自分が火となってぱっと燃えて消え、つぎの瞬間に別の場所で燃えあがる。ただそれだけで、ハリーと総長と、総長の腕にかかえられた昏睡状態のハーマイオニー・グレンジャーは、頭上にいるフォークスに連れられて空間を飛び越え、 平穏な空気の部屋に出現した。白い石柱のある部屋で、 ずらりとならぶ白いベッドに四方に採光窓がある。そのうち四つのベッドには音消しのカーテンが下ろされていて、ほかのベッドは使われていない。
視界のかたすみで、マダム・ポンフリーがおどろいた顔をしてこちらに振り向きかけていた。 ダンブルドアはそれを意に介する風でもなく、未使用のベッドのまえに行くと、静かにハーマイオニーをそこへおろした。
奥のほうで緑色の光が一閃し、暖炉のなかからマクゴナガル先生が〈
ダンブルドアはベッドを離れ、また片手でハリーを抱いた。つぎの瞬間、二人はまた火となって消えた。
もう一度全身が燃えたかと思うと、ハリーは総長室にいて、やかましい無数の謎の機械たちに囲まれていた。
少年は老人からすこし距離をとり、正面から向かいあう位置についた。
二人はしばらく無言でたがいを見つめあった。見つめあうことでしか成立しない会話が成立しているかのようだった。
やがて少年が、一言ずつはっきりと話しはじめた。
「あなたの肩にまだ不死鳥がいることが信じられません。」
「不死鳥の選択にやりなおしはない。 主人が善と悪のあいだで悪をえらんだなら、あるいは去ることもあろう。しかし主人がある善と別の善のあいだで選択をせまられただけで去ることはない。 不死鳥は傲慢ではない。自分たちが知りえないこともあると知っている。」 老人の目がいっそうするどくなる。 「……そこがきみとのちがいじゃな。」
「ある善と別の善、ですか。 ハーマイオニー・グレンジャーの命と十万ガリオンを
「きみもそう立派なことが言えた立ち場ではなかろう。」 声の調子とは裏腹にとげのある一言。 「……その証拠に、あの場できみも一度はためらった。そうでないとは言わせんぞ。」
こころのなかの空虚な感覚が増す。 「ぼくは別の方法がないか、考えようとしていたんです。……ハーマイオニーを救い、十万ガリオンもわたさずにすむような方法が。」
こころのなかでレイヴンクローの声がする。よくそんなうそが言えるよ。というより、言いながら
「ほんとうにそんなことを考えていたのかね?」 ダンブルドアの青色の目にのぞきこまれて、ハリーは生きたここちがしなかった。世界最強の魔法使いはもしかするとハリーの〈閉心術〉の障壁を見とおすことができるのかもしれない、と思った。
「ええ、たしかにぼくも、金庫のありがねすべてを手ばなすのを一度はためらいました。でも最後にはちゃんと、手ばなしたじゃないですか! そこへいくと、あなたは——」 怒りの声がもどってきた。 「あなたはハーマイオニー・グレンジャーの命にあからさまに値段をつけた。十万ガリオンに満たない値段だと言った!」
「ほう?」と老魔法使いは小声で言う。「ではきみなら、いくらの値段をつける? 百万ガリオンか?」
「経済学でいう『再調達価額』という概念はごぞんじですか?」 考えるよりはやく口が動いてしまう。 「ハーマイオニーの再調達価額は
またそんな数学的にめちゃくちゃなことを……めちゃくちゃだよな? レイヴンクロー——とスリザリンが言った。
「ではミネルヴァの命も、無限大の価値があるというのか? きみはミネルヴァを犠牲にしてハーマイオニーを救えるとしたらそうするのかね?」
「どちらもイエスです。それも教師の果たすべき責任ですから。マクゴナガル先生本人もその覚悟はあるでしょう。」
「それはつまり、ミネルヴァがいかに惜しまれる人であろうとも、ミネルヴァの価値は無限大ではないということ。 チェス盤には
それはハリーにとって痛烈な指摘だった。あまりに痛烈だったので、ハリーはついこんな一言を返してしまった。
「ルシウスが言ったとおりですね。あなたは妻をもったことも娘をもったこともない。あなたのあたまにあったのは戦争だけ——」
