ハリー・ポッターと合理主義の方法   作:ポット@翻訳

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97章「それぞれの役割(その8)」

ハリーの目にその日、二度目の涙があふれた。 談話室にいるレイヴンクロー生たちのいぶかしげな目をよそに、ハリーはドラコ・マルフォイから送られてきた銀色のヘビに両手をのばし、それが生きているかのように抱きかかえる。そして足をつかえさせながら自分の共同寝室へむかって歩き、ほとんどなにも考えずにトランクの最下層を目ざす。銀色のヘビはそのあいだじっとハリーの腕のなかで待っていた。

 

◆ ◆ ◆

 

第五の会合(一九九二年四月十九日日曜日、午前十時十二分)

 

この日のハリー・ポッターの債権者集会はマルフォイ卿の要求で招集された。ハリー・ポッターはルシウス・マルフォイに五万八千二百三ガリオンの債務を負う債務者であり、債権者集会はブリテン法にしたがい、グリンゴッツ中央銀行内の一室で開催される。

 

開催にいたるまでに一悶着があった。主席魔法官ダンブルドアはホグウォーツの“防衛網”(ハリー・ポッターはここで両手の指を二本ずつ空中に引っかけて二重引用符の手ぶりをした)からハリー・ポッターを離れさせることに関して一定の抵抗をみせた。 〈死ななかった男の子〉本人はしばらく沈思黙考の様子だったが、やがて出席に同意する返事をした。敵からの要求に対して不思議なほど従順な行動だった。

 

ブリテン魔法界でのハリー・ポッターの後見人をつとめるホグウォーツ総長がその同意を取り消した。

 

それをさらにウィゼンガモートの債権委員会が取り消した。

 

それをさらに主席魔法官が取り消した。

 

それをさらにウィゼンガモートが取り消した。

 

結果として、〈死ななかった男の子〉は〈闇ばらい〉三人とマッドアイ・ムーディの厳重な監視下で、グリンゴッツ中央銀行にむけて出発することになったのだった。 ムーディのあかるい青色の目はさまざまな方向にいそがしく回転し、あらゆる潜在的な攻撃者にむけて自分は〈常在戦場〉で〈警戒中〉であり、〈死ななかった男の子〉の付近で一人でもくしゃみをする者がいればよろこんで腎臓を焼却してやるぞ、というメッセージを発していた。

 

ハリー・ポッターはグリンゴッツの『Fortius Quo Fidelius』というモットーがかかげられた開放扉のあいだをならんで入構しながら、以前より注意してあたりを観察する。 過去三回の訪問では、ハリーは大理石の柱、黄金を燃やすたいまつの火、魔法界ブリテンの人類部分ではみかけない建築様式などといったものにばかり目をうばわれていた。 その後、〈アズカバン事件〉などいろいろなことがあった。四度目のこの日は、〈ゴブリンの反乱〉が過去くりかえされたこと、ゴブリンが杖の所持をいまだに許されないのを不満に感じていることなどが思いうかぶ。ハリーはこういった一年生の〈史学〉教科書に書かれていない事実をパターンマッチングにより推測しえたので、フリトウィック先生にたずねてみた。すると小声で認める返事があったのだった。 ヴォルデモート卿は魔法族の人間だけでなくゴブリンも殺したという——ハリーがなにか見おとしているのでないかぎり、ヴォルデモート卿も迂闊(うかつ)なことをしたものだ——が、ゴブリンは〈死ななかった男の子〉についてどう思っているのか、ハリーには想像がつかない。 ゴブリンはきっちり借りをかえし、貸しをとりもどすものであるという評判がある。同時に、その貸し借りの解釈にはいくらか傾斜がついてくるという評判もある。

 

この日、銀行のまわりに等間隔で配置された武装警備員たちは〈死ななかった男の子〉を無表情で見つめ、ムーディと〈闇ばらい〉を苦にがしい軽蔑の目でにらんでいる。 ロビーにならぶ窓口をはさんで、行員たちは魔法族の客にガリオン金貨を手わたしながら、やはり同じような軽蔑の目をむけている。ある行員は、焦りいらだつ一人の魔女に対し、にやりとしてとがった歯を見せていた。

 

もしぼくが人間がどういうものかをただしく理解しているなら——そして人間型魔法生物はすべて遺伝子上は人間で、遺伝性の魔法効果がかかっているのだというぼくの考えがただしければ——このひとたちはおそらく、魔法使いから丁重な態度をとられたり境遇に同情すると言われたりしただけで友好的になってはくれない。でも、〈死ななかった男の子〉が〈魔法省〉を転覆させようとしていて、そのあかつきには〈杖所持法〉を廃止するという約束をしたとしたとしたら、協力がえられたりするだろうか……あるいは、こっそり杖や呪文書をあたえてやれば支持してくれるだろうか……。だからこそ杖づくりの秘密はオリヴァンダーのような人しか知ることを許されていないのだろうか。 ただし、ゴブリン族も人間なら、おそらく陰惨な一面がある。アズカバンのゴブリン版が存在する。それも人間であることの一部だから。ということは、いずれはそちらの政府も改革か転覆してやらなければ。ふむ。

 

老いたゴブリンが一人あらわれたので、ハリーは丁重にあたまを下げた。老いたゴブリンはそれを見てあわてて首肯するようなそぶりをした。 今回は暴走列車はなく、そのゴブリンは一行を廊下に通した。廊下は短く、突き当たりに狭い控え室があり、ゴブリン用の高さの長椅子が三つと、魔法族用の高さの椅子が一つあった。そこに座る人はいない。

 

