ハリー・ポッターと合理主義の方法   作:ポット@翻訳

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90章「それぞれの役割(その1)」

ダンブルドア総長が一度『イナヴェイト』をしただけでフレッド・ウィーズリーの意識はもどった。腕と肋骨の骨折も、予備的な治癒魔法で処置された。 ハリーの口から、〈転成〉した酸がトロルの頭部のなかにあること(ダンブルドアはそれを聞いてバルコニーに行き、そこから下に身を乗りだして手ぶりをしてから、もどってきた)、ウィーズリー兄弟の精神が改竄されていたことが、ダンブルドアに告げられた。つづけて、ハリーが記憶はしたものの解釈できていない部分の話もした。

 

ハリーはハーマイオニーの遺体のもとを一度も離れることなく、解離の感覚と剥離する時間を乗りこえて、できるかぎり速く思考しようとしている。なにか()()しているべきことはないのか。いま非可逆的にうしなわれつつある機会がなにかあるのではないか。 いまなにかしておけば、あとで必要になる魔法的全能性の度合いを下げることができるのではないか。 あとで六時間以上の時間旅行ができるようになったときのために、この時間的位置に目じるしをつけておく方法はないか。 〈一般相対論〉にもとづく時間旅行をするための理論は存在する(〈逆転時計〉にであうまえには、あまり現実味がない理論だったが)。その種の理論のタイムマシンは、つくられた時点よりまえへ逆行することができない——相対論的タイムマシンは連続的な時間の経路を維持するものであり、空間的転移(テレポーテーション)をさせるものではない。 しかし、いまの自分につかえる呪文の語彙のなかに有用なものは見あたらない。ダンブルドアもあまり協力的ではない。いずれにしても、決定的な〈時間〉的位置からはもう数分すぎてしまっている。それに

 

「ハリー。」 総長がそっと声をかけ、ハリーの肩に手をのせた。 いつのまにかウィーズリー兄弟のそばから消え、ハリーのとなりに出現してきていた。ジョージ・ウィーズリーも非連続的に転移させられて、フレッドのそばにおかれていた。フレッドはまっすぐに寝かされ、目をあけて、苦しげに息をしている。 「ハリー、きみはこれ以上ここにいてはならん。」

 

「ちょっと待ってください。」とハリーの声がする。 「なにかやりのこしたことがないか、考えているんです。」

 

老魔法使いは無力そうに言う。 「ハリー——きみが魂を信じていないのは知っているが——ハーマイオニーがきみを見守ってくれているかいないかはともかく、きみのそのありさまを彼女が喜んでくれようはずがない。」

 

……ああ、そうだった。

 

ハリーはハーマイオニーの遺体に杖をむけ——

 

「ハリー! きみはいったい——」

 

——腕から手へと、全霊をこめて——

 

「『フリジデイロ』!」

 

「——なにを……?」

 

「低体温法です。」  よろめきながら、うわのそらでそう話す。これはハリーとハーマイオニーが遠い昔に実験した呪文だった。そのおかげで、ハリーはこれを高い精度で制御することができている。とはいえ、これだけの質量に対してかけるのにはかなりのエネルギーを要した。 ハーマイオニーの遺体はこれでほぼちょうど五℃になっているはず。 「冷水につかったまま三十分以上呼吸がとまっていた人が生還した例があります。 温度が低下すると、あらゆる反応が遅くなるので、脳損傷も防げます。 マグル医師のあいだでは『人が死ぬのは温かくなって死んでからだ』という表現があります——手術の際に、患者の心臓を止めてまで体温を下げることすらあったんじゃないかと思います。」

 

フレッドとジョージの泣く声が聞こえはじめた。

 

ダンブルドアの顔にはすでに幾筋もなみだが流れていた。 「ハリー……その気持ちはよくわかる。しかしきみはこのままではいけない。」  ダンブルドアはハリーの肩にちからをこめ、自分のほうに引き寄せた。

 

ハリーは抵抗せず、ダンブルドアに引かれるままハーマイオニーの遺体と血の池を離れて歩いていく。 あの〈冷却の魔法(フリジデイロ)〉のおかげで時間をかせぐことはできた。 すくなくとも数時間。うまくいけば、効果を切らさないようにこの呪文をかけつづけるか、温度の低い場所に遺体を保管することで、数日間もつかもしれない。

 

これで、しばらく考えることができる。

 

◆ ◆ ◆

 

ミネルヴァはアルバスの表情を見てすぐに、異変を察した。 そしてなにが起きたのだろうかと思うだけの時間があった。だれが死んだのだろうか、とさえ思った。 アラスター、オーガスタ、アーサー、モリーの顔がつぎつぎに浮かんだ。ヴォルデモートがまた攻撃をはじめるとき、まっさきに標的になるであろう人たち。 こころの準備はできたと思った。最悪の可能性にもそなえることができていると思った。

