ハリー・ポッターと合理主義の方法   作:ポット@翻訳

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87章「快楽を知る」

◆ ◆ ◆

 

一九九二年四月十六日、木曜日。

 

生徒たちはすでに九割がた〈復活祭(イースター)〉の休暇で家に帰り、城はほとんど無人になり、ハーマイオニーの知り合いはほぼ全員いなくなっている。 スーザンは大叔母さんが忙しいということで、帰らなかった。ロンもいるが、理由は聞いていない——ウィーズリー家は貧しいというが、たった一週間ぶんだけ余計に子どもたちの食事を用意するのにも困るくらいだったりするのだろうか。 話し相手になってくれる生徒はもうロンとスーザンくらいしかいないので、これはこれで都合がいい。 (正確には、こちらからも話す気になれる相手はその二人くらいだということ。ほかにもラヴェンダーは付きあいをつづけてくれているし、トレイシーも……あいかわらずの調子だけれど、用もなく気楽な会話をしたい相手かというと、そうではない。いずれにしろ、この二人はどちらも〈復活祭(イースター)〉の休暇で家に帰っている。)

 

家に帰るという選択肢がないのなら——実際、帰ることは許されていないし、両親にむけては光痘という病気にかかったから帰れないということにしてある——ほぼ無人になったホグウォーツ城以上にいい居場所はない。

 

いまなら、他人にじろじろと見られる心配をせず図書館にいくこともできる。授業は休みだし、宿題をしようとする人もいないから。

 

ハーマイオニーは廊下のどこかで泣きくずれる毎日を過ごすような性格ではない。もちろん最初の二日間はたっぷり泣いていたが、二日もあれば十分だった。 ハリーから借りた本にも、自動車事故で四肢が不自由になった人も、六カ月もたてば、予想されるほど不幸な日々を送っていないということが書かれていた。おなじように、宝くじに当たった人たちは、予想されるほど幸せな日々を送らないという。 つまり、人間は適応するということ。個々人が感じる幸不幸の度合いは、いずれもとの水準にもどり、人生はつづく。

 

読んでいた本に影が差したのを見て、ハーマイオニーはぱっとふりむいた。同時に、ふとももの上に隠してあった杖を手にし、それを相手の顔にいきなりつきつけると——

 

「ごめん!」  ハリー・ポッターはあわてて両手をあげ、武器をもっていないことをアピールした。左手は手ぶらで、右手には小さな赤い天鵞絨(ビロード)のポーチがある。 「ごめん。おどかすつもりはなかった。」

 

無言の時間が流れ、それが苦しくて心臓の鼓動が増し、手のひらに汗がにじむ。ハリー・ポッターはただ、こちらを見ている。 ハーマイオニーは人生が再開してからはじめての朝食の時間に、ハリー・ポッターに話しかける寸前のところまで行って、ハリーの表情がひどく暗いことに気づいて——となりの席につくのをやめた。かわりに一人で静かに、だれも近寄ろうとしない空間の中心で食べた。一人で食べたくなどなかったけれど、ハリーがこちらに来ることもなく……それ以来、こちらからも話しかけるタイミングが一度もなかった。(だれとも会わないようにするのはむずかしくない。レイヴンクロー談話室にはいかないようにして、教室では授業がおわってからだれかに話しかけられるまえに急いで退室すればいい。)

 

それからずっと気になっていたのは、いまハリーはわたしのことをどう思っているのか、ということ——自分の全財産を投げださせられたことで、嫌いになったのか——それともやはり、わたしのことが好きで、だからあんなことをしたのか——それとも、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()わたしを競争相手にふさわしくない人間だと思うようになったのか——。どう思われているのかを心配するあまり、顔をあわせて話すことが怖くて、眠れない夜を過ごした。全財産をついやして自分を救ってくれた人を避けていると思うと、それがまた恩知らずな、最低な人間である証拠であるように感じられて——

 

そこで下のほうを見ると、ハリーの手が赤いポーチにはいり、そこから赤い包みにはいった心臓(ハート)型のチョコレートといっしょに出てくるのが見えて、ハーマイオニーの脳は太陽のまえに置かれたチョコレートのように溶けてしまった。

 

「きみのことはしばらくそっとしておこうかと思ったんだけど、こころのなかでハトを飼うことを教えるクリッチの快楽理論というのがあって、それによるとその場その場での小さな正負の報酬と罰(フィードバック)が実はぼくたちの行動のほとんどを支配しているらしくて、きみがぼくを見るときにもそういう風に負の連想がはたらくからぼくのことを避けているんじゃないかという気がして、そうだとしたらこのまま放置していてはいけないなと思ったから、ウィーズリー兄弟の二人にチョコレートを一袋調達してもらって、これからきみがぼくと会うたびに正の報酬としてこれを一粒ずつ食べてもらうことにしようかと——」

 

「息つぎしなさいよ。」とハーマイオニーは無意識に言った。

 

審判の日以来、ハリーにむけて言った最初の一言がそれだった。

 

二人はたがいを見つめあった。

 

まわりの棚の本たちが二人を見つめた。

 

二人はもうしばらく見つめあった。

 

「チョコレートを食べるといいらしいんだ。」と言ってハリーはチョコレートを突きだした。 それはヴァレンタイン用のようなハート型だった。 「チョコレートをもらうこと自体が十分な正の報酬としてはたらくとすれば食べなくてもいいんだけど。もしそうなら、ポケットにでもいれておいてくれればいいかな。」

