「ぼくの発想力をためそうというのなら、危険は承知しておいてもらいたい。それにきみの人生がずっと現実ばなれしたものになりうるということも。」
だれも助けをもとめてこない。それが問題だ。 みんな、両親がうわさ話をしている横で、しゃべったり、食べたり、空をながめたりしているだけ。 奇妙なことに、座って本を読んでいる子はひとりもいない。ということは、そんな子のとなりで本を読んでいることもできない。 思いきってみずから率先して座って『ホグウォーツとその歴史』の三度目の通読をしはじめてみても、だれもとなりに座ろうとしてこない。
宿題の手つだいとか、とにかくなにかの手つだいをしてあげること以外、なにをして人と出会えばいいのかが分からない。 自分が引っこみ思案だという気はしていないし、 むしろ人前にでて引っぱるタイプだと思っている。 けれど、「割り算の筆算ってどうやるんだったっけ」といったたぐいのお願いをされるのではなく、自分からだれかに近づいていって声をかけるというのは、どこかやりにくい。そしてそこでなにを言えばいいのか…… いままでわかったためしがなかった。 それに説明書が存在しないらしい、というのがありえない。 人と出会うというタスクは少しも意味がわからない。 参加者が二人いるのに、なぜ
ただひとつはっきりさせておくと、ハーマイオニー・グレンジャーは学校初日のこの日、最後尾の車両で残りすくない無人の客室をみつけて席につき、話しかけようとする人が来た場合にそなえてドアをあけたままにしてはいたが、
車両のあいだのドアがあいた音がして、列車の通路に足音となにかを引きずるような奇妙な音とがやってきた。 ハーマイオニーは読んでいた『ホグウォーツとその歴史』をわきにおいて立ち——だれかが助けをもとめている場合にそなえて——くびをだして外をのぞいた。そこには、魔法使いのよそいきローブをきた、身長から判断しておそらく一年生か二年生のおさない少年がいた。スカーフをあたまに巻きつけてかなり変なかっこうをしていて、 その隣には小さなトランクがいる。 その子は彼女が見ているまえで、ドアの閉まった別の客室をノックして、スカーフですこしだけくぐもった声で「すみません、ちょっとききたいことがあるんですが。」と言った。
客室からのこたえは聞こえなかったが、ドアをあけたあとにその子は——なにかの聞き違いでないかぎり——こう言っていたように聞こえた。 「クォーク全六種を知っている人はいますか? あるいは、ハーマイオニー・グレンジャーという名前の一年生の女の子の居場所を知っている人はいますか?」
その子がその客室のドアをしめたあと、ハーマイオニーは声をかけた。「なんのご用?」
スカーフをかぶった顔がハーマイオニーのほうをむいて、「クォーク全六種を言える人とハーマイオニー・グレンジャーの居場所を教えてくれる人以外に用はない。」と言った。
「アップ、ダウン、ストレンジ、チャーム、トゥルース、ビューティ。それでなぜその子をさがしてるの?」
この距離からだとわかりにくいが、その子がスカーフのしたでにやりとするのが見えたような気がした。 「あ、じゃあハーマイオニー・グレンジャーという名前の一年生はきみなんだ。」とスカーフごしのおさない声が言った。「しかもちゃんとホグウォーツ行きの列車にいる。」 その子はハーマイオニーのいる客室を目がけて歩いてきて、そのあとにずるずるとトランクがついてきた。 「厳密には、きみを
ハーマイオニーは口をひらいて返事をしようとした。しかし、いま聞かされたのが
「どうぞ座って。それとできたらドアをしめてくれるかな。心配しないで。さきに噛みついてきた相手以外にはぼくは噛みつかないから。」と言うと、その子はもうスカーフをあたまからときはじめていた。
