65章「伝染性のうそ」
ふとらないためのこつは、よく注意してものを食べること、そして食べている自分をよく意識することだという。そうすればちゃんと満腹感がでるからだ。という話を、ハーマイオニー・グレンジャーは聞いたことがある。 今朝は自分でパンをトーストして、そこにバターをのせ、バターにシナモンをのせた。これくらいすれば、自分が口にするものが何なのか、ちゃんと意識できていていいはず……
しかしシナモンのこともバターのことも食べている自分のことも意識にのぼらせないまま、もうひとくちトーストをのみこんでからハーマイオニーは言った。 「もう一回説明してみてくれる? まだぜんぜん意味がわからないんだけど。」
「そんなむずかしいことじゃないよ、〈光の陣営〉のスリザリンになったつもりで考えれば。」 そう言うハリー・ポッターと彼女は、当の二人をのぞいた学校じゅうのみんなが関知するかぎりでは運命の恋人同士ということになっているらしい。ハリー・ポッターはぼんやりとした様子でスプーンを手に、シリアルをかきまぜるばかりで、見たところまだほとんど口にしていない。 「この世のなかには、ひとつの善につき、対立するなにかがかならず存在する。不死鳥もしかり。」
ハーマイオニーはまた無意識にバター・シナモンつきトーストをひとくち食べてから言った。 「フォークスが肩にとまったっていうことは、フォークスに善人だって認められたってこと。そう思わないほうがおかしいでしょう? フォークスが〈闇の魔術師〉の肩にとまるわけなんてないんだから!」
フォークスはハーマイオニーのほおにも触れた。けれど、そのことをあらためてだれかに言ったことはなかった。そういうのはよくない——
ただ、ハリー・ポッターが邪悪になってハーマイオニー・グレンジャーがそのあとを追っている、という噂を止めるくらいの効果は、あってほしかった。
実際にはなかった。
なぜこうなるのか、ぜんぜん納得がいかない。
ハリーはシリアルをもうひとくち食べ、こちらを見ず、遠い目をした。 「たとえてみるなら、こんな感じかな。 ある日、仮病で学校を休んだ。診断書をだせと教師が言うものだから、偽造した。 こんどは電話して確認するから番号を教えろと言われた。困って友だちの番号を教えた。電話がきたら、医者のふりをしてくれということにして——」
「は?
ハリーはシリアルの皿から顔をあげて、笑みを見せた。「ぼくがやったとは言ってないよ……」 そう言ってから、急にまたシリアルに目をおとした。 「いまのはただのたとえさ。 要は、うそはひとりでに拡大していく、っていうこと。 うそがバレないようにと思うと、別のうそをつかなきゃいけなくなる。最初のうその真相につながるすべてをごまかす必要がある。 そうやって
「それがフォークスとどう関係するの?」
ハリーはスプーンを皿から離し、〈主テーブル〉のほうに向ける。 「総長は不死鳥を連れているよね? ウィゼンガモート主席魔法官でもあるよね? 総長には政治的に対立している敵がいる。たとえばルシウス。 ああいう人たちはダンブルドアとちがって不死鳥を連れていない、だからダンブルドアにはひれ伏すしかない……みたいなことにはならないでしょ? フォークスがいることはダンブルドアが善人である証拠だ、っていうことすら認めないに決まってるよね? そういう人たちは、
「でも——……わかった。たしかに、フォークスのことをどうでもいいと思う人が増えれば、ルシウス・マルフォイにとっては都合がいい。でも、悪者以外の人たちはなぜそう信じるの?」