 

ハーマイオニーはもう一度話しだそうとしても失敗するのが分かっていたので、話そうとしなかった。

 

ハリーはすこし下をむいた。 「やっぱりもうぼくのことが嫌いになった?」

 

「そんな! そんな風に考えないで! だって——()()()!」  ハリーに杖をむけたままだったことに気づいて下ろす。ハーマイオニーは泣きだしそうになるのを我慢するので精いっぱいだった。 「……()()()!」  ハリーはきっと、もっと具体的に言ってほしいだろうとは思う。けれどそれ以上のことが言えなかった。

 

「なんとなくだけど分かった。……それはなんの本?」

 

止める間もなくハリーは机の上をのぞきこみ、この本を見ようとする。引き離そうとしても間にあわず、ハリーはさらにかがんで——

 

そこにひらいていたページを見た。

 

「『世界有数の魔法族資産家とその資産の源泉』。」  ハリーはページ上部に書かれた題名を読みあげた。 「六十五番、サー・ガレス。十九世紀の運送(シッピング)戦争を制した運送会社の社主……OT3分野で独占的地位……なるほど。」

 

「どうせまた、『そんなこと心配しなくていいから、ぼくにまかせておいて』、みたいなこと言うんでしょ?」  ついとげとげしい言いかたをしてしまって、 また自分はハリーにひどいことをしている、という罪悪感で胸が痛んだ。

 

「言わないよ。」と妙にあかるい声でハリーは言う。 「きみの立ち場になって考えてみれば……もしきみがぼくを救うために大金をつかってくれたんだとしたら、ぼくも返済しようとするだろうから。 考えようによっては意味がないことだと分かってはいても、それでも自力で返済しようとするだろうと思う。 ぼくだって、()()()()()()()のことなら分かる。」

 

自分の顔がゆがみ、目のかたすみに湿りけが感じられた。

 

「ちょっと注意しておくと……」とハリーはつづける。 「ぼくはいい方法を思いついたら、きみよりさきにルシウス・マルフォイへの負債を解決してしまうかもしれないよ。重要なのは解決することであって、だれが解決するかじゃないんだから。 ……なにかよさそうな方法は見つかった?」

 

ハリーがいま言ったことをどういう意味で言ったのか解釈しようとして、ハーマイオニーの自我の四分の三が堂々めぐりしては木に激突することをくりかえした(わたしはまだ英雄(ヒロイン)として認めてもらえているのか……それともあれは、わたしにはできるはずがない、という意味で言っているのか)。同時に、もっとまともな部分のハーマイオニーは、読んでいた本のページを逆にめくり、三十七ページ目にした。このページに書かれていたことがもっとも有望そうな情報だった(といっても読んだときの想定では、独力でそれを実行してハリーをおどろかせるはずだったのだが)——

 

「これがけっこうよさそうだと思った。」

 

「十四番、『クラウジア』、本名は不明。」とハリーが読みあげる。 「うわあ。こんな……こんなぎらぎらしたチェック柄のシルクハットははじめて見たな……。資産、六十万ガリオン以上……つまりだいたい三千万ポンド。マグルなら名前を知られるほどの資産家でもないけれど、魔法族の人口の少なさを前提にすればそうなのかな。 ……『クラウジア』は六百年まえに生まれたニコラス・フラメルの現代における偽名だと言われている。彼はとてつもなく複雑な錬金術の調合を成功させて〈賢者の石〉を精製した。〈賢者の石〉は凡庸な金属を黄金や銀に変え……エリクサーにも変えることができる。エリクサーをくりかえし用いることで、使用者は若さと健康をいくらでも維持することができる……。 うーん……。これはどうみてもうそだね。」

 

「ニコラス・フラメルに言及している本はいくつもあったの。 『闇の魔術の興亡』には、フラメルがダンブルドアを特訓してグリンデルヴァルトに立ちむかわせたと書いてあるし、 この話をまじめにあつかっている本はほかにもあるし……。 そんな都合のいい話はないって思う?」

 

「いや、もちろん思わない。」  そう言ってハリーはハーマイオニーがいる机のとなりの、いつもとおなじ右がわに陣どった。最初からずっとそこにいたかのように。 それを見てハーマイオニーはまた息がとまりそうになった。 「『都合がいい』かどうかを考えても因果推論はできない。方程式の結果について、『都合がよすぎる』とか『都合がわるすぎる』とかいう判定を宇宙がくれることはない。 過去の人は、飛行機や天然痘ワクチンなんて都合がよすぎるものができるとは思わなかった。 マグルは魔法なしでもほかの星系へ旅する方法を見つけたし、きみやぼくは杖をつかって、マグル物理学者にとって文字どおり不可能なことをやれる。 魔法の()()法則ではどこまでのことが許されるのか、ぼくはぜんぜん想像できないね。」

 

「だったら、どこがだめなの?」  自分で聞くかぎりは、ふだんの声にちかい声になってきた気がした。

 

