「ハーマイオニー・グレンジャー。」と〈闇ばらい〉コモドが平坦な声で言う。 「おまえをドラコ・マルフォイ殺人未遂の容疑で逮捕する。」
その一文がハリーの意識にむけて投下され、ハリーの思考を粉ごなにした。そんなばかなと思い、アドレナリンがどっと流れ、混乱のあまりハリーは——
「な——なにを——そんな——え?」
〈闇ばらい〉たちはそう言うハリーの存在をまったく気にとめていない。 コモドがもう一度、平坦な声で話す。 「ミスター・マルフォイは聖マンゴ病院で意識をとりもどし、襲撃者はハーマイオニー・グレンジャーだったと証言した。 〈真実薬〉二滴を投与されても証言はかわらなかった。 おまえはミスター・マルフォイに〈血液冷却の魔法〉をかけた。発見と治療が間にあわなければ彼は死んでいた。彼が死にいたることを知りながらこの呪文をかけたとしか考えられない。 したがって、殺人未遂の容疑で逮捕する。事件の重大さをかんがみて、おまえは〈魔法省〉に拘留され、〈真実薬〉三滴を投与されて訊問を受けることになる——」
「なに言ってるんですか?」 ハリーは音をたててレイヴンクローのテーブルの席から立ちあがる。それに一瞬先んじて、〈闇ばらい〉ブトナルがハリーの肩を上から強くおさえていた。ハリーはかまおうとしない。 「
ハーマイオニー・グレンジャーはすでに顔をくしゃくしゃにしていた。 「はい。……わたしがやりました。」 消えいるような声だった。
また巨大な岩がハリーの思考の列にむけて崩落し、思考はたちまち細かな断片になって散った。
ダンブルドアの顔はこの数秒間のうちに何十歳ぶんも老いたように見えた。 「ミス・グレンジャー……なぜ。」 ダンブルドアも消えいるような声をしていた。 「なぜきみがそのようなことを?」
「わ……わたしは——ごめんなさい——自分でもなぜなのか——」 ハーマイオニーは内がわにむかって潰れてしまいそうに見えた。泣きじゃくる声のなかから聞きとれたのはただ、「あのときは——殺そうと——思って——ごめんなさい——」
ハリーはそこでなにか言うべきだった。いや、いきおいよく立ちあがって〈闇ばらい〉たちを唖然とさせ、なにかものすごく巧妙な一手を打つべきだった。なのに、すでに二度、粉ごなになっていた思考過程はなにも生みだしてくれなかった。 ブトナルの手がそっと、しかし着実にハリーを席へ押しかえし、ハリーはその場に接着されたように動けなくなった。〈
だが扉はもう閉じている。
ミネルヴァはとてもじっとしていることなどできず、総長室のなかをうろうろ歩きまわる。セヴルスかハリーのどちらかから、静かに座っていろと言われるのではないかと内心どこかで思ってもいた。実際には二人はただ、〈
この日の午前六時三十三分、クィリナス・クィレルが自室から〈
〈血液冷却の魔法〉がドラコ・マルフォイを殺す目的でかけられたのであろうことは明白だった。ホグウォーツ城内の結界は身体の急激な異常を検知するが、このようにゆるやかな変化を検知するようにはできていない。 事情聴取の過程でクィレル教授は以前からドラコ・マルフォイの身体に監視魔法をかけていたことを明かした。かけた時期は
ミスター・マルフォイには、証言を誇張したり控えたりすることのないよう、〈真実薬〉二滴が投与された。証言によれば、彼はハーマイオニー・グレンジャーに決闘を申しこんだ——これは〈貴族〉法の観点では合法だがホグウォーツの校則には違反している。 彼はその決闘に勝ったが、決闘の場を去るとき、ミス・グレンジャーがはなった〈失神の呪文〉で背後から撃たれたという。 記憶はそこでとぎれていた。
ハーマイオニー・グレンジャーは〈真実薬〉三滴を投与され、事件に関連する情報をあますところなく告白させられた。当人の言によれば、彼女はドラコ・マルフォイを背後から撃って失神させ、さらにかっとなって発作的に〈血液冷却の魔法〉をかけたという。校内の結界のしくみについては『ホグウォーツとその歴史』を読んで知っていたので、抜け目ない殺意をもって、結界に引っかからない緩慢な殺しかたをえらんだのだという。 彼女は翌朝、目をさましてから自分自身の行動に愕然としたが、ドラコ・マルフォイはすでに死んでいるものと思い——実際、〈血液冷却の魔法〉の効果は七時間つづいており、もしドラコ・マルフォイの魔法的な抵抗力が不足していれば確実に手遅れだった——だれにもそのことを話さなかった。
「彼女の裁判は、明日正午に執行されることになった。」とアルバス・ダンブルドアが言った。
「は?」と〈死ななかった男の子〉ハリー・ポッターがおさえきれずに言いだす。立ちあがってはいないが、椅子をつかむ手に指の骨が浮き出ているのが見える。 「そんなむちゃくちゃな! たった一日で捜査が終わるわけがない——」
〈薬学〉教授が声をあげた。 「ここがマグル世界ではないことを忘れるな!」 表情はいつもとかわらず平坦だが、声はするどい。 「被害者と被疑者の両方が〈真実薬〉を飲んで証言したことで、犯行の事実は確認できている。〈闇ばらい〉からすれば、それ以上捜査すべきことはない。」
「いや、まだ終わりではない。」とダンブルドアが、爆発寸前のハリーを横目に言う。 「この件については、細部にいたるまで調べあげるようアメリアに念押ししてある。残念ながら、決闘が起きてしまったのは深夜零時であり——」