ハリー・ポッターは軽く肩をすくめた。 スプーンをまたシリアルの皿にいれて、そのままかきまわしはじめた。 「ある種の冷笑主義がはびこる理由とおなじだろうね。 そうすることが、洗練された大人のあかしのように思えるから。自分はなんでもよく知っている、という態度ができるから。 なにかを低く見せることで、自分を高く見せられると思っているのかもしれない。 自分には不死鳥がいないから、不死鳥をほめてもなにもいいことはない、と政治的本能で感じるのかもしれない。 冷笑的になることで、ふつうの人が知らない隠れた真実を知っているように思えるのかもしれない……」 ハリー・ポッターは〈主テーブル〉のほうを見てから、聞きとれるかどうかの小声になった。 「
無意識のうちにハーマイオニーも〈主テーブル〉のほうに目をやったが、防衛術教授の席は空席だった。月曜日も火曜日もそうだった。 それに、今日のクィレル先生の授業は休講だという副総長からの知らせもあった。
ハリーはそれからトリークルタルトを何切れか食べて、席をたった。ハーマイオニーは近くにいたアンソニーとパドマのほうを見た。もちろんアンソニーとパドマが近くにいたのはたまたまであり、盗み聞きしに来ていたのではない、ということにしておく。
アンソニーとパドマは視線をかえしてきた。
パドマがおずおずと口をひらいた。 「あのさ、ここ数日のハリー・ポッターの話って、一段と
「気のせいじゃないと思うよ。」とアンソニー。
ハーマイオニーも返事こそしなかったが、実は心配をつのらせていた。 不死鳥の一件があったあの日、ハリー・ポッターになにかが起きて、彼は変わった。 どこか、甘さがなくなった。 ときどき暗い決意の表情をして、窓の外のなにもない場所を見つめていることもあった。 月曜日の〈薬草学〉の授業でファイアーフラワーが暴走して火球が飛んできたとき、スプラウト先生が〈炎を凍らせる魔法〉をかけるのを待たずに、ハリーはそこに飛びこんで火球の軌道からテリーを押しのけた。 そして起きあがると、なにごともなかったかのように席にもどった。 やはりおなじ月曜日、めずらしく
どこかハリーは……
……彼女から離れようとしているような気がする……
「急に年をとったみたいな感じだね。」とアンソニーが言う。 「大人になったとまではいかない……っていうかあのハリーが大人になるなんて想像できないけど、何か、いつのまにか
「とにかく……」と言いながら、パドマはチョコレート味のスコーンに念入りにスコーン味の粉をまぶした。 「〈ドラゴン〉と〈
「そうだな。」とアンソニーが言う。「じゃあ、ミス・パティル。 〈ドラゴン〉軍司令官に面会の打診を——」
「待って!」とハーマイオニーは言う。「そんなはずないでしょう。両軍あわせてやっとポッター司令官に勝てるかどうかなんて変。それに、これからはマグル技術も禁止されるんだから。 どの軍も兵力は二十四人ずつ、対等の勝負よ。」
パドマとアンソニーは返事をしなかった。
コンコン、とノックの音がした。
「どうぞ、ミスター・ポッター。」
ドアが音をたててひらき、ハリー・ポッターがすっと彼女の居室へとはいってくる。片手でドアをしめ、無言のまま、彼女の机の目のまえにあるクッションつきの椅子に腰をおろす。 彼女が〈転成術〉で用意した椅子だ。こういう機会はこれまでに何度となくあったので、いまでは意識して杖のふりかたや詠唱を調整せずとも、自然と自分の気分を反映したものができる。 今回は、座ったハリーが抱きしめられたように見えるほどに、クッションの深い椅子ができた。
ハリーは気づいていない。今日の彼からは静かな決意が感じられる。その目はしっかりと彼女を見すえて、微動だにしない。「お呼びでしたか?」
「はい。……いいニュースがふたつあります。ひとつめは——この学校の門番、ミスター・ルビウス・ハグリッドにはもう会いましたか? あなたのご両親の、古くからの友人です。」
