仕事はできたし、稼ぎもあったけれど、些細なことで親父ともめて勘当された。
気晴らしに、何時も昇っている山へ入って。
そして、二人に出会った。
大正〇○年 ●月■日
「たくさん血が出てるね。もう死ぬかな」
人は死が近づくと、走馬灯と言うものを見るらしい。
過去の温かい思い出や記憶、そういった物を瞬時に追体験できるんだとか。
それは言うなら、死の間際、人間の善行に対する仏様のおぼしめし?
だったら今日からオレは無神論者だ。
走馬灯ぐらいちゃんと桜花に設定しといてよ。
なんでこの子?
「ねぇ、何時まで寝てるの? 起きなよ」
「ぎえええっ!!」
そういってぶっ倒れた俺の背中に日輪刀の鞘をぐりぐりと押し当てる霞柱、時透君であった。アバラが折れてる、オレの背中に、それはもうぐりぐりぐりぐり。
って時透君!?
やめて痛いすっげー痛い!!
「ひゅ、と、とき、とう」
「ちゃんと喋りなよ」
無茶を仰る!?
重症の先輩をしこたま殴る後輩を殴りつけたいけれど、立つことさえもままならない。
「早く立って。まだ終わってないんだろ」
だからなんつー無茶を言うかねこの糞餓鬼―――
「早くやりなよ。見張っててあげるから。お館様が言ってたよ。『傷を治す呼吸』があるんでしょ?」
・・・。あ。
「なに? まさか忘れてたの?」
本当にオレは桜花の事が絡むと気が動転してしまうようだった。
さぁ、あの呼吸は『ものすごく痛い』けど、桜花の為だ。やってやる。
全集中・『牛』の呼吸。
『丑三牛刀殺(うしみつのぎゅうとうさつ)』
呼吸を全身にめぐらせる。ただしこれは、一般的な全集中の呼吸ではない。
全集中の呼吸が体全体の細胞、運動機能を活性化させるが、『牛』の呼吸はその上で俺の細胞を高速で『殺していく』。
そうすることで負傷した傷を細胞単位で捨てていき、新しい細胞を次々に無理やり誕生させる。これである程度の傷は回復できる。
ちなみにこの事を昔、しのぶちゃんに話したらすごい顔でドン引きされた。
『いやいや、兎兄さん!? 人の身体ってそう言う事じゃ、そう言う事じゃないですよね!?』
『でも実際治るよ?ねぇってば』
『えー…?』
ただ、この呼吸も完璧ではない。
裂傷、刺突程度の傷は治せても、さすがに折れた骨を完全に治癒することは難しいし、そもそも即死していたら何の意味もない。
さらに他の呼吸より集中する必要もあるため、これをやっている間、オレはこの場から一歩も動けないし、どの呼吸も使えない。日輪刀だって触れない。
鬼、オレをかじり放題。
そして何より問題なのはこの呼吸、オレの自然治癒力を超えて傷を治療するので、使用中はとにかく。
「あんぎゃああああああああああああッ!! 痛い痛い痛い痛い!? やめていいかな時透君!? やめていいよねぇ痛い痛い痛い痛いうわぁぁぁあああああッ!?」
「もうちょっと治した方がいいよ」
「うわぁぁぁん!! もうやだやめる辞めてやる! 牛の呼吸も柱も辞めてやるぅ!!痛い痛い痛い!」
「それだけ叫べるなら、まだ頑張れるよね、大人だもの」
「うぐううう、お、大人は痛いの嫌いなの! 思い出すたびに涙が出そうな思い出が多いから!」
君との出会いもその1つだよ! と叫びながら、オレは治療に専念するのであった。
「しばしそこで待っていてくれ。貴方の夫も併せて医者に診てもらおう」
桜花を柱にもたれさせながら、僧の鬼――懺戒さんは優しく声をかけてくれました。
浴衣の足部分を裂いて簡単な帯を作り、止血はしていますが、ずきずきと痛む左肩。
「そうしてもらえると、助かります」
「うむ。しかしいままでおとなしかった鈴がこのような…」
