2022年総評が完成しました。(2025/02/23)

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大賞:ソードアート・オンライン


2022年度 クソゲーオブザイヤー 総評

2022年のKOTYノミネート作品たちは、いずれも負けず劣らずの精鋭であった。

 

ARゲームの先駆けとして発生したものの広い場所がなければ遊べない、またイベント時間が都心の昼間のみに集中しており人が集まらない、「そもそもこれをやるくらいであれば普通に現実でやればいい」と称された、豪華な「対戦チンチロリン」と称された「ARテコンダー爆」。

 

あまりにも御粗末な物理演算挙動により腕がバグってあらぬ方向を向いた感覚がフィートバックされる「怪盗ヘルスカーレット・塵」(通称怪人)など、新時代の技術を無駄遣いしたクソゲーたちが跳梁跋扈していた。

 

 

だが、これらの怪物たちも、「かつてないベクトルのクソゲー」によって蹂躙された。

 

そう。年末の魔物、2022年11月発売の『ソードアート・オンライン』である。

本作は世界初の完全VRゲームとして、世界的にも話題を巻き起こした話題作であり、『これはゲームであっても遊びではない』と開発ディレクターの茅場明彦が述べた言葉は、前年度の流行語大賞さえ受賞した。

 

 

だが本作は『これはゲームであっても遊びではない』との言説通りに…… 人類史上初のデスゲームと化してしまったのである。

 

今までにも、まともに遊べないゲームというのはいくつもあった。「戦極姫~戦乱に舞う乙女達~」、「機動戦士ガンダム バトルフォートレス」、「テトリス アルティメット」。だが、遊ぶことしかできないゲームは、未だ嘗て存在しなかったのである。

 

KOTY版は荒れた。「人死にが出ているのに不謹慎だ」という言説もあったが、それ以上に問題だったのは、「検証ができない」ことだった。

 

 

クソゲーがクソゲーであるには、「二度とこんなものやるか」と投げ出したくなる無情性や、「これを買うべきではなかった」という後悔を与えてくれるものである必要がある。「二年間も現実に戻れない」「うっかりしたら死ぬ可能性がある」「現実に戻ってきたらきたでリハビリが必要・人間関係は構築しなおし・二年間で親戚が死んでいることさえある」とはいえ、それを凌駕するゲームとしての完成度があれば、「これをプレイしてよかった」という感想さえ生み出せれば、それはクソゲーではないと言わざるを得ない。

 

だが、SAO帰還者(サバイバー)のスレ住民によって、その杞憂は杞憂で終わった。

このゲームは、間違いなく史上最低のゲームであり、史上最高峰のクソゲーであったのだ。

 

まずは本作の良いところから述べよう。美麗なグラフィックは現行機種アミュスフィアのものさえ大幅に上回り、遠距離攻撃を極力廃した英断ともされる戦闘システムは極めて完成度が高い。様々な趣向を凝らされたクエストや深い世界観は、ゲームとして、遊びとしては極めて優秀なものと言えただろう。

 

だが、本作の問題点はそこではなかった。

 

本作の一番の問題点である「デスゲーム」であることについては語りつくされているので省略するとして、まずは「食事がまずい」ことが問題であった。時代考証の結果中世ヨーロッパの食事を再現した……というような「計算されたまずさ」ではなく、単純に味覚エンジンが非常に杜撰である。なんと味覚のパラメータが「甘味、酸味、塩味、苦味、うま味・辛味」しか存在しない。

人間の味覚は五基本味のみで成立するものではなく、見た目や匂い、食感との相乗効果で成立するものである。また、渋みやコク、メントールなどの冷たい刺激もまた別枠で存在している。そのようなことは、ナーヴギア以前のVRゲームですら十分に理解していた。

だが、ソードアート・オンラインはゲームであっても遊びではない。なのでそんな娯楽は必要ないと考えたようだ。

料理一種類につき見た目はひとつ。どんな味のパンであっても丸い硬いパンになる。しかも種類数は50にも満たない。香りも一応機能はしているが、これも極めて単調、かつ雑なものである。

