戦場黙示録 カイジ 〜 ザ・グレート・ウォー 〜   作:リースリット・ノエル

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第17話 ターニャと砲兵Ⅱ

さぁ、諸君!今日は、大砲と歴史のお勉強だ!

 

まずは追って説明せねばならないな。

よく聞いておくんだぞ?

 

「まず75ミリは、砲架が単脚式であるため、水平射角は左右3°ずつしかとれません。仰角も18°程度しか取れません。」

 

簡単に言えば、仰俯角(水平を基準とした上下方向の角度)が浅いのだ。

 

この時代の野砲全般に言える事だが、射角(撃ち出した砲弾の射線と水平線とのなす角。砲身の角度。)が限られ、砲自体の旋回範囲も狭く射撃の自由度に大きな制約がある。

 

直接照準だけなら、まだしも間接射撃を含めると射角の浅さは致命的な問題になる。

 

「その点から言いますと、間接照準が必要となる長射程射撃は難しいと判断します。」

 

まぁ、適切な表現かわからないが「視野が狭い」大砲というべきかな。

 

現代の野砲のように砲身を大仰角で調整でき、旋回半径が広いものではなかった。

 

そのため75ミリ野砲は、設計思想からして前時代的である。

 

この面は技術的な問題もあるが、なにより古くから定着している砲兵戦術が起因している。

 

今でも火力主義を標榜する共和国、帝国共に根強くある概念の一つだ。

 

それは砲兵による「集中近距離射撃」だ。

内容は、「想定されている距離より更に近い距離で射撃する」という形。そのままだ。

 

まぁ、男の浪漫を感じさせる戦術が現実としてあったわけだ。

 

男ならば少々、心を熱く くすぐられると感じた諸君の心情には理解はするが……オススメは出来ないものだ。

 

何故なら高確率で死ぬからだ。

 

射程が短い上、命中率が低い、装填にも時間がかかるマスケット銃が相手ならまだしもだ。

 

品質が向上し、大量生産されたライフリング加工済み歩兵銃の射程が届く距離から撃ち合うのだからな。

 

ライフルより口径も射程も威力も段違いの大砲がだぞ。

 

生死を測る命の天秤は、間違いなく死に傾くのは確実である。

 

だが19世紀後半までは、砲兵は最前線で戦うライフル兵と肩を並べて戦う事が多く、ほぼ水平に等しい角度から直接照準で迎え撃つ事が主流だった。

 

その点を考えれば、調整出来る角度の範囲は狭くてもよかったというわけだ。

 

だから砲兵支援の実態は比して異なるもの。

持ち前のアドバンテージを活かせる遠距離からの砲撃は、野戦においては少なかったのだ。

 

実際は、損害を覚悟して至近距離から直接射撃するという形だ。

 

まさに長射程をウリにする砲兵のメリットを見事に潰す戦術が取られている。

 

それらの点を踏まえると野戦砲兵は、今のように前線部隊の後方から、しっかりとした射撃陣地で火力支援する存在ではなかった…という事になる。

 

その砲兵のイメージは意外と最近出来たもので、定着するには多くの犠牲を引き換えにした戦訓と研究を重ねなければならない。

 

かつての前世世界でもそうだった。

 

何故か?

 

当時の野砲で使われた主力弾種は、ショットガンの様に破片をばら撒く榴散弾だった。

 

ぶどう弾の発展系にあたる榴散弾は、野戦では極めて有効な殺傷力を持つ事は自明の理。

 

だが敵歩兵部隊を一気に崩して確実に仕留めるにはどうしても大量の大砲が必要になる。

それもダース単位でだ。

 

しかも必要になる大量の大砲を指定した戦線で、必要な時に必要な場所に、事前に集めて置かなければならない。

 

ここで根本的でシンプルな問題に直面する。

 

"強力な攻撃力を持つ大砲をどうやって決戦の最重要地点に持ち込むか?間に合わせるにはどうするか?"というもの。

 

これが幾多の戦術家達を悩みに悩ませて、夜も眠れない問題だった。

 

最早、諸君らが知っているが如くの事実だが、大砲は運ぶのに非常に手間が掛かる陸戦兵器だ。

 

正直、移動中は厄介なお荷物そのもの。

出来れば、捨てたいほどだ。ほんとだ。

だって重いんだもん。

 

牽引用の前車が発明され、馬匹牽引が容易になっても事情はさして変わらなかった。

 

劇的に改善されるには、文明の最たる利器 自動車の登場。

 

そして自動車自体の更なる発展・改良を待たねばならない。

 

ならその間はどうしたのだろうか?