懺戒さんは吹き飛ばされ、いまだにぴくぴくと痙攣している鬼、鈴さんのなれの果てを見て呟きます。
というか、鬼には強靭な再生力があるはずなのですが。
どれだけの威力で殴られれば気絶なんてことになるんでしょうか。
「…貴女の血か? 稀血だな」
懺戒さんの言葉に思わず身をすくめます。懺戒さんだって鬼。桜花の血の影響をこの距離で受けない筈はないのだから。
「懺戒さん、ひょっとして…」
最悪の可能性も考えなくてはなりません。
「ふむ。まぁ貴女の心配も最もである。しかし安心されよ。確かに少し酩酊している気はするが、拙僧にその血はあまり効果がないようだ。効果があるならとっくに貴女を喰っているだろう」
なんというか、何もかもが規格外の鬼です。
十二鬼月さえ狂うとされる桜花の血をこんな至近距離で見て平常としているなんて。
飢餓の状態になっているようにも見えませんし、やはり何か特別な鬼なのでしょうか。
「…拙僧はなにも特別ではないぞ」
桜花の心を読んだかのように、懺戒さんはそう言いました。
「…拙僧は悪鬼である。それは変えようのない理だ」
「お、お師匠!」
ふと、声がして。
振り返れば、そこには数珠坊君の姿がありました。後ろには隠れるように菊ちゃんの姿もあります。
隠れてなさいと言ったのに。
それでも、兄替わりが突然あのような姿に変わってしまったことに不安を覚えていたのでしょう。震えながらでも、必死に様子を見に来た。
「っ、ぺったんババァ! 怪我したのか!?」
君を怪我させたいですね。
「こんなの、大したことではありませんよ。むしろ貴方が桜花をその呼び名で呼び続けることに一番傷ついています」
「・・・ごめん」
それは何に対する謝罪なのか。桜花は追及しないことにしました。後ろに隠れている菊ちゃんも、慌てたように、けれどしっかりと頭を下げました。
「なぁ、ぺったん」
心外! やっぱり追求した方がいいでしょうか!?
「それさ、やっぱり…」
「お兄ちゃんが、やったの?」
菊ちゃんが、消え入るような声で言いました。その瞳には、うっすらと涙が浮かんでいます。
「…菊」
懺戒さんが、優しく声をかけました。
「ちがうの。違うんです、お師匠様」
菊ちゃんが震えながら、声を絞り出します。
「あたしたち、頑張ったんです。突然お日様の下にでなくなったお兄ちゃんに、元気になってほしかったんです」
菊ちゃんはしゃくりあげながら話してくれました。
菊ちゃん、数珠坊、そして鈴という青年の三人はみんながみんな孤児でした。
それぞれがそれぞれの理由で親に捨てられ、同じ山で出会った。
最年長だった鈴という青年は震える二人にこう言ったそうです。
『俺たちは同じ山に捨てられた、いうなら兄妹だ!』
『前を向いて生きよう。なぁに、たかだか親に捨てられただけさ! 仏様に見捨てられた訳じゃない!』
そういって鈴は二人を引き連れ、苦労の末に下山して日雇いで働きながら旅を続けたそうです。
彼は手先が器用で、いつも茶屋の店先で芸をしてお金を稼いだり、良いものではないけれど布を買ってきて二人の服を仕立てたりしてくれました。
数珠坊君の袈裟も、菊ちゃんの継接ぎの着物も、鈴が作ったもの。
二人は彼を兄のように、親のように慕っていました。
けれどこの廃寺を寝床に構えた夜を境に、状況が一変します。
その日、鈴は無理がたたって病に伏せっていました。医者に見せれば、たちの悪い風邪と診断され、しばらく安静にしていれば治るとも言われたそうです。
『ごめんな、二人とも。兄ちゃん頑張って治すからな』
そう言って鈴はあの部屋にこもりました。
風邪をうつしては悪いと思ったのでしょう。
そして、恐らくはその夜に。