「
「——さよう、たしかに——
「……できないとされているにせよ、それ自体不自然ですね。容疑者ということになっている人物は、〈逆転時計〉のことを知らないんですから。 当然、通報があった時点で即座に、見えないすがたの〈闇ばらい〉ができるかぎりその時刻近くに送りこまれたと期待したいところですが——」
ダンブルドアはうなづいた。 「知らせを受けてから間髪をおかず、わし自身が陳列室へ行った。 しかし行くことができた時間には、すでにミスター・マルフォイは意識不明で、ミス・グレンジャーはその場を去っていた——」
「いいえ。あなたは陳列室に行ってドラコが意識不明で倒れているのを見た。それだけでしょう。 あなたはハーマイオニーがいたことも去るところも
「〈
少年はうなづいたが、まだ話はおわっていないと言うようにミネルヴァを見つづけた。 「そのどれかが使われた痕跡の有無を調べられますか? 〈闇ばらい〉が検出しようとするのはどれですか?」
一瞬考えてから返事する。 「〈
「わしからミス・グレンジャーを法廷〈開心術師〉に診察させるよう要求しておいた。その診察結果によれば——」
「その人は信頼できますか?」とハリー。
「ソフィー・マクヨルゲンソンという女性じゃが、彼女の誠実な人柄はレイヴンクロー生であったころから知っている。彼女は〈不破の誓い〉により、ありのままの真実を話すことを強制されてもいる——」
「〈
アルバスは重い声でこたえる。 「マダム・マクヨルゲンソンの外見をした人物からわしが聞いたところによれば、数カ月まえにミス・グレンジャーの精神に軽く触れた〈開心術師〉が一人だけいるという。 時期は一月。これは例のディメンターの件でわしがミス・グレンジャーと交信したときのことにちがいない。 そこまでは予想どおり。意外なのは、そのさきの部分じゃ。」 アルバスは〈
「そうでしょうね。」とハリーが割りこむ。「人間の記憶は想起されるたびにほぼ毎回上書きされているという研究結果があります——」
「ハリー。」とミネルヴァがそっと声をかけると、ハリーはくちを閉じた。
「——しかしそれだけの精度の〈偽記憶〉をつくりだすには、真の記憶をつくりだすのと同程度の長さの時間がかかる。つまり、十分間の記憶をつくるには十分間かかるということ。 法廷〈開心術師〉の診察結果によれば……」 アルバスの顔にしわと疲労の色が濃くなったように見えた。 「ミス・グレンジャーはセヴルスに……どなりつけられた日からずっと、 ミスター・マルフォイがスネイプ先生と共謀して、彼女自身とハリーに害をなそうとしているのではないかという考えに取りつかれ——毎日何時間もそれを想像しつづけていたという。だれにもそのような長期間の偽記憶をつくることはできまい。」
「狂人めいたふるまい……」 セヴルスがひとりごとのようにつぶやく。 「それが自然に生じた? いや、そんな不幸な偶然はない。 どう考えても、
「ああ!」 ハリーがだしぬけに言う。 「わかりました。 ハーマイオニーが
ミネルヴァははっとして目をしばたたかせた。 自分なら何年かかっても思いつかない可能性だと思った。
セヴルスは思案げに眉をひそめ、するどい目をする。 「〈偽記憶の魔法〉をかけられた者がどう
「
セヴルスが乾いた声で言う。 「〈防衛術〉教授はどうあっても疑われるものだ。しばらく見ていればそういう傾向があるということは自然と分かる。」
アルバスが片手をあげて話をとめる仕草をし、全員がそちらをむいた。 「ただし今回はほかにも被疑者がいる。……ヴォルデモートじゃ。」
身の毛がよだつその名前が室内にひびき、暖炉の火からくる温度を打ち消した。
「ヴォルデモートが不死を達成した方法について、分かっていることはあまりに少ない。 何冊も本を調べてはみたが、ことごとく彼にさきを越されていたらしい。 見つかったのはどれも古く断片的な伝承ばかりで、多数の巻に散らばっているために彼の改竄をまぬがれたと見える。 しかし多数の伝承のなかから真実を探りあてる作業もまた、魔法使いの腕の見せどころ。そのためにわしは努力を惜しまなかった。 それが生けにえとして人命を……殺人を必要とする術であることはまちがいない。 犠牲者は恐怖を感じながら冷血無比な方法で殺されなければならない。 そして古い古い伝承には、過去に倒されたはずの〈闇の王〉の名をなのり、正気をうしなったふるまいをする者たちの話がある……。多くの場合、その〈闇の王〉にまつわる道具を持ってもいるという……」 アルバスはハリーの目をじっとのぞきこんだ。 「ハリー——きみはきっと推測にすぎないと言うじゃろうが——わしは殺人という行為が魂を引き裂くのだと考える。 そして、おぞましい暗黒の儀式をもちいることで、引き裂かれた魂の断片を現世につなぐ方法がある……現世の、なんらかのかたちある存在につなぐ方法が。 その物体は、もともとそうでなかったとしても、強い魔力をおびるようになる。」
『
「結果として、身体に残留したほう魂もそのつながりの一部となり、身体が滅びても魂の残骸は現世を離れない。 おそらくそれは魂ですらなく、どんな
ミネルヴァは声をつかえさせる。 「つまり……彼がもうここに……