 

歩兵部隊に追従する機動力を持つ条件をクリアするには、砲は可能な限りの軽量化と簡易なものである事が必須になる。

 

そのため大口径で強力だが鈍重な重砲は、あくまで対要塞戦若しくは防衛戦に限定。

 

主力野戦軍の歩兵達が闊歩し、機動力が求められる野戦では70ミリ単位の中口径砲が主体的に運用された。

 

野砲の口径は、比して小口径化が目指された。

 

史実においても主力野砲の口径が第二次大戦まで75ミリという中途半端な数字だったのは、分解せずに砲車(砲の台車)を取り付けて馬で牽ける限度が75ミリの野砲までだったからだ。

機動性を確保するには、これが限界だったのだ。

 

新型の野砲が出る度、口径が小さくなるのも、このためだ。

 

その分、小さくなる野砲口径の威力が減少するため、なおさら野砲の大量集中を目指す事になるわけだが。

 

こちらの世界の野砲も同様の経緯を経ている。

 

とはいえ、様々な努力を重ねても機動力は大幅に劣る存在なのは、なんら変わりはしない。

 

残念だが、足の遅さはなんとも払拭しがたいのが砲兵だ。

 

妥協の結論として、機動力に劣る砲兵を必要に応じて素早く展開させるため、集めた砲兵の半数は戦闘に投入せず、予備とした。

 

その予備砲兵部隊をその後に仕掛ける攻勢・進撃に備えるのがナポレオン時代までの常識となっている。

 

この非効率的な運用に異を唱えたのがモルトケ時代のプロセライン陸軍だ。

 

ー 砲兵火力の発揮には、大量の砲を一気に集中させなければ、その真の効果を発揮できない 。それは必須条件であるー

 

そのために、プロセライン陸軍は野砲の牽引のために他国とは比較にならない規模の馬と人員を投入し、全砲兵と砲弾補給部隊を一斉に動かす事を目標とし実行する。

 

砲兵の機動力向上を狙ったシステムは、一定の成果はあったものの、やはり砲兵の大量集中は時間が掛かりすぎた。

 

決定的な局面に投入できない事態が幾つも発生したからだ。

 

実際に50門から60門の集中でさえ困難を要し、100問以上の集中には、それこそ知恵を絞った運用の妙案なくしては実現出来ない課題だ。

 

そして、なんとか運良く理想的な規模の集中を成し遂げる事が出来たとしても、今度は射撃精度の問題にぶち当たる。

 

「戦いは数だよ!兄貴‼︎」とは言っても砲の数が揃っても射撃精度が低ければ、弾着は拡散して思うような効果が上がらない。

 

せっかく苦労をして集めてもこれでは意味がない。

 

当時の野砲でも2000メートル程度の距離は充分な有効射程なのだが、流動的な展開を見せる野戦という環境だ。

 

遠距離から正確な射撃を組織的に加えるのは、この当時まだ難しいものがあった。

 

加えて2000メートルの距離を隔てた敵歩兵部隊を射撃する場合、また問題が出る。

 

敵砲兵部隊の中間に友軍部隊が存在したら、砲撃を中断せざるを得ない上、多くの場合、敵との区別が明確につかない。

 

そうでなくても砲兵の視界は、多少の草木や土地の起伏があっても妨げられてしまう。

 

こうした問題点を払拭するためにモルトケ時代の参謀本部は、砲兵活用の戦術を切り開く。

 

主力野戦を担う歩兵部隊の追従と決戦における砲兵の集中展開が難しいならば…

 

敵主力野戦軍の攻勢を逆手に取り、大量の砲兵が集まる場所まで敵を誘導すればよいと結論を出す。

 

