角の数が多いほど下の階級で、最上の階級の鬼には特殊な一本角が生えていると言う。
彼らは鬼としてあらゆる面で例外的だが。
際たるものは七体の鬼で一つの群れを形成している、という事。
そして、最上の存在を、他の六体の鬼は『姫』と呼んで崇拝していると言う。
殻怒童子の頸が、驚愕の表情のまま落ちていく。
切り離された体は崩壊が始まり、奴がもうこの世に留まれないことを示していた。
「馬鹿な、馬鹿な馬鹿な馬鹿なァ!? ありえねぇ、ちげぇ!こんなの『申』じゃねぇぇ!!」
首だけになり床に転がった殻怒童子がわめいている。
そうだ、あの時はオレも頭に血が昇って流してしまったが、こいつは十二の呼吸について知っているそぶりを見せていた。
そして、オレ自身についても何か知っている。
もしかして、関係あるのか。
オレに十二の呼吸を教えてくれた『あの人』と。
「おい、殻怒童子! こっちは約束通りお前に勝ったんだ!知ってる事、全部教えろ!!」
「うるせぇうるせぇうるせぇ!!オレは鬼狩りを斬ったら教えてやるって言ったんだよ! 一人も殺さず勝ちやがって! 教えねぇ!! 教えてたまるかこの化け物!!」
殻怒童子がわめいたが、知った事じゃない。
堕落七鬼、が一体何なのかも聞き出していないんだ。コイツが消えてしまう前になんとか―――
「くそったれ教えねぇぞ!! 教えたところでテメェは死ぬんだ!! オレを殺して『姫』が黙ってる訳ねぇんだからな!!ギャハハハハハッ!!」
「姫‥」
「そうだ姫さ。姫は最優、最大、最強、最高!! あのお方がお作りになられた鬼の中で、あれほどの鬼はそういない!十二鬼月なんて姫にかかれば一捻りだ!! ギャハ、そう、お前は姫に殺される! 精々その日まで震えてな!! 地獄で待っててやるからよォォ!! ギャアッハハハハハハァ!!」
そう高笑いしながら、殻怒童子は塵となって消えた。
オレはしばらく、彼が消えた場所を見つめていた。
堕落七鬼に、姫、か。
どうやら脅威はしばらく去りそうにない。
・・・やっぱり、もっと強い人が柱になった方が皆の為じゃないかな・・・。
それから数刻後。場所は大きく離れ、領主のいない廃城にて。
堕落七鬼の一角、『望郷ノ枯橋楽(ぼうきょうのこきょうらく)』は城の最奥にある、ある一室の前に立っていた。
下あごから突き出た二本の角をすこし触って気分を落ち着かせる。
先程、偵察用に放った蟲から報告があった。
殻怒童子が柱を仕留め損ねたことを、この部屋の中におわす『姫』にご報告しなければならない。
「すぅ・・はぁ…」
意を決して、ふすまを開けようと手をかけた時だった。
「…枯橋楽じゃな?」
ふすまの中から声がした。
どこか弱弱しい声だった。
「ッ…、はい、枯橋楽でございます。姫様、お休み中の所申し訳ございません。火急、お耳に入れて頂きたく…」
「構わぬよ。入って来ておくれ…」
「し、失礼いたします!」
すべて言い切る前に、中の姫から声がかかった。慌てて、部屋の中に入り跪く。
部屋の中は酷く殺風景だった。調度品もなければ、鏡すらない。
部屋は蝋燭のみで照らされ薄暗く、当然光も差し込まない。
とても大きな部屋なのに、あるのは几帳で覆われた寝台のみ。
蝋燭の光に照らされて、几帳の中が透けて見えた。
そこには影が映っている。枯橋楽よりも一回り大きなその姿は、人間であれば成体した女性の姿に見えた。
すすす、と中の影は寝台から起き上がりながら枯橋楽に話しかける。
「枯橋楽…」
頭がふわふわとする、不思議な高揚感を感じる声。
その感覚に頭がしびれそうになりながらも、枯橋楽は必死に言葉をつなごうとした。
(言え、言うのよ。正直にお話するの。たとえそれで姫様がどんな思いをされたとしても、この命令は。我々の二百年越しの悲願なのだから!)