ハリーはためらってから返事した。 「入学してすぐに、すこしだけ話しました。 たしか最初の週の火曜日だったと思います。 でも、両親と知りあいだったとは聞きませんでした。 てっきり〈死ななかった男の子〉とひとこと話したかっただけなのかと……。なにか裏の目的があって近づいてきたんだったとか? そういうタイプには見えませんでしたが……」
「ああ……」と言って彼女はあたまのなかで考えをまとめた。 「話すと長くなるのですが、ミスター・ハグリッドは五十年まえに、この学校の生徒を殺害したとして濡れ衣を着せられました。 その結果、杖を折られ、退学処分となりました。 のちにダンブルドア先生が総長に着任すると、ミスター・ハグリッドはこの学校の森番兼門番としてやとわれました。」
ハリーが目を光らせる。 「たしか、最後に生徒がホグウォーツで死んだのも五十年まえという話でしたね。そして〈組わけ帽子〉の秘密のメッセージを聞いた人がでたのも五十年まえだったと。」
ミネルヴァは寒けを感じた——総長やセヴルスでも、こうもはやくその関係に気づくことはできなかったのではないだろうか——。 「そのとおり。だれかが〈秘儀の部屋〉の封印をといていたのです。当時そう信じる人はなく、その結果おきた殺人の嫌疑がミスター・ハグリッドにかけられました。ですが、そこに〈組わけ帽子〉に追加でかけられた魔法が関与していたことを、このたび総長が確認しました。そしてそのことを特別委員会に報告し、 結果としてミスター・ハグリッドの刑は——ついこの午前の委員会で——取り消され、新しい杖をもつ許可がでました。」 彼女はそこでためらった。 「この話はまだ……当人には聞かせていません。 確定してから伝えるつもりでした。これは彼の悲願でしたから、ぬかよろこびさせることがあってはなりませんので。 ミスター・ポッター……あなたのおかげでこれが実現したのだということも、教えてかまいませんか……?」
ハリーは逡巡しているように見えた——
「赤んぼうのあなたをミスター・ハグリッドが抱いていたのを覚えています。この話を聞けば大よろこびすることでしょう。」
ハリーの表情は別の方向に変化した。ルビウスに利用価値はない、と判断したように見えた。
ハリーはくびをふった。 「ただでさえ、今年の一年生のなかに〈ヘビ語つかい〉がいるという事実をだれかが推理してしまっているかもしれない。あらゆる面で秘密をまもるにこしたことはないでしょう。」
ミネルヴァはジェイムズとリリーのことを思いだす。二人はがさつな大男ルビウスとの親交を一度でも断ち切ろうとはしなかった。裕福な一族の跡取りであるジェイムズと、チャームズの名手として将来を嘱望されたリリー。その二人が、杖を折られた半巨人にすぎないルビウスと損得をこえたつきあいをしていた……
「彼に親切にしても、見返りが期待できないと思っているのですね?」
口にだすつもりはなかったのに、そう言ってしまい、部屋がしんとなった。
ハリーは一瞬さびしげな表情をした。 「そうかもしれません。……でも、あの人とぼくはあまり相性がよくないんじゃないかと。そう思いませんか?」
ミネルヴァはのどに声をつまらせた。
「利用するといえば……ぼくはいずれ〈闇の王〉との戦争をすることになるんでしたね。 せっかくですからお願いしておきたいんですが、ぼくの睡眠周期を三十時間にしてもらえませんか。 ネヴィル・ロングボトムが決闘術の訓練をはじめたいと言っていて、ハッフルパフの上級生が教師役を買ってでたそうです。そこにぼくも参加していいと言われました。 ほかにもいろいろ身につけておきたいことはあります——強い魔法使いになるためにやっておくべきこととして、あなたや総長からもなにか具体的に提案があれば、うかがいますよ。 ですので、そのために必要なポーションかなにかをぼくに処置するよう、マダム・ポンフリーに指示しておいてください——」
「ミスター・ポッター!」