元々、帝国周辺の国々は、森林三州誓約同盟のような中立国を除いて対帝国同盟を組んでおり、機あらば複数の敵国が軍を動員させて、帝国を攻撃しようとしていた。

 

この周辺環境から考えれば、帝国としては機先を制して敵国まで無理に侵攻せずともよい。

 

待っていれば、勝手に国境から沸いて帝国までわざわ向かってくれるのだから。

 

これは、当時から今も変わらない。

現に共和国から目下、攻撃を受けている。

 

ならば敵主力野戦軍との決戦を避けつつ、遅滞防御を行い、徐々に戦線を後退させながら主力砲兵部隊が集中展開している場所まで巧みに誘導する。

 

砲兵のいる場所を帝国の決戦場としたわけだ。

 

言わば、現在の我が帝国が持つ内戦戦略の基礎ドクトリンがここで発露する形になる。

 

この時の遅滞防御戦が言わば、決戦に繋がる肝になる。非常に重要だ。

 

今もそうだろう?上手くいってはなさそうだがな。

 

ここで活躍したのが散兵戦術を機能的に取り込んだ機動擲弾兵。(後の突撃歩兵の原型)

 

高品質の小銃を装備した国民主兵 ライフル兵。

 

古来の槍やサーベルを廃し銃火器で武装した竜騎兵。

 

威力は小さくても馬数頭で運搬可能かつ、砲設置と撤収、移動にさほど時間の掛からない小型の砲で武装した砲騎兵。

 

元から散兵戦術を得意とし、伝統的にライフルの扱いに長けた狙撃猟兵。

 

そして個人の存在で、重火器並みの火力を発揮できる魔導師だ。

 

これらの兵科を連隊規模で戦力化し、それを元に各師団を編成し、味方主力野戦軍より早く最前線に投入。

 

遅滞防御戦を展開しながら敵を決戦場まで誘引する主要機動戦力として多いに活用した。

 

残念ながら、魔導師は有力個体の少なさから

大規模な陣容を整えられなかったが、逆に小部隊による一撃離脱の強襲部隊兼威力偵察用の遊撃部隊として重用される。

 

魔導師は中隊を基幹兵力単位とし、前線においては小隊若しくは班による分散投入を行う。

 

敵を撹乱し、兵力統率を鈍らせ、合わせて敵軍の詳細な情報を手に入れる。

 

戦術運用の差異は多少あるが、魔導師運用は今とさしてかわらないと見えるだろう。

 

対空火器が発達していなかった当時ならば、これは容易であったが、今にして思えば魔導師のブラック労働化はここから始まり、そのツケを今の魔導師達が払っている事になる。

 

言えば、私もその被害者の1人である。

 

ぐ……ぐぬぬ……やはり、あの時の判断は間違っていたのだろうか……

 

とまぁ、それはさておき…

 

こうして敵軍を、なんやかんやありつつも上手い具合に決戦地となる場所まで誘導し、待ち構えた大量の野砲が迎え撃つというシナリオに導く。

 

この時、砲兵は歩兵とともに最前線に投入される。

 

場合によっては、ライフル兵より前に出た。

 

理由は、味方のいない前方射界を確保し、有効弾を確実に撃ち込むためだ。

 

それは、砲兵の編成でも明らかだ。

当時の砲兵には、徒歩砲兵連隊という部隊が幾つもあった。

 

名前から見れば、人力で野砲を移動する部隊に見えるが中身は違う。

 

内容は歩兵2個大隊(約1700名)、砲兵2個大隊(7.7㎝FK96野砲 36門)の混成連隊だ。

 

重砲ならともかく、中口径の野砲は最前線に歩兵と共に投入するのだから、どうせなら歩兵部隊と一緒にしてしまおうというわけだ。

 

これなら、味方歩兵と砲兵が共に行動出来て、野砲が味方歩兵を誤射するリスクが幾らか減らす事が出来る。

 

歩兵大隊と砲兵大隊が共同連携する形で編成しているのだから、野砲の砲撃射線もわかるから、味方歩兵が射線に飛び込むことも少なくなる。

 

