ミネルヴァは副総長の任についてすでに三十年。
「……スーザン・ボーンズ、ラヴェンダー・ブラウン、ダフネ・グリーングラス。以上がメンバーです。 ミス・グレンジャーは、あなたのいかにも突き放すような言いかたについても証言したらしく——彼女は『おともになれるだけでもありがたいと思いなさい』という風に言いかえたようですね——それが上級生女子からもかなりの
老魔法使いは大きな椅子の背にもたれた。半月眼鏡の奥からの視線はまだミネルヴァにむけられてはいるが、かなりうわのそらでもあった。
「そう言われ、わたしは答えに窮しました。」 ミネルヴァ・マクゴナガルは中立的な表情をたもつよう注意した。 「実際には、あなたは本心では彼女を止めようとしていなかった。むしろその逆だったわけですが、 秘密をまもるために、わたしはそういった事情をまったく関知していないかのようにふるまわなければなりません。これはあなたやセヴルスからも、よく忠告されたとおりです。 したがってわたしは、ミス・グレンジャーの証言は正確だと認めるほかありませんでした。……それなりに懸念をもち、多少は不快に感じているようによそおった言いかたで。 なにせ、あなたがミス・グレンジャーをわざとそそのかすつもりだったということを
「それは……そうか。」 老魔法使いはやはりうわのそらで、両手を銀色のひげにのせ、さっとなでた。
「さいわい、いまのところシニストラ先生とヴェクター先生のほかに、ミス・グレンジャーのボタンを着用している教授陣はいません。」
「ボタン、というと?」
ミネルヴァは『
するとハーマイオニー・グレンジャー、パドマ・パティル、パーヴァティ・パディル、ラヴェンダー・ブラウン、スーザン・ボーンズ、ハンナ・アボット、ダフネ・グリーングラス、トレイシー・デイヴィスの八名が唱和する声が聞こえてきた。 『二番手じゃものたりない、魔女にも冒険を!』
「ミス・グレンジャーはこれを二シックルの対価で販売しています。すでに五十枚売れたそうです。 ハッフルパフ七年生のニンファドーラ・トンクスが協力して、この声の細工を用意しているようです。 しめくくりとしてもう一点……この新人
「ミネルヴァ、分かっているとは思うが、そのような要求は——」とアルバスは眉をひそめた。
「ええ、水曜日の午後七時であれば問題ない、と伝えておきました。」と言ってミネルヴァはボタンを回収し、にっこりと笑みをして見せ、その場を辞した。
「ミネルヴァ?」と背後から声が聞こえる。「……
ミネルヴァが部屋を出ると、オーク材の扉はかたく閉じた。
総長室まえには控えの間として、石壁にかこまれた小庭があるが、その広さはかぎられていて、抗議行動を見物しようとする多数の観客全員を収容することはできなかった。 ここにいるのは、例のボタンをつけたシニストラ先生とヴェクター先生、やはりボタンをつけた監督生ペネロピ・クリアウォーター、ローズ・ブラウン、ジャクリーン・プリース。そのうしろに、ボタンをつけていないマクゴナガル先生とスプラウト先生とフリトウィック先生が目付役として立っている。 ハリー・ポッターと首席男子にくわえ、男子の監督生パーシー・ウィーズリーとオリヴァー・ビートソンも〈連帯〉の意味でボタンを着用している。 そしてもちろん、〈
そしてクィレル先生が、ずっと奥のほうで石壁に背をあずけている。読み取りにくい表情の目をして、立ちならぶ面々をながめている。 クィレル先生にはボタンを売っていないはずだが、それでもクィレル先生はボタンを確保していた。 ただし着用はせず、暇そうな顔で片手で投げては受けとめている。
四日まえには、抗議行動というアイデアはもっとずっと魅力的に感じられた。当時は燃えあがったばかりの熱く鮮度のよい怒りとともに、『いま』ではなく四日『あと』に実行するという責任だけを感じていればよかった。