ハリーは彼女の目をのぞきこんだ。 「なにか? あなたが乗り気でなかったことは知っていますよ。でも総長がぼくを利用しようと言うなら、ぼくは生きのびたい。 その邪魔はしないでもらいたいですね。」
ミネルヴァは意思がくじけそうになった。 「ハリー……」とやっと聞きとれるほどの声で言う。 「あなたのような年齢の子どもにそう考えさせてしまうこと自体、あってはならないことです。」
「そう、あってはならないことです。 ですが不本意にでも大人にならざるをえない状況の子どもたちはたくさんいます。ぼくだけがそうなんじゃない。そういう子どもたちにぼくと立ち場を交換する方法があったとしたら、五秒も考えずに飛びつくと思いますよ。 ほかにずっと悲惨な境遇の人がいると知っていながら、自分をあわれむようにはなりたくないですね。」
ミネルヴァは深く息をついてから言う。 「一日を三十時間にするということは、つまり——はやく年をとるということです——」
「そしてぼくは五年生あたりで、生物学的にはハーマイオニーとおなじ年齢になる。 ……そこまで悪いことだとは思いませんね。」 ハリーは皮肉な笑みをした。 「実際、〈闇の王〉が
二人はしばらく無言になった。
「いいでしょう。」とミネルヴァは言ったが、かなりの小声になったので、言いなおした。 「いいでしょう、ミスター・ポッター。その頼みは総長に伝えておきます。総長の許可があれば、それでけっこうです。」
ハリーは一度、怪訝そうに目をほそめた。 「わかりました。その際は総長にゴドリック・グリフィンドールの遺言を思いだすようにと言っておいてください。『この自分にとって正しい選択肢だったなら、ほかのだれにも、どれほど幼い生徒にも、まちがったほうの選択肢をえらべと言うことはできない。』」
それを聞いて、アルバスが一連の動きを中止してくれるかもしれないという彼女のわずかな希望が〈消滅〉した。 アルバスも彼女に向けて同じことばを引用したことがある。キャメロン・エドウォードの年齢では早すぎると言って反対したときも、そう言われた。ピーター・ペヴェンジーの年齢では早すぎると言って反対したときも、そう言われた。最後には彼女は反対することをあきらめた。 「ミスター・ポッター、それはだれから聞いたのですか?」 アルバスでも——アルバスなら、そんなことを生徒のまえで口にしはしないはず——
「最近、いろいろ本を読みあさっていたので。」と言って、ハリーは包みこむ椅子から立ちあがろうとしたが、途中で止まった。 「もうひとつのいいニュースというのは何だったか、聞かせてもらえませんか?」
「あ……ああ——クィレル先生の意識がもどりました。もう面会しても——」
ホグウォーツの医務室は開放感のある場所だ。位置としてはすっぽりと城のなかにあるはずなのに、四方からあかるい日の光がはいってきている。 白いベッドが延々とならんでいるが、いまは三つしか使われていない。 上級生の男子が一人と女子が一人、それぞれ両端のベッドにおかれている。どちらも目をとじている。多分意識のないまま魔法の拘束をかけられ、治癒用の呪文かポーションで体内のなにかをいじられているのだろう。 三人目のベッドのまわりはカーテンがかけられている。多分親切でそうしているのだろう。 マダム・ポンフリーは強引にハリーの背を押し、のぞくなと命じた。自分が〈死ななかった男の子〉であることを知らない人もいるのだ、とハリーは思いだす必要があった——でなければ、マダム・ポンフリーという人物は、病院内の絶対権力者としての自己イメージかなにかに、とことんこだわるたちなのか。
ベッドのならびのむこうに、扉が五つあった。そのさきにあるのはどれも個室で、数時間ではなく数日の入院が必要なものの聖マンゴへ転院するほどではない患者が収容される。
