いまから、もう何年前の事だろう。
私、仇散華 桜花には家族がいた。
父と母と、妹の琳(りん)。
かつて物心ついた時にはすでに母の腹は大きく、私は妹が生まれてくるのを今か今かと楽しみに待った。
実際琳が生まれた時には出産で血だらけになった母と赤子を見てしまい、大泣きしてしまったけれど。
やがて琳が生まれて、私は姉になった。
私は嬉しくて嬉しくて、ずっと妹の傍を離れなかった。
食事も、入浴も、山を降り町に出かけるのもいっしょ。
握られる小さな手の感触に心がほわほわとあたたくなるのを感じながら、私は手を握り返した。
にこにこと笑う黒い髪の妹が、私は心の底から愛おしかった。
「琳、何時までもいっしょだよ。
お前が苦しいとき、辛いとき、お姉ちゃんはすぐ助けに行くからね。」
それを聞いた幼い琳はにぱー、と笑った。
「じゃあ、桜花姉ちゃんが辛いときはね、琳がおてて握ってあげる!」
つられて私も笑った。
先に約束を破ったのは私だった。
ある日琳が高熱を出した。私たちが住んでいる山や近くの街で流行っている流行病だった。治療するためには、麓で薬を買うしかない。
私は琳の手を握りしめ、そしてわずかばかりのお金を握りしめて家を飛び出した。父と母の止める声が響いたけれど、私の耳には届かなかった。
父は琳が病気になる少し前、山で熊に襲われて足を怪我していた。
母は健康であったが視力が弱く、まだ私の方が早く薬を持って戻れると思ったのだ。
子供ながらに浅はかだったと思う。けれど、その時私は幸運だった。
山を下ってすぐの所にある村で、たまたまよく効く薬を売っている商人にであったのだ。
商人は顔にしわが刻まれた老人で、不思議な童謡を歌って子供たちを楽しませていた。
もう日が暮れていると言うのに、商人の周りには童謡を口ずさむ子供たちが集まっていた。
「ぽっくり、ぽっくり。一房落ちて、二房実る。ぽっくり、ぽっくり…」
子どもたちはそんな歌詞の歌を歌っていた。
私は商人に事情を話した。
自分は山の上に住んでいる猟師の娘。
年の離れた妹が、流行病で苦しんでいる。
貴方の薬が一番よく効く、と聞いた。
そう伝えると、商人は憐れむような顔で小さな薬を渡してきた。
「かわいそうに、お嬢ちゃん。そのお薬を持ってお家に帰りなさい。きっと病気がよくなるからね。かわいそうに、ぽっくり、ぽっくり…」
私は薬を抱えて山道を登る。日がとうに暮れてしまっていたが、それでも手に握りしめた袋の薬で、妹は治るのだと。
また、手を繋いで外を歩けるようになると、私は信じて歩き続けた。
そして、月が天上に昇るころ。
私が家に帰ると、父と母が死んでいた。
「お姉ちゃん、ごめんなさい、ごめんなさい」
私の妹は、もう人間ではなくなっていた。
両手と口から血を流し、一心不乱に親の臓腑を口に運びながら琳は泣きじゃくっていた。
ぽろぽろ、ぽろぽろ、と涙を流しながら、それでも死肉をあさる手を止めない。
瞳からあふれる透明な雫と口からこぼれる赤色の雫が、地面に落ちて混ざり合う。
「琳…?」
絶望した私から出た言葉はそれだけだった。
ここでなにがあったのか?
一体誰にやられたのか?
なぜ貴女は母の髪を口に運ぶのか?
なぜ貴女は父の着物を踏みつけにしているのか?