「うーん……」と言ってハリーはハーマイオニーの腕の上に腕をのばす。ローブとローブがこすれ、ハリーの手が不吉に赤く光り緋色の液をたらす石の絵に触れる。 「まず第一の問題点。ある魔法具(アーティファクト)に鉛を黄金に変換する効果があって、()()()それがエリクサーという不老薬を生みだすこともできるというのは、論理的必然性がない。 こういう現象に正式な名前があったりするのかな? 使い倒し(Up to eleven)効果とか? 花というものをだれでも目にすることができるなら、花は家とおなじ大きさだと言ってもすぐにバレる。 でもある新興宗教(カルト)が空飛ぶ円盤を信奉していて、それでいてだれも異星人の母船を見たことがなければ、母船は町とおなじ大きさだとか、月とおなじ大きさだと言ってしまうことができる。 観察可能な事物は証拠に制約されるいっぽうで、作り話についてはいくらでも話をふくらませることができる。 つまり、〈賢者の石〉が無限の黄金と永遠の生命をあたえてくれるのは、その両方を一度に実現する魔法的な発見があったんじゃなくて、だれかがやたらおめでたい作り話をしたというだけのこと。」

 

「魔法にはもともと、おかしなことがいくらでもあるじゃない。」

 

「なるほど、たしかに。でも第二の問題点がある。いくら魔法族でも、『これ』が含意することをあっさり見のがすほど狂ってはいないはずだ。 もしこんな〈賢者の石〉があったら、()()()()その作りかたを再現しようとする。()()()()()人が押し寄せてきて、その不死の魔法使いをつかまえて秘密を吐かせようとする——」

 

「これは()()()()()()の。」と言ってハーマイオニーは本をめくり、図版のページをハリーに見せた。 「ここにちゃんと精製手順が書いてある。 むずかしすぎてニコラス・フラメル以外には()()()()()()()()だけ。」

 

「じゃあ、フラメルを拉致しておなじ〈石〉を()()()()()()()()()とする、と言いかえようか。 あのね、いくら魔法族でも()()()()の方法があると聞いて、それで、ただそのまま……」  ハリー・ポッターは一度無言になった。いつもの饒舌さがうしなわれつつあるらしい。 「そのままなにごともなかったかのように暮らしつづけるなんて、おかしすぎる。 人間はみんな狂ってるけれど、そこまで狂ってはいない!」

 

「みんながハリーとおなじ考えかたをすると思わないでね。」  まあ、ハリーの言いぶんにも一理ある。とはいえ……ニコラス・フラメルに言及している本はいくつあっただろう? 『世界有数の魔法族資産家とその資産の源泉』と『闇の魔術の興亡』がそうだし、『少し古い時代の昔話』や『名声に見合うだけのことをした人たちの伝記』もそうだった……。

 

「わかった。じゃあ、()()()()()()()()そのフラメルを拉致していた。 悪人であれ、善人であれ、利己的な人であれ、すこしでもまともな考えかたをする人ならそうする。 クィレル先生はいろいろな秘密を知っているし、()()を見のがすはずがない。」  ハリーはためいきをついて、上を見た。その視線のさきになにがあるのかと思ったが、二人をとりまく図書館の、延々と奥までつづく書棚の列を見ているだけのようだった。 「これはきみの邪魔をしたくて言っているんじゃないし、もちろんきみがやろうとしていることを止めるつもりもないんだけど……。 はっきり言って、こういう本をいくら読んでも、うまくおかねを稼ぐ方法は見つからないんじゃないかな。 よくある冗談で、『経済学者は道ばたに二十ポンド札が落ちているのを見つけても拾おうとしない。偽札でなければ、ほかのだれかがすでに拾っていただろうと思うから。』というのがあるだろう。 あれとおなじで、こういう本に載ってしまうくらいよく知られた金もうけの方法というのは……あとは言わなくても分かるね? だれでも簡単に一カ月で千ガリオンを手にいれるためのたった三つのコツ、みたいなものはありえない。あったとしたら、とっくに広まって、みんながやっている。」

 

「それで? だとしても()()()()やめないんでしょう。」  また声がきつくなる。 「あなたは不可能なことを何度もやっている。わざわざ言っていないだけで、きっとこの一週間のうちにもなにか不可能なことをしてたんじゃないの。」

 

(ハリーはごくみじかく返事をためらった。それはある人がマッドアイ・ムーディと戦闘して勝ったのがちょうど八日まえであった場合にためらってしまうくらいの長さの時間だったが、さいわいミス・グレンジャーはそのことを知らない。)

 

「いや、過去七日間にはなかったね。 あのね……不可能なことを実現する秘訣のひとつは、どの種類の不可能を相手にするかをしっかり吟味すること、そして自分に特別勝ち目がありそうな場合にだけ挑戦すること。 たとえばこの本に書かれているとある稼ぎかたが魔法族にはなかなかやれそうにないことで、 パパの旧式のマック・プラスをつかえばそれが簡単に実行できるとしよう。そういうのだったら、見こみがある。」

 

「言われなくても分かってる。」  ほんのすこしだけ声がゆらいだ。 「わたしも、なにか自分なりのやりかたでできそうなことがないか考えてみた。 〈賢者の石〉で大変なのは錬金術の円をものすごく精密にえがくところかもしれないから、マグルの顕微鏡をつかえば、もしかするともっと簡単に——」

 

「いいね、それ!」と言ってハリーは杖をとりだし、「クワイエタス」と言った。それで不調法な本の音がおさまってから、つづきを言いはじめた。 「……〈賢者の石〉は伝説にすぎないかもしれない。でもその手法でほかのむずかしい錬金術を攻略できるかもしれない——」