中央の扉をとおると、そこは窓も日の光もない部屋だった。石壁に置かれた煙のないたいまつ一つが唯一の照明だった。 ホグウォーツの教授は城に変化してくれと頼めるのだろうか、とハリーは思った。それとも、光を好まない患者のためにこういった部屋が医務室にもともと用意されていたのだろうか。
部屋の真ん中に、壁とおなじ灰色の大理石から切りだされたような小テーブル二つにはさまれて、白い病院用ベッドがあった。たいまつの火でわずかにオレンジ色がかって見えるそのベッドに、 白いシーツを太ももまでかけ、病院用ガウンを着たクィレル先生がいた。ベッドのヘッドボードからわずかに身を起こしていた。
医務室のベッドにいるクィレル先生を見ると、目に見えるけがなどはないのに、どこか不穏な感じを受けてしまう。 クィレル先生がわざとセヴルスに負けたふりをして、アズカバンでの消耗から回復する口実をつくったのだということは分かっているのに。 ハリー自身は実際に病院のベッドで死んだ人を見たことはない。けれど映画では何度も見た。 それは人はいつか死ぬということを思いださせる。けれどクィレル先生は死ぬような人ではないとも思う。
ここにはいったとき、マダム・ポンフリーはきつくハリーをいましめた。病人に長話をしないように、と。
ハリーは理解をしめす返事をした。あくまで『理解』であり、命令にしたがうかどうかではない。
老癒者マダム・ポンフリーはこんどはクィレル先生にも、けっして無理はしないように、興奮も避けるように、という話をしはじめ……
……途中で言いやめて、せきたてられるように向きをかえ、部屋から去った。
ハリーは彼女が出ていったあとの扉をしめ、「いい技ですね。そのうちぼくも勉強したいです。」
クィレル先生は心底空虚な笑みをしてから、話しだした。いつも以上にずっと乾いた声だった。 「おほめのことば、ありがとう。」
その淡い水色の目をじっと見ていると、先生はいままでより……
……老いて見えた。
どのみちわずかな変化であり、ハリーの気のせいかもしれない。照明が暗いせいかもしれない。 ただ、ひたいの上の髪の毛がすこし後退しているように見えた。もともと後頭部から頭皮が見えるくらいだったのがさらに薄くなり、色も灰色に近づいているような気がした。 顔のはりも、多少うしなわれたような気がした。
淡い水色の眼光のするどさはそのままだった。
「見たところ無事なようで、ほっとしました。」とハリーは静かに言った。
「もちろん、外見は人をあざむくこともある。」と言ってから、クィレル先生は指をはじいた。つぎの瞬間には杖がその手のなかにあった。 「彼女はわたしからこれを没収できたと思っている、と言ったら、きみは信じるかね?」
それからクィレル先生は六種の詠唱をした。〈メアリーの店〉で機密性の高い会話をするに使った三十種の呪文のうちの六種だ。
ハリーは両眉をあげ、無言で問いかけた。
「いまはこれが精いっぱいだ。今回はこのくらいで十分ではないかと思う。 だが、格言にもあるように、 だれにも聞かれたくないことは、口にしないにかぎる。 きみもそのことをよく意識して行動してもらいたい。 きみはわたしに面会しようとしていたそうだが?」
「はい。」と言って、ハリーは考えをまとめた。 「総長かほかのだれかから聞きましたか? 今後ぼくとクィレル先生が外食に行くことは禁じられると。」
「そのような意味のことは聞いた。」とクィレル先生は言い、表情をかえずにつづける。 「もちろん、わたしとしても大変残念だ。」
「実はそれどころじゃないんです。 ぼくは無期限の謹慎が命じられて、校外に出てはならないことになりました。 特別な事情があって出るときも、かならず護衛がつく。 夏休みに自宅に帰ることもできない。というより、二度と帰れないかもしれない。 用件というのはそのことについての……相談です。」
会話がとまった。