そしてはたと思いだす。ヴォルデモートがホグウォーツに来るべき理由といえば——
老魔法使いは一度ちらりとミネルヴァの顔を見てから、おなじ小声のまま言った。 「すまぬ、ミネルヴァ、おぬしの言うとおりになってしまった。」
ハリーが険のある声で言う。「言うとおり、というと?」
「ヴォルデモートにとってもっとも有力な復活への道。かつてなかったほど強力なすがたで復活するための、もっとも有望な方法。 それがこの城のなかに保管されている——」
「ちょっと待ってください。あなたはバカですか?」
「ハリー……」とミネルヴァは言いかけたが、気迫のない声になってしまった。
「ダンブルドア総長、あなたはごぞんじなかったようですがね、この城にはたくさんの子どもたちがいるんですよ——」
「
「しかし……」とセヴルスが多少とまどいを見せて言う。 「〈闇の王〉がルシウスのあとつぎを殺したとして、なんの得が?」
「失礼ですが。」とハリー・ポッターが険のある声で言う。 「真犯人の目的をさぐるのは、あとでいいでしょう。 いま最優先で考えるべきなのは、無実の罪で苦しんでいる生徒のことです。」
アルバスの青色の目が〈死ななかった男の子〉の緑色の目を見かえす——
「同感です、ミスター・ポッター。」と、ミネルヴァはいつのまにか話しだしていた。 「アルバス、いまミス・グレンジャーのところにはだれが?」
「フリトウィック先生を行かせておいた。」
「
「残念ながら……」 ミネルヴァは知らず知らずのうちに、厳格なマクゴナガル教授としての口調に変わっていた。 「おそらくこの段階にいたって弁護士をつける意味はありません。 彼女はこれからウィゼンガモートの審判にかけられるのです。法廷戦術だけで無罪を勝ちとれる可能性は、ほぼ皆無です。」
ハリーは愕然とした表情でミネルヴァを見た。弁護士をつける必要がないというのはハーマイオニー・グレンジャーを火あぶりにさせたいと言っているに等しい、とでも言いたげな表情だった。
「わたしもそう思う。」とセヴルスが静かに言う。 「この国の法廷に
ハリーはめがねを外して、数度だけ目をこすった。 「そうですか。じゃあどうやればその裁判所にハーマイオニーを自由の身にさせることができますか? 弁護士が使いものにならないのなら、どうせ裁判官も『良識』とか『先験確率』というものをろくに知らず、十二歳の女の子が冷血無比な殺人をする可能性はかぎりなく低いということすら理解できないんでしょうね?」
「彼女が受けるのはウィゼンガモートの審判、 審判をするのは由緒ある〈貴族〉家をはじめとする名士たちだ。」 セヴルスはふだんの皮肉な表情といくらか似た表情をした。 「彼らの良識にどれくらい期待できるかと言えば——彼らがベーコン・サンドウィッチをつくってふるまう可能性を期待するほうがまだましだろう。」
ハリーはくちを閉じてうなづいた。 「それで、ハーマイオニーはどういう罰を覚悟する必要があるんですか? 杖折りの罰と退学くらいは——」
「いや、そんな生やさしいものではない。 わざと現実から目をそむけているのか、ポッター? これはウィゼンガモートの審判だ。 刑罰に上限はない。すべては投票で決まる。」
ハリー・ポッターはなにごとかをつぶやいた。 「『法治主義は時代遅れで役立たず/これからの時代は人治主義』……つまりウィゼンガモートはなんの法律にも縛られていないということですか?」〔訳注:『The Incredible Bread Machine』という風刺詩の一節〕
老魔法使いの半月眼鏡から光が消えた。 アルバス・ダンブルドアは一言ずつ慎重に話しはじめたが、怒りの色も皆無ではなかった。 「法的には、これはマルフォイ家に対してハーマイオニー・グレンジャーが負う血の債務の問題じゃ。 マルフォイ卿はその債務の返済方法を提案する。ウィゼンガモートは提案の是非を採決する。それがすべて。」
「でも……ルシウスはスリザリンに〈組わけ〉されたんですから、 ハーマイオニーが駒にすぎないことは当然わかっているはずでしょう? 彼が怒るべき相手は別にいると。ちがいますか?」
アルバス・ダンブルドアが重おもしい声でこたえる。 「いや、きみは自分の都合のよいようにルシウス・マルフォイの動機を想像してしまっている。 現実のルシウス・マルフォイが……きみの想像に沿う考えかたをすることはない。」
ハリーが冷ややかな目でダンブルドアを見た。同時にミネルヴァは自分自身の感情をいっそう抑えつけようとして、足をとめて息をととのえようとした。 ミネルヴァは、いままで考えまいとして目をそむけていたが、知っていた。 第一報を聞いたそのときから分かっていた。 いまアルバスの目を見ても、やはり——
「死刑ですか?」 ハリーが静かにそう言うのを聞いて、ミネルヴァは背すじに寒けを感じた。
「とんでもない! 〈口づけ〉はない。アズカバンも考えられん。この国もまだ、ホグウォーツ一年生にそんな残酷なことをするほど落ちぶれてはいない。」とアルバス。
「しかしルシウス・マルフォイが杖折りの罰程度で満足するとも思えない。」とセヴルスが無感動な声で言う。
「なるほど。」とハリーが仕切るように言う。「ぼくの考えでは、攻撃の糸口は二つあると思います。 第一は、真犯人を見つけること。第二は、ルシウスに対する別の交渉材料を見つけること。 クィレル先生はドラコの命を救ったことで、マルフォイ家に血の債務を負わせたんじゃないですか。その返済をもとめることで、ハーマイオニーの債務を相殺できますか?」