「ひ、姫様…!」
跪いたまま、枯橋楽は口を開いた。
「実は…例の柱の、十二の呼吸の継承者の討伐を」
「殻怒童子が死んだのじゃな?」
びくっ、と枯橋楽は自分の身体が震えるのを感じた。嫌な汗が頬を伝う。
「も、もう報告を・・?」
「いいや。確証はなかった。じゃが、妾は耳がよいのでの」
す、と衣擦れの音がした。
「あの子の大きな、大きな声は、いつも妾の耳に届いておった」
枯橋楽は堕落七鬼の主たる姫の、その悲しみを感じ取った。
「そうか。もう叶わぬのか。殻怒童子…。あの子の怒鳴り声も、妾の耳には心地よかったのじゃが。もう、聞くこと叶わぬか…」
「…寂しいのう、枯橋楽。妾は今、二百年の歳月の中で、一等、寂しい」
枯橋楽はたまらなくなって、頭を床に叩きつけた。
「姫様! 殻怒童子を奴に差し向け、みすみす死なせたのは私でございます!!鬼狩りの柱の実力を見誤りました。 どうか、どうかなんなりと罰を! 姫様の悲しみがすこしでも晴れるのであれば、この望郷ノ枯橋楽、命さえ惜しくはございません!」
「枯橋楽」
凛とした、悲しみを帯びながらも耳によく通る声がした。
「近う寄れ」
「は、はい!」
慌てて寝台の近くに寄る。枯橋楽が傍に来ると、すっ、と几帳の隙間から美しい手が現れた。黄金色の爪は鋭いが、それを差し引いても、鬼とは思えない、美しい女性の手だった。
その手が枯橋楽に向けられる。罰を覚悟し、枯橋楽は目を伏せた。
しかし、与えられたのは痛みではなかった。
与えられたのはさらさらと、枯橋楽の翠と黒の髪をなでる優しい感触だった。
驚いて目を開ける。
姫と呼ばれるその鬼は、不安におびえる忠臣の髪を、まるでわが子を愛おしむように撫でていた。
「ひ、姫様…?」
「枯橋楽。ああ、妾の愛しい枯橋楽。お前はあのお方から直接のお言葉を賜り、それが嬉しくてたまらなかったのであろう? 妾も力を取り戻しておったなら、すぐにでもはせ参じたであろうよ」
「期待に応えようと懸命に頑張るお主を誰が責めると言うのじゃ? 誰が罰すると言うのじゃ?」
「お主も殻怒童子も最善を尽くした。尽くした結果がこの現実であるなら、妾はそれを受け入れよう」
「姫様…」
「じゃが、それではお主の気が済まぬのであろう?枯橋楽。お主はとても忠節に溢れたよい子じゃな。そんなお主がどうしても罰を望むと言うのなら」
「今しばらく、このままで居させておくれ…妾の可愛い枯橋楽」
枯橋楽はしばらくの間、姫にされるがままにされた。
どれほどの時だったか。
半刻程度だったかもしれないし、もしかしたらもっと長かったかもしれない。
姫は枯橋楽の頭を撫でながら話しかけた。
「…殻怒童子には、墓を建てておやり。あの子にふさわしい墓を」
「・・・はっ」
「それと、残った堕落七鬼全員に命じる。今後、妾の許し無くあの憎き柱に挑むことを禁ずる。どうやら二百年前とは幾分相手が異なるようじゃからの。常に奴の近辺を探り、情報を集めるのじゃ」
その言葉に対して、枯橋楽から返事は無かった。不満げな表情をしている。
それが姫にも伝わったのか、どこかおかしそうに尋ねた。
「不満かえ?」
「い、いいえ、滅相もございません! 確かにあのお方の望みを早く達成したいという思いはありますが」
「もしもあのお方に言及されたなら、妾の指示だとしっかりお伝え。それと、不満はそれだけではないの。全員、といっても恐らく一人言う事を聞かぬじゃろうからなぁ」
「そうです!!」
姫の言葉をうけ、枯橋楽は急に真っ赤になって怒り始めた。
「そうですとも姫様! この度のあのお方のお言葉、姫のお言葉と共に各地に眠っていた仲間全員に蟲を送ったのにも関わらず!あの怠け者の唾葬怠でさえ召集に応じたと言うのに!!そうですともあいつですとも!あの女、『私には関係ない事だ。お前たちで勝手にやれ』とのたまいました! 姫様、あいつに罰を与える許可を!」
「まぁそう怒るでない枯橋楽。可愛い顔が台無しじゃぞ。ほれほれ」
姫はそう言って膨れる枯橋楽の頬を爪でつついた。ますます、枯橋楽の頬は膨れた。
「まぁあの子は妾が言っても止まらぬじゃろう。むしろ二百年、よく辛抱しておとなしくしておいてくれたと言うべきか。良い良い、あの子は好きにさせよ」
「姫様! 姫様はあいつに甘すぎます!」
「そうかえ? では今からお主をたくさん甘やかしてやらねばのう。やきもち焼きめ」
「ち、違います! わ、私は堕落七鬼の取り纏め役として、そう、規律の乱れを心配して申し上げているのです!」
必死に訴える枯橋楽に、ついに堕落七鬼の姫は折れた。
