冨岡 義勇:世話にはなっている。 オレを強くしてくれた。だが、善意が一周回って拷問になるときがある。十二支と名のつく二人は絶対に怒らせるなと後世に語り継ぐ。
胡蝶 しのぶ:奥様の桜花さんには昔からよくしてもらっています。十二支 兎ですか? ごめんなさい。私は嫌いな人の事は覚えない主義なので。
大正○○年 ▲月 ●日
あの日ほど恐ろしい思いをした日はないでしょう。
それでも、桜花には情報を伝え、残す義務があります。
これは私の夫、業柱 十二支 兎と。
上弦の零、過愚夜と名乗った鬼の
長い因縁の始まりです。
震える手で、桜花が鬼から霙さんを救出した直後。
背後から声が聞こえていきました。
「ホント、何言ってんのかしらねぇ、私の可愛い兎ちゃんを誑かした雌がぁ・・」
あの時の感覚を、桜花は一生忘れません。
恐怖ではないのです。
絶望ではないのです。
振り返る前から気付いたその存在に対して私が抱いたのは、驚愕。
ああ、そんなことがありえるの。
そんな生物がこの世にいるなんて。
「アンタ、さっさとこっち向きなさいよォ? あの人はどんな女が好みなのか解らないじゃないのォ、さぁ、顔をよく見せなさいよぉ」
互角だ。
後ろにいる鬼は、兎さんと戦って接戦が出来る。
私は、ゆっくりと立ち上がり振り向きました。
目の前の鬼は、美しい顔をしていました。
月の光が反射して、銀色の髪が美しくたなびいていました。
整った顔は、獰猛な光を宿していたけれど。
妖しい色香を感じさせる顔でした。
瞳には階級を示す文字が記されていました。
左目に上弦、右目には、零。
そんな。
上弦、下弦の数字は壱から陸のはず。
陸が一番弱くて、壱が一番強い。
零なんて聞いたこともない。
「へぇぇ、驚いた顔してるぅ。顔立ちはまぁまぁねぇ。ふぅうん、なるほどぉ、なるほどぉ。顔面の得点はそんなに重視しないタイプなのねェ。表情が豊かな女がこのみぃ?」
貴方は、何者です? さっきからなにを
次の瞬間、桜花は地面に叩きつけられていました。
激痛と、肺の中から空気が全て吐き出されるような感覚。
桜花は激しくせき込みました。
「口を開くな、泥棒猫」
「お前はここで死ぬ。ここで私が殺す。そうすれば、あの人は私の物、過愚夜は正しく元の場所に帰れる」
「私の可愛い兎ちゃん。うふ、うふふふふふふ」
うふ、うふ、うふふふふうふ。
楽しそうに笑う彼女を見て、すこし恐ろしかったです。
あっさりと殺されてしまうことがわかってしまったから。
でも、それで何もしないかと言われれば、そうではなくて。
桜花は妻だから。
最強の柱の妻ではなく。
十二支 兎の妻だから。
馬鹿に、しないで
あの人への侮辱は許さない。
「あ?」
カラカラと笑っていた悪鬼が私を見つめます。
侮蔑と怒りと、殺気。
それでも、私の口は止まりませんでした。
あなたと兎さんに何があったかは知りません。
私の知りえない、深い関係だったのかもしれない。
でも
あの人を物扱いする人に、私の夫の事は語らせない。
兎さんは モノじゃありません。人です。
侮辱、しないで。
私の夫を、馬鹿にするな。
「・・・・不愉快ねぇ。不愉快だわぁ。頭にきすぎて脳みそとけちゃいそう」
いや、溶けないと思います。
「真面目に返すんじゃないわよぉ。状況わかってんのぉ?」
がん、と衝撃がきて頭を地面に踏みつけにされました。
痛い、痛い。
頭蓋からみしみしと音がする。
手はいまだに震えている。日輪刀は振れません。
鴉は全て飛ばしてしまっています。伝令も出来ない。
そんな状況下。
死がせまっていました。
なぜでしょう、全く怖くありませんでした。
桜花は口を開きます。
兎さんは、あなたの思い通りになんてなりませんよ。
「なんだと?」
それに、桜花は泥棒猫なんかじゃありませんし、こんな所で死んだりしません。
「好きなだけほざいてなさいよぉ、このアマァ!!」
鬼の手刀が迫る。
細腕にやどる剛力はいともたやすく桜花の首を刈り取る。
