だからこそ、本当に大切なことは必ず実行しなくてはならない。
即ち、生きること、報いることである。
大正○○年 ●月■日。
オレは空から、塵になって行く懺戒を見た。
懺戒のほかに、彼が担いでいた鬼。寺の中から感じた味の主だった。
その鬼もまた、散りゆく間際に穏やかな顔をしていた。
鬼としての死を迎えた懺戒は言った。
『人と呼んでくれて、ありがとう』と。
やめてくれ、と思った。
オレは、心底お前を想って庇った訳じゃない。心の底にはお前では無くて、冨岡君のことがあったんだ。
いろんな気持ちに、いろんな後悔に蓋をして決断をした彼の正しさを証明したかっただけなんだ。冨岡君を助けたかったんだ。
やめてくれ、そんな顔を向けないでくれ。
オレはお前に、そんな顔を向けられるような男じゃない。
オレは弱いんだ。弱いんだよ。
だからいつも守れない。いつもいつも、守れない。
『嘘です、よね。十二支さん。こんなの、嘘ですよね?』
『桜花さん…』
『か、カナエは強いんですよ。柱なんですよ。私に及ばないまでも、ずっと強いんですよ…』
『桜花さん! しっかりしてくれ!』
『何しに来たんですか』
『い、いや。カナエに献花を』
『帰って』
『し、しのぶちゃん、待ってくれ、違うんだ』
『何が違うのよ!あなたが、あなたがあんなことしなかったら姉さんは死ななかった!!』
『信じてたのに、信じてたのに!』
『お願いだしのぶちゃん、せめて、せめてもう一度だけカナエに会わせて』
『お願いです、お願いですから、今、貴方の口から姉さんの名前を出さないでっ!』
オレは地面を転がった。体を打ち付け、痛みが走る。受け身をとる気にもなれなかった。
日輪刀を持ったままの手で、顔を隠す。辛かった。十年来の友達と別れた訳でもないのに、なんだか本当に辛かった。
「なにやってるの。ちゃんと着地しなよ」
時透君が、近くまでやって来てオレを見下ろした。
そこに表情は、なかった。
気が付けばオレは、時透君の胸倉をつかんでいた。
突然の事に驚いたのか、すこし目を見開いた時透君だったがすぐにいつもの無表情な彼に戻って行く。
「いきなり何? 意味が解らないよ」
「時透ッ! お前は、お前はッ…」
握り拳が震える。頭の中で、溶岩が煮立っているようだった。
それでも、オレは時透君から手を放していた。
「…時透君。君は、間違ってない」
「そうだね」
「鬼を滅殺する。それが、俺たちの仕事だ」
「そうだよ、その為に僕らがいるんだから。鬼は殺すべきだよ。一刻も早く、一匹でも多く」
「はは」
はは、なんだよそれ。
それじゃあ、まるで。
「それじゃあ、俺たちは鬼と変わらないじゃないか」
「? 何言ってるの。時間の無駄だよ」
時透君は、オレに背を向けて歩き出した。やはりその表情にには何も浮かんでいなかった。
オレは彼の背に向かって叫んだ。
「時透君! 君は正しい! 正しいよ!」
「でも、駄目なんだよ!正しいだけじゃ、強いだけじゃ、駄目なんだ!!」
「オレは間違ってた! 今夜だけは、間違えていたかったんだ!!」
時透君は振り返る事もせず歩いて行った。
オレはしばらくその背を見つめていた。
一歩一歩、芒の丘を降りて廃寺を目指す。
桜花に会いたい。途中で感じた味は、間違いなく桜花の血の味だった。
嫌だ、嫌だ嫌だ。
桜花、無事でいてくれ。お願いだ。君にまで居なくなられたら、オレは。
ようやっと、寺にたどり着いた。ふらふらと中に進む。夜明けが近い。
古ぼけた廃寺に明るい日差しが差し込んでいく。
もうこの寺に、鬼はいない。
疲れからか、身体が重い。自分でも無茶をやったと思う。
酉も牛も、強力だが著しく体力を消費する呼吸だ。
傷がふさがっても、失った体力までは戻らない。いつ倒れてもおかしくないと、身体が警鐘を鳴らしている。
もう一回過愚夜と戦えなんて言われたら死ねる。
もうアイツと戦う事はないだろうけど。
いや、もう戦わなくても不味いかもしれない。
ここまで必死に歩いてきたけど。もう意識が飛びそうだ。
桜花、桜花・・。
「兎さん?」
声が聞こえて、オレは顔を上げた。
目の前には、桜花がいた。
その姿を見て、オレは気が付いた。気が付いてしまった。
「兎さん! ご無事でしたか!? どこも痛いところはありませんか!?」
違う。違うだろ。桜花。
「桜花、桜花‥怪我してる」
桜花の左肩には、大きな血の染みが出来ていた。
「桜花の事は良いんです! それよりも兎さん、大丈夫ですか!? どこかやられたんですか!?」
なんでだよ。
懺戒も、桜花も。カナエも。