ミネルヴァはもう一度おどろいて目をしばたたかせた。
「いや……」と言ってダンブルドアがくびをふる。 「着眼点はよいが——やはり無理がある。 おなじ命の債務でも、発生した状況に不自然なところがあるとウィゼンガモートがうたがう場合は、あつかいが変わる。 そして〈防衛術〉教授にはすくならからぬ嫌疑がかかっている。ルシウスはきっとそう論じる。」
ハリーは一度うなづいて、表情をかたくした。 「それなら……一度は水に流すと言いましたが——こういう状況ではやむをえません—— ドラコがぼくに拷問の呪文をかけたこと。あれも債務ですよね。あれでハーマイオニーの債務を相殺することは——」
「いや、相殺に足るほどのことではなかったと思う。」とダンブルドアが言う(同時にミネルヴァは思わず「え?」と言い、セヴルスは片眉を上げた)。 「そしていまとなっては、債務にできる見こみもない。 きみはすでに〈閉心術師〉であり、〈真実薬〉を投与されて証言することができない。 ドラコ・マルフォイに証言させようにも、証言席に立つまえにその記憶を
ハリーは両手に顔をうずめた。 「ルシウスはドラコに〈真実薬〉を飲ませるからですね。」
「そのとおり。」
〈死ななかった男の子〉は両手に顔をうずめたまま、それ以上話そうとしなかった。
セヴルスは純粋に動揺しているように見えた。 「つまり、ドラコは真剣にミス・グレンジャーを助けていたと。そしてポッター——おまえはドラコを——」
「転向させた?」と、ハリーが手と手のあいだから声をだす。 「そうですね、四分の三くらいまでは。 〈守護霊の魔法〉を教えたりもしました。こんなことがあってから、そのつづきができるかどうかは分かりませんが。」
「ヴォルデモートは今日、われわれに痛烈な打撃をくわえた。」 アルバスの声は、両手のすきまからのぞくハリーの表情とよく似ていた。 「ヴォルデモートは一撃でわれわれの……いや、そうか、わしも見おとしてしまっていたが……一撃で
「犯人が〈例の男〉なのかどうかは、まだなんとも言えないと思います。」とハリーがやや不安げに言う。 「早まって仮説空間をせばめすぎるべきではありません。」 一度息をすい、両手を顔からはなす。 「その方向では、できれば裁判がはじまるまえに真犯人を捕らえておきたいところです——でなければせめて、
「ミスター・ポッター。」とミネルヴァ。「クィレル先生は〈闇ばらい〉に、ミスター・マルフォイへの害意がある人物を知っていると言ったそうです。 それはだれのことなのか、分かりますか?」
「はい。」とハリーは一度ためらってから言った。 「ですが、その部分の調査は、ぼくがクィレル先生といっしょにやっておきたいと思います——これはクィレル先生が同席する場でクィレル先生を調査する方法を話せないのとおなじことです。」
「クィレルがうたがっているのはわたしだな?」とセヴルスが言い、軽く笑った。 「そんなことだろうと思った。」
「ぼく自身は、決闘がおこなわれたことになっているという陳列室に行って、なにか異常がないか調べておこうと思います。 ただ行っても現場検証をしている〈闇ばらい〉に止められるだけでしょうから、先生から話をつけておいてもらえますか——」
「現場検証?」とセヴルスが無感動な声で言った。
ハリー・ポッターは一度深く息をすい、ゆっくりとはきだした。 「ミステリ小説ではふつう、一日で事件を解決できることはありません。でも二十四時間といえば——いや、
「ア・ル・バ・ス……」
「ミネルヴァ、それは誤解じゃ。」 ダンブルドアの白い眉が上がり、おどろいた表情を見せる。 「……送りぬしはわしではない。ミス・グレンジャーはだれかにそそのかされていた……そう言いたいのかね、ハリー?」
「その可能性もあると思います。 そう示唆する情報はほかにもあるんです。あなたがまだ知らない情報が。」 ハリーの声が張りつめた調子の小声にかわっていく。 「ぼくが枕の下に、手紙といっしょにお父さんの不可視のマントが一足早いクリスマス・プレゼントという名目で送られてきていたことはごぞんじですね。 ハーマイオニーに手紙を送ったのもおなじ人物だと仮定すべきではないかと思います——」
「ハリー……」 老魔法使いはそこで一度ためらってから、つづけた。 「お父さんのマントをきみに返却するというのは、悪人らしからぬ行為だと思わないか——」
「そうではなく。 あなたがまだ知らない情報というのは、ベラトリクス・ブラックがアズカバンを脱獄したあとに、ぼくの枕の下にもう一度『サンタクロース』からの手紙がとどいていた、ということです。『きみはこれからホグウォーツに閉じこめられることになりそうだから、アメリカのセイラム魔女学院に脱出する手段をプレゼントしておこう』という内容の手紙が、 トランプ一式といっしょに届いていました。ハートのキングがポートキーになっているという話でした——」
「ミスター・ポッター!」と思わずマクゴナガル先生の声が飛ぶ。 「それはほとんど
「わかっていますよ。ぼくは
セヴルスが目を光らせ、腰をあげ、ハリーに近づく。 「ミスター・ポッター、〈