 

それからアルバスが話し、準備は無に帰した。

 

まさかハーマイオニーが——そんな——

 

アルバスは話を中断し、ミネルヴァはしばらく泣いた。それからはハリー・ポッターの話だった。ハリー・ポッターはミス・グレンジャーの死をみとったあとずっと、遺体がおかれている医務室収納庫まえに陣取り、離れようとしないのだという。だれが話しかけても、一人で考えたいからと言って追いはらわれるのだという。

 

ハリー・ポッターが唯一反応を見せたのは、フォークスが歌を聞かせようとしたときだった。 ハリー・ポッターはフォークスにどうかそれをやめてくれと言った。いま自分が感じている感情はほんものであり、魔法で()()していい病気などではないからと。 以後、フォークスは一転して歌おうとしなくなった。

 

アルバスは、いまハリー・ポッターが聞く耳をもつ相手がいるとすればミネルヴァではないかと考えている、と言って話し終えた。

 

やむをえず気持ちを切りかえて、顔の乱れをととのえる。悲嘆するのはあとで一人になれる時間にしよう。それまでは、生きているほうの子どもたちをみてやらなければ、と思う。

 

ミネルヴァ・マクゴナガルは千千(ちぢ)に乱れたこころを落ちつけて、しめくくりにもう一度目をぬぐってから、医務室の収納庫手前の区画へ通じるドアのノブに手をかけた。この場所は、過去百年間では二度、ホグウォーツ城が建造されてから数えても五度しか、若く有望な生徒の遺体の安置場所としてつかわれたことはない。

 

その扉をあける。

 

ハリー・ポッターの目が彼女をとらえた。 少年は収納庫の扉のまえの床で、ひざの上においた手に杖をもち、座っている。 その目にあるのは悲嘆か、うつろさか、それとも失意か。一見して読みとることができない。 ほおには泣きあともなかった。

 

「なにをしにここに来たんですか? マクゴナガル先生。 しばらくだれにもこさせないでくださいと、総長に伝えておいたんですが。」

 

なんと言ってあげればいいのか。 あなたを助けに——あなたはいまおかしくなってしまっているから——しかし、どう言えばいいのか。どんな言いかたをしたとしても、よい結果になるようには思えない。 ミネルヴァ自身万全の状態ではなく、この部屋にくるまで話す内容を準備していなかった。

 

「いまどんなことを考えていますか?」  ミネルヴァが思いついたのはそれだけだった。 アルバスの話では、何度きいてもハリーは『考えている』途中だとしか言わなかったのだという。いまはなんとかしてハリーに話をさせるべきだと思う。

 

ハリーはミネルヴァかそのむこうを見るような目をしつづけた。緊張がハリーの表情にあらわれるのを見て、ミネルヴァは息をつまらせた。

 

しばらくすると、ハリーは話しはじめた。

 

「ぼくは、いま自分がしているべきことがなにかないか、考えようとしています。 でもむずかしいですね。 過去のことばかり思いうかんで、もっとあたまの回転が速ければあのときああできたのにと考えてしまいます。しかも、そう考えることでなにか重要なことが見つからないともかぎりません。」

 

「ミスター・ポッター……ハリー…… そういう風に思っていては——あなたの健康のためによくありません——」

 

「いいえ。人が死ぬのは考えることによってではありません。」  ひたすら単調な、本の一節を読みあげているような言いかただった。

 

「ハリー。」  ミネルヴァはほとんどなにも考えずに言う。 「……あの段階ではもう、あなたがなにをしても彼女を救うことは——」

 

ハリーの表情になにかがちらついた。 はじめてこちらをしっかりと目でとらえたようだった。

 

「なにをしても? なにをしても救うことはできなかった? いいえ、ぼくにできたことは数えきれないほどありますよ! 通信用の鏡を全員に配布するよう頼んでさえいれば! この学校ではない、まともな学校にハーマイオニーを転校させるよう、もっと食い下がっていれば! ふつうの人たちと議論しようとなどせず、即座に大広間を脱け出していれば! 〈守護霊〉をつかうことをもっと早く思いだせていれば! 事前に訓練して、緊急時に〈守護霊〉のことにすぐに思いあたれるようになっていれば! 手遅れになりかけた段階でも、できることはありましたよ! ぼくがトロルを殺してから振りむくとハーマイオニーはまだ生きていた。そのときぼくはただひざをついて、バカみたいに最後の一言を聞いていただけで、〈守護霊〉をもう一度つかってダンブルドアにフォークスを飛ばしてもらうことを思いつかなかった! まったく別の方向から攻めるなら——別の〈逆転時計〉をもっている生徒を見つけて、ハーマイオニーになにかが起きたことを()()()()()ぼくにメッセージをとどけてもらえば、改変できないかたちで結果を生じさせてしまうこともなく——。時間をさかのぼってハーマイオニーを救ってすべてを偽装してもらえないかと、総長に頼んではみました。死体を偽装して、全員の記憶を改竄してやればいいのではないかと。でも総長は以前おなじようなことをしたことがあって、失敗して、友人を一人余計に死なせる結果になったそうです。 あるいは——あの夜に——ぼくが呼びかけにこたえてさえいれば——」