加えて歩兵大隊は、いざ敵歩兵部隊若しくは騎兵の突撃により懐に入れられた時には歩兵大隊が砲兵大隊の護衛を務め、砲兵の損害を抑えてくれる。

 

戦術的な運用上、機能的に作用するのが徒歩砲兵連隊だった。

 

もちろん、砲兵だけで編成された砲兵連隊や旅団もあったが、その両翼には必ず同程度の規模以上の歩兵部隊が展開するよう作戦計画は、組み上げられていた。

 

しかしこれもまた、別の問題が出る。

 

あくまでも防御陣形を維持しているなら、射線を固定出来るが、前にも言った通り野戦は状況が変わりやすい。

 

状況によっては、有利な地点を確保すべく、砲兵自身も転々と戦場を移動しなければならない。

 

今いる場所が最初は射撃に最適だったとしても、暫くたてば射撃に不都合になる可能性がある。

 

敵も馬鹿じゃない。

目の前に障害があるなら無茶に進撃せず、迂回もすれば、部隊を分散させて攻撃を躱しながら前進するなり手を打つ。

 

この時、野戦軍の主力たる歩兵部隊も敵の動きに合わせて一気に動くわけだが、無論それらを支援する砲兵も一緒に動き始めるわけだ。

 

お互いの軍は相手の機先を制そうと動き回る環境は、大体が近距離戦闘を誘発させる。

 

それに地理的、戦術的にも半ば強制的に引きずり込まれる砲兵は、必然と巻き込まれる。

 

歩兵対歩兵の近距離、至近距離戦闘の乱戦も呈する世界に砲兵が介入するという自体が生起してしまう。

 

こうして砲兵の射撃は明確に近距離射撃戦指向へシフトして行く。

 

プロセライン陸軍では、野砲の射撃距離基準が1500メートルとしていたが、実戦では1000メートルとなり、極端な場合は敵歩兵との彼我が距離150メートル以下で銃火を浴びながら砲列を正面展開するという事態も発生する。

 

自己犠牲を尊ぶプロセライン陸軍とはいえ、砲兵には厳しすぎる戦いだろう。

 

ちなみに例にも漏れず、共和国も帝政時代からの名残か伝統かはわからないが、常に砲兵をどんどん前に進出させて戦わせていた。

 

戦争では、片方が一つの手段を取ると相手も同じ手段を選択するという作用もあるだろう。

 

特にフランソワ共和国は、宿縁の敵である帝国の戦略、戦術を研究しながら、帝国で作られた軍事的産物は良いもの使えるものと判断したならば、意固地にならず積極的に採用している。

 

例えば、参謀本部がそれだ。

プロセライン陸軍がナポレオン、それと同等の存在を打ち倒すために作られた叡智の軍事組織だ。

 

共和国は、その有効性を理解したから自国でも作り上げた。

 

砲兵戦術も同様だ。形を変えながらも採用している。

 

帝国がこの時代に作り上げた砲兵戦術を内戦戦略に組み込まれるように、共和国は外線戦略に集中運用の砲兵戦術を組み込んだ。

 

だから砲兵の運用も似通う部分が幾つもある。

 

というか、これも極端がすぎるが、突撃する歩兵と一緒に砲兵も突撃した事例があるくらいだ。

 

やっぱ、やべぇなあの国。

 

戦場までの輸送については、大量の馬匹もそうだが植民地から集めた屈強な戦場労働者をありったけ動員して無理矢理、戦場に持ってきたらしい。

 

流石は、腐っても植民地経営型の列強国である。

 

大雑把に纏めるとこうなる。

 

1.馬匹牽引で機動力を得るために軽量小口径が求められた。

 

2.小口径のために威力が不足し、大量集中が必須条件になる。

 

3.射撃精度の低さから、近距離で集中砲撃が行われる。

 

4.直接照準の視界確保のためにも近距離射撃傾向が強くなる。

 

5.その結果、長射程のライフル一斉射撃を晒されながら砲兵は戦うことになる。

 

こんな具合だろうか。

 

ここで一番厄介なのは、ある時代に産まれた理論なり考え方が現実に実証され、年月を経て常識になった時、かつての環境が変わっても中々払拭出来ない事だ。

 