「そう急ぐことはない!」とアルバスが言う。 「まずはミス・グレンジャーが受けとった手紙を検分することが先決じゃろう。 同一人物どころか、似ても似つかない手紙である可能性もある。 セヴルス、おぬしが彼女の共同寝室に行って探してきてくれるか?」
それを聞いて、自分のぼさぼさの髪の毛をセヴルスに触らせる姿勢をとりかけていたハリー・ポッターが両眉をあげた。 「生徒の枕もとに手紙をおくような人物が校内に
セヴルスが皮肉な笑いをしながら、髪の毛を一本引き抜き、すばやく絹でつつんだ。 「そういうことも十分考えられる。 スリザリン寮監を十年つとめた経験から言わせてもらえば、二人以上の人間が同時に策謀をめぐらせているときにこそ、手に負えない事態が発生するもの。 しかし総長——ミスター・ポッターの話にも一理ある。このポートキーの転送先がどういう場所か、わたしが調べておきましょう。」
アルバスは返事をためらったが、不承不承うなづいた。 「わかった。ただしそのまえに、おぬしと二人で話しておきたいことがある。」
ハリー・ポッターが一人で捜査してくると言って部屋をでたのとほぼ同時に、セヴルスがくるりと向きを変え、〈
「アルバス……」 ミネルヴァは自分の声が落ちついていることに内心おどろく。 「あなたがミスター・ポッターの枕の下に手紙をおいたのでは?」
セヴルスの手が〈
ダンブルドアはミネルヴァにむけてうなづき、いくらか空虚な笑みを見せた。 「やはり、ばれてしまったか。」
「きっとポートキーの行きさきは安全な家で、住人はミスター・ポッターをしばらくかくまってくれる。じきにあなたがそこへ参上し、ホグウォーツへ連れもどす。そういう筋書きでしょう?」 声がかたくなる。理にかなったやりかたであることは否定できない。それでもどこか、残酷な処置に思えてしまう。
「うむ。しかし状況によっては……」 アルバスは静かに話しだす。 「ハリーがそこまで追いこまれたなら——逃亡を成功させてやることも考えている。一定の期間であれば。 どうせ逃げだされるなら、味方のいる、素性の知れた安全な場所に行かせておきたい——」
「なのにわたしはミスター・ポッターをしかるつもりでいたんですよ、どうしてそんな重大なことを秘密にしていたのかと! 当然われわれに打ち明けてくれるべき問題でしょうが、と! ……どうやら、その必要はなかったようですが!」
セヴルスはするどい目で総長を見ている。 「そしてミス・グレンジャーへの手紙は——」
「〈防衛術〉教授であろうな。ただし——これは推測にすぎない。」と総長は答えた。
「手紙はわたしが探してきましょう。」とセヴルスが言う。 「それから、〈例の男〉についても探りはじめるべきでしょうな。」 一度眉をひそめる。 「しかしどこから手をつければよいのやら、さっぱりですがね。 魂を見つけだす術などごぞんじありませんか、総長?」
「これは……グリム!」 トレロウニー先生が震える声でそう言って、ジョージ・ウィーズリーのティーカップをのぞきこむ。 「グリム……これは死の予兆ですよ! ジョージ、あなたの知りあいのだれかが死ぬということです——それも、かなり近いうちに! もちろん——もっとあとで死ぬ可能性もありますが——」
恐ろしげな宣告だが、ここの受講者全員がすでにおなじことを告げられているとあっては、ショックも薄れる。 というよりただ、耳から耳に抜けていく。そんなことよりも二人は今日起きた大事件のことを考えずにはいられない——
床の落とし戸がバタンとひらき、トレロウニー先生が悲鳴をあげ、ジョージが盛大に茶をローブにこぼした。つぎの瞬間、落とし戸のなかからダンブルドアがひゅっと出現した。火の鳥を肩にのせて。
「フレッド!」 ダンブルドアのローブは月のない夜空の黒色。青い目はダイアモンドのように硬質に見えた。 「ジョージ! 来なさい!」
みながいっせいに息をのむ音がした。フレッドとジョージがダンブルドアにつづいてはしごを降りていくころには、教室の全員が想像をめぐらせはじめていた。ドラコ・マルフォイ殺人未遂事件にこの二人がどう関与したのだろうかと。
落とし戸がばたんと閉まるや否や、周囲の音がすべて消音され、ダンブルドアが片手を差しだして命令した。 「地図をわたしなさい!」
「ち……地図?」 思いがけないことばに、フレッドかジョージかがショックをあらわにして言う。まさかダンブルドアに気づかれていたとは。 「え……いや、なんのことだかさっぱり——」
「ハーマイオニー・グレンジャーの身があやうい。」とダンブルドア。
「あの〈地図〉は
ダンブルドアの両腕が二人を抱き枕のように引き寄せ、つんざく鳴き声が聞こえ、一瞬の閃光が見えた。つぎの瞬間に三人はグリフィンドール寮の三年生男子用
フレッドとジョージは手ばやく〈地図〉を見つけて総長に手わたした。手わたすとき、ホグウォーツ城のセキュリティ機構の断片であるその宝物を当の機構の所有者にゆだねることに、ほんのすこしだけ罪を感じた。ダンブルドアは、一見無地の紙面に眉をひそめた。
「これを使うにはまず、『我 よからぬことを たくらむ者なり』と言うんです——」
「うそを言うのはやめておきたい。」と言って、 老魔法使いは〈地図〉を高くかかげ、「聞け、ホグウォーツ!