 

ハリーは両手で顔をおおった。そして手をはずしたときには、また冷静な表情になっていた。

 

「とにかく……」  ハリー・ポッターは単調な口調にもどった。 「またおなじまちがいをせずにすむように、いま自分がすべきことはほかにないか、夕食の時間まで考えさせてもらいます。 そのときまでになにも思いつかなかったら、夕食を食べにいきます。 だから出ていってください。」

 

ミネルヴァはまた涙が自分のほおに落ちているのに気づいた。 「ハリー——わかってください。これはあなたのせいで起きたのではないと!」

 

「ぼくのせいに決まっているじゃないですか。あらゆることに責任があっていいのは、このなかでぼくだけなんですから。」

 

「いいえ、ハーマイオニーを殺したのは〈例の男〉です!」  自分がなにを言いだすのかも分からないまま、ほかのだれかが聞き耳をたてていないかも調べないまま、ミネルヴァは言いだした。 「あなたではなく。 あなたにできなかったことがいくらあるにせよ、あなたは殺していません。殺したのはヴォルデモートですからね! それすら信じられないで、正気でなどいられないでしょう!」

 

「責任とはそういうものじゃありませんよ、マクゴナガル先生。」  辛抱づよく、子どもを相手に子どもが理解できるはずのない話をしようとしているような言いかただった。その目はもうこちらを見ておらず、右手の壁をぼんやりと見ている。 「システムの故障の原因解析をするとき、あとで変更しようのない部分を原因部分だと見なしても無意味です。崖から落ちて重力に文句を言うようなものです。 つぎがあったとき、重力は変化しません。 自分の行動を変えようとしない人たちに責任を割りあてても無駄です。 そういう見かたをすれば、自分以外のだれの行動を責めてもなんの意味もないと気づくようになります。責めることで変化させられるのは自分自身の行動だけですから。 ダンブルドアが折れた杖をならべた部屋をもっているのも、そのためです。あの人もその部分は理解しているようです。」

 

ミネルヴァはこの場から遠く離れたこころのなかの部分で、総長にきつい一言を言うのはしばらくあとのことにしようと決めた。そのときには、影響をうけやすい子どもたちになにを見せているのかと 叫んでしまうかもしれない。 いずれにしろ、以前からミス・グレンジャーのことでそうするつもりではあった——

 

「いいえ、あなたの責任ではありません。」と言う声が震えてしまう。 「これは教師の責任——生徒の身の安全をまもるのは、あなたではなくわたしたちの責任です。」

 

ハリーの視線がミネルヴァのほうへ舞いもどる。 「あなたたちの?」  その声がこわばったように聞こえた。 「マクゴナガル先生、あなたは自分の責任を追及してほしいんですか?」

 

ミネルヴァはあごを高くして、うなづいた。 そのほうが、ハリーが自分を責めるよりははるかにいい、と思う。

 

少年は床を手で押して立ちあがり、一歩こちらに近づいた。 「じゃあそうしましょうか。」 ハリーは単調な声で言う。 「ハーマイオニーが行方不明で、そのことを教師のだれも知らない、ということに気づいて、ぼくは理にかなった行動をとろうとしました。七年生にむけて、ぼくといっしょにホウキに乗って捜索に来てほしい、ぼくはハーマイオニーをさがすから、そのあいだ護衛してほしい、と呼びかけました。 だれかやってくれないかと何度も頼みましたが、 応じる人はいませんでした。 あなたが全員動かず一カ所にいろ、そうしなければ問答無用で退学だ、と絶対的な命令をしたからです。 ダンブルドアにもまちがいはあるにせよ、あの人なら生徒を人間としてあつかいます。囲いのなかにいれておかなければ迷いでてしまう家畜の群れとしてではなく。 あなたは自分が軍事面につよくないことを知っていた。自分より戦略や戦術に秀でた生徒がいると知っていた。なのにあなたはぼくたちを一部屋に押しこめた。そのせいでぼくたちは臨機応変な対応がとれなかった。 あなたの想定になかったことが起きて、七年生一人を連れて高速なホウキでハーマイオニー・グレンジャーを捜索することが理にかなっていたとき、だれもがそれでもあなたは理解せず許さないだろうとしか思わなかった。 彼らが恐れていたのは、トロルではなくあなただった。 あなたが彼らに教えこんだ規律、同調、()()()のせいでぼくの出発が遅れ、その遅れが命とりとなって、ハーマイオニーが死んだ。 もちろん、そもそもぼくがふつうの人たちの手を借りようとしたのは愚かなことでしたし、次回はそうしないようにしますよ。 でも、ぼくが自分以外のだれかに責任を割りあてるほどバカだったとしたら、こういうことを言うと思います。」