聞きたいことは山ほどあったけれど、私はそれしか言葉にできず。
私が薬袋を地面に落とすのと、妹が涎を垂らして私の喉元めがけて飛びかかったのと、
駆け付けた鬼殺の剣士が、私の目の前で妹の首を刎ねたのは、ほとんど同時だった。
ごろり、と転がった妹の首は、ボロボロ崩れて消えて行った。
こうして、私の家族は信じられない程あっけなく、皆死んでしまった。
「桜花? 桜花ってば」
ふわり、と花の香りがして、目を開ける。そこには天上近くに昇った月が見えた。
どうやらまたしても、全く同じ場所にて、つまり蝶屋敷の縁側にて眠りこけてしまったらしい。
「大丈夫? ひどい汗よ?」
ほら、と彼女、胡蝶カナエが心配した様子で手ぬぐいを渡してくる。
確かに、隊服の中はびっしょりと汗をかいていた。
「…ありがとう」
素直に礼を言って、手ぬぐいを受け取った。
「ふふ、どういたしまして」
どこか安心したように、カナエは微笑んだ。
そのまま私の隣に腰かける。
「どうかしたの? 怖い夢でも見た?」
「まあ、そんなところです」
「そっか」
カナエは、詮索してこなかった。彼女もきっと、その『怖い夢』に心当たりがあるのだろう。
いや、私の見た物は夢じゃない。
現実。
今夜もどこかで起こりうる、現実だ。
「ただの、悪い夢なら良かったのに」
「桜花?」
ぽつりと、言葉がこぼれた。
「鬼も、鬼狩りも、無惨も、鬼殺隊も…」
「琳も…私も。ただの、悪い夢ならよかったのに」
全部全部、悪い夢。
目が覚めれば、仇散華 桜花という女なんてどこにもいない。
現実が、せめてそうであればよかったのに。
「ほんとに、そう思う? 桜花」
その言葉に、隣のカナエに目を向けた。
とても、悲しそうな顔だった。
「死んだ人は帰ってこない。失った命は、もうもどらない。それはとっても悲しい事よ」
「けどね、桜花。だから、私は思うの。いま、ここで生きてる事はとっても意味のある事なんだって」
「意味?」
そうよ。
そう言って、カナエは目を伏せた。
「私の両親は、私としのぶの目の前で、鬼に殺された。最初は何が何だかわからなくて、悲鳴嶼さんが助けてくれるまで、ずっと震えてた。いまでも、その時の事は夢に見るし、あんな出来事、無くなっちゃえばいいのに、って思うときもあるの」
「でもね。きっとそれじゃ駄目なのよ。目を背けちゃダメ。死んだ人たちの事を覚えていられるのは今、この毎日を生きてる私たちだけだもの」
「ねぇ、桜花。貴方にとって妹ちゃんは…忘れてしまいたいものなの?記憶から、消してしまいたいようなもの?」
「…そんなわけないでしょう」
でも、思い出すだけで胸がいっぱいになる。
辛くて悲しくて、立ち上がれなくなりそうで。
「だったら、ね」
そこまで言って、カナエはくすくす、と笑いだした。
「? カナエ、笑うような話では」
「あ、ごめんね桜花。怒った? そうじゃなくて。昔の事、思い出しちゃって」
「昔?」
「うん。実はね、私も桜花みたいに、辛くて辛くて立てなくなった時があってね」
カナエはくるくる、と自らの髪を触り始めた。ほんのりと、頬が桃色に染まっている。
「そのとき、ここに座ってたらね…」
「…兎が、言ってくれたんだ…」
『じゃあ、カナエが立ち上がれるようになるまでは、オレがカナエのご両親の事を想うよ』
『え…?』
『死んでしまったら命はそれまでだ。でも、きっと気持ちは繋いでいけるから。カナエがその重さに耐えられないなら、ほんの少しだけ、オレが持つ』
『そんなの、無理よ‥。兎は父さんと母さんの事なんて』
『うん。知らない。だからさ、カナエがご両親とオレを繋ぐんだ。オレがそれを誰かに繋いで、その誰かが、また誰かに繋ぐ…、無理な事なんかじゃないよ、きっとさ』
『だってカナエは一人じゃないんだ。オレ達が一緒に居る限り、カナエの家族は消えたりしない』
「ずるいよね、あんな台詞」
期待するなって方が無理だよ。
カナエはそう言って締めくくった。
手が震える、心が震える。
きっとあの男の事だ。発した言葉に、深い意味はない。言ったことを、当たり前に真実だと思っている。
昔の私なら、きっと耳に届かなかった言葉だった。
でも今、彼の言葉を切り捨てようとすると、この間茶屋で別れた時の彼の表情と言葉が頭の中で反響してしまう。
彼は別れ際、こう言ったのだ。
『じゃあね桜花さん、また今度ね!』
いつ死んでもおかしくない私に向かって、ほほえんで、子どものように、また今度。
彼は言ってくれるだろうか。
目の前の清廉な彼女にかけたような言葉を、憎しみに染まった私にも。
言って欲しい。
私の隣で、私の想いを繋いでほしい。
彼にも。そして、隣に座る彼女にも。
「…ねぇ、桜花」
カナエが口を開いた。優しく、そして真っ直ぐとした瞳。
私は、彼女のそんな顔が好きだったのだ。
「今からするのは、内緒の話」
「私ね、兎のこと、好きだよ」
『桜花さん』
彼のほほえむ姿が、目に浮かんだ。
「桜花は、兎のこと、好き?」
私は、こくん、と頷いた。
私は彼のそんな顔もまた、好きだったのだ。
かくて思いは繋がれる。
けれどこれは過去の話、現在の私、『十二支 桜花』の見る夢だ。
夢想の中の秒針は、一刻、また一刻と時を刻んでいく。
「うーん、如何したものか」
「最近この辺りを歩いていると言う鬼狩りの女の子、どうすればきちんと食べてあげられるだろうか。なかなか見つからないんだよなぁ。俺は探知が不得意だし‥。つらくて長くこの世で生きながらえさせるなんて、かわいそうだよねぇ。早く食べて、終わりにしてあげないと」
「俺は優しいから、ほうっておけないぜ」
胡蝶カナエとの、別れの時まで。
秒針は休むことなく、刻み続ける。
大正コソコソ噂話(偽)
桜花を救った剣士は花の呼吸の剣士です。カナエとは別人。
紆余曲折あり、彼女の紹介で桜花は水の呼吸の育手の元に向かいそこから
「桜」の呼吸を身に付けました。