 

「いいえ、そうはいかなかった。」  これを調べるためにハーマイオニーは図書館じゅうをさがしまわり、〈禁書区画〉外にある錬金術の本を一冊だけ見つけたのだが、 その結果——とても失望することになった。わきでた希望をかき消される思いをしたのだった。 「錬金術の魔法円はどれも、『赤子の髪の毛の細さ』まで精密にえがかなければならないことになっているの。これはどの種類の錬金術でもおなじ。 そもそも魔法族にも〈万眼鏡〉(オムニオキュラー)はあって、なのに〈万眼鏡〉で拡大しないとつかえない精密な呪文なんて聞いたこともない。 なんでそこに気づかなかったんだろう!」

 

「ちょっといいかな。」と真剣な声で言ってハリーは赤い天鵞絨(ビロード)のポーチにまた手をいれた。 「そんなに自分をせめることはないよ。いい思いつきだと思ったのがぬかよろこびだった、なんていうことはいくらでもある。いくつものできそこないを通過して、やっと最初の可能性が見えてくるものだ。 できそこないのアイデアを考えてしまったと思っていやがると、それは脳への負のフィードバックになる。それはよくない。アイデアを思いつくことを脳に奨励するようにしてやらないと、脳はいずれなにも思いつこうとしなくなってしまう。」  ハリーはハート型のチョコレートを二粒、本のとなりにおいた。 「もう一回、チョコレートをどうぞ。さっきのとは別に、 きみの脳にアイデアを生成することを奨励するために食べるといい。」

 

「そうなんだろうとは思う。」  そうは言いながらも、チョコレートには手をつけない。 ハーマイオニーはそのまま本のページを百六十七ページまですすめて、ハリーが来るまで読んでいた部分のつづきを読もうとした。

 

(当然ながら、ハーマイオニー・グレンジャーに(しおり)というものは必要ない。)

 

ハリーはこちらにむかって首をのばし、それがハーマイオニーの肩にあたりそうになる。ひらいたばかりのページを読もうとしているようだが、四分の一秒見ただけで、価値ある情報を読みとれるとでもいうのだろうか。 朝食が終わってから、まだあまり時間がたっていない。ハリーの息のなかには、かすかなにおいがあって、最後に口にいれたものがバナナプリンであると分かる。

 

「そういうわけで……これは正の報酬として言っているんだと思ってほしいんだけど…… きみは本気で、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()するために、()()()()()()()する方法を発明しようと思ったの?」

 

「ええ。」  また一段と声が小さくなった。 ハリーの考えかたを()()()()()()してはみたものの、まだうまくできていないようだ。 「あなたはいままでなにをしていたの?」

 

ハリーは顔をしかめた。 「『だれがハーマイオニー・グレンジャーに罪を着せたか』という謎をとくための証拠をあつめようとしていた。」

 

「それは……」と言ってハーマイオニーはハリーの顔を見あげる。 「それは()()()()謎なんだから、わたしが解決すべきなんじゃない?」  もともとそんな風に考えていたのではないし、いま考えることでもない気がするけれど、ハリーにそう言われると……。

 

「この件に関しては無理だね。 いま、ぼくとなら話をする人もきみとは話そうとしなかったりする……それに悪いけどもう、だれにも話さないという約束でぼくが聞いてしまった情報もある。 この件では、きみにできることはあまりないと思う。」

 

「ふーん、そう。」とハーマイオニーは精彩を欠いた声で言う。 「じゃあ、もうそれでいい。 手がかりをあつめるのも、犯人候補と話すのも、ぜんぶあなたがやる。わたしはそのあいだずっと、この図書館でじっとしてる。 調べた結果、犯人がクィレル先生だったってことになったら、そう言って。」

 

「ハーマイオニー……。 だれがやるかは二の次じゃないか? どうしてそこを気にする? 重要なのは、すべてを解決することであって、だれが解決するかじゃないだろう?」

 

「きっとそうなんだとは思う。」と言ってハーマイオニーは両手を目にあてた。 「もう気にしてもしょうがないのかもしれない。 こうなったら、もうだれが見ても——もちろん、ハリーが悪いんじゃないからね——ああしてくれたのは正しいし、とても紳士的なことだったと思う——けれど、こうなったらもう、わたしがなにをしても、わたしは所詮——あなたに救われるだれかだとしか思われない。」  一度言いやめると、声が震えた。 「……実際そうだったのかもしれない。」

 

「いやいや、急になにを——」

 

「わたしはディメンターを追いはらえない。チャームズの授業で〈優〉をとることはできても、ディメンターを追いはらうことはできない。」

 

ぼくには謎の暗黒面(ダークサイド)があるからだよ!」  ハリーは一度周囲を見まわしてから、声をひそめてそう言った。 (遠くの(かど)に男の子が一人いて、ときどきこちらを見てはいたが、距離的にいって〈音消しの障壁〉なしでも盗み聞きされる心配はなさそうだった。) 「ぼくのなかには、あきらかに子どもじゃない暗黒面がある。それ以外にも、ぼくのあたまのなかで魔法的におかしなことが起きていたりするかもしれない—— クィレル先生が言うには、ぼくはどんな人格にでもなりすますことができる—— それもこれも不正(チート)だ。まだ分からないかい? 学校当局との秘密の協定で、ぼくは毎日通常より多くの時間を勉強できるようになっている。それだけのチートをしているぼくにきみは()()()()()()()()()()()()()()。 ぼくは——〈死ななかった男の子〉は多分通常の意味で子どもとは呼べない——なのに、きみはそれと()()()()()()()()()。 わからないかな。()()みんなの注意がぼくにあつまっていなかったら、きみは百年に一度の才能をもった魔女だと言われているよ。 年上のいじめっこ三人と一人で戦闘して、しかも勝ったりしたんだから。」