しかしこの期におよんで折れるわけにはいかない。ヒーローなら踏みとどまるものだし、それ以上に、いまさらやめたとみんなに言うことはあまりに耐えがたい。 もしかすると歴史上のヒロイズムの例にも、そういう理由でおこなわれたものがかなりあるのではないだろうか。『ヒーローはそれでもあきらめませんでした。あきらめるほうがいかに理にかなっていようとも、あきらめるのは恥ずかしかったからです』という説明はあまり本では見かけない。けれどそう思ってしまえば、歴史上のいろいろなできごとに説明がつくような気がする。
午後七時十五分。マクゴナガル先生に指定されたこの時刻に、ダンブルドア総長がここにおりてきて、数分間対話することになっている。怖がる必要はない、とマクゴナガル先生は言う——総長も根はいい人であり、この抗議行動にも正式な許可がもらえているのだから、と。
しかし、いかに正式な許可があろうともこれは〈権威への反抗〉である。ハーマイオニーはそのことを非常によく自覚している。
ヒーローになると決めた時点で、ハーマイオニーは当然すべき行動をとった。ホグウォーツ図書館に行き、ヒーローになるための方法が書かれた本を集めたのである。 ところがどの本もそのまま書棚にもどすことになった。どれひとつ、著者自身が実際にヒーローであった形跡がなかったのだ。 そこでハーマイオニーは、ゴドリック・グリフィンドールが書いた長さ三十インチの自伝と助言の書をすみからすみまで五回読み、一字一句を暗記することにした。(ただしラテン語はまだ読めないので、英語訳で。) ゴドリック・グリフィンドールの自伝はハーマイオニーがふだん読むような本よりもずっと
それでも読みとおすと、〈権威への反抗〉自体はヒーローになる目的とはなりえないが、権威に反抗できないような臆病者はヒーローになれない、ということがはっきりした。 ハーマイオニー・グレンジャーは、自分が周囲の人からどういう性格だと思われているかをすでによく知っている。自分がどういうことを性格上やりそうにないと思われているかもよく知っている。
ハーマイオニーはプラカードをすこし高くかかげ、過呼吸で倒れたりしないよう、ゆっくりとテンポよく呼吸することを意識した。
「えっ……?」とミス・プリースが好奇心を隠せない様子で声をあげた。「投票権もなかったんですか?」
「そうですよ。」とシニストラ先生。(〈天文学〉教授シニストラ先生の髪はまだ黒ぐろとしていて、暗色の肌にもほとんどしわがない。ハーマイオニーの目には、七十歳くらいにしか見えないが——) 「〈女性資格法〉が発表されたとき、母は大変よろこんだものです。母自身は条件を満たさなかったのですが。」 (つまりシニストラ先生は一九一八年時点でマグル家族のもとを離れていなかったということになる。) 「でもそんなことはまだ序の口です。なにせ、もう数百年もさかのぼれば——」
もう三十秒話がすすんだ時点で、男女を問わず、マグル生まれでない生徒たち全員が愕然とした表情でシニストラ先生を見つめた。 ハンナはプラカードを落とした。
「これでもまだまだ、序の口なんですけどね。」と言ってシニストラ先生は話し終えた。 「でもこれだけ知れば、あとはだいたい想像がつくでしょう。」
「マーリンの御加護を。」とペネロピ・クリアウォーターが声をつまらせた。 「わたしたちは杖で自衛できるけれど、これがなかったらわたしたちも男たちにそういう目にあわされてたってことですか?」
「おい! それとこれとは——」と監督生男子の一人が言った。
クィレル先生のいるところから、みじかく、皮肉な笑い声がした。 ハーマイオニーがそちらに顔をむけると、クィレル先生はまだ暇そうな顔でボタンを投げていて、だれとも目をあわせる気もない様子で話しはじめた。 「人間とはそういうものだ、ミス・クリアウォーター。ご心配なく、もしこれが男は杖を持てない世界だったなら、魔女たちもまったく同じように残酷になれる。」
「わたしはそうは思いませんね!」とシニストラ先生。
冷ややかな笑い声。 「あえて言われることもないだけで、現実には珍しくないはずですがね。誇り高いたぐいの純血家系でこそ、起きているでしょう。 独身の魔女が見目麗しいマグルに目をとめる。男にこっそり惚れ薬を飲ませ、熱烈な愛を勝ちとることは造作もない。 なにをされても男にはなすすべがない……となれば当然、魔女は欲望のままにありとあらゆる——」