オレなんかの心配なんていらないんだよ。
オレなんかに期待したってしょうがないんだよ。
オレは弱いんだ。何も守れないんだ。
「うあ、うああ」
気が付けば、オレは泣いていた。
餓鬼のように、泣きじゃくっていた。
「兎さん…」
桜花は、オレが泣いていることに気が付くと、座ってオレを抱き寄せた。
血の味がする。桜花の方が、ずっと傷が深い。
「ごめん、ごめん、桜花、ごめん、懺戒は、懺戒は・・・」
「・・・そうですか」
「頑張ったんだ、一生懸命やったんだよぉ」
「ええ」
「でも、やっぱりオレじゃだめなんだ。オレは弱いんだよ、柱になんかいちゃいけないんだ」
涙が止まらなかった。悔しかった。どうしようもなく、たまらなく悔しかった。
「兎さん…」
慈しむような声に、心の決壊が止まらない。打算だらけのこのオレに、まるで尊敬の念を抱いているかのような視線を送った彼のことが、頭から離れない。
「…救えない、守れない! オレはまた守れなかった!」
「兎さん」
「何が柱だ、なにが業柱だ! オレなんていらないんだよ!!桜花も守れない、懺戒も救えない、カナエだってオレの所為で死んだ!」
「兎さん!それは違います!」
「違わねぇよ!!」
口から叫びが飛び出した。悲鳴に近い声が出た。
「違わない! なにも違わないんだ!! オレの所為だ、オレの所為だオレの所為なんだ!! アイツはオレの所為で死んだんだ!! オレがあの日あんなこと言わなければ、カナエはきっと上弦を倒してた!!」
「兎さん、違う、それは違う‥」
「懺戒だって救えなかった! アイツは人だった、人だったのに! オレがちゃんと時透を止めてれば、説明できてれば、アイツは死なずに済んだ!」
「兎さん、懺戒さんだってきっと」
桜花が何か言っている。でももう、止まらなかった。
「桜花にだって怪我をさせた! オレが一緒に行こうなんて言ったから! オレのわがままに付き合わせて、怪我させた! オレの、オレの所為で…」
「兎さん、違います、そんなの違う」
「オレは何も守れない、何も救えない! こんなことなら――」
「兎さん、だめ、待って――」
「死んじまえばよかったんだ!! オレみたいな奴は!!」
オレは、普段のオレなら絶対に言わないようなことを叫んでいた。
悔しかったから。悲しかったから。
生き残った癖に、死者に報いる方法を知らなかったから。
「兎ッ!!」
オレの頬を衝撃が走った。
じんじんと痛む左頬をオレはゆっくりと触った。
頬を張った人物に目を向ける。
桜花が、怒っていた。もの凄く怒っていた。
「ふざけないで・・・」
桜花が言葉を漏らした。彼女もまた、何かを決壊させたかのように言葉を吐き出していく。
「ふざけないで! 懺戒さんも、私も、カナエも! 貴方にそんな言葉を言わせるために一緒に居たんじゃない! 託したんじゃない!!」
「みんな貴方を助けたかった! みんな貴方を信じた! そこに強いも弱いも関係ない! 貴方がみんなを救ってくれたから、変えてくれたから、だからみんな貴方を信じたのよ!」
「弱音なんて好きなだけ吐きなさい! 辛かったら泣きなさい! でも『死んでしまえばよかった』なんて二度と言わないで!!」
「懺戒さんもカナエも、貴方に託したことに後悔なんてない!私の傷が何? 貴方が今日まで守ってくれなかったら私はとっくに死んでいた。貴方が私を愛してくれたから、私は人間になれた! どれだけ救われたと思ってるの! 貴方と言う命が私の中でそんなに軽いとでも思ってるの!?」
「だから!だから…」
桜花の声が途切れ始めた。彼女の頬に、つぅ、と雫がこぼれた。
「お願いよ、兎・・・。そんな哀しいこと、言わないで」
「桜花…」
痛みが消えた訳じゃない。
自分が役に立つとも、まだ思えない。
自分なんかより、という思いは、きっと消えることはないだろう。
それでもダメだ、と思った。
たとえ今の自分がどれだけ惨めで恥ずかしくても。
それでも、彼女だけは。
彼女にだけは、こんな顔をさせてはいけない。
「桜花…ごめん」
「‥兎さん」
オレは桜花を抱きしめた。傷に響かないように、優しく。
桜花も、右手だけでぎこちなくオレを抱きしめた。
「ただ、いま」
「おかえり、なさい」
オレ達はそのまま、涙を流しながら抱きしめあっていた。
大正コソコソ噂話(偽)
桜花さんは普段物腰柔らかですが、怒ったり興奮したりすると言葉がきつくなります。
こちらが元々の素の口調で、丁寧な言葉遣いは任務帰りに目撃した女学校の生徒を参考に真似しています。