その男は昔から誰よりも速くあろうとした。
母親の乳を吸うのが速かった。それを糞尿へ変えるのが速かった。泣いてから疲れて眠りに落ちるのが速かった。
ようやくおしめがとれて一人で歩けるようになってからは、その速さが加速する。朝起きて水汲みへ行き飯を炊いて朝食を摂り、畑仕事と薪割りを終わらせても日が暮れていない。息子の偏執的な速度へのこだわりに両親はひどく困惑したが、息子は彼らにただこう言ったのだった。
「人生はRTA。一秒たりともガバは許されぬ」
息子との対話を諦めた両親は、息子の生きたいように生かすことを選んだ。晴れて速度の追究を許された息子は、一切のガバなく一日を駆け抜ける術を身につけた。
速度の追究はここに極まる。洗練された無駄のない動きで日常を駆ける息子の顔には珍しい満足げな笑みが浮かんでいて――しかしその笑顔は長続きしなかった。
「ガバのないRTAなどRTAにあらず。ガバをフォローする対応力こそRTAの醍醐味よ」
息子の求めていたものはガバのない人生ではなかった。ガバを排し対応する試行錯誤の連続こそが、息子にとっての生きる意味であった。これ以降、息子は一切の無駄のない洗練された動きで新たな無駄と苦難を探究していく。
そして十年後。
息子はハンターになっていた。
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韋駄天のハンター。それが私の師匠の通り名だ。
「おい弟子ィ! ネコメシとスキルを選ぶ上で重要な理念を言ってみろォ!」
「はいっ! 火力重視、安全性などもってのほか、ですっ!」
「その通ーり! 貴様はまた一つ強くなったぞ!」
「ありがとうございます!」
師匠の朝は早い。ドンドルマの一等地にある彼の自宅には、日の出前から彼の鋭い指導が飛ぶ。
師匠の指導は安全性を重視する主流の教えとは一線を画した、火力と速度最重視のスピード思想だ。狩場に出てまずすることはネコメシで減った体力をタル爆弾の自爆でさらに減らし、火事場スキルを発動させること。私が最初に教えられたのは、爆弾の爆風で吹っ飛ばされながら怪力の種を吐き出さす呑み込む方法だった。
火事場スキルの重複と種のブーストで爆上げした火力をもって最速でモンスターを狩る。死にかけで戦っているからちょっとでもミスをすればモンスターにバクバクされるけど、そんなガバを犯す走者はモンスターの糞にでもなるがいい、とのこと。師匠の教えは実に明快で分かりやすい。
命を大事にするのが基本なギルドとは折り合いが悪いけれど、それでも結果を出してギルドのおひざ元ともいえるドンドルマに立派な居を構えている。師匠はすごい人なのだ。
「弟子ィ! 今日もイッパツやるぞォ!」
「はいっ! いつでもおっけーです!」
師匠が砂時計を手に取り、反転してたたきつけるように床へ置く。衝撃で砂時計は粉々になった。
それを合図に私は家を飛び出す。
「はい、よーいスタート!」
「ぬおおおっ!」
人生とは、狩りとはリアルタイムアタックである。師匠の合図で私のRTAが始まるのだ。
まずは集会所のギルドカウンターへ猛ダッシュ。
受付のお姉さんはひきつった営業スマイルを浮かべている。
「おはようございます。依頼を」
「ドスラン討伐一頭!」
「募集人ずう――」
「ソロ! 契約金どーぞ!」
「はいたしかに! いってらっしゃーい!」
「いってきます!」
依頼書片手に着の身着のまま集会所を飛び出した。目指すは密林、目的はドスランポス一頭の狩猟。何度もこなしている依頼だが、最近タイムが縮まらずに頭痛の種になっているクエストだ。
今日は師匠の自宅から集会所までの道のり、クエストへ出発するまでの間に小さなガバはなかった。きっと今日こそタイムを更新できるだろう。タイムを計る砂時計は割れていたけれど。
あれ? 何か大事なものを忘れているような――いや考えている暇はない。早く密林へ急がなければ!
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「あのさあ」
「……」
師匠は呆れたため息をついていた。
対する私は、密林からボロボロで帰ってくるなり師匠の手当てを受け、床の上に正座させられている。足がしびれる。ランポスの噛み痕より辛い。
「今回のガバは類を見ないほどひどい。分かるな?」
「……はい」
「我々は走者、狩人にあらず。しかしモンスターはびこる狩場に丸腰で行くのは走者ですらない、猿だ。うん? うきーって言ってみろや、バナナ食うか?」
「……いただきます」
煽りながらバナナを差し出す師匠。素直に受け取って皮ごとかじりついた。おなかが減っていたのでありがたい。
バナナをもさもさしている私に対し、師匠はクワッと目を見開いた。
「タイム短縮を目前に平常心を失うなど愚の骨頂! チャート作りからやりなおせい!」
「ふぁいっ!」
「バナナ呑み込んでから返事しろ!」
「……ごくん。はいっ!」
「よーし! 明日再挑戦だ、英気を養っておけよ!」
「はい! あの、師匠!」
韋駄天のような俊足で自室へ引っ込もうとする師匠を慌てて呼び止める。これだけは言っておかないと。
「助けに来てくれてありがとうございました」
「……」
丸腰で半べそかきながらドスランポスにローキックを連発していた私の頭をひっぱたき、ランポスの群れの中から助け出してくれたのは師匠だった。
「師匠?」
「どういたしまして! 私は世界を縮めてくる。しっかり休め!」
「はい! いってらっしゃい!」
「いってきます!」
やり取りの間に一瞬で本気装備を身にまとった師匠は、扉を破壊する勢いで自宅を飛び出していった。
ほんの数秒とはいえ師匠が即答しないなんて珍しいな。今日は調子が悪いのかも?
いやいや、師匠の心配する暇にチャートを見直さないと。えーと、朝に師匠へ挨拶する前に装備を確認すれば――でもそれだと朝ごはん準備RTAがおろそかに――
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あのバカ弟子が! 基本アホの子のくせに真面目な顔で礼を言いやがって! 思考にガバができたのは数十年ぶりだぞ!
ほとんど気狂いのような扱いを受けている私の下へ弟子入りして普通に順応してるから根っからのアホかと思ったら、スジを通すところは通すのだ。案外あなどれん。
狩場に武器を忘れるどうしようもない弟子だけど、ああいう面があるから放っておけない。まったく弟子育成RTAなど厄介なものを始めたものだ。
「こんにちは! クエストの――」
「アカム一頭、ないし二頭!」
「古龍がそんなホイホイ出るわけないでしょーが!」
「アカムは古龍じゃなくて飛竜だろう!」
気分転換に簡単なタイムアタックをやろうにもこの世界は飛竜の一頭に出会うことすらままならない。ゲームのように乱獲でもすれば古龍観測隊かギルドナイトに粛清されそうだ。
けれど私は止まらない。私にとってモンスターハンターはRTAだった。その世界に生まれ落ちたというなら、生まれた瞬間にRTAが始まっているのだ。何を成すのか、何を狩るのか、迷っている暇があれば少しでも前に進まねばならない。ガバを受け入れ、ガバを恐れよ――されど歩みを止めることなく、ただ速さを求めるのだ。
それがRTA。
そしてRTAこそが――私にとっての、モンスターハンターなのだから。
テーマ:百パーセント深夜テンション、簡潔表現、一人称、転生
執筆時間およそ40分。推敲2分。
※タイトルが意味不明すぎたので改めました。旧題『人生とは』