「
「失礼。」とクィレル先生はおだやかに応じるが、目はまだ自分の手に向けられている。 「まだそういった話はうそだということにしておくべきでしたか? それは申し訳なかった。」
「それをおっしゃるなら、男の魔法使いこそ——」とシニストラ先生が言いかける。
「お二人とも、子どもたちのまえなのですよ!」とマクゴナガル先生が食い下がる。
「なかにはそういう男もいる。」とクィレル先生は天気の話をするようになにげなく言う。 「わたし個人の趣味ではない。」
しばらく話がとぎれた。 ハーマイオニーはプラカードをかかげなおす——話を聞いているうちに肩からずり落ちていた。 クィレル先生が言ったようなことはまったく考えたことがなかったが、一度聞くと考えずにはいられなくなり、すこし滅入る思いがした。 とくに理由もなくハリー・ポッターのいる方向に目をやると……ハリーはまったく動じていない表情だった。 ハーマイオニーは背すじに冷たいものを感じてすぐに目をそむけたが、そのまえにハリーは軽くうなづいてみせたのに気づいた。おたがいがなにかに同意したかのように。
「公平を期して言っておきますが……」とシニストラ先生がまた口をひらいた。 「わたしはホグウォーツの入学許可書を受けとって以来、女としての差別や肌の色による差別を受けた記憶はありません。差別はいつも、マグル生まれとしての差別でした。 ミス・グレンジャーも、いまのところ問題が見つかったのはヒーローについてだけだ、と言っていましたね?」
自分が質問されたということに、ハーマイオニーは一瞬気づかなかった。 「そうです。」と言う声がすこしうわずった。 これははじめ想像していたよりもちょっと大ごとになってきている。
「なにを調べてそういった結論に?」とヴェクター先生が言った。 〈
ハーマイオニーはすこしうわずった声でつづける。 「その……歴史の本をいろいろ調べてみて、女性が〈魔法省〉大臣になった例は男性の例と同程度あることが分かりました。 上級裁判長経験者を見てみても、多少男性が女性より多いのはたしかですが、大差はありませんでした。 それが〈闇の魔術師〉ハンターとして有名な人や、〈闇〉の生物の侵入を食いとめた人や、〈闇の王〉を倒した人となると——」
「当然〈闇の魔術師〉自身についても……」とクィレル先生が言う。 こんどは顔をあげている。 「……同じことが言えるのではないかね。 〈死食い人〉の嫌疑がある人物を見ていくなら、女性はベラトリクス・ブラックとアレクト・カロウだけだ。 たいていの人は、バーバ・ヤーガ以外の〈闇の女王〉の名前を一人あげろと言われても、簡単には答えられないだろう。」
ハーマイオニーは無言でそちらをじっと見た。
この人はまさか——
「クィレル先生、言いたいことがおありなら、はっきりおっしゃっては?」とヴェクター先生。
クィレル先生はボタンをかがげて『S.P.H.E.W.』の金文字がみなに見えるようにしてから、「ヒーロー。」と言ってから、ボタンを回転させ、銀色の裏面を見せる。「……〈
「あっ、そうか!」とトレイシー・デイヴィスが突然話しだしたので、ハーマイオニーはちょっとびくりとした。 「クィレル先生は、〈
半笑いの表情でクィレル先生が答える。 「そういうことではないよ、ミス・デイヴィス。 正直に言って、わたしはそのたぐいのことには一切興味を引かれない。 ただ、グリンデルヴァルトとダンブルドアと〈名前を言ってはいけない例の男〉が三人とも男性であることを考えれば、〈魔法省〉大臣などという平凡な人生を送る平凡な女性を何人列挙しようがむなしいことだと思わないか。」 クィレル先生は暇そうな顔でボタンを何度も回転させた。 「まあ、それ以前に、世のなかには一生のうちに一度でもおもしろいことをする人すら、皆無にちかい。 ある職業の大半が女性だろうが、大半が男性だろうが、