老魔法使いの左手がハリーの手くびをつかみ、骨ばった指がハリーの腕の未熟な筋肉に食いこんだ。その強さに、ハリーは一瞬、自分の腕が麻痺したのではないかと思った。大人と自分にはそれだけの筋力差があるのだということを思いださせられた。
アルバス・ダンブルドアはそれに気づかない様子で、背をむけ、ハリーの手を引いたまま、足音をひびかせて部屋の壁まで歩いていった。
「『不死鳥の代償』」
ダンブルドアに連れられ、ハリーも黒い階段をのぼっていく。
「『不死鳥の運命』」
壊れた杖と黒い台座がならぶ、銀色の光に照らされたあの部屋。
「……ぼくと論争になるたび、この部屋に連れてくるだけで言い負かせると思ってるんじゃないでしょうね?」
ダンブルドアは聞く耳をもたず、ハリーを連れて、部屋のなかに足をふみいれた。 そしてつい直前まで杖をもっていた右手で、銀色の液体の瓶をつかむ——
そのときハリーは自分が目にしたものにショックを受けた。瓶のとなりにある写真は、ダンブルドア本人の写真だった。……手を引かれてすぐに通りすぎてしまったので、そう見えただけだったかもしれないが。
ならぶ台座すべてを通りすぎて部屋の最奥部につくと、そこには巨大な石の水盤があった。その表面にはハリーの知らないルーン文字がきざまれている。 ダンブルドアが銀色の液体の瓶をもち、それを水盤中央のくぼみにためられた透明な液体に浸すと、またたく間に水盤全体が不気味な白い光をおびた。
老魔法使いはハリーの腕から手をはなし、水盤に手招きし、「このなかを見なさい!」と言った。
ハリーは言われるがまま、光る液体をじっと見た。
「このペンシーヴに顔をつけるのじゃ。」
その単語には聞きおぼえがあったが、どこで聞いたのだったか—— 「顔を——なんのために——」
「記憶じゃ。ここにはわしの記憶がある。誓って、危険なものではない。 レイヴンクローは真実を追い求めるのではなかったか。真実を知りたければ、これを見てみよ!」
そう言われていやとは言えず、ハリーは一歩まえにでて、顔を液につっこんだ。
ハリーはホグウォーツ総長室の机にむかって席につき、両手であたまをかかえている。手にはしわが多く、白い毛もあり、老いて見える。
「わしにとってただ一人の家族。わしにはもう弟しかいないのだ。ただ一人の家族だというのに!」 ダンブルドア自身が記憶しているダンブルドアの声に、ハリーは違和感をおぼえた。それは外から聞くときほどに厳格で賢者らしい声ではなかった。
ペンシーヴは感情をつたえない。直接つたわるのは自分が声をだしているという物理的感覚だけ。ハリーはダンブルドアの声色から絶望の色を読みとった。声は自分ののどから出ているように感じられるが、声を通じて読みとれる以上の感情を内がわから感じとれはしない。
「ほかにどうするというんだ。」と、とがめる声があった。
目が動き、遷移した視界にハリーの知らない人物が映る。〈闇ばらい〉の制服とおなじ赤色に染められた、ポケットの多い革服を着た男だった。
男の右目は異常に大きく、エレクトリックブルーの瞳孔が急がしく動きまわっている。
「無理を言わないでくれ、アラスター! これだけは! これだけは見のがしてくれ!」
「無理を言ってるのはおれじゃない。ヴォルディの野郎だからな。断れよ。」
「かねか? かねがそこまで惜しいのか?」とダンブルドアは懇願するように言う。
「ここでアバフォースのために身代金を支払えば、あんたはこの戦争に負ける。 分かりきったことだ。百万ガリオンはおれたちが集めた戦費のほぼ全額だ。こんなことに使ってしまったら、二度と集められるものか。 ロングボトム家はすでにありがねをはたいてくれた。つぎに頼むのはポッター家か? それでどうなる? ヴォルディはまた別の人質をとって、また身代金を要求するだけさ。 アリスもミネルヴァも……あんたと親しい人間はみな標的になる。こちらが要求をのんだが最後、〈死食い人〉連中は味をしめるぞ。」
「わしは……最後にのこった弟までも……」 ダンブルドアの声がとぎれ、遠くを見ていた顔が下を向き、老いた両手につつまれる。ハリーのものではない喉から、痛切な泣き声が漏れる。ダンブルドアは子どものように泣いていた。