自分がその子のことを
「ぼくもきみがハーマイオニー・グレンジャーだと
ハーマイオニーのあたまのなかで、やっとそれがつながった。 いなづま型の、ひたいの傷あと。 「ハリー・ポッター! 『現代魔法史』にも『闇の魔術の興亡』にも『二十世紀魔法世界のできごと』にも出てくるあの子!」 本のなかにいる人物に
その子は三度まばたきをした。 「ぼくは
「あら、知らなかったの? わたしだったら手当たりしだい調べておくと思う。」
その子はずいぶん冷ややかに返事する。 「あのね、ミス・グレンジャー、ぼくは七十二時間まえにダイアゴン小路にいって自分が有名らしいと知ったばかりなんだ。 この二日間は、ひたすら科学の本を買ってばかりいた。これから、手当たりしだい調べるつもりさ。」 そこでその子はためらった。「本にはぼくのことがどういう風に書いてある?」
ハーマイオニー・グレンジャーの脳裡にイメージが次つぎとうかんだ。ああいった本でテストされることになるとは思っていなかったが、たった一カ月まえのことなので、まだ内容はいきいきと思いだせる。 「あなたは〈死の呪い〉を生きのびた唯一の人間で、だから〈死ななかった男の子〉とよばれている。 ジェイムズ・ポッターとリリー・ポッター、旧姓ではリリー・エヴァンズの息子で一九八〇年七月三十一日生まれ。 一九八一年十月三十一日に〈闇の王〉、別名ではなぜだか〈名前を言ってはいけない例の男〉があなたの家を襲撃した。 両親の家のがれきのなかで、ひたいに傷あとをおったあなたが生存しているのが発見された。 主席魔法官アルバス・パーシヴァル・ウルフリック・ブライアン・ダンブルドアがあなたをどこかにかくまった。それがどこかはだれも知らない。 『闇の魔術の興亡』によればあなたが生きのびたのはお母さんの愛のおかげで、ひたいの傷あとには〈闇の王〉の全魔力がやどっていて、ケンタウロスたちはあなたを恐れている。『二十世紀の魔法世界のできごと』にはそんなことはちっとも書かれていないし『現代魔法史』はあなたについての説には根も葉もないものが多いと警告している。」
その子は口をぽかんとあけた。 「もしかして、ホグウォーツいきの列車でハリー・ポッターがくるのを待て、とかだれかに言われてた?」
「いいえ。 そちらこそ、だれからわたしのことを?」
「マクゴナガル先生だけど、なぜそう言われたかわかった気がする。 きみは写真記憶能力があるの?」
ハーマイオニーはくびをふった。 「いいえ。 そうだったらいいといつも思うんだけど、教科書は五回読まないと暗記できなかった。」
「そうなんだ。」とその子はすこしつまらせたような声で言った。 「気をわるくしないでほしいんだけどそれをテストさせてもらっていいかな——信じないわけじゃないけど、『信頼せよ、だが検証せよ』っていうじゃないか。 実験でたしかめられることを疑問のままにしておく必要はない。」
ハーマイオニーはかなり得意げな笑みをうかべた。 テストは大好きなのだ。 「どうぞ。」
その子は横においていたポーチに手をいれて「アージニウス・ジガーの『魔法薬調合法』」と言った。 とりだした手には、その本があった。
その瞬間、ハーマイオニーはいままで見たなによりもこういうポーチがほしくなった。
その子は本のなかほどをひらいて目をおとした。 「『鋭角の油』をつくる場合——」
「そのページ、わたしから見えてるんだけど!」
その子は本をかたむけて見えないようにし、またページをめくった。 「『蜘蛛糸あるきの
「液にその糸をいれて、雲のない日の出どきに太陽のへりが見えかける八分前の、地平線から仰角八度の空とちょうどおなじ色になるのを待つ。 反時計まわりに八回、時計回りに一回かきまぜ、ユニコーンの鼻くそを八ドラム分くわえる。」
