毎日歩き出すことが、難しいのだ。
「いいですか、桜花様。男性と言うのは腹が立つほど女性の変化には疎いものなのです」
消える鬼の討伐任務から、数週間後。
私、仇散華 桜花の屋敷には壬隊士の氷柱 霙がやって来ていた。
あの一件で手紙の書き方を教えてもらって以来、彼女はちょくちょく屋敷にやってくるようになった。数週間で出世した彼女は意気揚々とそれを私に報告しにやってきた。
どうやらひどく懐かれてしまったようだった。
そもそも、どうやって私の屋敷の場所を知ったのか、と聞くと、事の顛末を私の手紙で知ったカナエが鴉で彼女に手紙を出して屋敷の位置を教えてしまったらしい。
後に、『お館様には内緒』から始まる手紙が私の所に届いた。
『年上のお姉さんが力になってくれるって言ってくれるなんて、すごく幸運じゃない!
兎を落とす方法を教えてもらえるかもしれないわよ! もし、いい方法が見つかったら私にも教えてね』
そんな内容が書かれていて、私は随分とむず痒い気持ちになった。
どうして彼女は、自分が好いている男を好く女に対して、こんな風に助言を送ることが出来るのだろう。
最初は帰れ、と声をかけた。手紙の書き方ならもう教えてもらったし、罰はとうに済んでいるのだと。
「しかし、私はこう言いましたよね。『その恋が実るまで』罰を受け入れると」
「屁理屈です」
「そうですか? 私、これでも恋愛の達人なんですよ? きっともうすぐ結婚相手が見つかる予定なのです」
「じゃあ見つかってないんですね」
「前向きに生きさせてよ!? アンタと違ってね、私には時間ないのよ!適齢期ってことば、知ってる!?」
「頼りになりません、帰りなさい」
「…あんな手紙しか書けなかった人が、よくいえますね」
びしり、と私の身体が固まった。
この女、痛いところを。
「最初は目を疑いましたよ。まずは男性に伝えたいことを書いてください、自分の事でも結構ですよ。私そう言いましたよね」
「・・・」
「で、なんですか。あなたは自分の鬼の討伐数を書いたんでしたっけ? しかもどんなふうに首を刎ねた、とか、どんな被害状況だった、とか。あれは恋文ではありません。『報告書』です」
「だ、だからちゃんとあなたに指導を」
「三日かかりましたけどね」
彼女はこんな風に、物事をばっさり切る。非常にさばさばした性格の人だ。
「…まぁ、とりあえず上がってください」
これ以上傷口を抉られてはたまらないと、私は彼女を屋敷に招き入れた。
そして冒頭の話に戻る。
彼女は屋敷でお茶を飲むなり、唐突にそんなことを言い出した。
「はぁ…」
「些細な変化を気に留めてくれる男と言うのは少数派です。さらにその少数派の中の大半が『褒めれば怒られないから、好感度が上がるから』という、まぁ一種の下心をもって言葉を繋いでいることも多々あります」
「相手がそういう下心をもった人間なのかどうか、それを見極めるのも大切なことなのです。もちろん、桜花様ご自身の好みもあるのでしょうが」
「霙さん、あなた何か嫌な思い出でもあるんですか?」
「開けちゃいけない記憶もあります」
段々と目が据わっていく彼女は、そう返した。
据わったままの目で、霙さんは続けた。
「何が言いたいかと言うとですね、桜花様。変化を褒めてくれる男性は確かに素敵ですが、現実そこに期待をし過ぎると何も始まらないまま終わってしまう事だってあると言う事です。攻めです。とにかく、攻めるのです」
しゅっ、しゅっと空を殴る動作をしながら彼女は言う。
「変化を付けるなら大胆に。好意を伝えるならはっきりと。これが必勝法です。私はこの戦法を駆使し、今迄様々な戦いを潜り抜けてまいりました」
いまいち説得力がないのは、どうしてだろうか。
しかし、私はこういった話には疎く、霙さんにくらべれば経験も浅い。実際、手紙も彼女の適格な助言がなければ惨憺たる有様だった。
一見なんの説得力もなくとも、彼女の言を信じるべきなのだろうか。
「そして、それを実践するための第一歩としましてですね」
彼女の据わった目が、きらり、と輝いた。
「桜花様、その男性にもう一度手紙を出してください。『二人きりで会いたい』と」
私の手から湯呑が落ちた。
「えへへ、えへへへへへへ」
それから数日後、蝶屋敷にて。
顔から全ての表情筋が抜け落ちて、ぐでー、っと机に顔を乗せる男がいた。
久々登場、十二支 兎である。