 

なみだがミネルヴァのほおを流れ落ちた。

 

「ぼくがあなたにすこしでも責任をもたせていいと思っていたら、そういうことを言うと思いますけれどね。 でもふつうの人たちは自分がえらんだ行動がどんな影響をおよぼすかを考えない。ただ役割を演じることしかしないものです。 あなたのあたまのなかには厳格な規律主義者のイメージがあって、そのイメージに沿うことなら、意味のないことでもとにかくやってしまう。 厳格な規律主義者なら生徒全員を自室に帰らせるだろう、と思う。トロルが廊下をうろついているときでも。 厳格な規律主義者なら退学の罰を予告して、だれ一人大広間をでるなと命令するだろう、と思う。 あなたのあたまのなかにある『マクゴナガル先生』のイメージは、経験から学ぶことも自分を変えることもできない。だからこんな会話は無意味です。 あなたのような人たちに、なんら責任はない。すべての責任はぼくのような人たちにある。そしてぼくたちはほかのだれを責めることもできない。」

 

少年はミネルヴァの真正面にまで歩いてきた。 そこで自分のローブのなかにさっと手をいれ、黄金色の球体をとりだす。魔法省が提供した〈逆転時計(タイムターナー)〉用保護ケースだ。 少年は平坦きわまりない声で話しはじめる。 「これをつかうことが許されていればハーマイオニーを救うことができたかもしれません。 でもあなたは自分の役割上、ぼくに勝手をさせてはならないと思って、邪魔をした。 このケースをつけたとき、あなたはホグウォーツでは五十年間一人の死人もでたことがないと言いました。おぼえていますか? ベラトリクス・ブラックがアズカバンを脱獄したときか、ハーマイオニーが殺人未遂の罪を着せられたときに、ぼくはこれを解除してもらおうとすべきでした。 でもぼくはバカだったから、し忘れていました。 解除してください。これ以上ぼくの友だちが死ぬまえに。」

 

ミネルヴァは絶句したまま杖をとりだし、かつて自分の手でケースの時限錠にかけた呪文を解いた。

 

ハリー・ポッターは黄金色のケースのふたをあけ、円と円のなかの小さな砂時計に目をやり、うなづいてから、ふたをとじた。 「どうも。じゃあ、出ていってください。ぼくは考えることがあるので。」  また泣き声まじりの声だった。

 

◆ ◆ ◆

 

扉を後ろ手にとじると、哀れな声がでそうになる。押し殺しはしたものの、多少は聞こえてしまう——

 

となりにアルバスが光るシルエットとなって出現した。けばけばしい残光とともに〈幻解〉(ディスイリュージョンメント)がとけるところだった。

 

ミネルヴァはとびあがることまではしなかった。 「やめてくださいと言っているでしょう。」  自分でも精彩を欠いた声に聞こえた。 「個人的な会話だったんですから。」

 

アルバスは扉にむけて指をひと振りした。 「心配だったのでな、ミスター・ポッターがおぬしを傷つけるのではないかと。」  アルバスは一度ことばを切って、小声でつづけた。 「……おぬしがあれをただ受けとめたのにはおどろかされた。」

 

「わたしがひとこと割りこみさえすれば、彼はやめていたでしょう。」  ささやくような小声になる。 「……すぐさまやめてくれていたと思います。 そしてやめていたとしたら、彼にはああやって罵倒できる相手が一人もいなかった。」

 

「ミスター・ポッターのあの言いようは、おぬしに対して不当かつ不公平きわまりない評価だと思う。」

 

「アルバス、あなたなら生徒をおどして大広間に閉じこめることはしなかったはず。 本心からそうでないと言えますか?」

 

アルバスの両眉があがった。 「今回の災厄でおぬしがはたした役割は小さい。そのように判断したのは当時の状況では無理もなかった。ハリー・ポッターがあのように考えているのは全面的な後知恵の産物。 おぬしこそ、この件で自分を責めるのは無為なことだと分かってくれていると思うが。」