その子は本をぱちりととじてポーチにもどし、ポーチはみじかいげっぷの音をだして本を飲みこんだ。 「これは
「お誘い?」 うさんくさい。 女の子はこういうことばに引っかかってはいけない。
このあたりでハーマイオニーはその子についてもうひとつ——ひとつどころじゃないんだけれども——おかしなことに気づいた。
その子はポーチに手をいれ「缶ジュース」と言い、明るい緑色の缶をとりよせた。 それをハーマイオニーのほうにつきだし、「飲み物はいかが?」と言った。
ハーマイオニーは泡をたてているその飲み物を行儀よくうけとった。 実際けっこうのどがかわいてきた気がする。 「どうもありがとう。」ハーマイオニーはそう言って口をつけた。「お誘いっていうのはこれ?」
その子がせきばらいし、「いや」と言った。 そしてハーマイオニーが飲みはじめるのと同時に、「ぼくが全宇宙を征服するのをてつだってもらいたいんだ。」
ハーマイオニーは飲みおえて缶をおろした。 「おことわりします。わたしは邪悪じゃないから。」
その子はおどろいてハーマイオニーを見た。あたかも別の答えを予想していたかのようだ。 「いまのはちょっと修辞的に言っていただけで。その、ベイコン的プロジェクトの意味なんだ。政治的権力ではなく。 『あらゆる可能性の実現』とかのあれ。 ぼくがしたいのは、呪文の実験的研究をしたり、背後にある法則をみつけたり、魔法を科学の分野に位置づけたり、魔法世界とマグル世界を統合したり、全世界の生活水準をひきあげたり、人類を数世紀分進歩させたり、不死の秘密をときあかしたり、太陽系に植民したり、銀河を探検したり、それにだってどうみてもありえないこのすべてがどうやって起きているのかを説明したりっていうこと。」
これはちょっとおもしろそうだ。「それで?」
その子は信じられないというように彼女をみつめた。「『それで』って? これじゃたりないとでも?」
「それでわたしになにをしてほしいの?」
「もちろん、ぼくの研究をてつだってほしいんだよ。 きみの百科事典的記憶能力がぼくの知性と合理性にあわされば、このベイコン的プロジェクトはすぐに完成する。 『すぐに』というのはたぶん三十五年以上という意味だけど。」
ハーマイオニーは不快感をおぼえさせられはじめていた。 「あなたの知的なところをまだなにも見せてもらってないんだけど。
ある種の沈黙が客室におりた。
ながく間があいてから、その子はこう言った。 「つまりぼくの知性を実演してみせろと。」
ハーマイオニーはうなづいた。
「ぼくの発想力をためそうというのなら、危険は承知しておいてもらいたい。それにきみの人生がずっと現実ばなれしたものになりうるということも。」
「いまのところたいしたことなさそう。」 いつのまにか、緑色の飲み物がまたハーマイオニーのくちびるにのぼってきている。
「じゃあ
その音はハーマイオニーがちょうど飲みこんでいる途中に鳴った。そしてハーマイオニーはのどをつまらせ、せきこんで、明るい緑色の液体をはきだした。
それが学校一日目、新品の、一度もきていなかった魔女用ローブにおちた。
ハーマイオニーは悲鳴をあげてしまった。客室のなかでそれは空襲警報のように高い音がした。 「
「あわてないで。ぼくにまかせて。みてて!」と手をふりあげ、その子が指をならす。
「あなた——」と言いかけて、ハーマイオニーは自分を見おろした。
緑色の液体はまだそこにあったが、みるみるうちに薄れ、消えていき、数秒後には最初からなにもこぼしていなかったかのようになった。
やけに得意げな笑みをうかべるその子を、ハーマイオニーはじっとみつめる。
無詠唱無杖魔法! この若さで? 教科書をもらってからわずか三日で?