 

「そうなのかな。」  そう言う声がゆらいでいる。両手をもう一度、目にあてる。 「ひとつはっきりしているのは——もしあなたが言うとおりだったとしても——わたしをわたしとして見てくれる人はもうだれもいない、ということ。」

 

「……そうか。」と、しばらくしてからハリーが言った。 「つまり、『ポッター゠グレンジャー研究班』ではなく、『ハリー・ポッターとその助手一名』になってしまうということだね。 うーん……じゃあ、こういうのはどうだろう。 ぼくはしばらく金もうけのことを考えない。実際、返済を請求されるのは卒業してからだから。 そのあいだにきみは自力でこの問題を解決して自分の実力を世界に証明してくれればいい。 そのついでに不老不死の秘密を解明しちゃったりすれば、一石二鳥だね。」

 

問題解決のために自分がハリーに()()()()というのは……つらく大変な経験をしたばかりの十二歳の女の子がそんな重荷を背負わさせられるというのは、残酷なことのように思える。そんなひどいやりかたでヒロインとしての自尊心を回復させようとしてもらえているのがうれしくもあり、自分がハリーの友情に報いようともせず、心ないことばかり言っていたことへの罰のようにも感じる。とにかく、ありがたいことにまだハリーは信じてくれているらしい。それなら……

 

「考えがいろいろな方向に発散してまとまらないときに、よく効く合理的な対処法があったりする?」

 

「ぼくはそういうとき、そのいろいろに一つずつ名前をつけて、別個の個人だと思って、自分のあたまのなかで論争をさせることにしてる。 いまのところぼくのなかによく出てくるのは、ハッフルパフとレイヴンクローとグリフィンドールとスリザリンと〈内的批評家〉とハーマイオニーの分身とネヴィルの分身とドラコの分身とマクゴナガル先生の分身とフリトウィック先生の分身とクィレル先生の分身とパパの分身とママの分身とリチャード・ファインマンの分身とダグラス・ホフスタッターの分身だね。」

 

おなじことを自分でもやってみようかと思ったが、すぐに自分の〈良識〉から『精神の健康に悪そうだ』という声がとんできた。 「あなたのあたまのなかに、()()()()()()がいるって言うの?」

 

「そりゃ、いるよ!」と言ってハリーは急にすこし不安げな顔になった。 「だったら、きみのあたまのなかにはぼくの分身がいないの?」

 

……いる。いままで気づいていなかったけれど、いるばかりか、ハリー本人とおなじ声で話してさえいる。

 

「あらためて考えるとあまり気持ちいいことじゃないんだけど、 たしかにわたしのあたまのなかには、あなたの分身がいる。 いまも本人とおなじ声で、『なにもおかしいことじゃない』って言ってる。」

 

「ならいい。……いや、ひととひとが友だちになるには、ぜったいそれが必要だと思うんだよね。」

 

ハーマイオニーは読書にもどった。ハリーはそれをうしろからながめるだけで満足しているようだった。

 

小動物をレモンタルトに変身させる方法を発明したという七十七番のキャサリン・スコットのページまで読んだところで、ハーマイオニーはやっと勇気をふりしぼって話しはじめた。

 

「……ハリー?」(ハーマイオニーは自分でも気づかないうちにハリーとすこし距離をとっていた。) 「あなたのあたまのなかにドラコ・マルフォイの分身がいるなら、あなたとドラコ・マルフォイは友だちだっていうことになる?」

 

「ああ……。うん、その話はいずれしておかないととは思っていたんだ。 もっとはやくしておけばよかったかな。 とにかくぼくはドラコを……どう言えばいいのやら……。転向させようとしていた、みたいな?」

 

「どういう意味? 『転向』って。」

 

「〈光のフォースの陣営〉に誘いこむっていうこと。」

 

ハーマイオニーはぽかんと口をあけたままになった。

 

「つまり、ほら、ダース・ヴェイダーと皇帝の関係みたいな。あれとは逆なんだけど。」

 

「なに言ってるの、ハリー。ドラコ・マルフォイが、どれだけひどいことを——」

 

「知ってる。」

 

「——()()()()()()()どれだけひどいことを言ってたか、 機会がありしだい()()()()()()()って言ったのがなんのことだったか、知ってるの? あなたがどう聞かされているのかは知らないけど、わたしはダフネに教えてもらった。 マルフォイは()()()()()()()()()()()()()()を言ったんだから! 誇張じゃなく文字どおり、わたしには口にできないようなことを!」

 

「それはいつ? 学校がはじまったころの話? ダフネはいつのことだって言ってた?」

 

「聞かなかった。いつだろうと関係ないから。 あんなことを——マルフォイが言ったようなことを——言う人は、善人ではありえない。 あなたが彼をなにに誘っていようが関係ない。 それでも救いようのない人間なのは変わらない。善人なら、なにがあってもあんなことを言うはずが——」

