そんなのは今する事じゃない。
「さぁ、ねぎま。一丁頼むよ」
「カァー! チクショー!」
オレからお館様宛の文を携えて、ねぎまは夜の海に消えて行った。
こんな潮風の強い場所でも飛べるのだから、鎹鴉ってのは本当に優秀である。
夜の海は暗く、どこから空でどこから海なのかわからない。水平線が、全く見えない。
「…、あ、そういえば晩飯まだだったな」
腹の虫が若干騒いでいる。桜花を誘って食事にしよう。
オレは甲板から階段を下りて船室に向かった。
船室に戻ると、行き違いになったのか桜花が戻って来ていた。
「おかえりなさい、兎さん。ねぎまちゃんはちゃんと飛びましたか?」
「うん。風も強いのに大したものだよね」
簡易ベッドに腰掛ける桜花の隣に腰を降ろす。いつも来ている羽織を脱いで、船室に備え付けの棚に放り投げた。
「あっ、兎さん! そうやって投げないでって何時も言ってるのに」
むぅ、と言いながら桜花が羽織をきちんとたたんでくれる。
やっべ、つい。
1人で生きてきた時間が長いから、つい昔みたいに人の目を気にせずやってしまう。
「ちゃんとこうやってたたむんですよ。ほら、綺麗になった」
きっちりたたまれた羽織を見せて桜花は微笑んだ。美しい。
「ああ。ごめんね桜花、うっかりしてた」
「わかってくれたなら良いんですよ」
にっこりと笑っている。可愛い。すっげー可愛い。
「あとどのくらいで着くのかなぁ?」
「あと…二日ぐらいじゃないですかね…」
桜花の目が死んだ。たしかに桜花にとっては拷問だよな、船の上にあと二日って。
「大丈夫だよ桜花、沈んだりしないって」
「ああああ、当たり前です! 沈んでたまるもんですか!!」
重症だ。このままでは絶対に二日ももたない。
「よしよし、桜花、大丈夫だからな。さぁ、ご飯でも食べに行こう」
「・・・ぐす、はい」
オレは桜花の手を取ってベッドから起き上がろうとした。
すると、突然トントン、と音がした。
誰かがオレ達の船室の扉をノックしている。
「業柱様、至急お伝えしたいことがございます。扉を開けてください」
「隊士の方でしょうか? なんでしょう、緊急って」
桜花が不安そうに扉を見つめている。よし、ちょっと確かめてみよう。
「ここを開ける前に確認させてくれないか。合言葉を言ってくれ」
「合言葉」
「そう。なに、オレの簡単な質問に答えるだけだよ」
そういってオレは頭を働かせ、隊士なら必ず応えられる質問を出してみることにした。
「原初の鬼、オレ達の仇敵。そいつの名前は?」
全ての鬼には、鬼舞辻の呪いがかかっている。鬼舞辻の名前、特徴、力、居場所。どれを喋っても何を話しても、呪いは発動し鬼を細胞ごと破壊する。
この声の主が仮に鬼だったとしたら、この質問には答えられない。
「鬼舞辻 無惨です」
答えた。
どうやら鬼ではなさそうだ。そう思って、オレは桜花に目くばせした。
桜花もオレの意を察したようで、部屋の隅へと移動する。
オレはすっと扉を開けた。
目の前に居たのは、やはり鬼殺隊士だった。
見たことがない顔だ。この船に護衛として乗り込んだ一人だろう。
茶髪の髪をした男で。
「そうそう、さっきの合言葉なんだけどさ」
―――日輪刀を抜いている。
「ウォオオオオッ! 柱ァァァ!!」
彼はその言葉と共に刀を振り上げる、が準備していた分こちらの方がはやい。
「あんなの口から出まかせなんだよ。ごめんね」
オレは鞘に入ったままの日輪刀で、思い切り腹を叩いた。
「うげッ」
「ごめんね、嘘の味がしたからさ」
彼はそのまま壁に叩きつけられた。
「兎さん、大丈夫ですかッ!?」
桜花が心配そうにオレに駆け寄った。大丈夫だよ、と伝えて叩きつけられた彼を見る。
鬼じゃない。それは間違いない。
でも彼は今オレに殺意を向けて斬りかかって来た。怒りの味がものすごく濃い。何か彼を怒らせるようなことをしてしまっただろうか。
「兎さん、この人と知り合いですか?」
「いいや。全く覚えがないよ。桜花は?」
「‥すみません。私も存じ上げません」
つまり全く初対面でオレは斬りつけられたことになる。傷つく。
「オレって嫌われてんのかな…」
「そ、そんなわけありませんよ! 少なくとも、桜花は大好きです!」
しょんぼり、と頭を垂れるオレを桜花が慰めてくれた。嬉しい。
「というより、どう考えてもおかしいですよ。隊士が柱に斬りかかるなんて。かなうはずもないのに」
「ぐす、そうだな。なんか変だ。ちょっと調べてみようか」
そう言ってオレが彼の身体に触れようとした時だった。
【オオオィオイオイオイオイオイオイオイオイィ!! なぁにやってくれてんだァ、ああん!?】
船内に突然大声が響いた。男の怒号だ。
「う、兎さん! 連絡用のパイプからです!」
汽船には全ての部屋、通路に連絡用のパイプが付いている。パイプは各所につながっていて、互いにパイプに向かってしゃべる事で連絡を取り合うのだ。