「おれから言ってやってもいいんだが?」 アラスターの声が妙にやさしくなる。 「かわりに断ってほしいなら、引き受けるぞ。」
「いや——それを言うのは——わしでなければ——」
記憶はそこで終わった。ハリーはその衝撃で水面から顔をぱっと引きはなし、しばらくろくに呼吸ができていないときのように息をあえがせた。
数十年まえの現実と現在。ふたつの場面の落差も衝撃的であり、過去への没入には、ある種、ハリーを自由にする効果があった。総長室で泣きくずれていた老人と目のまえにいる老人とのあいだには、時間だけでは説明できない差があった。過去のダンブルドアはいまほど硬質ではなかった——
記憶が雲散霧消するまえに、ハリーはそこまでは理解できた。そして現在にもどった。
目のまえの老人には、石から切りだされたように硬く、ものものしい雰囲気がある。ひげは鉄で編まれたように、半月眼鏡は鏡のように見え、瞳孔は黒ダイアモンドのように鋭く揺るぎない。
「弟が〈
「きっとそのとき——」 胸が悪くなってきて、うまく声がだせない。 「きっとそのときにあなたは——」 気づきたくなかったことに気づいてしまい、自分が言おうとしている文の忌まわしさにのどを焼かれるようだった。 「そのときにあなたはナルシッサ・マルフォイを寝室で焼き殺したんですね。」
アルバス・ダンブルドアの視線は冷ややかだった。 「そうだともそうでないとも言わないことが賢明であることくらいは分かると思うが。 肝心なのは、〈死食い人〉はわしが彼女を殺したのだと信じている、ということ。そしてそう信じさせることができたからこそ、〈不死鳥の騎士団〉の構成員の家族をいまにいたるまで守れているということ。 そろそろきみも自分が今日なにをしてしまったのか、分かったのではないか? きみが友だちと呼ぶ人たち、きみに味方する人たちの身になにが起きうるか、気づいたのではないか?」 ダンブルドアの声が大きくなり、同時に背たけすら大きく威圧的になったように感じられた。 「きみが今日、脅迫に応じたせいで、これからはそういった人たちが敵の標的になる! きみが脅迫に応じなくなったことを証明できるまで、それはつづく。そして証明の方法は一つしかない!」
「結局どうなんですか?」 ハリーは耳鳴りのような音を体内に感じ、自分とからだが切り離されていくような気がした。 「ドラコはナルシッサ・マルフォイにはルシウスと結婚したこと以外なんの罪もなかったと言いました。それは事実ですか? それなら、彼女が妻としてルシウスの悪事を間接的に支援していたのだとしても、ぼくには
「それくらいでなければ、わしが躊躇を捨てたのだということを敵に納得させることはできなかった。」 ダンブルドアは有無を言わさない態度で話す。 「わしはいつも、自分に課せられた責務を果たすことを躊躇していた。わしが慈悲を見せたせいで、他人が代償を支払うことになってばかりいた。 アラスターは最初からそう言っていたが、わしは耳を貸さなかった。 きみにはそういった決断のできる人間になってもらいたい。」
「意外ですね。そうなれば〈死食い人〉は別の〈光〉の家族のだれかを狙い、復讐の連鎖がはじまる、というほうが自然だと思いました。こちらが敵全員を一度に倒せるのであれば別ですが。」 ハリーは自分の声がほとんど震えていないことにおどろいた。
「相手がルシウスであったなら、そういうことも考えられる。」 ダンブルドアの目は石の粒のよう。 「ヴォルデモートはそのとき、〈死食い人〉たちをまえに笑い、ダンブルドアもようやく立派な対戦相手になったかと言ったという。 それはまちがっていなかったようにも思う。 自分の弟を死に追いやって以来、わしは味方になってくれた人たち一人一人の価値を吟味し、どんな目的にならだれを犠牲にしてよいかと、考えるようになった。 不思議なことに、個々の駒の価値を意識するようになると、駒をうしなうことも少なくなった。」
