止められなかった。
誰にも聞かれたくなかったし、君に聞いて欲しかった。
あの日以来、私は任務の時以外はカナエや兎さんと共に過ごすようになった。
今まで、鬼を狩らず休息をとろうなどとは考えたことも無かったが、今はむしろ、生きてその時間を迎えたいと願うようにもなった。
怪我をしたわけでもないけれど蝶屋敷に足を運び、任務の合間には二人と手紙のやり取りをした。
たわいもない話で笑い、任務を共にして。
いつの間にか私は、鬼狩りから人間になっていた。
共に天の川をみた。
秋には紅葉を眺めて、冬には共に子供たちの作った雪うさぎを眺めた。
春になっても、私は彼女と笑い、彼の背中を目で追った。
だから私は、私たちは忘れていたのかもしれない。
幸せが壊れるときには、涙と血の味がする。
ある夜の事だった。
私と兎さんは、蝶屋敷で一晩泊めてもらっていた。
しのぶちゃんと、霙さんも一緒に食事を囲んで大騒ぎ。
とくにしのぶちゃんと霙さんは例の茶屋横転事件から何か月もたつと言うのにいまだに言い争いをする。
しのぶちゃんが兎さんを褒めると、負けじとばかりに霙さんが私を褒める。互いに熱が上がって、
終いには大乱闘に発展したりもする。
カナエはそれを見て、心底楽しそうに笑っていた。
そして、皆が寝静まった夜。私は与えられた寝台から、ゆっくりと起き上がった。
「…眠れない」
月の光が眩しいからだろうか。なんだか私は眼が冴えて眠れなかった。
「…台所で、お水をいただきましょうか」
誰に聞こえるわけでもないのに、口に出して私は借り受けた部屋を出た。
部屋を出てしばらく歩くと蝶屋敷の縁側にたどり着いた。
台所に行くには、私の部屋からはここを通るしかない。
歩きながら、自分の想いに気が付いた夜の事を想いだす。
自分と同じように真っ赤になりながら、自分と同じ思いを語った彼女の事を。
「カナエ‥」
「呼んだ?」
「ひゃあ!?」
突然耳元で声をかけられ、私は普段出さないような声を出して飛び上がった。
うふふ、と笑うカナエを私は恨みがましく睨みつける。
「…声をかけるなら、合図くらいしてくれませんか?」
「ごめんごめん、つい、ね」
悪戯っぽく笑う彼女の笑顔に、毒気を抜かれてしまう。
「でも、桜花は変わったわねぇ。昔なら反応もしてくれなかったのに」
カナエはそう言って嬉しそうに笑った。
「覚えてる? 貴女が柱になった時、私になんて言ったか」
「‥‥えっと」
「ふふ、自己紹介したのに、なぁんにも返事してくれなかったのよ?」
そうだっただろうか。
いや、そうだったのだろう。あの時私は、1つの事しか考えていなかった。
鬼なら殺す。鬼を殺す。
それだけだ。琳が死んでからの私の人生の理由は、それだけだった。
「…ねぇ桜花、今、ちょっとだけ時間貰えるかしら?」
そう言って彼女は縁側に腰掛けた。
誘われるままに、私も隣に座った。
「月が綺麗ね」
輝く満月を見上げながら、カナエが呟いた。私は何も言わず、月を見る。
私たちの心を見透かすように、月光は輝いていた。
「ね、桜花。最近兎、また可愛くなったと思わない?」
「あの人が可愛いのは変わってませんよ。カッコよくなろうとはしてますけど、なんと言いますか、子犬が頑張って吠えてる感がありますからね」
「ああ、わかるわぁ。子犬だわ、兎だけど」
「力は猟犬並ですが」
「そうねぇ」
十二支 兎は『最強』である。
どんな鬼が現れても、どんな困難が目の前に立ちはだかったとしても。
怯えながら、叫びながら。
それでも、最後に必ず勝つ。
そういう人だ。