「ルシウス・マルフォイがなにをわたしてこようが、署名するんじゃないぞ。」とマッドアイ・ムーディが言う。 「それがなんであってもだ。いいな? マルフォイが『死ななかった男の子の冒険物語』を一冊もってきてサインを一筆と言ったなら、指をくじいてしまったとでも言え。 グリンゴッツを出るまでは、一瞬でもペンを手にもつな。 だれかがペンをわたしてきたら、そのペンを折ってから自分の指も折れ。 これ以上言う必要はないな?」

 

「ないですね。 マグル界のブリテンにも弁護士はいます。彼らからすればあなたがたの世界の弁護士はおままごとですよ。」

 

やがてすぐにハリー・ポッターは武装したゴブリン警備員に自分の杖を引きわたした。警備員は興味をひく形をした多種多様な探知器でハリーの身体検査をし、ハリーのポーチをムーディにあずけさせた。

 

それからもうひとつの扉をとおり、〈盗人おとし〉の滝をくぐった。くぐりおえると同時に水は肌から蒸発した。

 

そのむこうにあったのは大きな部屋で、壁が羽目板でかざられ、立派な調度品がそなえつけられていた。黄金の大テーブルが部屋の中央部を占め、その片がわに革張りの大きな椅子が二脚、もう片がわには肘かけのない小さな木製の椅子があった(こちらが債務者の席である)。 重武装のゴブリンが二名、目と耳に装具をつけ、室内を監視している。 債権者・債務者ともに、ここでは杖やそれにたぐいする魔法道具を身につけないことになっている。グリンゴッツ銀行管理下のこの場所で、無杖魔法をつかって会合の平穏を乱そうする者がいれば、二人の警備員が即座に攻撃する。 警備員の耳の装具は当人が話しかけられないかぎり会合で話される内容が聞こえない仕組みであり、眼鏡は出席者らの顔にフィルタをかけて見えなくする。 要は、ここには(出席者が〈閉心術者〉であるかぎりは)()()()()()()セキュリティらしきものがある。

 

ハリーは自分用の座りごこちの悪い椅子に腰をのせて、『さりげない手だな』と内心皮肉につぶやきつつ、債権者たちの登場を待った。

 

さほど待たされることなく——法律上、債務者が待つ義務のある期限よりずっとはやく——ルシウス・マルフォイが入室し、よく訓練された流れるような動きで革張りの椅子に腰をおろした。 手には例のヘビのあたまつきのステッキがなく、長い銀髪の束はいつもどおり背にかかっている。その表情からはなにも読みとれない。

 

そのあとを追って、白金色の髪の毛の少年が無言で入室した。ホグウォーツの制服よりはるかに上等な黒ローブを着て、制御された表情で父親のあとにつづいてきたその少年は、 ハリーが四十ガリオンの債務を負う相手でもあり、マルフォイ家の一員でもある。したがって、厳密に言えば、この会合を可能にしたウィゼンガモートの決議の対象にふくまれている。

 

『ドラコ。』とハリーは声にはださず、表情も変えなかった。 言うべきことがみつからなかった。 『ごめん』の一言でさえ不適切に思えた。 ドラコの〈守護霊(パトローナス)〉がやってきて、数回ことばをかわしてこの会合を設定したときにも、そのたぐいのことは言わなかった。いま言わないのは、ルシウスに聞かれるかもしれないからではない。 言う必要がないからだった。ドラコのあの幸せのイメージがまだ有効であること、ドラコがそのことをハリーに知らせる気があるということだけは分かっている。それで十分だった。

 

ルシウス・マルフォイが口火を切る。声は平静で、表情はかたい。 「いまホグウォーツで起きているできごとを、わたしは理解できていない。 よければ説明してもらいたいのだが。」

 

「ぼくも分かりません。そもそも、理解できていたなら自分の手で止めていますよ、マルフォイ卿。」

 

「ならば答えよ。貴君は何者だ?」

 

ハリーは動じず債権者の顔を見る。 「ぼくを〈例の男〉だとお思いのようですが、それはまちがいです。」  ハリーも()()()愚かではなかったので、ウィゼンガモートの議場でのあのやりとりのなかでルシウス・マルフォイがハリーのことをだれだと思っていたのかは、あとで突きとめることができていた。 「無論ぼくはただの子どもではありません。無論そこには〈死ななかった男の子〉であることが()()()()の意味でかかわってくるでしょう。 それがなぜ、どういうふうにかかわっているかについては、ぼくはあなたとおなじ程度のことしか知りません。 〈組わけ帽子〉にもたずねましたが、分からないという答えでした。」

 

ルシウス・マルフォイは遠くを見る目でうなづいた。 「泥血(マッドブラッド)の娘一人の身と引きかえに十万ガリオンを支払う理由など、どこにもありはしない。 一つをのぞいては。その一つの理由なら、あの娘の能力の高さと残忍性も説明できる。 しかしあの娘はトロルの手にかかって死んだ。しかしおまえは死ななかった。 くわえて()()()からいくらおまえのことを聞きだしても、()()()()()()()()()()()()()。〈真実薬〉を処方されてさえ、わが子がおまえのしわざであるというできごとは、聖マンゴ病院の狂人のうわごと以上に支離滅裂なうわごとばかり。おまえ個人のしわざであるというその部分について、本人から説明してもらいたいのだがね、この場で。」

 

ハリーはドラコに目をむけた。ドラコも見かえしてきた。しかめた表情が制御された表情にかわり、またはりつめた顔にもどった。

 

「ぼくもそれを……」とドラコ・マルフォイがうわずった声で言う。「聞かせてもらいたいね。」

 