 

アルバスがあとでハーマイオニーの写真をあの陰惨な部屋の特等席に置くであろうことはまちがいない。 その当時アルバスは不在であったにもかかわらず、アルバスがこれを()()()()()責任だと考えるであろうこともまちがいない。ミネルヴァの責任ではなく。

 

つまりあなたにとっても、わたしは責任を問うにもあたいしない人間だということ……

 

ミネルヴァは手ぢかな壁によりかかり、涙があふれるのをおさえようとした。 アルバスの涙は三度しか見たことがない。 「あなたはわたしと逆で、いつも生徒を信用していました。 生徒たちは、あなたに対してなら怖がらなかったはず。あなたなら理解してくれると思って行動したはず。」

 

「ミネルヴァ——」

 

「わたしはあなたの後任として総長をつとめる資格がありません。 それはおたがいよく知っているはずです。」

 

「それはちがう。 そのときがくれば、おぬしはホグウォーツ第四十四代総長として立派につとめをはたす。」

 

ミネルヴァはくびをふる。 「これからどうします? わたしでは話してもらえないなら、だれが?」

 

◆ ◆ ◆

 

それから三十分が経過したころ。 少年は持ち場を離れず、親友の遺体がおかれた部屋への扉の番をしていた。 視線は下の、手のなかの杖に向けられている。 顔をしかめてなにかを考えているときもあり、緊張がとけているときもある。

 

扉はとじたままで、音もしなかったが、少年は顔をあげた。 表情をととのえた。 その口からでた声は精彩を欠いていた。 「話し相手はいりませんよ。」

 

扉がひらいた。

 

〈防衛術〉教授が入室し、扉を後ろ手に閉め、慎重に少年と対極の隅の、できるかぎり少年から距離をたもてる位置に陣取った。 二人のあいだの空間に破滅の感覚があらわれ、そのまま高潮した状態をたもった。

 

「なにをしにここへ?」

 

そのことばに男はくびをかしげ、 淡い水色の両目で少年を観察しはじめた。遠くの星から来た、したがって危険な生命体をしらべるかのようにして。

 

「謝罪をしに来たのだよ。」

 

「なんの謝罪ですか? なんのために? あなたがなにかしていればハーマイオニーの死をふせぐことができたとでも?」

 

「わたしはきみたちの所在を確認することを思いついているべきだった。きみとミスター・ロングボトムとミス・グレンジャー、この三人がつぎの標的になることは当然考えられた。」  〈防衛術〉教授は躊躇なく言った。 「ミスター・ハグリッドには生徒の集団を統率するだけの精神力がない。 わたしは副総長に制止されても黙るべきではなかった。フリトウィック教授を監督役として残すよう進言すべきだった。彼なら脅威から生徒を守ることができ、〈守護霊〉という通信手段も持っていた。」

 

「そのとおり。」  少年の声はかみそりのようにするどい。 「ぼく以外にも責任があっていい人が一人いるのを忘れていました。 ではなぜあなたは思いつかなかったんでしょうね? ()()()()()()()()()()()、とは思えませんが。」

 

二人は無言になり、杖をつよくにぎる少年の指の背に骨が浮き出た。

 

「きみとて、その場では思いつけなかった。」  声から疲弊が感じられる。 「わたしはきみより速く深く考えることができる。きみより経験がある。 それでもわたしたち二人のあいだには、わたしたちと彼らとのあいだにあるような差はない。 きみが見のがしたものごとをわたしが見のがすことは十分にある。」  口もとがゆがむ。 「あのトロルは陽動にすぎず、それ自身に大きな意味はない、という風に即座に推論してしまったくらいだからな。 生徒たちに廊下を歩かせるという無意味な真似をしたり、トロルが出没したそもそもの現場である地下洞(ダンジョン)に年少のスリザリン生たちを送りこむという不用意な真似をしたりする者がいないという前提に立って。」

 

少年は緊張をとかない。 「たしかにもっともらしく聞こえはします。」

 

「ともかく、ミス・グレンジャーの死に責任がある人物がいるとすれば、それはきみではなくわたしだ。 わたしこそあのとき——」

 

「あなたはここに来るまでにマクゴナガル先生と話しあって台本を渡されたようですね。」  少年は苦にがしさを声から隠そうともしていない。 「言いたいことがあるなら、仮面は抜きで言ってください。」

 

沈黙。

 

「ではそうさせてもらう。」  〈防衛術〉教授は感情のない声で言う。淡い水色の目のするどさは変わらない。 「わたしも彼女が死んだことは残念に思う。 〈防衛術〉の授業でも優秀な生徒で、いずれはきみのよき協力者となってくれるかもしれなかった。 きみの失意をやわらげるすべがあればそうしているところだが、わたしはその方面にうとい。 無論、だれのしわざであったか突き止めることができれば、わたしはその犯人を殺すつもりだ。 そのときは、状況が許すかぎりきみも同行してくれてかまわない。」