(総長以外の人間におなじことができないともかぎらないので、フレッドとジョージはダンブルドアがとなえた文句を即座に暗記し、〈組わけ帽子〉を利用してどんないたずらができるか考えはじめた。)
ダンブルドアは一刻をあらそう様子で〈組わけ帽子〉をひっくりかえし——さかさまになったので分かりにくいが、〈帽子〉は機嫌をそこねたように見えた——そのなかに手をつっこみ、水晶の棒をとりだした。 ダンブルドアはその棒で〈地図〉上にルーン文字のような模様をつぎつぎにえがき、ラテン語とは似ても似つかない奇妙な言語でなにかを詠唱した。その呪文は二人の耳のなかで気味悪い残響をたてた。 あるルーン文字をたどったところでダンブルドアは顔をあげて、するどい視線で二人をにらんだ。 「これはあとで返す。 きみたちは授業にもどりなさい。」
「はい。」と二人が返事する。「……あ——ハーマイオニー・グレンジャーといえば、これからドラコ・マルフォイに一生奉仕する誓約をさせられる、といううわさがあるんですが——」
「もどりなさい。」
二人は去った。
部屋に一人のこった老魔法使いは地図に視線をおとした。地図には、ここグリフィンドール寮の平面図が細線でえがかれている。小さな手書き文字で書かれた唯一の名前は『アルバス・P・W・B・ダンブルドア』。
老魔法使いは地図をなでつけてから、かがみこみ、小声で言った。「トム・リドルを探せ。」
〈魔法法執行部〉の取り調べ室の照明は通常、オレンジ色の小さな器具ひとつとされている。被疑者には座りごこちの悪い金属製の椅子が用意されている。訊問を担当する〈闇ばらい〉はその向かいがわの席につく。前に身をかたむければ、取り調べ官の表情はほとんど影に隠れる。取り調べ官は被疑者の表情を見ることができるが、逆は見えない。
ミスター・クィレルが入室すると同時に、オレンジ色の照明が暗くなり、風に吹き消されかけた
部屋のそとに控えるもう一人の〈闇ばらい〉がこの効果を打ち消そうと四度呪文を試みるが、まったく変化はない。いっぽうのミスター・クィレルは取り調べにさきだって従順に杖を手ばなしており、口頭でなにかを詠唱した形跡もなく、そのほかの術をつかおうとしたようにも見えない。
「クィリナス・……クィレル、か。」 〈闇ばらい〉の男はおとなしく座って待つクィレルのまえにあらわれ、腰をおろすなりそう言った。背なかに流した黄褐色の髪の毛はライオンのたてがみのように見える。黄色がかった目をした男で、百歳を越した年齢がしっかりと顔の皺にきざまれている。 男は頑丈そうな黒色の鞄を引きずってあらわれ、椅子に腰をおろすと、鞄から羊皮紙をまとめた巨大なファイルをとりだした。いまはその内容に目をとおしており、訊問すべき人物の顔に目をやる気はまだないらしい。名も名のっていない。
無言で羊皮紙の束をもうしばらくめくっていったあと、〈闇ばらい〉の男はまた話しはじめた。 「一九五五年九月二十六日生まれ。母はクォンディア・クィレル、父はリリナス・ランブラング、認知された非嫡出子……。 〈組わけ〉はレイヴンクロー……O.W.L.sの成績良好……N.E.W.T.sでは〈
「観光でね、おもにマグルの領域をたずねた。おっしゃるとおり、旅行好きなもので。」
男はそれを聞きながら眉をひそめ、一度下を見てから顔をあげて言った。 「一九八三年、
〈防衛術〉教授はすこしだけ不審げに眉をあげる。「それがなにか?」
「フユキ市での用件は?」 かみそりのように鋭い声。
〈防衛術〉教授はわずかに眉をひそめた。 「とくにはなにも。名所やそうでもない場所をまわって、あとは一人で過ごしていただけだ。」
「ほう? これはなかなかおもしろいことになってきた。」
「というと?」
「フユキ市への査証の記録などないからだ。」と言って男はぱたりとファイルを閉じる。 「あんたはクィリナス・クィレルではない。 いったい何者だ?」
〈薬学〉教授はレイヴンクロー一年生女子の共同寝室にはいった。銅と青を基調にぬいぐるみとスカーフと安物の宝石と有名人のポスターでにぎやかにかざられた部屋だった。 ハーマイオニー・グレンジャーのベッドがどれであるかは一目で分かる。本のモンスターに襲われた形跡のあるベッドだ。
周囲に潜む者がいないことを各種の呪文で確認する。
それからハーマイオニー・グレンジャーの枕の下をさぐり、ベッドの下をさぐり、トランクをあけて、そのなかの品物にさぐりをいれる。ここにあってよいものやよくないものが出てくるが無表情にそれらをかきわけていき、やっと、いじめが起きる場所と時間を記した手紙の束を手にする。どの手紙も、優美な文字で『S』とだけ署名されている。
炎がぱっと燃えあがり、手紙はあとかたもなく消え、〈薬学〉教授は任務の失敗を報告しにいく。