ハリーは目をとじ、そのまま話しだした。 「マグルにそだてられ、自分ではあたまがいいと思っている男の子。 きみはそのぼくを目にして考えた。世界の真理を教えてやって、友だちにする価値がある相手が同学年にいるとすれば、〈死ななかった男の子〉をおいてほかにはいないだろう、と。 ぼくもきみに対しておなじことを考えていた。 ただ、きみとぼくは別々のものを真理だと思っていた。 といっても世界に真理が複数あるという意味じゃなく、ただひとつの現実に対する信念が複数成立していているということ。個々の信念が真であるか偽であるかは現実の宇宙しだいで決まる——」

 

「きみはぼくにうそをついた。」

 

ハリーはそれを聞いて目をひらき、ドラコを見た。 「ぼくとしては……」  ハリーの声が多少ゆらぐ。 「ある特定の観点からみれば真であることを話した、と言いたい。」

 

「ある特定の観点だと?」  ドラコ・マルフォイはちょうどルーク・スカイウォーカーとおなじくらい怒る権利があると感じているらしく、ケノービの弁明に聞く耳をもつ気はなさそうだ。 「ある特定の観点からみれば真であること。ひとはそれを『うそ』と呼ぶんだ!」

 

「『トリック』とも呼ばれる。 聞き手にいちおう真であることを伝えつつ、そこからさらに別の、偽である信念をもつように誘導すること。 そこを区別する意味はあると思う。 あのときぼくが言ったのは、自己成就する予言の一種だった。 きみは自分をだませないことに気づいていたから、だまそうとしなかった。 きみが学んだ技術はほんものだから、自分のなかでそれに抵抗しようとすれば大変なことになっていただろうね。 人間は自分の意思で自分に青色を緑色だと思いこませることができない。なのに()()()()()()()()()()。そう思うだけでも、実際やろうとするのとかわらないくらいの害があるのに。」

 

「きみはぼくを()()した。」とドラコ・マルフォイが言った。

 

「きみ自身を強くするようなやりかたでは、利用したよ。 友だちが友だちを利用するというのはそういうことだ。」

 

「ぼくでも友だちがそういうものじゃないことくらいは分かる!」

 

そこでルシウス・マルフォイが発言する。 「その目的は……? その狙いは……?」  その声も多少動揺している。 「……なぜそんなことをした?」

 

ハリーは一度そちらを見てから、またドラコのほうをむいた。 「きみのお父さんはきっと信じないだろうけど、ドラコ、きみには分かるはずだ。ぼくが言っているこの仮説は一連のどのできごととも矛盾しない。 これ以上に冷笑的な仮説では、ぼくがもっときみの弱みにつけこんでもよさそうなときにそうしなかった理由や、ぼくがきみにあれほど多くのことを教えた理由を、どうやっても説明できない。 ぼくとしては、マルフォイ家のあとつぎであり、マグル生まれの女の子が屋根から落ちそうになるのを公然と止めようとしたような人物なら、改革後のブリテン魔法界の指導者候補として各派の同意をとりつけやすいだろう、と思っていた。」

 

「そうやって自分が狂っていると言っているように思わせたいわけか。」とルシウス・マルフォイが細い声で言う。 「その話は一旦切り上げよう。 ホグウォーツにトロルをしかけたのはだれか。答えよ、ハリー・ポッター。」

 

「知りません。」

 

「では、だれを()()()()()か。」

 

「候補は四人。一人はスネイプ先生で——」

 

「スネイプだと?」とドラコが声を漏らした。

 

「二人目はもちろん〈防衛術〉教授です。〈防衛術〉教授であるというだけの理由で候補としています。」  仮にクィレル先生が無実だとすると、ここでクィレル先生の名前をだしてクィレル先生がこの二人に注目されることになってしまうのはハリーの望むところではないのだが、言わないなら言わないでドラコにつっこまれるかもしれないので、言うことにした。 「三人目は、ぼくが言っても信じないでしょうね。 四人目は〈それ以外〉という名前の汎用カテゴリです。」  ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

ルシウス・マルフォイが獰猛な表情になる。 「見えすいた釣り針だな。 その三番目の可能性について——それを真の回答だと思わせたいのだろうが——話してみよ。駆け引きは抜きにして。」

 

ハリーはマルフォイ卿を見すえる。 「以前ぼくが読むべきではない本を読んで知りましたが、 コミュニケーションは対等な参加者のあいだで成立するものだそうです。 社員は上司にうそをつき、上司はもともとうそをつかれることを想定している。これは駆け引きで言っているのではありません。 ぼくとしては純粋に、この状況下でぼくが第三の被疑者の名前を言ってしまえば、あなたにはそれが仕掛けられたえさにしか見えないだろう、と想定せざるをえないんですよ。」

 

そこでドラコがくちをはさんだ。 「父上なんだろう?」

 

ハリーはおどろいた表情でドラコを見た。

 

ドラコは動じず話す。 「きみはあのトロルをホグウォーツにしかけてグレンジャーを襲わせたのは父上だと思っているんだな? きっとそうにきまってる!」

 

ハリーはくちをあけて『そんなことはない』と言いかけたが、そのさきの展開を予想して思いとどまることができた。めったにないことだった。

 

「なるほど……」とハリーはすこしずつ話しだす。 「()()()()魂胆でしたか。 ルシウス・マルフォイがハーマイオニーをただではすませないと公言したあとで、ハーマイオニーが現にトロルに殺された。」  ハリーは歯を見せてにやりとした。 「ここでぼくが否定すれば、〈閉心術師〉でないドラコがあとで〈真実薬〉を処方されて法廷で証言することができる。誓いにより〈元老貴族〉ポッター家へ隷従していて、自身の負う血の債務を最近十万ガリオンで買い取ってもらったハーマイオニー・グレンジャーがトロルに殺されたが、その犯人として〈死ななかった男の子〉が疑う人物のなかにルシウス・マルフォイは含まれていない、というような証言を。」  ハリーは存在しない椅子の背もたれに背をのせたような姿勢をとった。 「けれど言われてみれば、こう考えることにはなんの無理もありませんね。 ちょうどそのとおりのことをウィゼンガモートの議場で予告していたあなたが犯人だった、と。」

