その光はハーマイオニー・グレンジャーの視界の端ぎりぎりの位置で光ったように見えた。廊下と廊下の交差点の、光沢ある金属製の彫像に反射して、黄金色の光が一閃。赤色の光が一閃。炎のようななにかが映る。それが見えたかと思うと、消えた。
ハーマイオニーは立ちどまり、困惑し、そのまま去りかけた。ただ、一瞬見えたその光には、どこか見おぼえがあるような気がした——
それで、彫像のある場所まで歩いていき、それに反射して見えた炎があるはずの方向を見た。
かすかな声がした。どこか遠くから、鳴き声が聞こえたような気がした。いや、呼び声が。
ハーマイオニーは走りだした。
そうしてしばらく走った。交差点にくると足をとめ、大きく息をすって、精いっぱい呼吸をととのえる。すると視界のどこかに炎が反射するのが見えたり、遠くから呼び声が聞こえたりする。 模擬戦のための鍛錬をしていなければ、こんな走りかたは長つづきせず、倒れこんでしまっていただろう。
しかし
そして四叉路にたどりついた。しかし、しばらく待ってもなんのしるしもあらわれない。鳴き声も聞こえず、炎も見えず、いやな予感がした。すべては自分の妄想だったのではないか。そう思ったところで、
ハーマイオニーは急いでその
〈
手にした杖をひねり、「ソムニウム!」と声をだすと、一番大柄な男子が倒れた。同時にどしんと音をたてて、ハッフルパフ生が床に落ちる。もう二人のいじめっこが杖をかまえだしているが、ハーマイオニーは先を制して「ソムニウム!」と言い、また一人をしとめた——相手二人のうち、杖さばきがはやかったほうを。
残念ながら、〈睡眠の呪文〉を二連射するのは彼女にとっても荷が重く、三発目が撃てないうちに——
最後の一人が「プロテゴ!」と叫び、青くゆらめく光の壁ができた。
二十四時間まえの自分であれば、パニックになってしまっただろう。相手は本格的な〈防壁魔法〉で安全を確保して、自由にこちらを攻撃することができる立ち場にある。
けれど
「ステューピファイ!」と相手が叫ぶ。
赤色の巨大な雷撃が自分にむかって飛んでくる。ハリーが撃ったどの呪文よりも強い光を発している。
ハーマイオニーはすこしだけ左に身をかたむけ、雷撃をかわした。照準はハリーよりもはるかに甘かった。 そういえば、いじめっことクィレル先生の模擬戦の参加者には共通点がなさそうだ、とハーマイオニーは思った。
「ステューピファイ!」といじめっこがまた叫ぶ。「エクスペリアームス! ステューピファイ!」
とにかく、ハーマイオニーはいまならもう、ハリーとネヴィルを相手に使っておくべきだった呪文をいろいろと考えついている——
「ジェリファイ!」と相手がとなえた。この呪文の効果は広い領域におよび、目に見えないのでよけようがない。ハーマイオニーは急に足がぐらつき、立っていられなくなった。 そこで怒号とともに、いっそう大きな赤光がはなたれる。「ステューピファイ!」
ハーマイオニーはわざと倒れることで、それをかわした。もう十分回復していたので、つぎの呪文を撃つことができる——
「グリセオ」と床にむけてハーマイオニーは言った。
「うおっ」と敵が足をすべらせ、なんと
『プロテゴ』の光が消えた。
「ソムニウム。」
そう言ってから、ハーマイオニーは呼吸がみだれたままの状態で、床を這い、ハッフルパフ生が座っている場所までたどりついた。その男子はまっさかさまに床に墜落していたので、あたまが当たった部分をさすり、うめいていた。 これがマグルでなくてよかった、とハーマイオニーは気づいた。すっかり忘れていたが、マグルなら頚椎を折っていてもおかしくない。
「うう……」とその男子が声をだした。髪の色は女子なら『ブルネット』と呼ばれるような濃茶色だ。目はよくある種類の茶色で、なぜかハッフルパフらしい色のように思える。涙は流していないが、あまり顔色はよくない。年齢は四年生、あるいは三年生といったところ。
その男子は急に茶色の目を見ひらいて、ハーマイオニーを凝視した。 「きみは……〈
「よく……(ハア)、知ってるわね。」 もしつぎにハリー・ポッターの恋人候補がどうとか言いだしたら、このハッフルパフ生の命はない。
「いまのは——あんな——いや、クリスマスまえの試合はスクリーンで見てたし、知ってはいたけど——すごい! あんなことができるんだ!」
……。
あんなことができるんだ……と、自分でもそう思う。……のはいいが、あれだけ走ったせいか、急にすこしくらりと来た。 「あの……(ハア)、できたら、この〈