ああ、なんだろう。
死ぬのでしょうね。 死んでしまうのでしょう。
ああ、嫌だなぁ、と思うのに。
怖くない。
それはきっと、あなたを信じていたから。
ああ、安心しました。
本当に肝心な時に遅れちゃうんですから。
初めて茶屋に行ったときは桜花よりも何時間もはやく来ていたくせに。
こういう時にだけ、本当に遅れてくる。
解ってる。
目の前に現れて、手刀を日輪刀で受け止めたあなたを見れば、すぐにわかる。
足が血だらけ。
一生懸命走ってくれたんですね。
隊服が汚れている。白い髪もすすけている。
人の道では間に合わないと、けもの道を使いましたね。
息が乱れている。
呼吸を駆使してまで、急いでくれたんですね。
本当に。
真っ先に助けに来てくれると思っていました。
ごめんなさい。
勝手に刀を振ってごめんなさい。
桜花は、ダメな妻ですね。
ねぇ、あなた。
「おい、答えろよ」
ばちばち、と鬼の手と白い日輪刀がつばぜり合いを起こしています。
ああ、怒ってる、ものすごく怒ってる。
でもなんだか鬼の方が喜色満面になって行くのは気のせいでしょうか。
「あっはぁ・・!! うさぎちゃん、うさぎちゃん、まっしろ兎ちゃんぅ!!」
「お前、人の女に何してんだゴラァ!!」
兎さんの斬撃が一本の刀から、『四本』放たれました。
あれはきっと、『虎』の呼吸。
近距離の戦いに適した、抉る斬撃。
全ての呼吸による効果を倍速にする、つまり速さをあげる『午』の呼吸は使っていないようですが、それでも早い。
柱以下の隊士では何が起きたか理解も出来ないでしょう。
が、相手の鬼もやはり只者ではありませんでした。
「うふふふふふっ!! すごい!!すごいすごいすごいぃぃいいいいいいいい!! やっぱりあなただけ、あなたが欲しい! あなたが欲しいぃいい!!」
鬼の体が変色しています。
血鬼術なのでしょうか。陶器のように白かった肌が一瞬にして黒く染まって行きます。
「あなたの目玉、あなたの髪の毛、あなたの皮膚。兎ちゃん兎ちゃん私の私の私の私の、愛してる、愛してる!!」
半狂乱になって叫びちらす鬼に、白い刀を構える夫。
それでも一瞬こちらを気にして声をかけてくれます。
「桜花、怪我は!!? してるね!! ごめん!!」
大丈夫です、と答えます。
そして、早くここを去らなくては、とも。
兎さんは桜花と霙さんを気にして全力を出せていません。
なんとか霙さんを連れてここを離れないと。
そしてなにより。
「お前だな。お前が桜花にあんなことしやがったんだよな、間違いないな。じゃあ死ねよ。死ね。すぐに死ね今すぐ死ね」
「うふふふぅ、怒っちゃってぇ、かわぁいい。あぁあ、いい匂いがするぅ」
練り上げられた闘気。
二人の間に走る殺気。
この空気だけで、桜花たちは死んでしまうかもしれないから。
だから、今は背を向けないと。
「桜花」
顔をこちらに向けることもせず、兎さんは私に声を掛けました。
「いくつか言っとくことがある」
「まずは霙さんに。あなたがそんなになるまで戦ってくれたおかげで、間に合った。ありがとう、と伝えてくれ」
「もうすぐしの、胡蝶ちゃんがやってくる。二人はそこで手当てを。宇随君と杏寿朗に応援要請もしてあるから、オレの事は心配ない」
「それと」
「明日の朝飯は、沢庵とてんぷらが食べたい」
なんでもないように言って兎さんは過愚夜に向かって行きました。
霙さんを担いだ桜花はその戦いの余波に吹き飛ばされるような形で撤退しながら、声を掛けました。
信じてます。信じていますとも。
茄子の天ぷらが良いですかね。
沢庵もたくさん用意します。
だから、かならず帰ってきて。
あなた。
大正コソコソ噂話(偽)
一方其の頃。
「もー、兎君、早いんだから! 全然追いつけないわ、どきどきしちゃう!!」
「諦めるな! 甘露寺殿!! これも鍛錬の形かもしれない!!」
「地味に喋ってる暇があるならさっさと走れ!! 何のために合わせてやってると思ってんだ!!」