 

「わたしは犯人ではない。」  また無表情になるルシウス・マルフォイ。

 

ハリーはまたおなじ、牙をむく偽の笑みをした。 「そうですか。そうだとすれば、犯人は()()()()()で、そのだれかがホグウォーツの結界を改竄したということですね。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()だれかが。 あなたが身代金をせしめたうえでハーマイオニー・グレンジャーを殺したか。それとも、あなたは自分の息子が無実の女の子に殺されかけたという嘘を言ってぼくの一族の財産をうばったか。このどちらかが真実でなければならない。」

 

「債務を帳消しにしたいがために()()()()殺したのだとも考えられる。」  ルシウス・マルフォイは前に身をのりだし、ハリーを凝視している。

 

「そうだとしたら、ぼくは最初から身代金を支払おうとしないはずですがね。 あなたは分かったうえでそう言っている。 ぼくをばかにしないでいただきたいですね、マルフォイ卿——いや、そうか。いまそう言っておくことでドラコが証言するときにそなえているのか。なら、これは忘れてください。」

 

ルシウス・マルフォイは椅子に深く腰かけなおし、ハリーを見ている。

 

「父上、ぼくはハリー・ポッターがこうだということをお知らせしたつもりだったんですが……」とドラコがささやく。 「実際目にするまではだれにも想像できないくらいのありさまなもので……」

 

ハリーは自分のほおに指をあてた。 「つまりこういう、言うまでもなく明白な事実に一般の人たちもやっと気づきはじめたんですか? それは正直、ちょっと予想外ですね。」  ハリーはもうクィレル先生的な冷笑のリズムを体得し、独立に生成することもできるようになっている。 「新聞が『XかYのどちらかが真であるにちがいないが、どちらなのかはまだ分からない』というような内容の報道をすることができるとは思いませんでした。 新聞記者に書けるのはせいぜい『Xが真だった』や『Yが偽だった』や『Xが真でYが偽だった』のような原子的命題だけだと思っていました。 あなたの支持者もそろって『マルフォイ卿がグレンジャーを殺したと証明はできないし、別のだれかがやったのかもしれない』と『別のだれかがグレンジャーに罪を着せたと証明はできない』のあいだを急がしくいったりきたりし、真実が不確定であるかぎりは両方を同時に成立させられるように思っているのだろうと……そういえば、あなたはたしか『デイリー・プロフェット』の所有者では?」

 

「所有者でもなんでもない。が、報道機関として名高い『デイリー・プロフェット』がそのようなくだらない話を記事にすることはありえない。 しかし残念ながら、影響力ある魔法使いの一部には、判断力に劣る者もいる。」

 

「ああ。なるほど。」とハリー。

 

ルシウスはドラコに目をむけた。 「いまの話のそれ以外の部分については——なにか重要な部分はあったか?」

 

「いえ。ありませんでした。」

 

「ありがとう。」と言ってから、ルシウスはまたハリーのほうを見る。 つぎにそのくちからでた声は、ふだんの彼のあざけりと冷たさと自信のある声に似ていた。 「ひとつの可能性としてだが、こちらから一定の好意を見せてやることは考えられなくもない。わたしがこの件の首謀者ではないということを、そちらが率直にウィゼンガモートの会議場で証言することが条件だが。 そのあかつきには、マルフォイ家への債務の残金を大幅に削減してやる用意がある。ことによっては返済の延期を可能にする契約の変更にも応じよう。」

 

ハリーは不動の視線でルシウス・マルフォイを見ている。 「ルシウス・マルフォイ。 あなたはもう、あなた自身の息子がだしにされて、〈偽記憶の魔法〉かそれ以上の細工によってハーマイオニー・グレンジャーに無実の罪が着せられたのだということを認識している。そのときまでポッター家はあなたを悪く思っていなかったのだということも認識している。 ぼくの対案はこうです。マルフォイ家はポッター家に負わせた債務を白紙にし、ぼくはウィゼンガモート全員の面前でポッター家にマルフォイ家への敵意はないと宣言する。そして両家はこの件を実行した何者かに対して共同戦線を張る。 ぼくたちはおたがいに想定されている役割をほうりなげ、あらそいをやめて共闘する。 こればかりは敵にとって予想外なことではないかと思いますよ。」

 

室内がしんとした。ゴブリン警備員二人の息の音だけはそのままつづいていた。

 

「やはりおまえは狂っている。」とルシウス・マルフォイが冷ややかに言った。

 

「これは正義の問題ですよ。 相手がこちらの財産を偽の根拠にもとづいて差し押えている、しかも相手もそれが偽の根拠だと分かってそうしているとあっては、協力などできるものではありませんので。 あなたが当初誤解したのは無理もないことですが、もう誤解はとけたはずです。」

 

「そちらには十万ガリオンに値する交換材料などありはしない。」

 

「それはどうでしょうね? おそらくあなたは前世代の敗北者である〈闇の王〉がやたらとこだわっていた政治的対立項などよりも、マルフォイ家の長期的な繁栄を気にかけている。」  ハリーは意味ありげに一度ドラコに目をやる。 「次世代の人間たちはもう、自分たちの戦線と新しい同盟関係をつくりはじめている。 あなたの息子はのけものになってくすぶるかもしれないし、一気に頂点へかけあがることができるかもしれない。 あなたにとってはそのことのほうが、降って湧いたようなものでしかない四万ガリオンよりもよほど重要なんじゃありませんか?」  薄ら笑い。 「四万ガリオン。 マグルの通貨で二百万ポンド。 マグル経済の規模については息子さんも多少ごぞんじですが、聞けばおどろくほどの規模かもしれませんよ。 二百万ポンドで一国の命運が左右されつつある、なんていう話をマグルにすれば物笑いです。おままごとあつかいされるでしょうね。 ぼくも同意見です。 これは苦しまぎれの提案ではありません。 ぼくは正しいことをする機会をあなたに差しあげようとしているんですよ。」