 

「感動的じゃないですか。」  少年は冷ややかな声で言う。 「実はもともと好きだった、などとは言いませんよね?」

 

「彼女の魅力はわたしには理解できないものだったようだ。 わたしは以前から他人とその手の関係をむすぶことが少なくなった。」

 

少年はうなづく。 「率直な回答をありがとうございます。 話はそれだけですか?」

 

沈黙。

 

「この城は今日、傷を負った。」  男は部屋の隅からそう言った。

 

「え?」

 

「わたしが所有しているとあるいにしえの魔法具がミス・グレンジャーの生命の危機を告げたとき、わたしは呪いの炎の呪文をつかった。以前きみにも話した呪文だ。 その炎で壁や床を突き破りつつ、ホウキで現場に直行した。」  男はやはり平坦な口調で言う。 「この城にも、そのような傷は簡単には癒せない。癒せるかどうかも分からない。 おそらく、より低級な呪法で穴をふさいでやるしかないだろう。 いまとなっては後悔している。いずれにしろ間にあわせることはできなかったのだから。」

 

「ああ。」と言って少年は一度目をとじた。 「あなたも彼女を助けるつもりがあったんですね。 そのために自分から実際に行動するくらいには。 彼らにできないそういうことがあなたにはできるということは認めます。」

 

男は乾いた笑いをした。

 

「その点は感謝します。 ですがあとはもう、夕食の時間まで一人にしてもらえますか。 あなたなら理解してくれるでしょう。 話はそれだけですね?」

 

「いや、もうすこし。」  男の声はいつもの皮肉で乾いた声にいくらかちかづいたようだった。 「ここ最近の経緯をふまえるに、きみがこれから極端に愚かなことをしようとするのではないかという危惧があってね。」

 

「たとえば、なにを?」

 

「はっきりしたことは言えないが。 たとえば、きみはミス・グレンジャーがいなくなった宇宙には価値がないと考え、自分にこんな仕打ちをした宇宙は破壊してやるべきだと思うようになった、とか。」

 

少年はいつわりの笑みを見せた。 「そう思えるのはあなた自身がかかえている問題のせいですよ。 ぼくはそういうことをするたちではありません。 あなたにはそういう時期があったんですか?」

 

「いや、そこまでは。 わたしはこの宇宙がさほど好きではないが、わたしもここで生きてはいるのだから。」

 

沈黙。

 

「……きみはなにをしようとしている? きみはすでになんらかの重大な決意をした。しかしそれをわたしから隠そうとしている。 それはなんだ?」

 

少年はくびを横にふった。 「まだ考えている途中です。だからこそ一人にしてもらいたいんですが。」

 

「数カ月まえに、きみはこういう提案をしてくれたのだったな。 きみは知的な話し相手がほしくはないか? きみが相手を楽しませることができない状態だとしても、わたしはかまわない。」

 

少年はまたくびをふった。 「いえ、けっこうです。」

 

「そうか。では……子どもじみた良心に縛られていない実力者の助けは?」

 

少年は躊躇したが、やはりくびをふった。

 

「さまざまな秘術や魔術の知識を有し……外道とすら考えられる種類の術に詳しい人物に興味は?」

 

ごくわずかに、余人にはそうと悟られない程度に少年の目が細まる——

 

「よろしい。遠慮はいらない。話してみなさい。 わたしはその内容をだれにも他言しないと約束する。」

 

少年が話しだすまでには多少の時間がかかった。話しはじめた声にも泣き声がまじった。

 

「ぼくはハーマイオニーを生きかえらせるつもりです。 死後の世界というものはないからです。それに、ただ彼女をこのまま——()()()()()させるなんて——」

 

少年は両手に顔をうずめた。そして手をさげたときには、部屋の隅の男とおなじくらい冷静な表情にもどっていた。

 

〈防衛術〉教授はごくわずかに困惑して、考えこむ目つきになった。

 

「……どうやって?」

 

「どんな手をつかってでも。」

 

再度の沈黙。

 

「なにを失うことになっても、どれほど危険な魔術が必要だとしても、ということか。」と部屋の隅の男が言った。

 

「はい。」

 

〈防衛術〉教授が思案げな目つきになった。 「しかし、どういう方向でいくか、こころあたりはあるのか? おそらく死体を〈亡者〉にするという方法ではないだろうが——」

 

「その方法で復活した人は思考できるようになりますか? 身体は朽ちていきますか?」

 