ハッフルパフ生はうなづき、手をついて立ちあがり、ローブから杖をとりだす。ただ、杖の動かしかたが不正確だったので、ハーマイオニーが教えてやっと解除呪文が成功した。
ハーマイオニーが足をもとどおりにできたところで、ハッフルパフ生が声をかけた。 「ぼくはマイケル・ホプキンス。よろしく。」と言って手をさしだす。 「ハッフルパフでは『マイク』って呼ばれてる。今年はハッフルパフじゅうで『マイク』が一人しかいないんだよ。信じられる?」
握手が終わるとマイクが言った。 「とにかく、どうもありがとう!」
なんの予告もなく、高揚感が一挙に押しよせた。だれかを危険から救うことができたという快感。こんな快感をハーマイオニーはこれまで感じたことがなかった。
いじめっこ三人のほうに目をやる。
みなとても体格がいい。年齢は十五歳くらいだろうか。と思ったところで、クィレル先生の課外活動に参加している生徒と、これまで毎年ありえないほど劣悪な教師ばかりに教わりつづけていた生徒とのあいだに、いかに大きな差が生じているかに気づいた。 当てたいものに命中させる技術もそのひとつ。 戦闘の最中にも冷静さをたもち、友軍が倒れたなら〈
息をまだ切らしつつ、彼女はまたマイクのほうを向いた。
「つい五分まえまでわたしが……(ハア)、ヒーローになる方法が分からなくて悩んでた、って言ったら……(ハア)、信じられる?」
ヒーローはだれかの
ハーマイオニーは、意識をうしなって倒れた三人のほうを見なおして、はたと気づいた。自分は目撃された。この三人にも自分は顔を知られていたかもしれない。そのうち、あとをつけられ、背後から襲われることがあるかもしれない——ひどいけがをさせられるかもしれない——
いや。
ハリー・ポッターは、授業すら受けないうちに……杖のつかいかたも知らないうちに、五人のスリザリン生に立ちむかったじゃないか。
人間は大人の世界にほうりこまれてはじめて成長する。けれどほとんどの人は恐怖にとりかこまれたまま、一歩を踏みだすことができずに一生を終える。総長はそう言っていたではないか。
『あなたはまだ十二歳なのですよ』と言うマクゴナガル先生を思いだす……。
ハーマイオニーは、一、二、三、とゆっくり息をした。
医務室に行ったほうがいいか、とマイクに聞いてみると、その必要はない、という返事があった。念のため、相手のスリザリン生たちの名前も聞きだしておいた。
ハーマイオニー・グレンジャーはそれから、昏倒したいじめっこたちをあとにし、しっかりと笑顔をまとって歩いていった。
いずれ自分が大けがをすることもあるだろう。 けれどそれが怖いあまりに、正しくあることをやめていては、ヒーローにはなれない。それだけのことだ。 もしいまこの瞬間〈組わけ帽子〉をハーマイオニーのあたまに乗せたとすれば、答えは間髪おかずに『グリフィンドール!』になるにちがいない。
ハーマイオニーは夕食のために大広間に来たときも、まだそのことを考えていた。だれかを救ったという高揚感がいまだにのこっていて、自分のあたまがどこか変になってしまったのではないかと思った。
レイヴンクローのテーブルにたどりつくと、急にあちこちで小さなざわめきが生まれた。あのハッフルパフ生がなにか言ったのだろうか……と思ったところで、多分そっちの話ではない、と気づいた。
ハリー・ポッターのむかいの席につく。ハリーはやたら不安げな表情だが、多分彼女がずっと笑顔だからだろう。
「あの……」と言うハリーをよそに、ハーマイオニーはトーストしたてのパンと、バターと、シナモンをとり、くだものと野菜はいっさい無視して、チョコレートブラウニーを三つとった。ハリーはまだ「その……」と言うだけ。
ハリーのことはそのままほっておいてグレープフルーツジュースを自分のグラスにいれてから、ハーマイオニーは言った。 「問題です、ミスター・ポッター。人が自分らしくなれないのはなぜでしょう?」
「
ハーマイオニーは顔をあげた。 「今日あったことはぜんぶ、いったん忘れて。昨日ならどう答えたかを言ってみて。」
「うーん……」と言ってハリーはとても困った顔をした。 「人はみんな最初から自分らしいと思うけど……ぼくだって、だれか別の人の不完全なコピーだったりはしない。 でもその問題の意図を配慮してみるなら、人間は周囲の環境からバカバカしいものをいろいろ吸いこんでは吐きだしてしまうから、かな。 たとえば、いまクィディッチをやってる人でも、まっさらな状態からルールを自分で作らせたとして、自然とクィディッチみたいなものにいきついていた人がどれくらいいると思う? あるいは、マグル世界のこの国にいる
