どんな些細なできごとが計画をくるわせる原因になるかわかったものじゃない。
「アボット、ハンナ!」
沈黙。
「ハッフルパフ!」
「ボーンズ、スーザン!」
沈黙。
「ハッフルパフ!」
「ブート、テリー!」
沈黙。
「レイヴンクロー!」
ハリーはその同寮生をちらっと、顔を一瞬確認する程度にだけ見た。 ハリーはまだ
「コーナー、マイケル!」
ながい沈黙。
「レイヴンクロー!」
巨大な〈主テーブル〉のまえの演台でマクゴナガル先生はととのった服装であたりをするどく見わたしながら、名前をひとつひとつ読み上げていった。ハーマイオニーとそのほか数名の番では笑みをみせていた。 そのうしろのテーブルの一番背のたかい椅子に——まるで黄金の玉座だが——眼鏡をかけ、しわのいった、(実際には見えないが)床までとどいていそうな白銀色のひげをした老人が、〈組わけ〉のなりゆきをやさしそうなまなざしで見まもっていた。〈東洋的〉とまではいかないまでも、これ以上ないほどステレオタイプ的な〈老賢者〉の外見だ (とはいえ、初対面の印象でマクゴナガル先生のことをキーキー声でしゃべりそうだと思ってしまって以来、ハリーは外見のステレオタイプにまどわされすぎないようにすることを学んでいた)。
黄金の玉座の左がわには、するどい目つきの陰気な顔をした男がいる。だれにも拍手をしておらず、ハリーがそちらを見るたびに逆に見かえしてくることができるようだった。 さらに左には、〈リーキー・コルドロン〉でみた青じろい顔の男がいる。まわりの群衆にうろたえているかのようにその目はきょろきょろとうごいており、座りながらときどきびくりを動いている。なぜだか、ハリーはしらずしらずのうちにその人をみつめることをくりかえしていた。 その左には、年配の魔女が三人、生徒についてあまり興味がなさそうにして座っている。背のたかい黄金の椅子の右がわには、顔のまるい中年の、黄色の帽子をした魔女がスリザリン以外の全生徒に拍手をおくっている。 もじゃもじゃの白ひげの小男が椅子のうえに立って全生徒に拍手をしていて、レイヴンクローにだけは笑みもみせている。 一番右には、巨大ななにかが三人ぶんの場所を取って座っている。列車をおりた全員をむかえ、〈門番兼森番〉ハグリッドと名のった人物だ。
「あの椅子のうえにいるのがレイヴンクロー寮監?」とハリーはハーマイオニーに小声で言った。
めずらしくハーマイオニーは即答しなかった。左右に居場所を変えつづけながら、〈組わけ帽子〉をみつめ、床から足がうかぶのではないかと思えるほど元気にそわそわしている。
「そのとおり。」と二人につきそっていた監督生のひとりが言った。レイヴンクローの青色の服をきた少女で、たしか名前はミス・クリアウォーター。声はしずかだが誇らしさも垣間みえる。 「ホグウォーツ〈
「どうしてあんなに
女性監督生が冷たい視線をおくってきた。 「フリトウィック教授はたしかにゴブリンの血筋を引いているけど——」
「え?」とハリーが思わず言うと、ハーマイオニーとそのほか四人の生徒がシッと言う。
そしてレイヴンクロー監督生はおどろくほど怖いにらみかたをしてきた。
「いや——」とハリーは小声で言う。 「それが
レイヴンクロー監督生はまだきっとした視線をハリーにむけていた。 「馬車と船のあいの子のどこが
「シッ!」と別の監督生が言ったが、そのレイヴンクロー生はしずかに話しつづけた。
「つまり——」 ハリーはいっそう声をひそめ、どういう風に質問したものかと考えた。ゴブリンは人類から進化したのか、ホモ・エレクトゥスなど人類と共通の祖先から進化したのか、ゴブリンは人類をもとにして
「リトアニア。」とハーマイオニーがうわのそらの声で小さく言った。その視線は〈組わけ帽子〉にはりついたまま。
ハーマイオニーの答えに、女性監督生がにこりとしている。
「もういいです。」とハリーは小声で言った。