「一点目はノー。二点目はイエス。」

 

「だったら却下ですね。」

 

「ではカドマス・ペヴェレルの〈よみがえりの石〉は? 入手できるとしてだが。」

 

少年はくびをふった。 「ぼくがやりたいのは自分の記憶からハーマイオニーの幻影を引きだすことではなく、 ハーマイオニーが()()()()()()()()()()()ようにすることですから——」  少年の声に泣き声がまじった。 「具体的にどういう方策で攻めるかはまだ決めていません。 もし力まかせにそうするだけの実力と知識を身につけるしかないなら、そうします。」

 

再度の沈黙。

 

()()方策でいくとして……きみが頼るのは、やはり科学だろうな。」

 

「もちろん。」

 

〈防衛術〉教授は嘆息じみたやりかたで息をはいた。 「一応理解できる考えではある。」

 

「あなたは協力する気がありますか?」

 

「どんな協力がほしい?」

 

「魔法について。魔法はなにに由来しているんですか?」

 

「わたしは知らない。」

 

「ほかのだれも知らないということですね?」

 

「いや、状況はそれよりはるかに悪い。 秘法を熱心に研究する者のなかで、魔法の本質を解明したと主張しない者をさがすほうがむずかしい。その一人一人がたがいにことなる本質を解明したと主張している。」

 

「あたらしい呪文はどうやってできるんですか? 本を読めば、これこれをするための呪文を発明した人、というのはいくらでもでてきますが、()()()()()発明したかはどこにも書かれていません。」

 

男はローブのなかで肩をすくめる。 「それをいうなら、あたらしい本はどうやってできる? 本を多く読む人たちの一部は、いずれ本を書くこともできるようになる。 どうやってか。 それはだれも知らない。」

 

「本の書きかたを説明している本ならありますが——」

 

「そういった本を読んでも有名な劇作家にはなれない。 その手の助言に一定の効果はあるとして、説明しきれない謎はのこる。 呪文が発明される仕組みにもおなじようなことが言えるが、こちらはさらに純粋な謎だ。」  男はくびをかしげた。 「その道は危険な道だ。 そのためには子どもをつくらないか、子どもが成長するまで待つべきだと言われている。 発明家の内訳を見ると、予想に反してレイヴンクロー出身者よりもグリフィンドール出身者が多いのにも理由がある。」

 

「そして、一定以上に強力な魔術となると?」

 

「伝説的な魔法使いなら、生涯をかけて一ついけにえの儀式を発明し、子らにその知識を相続させることもあるかもしれない。 一人で五つ発明しようとするのは自殺行為だ。 だからこそ、真に実力ある魔法使いには、きまって古代の秘法を入手した経緯がある。」

 

少年はうわのそらの様子でうなづいた。 「それなら簡単な解決法はなさそうですね。 〈死者復活〉の呪文とか〈神になる〉呪文とか〈端末召喚〉の呪文とかを発明できてしまえれば楽だったんですが。 アトランティスについてはなにか知っていますか?」

 

「どの好事家でも知っていることなら。 最有力の仮説とされているものが十八個あるが、聞いてみたければ——そうにらむな、ミスター・ポッター。 そのように単純にすむことなら、わたしが何年もまえに実践している。」

 

「そうでしょうね。すみません。」

 

しばらく沈黙がつづいた。 〈防衛術〉教授は少年から目を離さず、少年は虚空をみつめているようだった。

 

「ぼくはいくつかの魔法を身につけておくつもりです。 以前そうしていれば、今日つかえていたはずの魔法を。」  冷ややかな声。 「こういうことが何度も起きるなら、また必要になるはずの魔法です。 調べればすむ呪文が大半だと思いますが、 そうでない呪文もあると思います。」

 

〈防衛術〉教授は軽く首肯した。 「きみが知りたいと思う呪文はほとんどすべて教えよう。 わたしにも限度はあるが、きみが頼むのは自由だ。 だが、具体的にはなにを? きみの魔法力の量はまだ、〈死の呪い〉など禁制がかけられた呪文の大半を実践するに足りない——」

 

「例の呪いの炎の呪文です。 そのための生けにえの儀式は、その気があれば子どもにもできるものだったりしませんか?」

 

〈防衛術〉教授の口もとがぴくりとした。 「必要な犠牲は一滴の血だ。術者の体重は以後その一滴ぶんだけ軽くなり、もとにもどらない。 頻繁にやっていい儀式でないということは言っておく。 呪いの炎が自分に襲いかかってくるのを防ぐための意志力も要求される。 そのため、事前により小規模な試練で意志力を試すのが通例だ。 そしてこれはこの儀式の本質的な要素ではないが、一定の魔法力も必要なのはたしかだ。きみがそこにたどりつくにはあと数年かかる。」