きっと周りはそう思うのだろう。
「まぁ、そんなこと、関係ないんでしょうけどね」
「そうよね。強いとか弱いとか、そんなの全然関係ないわよね」
そうだ、関係ない。
強かろうが弱かろうが、そんなのは関係ない。
私が、私たちが彼を好きになったのは、もっと別の部分なのだから。
十二支 兎は一度だけ私に怒鳴ったことがある。
ある鬼が現れた山付近では、通りかかった人々が何人も惨殺され、鬼狩りに向かった隊士たちが何人も犠牲となった。
鬼が下弦の弐であることが特定され、山には私と兎さんが送り込まれた。
結果は私が鬼の頸を斬って、討伐に成功した。
だが、その下弦はしぶとくも中々消滅しなかった。
体が崩壊しなかったわけではない。
ゆっくりとだが確実に、鬼は風に還ろうとしていた。
それでも叫びながら必死に崩壊に抗っていた。
私は、それがたまらなく憎らしかった。
琳が、むりやり鬼にされて家族を泣きながら殺した琳が、私となにも話ができなかったのに。
1つも救われなかったのに。
何人もの人間を殺した、この悪鬼が卑しくも偽物の命にしがみつく。
お前たちに、生きる資格なんてない。
私はさっさと消してしまうと、刀を振り上げた。
『やめろ! 桜花さん!』
私の刃は、彼の刃に受け止められた。
私は怒りのあまり叫んだ。
何故邪魔をする、私は鬼を殺すと。
『駄目だ! それは駄目だ! それだけは駄目なんだ!!』
結局、鬼は生にしがみつきながらも、消滅して消えた。
けれど私の溜飲は下がらずに、彼の胸倉をつかんで、木の幹に叩きつけた。
私が殺す、鬼を殺す。そう叫んだ。怒りで目の前が真っ赤になっていた。
『桜花さん』
木に叩きつけられたまま、彼は言った。
『鬼は、人を喰う。何の罪もない人たちの人生を奪って、壊して、めちゃくちゃにする。
それを嗤う鬼がいる。それを愉しむ鬼がいる。オレはそれが許せない』
『けど、オレは思うんだよ、桜花さん』
『その鬼たちにだって、元は家族がいたのかもしれない。普通に飯を食って、普通に恋をして、普通に赤子を抱いて。母親だったかもしれない。父親だったかもしれない』
『返り血が何時もオレに言うんだ。お前が殺した、お前は人殺しだって』
『わかってる、わかってるよ。嫌で嫌でしょうがないよ。でもやらなきゃ。弱くても怖くてもオレがやらなきゃ。じゃないともっとたくさんの人が死ぬ』
『でも、それでも』
『人でありたいんだ。オレは人でありたいし』
『仲間の誰にも、鬼になってほしくない』
その時は、言葉の意味が解らなかった。
ただ、怒りで頭がいっぱいで。
けれど彼と時を重ねるうちに、わかってきた。
十二支 兎は、人の強さにも、鬼の弱さにも寄り添える、それだけの力と才を、望まぬまま持ってしまった人なのだと。
震える手で、震える足で。
それでも、屍に背を向けられなかったのだと。
前は気持ちに、後ろは才能にふさがれた。
この人に、報われて欲しいと思った。
「ねぇ、桜花」
カナエが声をかけてきた。今まで一番、真剣な声色だった。
「なんですか、カナエ」
「兎の事、好き?」
前と同じ質問だった。
私は首を縦に振って、以前は答えた。
「愛しています。 心から」
でも、今ははっきり言えた。
私のこの気持ちは、恋なのだと。
「そっか」
カナエはそれを聞いて笑って目を伏せた。
「私もよ。愛してる、心から」
「はい…」
「兎は、どうなのかなぁ」
「なかなか、怖くて聞けませんね」
拒絶されたらどうしよう、とか。
今の関係が壊れたら、とか。
そんな簡単な話じゃない。