人間の味覚は複雑なものであり、確かに再現は難しいものである。が、ここまでの再現度合いの低さは、逆に再現が難しいものであった。

そして、なおかつリアル志向のためか「腹減り」のパラメータが存在するのが問題であった。

人間は不味いものを食べてモチベーションを保てない。それが極限状態ならなおのこと。そこで出されるのが味のないパン。レベルを上げ、お金を稼げばもっといいものが食べられる。脳が理解を拒む虚無的な味のラーメンなど。

まともに食べられるものもないではないが、「Sランク食材」としてレアアイテム扱いになっている。食べれば確かにうまい、が、現実世界における同等の食べ物のほうが間違いなく美味、それどころか現行VRゲームの代表格「アルヴヘイム・オンライン」や「アスカ・エンパイア」の平均的な食べ物のほうが間違いなくマシなほどである。

しかもこのソードアート・オンラインは、それ以外の食事を禁止する。ほかのゲームのように、「現実の食事を食べる」ことができないのだ。

 

 

そもそも肝心の戦闘システムにも問題があった。

 

確かに多種多様なソードスキルによる戦略性や、「自らがファンタジー世界で戦う」ことによる没入感そのものは極めて評価出来る。

遊びとしての面白さは、未だかつてないほどの高さを誇るだろう。

 

だが、これはゲームであって、遊びではない。

プレイヤーは現実世界への帰還のために、また、生存率を上げるために、あるいは明日の食事や宿を手に入れるために、延々と戦う必要を有した。それを前提としたゲームシステムはダンジョン1回につき3時間以上の拘束を必要とし、永遠に続くレベリングを強要されたのだ。

 

端的に言うと、「プレイ時間が長すぎて飽きる」というのがこのゲームの問題点だった。

「人生ゲーム ハッピーファミリー ご当地ネタ増量仕上げ」や「古き良き時代の冒険譚」をプレイしてきたKOTYスレ住民なら、「ゲームに虚無感を感じる」ことの恐怖は身にしみてわかっているだろう。

あれらのゲーム、いや、ゲー無たちは、ただひたすらに内容がないが故に虚無であった。だが、このゲームは、ゲームクリアまでにひとりも遊び尽くせていないほどの充実した内容を誇りながら、同時に虚無であったのだ。

 

また、キャラクターモーションも単調であった。キャラクター数は多いものの、ほぼすべての小型モンスターがプレイヤー用の動きを使いまわされており、基本的に対処法は一定。ボス敵は凝ったモーションを持っていることも多いが、そもそも雑魚戦がほとんどを占めるこのゲームにおいて、正直単調と言わざるを得なかった。

 

また、「戦うだけでないVRゲーム」を標榜し、釣りや料理、鍛治などの存在があるとされていたが、実際は全てミニゲームであり、基本的にそれ単体で楽しめる水準にはなっていない。

かつて一斉を風靡した「モンスターハンター」(初代では肉を狩って料理しても良い、釣りをしても良い。君だけのハンターライフを謳歌しよう!と謳われていたが実際は全て低水準のミニゲームに過ぎない純正ハンティングゲームであった)のように、それそのものは問題ではなかった。だが、ここにも前述の問題が立ち塞がった。

低水準のミニゲームでは、長期間の娯楽にはならない。

長期間の娯楽にならないのに、数年間の時間を拘束される。

娯楽がないので、レベリングをするしかない。

 

 

つまりこのゲームの最大の問題点は、「デスゲームであること」ではなく、「ゲームを終えられないこと」であったのだ。

いくら楽しいゲームだとしても、999時間、カンストするまで遊び続けるのはとても難しい。しかしこのゲームは全てのプレイヤーに、およそ20000時間の継続プレイを強要したのだ。

 

そもそも買う必要がない「ARテコンダー爆」や「怪盗ヘルスカーレット・塵」は、遊ばないことができるからまだマシだったとすら思える苦行であった。

 

ゲームは自分の意志で遊ぶから面白い。ゲームをすることを強要されれば、ゲームに拘束されれば、それが仕事になってしまう。

 

最後に、見事大賞を勝ち取った「ソードアート・オンライン」とその開発者茅場明彦に対し、ゲームへの正しい関わり方についてを、かの高橋名人の言葉にあやかって伝え締めくくりとする。

 

 

『ゲームは1日1時間で終えさせてください。』

 

 

(2025/2/23)

 

 

 

 




本家KOTYの文章力がありすぎて困る。


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