 

「それは残念。……敵がまたトロルをつかおうとしてきたときにどんな顔をするか楽しみだったんですが。」

 

〈防衛術〉教授は軽く首肯し、また口もとをぴくりとさせた。

 

「〈記憶の魔法〉はどうです? ウィーズリー兄弟の二人は奇妙なふるまいをしていました。総長は二人に〈忘消(オブリヴィエイト)〉がかけられたのではないかと言っていました。 これは敵の得意技のようですね。」

 

「ルールその八。一度でも自分を倒した実績のある技は学習しておく価値がある。」

 

少年はうつろな笑みをした。 「大人が消耗しきった状態で『オブリヴィエイト』をつかった例があると聞いたことがあります。つまり、この呪文にはたいして魔法力が必要ないということじゃないでしょうか。 これは〈許されざる〉呪文に分類されてすらいない……といっても、個人的にはされていていいんじゃないかと思いますが。 ぼくもあのとき、ミスター・ハグリッドに別の命令を受けた記憶を植えつけることができていれば——」

 

「ことはそう簡単ではない。 きみには〈偽記憶の魔法〉をつかうだけの魔法力がない。単純な『オブリヴィエイト』を一度かけるだけでも、きみの現在の持久力では苦しいだろう。 記憶操作は危険な術であり、〈魔法省〉に許可された者以外がつかえば違法だ。うっかりだれかの人生を十年ぶん消してしまったとき不都合が生じる状況下でつかうべき呪文ではないと警告しておく。 できれば〈神秘部〉が所蔵する厳重に警護された本を拝借して偽装をかけてきみに渡すという約束をしてあげたいところだが、 やむをえず、あとでホグウォーツ図書館の北北西の書棚のMの並びを見れば標準的な入門書がみつかることを紹介するにとどめよう。」

 

「本気ですか。」

 

「いかにも。」

 

「ありがとうございます。」

 

「きみの最近の発想は最初の授業のころよりもはるかに実用的になってきたと思うよ。」

 

「それはどうも。」  少年は男を見るのをやめ、また手もとの杖をじっと見る姿勢にもどっている。 「また一人で考えさせてもらえますか。 あの人たちにも、ぼくへの邪魔がはいったらなにが起きるかを話してあげてください。」

 

◆ ◆ ◆

 

収納庫の扉がかちりと音をたててひらき、クィレル教授が外にでてきた。 その顔にはなんの感情もあらわれていない。 セヴルスを思わせる、とでも表現したくなるが、実際にはセヴルスがこのような表情を見せたことはない。

 

またかちりと音がして扉がしまる。 それを待たずにミネルヴァは無詠唱で〈音消〉の障壁をたてていた。 思わず早くちで話しだす。 「どうでしたか——だいぶ時間がかかったようですが——話はできましたか?」

 

クィレル教授は入りぐち近くの壁まですっと移動して、ふりかえってこちらを見た。 まるで仮面をぬぐように、感情のない表情が消え、暗い表情の顔がのこった。 「わたしはミスター・ポッターが期待するとおりの話しかたをし、彼の気にさわるような話は避けました。 なぐさめにはならなかったでしょうな。わたしはそういったことが得意ではないので。」

 

「ありがとうございます——口をきいてもらえたという点は進歩ですが——」  ミネルヴァは言いよどんだ。 「……ミスター・ポッターからはどういう話が?」

 

「残念ながら、他言しないという約束で話してもらったことでしてね。 ではわたしは……これからこの城の図書館に行かねば。」

 

「図書館ですって?」

 

「はい。」  クィレル教授の声からは、らしからぬ緊張が感じられた。 「〈禁書区画〉のセキュリティを強化するため、わたし独自の予防措置をかけてくるつもりです。 現状の結界はなんの役にも立たない。 そしてなんとしてでもミスター・ポッターをあそこに近寄らせてはならない。」

 

ミネルヴァは彼をじっと見つめた。急に心臓がのどにつまる思いがした。

 

「わたしがあなたにこの話をしたことを、彼の耳にいれないでいただきたい。 また、フリトウィックとヴェクターにも、彼が呪文の発明に関する高度な質問をしてきた場合には、適当なやりかたで煙にまいておくようにと言っておいていただきたい。 そして、これはわたしの専門分野ではありませんが、あれ以上の悲嘆と狂気におちいるまえに彼を止められるような方法が——彼がなしつつある決意を取り消すような方法が——あるようでしたら、()()()()試していただけますか。」

 

◆ ◆ ◆

 

原作品の著者:J. K. Rowling

ファンフィクションの著者:Eliezer Yudkowsky

 


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