クィレル先生は軽くためいきをするように息をはいてから言った。 「ひとつ好材料はある。以前から分かっていたことだが、マクゴナガル副総長はわたしのことを密告しようとするやからがいれば、殺しかねないくらいの思いいれようだ。 ミスター・ポッター、今日は長話は避けたいし、要点にしぼって話したい。それでよいかね?」
ハリーがうなづくと——
たいまつ一本だけから来る光は、スペクトル上で赤色のがわに偏っているので、ヘビの皮膚の緑色の表面で弱くしか反射しない。青と白の縞模様の部分はなおさらだ。 この光のもとでは、ヘビ全体が黒みがかって見えている。 対照的に、以前は灰色の穴のように見えていた目は、灯明を反射して、あかるく見える。
「続ケヨウ。何ヲ 言オウト シテイタ?」とヘビが言った。
ハリーも〈ヘビ語〉で返事する。 「学校長ハ、女ヲ 連レ出シタ 犯人ガ、女ノ 古イ 主君 ダッタト 考エテイル。」
今回はなんとか話すまえに慎重に考えることができたので、クィレル先生には総長がそう信じているという部分を言うにとどめることができた。予言が存在し、そのためにヴォルデモートがハリーの両親をねらったということも、総長が〈不死鳥の騎士団〉を再建しようとしていることも、言わずにおけた……。それでも、リスクはのこる。かなりのリスクではあるが、それでも一定の協力者を確保する必要はある。
「アノ男ガ 生キテイルト 学校長ガ 信ジテイル?」 ヘビはしばらくしてからそう言い、 二又の舌を左右に高速にゆらした。皮肉げな笑いのヘビ版だ。 「不思議ト 意外ニハ 感ジナイ。」
「アナタハ オモシロガレバ イイ。 ボクハ 安全ノ タメト 言ッテ、 六年 ほぐうぉーつニ 閉ジコメラレル! ボクハ 権力ヲ 目指ス コトニ シタ。閉ジコメハ 障害ニ ナル。 闇ノ 王ハ マダ 目覚メテイナイト 学校長ヲ 納得サセル 必要ガ アル。脱走ハ 別ノ 勢力ノ 仕業ダッタト——」
ヘビはまた高速に舌をゆらした。さきほどより一段と大きく、乾いた笑いだった。 「素人ノ 浅ハカサ。」
「ハイ?」
「取リ消ソウト スルコト。フリダシニ 戻ソウト スルコト。ソレガ 間違イダ。 砂時計ノ 道具デモ 過去ハ ヤリナオセナイ。 未来ニ 進メ。 ダレモ 自分自身ノ 間違イヲ 認メヨウトハ シナイ。ソウサセヨウトスルノガ 間違イダ。ソレヨリ、正シカッタト 認メサセル ホウガ ズット 簡単ダ。 考エロ。ドンナ 新展開ガ アレバ、学校長ニ オマエノ 身ノ 安全ヲ 確信サセラレルカ。同時ニ 自分ノ 目標達成ニ 寄与デキルカ。」
ハリーは答えに窮し、ヘビをじっと見つめる。 そしてどうすればこの謎かけが解けるか、考える——
「自明デハ ナイカ?」 ヘビはまた皮肉げな笑いを示す舌の動きをした。 「自由ノ 身ニ ナリ、 ぶりてんノ 支配者ト ナリタケレバ、オマエガ モウ一度 闇ノ 王ヲ 倒ス 姿ヲ 見セル ホカナイ。」
ゆらめく橙赤色の灯明をうけて、緑色のヘビは白い病院ベッドの上でからだをくねらせた。その目に燃える火を、少年はじっと見ている。
ハリーはやっと口をひらいた。「マズ……提案ヲ ヨク 確認シタイ。 ワレワレガ 闇ノ 王ノ 偽者ヲ 用意スルノカ。」
「ホボ ソノ通リ。 救イ出シタ 女ニ 協力サセル。女ガ 隣ニ イレバ 説得力ガ アル。」 また皮肉の舌の動き。 「オマエハ ほぐうぉーつカラ 誘拐サレ、広イ 場所ニ 行ク。目撃者ハ 多数。守ル 役人ハ 結界デ 締メ出ス。 闇ノ 王ハ 魂トシテ 放浪シタ 果テニ ツイニ 肉体ヲ 取リ戻シタト 宣言スル。カツテナカッタホドノ チカラヲ 手ニ入レタト言イ、オマエデモ 太刀打チ デキマイ ト言ウ。 決闘ヲ シヨウト 言イ出ス。 オマエハ 守護ノ 呪文ヲ 使ウ。闇ノ 王ハ 笑ウ。自分ハ 命食イ デハナイ ト言ウ。死ノ 呪イヲ オマエニ カケル。オマエハ 止メル。皆ノ 目ノ前デ、闇ノ 王ガ 爆発スル——」