「ありますけど! ……でもそれってどういう意味ですか?」とトレイシー。
クィレル先生は壁にもたれるのをやめて、まっすぐに立った。 「ミス・デイヴィス、きみはスリザリンに〈組わけ〉された。だから成り上がる機会がおとずれれば、かならず自分のものにしようとするだろう。 だがきみは自分を駆りたてる野望を持ってはいない。機会をみずから作ろうとしない。 成り上がるとしても、〈魔法省〉大臣などささいな高官の地位を得るのが関の山。みずからの限界を乗りこえようとはしない。」
クィレル先生はトレイシーを見るのをやめ、
「クィレル先生——」とレイヴンクロー寮監フリトウィック先生の甲高い声がしたが、その声は途中でとまった。ハーマイオニーは視界のかたすみで、ハリーがフリトウィック先生の肩に手をかけ、くびをふっているのを目にした。ハリーの表情はとても大人じみていた。
自分が車の前照灯に出くわしたシカになったような気持ちがした。
「きみを日常から飛びださせた原動力はなんだ?」とクィレル先生はハーマイオニーをまっすぐに見つめたまま言う。 「なぜ授業で立派な成績をとることでは満足できなくなった? 真の意味で抜きん出たことをやりたいか? 世界のなにかに不満を感じ、自分の意思に沿うように作り直したくなったか? それとも、これもすべて遊びでやっているにすぎないのか? ハリー・ポッターへの対抗心という答えしかないなら、わたしは失望するぞ。」
「わたしは——」 小動物がピイと鳴くときのような甲高い声がでたが、つづけて言うべきことがなにも思いつかない。
「どうぞ急がず考えてくれたまえ。 なんならレポート課題ということにしよう。長さ六インチ、期限は木曜日。 きみの文章力の高さはよく聞いている。」
周囲の全員がハーマイオニーのほうを見ている。
「わたしは——わたしは、いまクィレル先生が言ったことに、なにひとつ賛成できません。」
「よく言ってくれました。」とマクゴガル先生の声がした。
クィレル先生の視線はゆらがない。 「それでは六インチには到底たりないぞ、ミス・グレンジャー。 そうやって総長の宣告にさからって、自分の信奉者をあつめにいく原動力となる、なにかがあるはずだ。 もしや、人前では話しにくいようなことだろうか?」
ハーマイオニーは正しい回答を知っている。クィレル先生は正しい回答を聞いてこころよく思わないだろうが、それでも正しいのだから、と考えてハーマイオニーは言った。 「ヒーローに野望は必要ないと思います。」 声が震えたが、とぎれはしなかった。 「ヒーローは正しくあればいいだけです。 それと、『信奉者』というのは誤解です。ここにいるみんなは友だちです。」
クィレル先生は壁にもたれる姿勢にもどった。 半笑いはすでに消えていた。 「たいていの人は、自分のやりかたは正しいと思っている。 それだけでは、凡人から抜きん出ることはできない。」
ハーマイオニーは何度か深呼吸し、勇気を奮い起こそうとした。 「凡人でなくなりたいかどうかではありません。」 できるかぎり毅然とした声で言う。 「でもわたしは……どんな人でも、正しくあるために何度でも挑戦してあきらめなければ……そしてそのために労力を惜しまなければ……そしてよく考えて行動すれば……そして怖いときも勇気をもって実行できれば——」 ハーマイオニーは一瞬とまって、すばやくトレイシーとダフネに視線を投げかけた。 「——そしてそのために巧妙な作戦を考えられれば——そしてほかの人のまねをしてばかりでなければ——それだけでもう十分、大変な目にあうと思います。」
女子と男子の何人かが含み笑いをした。マクゴナガル先生も苦笑しながらも、誇らしげな顔をしていた。
「その点は否定しない。」 クィレル先生は半分まぶたを閉じてそう言い、 ハーマイオニーにボタンを投げた。ハーマイオニーはそれを無意識に受けた。 「二シックルの価値があるのだろう。それはきみの運動への寄付ということにしよう。」
そのことばを最後に、クィレル先生は背をむけて去った。