オレはパイプに近づいて声を聞き取る。
【お前だよお前! 今そこでパイプに耳近づけてる白髪の隊士だゴラァ!!】
つまり、恐らくはオレの事である。
【見てたぞぉ、テメェ今仲間を刀でぶん殴ってたなぁ。なんでそんな残酷なことできんだァ! 可愛そうとは思わねぇのかァ!?それが心通った生き物のやる事かァ!?】
パイプからいまだに怒号が響いてくる。
なにやらさっきオレが隊士を殴ったことを責め立てているらしい。
…あんまり、関わりたくないタイプだ。うん。
勘だけども。
【…無視してんじゃあ、ねーぞぉ!ゴラァ!!】
余計に怒らせてしまったようだ。返事しなきゃ、駄目かなぁ。
仕方なしに、オレはパイプに向かって話かける。
「…もしもし」
【喋れるんじゃねーかァ!! くそ、くそ、糞糞糞! 馬鹿にしくさりやがってよォ!!謝れ!!】
「え、あ、うん、ごめんなさい」
【男が簡単に謝ってんじゃねーぞゴラァ!!】
どうすりゃいいのよ。
【…あぁ、テメェよく見たら柱だなぁ!姫の言ってた特徴と同じじゃねぇかくそッ! あれだ、あーっと、じゅ、じゅじゅ…えーっとぉ・・】
なにやら悩んでいるような声だ。ああでもないこうでもないとパイプの向こうで唸っている。
【畜生! 思い出せねぇ!!お前の所為だ! 全部全部なにもかも森羅万象お前の所為!!】
どうやらかなり理不尽な相手であることはわかった。しかし、今掴んでいる情報はそれだけ。あんまり頭のよさそうな相手でもないし、もう少し話してみるか。
「ねぇ君。君は何者だい?」
【あぁ!? 俺様は『堕落七鬼』の一角、『欺瞞ノ殻怒童子(ぎまんの がらどどうじ)』様だ!! まさか俺様を知らねぇのかド畜生が!!】
『堕落七鬼』? 殻怒童子? 全く知らない単語がどんどん出てくる。
桜花をふりかえれば、彼女も青い顔で首を振っている。桜花も聞いたことがないらしい。
ここはもうすこし情報を引き出さなければ。
「堕落七鬼? その口ぶりだと、鬼なんだね。十二鬼月とは違うの?」
【俺たちとあいつ等を並べんじゃねェェェ!!】
突然、怒鳴り声が四割増しで大きくなった。あまりの轟音に、オレは思わずパイプから飛びのいた。
なおも怒声は響き渡る。
【ゆるさねぇ、許さねぇぞ柱! よりにもよって、よりにもよってあいつ等とォォ! 殺すッ! テメェは必ずぶっ殺すッ!!】
鬼気迫る勢いだった。本当に触れてはいけない物に触れた。虎の尾を踏んだ。そんな錯覚さえ覚える。
とたん、がたがたと音がしてそこら中からかけてくる足音が聞こえる。
人間の味だ、鬼じゃない。
だけど―――、なんだこれは。
【今から謝ってももうおせぇからなぁ!!ふざけやがってェェ!! こっちはとっくに攻撃完了してんだからなぁ!!】
怒りの味、激怒している。いま、こちらに向かってくる人間全員が。
「桜花、部屋に戻って! 早く!」
桜花が一瞬ためらった後に部屋に入ると、まるでそれを待っていたかのように、階段を下りて大量の鬼殺隊士たちがオレに殺到した。
皆、手に抜刀した刀を持っている。
【そらそらそらぁ!! 斬れるもんなら斬って構わないんだぜェ?そいつらみーんな皆殺しにしてもいいならなァ!!】
「おまえ、皆をッ」
【おおっとぉ、誤解すんなよムカつく奴だァ!!操ってなんかないんだよォ! そいつらはみんな自分の意思でそこにいんだよ!! 俺様はちょーっと思う存分怒りをぶちまける手伝いをしてやってるだけさ!! さぁ、お前等!】
【お前らを見捨てて逃げようとしてる柱だぞ!! 囲んでぶっ殺しちまいなァ!!】
オオオオォオオッ、と叫び声が船内に木霊した。
皆が皆、刀を抜いてオレに斬りかかってくる。
オレは日輪刀を鞘から抜かず、納刀したまま構えた。
全集中・『子』の呼吸!
『鼠惨死鬼』!
オレの分身が大量に発生する。オレたちは一斉に鞘で隊士たちをぶっ叩いた。
あちこちでうめき声が上がる。心が痛い。
けれど、こうやって気絶させてしまえば。
【おいおいおい、今なんつったァ? 『子』の呼吸ゥ?】
パイプから訝しげな声が響いた。
「だったらなんだ!」
こいつはもう敵で間違いない。その決意を込めて、オレはきつく言い返した。
【…ああぁ、なるほどなァ。お前、アイツらの子孫かァ?】
「は?」
【とぼけんなよな腹が立つ! しらばっくれんじゃねぇぜ!だとしたら手加減はいらねぇ!! お前等ァ!!】
がたん、と音がする。
オレの目の前には信じられない光景が広がっている。
思い切り気絶させたはずの隊士たちが、もう立ち上がっている。
【怒ってる奴ってのはよぉ、強いんだぜ! 哀しんでる奴より正義漢よりなお強い!】
『怒りは人を動かす原動力になる』。
オレが昔、したり顔で冨岡君に語った事だ。
その本当の意味を、オレは理解していなかったのかもしれない。
大正コソコソ噂話(偽)
暗闇の海に送り出されたねぎま。
案の定今、迷子になってます。