「死ノ 呪イヲ? ボクニ? マタ? 一度目ガ 通ジナカッタノニ? 闇ノ 王ガ ソコマデ 愚カダトハ、ダレ一人 信ジナイ——」
「オマエト ワタシヲ ノゾケバ、コノ 国ノ 人間 ダレ一人 気ヅカナイ。保証スル。」
「アトデ イツカ 三度目ガ アッタラ?」
ヘビは思案げにゆれた。 「望ムナラ、別ノ 筋書キモ 用意デキル。 イズレニシロ、闇ノ 王ハ イツカ マタ 復活スル カモシレナイ トイウ 筋書キ ニスル——国民ヲ オマエニ 依存サセ、オマエノ 守護ガ 必要ダト 信ジサセル。」
ハリーはヘビの赤色の目をじっと見た。
「返事ハ?」とからだをゆらしながらヘビがたずねた。
考えるまでもなく、懸念がうまれた。クィレル先生の言うとおりの計画と謀略に、
ただ、いっぽうで、直近の経験からの教訓は何だったかも考えねばならない。クィレル先生がなにか提案したら即座に『ノー』と言え、ということでいいのか。それよりも……
「コレカラ 考エル。マダ 返事ハ シナイ。ソノ前ニ りすくト べねふぃっとヲ ヨク 調ベル——」とハリーは言った。
「了解シタ。タダシ、忘レルナ。他ノ デキゴトハ オマエヲ 待タズニ 展開スル。躊躇ハ イツモ 安易デ、タイテイ 役立タズ。」とヘビが言った。
少年は個室から医務室にでて、ぼさぼさの髪の毛をかきむしりながら、患者のいる白ベッドといない白ベッドの列を通りすぎていった。
そしてまもなく、マダム・ポンフリーに向かってうわのそらのままうなづいて、医務室自体を去った。
廊下を抜けて、もっと大きな廊下を抜けて、立ちどまって壁によりかかった。
たしかに……
……たしかに正直、六年間ホグウォーツに閉じこめられたくはない。それに、よく考えると……
……〈ベラトリクス・ブラック救出事件〉の結果として、代償を負ったのはハリーだけではない。〈闇の王〉の再来を恐れる人たちが、警戒を強化するためにどれほど多くの資源をついやすことか。 そういう人たちに、〈闇の王〉の三度目の襲来はないと信じられるような筋書きを書かせてもいいかもしれない。そうやって二度目が終われば、みなが安心して暮らせるようになる。
ただしもちろん、恐れるべき〈闇の王〉が実在するのであれば話は別だ。予言の存在は無視できない。
ハリーは壁にもたれ、そっと息をつき、また歩きだした。
クィレル先生と別れる直前になって、日曜日の夜に『サンタクロース』を称するだれかからもらったトランプのことをハリーは思いだし、見てもらうことができた。ハートのキングがアメリカのセイラム魔女学院ゆきのポートキーになっているというトランプだ。 もちろん差し出し人がだれだったか話さなかったし、どういう効果があることになっているのかも話さなかった。ただ、このポートキーはどこにつながっているか調べられるか、とだけたずねた。
クィレル先生はそこで人間にもどり、ハートのキングに何度か杖を軽くあてて調べた。
その結果……
……使い手をロンドンのどこかに送るポートキーだということは分かったという。ただし、それ以上細かい位置は不明だった。
ハリーはそのトランプについてきた手紙も見せた。それ以前の手紙については、なにも言わずに。
クィレル先生は一目それを見て、乾いた笑い声をだしてから言った。
こういった機微に気づける能力も大事だから、将来強い魔法使いになりたいなら……いやすこしでも将来があってほしいなら、この方面でも努力するように、とクィレル先生は言った。
少年はもう一度ためいきをついて、とぼとぼと授業へ向かった。
そして、ほかの魔法学校もみんなこうなのだろうか、それともホグウォーツが特別に変なのだろうか、と思いはじめた。
原作品の著者:J. K. Rowling
ファンフィクションの著者:Eliezer Yudkowsky