〈防衛術〉教授は座ったままひざの上で両手を組み、落ちついた様子で話す。 「ダンブルドア総長にたずねれば、彼がこの件をとうに承知していることが分かるだろう。そして〈防衛術〉の職を引き受けるにあたって、わたしの素性については詮索無用という条件でわれわれが合意したことも——」
取り調べ官が電撃的な速度で杖を振り、「『ポリフルイス・リヴェルソ』!」と言った。鏡の色をした光線が飛んだが、同時に〈防衛術〉教授はくしゃみをした。なぜかそれで、光線は白い火花となって散った。
「失礼。」と〈防衛術〉教授は丁重に言った。
〈闇ばらい〉は笑顔を見せたが、あきらかに本心からの笑みではなかった。 「ほんもののクィリナス・クィレルはどこへやった? 〈
「ずいぶんと不思議な仮定をするものだ。」 〈防衛術〉教授はえぐるように言う。 「前代未聞の〈闇〉の魔術で本人のからだを乗っとるという手もあるだろうに?」
話がしばらく止まった。
「ふざけるのはそこまでにしてもらおうか。」と〈闇ばらい〉が言った。
「失礼。」と言って〈防衛術〉教授は背を椅子にもたれさせた。 「自分を卑下して話をあわせることもないと思ったものでね。 で、それがなにか? にせものは死ねとでも?」
「冗談としても笑えない。」と〈闇ばらい〉は小声で言った。
「それはそれは。さぞかしつまらない人生をおくっていらっしゃるようで、ルーファス・スクリムジョールさん。」 そう言って〈防衛術〉教授はくびをかしげ、取り調べ官を観察するような姿勢をとった。氷の色の光がとどかない眼窩のなかで、目がきらりと光った。
パドマは手もとの皿をじっと見ている。
「なにもなしに、ハーマイオニーがそんなことするはずない!」とマンディ・ブロクルハーストが泣きださんばかりの様子で……いや、もう涙をこぼしながら声をはりあげる。実際、周囲の全員がおなじように大声でがなりあっていなかったなら、大広間全体にとどくほどの声だった。 「き——きっと、マルフォイがさきに——ハーマイオニーに
「司令官にかぎって、そんなことするはずない!」とケヴィン・エントウィスルがマンディよりも大きな声で言った。
「するにきまってる! マルフォイは〈死食い人〉の息子なんだぞ!」とアンソニー・ゴルドスタインが言った。
パドマは手もとの皿をじっと見ている。
ドラコはパドマの司令官。
ハーマイオニーはS.P.H.E.W.の創設者。
ドラコはパドマに副官の職をまかせてくれている。
ハーマイオニーはパドマとおなじレイヴンクロー生。
パドマは二人を友だちだと思っている。二人以上の友だちはほかにいないかもしれない。
パドマは手もとの皿をじっと見ている。 〈組わけ帽子〉がハッフルパフ行きの選択肢をあたえてくれなかったことがありがたい。 もしハッフルパフに〈組わけ〉されていたとしたら、どちらの味方をすることもできないこの状況がいっそう苦しかっただろうから……。
まばたきをすると、いつのまにかまた視界がくもっていたので、震える手でもう一度目をぬぐう。
紛糾する昼食の場でもはっきり聞こえるほどの音で鼻を鳴らしたのはモラグ・マクドゥーガルだった。つづけて、大きな声で、 「昨日の対決のとき、グレンジャーが不正をしてたのよ、きっと。だからマルフォイは決闘を言いだした——」
「全員だまれ!」と言いながら、ハリー・ポッターが両手をまるめてテーブルを激しく打ち下ろし、テーブルの上の皿が音をガチャリと音をたてた。
こういうときでもなければ教師たちからハリーに一言あっただろうが、今回は近場の生徒数人が目をむけただけだった。
「ぼくはさっさと昼食をすませて、捜査にもどりたかったから、話にくわわらないようにしてたんだけど、一言だけ。 みんなもうちょっと冷静になったらどうなんだ。あとで真実があきらかになったら、無実の二人にひどいことを言ってしまったと後悔するよ。 ドラコはなにもしていない。ハーマイオニーもなにもしていない。二人とも〈偽記憶の魔法〉をかけられた。それだけのことなんだよ!」 最後の部分は大声になっていた。 「
「それが通用すると思うのかよ?」とケヴィン・エントウィスルがすぐに反応する。 「犯人はいつもそう言うんだ! 『おれはやってない、ぜんぶ〈偽記憶の魔法〉のせいだ!』って。だれがそんなのを鵜呑みにするんだよ?」
それを聞いてすかさずモラグが上から目線でうなづいた。
そのときハリー・ポッターの顔によぎった表情を見て、パドマはびくりとした。