十二種もの呼吸法から成り立つ異能の呼吸法、『十二の呼吸』を使いこなす最強の柱、『業柱』。この日は、入院中で任務の補佐に当たった隊士の見舞いに来ていたのだが、途中で鎹鴉から何らかの手紙を受け取ってから、顔中の筋肉がどこかに飛んで行ってしまったようだった。
さらにはさっきから幸福感に満ちた笑い声―――本人はそう思っている―――を発し続けるので蝶屋敷の誰もが、気味が悪いと彼を遠巻きに眺めるのみ。
しかし、あまりにも不審な状態に耐えきれなくなったのか。
ついに一人の少女が彼の隣にすわって口火を切った。
「えーっと…。兎兄さん?」
恐る恐る、といった様子で少女、『胡蝶しのぶ』が声をかける。
「んー? なぁにー、しのぶちゃーん、うふふ」
「兎兄さん、その、何かあったんですか?なんというか、顔がだらしないというか、顔が溶けてますけど…」
「えー、そっかなー?全然いつも通りだよー、ねぇってばー」
絶対何かあった。
胡蝶しのぶは確信した。さっき鎹鴉から受け取ったと言う手紙。あれが原因で自らの尊敬する男はこんなにも面白くなってしまったのだと。
本来なら、彼がおかしくなってしまった時に支えるのは自らの姉たるカナエの役目だ。
しかし、姉は今日柱としての任務で席を外している。
ここはしっかり、自らが姉の代わりにならなくては。
「兎兄さん、さっき手紙貰ってましたよね。あれ、見せてもらってもいいですか?」
「んー、手紙ぃ? うふふふ。そうだ、しのぶちゃんも相談に乗ってよー」
そう言って兎はごそごそと懐をまさぐり手紙を取り出した。しのぶはそれを受けとり、恐る恐る目を通す。
『十二支 兎様へ』
『暑い日が続いておりますが、いかがお過ごしでしょうか。私、仇散華 桜花は今、柱の任務を一通り終わらせて、藤の家で小休止を取っております。すこし、気持ちが緩んでいるのかも。気の緩みは桜柱の名を預かる者として褒められたことではありませんが、貴方の前だと、私は唯の仇散華 桜花になってしまいます。
思えば何時もそうでした。
貴方は私を『桜柱』としてではなく、『桜花』として見てくれましたね。
私は今更ながら、貴方にきちんと『お礼』をしていなかった事に気が付きました。
勝手な女とお思いかもしれませんが、私はもう、この気持ちを抑えることが出来そうにありません。
一月後、どこかで会えませんか?
貴方と二人で『お話』したいです』
『仇散華 桜花より』
『追伸:来られるときは必ずおひとりでお願いします』
しのぶは思わず手紙を取り落した。
兎はとろけきって半分液体のような表情だが、喜色満面なのが伝わって来る。
「えへへ、嬉しいなぁ。桜花さんが会いたいだって。しのぶちゃん、なにかお土産持って行った方がいいよねぇ?」
呑気にそんなことを言う兄替わりだが、しかししのぶはこの手紙の真意に気が付いてしまった。
この丁寧なようでいて、所々弱さを匂わせる文面。
文章の内容。
そして追伸の『一人で来て欲しい』という文章。
これはとどのつまり。
(は、果たし状っ!?)
間違いない。
『桜柱』は女でありながら、柱の中でももっとも容赦がない事で有名だ。それは鬼だけでなく、人間に対しても同様だと。
彼女に迂闊に近づけば、鬼諸共斬り殺される、などという噂まである。
姉のカナエだけは例外で彼女と仲良く出来ているようだったが、その後兎も仲良くなっていったのには、正直驚いていた。
だが何のことはない。
仇散華 桜花は兎のその態度が気に入らなかったのだ。
一向に自分を柱の先達として尊敬しなかったことに、徐々に徐々に不満を募らせていったのだろう。
そして、遂にそれが爆発した。
彼女は誰にも邪魔されず、十二支 兎を始末する気だ。
もちろん、隊員同士、しかも柱同士の殺し合いなどご法度もご法度。
どちらが勝っても誰も幸せにならない。
「さってとー、オレとしては何時でもいんだけどなぁー。うふふ、早く返事しないと」
「だ、駄目よ! 兎兄さん! 行っちゃだめ!」
「へ?」
大慌てで止めようとするしのぶに、兎はぽかんと口を開ける。
「へ? だめなの? ねぇってば。なんで?」
「な、なんでって、それは」
兎は桜花の事になると途端に馬鹿になる。
しのぶは兎の気持ちが桜花に向いているのは知っている。その所為で、カナエが辛い思いをかみ殺しているのを。
けれども、桜花が彼をどう思っているかはわからない。わからないが、この手紙を見る限り、好感を持っていないのは明らかだった。
でも、行くなと言うのか?