その答えを受けて、ハーマイオニーは考えてみた。 ハリーならスリザリン的な答えをするのではないか、と思っていた。グリフィンドール的な答えも想定の範囲だ。けれどこの答えは、総長が言ったどの類型にもあてはまらないように聞こえる。 そう思うと、この問題についての考えかたを分類するなら、四種類ではぜんぜんたりないような気がしてきた。
「ふうん。じゃあ、つぎの問題。ヒーローになれるのはどんな人でしょう?」
「
「そう。」
「うーん……」と言ってハリーはナイフとフォークを神経質に上下させ、ステーキをどんどん細かく切りさいていった。 「適切なお膳立てさえあれば、たいていの人はいろいろなことができると思う……まわりからそう期待されてたりとか、すでに必要な能力がすべて身についてたりとか、当局の監視があって失敗したりサボったりしたらバレるようになってたりとかで。 でもそういうやりかたで解ける問題は、きっともう解く見通しがつけられている。そういう分野では……ヒーローは必要ない。 だから『ヒーロー』と呼ばれるような人は稀にしかいないんだと思う。ヒーローはすべてを自分で用意しながら進まなきゃならなくて、たいていの人はそういうのをやりたがらないからね。……なんでこんな話を?」 ハリーは細かく切りきざまれたステーキ三切れをフォークで刺し、口にもっていった。
「ちょっとさっき、スリザリンの上級生が三人いじめをしてたから、失神呪文で倒して、いじめられてたハッフルパフ生を一人救ってきたの。わたしはヒーローになろうと思う。」
ハリーはひとしきり食べものをのどにつかえさせてから(周囲では別の何人かがまだ咳きこんでいたが)、言った。 「
ハーマイオニーは一連のできごとの話をした。話している途中にも、その内容は周囲のざわめきに乗って伝播していった。(ただし不死鳥の部分は個人的なことのような気がしたので、秘密にしておいた。 あとになってみると、
話が終わったとき、ハリーはテーブルをはさんでこちらをじっと見ていたが、なにも言わなかった。
「さっきは取りみだしてしまってごめんなさい。」 ハーマイオニーはグラスのグレープフルーツジュースをひとくち飲んだ。 「思いだすべきだったわ。〈
「どうか気を悪くしないでほしいんだけど。」と言ってハリーはやけにかたく、大人じみた表情をした。 「まちがいなくそれが自分のやりたいことだって言える? ありていに言って……ぼくのまねじゃなく?」
「言えますとも。だいたい、わたしの名前自体、『m』が余計なだけでほとんど『
「ヒーローは楽しいことばかりじゃないよ。 ほんものの、大人がやるヒーローは、いつもそんなにうまく行くとはかぎらない。」
「でしょうね。」
「これはつらくきびしい道だし、満足いく答えがないときにも決断をしなければならなかったりする——」
「分かってる。わたしもそういう本は読んでる。」
「いや、分かってないね。いくら本で知っていても、実際にそういう状況になってみるまでは——」
「だからといって、あなたはやめない。そのためにヒーローであることをやめる可能性すら考えたこともないでしょう。 なのにどうしてわたしがやめると思うの?」
……。
ハリーは急に満面の笑みになった。すこしまえの大人じみた深刻そうな表情を埋め合わせするかのように、子どもらしい明るい笑みだった。それで二人の関係はもとどおりになった。
「ものすごくひどい目にあったりするよ。」とハリーは満面の笑みのまま言う。 「それでもいいんだね?」
「もちろん。」と言ってハーマイオニーはまたひとくちトーストを食べた。 「それで思いだしたけど、ダンブルドアがわたしの謎の老魔法使いになってくれないって言うから、かわりを探したいんだけど、申請してみるとしたらどこだと思う?」
余波:
「……そしてフリトウィック先生の話では、ミス・グレンジャーの決意はゆるぎそうにないとのことです。」とミネルヴァは声をこわばらせ、一連の事態をまねいた張本人である銀色のひげをした老魔法使いアルバス・ダンブルドアに報告する。アルバスは無言でそれを聞き、悲しげに遠くを見る目をしている。 「……フリトウィック先生はグリフィンドールへの転籍という処置をちらつかせましたが、ミス・グレンジャーは意に介さず、それなら本をぜんぶ持って出ていく、と言いはなったそうです。 つまり、ハーマイオニー・グレンジャーはかならず
その気づきを、ミネルヴァの脳はたっぷり五秒かけて処理した。
「……アルバス!」