 

「ほう? その機会をことわれば、どうなる?」

 

ハリーは肩をすくめた。 「マルフォイ家なしでほかの各家がどういう連立政府をたてるかによりますね。 政府が平和裡に改造され、負債を返済しないでいることがその平和をみだすようであれば、債務は小口現金(こづかい)で返済しましょう。 ことによると、〈死食い人〉のみなさんは、裁判がやりなおされて過去の罪の清算のために処刑されていたりするかもしれませんがね。もちろん正当な法的手続きにのっとって。」

 

「やはり狂っている。なんの権力も富もない身でそのような口をきこうなど。」

 

「ええ、ぼくがあなたを怖がらせるなんて考えるのはおかしいですよね。あなたはディメンターではありませんから。」

 

ハリーはそのまま笑みをくずさない。 以前しらべたところによると、胃石(ベゾアル)をすばやく口に押しこめば、ほぼどんな毒でも解毒できるらしい。 〈転成〉したポロニウムから生じる放射線による被害まで治療できるかどうかについてはなんとも言えない。 いろいろな種類の酸の凝固点をしらべてみると、硫酸はわずか摂氏十度の冷たさで凝固するという。つまりマグルの市場でそれを一リットル買って凝固させてから、なんの変哲もない小さな氷のかけらに〈転成〉してだれかの口にほうりこんで飲みこませることもできる。 飲みこませてから〈転成〉がとけてしまえば、いくら胃石(ベゾアル)をつかおうが後の祭りだ。 もちろんハリーはこのことを話す気はないが、自分の冒険(クエスト)の過程で人が死ぬことを防げなかったという決定的な失敗をしてしまったあとでは、これ以上法律にもバットマンの誓いにもしばられる気もない。

 

これが最後のチャンスだぞ、ルシウス。 倫理的に言えば、〈死食い人〉として最初の残虐行為をしたその日におまえの命は汚れた。 それでも人間であり命に内在的価値があるのは変わらないが、無実の人間にならある義務論的保護はもうなくなっている。 長期的に見ておまえを殺すことで差し引きで救える命の数が多いと思えるなら、善人にはおまえを殺す権利がある。おまえが邪魔になればぼくもそう結論づける。 トロルをグレンジャーにしかけた何者かが今度はルシウス・マルフォイを標的にした、〈死食い人〉をどろどろに溶かす呪いでルシウス・マルフォイはやられてしまった、という寸法だ。残念なことに。

 

「父上。」とドラコが小声で言う。「これは検討してみるべきだと思います。」

 

ルシウス・マルフォイは息子に目をむけた。「ふざけてはいけない。」

 

「あれはうそじゃありません。 あれだけの本の内容をポッターが一人ででっちあげたとは思えないし、書かれていたことの一部はその気になればたしかめられます。 あの半分でも事実だとすれば、たしかに十万ガリオンも大きな金額ではなくなります。 この譲歩をすれば、ポッターはまたマルフォイ家の味方になる——すくなくとも彼なりの意味での味方に。 しなければ、敵になる。そうすることが彼自身の利益であろうがなかろうが、父上を目のかたきにする。 ハリー・ポッターはそういう考えかたをするんです。 財産の問題ではなく、彼なりの意味での名誉の問題として。」

 

ハリー・ポッターは笑みをくずさず、軽く首肯した。

 

「だがそのまえに、けりをつけておきたい部分がひとつある。」  そう言ってドラコはハリーをまっすぐに見すえた。その目には熱い光がやどっていた。 「()()()()()()()()()()。そのことでぼくに対して()()()()()。」

 

「認めよう。」とハリーは静かに言う。「ただし当然ながら、どう認めるかはのこりの部分の結果にも依存する。」

 

ルシウス・マルフォイがくちを開いたが、なにを言いかけたにせよ、そのまま無言で閉じた。そしてまた、「狂っている」とだけ言った。

 

その後しばらく父子のあいだで口論があった。ハリーはそのあいだ横槍をいれないようにつとめた。

 

ルシウス・マルフォイがドラコの説得にも応じないらしいことが分かると、ハリーはもしポッター家とマルフォイ家が協力できるのであれば自分はこのようにしたい、という話をした。

 

それからまたルシウスとドラコの口論となり、ハリーはまた話さずに待った。

 

やがてルシウス・マルフォイがハリーに目をむけてきた。 「仮にダンブルドアに反対されたとしても、ロングボトムとボーンズをこの案に引きこむことはできる……そう思っているのだな。」

 

ハリーはうなづいた。 「もちろんあちらは、あなたの入れ知恵ではないかと疑うでしょうね。 そのときは、ぼくからもちかけた計画だと言うつもりですし、それですこしは疑いが晴れるでしょう。」

 

ルシウス・マルフォイは返事するまでに時間をかけた。 「狂った提案ではあるが、そちらの債務を()()すべて免除する書面を用意してやるという選択肢もなくはない。 当然ながら、さらなる担保があってはじめて成立する話だが——」

 