そこで以前読んだ本の内容を思いだし、ハーマイオニーは息をのんでその子から飛びのいた。
ハーマイオニーはあわてて立ちあがった。 「ち、ち、ちょっとトイレへ。あなたはここで待ちなさい——」 大人をみつけてこのことを知らせなければ——
その子の笑みが消えた。 「ただのトリックだよ。ごめん、こわがらせるつもりはなかった。」
手がドアのとってにのったところで止まった。 「
「そう。知性を実演しろと言われたからさ。一見不可能なことをやってのけるというのはいつもいい実演方法だ。 ほんとは、ぼくは指をならすだけでなんでもできたりしない。」 そこでその子はことばを切った。 「すくなくとも、ぼくの
ハーマイオニーは人生でこれ以上に混乱したことはなかった。
ハーマイオニーの表情をみてその子はまた笑顔になった。 「ぼくの発想力をためそうとするときみの人生が現実ばなれすると
「だけど、だけど……」とハーマイオニーはことばをつまらせた。「じゃあほんとはなにをしたの?」
その子の見つめかたがなにかをおしはかるような質のものにかわった。同年代の子の目には見たことのない種類の視線だ。 「ぼくが手をかすかどうかに関係なく、きみはどうすれば一人前の科学者になれるかがわかってるつもりみたいだったね。 じゃあ奇妙な現象を調査するとき、きみならどうするか。やってみせてもらおうじゃないか。」
「それは……」ハーマイオニーのあたまのなかは一瞬まっしろになった。テストは大好きだが、
その一:仮説をたてる。
その二:実験をして仮説を検証する。
その三:結果を測定する。
その四:発表のポスターをつくる。
その一は仮説をたてること。つまり、いま起こったことを説明
「よし。それがこたえかい?」
ショックはさめつつあり、ハーマイオニーのあたまは正常にはたらきつつある。 「まって。それじゃおかしい。 あなたは杖をさわっていないし呪文をとなえてもいなかった。
その子はどっちつかずの表情で待った。
「でも、もしあの店のローブはすべて
その子の両眉がうわむいた。「
「いいえ、まだ。その二、『実験をして仮説を検証する』をやらないと。」
その子はまた口をとじて、笑みをうかべはじめた。
無意識のうちに窓のカップホルダーにおいていたジュース缶のほうに目をやる。 ハーマイオニーはそれを手にとり、なかをのぞいた。三分の一ほどのこっている。
「それじゃあ、わたしがしたい実験はこれを自分のローブにかけてどうなるか見ること。そのしみは消えるというのがわたしの予想。 問題は、
「ぼくのでやればいい。そうすればきみのローブにしみがつくことは気にしなくてよくなる。」
「でも——」 この発想はどこか
「予備のローブがトランクにあるからさ。」
「でも着がえる場所がないでしょう。」とハーマイオニーは抗議した。けれどすぐに考えなおした。「けれどわたしがそとに出ててからドアをしめてあげれば、一応——」
「着がえる場所はトランクのなかにもあるよ。」
ハーマイオニーはそのトランクを見た。それは自分のトランクよりもかなり特別なもののような気がしてきた。
「わかった。あなたがいいなら。」と言って、ハーマイオニーはおそるおそる緑色のジュースをその子のローブのはしっこにかけた。 それを見ながら、さっきはどれくらいの時間で消えたのだったかと、思いだそうとしていると……
緑色のしみは消えた!
ハーマイオニーはほっとして息をついた。というのも、これで〈闇の王〉のあらゆる魔力を相手にしていなかったことになるから、というのが大きい。
その三は結果を測定することだが、今回はしみが消えるのをただ見るだけだ。 その四のポスター発表は省略してもいいだろう。 「よごれを防ぐ
「ちがうね。」
ハーマイオニーは落胆の痛みを感じた。 そう感じてしまうのは、ほんとうに
(そのことでテストからおりたりテストへの愛がさまたげられたりはけっしてしないということだけでも、ハーマイオニー・グレンジャーがどういう人物かが十分よくわかる。)
「悲しいのは、きみはたぶん本に言われたことをすべてやったということだ。きみはローブに魔法がかかっているかいないかを区別する予想をして、それを検証し、魔法がかかっていないという帰無仮説を棄却した。 でも、すごくすごくいい種類の本でないかぎり、
おなじ十一歳にすぎないというのにあまりに上から目線の態度に、ハーマイオニーはむかむかしてきた。だが、自分がどこで間違ったかを知ることにくらべれば、二の次だ。 「わかった。」