「わたし、途中で気をうしないそうになった!」 ハンナはクィレル先生の足音が聞こえなくなるのを待ってからそう言った。ほかのメンバーも何人か緊張をといて息をついたり、プラカードを一度下ろしたりしていた。
「あたしだって、野望あるもん!」 そう言うトレイシーはほとんど泣きだしそうな表情だった。 「あたしは——あたしは——明日までにもうちょっとよく考えておくけど、でもちゃんとあるんだから!」
「だいじょうぶ、もし思いつかなくても……」と言ってダフネがなぐさめるようにトレイシーの肩をたたいた。 「世界征服ってことにしとけば安全だからね。」
「ちょっと!」とスーザンが割りこんだ。 「ヒーローになった自覚はないの? ヒーローなら正義のために働かないと!」
「細かいこと言わないで。」とラヴェンダーが言う。「〈カオス〉軍司令官だって、どう見ても世界征服を目標にしてるけど、あれは一応、正義のがわでしょ。」
メンバーの列の背後でも話し声がかわされていた。 「信じられない。……あんな
マクゴナガル先生が忠告するように咳ばらいをした。首席男子が「バーニー先生のことを知らないからそういうことが言える。」と言い、何人かがびくりと反応した。
「クィレル先生は口ではああいうけれど……」とハリー・ポッターが言いだす。以前ほど確信はないようだった。 「……ほら、行動では、スネイプ先生みたいなことをしていないし——」
「ミスター・ポッター。」とフリトウィック先生が呼びかけた。声は丁寧で、表情は厳しい。 「さきほどわたしが口をはさもうとしたとき、止めましたね。なぜですか?」
「クィレル先生は自分が謎の老魔法使いになってあげるべきかどうかを判断するために、ハーマイオニーを試そうとしていたんです。こういう展開になるとは、あらゆる意味で予想外だったでしょうけれど。でもとにかく、ハーマイオニー本人に答えさせないと、意味がなかった。」
ハーマイオニーは目をしばたたかせた。
もう一度しばたたかせた。つまり……ハリー・ポッターにとっての謎の老魔法使いは、ダンブルドアではなく、クィレル先生だったのだ。これはよくないしるしだ——
石壁の小庭に低くうなる音がひびき、すでに神経をとがらせていたハーマイオニーはすぐさま反応した。ぱっと片手が杖にのび、その勢いでもう片ほうの手からプラカードが落ちそうになった。
〈流れ石〉のガーゴイルが両脇にずれて道をあけた。音は岩のようだが、動きは生きもののようだった。 みにくい石像の門番が灰色の死んだ目をして無言でその位置にとどまったのはほんのわずかな時間だけだった。 大ガーゴイルの石像は役目を終えると翼をたたんでもとの位置にもどった。 動から静への変化があったことをまったく感じさせず、壁の間隙がもとどおり埋め合わされた。
全員のまえに、マグル生まれ以外はなんとも思わないらしい明るい紫色のローブをまとったアルバス・パーシヴァル・ウルフリック・ブライアン・ダンブルドアがあらわれた。 ホグウォーツ総長、ウィゼンガモート主席魔法官、国際魔法族連盟最上級裁判長、〈闇の王〉グリンデルヴァルトを倒したブリテンの守護者、伝説の〈ドラゴンの血の十二の用法〉の再発見者、当代最強の魔法使い。 その人物と相対するのは、最近拡張された〈太陽部隊〉の司令官、ホグウォーツ一年次の成績最優秀者にして、最近ヒロインを名乗りはじめたハーマイオニー・ジーン・グレンジャー。
ハーマイオニーは肩書きの長さでも太刀打ちできていない。
総長はやさしげな笑顔をして、半円形の眼鏡の奥で
おかしなことに、クィレル先生と話すときほど怖い感じはしない。 「こんにちは、ダンブルドア総長。」 声もわずかに震えただけだった。
「ミス・グレンジャー。」と言ってダンブルドアは真剣な表情をした。 「どうやらわれわれ二人のあいだには多少の誤解が生じてしまっているらしい。 わしはきみが
ハーマイオニーはついマクゴナガル先生のほうを見てしまったが、マクゴナガル先生は応援するように笑顔を見せてくれた——いや、こちら二人両方にむけて、