演台でマクゴナガル先生が「ゴルドスタイン、アンソニー!」と呼んだ。
「レイヴンクロー!」
ハーマイオニーはハリーの横で足さきをいきおいよく、そのたびに地面から浮きあがりそうなほどにはねさせていた。
「ゴイル、グレゴリー!」
〈帽子〉のしたで長く緊張した静寂がつづいた。一分ちかく。
「スリザリン!」
「グレンジャー、ハーマイオニー!」
ハーマイオニーはうごきだし、全速力で〈組わけ帽子〉へと走っていき、そのつぎはぎの古い縫製の帽子をちからをこめて頭にかぶせた。ハリーはそれを見てびくりとした。 〈組わけ帽子〉はかけがえのないきわめて重要な八百年ものの遺物で、うしなわれた魔術により精巧なテレパシーを生徒につかうことになっていて、物理的にはあまりいい状態にないのだ……と説明していたハーマイオニー当人が、帽子をそのように
「レイヴンクロー!」
予想どおりの結末としか言いようがない。ハリーはハーマイオニーがなぜあれほど緊張していたのかわからなかった。 あの子がレイヴンクローに〈組わけ〉されないような奇妙な並行宇宙があるとでも? もしハーマイオニー・グレンジャーがレイヴンクローにならないのなら、そもそもレイヴンクロー寮の存在する意味がない。
ハーマイオニーはレイヴンクローのテーブルにつき、おきまりの歓声をうけた。自分たちがどれほどの競争相手をむかえているのかわかっていたとしたら、あの歓声はもっと大きかったただろうか、小さかっただろうか。 ハリーは円周率を3.141592まで知っている。実用的には百万分の一までの精度でたいてい十分だからだ。 ハーマイオニーは円周率を百桁目まで知っている。算数の教科書の裏に印刷されているのがそこまでだったからだ。
ネヴィル・ロングボトムがハッフルパフになったのはよかった。 忠誠と友情を象徴するというハッフルパフがそのとおりのものであれば、信頼できる仲間にかこまれることはネヴィルのためになるだろう。 かしこい子はレイヴンクローへ、邪悪な子はスリザリンへ、英雄きどりはグリフィンドールへ、実際に手をうごかす子はハッフルパフへ、ということ。
(とはいえ、あのときまずレイヴンクロー監督生に相談したのは正解だった。 あの監督生は読書をやめようとすらせず、だれが声をかけてきたのかも知ろうとすらせず、ただネヴィルの方向に杖をつきつけて、なにごとかをつぶやいた。 それからネヴィルがぼーっとした表情になってふらふらと歩きだし、先頭から五番目の車両の左から四番目の客室にたどりつくと、まさにそこに彼のガマガエルがいた。)
「マルフォイ、ドラコ!」……はスリザリンになった。ハリーは小さく安堵のためいきをついた。 確実なことのように思えてはいたが、どんな些細なできごとが計画をくるわせる原因になるかわかったものじゃない。
マクゴナガル先生は「パークス、サリー゠アン」を呼んだ。あつまった子どもたちのなかからでてきたのは、青じろいやせこけた、妙に——まるで目をはなした瞬間に謎の失踪をとげ、二度と見えなくなり、記憶からもきえてしまうかのような——ふわふわとした女の子だった。
そしてミネルヴァ・マクゴナガルは(彼女をよく知る人だけが気づく程度の、声と表情にあらわれさせまいとしている不安のきざしをみせながら)深く息をすって、「ポッター、ハリー!」と呼んだ。
急に大広間がしずまった。
会話がすべてとまった。
全員の目がそちらをむいてみつめた。
ハリーは人生ではじめて舞台負けを経験するような気がした。
だがすぐにその感じをおしこめた。もしハリーがブリテン魔法界でいきていきたいのなら、というより人生でなにかおもしろいことをやりたいのなら、部屋いっぱいの人にみつめられることに慣れなければならない。 自信にみちた笑顔をつくり、片足をあげて、一歩まえにふみだす——
「ハリー・ポッター!」とフレッド・ウィーズリーかジョージかの声がさけび、「ハリー・ポッター!」と双子ウィーズリーのもう片方がさけんだ。一瞬あと、グリフィンドールのテーブルの全員が、それからレイヴンクローとハッフフパフの大半がかけ声にくわわった。