その子の態度に熱がこもった。 「二・四・六課題という有名な実験をもとにしたゲームがある。やりかたはこう。 あるルールがあって——ぼくはそれを知っていて、きみは知らない。数字三つ組のうち、そのルールに合致するものと、違反するものとがある。 二・四・六はルールにあう三つ組の一例だ。 そうだ……固定されたルールだとわかるように、そのルールを書きとめて、たたんできみにわたしておく。 見ちゃだめだよ。きみは上下さかさまでも字がよめるってさっきわかったからね。」
その子はポーチに「紙」と「シャープペン」と言い、書きとめた。そのあいだハーマイオニーはきつく目をとじた。
「はい。」と言ってその子がしっかりとたたまれた紙をわたしてきた。 「これをポケットにいれて。」と言われ、ハーマイオニーはそうした。
「では、このゲームのすすめかたについて。きみは三つ組をひとついう。それがルールに合致していたらぼくは『イエス』という。そうでなければ『ノー』という。 ぼくは〈自然〉で、このルールはとある自然法則で、きみはぼくを調べている。 二・四・六が『イエス』なのはもう教えたとおり。それから、きみは必要と思うだけの三つ組をぼくに質問して、実験的テストを気がすむまでして、終わったら予想したルールをこたえる。そして紙をひろげて答えあわせをする。 どういうゲームか、わかったかな?」
「もちろん。」
「はじめ。」
「四・六・八。」とハーマイオニーが言う。
「イエス。」とその子が言う。
「十・十二・十四。」
「イエス。」
ハーマイオニーはこころのたがを、もうすこしはずそうとした。ここまでしたテストで十分に思えるけれど、こんなに簡単なはずはないだろうから。
「一・三・五。」
「イエス。」
「マイナス三・マイナス一・プラス一。」
「イエス。」
これ以上すべきことが思いつかない。 「二ずつ増やしてできる数字の組、っていうルールでしょう。」
「もしぼくが、このテストは一見簡単そうだけどそうじゃない、大人でも二割しか正解できない、と言ったらどうする。」
ハーマイオニーは眉をひそめた。なにを見落としただろうか。 すると急に、すべきだったテストが思いあたった。
「二・五・八!」と言ってハーマイオニーは勝ちほこった。
「イエス。」
「十・二十・三十!」
「イエス。」
「
「よろしい。紙をとりだして、答えあわせをどうぞ。」
ハーマイオニーはポケットから紙をとりだしてひらいた。
『三つの実数を小さいほうから順に並べたもの』
ハーマイオニーはぽかんと口をあけた。ひどく卑怯なことをされたという感じがはっきりとあった。この子は汚ない卑劣な嘘つきだ。と思ったが、ふりかえって考えてみると、もらったどの返事も間違ってはいない。
「きみがいま発見したものは『正例バイアス』と呼ばれている。 きみは自分のなかでルールをつくって、そのルールで『イエス』になる三つ組のことばかり考えてしまっていた。 そしてそのルールが正しければ『ノー』になるであろう三つ組を試そうとしなかった。 実際、『ノー』の返事をひとつももらわなかったんだから、『任意の数字三つ』がルールだったとしてもおかしくなかったはずだ。 ひとは自分の仮説をたしかめてくれる実験を考え、自分の仮説を反証しうる実験を考えない、というのと似ている——きみの失敗とぴったりおなじではないけれど、似ている。 きみは負の側面を見ること、闇をのぞきこむことを学ばなければならない。 この実験は大人でも二割しか正解できない。 正解できない人はたいていとんでもなく複雑な仮説を発明して、実験をたくさんしてどれも期待どおりの結果になったからといって、間違ったこたえに非常に自信をもってしまうんだ。」
「さあ、もとの問題にもう一度挑戦してみる?」
その子の目がきっぱりとした目になった。まるでこのテストが
ハーマイオニーは目をとじて集中しようとした。ローブのしたで汗がではじめた。これは、いままで考えさせられたことのなかで一番むずかしいことのような気がする。テストでなにかを考えさせられたこと自体
ほかにどんな実験ができるだろうか。〈チョコレート・フロッグ〉はある。これをローブになすりつけて、
つまり……自分の仮説では……ジュースはどんなとき……
「ひとつ実験をさせて。」とハーマイオニーが言う。「ジュースを床にかけて、それが
「ナプキンならある。」と言うその子の表情はまだどちらつかずだ。
ハーマイオニーは缶を手にとり、床にジュースを一滴かけた。
数秒後、それは消えた。
そのことに気づいてハーマイオニーは自分をけとばしたくなった。 「当然だわ!