ハリーはすかさずローブのなかに手をいれて羊皮紙を一枚とりだし、黄金のテーブルの上にそれをひろげた。 「ひと足さきに用意しておきました。」  ハリーはここに来るまえに数時間かけてホグウォーツ図書館にある法律書を読みこんでいた。 そうして分かったのは、ブリテン魔法界の法律はマグルの水準からすれば素朴なものらしいということだった。 もともとの血の債務とその返済の義務を破棄すること、ポッター家のものであった資産と金庫内にあったその他の物品がポッター家の金庫に返却されること、残余の債務を無効にすること、マルフォイ家は一連の行為についてとがめられないとすること……を契約書の文章にしても、ただそう言うのと大差ない量の文章ですむようだった。 「ぼくの監督者との約束で、ぼくはあなたからわたされたものに署名してはならないことになっています。 なのでこうやって自分で契約書を書いて、出発するまえに署名もすませておきました。」

 

ドラコが思わず失笑した。

 

ルシウスは冷たい笑顔で契約書に目をとおした。 「なんとも率直な言いまわしだ。」

 

「グリンゴッツにいるあいだは羽ペンに触れない、という約束もしたもので。」と言ってハリーはまたローブのなかに手をいれてマグル式のペンと紙を一枚とりだした。 「文面はこれで問題ないですか?」  ハリーは法律文書らしく見えるその文面を急いで筆写していく。そこには、マルフォイ家はハーマイオニー・グレンジャーの殺害になんら関与しておらずいかなる意味でも責任がないということをポッター家は認める、というような内容が書かれている。ハリーは写した紙を空中にもちあげ、マルフォイ卿に確認をもとめた。

 

マルフォイ卿はその書面を見て、小さく目をまわしてから、こう言った。 「悪くはない、と言っておこうか。 ただし、法的な効果をもたせるために正式な用語をつかうなら、ここは『免罪』ではなく『補償』としておくべきだ——」

 

「その手は通用しませんよ。 ぼくもそれがどういう意味になるかは知っています。」  ハリーは羊皮紙をとりだして、おなじ内容をもっと丁寧な字で書き写しはじめた。

 

それが終わると黄金のテーブルのむこうからマルフォイ卿が手をのばしてペンを受けとり、しげしげとながめた。 「これもマグルの工芸品のようだが……ドラコ、これがどういう道具か分かるか?」

 

「インク壺なしで字を書ける道具です。」

 

「そう見えるな。 一部のもの好きには魅力があるもののようだが。」と言ってルシウスは契約書をテーブルの上にひろげ、署名の位置をしめす下線へ手をもっていき、開始点にペンをあててゆっくりと上下させた。

 

ハリーは意識して呼吸をととのえつつ、そこから目を離してルシウス・マルフォイの顔を見あげた。筋肉の緊張はおさえようがなかった。

 

「われわれのよき友人、セヴルス・スネイプ。」  ルシウス・マルフォイはまだ線上にペンを上下させてあてている。 「そしてクィレルと名のる〈防衛術〉教授。 もう一度きこう。ハリー・ポッター、おまえにとって第三の被疑者の名前は?」

 

「そのまえに署名することを強くおすすめしますよ、マルフォイ卿。署名する気でいるのならですが。 ぼくがあなたを説得するためにわざとその人の名をあげているとは思えない状況で聞いたほうが、あなたの利益になります。」

 

また冷たい笑み。 「いや、せっかくだが。 契約をさきにすすめたいなら、いま言ってもらおう。」

 

ハリーは一度ためらってから、あっさりと言った。 「三人目の被疑者はアルバス・ダンブルドアです。」

 

羊皮紙にあたるペンの音がとまった。 「妙なことを言う。 みずからの任期中にホグウォーツ生を死なせたことで、ダンブルドアの面目は丸つぶれだ。 敵であるダンブルドアについてのことならなんであれそのまま鵜呑みにするだろう、とでも?」

 

「候補はダンブルドア一人ではありませんよ。最有力の候補だとも言っていません。 ただ、ぼくが成体の山トロルを殺せたのは、学年のはじまりにダンブルドアから受けとった武器があったからなんです。 これは強力な証拠にはなりませんが、不審な点ではあります。 自分の学校の生徒を殺すというのはダンブルドアの流儀でないと思うなら……まあ、ぼくも一度はそう考えました。」

 

「それこそあいつの流儀だろう?」とドラコ・マルフォイが言った。

 

ルシウス・マルフォイは慎重にくびを横にふった。 「あながちそうでもない。 ダンブルドアの悪行には一定の特徴がある。」  マルフォイ卿はまた椅子に身を引き、そのままじっと動かなくなった。 「その武器について話してみよ。」

 

「あなたがいる場所でその詳細を説明していいという確信がまだありません。」  一度息をつぐ。 「誤解のないように言っておきますが、 ぼくはダンブルドアが真犯人であるという説を推す気はありません。ただその可能性もあると言っているだけ——」

 

そこにドラコ・マルフォイが割りこんで話す。 「ダンブルドアから受けとったというその道具——それはトロルを殺すためのものだったのか? つまり、トロル専用なのか? そこまでなら言えるんじゃないか?」

 

ルシウスは多少おどろいた表情で横の息子に顔をむけた。

 

「いや……それはトロル殺しの剣みたいなものではないよ。」とハリー。

 

ドラコの目は強い興味をしめしている。 「暗殺者に対しても有効な道具か?」

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。「いや。」

 

「学校内のけんかでなら?」

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()() 「いや、人間に対してつかうことは意図されていなかったと思う。」

 

ドラコはうなづいて、 「つまり、相手は魔法生物にかぎられる。 たとえば、怒ったヒポグリフみたいなものに対して有効なものだと思うか?」

 

「〈失神の呪文〉はヒポグリフに効果があるかな?」とハリー。

 

「わからない。」とドラコ。

 

「ある。」とルシウス・マルフォイ。

 