「なるほど。」とハリー・ポッターは言う。こんどは大声ではなく、やっと聞こえる程度の声。 「クィレル先生がいたら人間がなぜこれだけバカになるのか説明するところだろうけれど、今回はぼく一人でやってみよう。 人間はバカなことをして、それがばれて捕まって、〈真実薬〉を飲まされることがある。 でも大犯罪者と言われるような人はそうそう捕まらないし、捕まっても〈閉心術〉で切りぬける。 無能でへたくそな犯罪者だけが捕まって〈真実薬〉を飲まされて犯行を自白させられる。それから、アズカバン行きをのがれようと必死になって、〈偽記憶の魔法〉にかけられていたんだと言いだす。そういうことだろう? すると人間の脳はパヴロフ的な連想をはたらかせて、〈偽記憶の魔法〉という概念と真っ赤なうそを言う無能犯罪者という概念とをむすびつけるようになってしまう。 なにを聞いても、細かい情報を考慮するまでもなく
「なにわけのわからないこと言ってんの?」とモラグが見下すように言った。
「自分はハリー・ポッターだから信じてもらえると思ってるんだろうけど、それがグレンジャーを〈闇〉に転向させた張本人じゃあねえ?」 そう言ったのはレイヴンクローの上級生だが、パドマの知らない顔だった。
「そういう風に……」 ハリー・ポッターは妙に落ちついた声で言う。 「とんでもないことを信じる非論理的な魔法族がいるのもしかたないことだと思う。 以前そのことでクィレル先生に愚痴を言ったら、逆にマグルだってそれ以上にとんでもないことをいくらでも信じているし、ぼくも人並の育ちかたをしていればそうなる、と言われた。 ふつうの人間はそういうことをしてしまうものだし、してしまう人が
ハリー・ポッターはその場の全員をあとにして去った。
「あんなので納得したんじゃないでしょうね?」と、となりのスー・リーがパドマに声をかけてきた。スー自身がどう考えているかは、その言いかたですぐに分かった。
「わ——」 声がのどから出てこない。思考があたまのなかから出てこない。 「わ——わたしは——その——」
真剣に考えぬくことで、人間は不可能を可能にできる。
(そういう信念をハリーはずっと以前から持っていた。 物理法則という究極の限界はある、と譲歩していた時期もあったが、いまでは真の意味での限界はどこにもないのではないかと思っている。)
思考の速度をあげれば
……こともある。
できると決まってはいない。
失敗することもある。
〈死ななかった男の子〉は陳列室のなかを見わたした。ここには優勝杯やプレートや盾や像やメダルがはいったクリスタルガラスのケースが何千何万とある。 ホグウォーツが創設されて以来、数百年をかけてあつめられた品の数々。 一週間、一カ月、あるいは一年をかけても、この部屋のすべてを『捜査』することはできないだろう。 ハリーはフリトウィック先生が不在なのでヴェクター先生のところに行き、ガラスケースにかけられた結界に傷がないか検知する方法や、実際に決闘がおこなわれたか場合にのこるであろう遺留物を見つける方法を知ろうとした。 ホグウォーツ図書館に行って、指紋の鮮度を調べる呪文や、残留した呼気を検知する呪文がないかと探しまわった。 そうやって探偵のまねごとをしてみても、なんの成果もなかった。
どこにも手がかりはなかった。すくなくとも、ハリーには見つけることができなかった。
スネイプ先生によれば、例のポートキーはロンドン市内の
スネイプ先生はハーマイオニーの
ダンブルドア総長の話では、ヴォルデモートの魂はおそらく、ホグウォーツ城のセキュリティ機構の検知にかからない〈秘儀の部屋〉を根城にしているのではないかという。 ハリーは〈不可視のマント〉をかぶってスリザリンの地下洞にしのびこみ、午後の時間をすべてつかって、ヘビらしいものに手あたりしだい声をかけてみたが、どれもぴくりとも反応しなかった。 どうやら〈秘儀の部屋〉の入りぐちは一日たらずで発見できるものではないらしい。
ハーマイオニーの友だちのうちまだハリーと話す気がある人全員に聞いてみたが、ハーマイオニーのくちからドラコの陰謀に関する具体的ななにかを聞いた記憶がある人はいなかった。
クィレル先生は夕食の時間になっても〈魔法省〉から帰らなかった。 上級生たちは今年の〈防衛術〉教授は暴力的なことを教えすぎたという理由でこの事件の責任をとらされ、解雇されることになると思っているようだった。 もうクィレル先生がこの学校からいなくなったかのような話しかただった。
ハリーは〈逆転時計〉の六時間すべてを使ったが、なんの手がかりも見つからないまま、就寝時間をむかえた。意識がはっきりした状態で翌日のハーマイオニーの審判にのぞむためには、睡眠が必要だ。
〈ディメンターを倒した男の子〉はホグウォーツの陳列室のまんなかで、足もとに落ちた杖をまえに、立ちつくしていた。
そして泣いていた。
いくら頭脳をはたらかせても、答えが見つからないこともある。
翌日、ハーマイオニー・グレンジャーの裁判は予定どおりに開廷する。
原作品の著者:J. K. Rowling
ファンフィクションの著者:Eliezer Yudkowsky