「さよう。おなじような人種を三十人も相手にしてくれば、自然とこういった機微が身についてしまうもの。
「アルバス……」とミネルヴァは一段と声をこわばらせる。 「もしあの子の身になにかあったら、今回という今回は——」
「遅かれ早かれミス・グレンジャーはこの道にたどりついていた。」 アルバスは悲しげに遠くを見る目をしたまま、話しつづける。 「英雄になることを運命づけられた者は、われわれのどんな警告も意に介さない。 こうなった以上、ミス・グレンジャーがある程度までハリーに追いつけるのであれば、ハリーにとっても都合がいい。」 アルバスはどこからともなく金属缶をとりだした。ひらいた缶のなかには、黄色の粒がいくつもあった。ミネルヴァは、これがふだんどこに隠されているのか、分かったためしがなかった。魔法の痕跡を感知することもできなかった。 「……レモン飴はいかがかな?」
「あの子はまだ十二歳なのですよ!」
余波の余波:
太陽はすでに沈みかけ、窓のむこうの水に差しこむ光も弱まっている。暗い水のなかを進む魚たちのすがたが、かろうじて見える。 窓に近づいてくる魚はスリザリン談話室のあかるい照明に照らされ、遠ざかる魚は闇のなかに消えていく。
ダフネ・グリーングラスは快適な黒革のソファにすわり、両手に顔をうずめていた。そのからだのはしばしに白い燐光がちらつき、全体として黄金色の後光のようになっている。
ネヴィル・ロングボトムを好きになったことについて、からかわれるのは覚悟していた。 ハッフルパフ生について意地悪な批評を聞かされることも覚悟していた。 そのための痛烈な反論なら、スリザリン地下洞へ帰る道すがら、たっぷりと準備していた。
というより、ネヴィルを好きになったことについてだったら、からかわれるのは望むところだった。 そういうからかわれかたをするのは、女の子として成長したあかしだから。
ところが、ネヴィルに〈元老貴族の決闘〉をもうしこんだことの意味を言いあてられた人は、だれひとりいなかった。 あれが愛の告白を意味するということはダフネにとっては
命中する呪文はいつも意外なところから飛んでくる。
思えばあのとき、『〈カオス〉のネヴィル』にならって『〈
『〈
そこから『〈
だれかがさらに、〈大雪山と愉快な森の動物たち〉を追加した。
結果的にたどりついた称号が『元老貴族スパークリープー家のキラキラ☆ユニコーンプリンセス』。
それから悪質な六年生女子のだれかが〈キラキラの
もう夕食時間も過ぎたのに、効果が切れる気配がない。もし明朝までこのままだったら、ダームストラングに転校して次代の〈闇の女王〉になるしかない。
「はい注目!」と言ってカロウ姉妹の二人がおおげさに『デイリー・プロフェット』をひらつかせる。 「大ニュースだよ? ウィゼンガモートのあたらしい判決で、『さあ覚悟しなさい』は法的に有効な決闘の申しこみだと決まって、申しこんだ人が横になって一眠りするまで決闘をやめてはならないことになったんだって!」
「キラキラ☆ユニコーンプリンセスさまに向かって無礼は許さぬぞ!
ダフネは一段とちからをこめて、光る両手でキラキラの頭部をかかえた。 「うちの一族が政権をとったら、あんたたちみんな〈
ドンドン、ドドドン、ドン。
ダフネははっとして顔をあげた。いまのは〈
「
「
そこから出てきた人物に全員が虚を突かれた。
「ミス・グリーングラスと話があって、来たんですが。」と〈太陽〉軍司令官が言う。毅然とした言いかたをしようとしているようだ。 「だれか彼女を部屋から——」
そこでハーマイオニーの表情が変化した。やっとダフネがここにいてキラキラしていることに気づいたようだ。
ちょうどそのタイミングでミリセント・ブルストロードが下層階の寝室からかけあがってきて、大声で言った。 「ニュース、ニュース。デリック一味の残党が、こんどは
ミリセントも、ハーマイオニーがドアのまえに立っていることに気づいた。
雄弁な沈黙が流れた。
「えっと……」と言いつつ、ダフネは『なにこれ?』と言いたい気持ちでいっぱいだった。 「えっと。司令官、なにかご用?」
「あのね……」とハーマイオニー・グレンジャーが不思議な笑顔をして言う。 「世のなかに、謎の老魔法使いに助けてもらえて
ふたたび沈黙。
「ちょっといま立てこんでて……その話はあとにしてもらえないかしら——」
「あたしやる!」とトレイシー・デイヴィスがソファから飛び起きて言った。
かくして〈
原作品の著者:J. K. Rowling
ファンフィクションの著者:Eliezer Yudkowsky