いくら口を動かそうとしてもなかなか動いてくれない。 「でも今回は、ルシウスが身代金をとろうとしてハーマイオニーを標的にしたんじゃありませんからね。」 あまり説得力のある声にはならなかった。 「ルシウスの立ち場では、別のだれかがさきに停戦を破棄したように見えていた。 そこをよく考えて、ハーマイオニーの価値は何ガリオンだったのか、言ってみてください。 脅迫が常習化するということはおいておいて、純粋にハーマイオニー一人の命を救う対価だとしたら、いくらまでなら許せるんですか? 一万ガリオンですか? 五千ガリオンですか?」
老魔法使いはこたえない。
「変なことを思いだしました。」 自分の声が水面をはさんで揺れる映像のように聞こえる。 「ぼくがディメンターのまえに立った日に見た最悪の記憶はなんだったと思いますか? 両親が死ぬところです。声もしっかりと聞きました。」
半月眼鏡のなかの老魔法使いの目が見ひらかれた。
「そのときのことで、何度も考えていることがあります。 〈闇の王〉はリリー・ポッターに、逃げたければ逃げるがいい、自分を犠牲にして息子を助けようとしても無駄だ、と言いました。 『愚か者め、そこをどけ。すこしはあたまをはたらかせろ』と——」 自分の口からそのせりふを言うと背すじが震えあがる思いがしたが、それを振りきってつづける。 「それからぼくはずっと考えていました。考えずにはいられませんでした。 〈闇の王〉が言ったとおり、
老魔法使いは自分の体が
「わしは……わしはなんということをきみに言ってしまったのか。」
「知りませんよ! ぼくもろくに聞いていませんから!」
「ハ……ハリー、わしが悪かった——」 両手に顔をうずめ、アルバス・ダンブルドアは泣いているようだった。 「わしはこんなことをきみに言うべきではなかった——きみの……きみの純真さを恨むべきではなかった——」
ハリーはもう一秒だけダンブルドアを見つめ、それから背をむけて歩きだし、部屋をでて階段をくだり、総長室にはいり——
「きみはどうしてまだあの人の肩にとまるんだろうね。」とフォークスに言い、
——オーク材の扉をぬけて、回転しつづける螺旋に足を踏みいれた。
ハリーはだれよりも早く
予定では、今日の授業の主題は〈転成〉の維持。ハリーは岩を〈転成〉し小指につけられる小さなダイアモンドにする練習を徹底してやっていたので、〈転成〉を維持する方法についてはいくらでも
ハリーはうわのそらのまま、自分の手が震えていることに気づいた。〈転成術〉の教科書をとりだしたあと、ポーチのひもを締めることがままならないほどにまで震えていた。
あそこまでダンブルドアのことを悪意にとることはないだろうに——と、ハリーがこれまでスリザリンと呼んでいた声が言う。いまではそれが〈経済的感覚の声〉であり、〈良心の声〉でさえあるように感じられる。
目は教科書にむかうが、その内容はなじみがありすぎて、なにも見ていないに等しい。
ダンブルドアの戦争の相手であった〈闇の王〉はダンブルドアの闘志をもっとも残酷な方法でくじこうとしていた。 ダンブルドアは戦争に負けるか弟をうしなうかの選択をせまられ、 人間一人の生命の価値には限界があるということを最悪のしかたで学ばさせられた。限界があると認めることで、正気をうしないそうになった。 けれどハリー・ポッター——おまえはもっとうまくやれる。
「うるさい。」と少年はだれもいない〈転成術〉教室にむけてつぶやいた。
神聖な価値と世俗的価値の交換に関するフィリップ・テトロックの実験のことは知っているだろう。病院運営者が五歳の子の命を救うために一億ドルの出費をして肝臓移植をするか、そうせずにおなじ金額を病院の設備費や医者の人件費にあてるかの選択をせまられる。被験者はその運営者を評価する。運営者がどちらを選ぼうかと検討する様子を見せただけで、被験者は考えるまでもないことだと言って怒りだす。 この話を読んだのをおぼえているだろう? 愚かだと思ったこともおぼえているだろう? 病院の設備や医者に投資することであらたに救える命があるのはたしかだし、そうでなかったら病院や医者はなんのためにあるんだ、と思っただろう? 肝臓の値段が十億ポンドだったとしても、病院の運営者はそちらをえらぶべきなのか? そうすれば病院が翌日破産するのだとしても?