 

「それはちがう。」と言ってハリーはまっすぐにハーマイオニーの目を見た。 「ドラコがきみについてどんなことを予告したのかはだいたい分かる。ぼくが二度目にあったとき、ドラコは十歳の女の子にそういうことをするっていう話をしていたからね。 でも考えてみてほしい。ドラコ・マルフォイは生まれてからホグウォーツに来る日までずっと()()()()()()のもとでそだてられていた。 彼のような環境におかれれば、超自然的な干渉をされないかぎり、きみのような倫理観をもてるはずがなかったと思わないか——」

 

ハーマイオニーはぶんぶんと首をふった。 「いいえ、それこそまちがってる。 ひとを傷つけてはいけない、なんていうことは、教師に禁止されるまでもなく分かっているはずのことでしょう。それは——相手が傷ついているかどうかは()()()()()()()()()から。そんなこともわからないの?」  そこまで言うと声が震えはじめた。 「たとえば、計算の規則は規則だから守るものだけど、これはそうじゃない! 最初から理解できない人には、()()で感じることができない人には……」  片手を胸の中央あたりにあててみたけれど、心臓の位置はそこじゃない。といっても、そんな細かいことはどうでもいい。すべては脳がやることなんだから。 「どうがんばってもできないの!」

 

……考えてみれば、()()()()そうだったりするのだろうか。

 

「きみも歴史の本をもっと読めば、それは狭い考えかたにすぎないと分かるようになるよ。 数百年まえまでは——たしか、すくなくとも十七世紀までは——各地の村でこういうものが娯楽として喜ばれていた。編みかごにネコを十匹ほど詰めて——」

 

「やめて。」

 

「——かがり火の上で焼いて楽しんでいたんだ。祭りの一部の、健全な娯楽として。 たしかに、女性を魔女あつかいして燃やすのとくらべれば健全だっただろうね。 これは、人間本来のしくみでは……人間にもともとそなわっている感情のしくみでは——」  ハリーは解剖学的に正確な心臓の位置に手をあて、それから頭部の耳のあたりまで手をもっていった。 「——()()()傷ついているのを見たときに、自分も痛みを感じるようになっているから。 味方、つまり自分の関心圏。自分とおなじ部族に属する人たち。 この感情には、『敵』や『外国人』という遮断スイッチがついている。『見かけない顔』というだけで遮断されたりもする。 人間はみなそうだ。それ以外の考えかたを()()しないかぎり。 そうだからといって、ドラコ・マルフォイに人間性がないとか、特別邪悪だということにはならない。敵を傷つけることは娯楽だと思うように教えられてきたなら無理もないこと——」

 

「そう思うのは……」  そう言う声がゆらぐ。 「そう()()()()()()()()人は邪悪なの。 自分のふるまいに責任をとらなくていい人はいない。 ほかのだれにどう()()()()()としても、やるのは自分なんだから。 こんなことはだれにでもわかること——」

 

「いいや、ちがうね。 きみは第二次世界大戦後の社会の出身だ。『自分は命令にしたがっていただけ』というドイツ人のことを悪人だと思うのがあたりまえの世界でそだった。だからそんなことが言える。 これが十五世紀なら、そういう人も模範的な忠義者だと言われただろうに。 きみは自分が当時のどの人間とくらべても()()()()善人だと思うかい? もし自分が十五世紀のロンドンに赤んぼうとして転移させられたとしたら、ネコを燃やすことも魔女を燃やすことも奴隷制もまちがっていて、意識あるものすべてを自分の関心圏におくべきだと、()()()判断できると思う? そのすべてをホグウォーツに入学した一日目に認識できていると思う? ドラコは周囲の社会にそなわっている以上の倫理を自力でまなぶ責任があるとはだれにも言われたことがなかった。 ()()()()()()()、わずか四カ月で、屋根から落ちそうになったマグル生まれの子の手をつかむことができるようになった。」  ハリーはいつになく熱い目をしている。 「ドラコ・マルフォイの転向はまだ終わっていない。でもかなりいいところまでもっていけたと思うよ、ぼくは。」

 

ハーマイオニーは記憶力がいい。なので、こういうこともちゃんと思いだせてしまう。

 

自分が屋根から落ちかけたとき、ドラコ・マルフォイがこの手くびをつかんだこと。あとであざになるほど強く。

 

自分が謎の呪文をかけられてつまづき、スリザリン寮のクィディッチのキャプテンの食事の皿に倒れこんだとき、ドラコ・マルフォイが手を貸してくれたこと。

 

——そしてこの話題をもちかけたそもそもの理由でもある——ドラコ・マルフォイが〈真実薬〉を投与されて証言した内容を聞いたときに生じた気持ちのこと。

 

「どうして話してくれなかったのよ?」  思わず声が高くなる。 「そうと知っていればわたしも——」

 

「ぼくはその判断をする立ち場になかった。 話したことはドラコのお父さんの耳にはいるかもしれないし、それで危険になるのはドラコだったから。」

 

「その手は通じないわよ、ミスター・ポッター。 ()()()()なぜ秘密にしていたのか、ミスター・マルフォイと二人でなにをやっていたのか、()()()白状しなさい。」

 

「……うん。そうだな……」  ハリーはハーマイオニーから目をそらし、図書館の机に視線をおとした。

 