私たちは、明日生きている保証なんてないのだから。
「ねぇ、桜花」
「なんですか?」
「1つだけ、約束してくれない?」
「約束、ですか?」
そう、約束。
そう言って、カナエは私にその約束の内容を語った。
「兎がどちらを選んでも」
「どちらも選ばなかったとしても」
「私たちの誰かが、未来でかけたとしても」
「絶対に、幸せになる事を諦めないって」
私は答えられなかった。
私を見つめるカナエが、あまりに美しかったからだ。
可憐で、淑やかで。自分なんかとは全然違って。
風が吹けば散ってしまう『花』のようで。
気が付けば私は、手を伸ばして彼女の手を握っていた。
「…桜花?」
不思議そうに、彼女はこちらを見た。
すこしだけ、驚いているようだった。
それでも私が心配しているのが震える手から伝わったのか、ややあってにっこりとほほ笑んだ。
「なんですか、その約束」
「桜花」
「答えられません、そんなの・・」
「やぁね、桜花ったら。唯の約束、『もしも』の話なんだから。心配してくれてるの?」
嘘だ。
今彼女を止めないと、どこか遠くに行ってしまいそうだった。
「桜花?」
手を離しては駄目。
あの日私が家に残っていれば鬼は警戒して入ってこなかったかもしれない。
あの日私が勝手に家から出なければ父か母は助かったかもしれない。
あの日、私が琳の手を離さなかったら。
「桜花」
ふわりと、花の香りがした。
カナエの綺麗な手が、握った手とは反対の方向から私の頬の添えられた。
「桜花は優しいわね」
唐突に、そんなことを言われた。
「もし、すぐに答えられないなら、いつか、答えを聞かせてね?」
その時までは、とりあえず大丈夫って事ね!やった!
空気を変えるようにカナエはそう言ってニコニコと笑った。
余りの雰囲気の落差に、おもわず気が抜けてしまう。
するり、と彼女の手が、私の手を離れていることに、私は気が付かなかった。
私はまた、手を離してしまった。
胡蝶カナエは、桜花と話した後、蝶屋敷を歩いていた。
ちょっと残酷なことを言ったかもしれない、と思った。
出会ったころの桜花は、自らが保護した少女とよく似ていた。
幸せになりたくない訳じゃない。
幸せが何かわかっていないから、明日の自分を想像できないから。
だから、自分の為に自分の事を考えられない。
でも、彼女は変わった。彼のおかげで。
そして、彼もまた彼女に救われた。
それは彼に甘えるだけだった自分には、できないことだった。
カナエはその夜、家族一人一人の部屋を回った。
妹のしのぶは自らの部屋の調合用の小机に、身体を預けるようにして眠っていた。
(もう、また遅くまで)
頑張りすぎる妹に、毛布を掛けた。
もう一人の妹、カナヲは部屋の布団でぐっすりと眠っている。枕元には硬貨が置かれていた。
自分が彼女に贈ったものだった。
(カナヲ、大丈夫。あなたにだって心がある。今は少し、つかれているだけ。
大丈夫よ、貴女は可愛いから)
患者たちは、薬のおかげで痛みを忘れて眠っている。
(みんな、頑張ってね。私も頑張るから)
なほ、すみ、きよ。
彼女たちは一緒に部屋で、仲良く眠っていた。
(みんな、ありがとう。貴方達が助けた命が沢山あるの。誇らしいわ、とっても)
氷柱 霙は客間を借りて寝ていた。
大の字で眠るその姿に、思わず笑ってしまう。
(あなたみたいに一生懸命な人なら、きっと桜花を守ってくれますよね)
そして、最後の部屋にたどり着いた。
そこは何の変哲もない客間。
襖をあけると、そこには彼が眠っていた。
布団に入って、すやすやと寝息を立てている。
