあがって机から離れ、部屋の中央にむかい、そこに立ちならぶ光の装置や音の装置に軽く手をふれていった。 そして片手で眼鏡の位置をなおし、片手で長い銀色のひげをつかんでローブの中心にくるようにしてから、やっと二人のほうに向きなおった。

 

「ホークラックスと呼ばれる、魂から死をうばいとるための〈闇の魔術〉がある。その魔術についてわしの知るかぎりのことを伝えておく。」と部屋全体にひびきわたる小声でアルバス・ダンブルドアが言う。 「従僕の人肉を使う術が使われたとすれば、なにが起きうるかも伝えておく。」

 

「〈不死鳥の騎士団〉を再建するということも伝えておく。」

 

「ヴォルデモートが再来したということ、そして。」

 

「〈第二次魔法世界大戦〉がはじまったということも。」

 

◆ ◆ ◆

 

その数時間後……

 

副総長室の壁には骨董品のような時計がかけてある。文字盤には黄金色の針と銀色の数字があり、 音もなく秒や分を刻んでいる(この時計には〈音消しの魔法〉が組みこまれている)。

 

時間を指す黄金色の針が銀色の『九』の数字に近づき、黄金色の分の針もそのあとを追う。もう間もなくこの〈時間〉の両要素は、衝突することなく重なりあう。

 

午後八時四十三分。もうしばらくしてハリーの〈逆転時計〉がひらく時間になれば、その使用歴を検証する手はずとなっている。いかに高度な技術技能、魔法をもってしても、一日の長さが七時間ひきのばされることはありえない。その〈時間〉の法則がねじまげられないかぎり、この検証方法があざむかれることもありえない。 時間がくれば彼女は送るべきメッセージをその場で考えだし、ハリーにそのメッセージを託して六時間過去へと行かせ、午後三時のフリトウィック教授にメッセージを伝えさせる。それから彼女はフリトウィック教授に、その時間にメッセージが来ていたかどうかをたずねる。

 

フリトウィック教授の答えは『たしかにその時間にそのメッセージが来ていた』になる。

 

それから彼女は、ハリーのことをもうすこし信用してやってもいいのではないか、とセヴルスとアルバスに言ってやることができる。

 

そこまで考えてから、マクゴナガル教授は〈守護霊の魔法〉をかけ、光かがやくネコにこう言った。 「ミスター・ポッターへ以下の伝言を。ミスター・ポッター、これを聞いたらすぐに、わたしの居室に来なさい。来る途中でほかのことはなにひとつしてはなりません。」

 

◆ ◆ ◆

 

原作品の著者:J. K. Rowling

ファンフィクションの著者:Eliezer Yudkowsky

 


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