『ウィンガーディウム・レヴィオーサ』と『フィニート・インカンターテム』を命中させようとするよりは—— 「それなら〈失神の呪文〉のほうがヒポグリフをしとめるのに有効だろうと思う。」  そう言いかたをしてみると、たしかに〈転成〉ずみの岩というのは、呪文耐性のある皮膚をもつ血のかよった魔法生物に対して()()適する武器であるように思えてくる。 「それでも……あれはそもそも武器として意図されたものではなかったのかもしれない。ぼくは変わったやりかたでそれをつかったから。ダンブルドアの行動は、ただの気まぐれな奇行だったということも——」

 

「いや。」 ルシウス・マルフォイがそっと言う。 「気まぐれでも偶然でもありえない。ダンブルドアにかぎっては。」

 

「それなら、ダンブルドアなんだ。」と言ってドラコはだんだんするどい目つきになり、邪悪にうなづいた。 「そうだったんだ、()()()()。 法廷〈開心術師〉は、グレンジャーに〈開心術〉がかけられた形跡があると言った。 ダンブルドア自身がそれは自分だと認めた。 きっとグレンジャーがぼくに呪いをかけたとき、実際には結界も動作していた。ダンブルドアが()()()()だけなんだ。」

 

「でも——」と言ってからハリーはルシウスに目をやり、この疑問をもちだすことがほんとうに自分の利益になるだろうかと思う。 「そうだとして、()()は? ダンブルドアは邪悪だから、という以上の理由はなくていいんですかね?」

 

ドラコ・マルフォイは椅子からとびでて、室内を歩きはじめた。黒ローブをなびかせて歩くそのすがたを、ゴブリン警備員が魔法の眼鏡をかけたまま多少おどろいた顔でじっと見ている。 「奇妙な謀略をときあかすには、実際に起きたことを見て、それがだれの利益であったかを考えるといい。 ただしきみが裁判でグレンジャーを救おうとするという部分はダンブルドアの計画になかった。だからあいつは止めようとした。 グレンジャーがアズカバンに行っていたとしたら、どうなっていた? マルフォイ家とポッター家は永遠にいがみあうことになっていた。 被疑者全員のなかで、()()をもとめるのはダンブルドアだけだ。 これでつじつまがあう。()()()あう。 この殺しの真犯人は——アルバス・ダンブルドア!」

 

「そうだとして……なぜ()()()トロル戦専用の武器をわたす? ぼくは不審だとは言ったけれど、理由がわかるとは言っていない。」

 

ドラコは思案げに首肯した。 「トロルがグレンジャーを死なせるまえにきみが止めにはいる、そのうえでダンブルドアは父上のしわざだと言って追及する、というのがダンブルドアの想定だったのかもしれない。 ()()にすぎなかったとしても父上がそんなことをしたとなったら怒る人は多いだろうから。 父上も言っていたように、生徒が校内で死んだということが発覚した時点でダンブルドアは面目をつぶした。ホグウォーツは安全だということで有名だったからね。 だからその部分は多分、想定外だったんだと思う。」

 

思いだそうとしていないのに、ハーマイオニー・グレンジャーの死体を見て愕然とするダンブルドアの目が思い浮かぶ。

 

もしウィーズリー兄弟が魔法の地図を盗まれていなかったとしたら、ぼくは手遅れになるまえにあの場に到着できていただろうか? 到着できるはずと想定されていたのだろうか? 地図はダンブルドアの関知しないところでだれかに盗まれていて、そのせいでぼくは間にあわなかった……いや、それもおかしい。ぼくは気づくのが遅すぎたし、ダンブルドアはぼくがホウキをつかおうとすると想定しようがない……いや、ぼくがホウキをもっていることを知ってはいたか……

 

どう考えてもうまくいきようのない計画だ。

 

だから実際うまくいかなかった。

 

でも、すこしだけぼけがはいった人間にはそれがうまくように()()()()()()かもしれない。不死鳥ではその差がわからないかもしれない。

 

「あるいは……」と言ってドラコ・マルフォイはあたりを歩きつづけている。 「ダンブルドアは、もともと魔法をかけたトロルを用意してあって、それをそのうちきみに退治させる気でいたのかもしれない。なにか別の謀略のために用意してあったそのトロルを、グレンジャーにしかけることにした……。 これまでのできごとすべてが最初の週の授業の時点で計画ずみだったとはとても考えられない——」

 

「いや、考えられる。」とルシウス・マルフォイが低い声で言う。 「わたしはダンブルドアにそういう面があることを見てきた。」

 

ドラコはきっぱりとうなづいた。 「それなら、最初の事件でぼくはそもそも()()()()()()()()()()()()ということ。 ダンブルドアはクィレル先生がぼくを監視していたことを知っていたか、あるいは手遅れになるまえにぼくが見つかるよう手配してあって—— ぼくが死んでしまったら、グレンジャーを告発するぼくの証言もないことになるし、ダンブルドアも生徒を死なせたとあっては立ち場がなくなるから。 けれど、ぼくがホグウォーツを退学してスリザリンの指導者になれなくなることは、ダンブルドアにとってとても都合がいい。 それからトロルがグレンジャーを襲って、ハリーがそれをとめたところで、だれもが父上を糾弾する。ダンブルドアの計画ではそうなるはずだった。それが狂ってしまったんだ。」

 

息子がそう話すのを、ルシウス・マルフォイは素直におどろいたような灰色の目で見ていた。 「もしそれが事実だとすれば——しかしハリー・ポッターがその説に積極的にでないのは、演技にすぎないのだろうか。」

 

「そうかもしれません。でも多分、演技ではないと思います。」とドラコ。

 

「では、それが事実だとすれば……」と言いかけてルシウス・マルフォイは言いやめた。 その目に徐々に怒りの色が見えはじめた。

 

「だとすれば、われわれはなにをすべきか。」とハリー。

 

「それもはっきりしていると思う。」と言ってドラコはふりむいて二人を見て指を一本たてた。 「ダンブルドアの犯行を証明する証拠をみつけて、裁きをうけさせる!」

 