「うるさい!」
ある金額の出費をして一人の命を救える可能性に賭ける判断をするたびに、ひとは人間の命の値段に下限を設定している。 ある金額の出費をして一人の命を救える可能性に賭けない判断をするたびに、ひとは人間の命の値段に上限を設定している。 その上限と下限に一貫性がないなら、ある場所から別の場所に資金を移動するだけで救える命の量が増える。 つまり、有限の資金でできるかぎり多くの人命を救いたいなら、人命に一定の値段をつけて、いつもその金額と矛盾しない判断をしなければならない。そうできていなければ、最適化の余地が生じてしまう。 おかねと命を比較することなど倫理上もってのほかだ、と言って怒りだす人たちは哀れだ。表面的には倫理を尊重していながら、その実、最大の数の人命を救う戦略を禁じてしまっているのだから……。
おまえはそれを知りながら、ダンブルドアにあんなことを言った。
おまえはその必要もないのにダンブルドアを苦しめようとした。
ダンブルドアのほうは一度もおまえを苦しめようとしていないのに。
ハリーは顔を両手にうずめた。
なぜあんなことを言ってしまったのか。あの老人はすでにだれにも耐えられないほどの苦しみを受け、戦ってきた。たとえその発言がまちがっていたにしろ、あれだけの苦労をした人をさらに苦しめていいのか。 なぜハリーのなかの一部分は、ダンブルドアを相手にするときにかぎって、歯止めがきかなくなり、暴言をはいてしまうのか。なぜダンブルドアから離れるとすぐにその怒りがおさまるのか。
ダンブルドアは反撃しない。そう分かっているからでは? ダンブルドアはどれほど不当なあてつけをされても実力行使をしようとしない。おなじだけの暴言をかえそうともしない。 おまえは反撃しようとしない相手にはそういう態度をとる人間なんじゃないか? ジェイムズ・ポッターのいじめっこ遺伝子がついに発現したのかもな?
ハリーは目をとじた。
あたまのなかに聞こえる〈組わけ帽子〉のような声——
その怒りの真の理由はなんだ?
おまえはなにを恐れている?
ハリーのこころのなかに走馬灯のように映像が流れていく。 両手に顔をうずめて泣く過去のダンブルドア。 大きく威圧的に見える現在のダンブルドア。 鎖で椅子につながれたハーマイオニーがハリーに見捨てられてディメンターの餌食になるところ。 長い銀髪の女性(夫婦そろってそういう髪の毛だったのか?)が寝室で炎につつまれるところ。そのまえに突きつけられた杖と、半月眼鏡に反射する炎の光。
アルバス・ダンブルドアは自分よりハリーのほうがこの手のことにうまく対処できる人間だと思っているようだった。
そしてそれはおそらく正しい。 ハリーはそのための数学を知っている。
しかし、功利主義的倫理を信奉する人でも、なぜか
ハリーは不思議とだれから言われるでもなく、このことを理解していた。ウラジーミル・レーニンの伝記やフランス革命についての本を読む以前から分かっていた。 善意の人間の危険性を教える初期のサイエンスフィクションを読んだせいだったかもしれないし、自分一人で見つけることができていたのかもしれない。とにかく、
すると最後にもう一つ、リリー・ポッターが赤ん坊のベッドの横で二つの選択肢のさきにある未来を推定している場面の映像が見えた。 一つ目は、その場所に立ちふさがったままで呪いを撃った場合の未来……リリーは死に、ハリーも死ぬ。二つ目は、道をあけた場合の未来……リリーは生き、ハリーは死ぬ。二通りの期待効用を計算してみれば、合理的な選択肢は一つ。
その選択肢をとっていれば、リリー・ポッターはハリーの母でいられた。
「でも人間は、そういう風にできていない。」 少年は無人の教室にむけて、つぶやいた。 「……そういう風にはできていない。」
原作品の著者:J. K. Rowling
ファンフィクションの著者:Eliezer Yudkowsky