「わかった、わかった。では一度、蟲を使いあの子をこちらに呼んでおくれ。二百年ぶりじゃ。妾も一目顔が見たい」
「はい、かしこまりました! それはもう、うんと厳しい罰をお願いします!」
失礼いたします! と叫んで、枯橋楽は部屋から出ていった。
「…はて。罰を与える気など、ないのじゃがのう・・・」
誰もいなくなった部屋で、姫は一人そう呟いた。
殻怒童子の襲撃から二日後。
重症の隊士への応急処置も終わり、なんとかオレ達は本島に戻ってくることが出来た。
ここから隠しの皆さまが手配した列車で、鬼殺隊の本部へ向かう。
ただし、重症である桜花と一般隊士数名、及びその治療にあたるしのぶちゃん、そして子供たちは一度、蝶屋敷に向かうことになった。列車でしばらくは一緒だが、オレは報告の必要があることが多すぎる為、少しの間桜花と離れることになる。
この旅の間はずっと一緒だっただけに、離れるとわかるとものすごく寂しい。
四人掛けの電車の席にオレと桜花、数珠坊と菊が向かい合うように座る。
安全を期して、外の車両には警護が立っているものの、この車両はオレたちの貸切状態だった。
子供たちは、外の風景を見たいとのことで窓際に座らせた。オレの隣では数珠坊が窓から身を乗り出そうとするので、その都度引き戻さなければならない。
菊も基本はおとなしく座っているものの、初めて乗る列車に興味津々のようだった。
「桜花さん、桜花さん! 見て見て、こんなに早い!」
後方にふっとんでいく木々をみながら、菊はきゃっきゃと可愛らしく笑っている。
「たく、こんなのではしゃぐなんてまだまだ子供だなぁ、菊は」
「数珠坊、乗り出して外見ながら言っても説得力ないよ。ねぇってば」
「菊ちゃんも。危ないですから、良い子で待ってましょうね?」
二人をいさめながら、列車は揺れていく。
やがて夜になり、あたりが暗くなった頃。
列車の中で、子どもたちは寝息を立てている。
四国に戻すことも考えたが、この子たちのあの様子だとまた密航だのなんだのしそうである。
うーん、どうしたもんか。
「兎さん、眠れませんか?」
と、向かいの桜花に声をかけられた。
「この子たちなら桜花が見てますから。お疲れでしょう? ゆっくり休んでください」
「いやいや、桜花だってけが人なんだから、ゆっくりしてなよ」
「あらあら、しのぶちゃんにわざと刺されるような人が何言ってるんですか」
「ごめんなさい」
一瞬で微笑が絶対零度化した桜花に、即答で謝罪する。
殻怒童子を倒して船室に戻った後、ひどくその事を怒られた。
「全くもう…本当に、心配したんですからね」
そう言って桜花は向かいに座るオレの手を取った。
「兎さん…」
「桜花…」
桜花の顔がどんどん近づいてくる。
美しい。この世のどんなことよりも。
車両は貸切、誰もオレ達を咎めない。
桜花の腰に、手を回す。
「うさ、ぎ・・・」
「桜花」
そして、二人の距離が―――
「うぅうん」
零になろうかという瞬間。突如聞こえた数珠坊の寝言に二人一緒に跳び上がった。
「・・・はれ? 兎たち、立ち上がってなにしてんの・・」
「な、なぁにも! なぁにもしてませんねぇ桜花さん!」
「そ、そうそう! そうです!し、強いて言うなら、そう、そう準備運動ですよね兎さん!」
桜花、それだとなんだかすごく隠された意図を感じる。
「ふぅん・・・そっかぁ・・」
そのまま数珠坊は二度寝の体制に入り、すぐに寝息を立て始めた。
ほっ、とオレ達は息を吐き出した。
「兎さん…」
「ん?」
しばらくして、落ち着いた様子の桜花から声をかけられる。
「…話そうと思うんです。しのぶちゃんに、あの日の事」
「…」
オレは、すぐに答えられなかった。
なんだか、言葉に詰まってしまったのだ。
「兎さんは、やっぱり嫌ですか?」
「…オレは」
わからない。
しのぶちゃんには、全てを知る権利がある、と思う一方で。
今のまま、オレが恨まれていれば、しのぶちゃんは無理をしないんじゃないのか、とも思う。
今のまま、オレを仇と思ってくれていて、それで彼女が幸せになれるなら。
それでいいんじゃないか、と。
結局その日、オレは桜花に答えることが出来なかった。
列車は揺れ続ける。
行先ははっきりしている筈なのに、なぜだかこの列車はどこにも止まらないのではないか。
そんな気がした。
大正コソコソ噂話(偽)
堕落七鬼 枯橋楽は無惨を崇拝していますが、尊敬しているのは姫になります。
例えるなら彼女の中で無惨は神であり、姫は絶対の君主になります。