兎の毛並みのような白髪が、すきま風でさらさらと揺れた。
(…兎)
最終選別の時、心が折れそうな時支えてくれた。
『大丈夫だよ。オレと君で互いに守りあってる間は大丈夫』
自分の夢を聞いた時、正直に答えてくれたし、笑わなかった。
『うーん、かなり難しい事だよね。カナエは凄いなぁ。難しい夢でも、諦めずに前を向けるんだね。え?笑う? なんでだよ、すごく優しい目標なのに。最高だよな、鬼と人間が仲良くできる世界』
しのぶの怪談話。本気で怖がってたっけ。
『アア――ッ!! やめてぇよしてぇ!? 来るんだよォ、壺から妖怪が来るんだよォ! やめてぇオレを掛け軸の裏から出さないでぇ! オレは神様です、掛け軸の神様ですゥ!!』
他の隊士が自分の夢を笑った時、代わりに怒ってくれた。
『今言った奴、前に出て。…何笑ってんだよ。何馬鹿にしてんだよ。カナエがどれだけ勇気を出してその夢を追いかけてると思ってるんだよ。馬鹿にするなよ、オレの友達を馬鹿にするな』
気が付くとカナエの顔は、眠っている彼の顔の目の前にあった。
(え…?)
自分で自分の行動に困惑する。
彼の吐息が顔にかかるほど近い。
もう少しで、唇が触れ合えるほどに、近い。
(駄目よ、駄目。やめて、止まって)
顔がどんどん近づいて行く。唇が、どんどん近づいて行く。
止めなければならない。
こんなのおかしい。
必死に自分に言い聞かせて、それでも身体が止まらない。
(駄目、駄目だってば! 止まって、私の身体でしょう!?)
(こんなの裏切りよ、桜花を裏切ってる)
(兎だって、こんなの絶対望んで無い!)
(応援するって決めたじゃない! 二人の幸せを見届けるって決めたじゃない!)
もう、ほとんど触れているような距離まで来た。
心臓が早鐘のように脈打つ。呼吸を酷使しても、こんなふうになったことはない。
(ああ、駄目、駄目、駄目駄目駄目駄目、もう―――)
そして、二人の唇が―――――。
カナエは呆然自失としたまま自分の部屋に戻った。
部屋の真ん中までいくと、そこにぺたりと腰をついて座り込む。
近くに敷かれた布団から、枕を手にとり、それに顔をうずめた。
こうすれば声は聞こえない。
今、流れるこの涙の味も、きっと兎までは届かない。
カナエは枕に口を付けたまま、決壊した心のままに言葉を繋いだ。
「ごめん、ごめんなさい、ごめんなさい!」
「悪いのは私なの、私が一番悪かったの!」
「痛いの! 痛い! 胸が痛くて痛くてたまらないの!」
「痛いよ兎。すごく痛い。痛いの…」
「ずっと一緒に居てよ、私の隣に来てよ、私泣いてるのよ、貴方を想ってこんなに泣いてるの。なんで私じゃだめなの?なんで? なんで・・・。私、あなたの隣に行きたいよ…」
「桜花、ごめんね、こんなの友達じゃないわよね、ごめんね…」
「桜花がもっと嫌な子だったらよかったのに、私、貴女の事も大好き。信じてもらえないかもしれないけど、そんな資格も私にはないけど‥」
「兎、ごめんね。私は兎にあんなにたくさんのもの貰ったのに。私は‥何もあげられないわ。だから…兎がホントに好きになった人なら、応援しようって、諦めようって、そう、そう決めたのに…」
「兎、ごめんなさい…。大好き」
カナエの声は、彼女の望み通り、あるいは望まぬ通り。
その夜、誰にも届かなかった。
そして数日後。
運命の、夜が来る。
令和コソコソ噂話
僭越ながら言わせてください。
私はこの話を書きながら泣きました。
気持ちを落ち着かせようと思って、今週のジャンプを開きました。
炭治郎たちがいません。泣きました。