「ドラコ・マルフォイはわたしと決闘することで、わたしを倒せるかどうかを『実験的に検証』しようと思ったと言っていた。 〈真実薬〉を投与された状態で、そうだと証言した。 〈闇ばらい〉が読みあげたとおりなら、彼本人が一字一句このとおりの表現でそう言った……。」

 

「ああ。」と言いながらハリーはやはり目をあわせようとしない。 「さすがはハーマイオニー・グレンジャー。一字一句おぼえているんだね。 椅子に鎖でしばられていようが、ウィゼンガモート全評議員をまえに殺人の容疑で裁判にかけられていようが、記憶力にはなんの影響もない——」

 

「ほんとはドラコ・マルフォイと二人でなにをしていたの?」

 

「多分、きみが想像してることとはちょっとちがうと思うんだけど……」

 

ハーマイオニーのなかでいやな予感がみるみるふくれあがり、決壊した。

 

「まさか科学してたんじゃないでしょうね?」

 

「えーと……」

 

「あなたが科学する相手は彼じゃなくてわたしでしょうが!」

 

「いや、そうじゃないって! あれは()()()科学じゃないから! あれはただ、物理の初歩とか代数とか、害のないたぐいのマグル科学をちょろっと()()()()()()程度のことで——きみとやっていたような、新規性のある魔法研究とはわけがちがう——」

 

「どうせ彼にも()()()()()()を秘密にしていたんじゃないの?」

 

「そりゃ言わないよ? ドラコ・マルフォイとの科学(つきあい)は十月からはじまっていたから、あの段階できみのことを話そうとしても聞く耳をもってもらえなかっただろうし——」

 

自分は裏切られた、という行き場のない思いが胸のなかにどんどんつのり、それが大声や、するどい目つきや、きっとでているにちがいない鼻水となって、なによりのどの熱さとなって噴出する。 ハーマイオニーは机に手をついていきおいよく立ちあがり、一歩ひいて、裏切り者を見おろす姿勢をとった。つぎにでた声はほとんど金切り声になっていた。 「まちがってるでしょう、そんなの! 二人の相手と同時に科学するなんて!」

 

「あの……」

 

「というか、二人の相手と科学しながら()()()()()()()()()()()()()のはまちがってる!」

 

「その…… 知らせようかなとは思ったんだけど。きみとの研究が彼との活動に影響してはいけないから、いろいろ慎重にことをすすめる必要があって——」

 

「へえ。『慎重に』、ね。」  子音をやけに強調する発音になった。

 

ハリーは片手をあたまにあてて、ぼさぼさの髪をかきむしる。それを見るとハーマイオニーはなぜか余計にどなりつけたくなる。 「ミス・グレンジャー……。さっきからこの話は、ちょっとその、変な意味で()()()()なってきたような……」

 

「ハア?!」  〈音消〉の障壁があるのをいいことに、思いきり声をだした。

 

それから事態に気づいて、顔が真っ赤になり、大人なみの魔法力があれば髪の毛が発火していたくらいの熱をおびた。

 

図書館のはるか奥のほうにぽつんと座っているレイヴンクロー生男子が、目をまるくしてこちらを凝視していた。本を顔の下においてそれを隠そうとしてはいるが、ろくに隠せていない。

 

「わかった。」と言ってハリーは軽くためいきをした。 「じゃあ、まず前提として、これは比喩として不適切だったということ、それに、ほんものの科学者にとって共同研究は日常茶飯事だということははっきりさせたうえで……やっぱり浮気には当たらないと思う。 科学者は、ある研究がひととおり終わるまでは、その情報を外部に公開しない。 きみとぼくはいっしょに秘密の研究をしている。そのことをドラコに教えるわけにはいかなかったのにはちゃんとした理由がある——きみとぼくがライヴァル関係ではなく仲良しだという話がドラコに伝わってしまえば、ドラコはぼくに近づこうとしなかっただろう。 ぼくとドラコとのことがだれかに知られれば、ドラコ自身に危険がおよぶことも分かっていた——」

 

「ほんとにそれだけ? 正直に言いなさいよ。 ドラコにもわたしにも、自分はハリーにとって()()()()()だ、って思わせたかったんじゃないの? 自分だけがあなたに求められている、自分だけがあなたといっしょにいられる、って思わせたかったんじゃないの?」

 

「それはまったくの誤解——」

 

ハリーは言いかけたまま口をとじた。

 

そしてこちらを見た。

 

全身の血液が顔にむかってあつまってきて、耳から湯気がでていてもおかしくない気がした。いや、その耳が溶け落ち、のこった粘液が頭部に逆流してくるかもしれない。それくらいのことを自分は言ってしまった、と気づいた。

 

こちらを見ているハリーの顔が驚愕の表情にかわっていく。

 

「その……」 ハーマイオニーはうわずった声で言う。 「ほら……なんていうか……! 比喩以上に、なにかあるんじゃない? 男の子が十万ガリオンを支払って女の子を窮地から救った。救われたほうは、その意図を知りたくなって当然だと思わない? 花を一束プレゼントされるだけでも、考えてしまうものでしょう。これはそれどころか——」

 

ハリーはテーブルに手をついていきおいよく立ちあがり、足をふらつかせて一歩さがり、躍起になって両手をふった。 「そういう意味でやったんじゃないよ、ぼくは! 友だちとしてやっただけ!」

 

「ただの友だち?」

 