ハリー・ポッターとルシウス・マルフォイはたがいを見あった。

 

二人ともなにを言っていいか分からないようだった。

 

しばらくしてからルシウス・マルフォイが話しはじめた。「ドラコ。おまえは今日、立派な仕事をした。」

 

「ありがとうございます。」

 

「しかしだ。これは芝居ではない。われわれは〈闇ばらい〉を演じないし、結果を裁判にゆだねることもない。」

 

ドラコの目のかがやきがいくらか薄れた。「あっ……。」

 

「ええと、ぼくも心情的には裁判に頼りたいですね。」 そう割りこみつつ、ハリーは『まさかこんな話になるなんて』と思う。帰って紙と鉛筆をつかって、ドラコの推理が妥当なのかをよくたしかめなければ。 「……それと証拠にも。」

 

ルシウス・マルフォイがハリー・ポッターに目をむけた。灰色の目に純粋な怒りがたぎって見えた。

 

「ここまでの話が偽りだったなら……」  低い怒りの声。 「すべてが欺瞞なら、わたしはおまえを許さない。 しかし欺瞞でなかったなら……。 ダンブルドアが彼女を殺したという証拠、あるいはダンブルドアを失脚させるに足る証拠をおまえがウィゼンガモートに提出したあかつきには、マルフォイ家はおまえのためにどんなことでもしよう。どんなことでも。」

 

ハリーは一度深呼吸をした。 よく整理して確率計算をしてみるべきところだが、()()()()()()()()()()()。 「仮にダンブルドアが犯人だとして、ダンブルドアを盤面から退場させるとブリテンの権力構造に巨大な穴が生じますね。」

 

「生じるとも。」と言ってルシウス・マルフォイがにやりと笑う。 「そう言いながら、みずからその穴を埋めようという算段では?」

 

「あなたに対抗する勢力の一部はそれをこころよく思わないかもしれません。反抗するかもしれません。」

 

「反抗は失敗する。」  ルシウス・マルフォイは鉄のようにかたい表情になった。

 

「ではぼくのおかげでダンブルドアが放逐されたあかつきに、マルフォイ家にしていただきたいことを言いましょう。対抗勢力が恐れをなしたそのとき——そのぎりぎりの局面で、内戦を回避するための提案がでてくる。 あなたの協力者の一部はそれに不服かもしれませんが、安定を歓迎する中立の人たちも多いはず。 その提案というのは、あなたがダンブルドアのもっていた権力を手にすることを辞退し、かわりにドラコ・マルフォイが成人したときにその座につくという取り決めをすることです。」

 

「え?」とドラコが言った。

 

「ドラコは自分がハーマイオニー・グレンジャーを助けようとしたのだということを、〈真実薬〉を処方されて証言しました。 対抗勢力にも、ドラコにならやらせてみてもいいと言って抵抗しない人がきっと少なくありません。 どういうかたちでこれを強制するのがいいか——〈不破の誓い〉かグリンゴッツの契約か——とにかくなんらかの方法で、ドラコがホグウォーツを卒業した時点で権力の座につくという、強制力のある契約をしましょう。 その取り引きを成立させるために〈死ななかった男の子〉としての影響力がつかえるならそうします。たとえばロングボトムとボーンズを説得するために。 第一の案はそこにいくための足がかりになります。あなたにはロングボトムとボーンズに対する態度をあらためていただかなければなりませんがね。」

 

「父上、ぼくは決してこんな——」

 

ルシウスはゆがんだ笑みをした。 「わかっているとも。さて。」  銀髪の男は黄金の重厚なテーブルをはさんでハリー・ポッターを見すえて言う。 「わたしとしてはその条件で問題ない。 しかし第一の取り引きと第二の取り引き、そのどちらかを部分的にでもたがえたとなれば、ただではおかない。 いかなる言いのがれも通用しない。」

 

そう言ってからルシウス・マルフォイは羊皮紙に署名した。

 

◆ ◆ ◆

 

マッドアイ・ムーディはグリンゴッツの会議室の青銅の扉をじっと——といってもいつでも全方位が見えているのと同時にその一つのものを見ているという意味でだが——見ていた。そのまま数時間が経ったように思えた。

 

ルシウス・マルフォイのような人物を疑おうとするとき問題なのは、被疑者がやりかねないことをすべて考えつくそうとすると、まる一日かけても考えきれないということだ。

 

扉がわずかにひらき、ハリー・ポッターが重い足どりで出てくる。ひたいには汗の粒がのこっている。

 

「なにかに署名したか?」  マッドアイはすぐさまそうたずねる。

 

ハリー・ポッターは無言でマッドアイに目をむけ、自分のローブのなかから折りたたまれた羊皮紙をとりだした。 「係のゴブリンがもう契約締結の作業をはじめました。ぼくが出るまでに、写しが三枚できていました。」

 

おい、おれがあれほど——」  そう言いかけたところで、〈眼〉が文書の下半分をとらえた。ハリー・ポッターはその上半分をしぶしぶと広げていく。 ひとめでそこに丁寧な筆づかいで書かれた文章と、ルシウス・マルフォイの優美な署名と、ハリー・ポッターの署名があることが分かった。 そしてその上半分が〈眼〉の視界にはいるや否や、ムーディは思わず叫んだ。 「ハリー・ポッターはマルフォイ家がハーマイオニー・グレンジャーの死に()()()()()()()()()()ことを認める、だと? それがどれだけ重大な意味をもつのか、分かっているのか? おまえはなんだってこんな——いや、なんだこれは——」

 

◆ ◆ ◆

 

原作品の著者:J. K. Rowling

ファンフィクションの著者:Eliezer Yudkowsky

 


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