「
ハリー・ポッターはまえにすすんだ。 速度がゆっくりすぎた……と気づいたときにはもう手遅れで、その時点でペースを変えようとすればどうしてもぎこちなくなってしまいそうだった。
「
そこになにが見えるのか、かなりよくわかっていながらも、ミネルヴァ・マクゴナガルはふりかえって〈主テーブル〉のほかの面々のほうを見た。
トレロウニーは必死に自分をあおっている。フィリウスはおもしろそうな目で見ている。ハグリッドは拍手にくわわっている。ヴェクターとスプラウトは深刻そうにしている。シニストラは怪訝そうにしている。クィレルは宙空をみて呆けている。アルバスはやさしそうな笑顔をしている。 そしてセヴルス・スネイプはからのワインの
ハリー・ポッターはにやりとしながら、四つの〈寮テーブル〉のあいだをすすみつつ、両側にそれぞれ一度あたまをさげて会釈をして、城を継承する王子のように鷹揚な歩調で歩いていった。
「
ミネルヴァのくちびるが白い線をむすんだ。 あの最後の一言について、〈ウィーズリーの悪夢〉にあとで説教をしておかなければ。今日はまだ学校の一日目で、グリフィンドールはまだ点がついていないから減点しようがない、だから教師もなにも手だしできない、とでも思っているのだろうが、 居残り作業でもこりないなら、なにか別のものをさがしておこう。
そこでミネルヴァははっとして恐怖に息をのみ、セヴルスの方向をみた。セヴルスは勘づいたにちがいない。『闇の王』とはだれのことなのかをハリーが知るはずはない、と——
セヴルスの表情は怒りからここちよい無関心の一種にかわっていた。 かすかな笑みがくちびるにのぞいている。 グリフィンドールのテーブルではなくハリー・ポッターの方向をみて、ワインの杯だったものの残骸を手ににぎっている。
ハリー・ポッターはかたまった笑みをして、歩いていった。こころがあたたかくなると同時に多少不愉快になっていた。
彼が一歳のときにした仕事についてみんなは歓声をあげている。 実際には終わっていない仕事について。 どこかで、どうにかして、〈闇の王〉は生きている。そう知っていたら、彼らはあれほど拍手しているだろうか。
だが、〈闇の王〉のちからは一度くだかれた。
そしてハリーは彼らをもう一度まもることになる。 もし予言が実際にあって、それがそう言っているのなら。いや、というより、予言がなかろうが予言がなにを言っていようが関係ない。
この全員が自分を信じて応援してくれている——ハリーはそれをうそにしてはいられない。 おおくの神童とおなじように閃光のように散っていくこと。期待はずれに終わること。
「ハリー・ポッター! ハリー・ポッター! ハリー・ポッター!」
ハリーは〈組わけ帽子〉までの最後の数歩を歩いた。 グリフィンドールのテーブルにいる〈混沌の騎士団〉に一礼し、大広間の反対側にもう一礼し、拍手と笑いがおさまるのを待った。
(こころのかたすみで、ハリーは〈組わけ帽子〉には
講堂に静寂がもどると、ハリーは椅子に座り、その八百年もののテレパシー能力つきの失われた魔術の遺物を
懸命にこう考えながら。まだ組わけはしないで! 質問したいことがあるんです! ぼくは
音のないハリーの精神のなかに、それまで声がひとつしかなかったところに、第二の聞きなれない声が、あからさまに心配そうにして語りだした:
「おやおや。こんなことが起きるのははじめてだ……」
原作品の著者:J. K. Rowling
ファンフィクションの著者:Eliezer Yudkowsky
今回の非ハリポタ用語:「ホモ・エレクトゥス (Homo Erectus)」
絶滅したヒト科の種。学名はラテン語で「直立するヒト」。現生人類ホモ・サピエンスと近縁で、最近の研究によればかなりの期間両者は共存・競合していたとか。