ハリー・ポッターの息づかいがはげしくなり、過呼吸じみてきた。 「親友でもいい! 特別な友だちでもいい! 人生最高の友だちかもしれない! でも()()()()()関係じゃない!」

 

「それ以上の関係は考えたくもないっていうこと?」  ハーマイオニーは一度声をつまらせた。 「これは別に——別に()()()()あなたを好きだっていう意味じゃないんだけど——」

 

「あっ、そう? ならよかった。」  ハリーはローブのそでで(ひたい)の汗をぬぐった。 「いや、きみのことはもちろんいい人だと思ってるし、誤解しないでほしいんだけど——」

 

ハーマイオニーは思わず身をひいた。

 

「——ただぼくの——暗黒面(ダークサイド)のことを考慮しても——」

 

「え? ()()を気にして? 別に——別にわたしはそんなこと——」

 

「いや、そうじゃなくて。なんというか、ぼくには謎の暗黒面があるし、ほかにも変な魔法的ななにかがありそうだし……とてもふつうの子どもとは言えないだろう——」

 

「ふつうじゃなくていいと思う。」  まだ話が見えず、すがるような気持ちになる。「わたしはそれでもいい——」

 

「いや、()()()()()()()()()のせいで本来の年齢より成熟しているとしても、ぼくはまだ第二次性徴期をむかえていなくて、血流中に男性ホルモンもないし、ぼくの脳がだれかと恋に落ちることはまだ()()()()()()()だから。 だからぼくはきみに恋していない! だれに恋することもできない! もしかすると、あと六カ月たったらぼくの脳が目をさまして、スネイプ先生に恋してしまったりするかもしれない! ……あ。その様子だと、きみはもう第二次性徴期になってたんだね?」

 

「ヒッ」  高音でそういう声が出て、 足もとがふらついた。そこに一瞬遅れて駆けよってきたハリーに両手でささえてもらい、床に腰をおろした。

 

実はたしかに、この十二月、ハーマイオニーはそのことでマクゴナガル先生の教授室に駆けこんでいた。本で読んではいたからまったく予想外というわけではなかったものの、()()()()()()()問題ではあったし、魔女には魔法でうまく処理する方法があると分かって、とてもほっとさせられたのだった。とにかく、いたいけな女の子にあんな質問をするなんて、ハリーはなにを考えているのか——

 

「ごめん、いまのはただ、ちょっと変な言いかたをしちゃったけど、そういう意味じゃなくて! ここに外部の観察者がいたとして、ぼくの最終的な結婚相手をあてる賭けをしていたとすれば、きっとその人はきみに一番高い確率をわりあてるだろうとは思う——」

 

この時点でもうほとんど機能をうしないかけていたハーマイオニーの知能は、それを聞いて爆散した。

 

「——けれどそれも五十パーセントがせいぜいじゃないかと思う。外部の観察者にはほかにもいろいろと考慮すべき可能性が見えているだろうし、ぼくが思春期以前に好きだった人の種類は七年後のぼくの交際相手を予測する強い手がかりにはならないはず—— だから、ぼくはいまここでなにかを()()するようなことはしないようにしようと思って——」

 

自分の喉がなにか高音のノイズを発しているが、聞く気にもならない。いまハーマイオニーの宇宙にのこされたただ一つのものは、聞きたくもないハリーの声だけだった。

 

「——それに、進化心理学の本によると、その……一人の男と一人の女が一生しあわせに暮らしつづけるというありかたは標準的というより例外的なことだと言われていて、狩猟採集民の部族では子どもが生まれてからその子を守らなければならない最初の二、三年をいっしょに暮らすだけなのがむしろ普通だったらしい—— 事実、旧来の習慣での結婚をした現代のカップルの多くにはひどく不幸な結末が待っていたりするんだから、それをそのまま踏襲するよりも、なにかうまい修正方法があったりするんじゃないかと—— とくにぼくたちの場合は、不老不死を実現しようというんだから——」

 

◆ ◆ ◆

 

レイヴンクロー五年生ターノ・ウルフは図書館で自席からゆっくりと立ちあがった。その位置からは、グレンジャーが泣きながら図書館を出ていくのがよく見えた。彼女ともう一人の口論の内容は聞きとれなかったものの、()()()()口論であることは明白だった。

 

ターノはひざをがくがくとさせながらも、〈死ななかった男の子〉のほうへ近づいていく。相手の視線のさきには、ぴしゃりと閉じられたあとの衝撃でいまだに震えている図書館の扉がある。

 

とくにやりたくてやるのではない。しかし〈死ななかった男の子〉ハリー・ポッターもレイヴンクローに〈組わけ〉された一人であり、 厳密に言えば同寮生ではある。 ならば、こういう場合にはしたがうべき〈作法〉がある。

 

近づいていっても〈死ななかった男の子〉はなにも言おうとしない。ただ、目つきは非友好的だった。

 

ターノは一呼吸してからハリー・ポッターの肩に手をのせ、すこしだけ震える声で儀礼をやりとげた。 「魔女(おんな)ってやつは! これだからなあ?」

 

「その手を外宇宙に転移させられたくなかったら、離せ。」

 

扉が音をたててひらき、また一人が図書館をあとにした。

 

◆ ◆ ◆

 

原作品の著者:J. K. Rowling

ファンフィクションの著者:Eliezer Yudkowsky

 

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