鈴は太陽の下にでなくなった、いいえ。きっと、出られない体にされた。
鈴は扉越しに唸るようになりました。
かろうじて口が聞けても、もう呂律がまわらない状態。
もしこの時鬼になっていたのだとしたら、これは驚嘆に値する事実です。
鬼になってしまえば、よほど力がない限りは自我を失いますし、強い飢餓状態に陥ります。
ですが、桜花と出会った時の状態、飢餓の進行状態から見て、彼は一人として人間を食べていない。
それも、近くに稀血の菊ちゃんがいたのにも関わらず。
唯一の働き手だった鈴がいなくなったことで、お金が入らなくなりました。
この時、数珠坊君が言いました。
『きっとあんな安い医者の薬じゃだめなんだ。もっと金持ちが持ってる薬じゃないと』
『菊。今度はオレ達が鈴兄ちゃんを助けよう』
こうして数珠坊君たちは盗みに手を染めることになり、最初は身なりの良い高僧から荷物を盗むことにしたそうです。
夜中、芒の丘に現れた1人の僧。彼は廃寺を見つけると、安心したようにそこで眠りにつきました。
その男が寝静まった時を見計らって、数珠坊君は荷物に手を伸ばし、そして。
『少年。それをやったら、拙僧はお主を殴らなくてはならなくなるぞ』
僧、つまり懺戒さんに捕まりました。
暴れる数珠坊君を、懺戒さんは容赦なく殴って簀巻きにし、天井からつるして事情を聞きました。
「なんて大人げない」
「それはその、すまぬ」
桜花がじと、と目を向けると懺戒さんはばつが悪そうに目を逸らしました。
「お師匠様は鈴兄ちゃんの代わりに、私たちを守ってくれるって言ってくれました。自分も同じ病気だったからって。でも、でもお兄ちゃんどんどんおかしくなって」
菊ちゃんの目からぽろぽろと涙がこぼれます。
「白髪のお兄さんの荷物を盗んでも、何も入ってなくて。それでお師匠様に叱られて」
「せめてお話相手になってもらったら、って思ったんです」
菊ちゃんは涙を流してうずくまりました。
懺戒さんも、桜花も、彼女を責めることなどできませんでした。
だって、鈴さんがおかしくなってしまった原因は、桜花だったから。
おそらくぎりぎりだった鈴の理性を壊したのは、桜花の血だったから。
「なぁ、お師匠様」
ここで、いままで黙っていた数珠坊君が口を開きました。
「俺が盗みなんてやったから?」
彼も、よく見ればひどく震えていました。
「罰が当たったのか? 俺たち、仏様にも捨てられたの?」
「馬鹿を言うな。二人とも」
懺戒さんは歩み寄って二人を抱きしめました。
あの剛腕には似つかわしくないような、優しい抱き方でした。
「たとえ、親が見捨てても、たとえ仏が見捨てようとも」
「鈴はお前たちを見捨てなかったのだろう?」
「そんな鈴が、このご婦人を襲う訳がないだろう?」
「でも、さっき鈴兄ちゃんが」
数珠坊君は、ぴくぴくと痙攣を続ける鬼を指さして言いました。
もう、二人の知る『鈴』が戻ることはありません。
「あれは偽物だ」
懺戒さんは言いました。桜花はそれを黙って聞きます。
「偽物‥?」
「そうだとも。あれは『鬼』という怪物だ。鈴に成りすましてお前たちを騙したのだ。故に、拙僧と御婦人が退治した」
懺戒さんは二人の頭をくしゃくしゃと撫でました。
「鈴がどうなってしまったのかは、すまぬが拙僧にもわからぬ。だがきっとどこかで生きていよう」
「ホントに・・?」
「ああ。拙僧は嘘は言わぬよ。鈴も・・嘘は言わなかったのだろう?」
「大丈夫。もう誰も、お前たちを見捨てはしない」
しばらくの間、寺には泣きじゃくる子供の声が響きました。
大正コソコソ噂話(偽)
数珠坊、菊と言う名前は鈴が付けました。
数珠坊は少年が持っていた親の形見から。
菊は鈴が一番好きな花の名前です。