「ふむ……」と言って総長は思案げな表情をした。すくなくとも検討の余地はある、というように見えはする。 「わしとしては、そのように数で考える発想はなかった。 数えることはときに安易すぎ、理解の助けにならぬ。 ホグウォーツは立派な人たちを年々輩出してきた。そのなかには魔女も魔法使いもいる。
「あなた個人の問題とは言いません! たくさんの人たちが……あなたよりまえの総長もすべて……もしかすると社会そのものが、女子の挑戦をさまたげているのではないか、ということです。」
老魔法使いはためいきをした。 半分眼鏡のかかったその目は、ハーマイオニー一人を見ている。まるでこの場にいるのが二人だけであるかのように。 「たとえば、〈
「ええと……」と言って、ハーマイオニーはどう言えばいいか考えた。 「その……
「男女を問わず、ヒーローになることを夢みる子どもたちは多い。」 ダンブルドアは小声で言い、ほかのだれにも目をむけず、ハーマイオニーだけを見ている。 「昼の世界でそうする人はそれほど多くない。 闇の勢力が襲来したとき、それを迎えうつことのできる人は多くいる。 闇の勢力の陣地にすすんで乗りこみ、闇の勢力を対決の場に引きずりだそうとする人はそれほど多くない。 ヒーローの人生は厳しく、ときに孤独で、たいてい短い。 わしはその使命を感じている人にやめろと言ったことはない。しかしその道をゆく人の数を増やしたいとも思わない。」
ハーマイオニーは言いかえすのをためらった。皺のきざまれたその顔には、おもてにあらわれていないなにかが、おそらく長い人生を通じてためこまれた感情の片鱗が、見えるような気がした……
『ヒーローの人数が増えれば、孤独な人生や短い人生を送らずにすむんじゃないですか。』
そう言いたいところだったが、この人にそう言ってしまっていいのか、と迷った。
「しかし問題はそれだけではない。」 ダンブルドアは笑顔になった。ただ、憂いも垣間見えるような気がした。 「ミス・グレンジャー、仮に教えるとして、
「それは……」と言って、ハーマイオニーはつい背後をふりかえった。
シニストラ先生はすこし憤慨した表情をしていた。 ダンブルドアの話を聞くにつれ、ハーマイオニーはほかの人には自分が見当違いのことを言っているように見えているのではないかと思ってしまいそうになったが、実際にはそうでもなかったようだった。
ハーマイオニーはまたダンブルドアのほうを向き、大きく息をすって、言った。 「ヒーローになるべき人はどういう状況におかれてもヒーローになる、というのは、たしかにそうかもしれません。 でもそういうことは、あとになってみてはじめて言えることじゃないんですか。 実際わたしがヒーローになりたいと言ったとき、あなたはあまり応援したがっているようには見えませんでしたよ。」
「ミスター・ポッター。」と総長はおだやかに呼びかけた。目はハーマイオニーとあわせたまま。 「わしとはじめて話したとき、きみはどういう風に思ったか、ミス・グレンジャーに教えてあげなさい。 応援されているように感じたか、そうでなかったか……ありのままのことを言ってみなさい。」
……。
「ミスター・ポッター?」と背後でヴェクター先生が不思議そうに言う声がした。
「それは……」とさらに遠くから、ハリーがものすごくためらいがちに言う。 「その……ぼくの場合、総長はニワトリに火をつけたんですよね。」
「なにそれ?」とハーマイオニーは思わず言ってしまったが、同時に声をあげたのがほかにも何人かいたので、多分だれにも聞かれなかったかもしれない。
ダンブルドアは変わらずハーマイオニーをじっと見ている。至極真剣な表情のまま。
「そのときぼくはフォークスのことを知らなかったから、総長はフォークスは不死鳥だと言いながらフォークス用の台に乗ったニワトリを指さして、それがフォークスだと思わせようとした。それからそのニワトリに火をつけて——あと、大きな岩を渡されて、これはぼくのお父さんのものだったから、今後いつも持ち歩け、とも——」