その子は立ちあがって、厳粛そうに会釈をした。こんどはにやにやと笑っている。 「それでは……ハーマイオニー・グレンジャー、あなたの研究をおてつだいさせていただけますか?」
「わたしは、あ……」 おしよせる高揚感をまだ感じていたハーマイオニーは、
そこに割りこんだのは、よわく、おずおずと、かすかに、だいぶ
その子はむきをかえ、窓のほうをのぞいて言った。 「ぼくはスカーフをはずしちゃったから、きみが返事してくれない?」
このときになってハーマイオニーはその子が——いや、〈死ななかった男の子〉ハリー・ポッターが——そもそもなぜスカーフを巻いていたのかがわかった。もっとはやく気づけなかったのがすこしばかみたいだ。思えばどこか変でもある。 ハリー・ポッターといえば目だちたがるタイプに決まっていると思っていたからだ。ふと、この子は外見の印象よりも内気な性格なのかもしれないという気がした。
ハーマイオニーがドアをひいてあけると、ノックとちょうどおなじような感じの、震えるおさない男の子に出むかえられた。
「すみません。」とその子がかすかな声で言う。 「ぼくはネヴィル・ロングボトム。ペットのカエルをさがしてるんだけど、この車両のどこにもいなくて……どこかでカエルを見かけなかった?」
「見てない。」 そしてハーマイオニーの人助けのスロットルが全開になった。 「ここの客室はぜんぶチェックした?」
「うん。」とその男の子が小さく言った。
「じゃあほかの車両もぜんぶチェックしましょう。」とハーマイオニーはすばやく言う。 「てつだってあげる。ちなみにわたしはハーマイオニー・グレンジャー。」
その子は感謝のあまり卒倒しそうになった。
「ちょっと待った。」と言ったのはもうひとりの男の子——ハリー・ポッター。 「それはあまりいい方法に思えないな。」
それを聞いてネヴィルは泣きだしそうになり、ハーマイオニーは憤慨してふりむいた。 もしハリー・ポッターが、話に割り込まれるのが嫌なばかりに小さな子をみすてるような性格だったら…… 「なに? なにが
「だって、列車をぜんぶ手作業でチェックするのには時間がかかるし。やっても見おとしができてしまうかもしれない。ホグウォーツにつくまえにみつけられなければ、困ったことになる。 理屈にあうのは、まず監督生がいる先頭車両までまっすぐいって、監督生にたすけをもとめることだ。 ハーマイオニーをさがすとき、ぼくはまずそうした。 そのときは監督生にもわからなったんだけど。でもカエルのことなら、便利な呪文か魔法アイテムがあったりするかもしれない。ぼくらはまだ一年生なんだから。」
それは……たしかに理屈にあう。
「きみはひとりで監督生の車両までいける? ぼくはちょっと、顔をひとに見られたくない事情があるんだ。」
ネヴィルが急に息をのんで一歩さがった。「その声は! 〈混沌の王〉!
って? え? え?
ハリー・ポッターは窓からむきなおって、おおげさに立ちあがった。 「チョコレートなど! ぼくが子どもにお菓子などあげるような悪党にみえるか?」
ネヴィルの目がみひらかれた。 「
「いいや、ぼくはハリー・ポッターの
ネヴィルは短い悲鳴をあげて走りさった。 ぱたぱたと必死な足音が遠ざかっていき、車両間のドアがひらいてとじる音がした。
ハーマイオニーはどさりと席に座った。 ハリー・ポッターはドアをとじて、ハーマイオニーのとなりにすわった。
「どういうことか説明してくれる?」とハーマイオニーは弱い声で言った。 ハリー・ポッターのまわりにいるというのは、いつもこんなにややこしいことなのだろうか。
「ああ、うん。フレッドとジョージとぼくがあのかわいそうな子を駅でみつけて——となりにいた女の人がその場を離れてから、あの子がすごくおびえているように見えたんだ。まるで〈死食い人〉かなにかにおそわれるにちがいないと思っているかのように。 ところで、なにかが怖いとき、その対象よりも恐怖そのもののほうが問題だ、という言いかたがある。だからあれは、自分の最悪の悪夢が現実になっても、思っていたほどひどくはなかったと知ることが実際に役立つようなタイプの子なんじゃないかと思って——」
ハーマイオニーは座ったまま口をぽかんとあけた。