想い人から手紙が来て、こんなにも有頂天な兎に?
十二支 兎は胡蝶しのぶにとって特別な人だ。
そこに男女の想いは無いけれど、それでも姉を同期としてずっと支えてくれて、悪夢にうなされる自分の手を取ってくれた彼はもう、しのぶにとって兄のようなものだった。
そのうち彼には『冨岡 義勇』という無口な弟分ができてしまい、なんだか横取りされたようでしのぶは随分とやきもきしたものだ。しかも冨岡は自分よりも先に柱になって姉たちと肩を並べている。
そのくせ冨岡は全く嬉しそうにしないものだから、ついついしのぶも突っかかってしまう。困ったように二人を諌める兎は、まさしく兄のようで…。
その兄が、このままでは仲間の凶刃に倒れてしまうかもしれない。
でも行くななんて行ったら、この手紙の真相を知れば、兎はきっと傷つく。
それにいくら傷つけたくないからとはいえ、姉の思い人を別の女性のところに行かせるなんて…。
ああ…ああ!
駄目だ、決断できない。決断…。
ぷるぷると震えるしのぶに兎は「なんで? ねぇってば、なんで?」と問い掛けつづけた。
手紙を出してから、一月後。
私、仇散華 桜花は町にかかる大きな橋の上で、十二支 兎を待っていた。
今日はあでやかな桃色の着物に加え、さらに霙監修のもと、『男性受けする化粧』を顔にうすく施された。
こういったことを今までほとんどしたことが無かったので、私は酷く落ち着かない気持ちになった。先ほどから、ちらちらと見られているような気もする。不自然なのだろうか。
ちらり、と左に視線をを向けると、そこには川沿いに生えた松の木の影に隠れる霙の姿があった。付いてこなくていい、といったのに。
『あくまで護衛としてですから』
そういった彼女の顔は、完全に野次馬根性に憑りつかれていた。
霙が松の木からちらり、と意味ありげな視線を送ってくる。
そろそろ『確認』の時間と言う事か。
はぁ、と溜息をついて懐から手鏡を取り出した。定期的に化粧が崩れていないか確認するように言われている。
(そろそろ、約束の刻限ですね‥)
鏡をしまいながら、そう思った時だった。
「お、桜花さぁーん!!」
大声が聞こえ、走ってくる人影。白い髪に、白色の羽織。そしてあの赤色の瞳。間違いない。十二支 兎だ。間違えようはずもない。
しかし、声を聴くだけで鼓動が早まってしまうとは。自覚するだけで、こうも違うものなのだろうか。
十二支 兎は、息をきらしながら私の前まで駆け寄ってくる。
「…業柱。なにもそんなに急ぐことはないでしょう?」
しまった、すこしそっけない言い方になってしまった。
「えっと、ごめんね。桜花さんの姿が見えたから、早く会いたくてさ」
気が急いちゃった。そう語る彼の困ったような笑顔に、心臓を鷲掴みにされる。
「ま、まったく。子供じゃないんですから‥。それで、今日あなただけをお呼びしたのはですね‥」
二人きり、ということをまずは意識させる。これも霙の助言だった。
そうすれば相手は少なからず異性を意識しやすくなるとも。
「えーっと、その‥桜花さん。その事なんだけど実は…」
「あっ! もう、いきなり走らないでって言ったでしょう!?」
十二支 兎の後ろから声がした。
その声の主に目を向けると、向こうから橋を渡って来る一人の少女。
眉間にしわを寄せ、怒ったような顔をしているが、女の私から見てもかなりの美人だ。
薄紫の髪色に、蝶の髪飾は、恋敵で友人である彼女を彷彿とさせた。
彼女は「ごめんごめん」と謝る十二支 兎の隣で立ち止まる。
距離が近い。
少女はきっ、と私を見て言った。
「申しおくれました! 私は『胡蝶 しのぶ』!こちらの十二支 兎様の『護衛』として、『護衛』として!! 本日同行させていただきます!」
「よろしくお願いします!」 という彼女の言葉を聞いて、私の思考は固まってしまったのだった。
これが、私、仇散華 桜花と胡蝶しのぶ。
初めての出会いだった。
大正コソコソ噂話(偽)
最初にかかれた桜花から兎への手紙(霙さん検閲前)。
『業柱へ。お疲れ様です。
今日は鬼を五体討伐しました。
首が簡単に斬れたこともあり、人的被害は最小に留まっています。
なお、現在上弦に関する情報は無し。
以上』
「これを恋文として出すつもりだったんですか、桜花様」