「あたまおかしいんじゃないの」とスーザンが口走った。
全員が息をひそめた。
総長がゆっくりとスーザンのほうに顔をむける。
「あっ——いえ——その——」
総長は身をかがめ、スーザンの正面に来て目線の高さをあわせた。
「わたしはただ——」
ダンブルドアは自分のくちびるに指をあてて往復させ、ベロベロベロベロと音をだした。
それから姿勢をただして言った。 「さてヒロイン諸君。今回の会話は楽しませてもらったが、あいにくほかの仕事も山積みじゃ。 ただ……わしが魔女にかぎらずだれに対しても不可解な言動をするということは、ひとつよく覚えておいてもらいたい。」
ガーゴイルが石のような音をたてて生きもののように動き、道をあけた。
みにくい二体の門番は灰色の死んだ目をして一旦待つ位置についた。アルバス・パーシヴァル・ウルフリック・ブライアン・ダンブルドアは最初あらわれたときと同じやさしげな笑みをして、〈無限階段の魔法〉をつたって帰っていった。
それから大ガーゴイルの石像は役目を終えると翼をたたんでもとの位置にもどった。 間隙が埋めあわせられるまえに一度、奥から「ブワッハッハ!」という声がひびいた。
全員が長く沈黙した。
「ニワトリに火をつけたって、ほんと?」とハンナが言った。
メンバー八人はそのあとも抗議行動をつづけたが、はっきり言ってあまり身がはいらなかった。
フリトウィック先生がハリー・ポッターを問いただして厳密に確認したところ、ハリー・ポッターはニワトリが焦げるにおいをかいでいなかったことが分かった。 つまり、燃やされたニワトリはおそらく小石かなにかを〈転成〉させたものであり、煙がでても大気中に流出することのないよう〈境界の魔法〉で密封されていたのだ、と推測され——フリトウィック先生もマクゴナガル先生も、教師の監督なしにおなじことを試さないようにと、全員に強く念押しした。
それにしても……
それにしても……?
ハーマイオニーは、『それにしても』のつぎになにを言えばいいのさえ分からない。
それにしても。
あのあと、女子たちが自分から言いだしたくはないという様子でおたがいに急がしく視線を送りあうのを見て、ハーマイオニーは抗議行動の終了を宣言した。それで大人たちと男子たちは散っていった。
ヒロイン一行の八人は石敷の廊下を歩いていく。その足音にかさねてスーザンが言う。 「ああ言われると、ダンブルドアに悪いことしたような気がしない? だって、魔女のまえでだけ変なんじゃなくて、だれのまえでも変なんなら、差別じゃないでしょ?」
「わたしは総長への抗議行動はもうやりたくないな。」とハッフルパフ生ハンナがおずおずと言う。足もとがすこしぐらついている。 「抗議したことで不利にあつかわれることはない、ってマクゴナガル先生は言うけど、わたしはもうこりごり。」
ラヴェンダーがそれを鼻で笑う。「その調子じゃ、ハンナが
「そこまで!」とハーマイオニーは割りこんだ。 「わたしたちはこれからヒロインになるために努力するんでしょう? いますぐできない人がいてもいいのよ。」
「総長は、ヒーローやヒロインは努力してなるものじゃないと思ってるみたいだった。」と言ってレイヴンクロー生パドマは思案げな顔をして、一歩一歩ゆっくりと歩いていく。 「……そういう努力をすること自体、やめたほうがいいと思ってるみたいだった。」
ダフネはとなりで背すじをぴんとのばして、まっすぐな姿勢をして歩いている。着ているのは制服ローブだが、ハーマイオニーがフォーマルなドレスを着てもとてもおよばないほど〈良家のお嬢さん〉らしい。 「総長の考えはこうよ。」とダフネは明瞭な声で、こつこつと石畳に靴の音をひびかせながら言う。 「このあつまりは、女の子がやってる、たわいない遊びでしかない。ハーマイオニーはいつかだれかのおともになれるかもしれないけど、のこりの面々はまったく見こみなし。」
「実際そうなのかな?」とグリフィンドール生パーヴァティが言う。とても真剣な顔だったので、いつもよりずっと双子のパドマに似ているように見えた。 「……その、一度よく考えておかないと——」