「——フレッドとジョージがぼくたちの顔にまいたスカーフを黒くにじませて、アンデッドの王が埋葬布をまいたみたいにみせる呪文をかけてくれて——」
この話はいやな方向に展開していく気がする。
「——それが終わったらぼくが買ってきたお菓子をいろいろあげて、『おかねもあげちゃうぞ! はっはっは! ほらクヌートだ! 銀のシックルもだ!』とか言って、あの子のまわりでおどりながら邪悪な笑いかたをして。 手をだそうとした人も最初はまわりにいたと思うけど、すくなくともぼくたちがなにをするかをみるまでは傍観者の無関心でためらって、そのあとは多分なにをすればいいか全然わからなくなったんだと思う。 最後にあの子が『あっちいけ』とすごく小さな声で言ったら、ぼくたちは悲鳴をあげて、光に焼かれるとかなんとか言いながら走りさった。 今後はいじめられることをそれほどこわがらないようになってくれればいいと思う。ちなみに、これは脱感作療法というんだ。」
なるほど、
憤慨の炎が燃え、ハーマイオニーの主要エンジンのひとつがうごきだした。その三人がやろうとしていたことがなんだったか、
「きみが言おうとしてるのは『愉快』じゃないかな。とにかくきみは間違った問題をとこうとしている。 問題にすべきは、害より利益がおおきかったか、ちいさかったか。
ハーマイオニーの口がひらいてなにか
「正直いって、ぼくらがなにもしなくてもあの子は夢にうなされていると思うよ。
ハーマイオニーの脳はまともに怒りだそうとするたびに混乱してしゃっくりをするばかりだったが、やっとのことでこう言った。 「あなたの人生はいつもこんなに変なの?」
ハリー・ポッターの表情が誇らしそうにかがやいた。 「ぼくが変に
「じゃあ……」とハーマイオニーは言って、ぎこちなく声をとぎれさせた。
「じゃあ……」とハリー・ポッターが言う。「きみはどのくらいの科学をちゃんと知ってる? ぼくは微分積分ができるし多少のベイズ確率理論と意思決定理論と認知科学もいろいろ知っている。それに読んだ本としては『ファインマン物理学』(の第一巻)と『
そういったクイズと逆クイズが数分間つづいたところで、おずおずとしたドアへのノックがまたあった。 「どうぞ。」とハーマイオニーとハリー・ポッターがほとんど同時に言うと、ドアがひらき、ネヴィル・ロングボトムがあらわれた。
ネヴィルは
〈死ななかった男の子〉の表情がかわった。くちびるがほそくむすばれ、しゃべりだしたときには、その声は冷たく暗いものになっていた。「色は? 緑と銀色?」
「ううん。バッジの色は……あ、赤と金色。」
「
ハリー・ポッターはシュっと音をだした。生きたヘビがだしてもおかしくないようなおそろしい音で、ハーマイオニーとネヴィルはびくりとした。 「どうやら……」とハリー・ポッターは吐きすてた。「一年生のためのカエルさがしは
〈死ななかった男の子〉はネヴィルの手をつかんで、たちあがった。そのときハーマイオニーは脳のしゃっくりとともに二人がおなじ背たけであることに気づいた。それなのに彼女のこころのなかのどこかが、ハリー・ポッターはもう一フィートたかく、ネヴィルはあと六インチはひくいはずだと言っていた。
「
彼女も多分ついていくべきだった。けれどハリー・ポッターが一瞬だけとてもおそろしく見えたので、ハーマイオニーはそう申しでなくてよかった、と内心ほっとした。
ハーマイオニーのあたまのなかは、『ホグウォーツとその歴史』を読むことすら考えられないほどぐちゃぐちゃになっていた。 まるで自分が蒸気ローラーにひかれてパンケーキにされたかのように感じた。 自分がなにを考えているのかも、どう感じているのかも、なぜなのかも、よくわからず、 ただ窓のとなりに座って、ながれる景色を見つめることしかできない。
いや、すくなくとも、すこしさびしく感じている理由はわかる。
グリフィンドールは、思っていたほどすばらしい場所ではないのかもしれない。
原作品の著者:J. K. Rowling
ファンフィクションの著者:Eliezer Yudkowsky
今回の非ハリポタ用語:「クォーク (quark)」
物質の究極的な構成要素、素粒子の一種。クォークは陽子や中性子を構成し、陽子や中性子は原子を構成する。原子とちがってごくかぎられた数しか知られていない。