「認めない!」と言ってのしのしと歩いていくスリザリン生トレイシーは、まるで人殺しをしそうな顔をしていて、小型の女性版スネイプのようだった。 ハーマイオニーがこのメンバーのなかで一番よく知らないのがトレイシーだった。 ラヴェンダーとは一度話したことがあるが、トレイシーとは戦闘中に杖をかわしたことしかなかった。トレイシーがソファから飛び起きてメンバーになると言うまでは。 「……このままですむと思うな! たっぷりお返してやるぞ!」
「……あれはもう十分、悪だよね——」とスーザン。
「あ、あれはね……」とラヴェンダーが言う。「〈カオス軍団〉のモットーのひとつ。 正式には狂った笑いもつくんだけど。」
「そのとおり。今回は笑いごとじゃない。」と低く不気味な声で言って、 トレイシーはそのまま、自分だけの世界で劇的な背景音楽を鳴らして、のしのしと廊下を歩いていく。
(感化されやすい少年少女たちが〈カオス軍団〉でハリー・ポッターからなにを学んでいるのかと思うと、ハーマイオニーは心配になってきた。)
「でも——なんていうか——」 パーヴァティはまだ思案げな表情をしている。 「それでも、総長がたわいない遊びだと思うのも無理はないと思わない? 総長室まえで抗議行動することと、
「まあねえ。」とラヴェンダーも思案げな顔をしだした。「……たしかに、 もっとヒーローらしい……じゃなくてヒロインらしいことをしないとね。」
「それはちょっと——」とハンナが言った。ハーマイオニーの気持ちをよく代弁してくれる一言だった。
「じゃ、三階のダンブルドアの禁断の通廊に、まだいったことない人はいる?」とパーヴァティが言う。 「実はグリフィンドール生はもう一人のこらずいっちゃってるから——」
「ちょっと待って!」とハーマイオニーは必死に言う。「あなたたちに
全員が動きを止め、ハーマイオニーのほうを見る。その様子を見てハーマイオニーは遅ればせながら、ダンブルドアがヒーローは自分だけで十分だと言っていた理由が分かった気がした。
「ヒロインになりたいなら、一度は危険なことをする必要があるんじゃないかしら。」とラヴェンダーが痛いところを突いた。
「それにほら……」とパドマがまじめな表情で言う。 「ホグウォーツのなかにいるかぎり、だれも本気でひどい目にはあわない、っていうことになってるじゃない? 〈防衛術〉教授がやられるのは別として、生徒の話。 古代の結界がいろいろかかってるおかげとかで。」
「それはちょっと——」とまたハンナが言った。
「うん……最悪でも寮点を何十点か減点されるくらいだろうし。このメンバーはちょうど各寮から二人ずつだから、減点されても打ち消しあう。」とパーヴァティ。
「すごいじゃない、ハーマイオニー!」とダフネが驚嘆して言う。 「このしかけなら、わたしたち、なにしても責任をとらなくていい! そんな狡猾なしかけをしてたなんて、ぜんぜん気づかなかった!」
「それはちょっと——」とハーマイオニーとハンナとスーザンが声をそろえて言った。
「よし! じゃあ、もうほんもののヒロイン、やるしかないでしょ。 闇の勢力の陣地に乗りこんで——」とパーヴァティ。
「そいつらを引きずりだして——」とラヴェンダー。
「恐怖を身にしみさせてやる。」とトレイシー・デイヴィスが不気味な声で言った。
原作品の著者:J. K. Rowling
ファンフィクションの著者:Eliezer Yudkowsky
8人の所属は以下のとおり
・ハーマイオニー・グレンジャー…サンシャイン/レイヴンクロウ
・ダフネ・グリーングラス……サンシャイン/スリザリン
・ハンナ・アボット……………サンシャイン/ハッフルパフ
・スーザン・ボーンズ…………サンシャイン/ハッフルパフ
・パーヴァティ・パティル……サンシャイン/グリフィンドール
・パドマ・パティル……………ドラゴン/レイヴンクロウ
・トレイシー・デイヴィス……カオス/スリザリン
・ラヴェンダー・ブラウン……カオス/グリフィンドール