砲兵について言えば、野砲の威力、長射程化が進み、野砲自体の性能向上がなされ、観測員を使った間接照準という画期的な砲撃術が産み出されても危険を冒しての直接照準射撃に拘る風潮はまだまだある。

 

それよりも苦慮して無理を承知で作られた言わば犠牲を一種の妥協とした戦術を何故か戦場の美徳化し、「砲兵は歩兵よりも果敢にあれと」と言わんばかりに最前線に行こうとする気質すら残っている。

 

特に共和国は、この気質が強い。

機動戦志向を重視しているのもあるが、「砲兵は、危険を冒してナンボ」という側面が尚更強いのも理由の一つだ。

 

じゃなければ、ライン戦線であんなに出張ってこないだろう。

 

あくまで、当時の様々な条件を鑑みて「本当は遠距離から撃ちたいけど、難しいから止む無く近距離で対応しよう。」という結論から出した砲兵戦術なのだが……人間は得てして元からあった根拠と背景を別にして、精神的な考え方を付け足して正論化してしまいがちだ。

 

野砲の運搬が鉄道や車輌牽引で大きく改善されつつあり、特定の戦線に大量集中出来るようになり、砲兵の形が変化し、戦争の形態が変化し、人が変わってもだ。

 

昔から育んだものは、中々変わらない部分がある。

 

諸君らも似た話をよく聞かないだろうか?

あるだろう?

 

野砲の設計もそうだ。

先に述べた通り共和国の75ミリ砲は優秀だ。

 

だが直接照準射撃の仕様で製造されているため、間接照準が必要になる長距離射撃、障害物を超えての超越射撃(高い射角からの射撃)には不向き。

 

元々、開発された年代が19世紀後半だからって理由もあるが、根本的に改修する機会はいくらでもあった。

 

別に改良の余地が無いほど、冗長性が無いわけではなかろう。

 

実際に様々な派生品を産み出しているのだから。

 

諸君らの中では、「いやいやこの時代の間接照準は未完成だから難しいでしょ」と言うだろ。

 

確かにその面もあるだろう。

 

比較的新しい砲撃術になる間接照準の技術の不安定さや難しさを鑑みて、今まで使ってきた堅実な直接照準によるのも分からなくない。

 

だが今から10年前のとある戦争で様相は変わっているのだ。

 

悪しきコミー共が支配するルーシー連邦と明らかに前世世界の我が祖国と瓜二つの秋津島皇国の全面戦争。

 

1913年に生起した近代戦争の序章たる「極東戦争」(別名:秋津島戦役)では、帝国式の理論を学んだ秋津島皇国軍が鴨緑江の渡河作戦や永久要塞攻略などで「間接射撃」を積極的に実施。

 

さらに野戦で使う事が少なかった重砲も積極的に使用・運用し著しい効果を上げたのは、まだまだ記憶に新しい。

 

無論、この極東戦争には帝国はもちろんの事、アルビオン(ブリカス)や共和国、果ては合衆国まで観戦武官を大量に派遣してつぶさに戦線を見てきたはずだ。

 

共和国も帝国に負けず、相当数派遣しているし、詳細な分析と研究をしているのだが…

 

どうやら極東戦争の戦訓を上手く生かせきれていないようだ。

 

実際、75ミリ砲はある程度のアップデートされて、数を増やしていても中身は変わらず。

 

間接射撃も重砲や列車砲などの極長射程に限定しているらしい。

 

「その為、砲手から直接目視できない目標を砲撃するのは困難と推測します。そのため、我が砲兵連隊の損害は、反撃を受けても軽微でしょう。」

 

75ミリ砲は、最大射程8000以上だが、それはあくまで直接目視出来る範囲で可能ならばだ。

 

実際、平坦な葡萄畑や平原があっても射撃間隔内には森林地帯もあるし、おまけに我が230砲兵連隊は建造物に囲まれた市街地で布陣している。

 

直接照準による定点射撃や捕捉射撃には難点がある。

 

ただ射程内にあるが、狙いが定められず即反撃しても不安定な弾着観測になり効果は発揮出来ないだろう。

 

「それに比べて我が砲兵連隊の榴弾砲は、共に大仰角による超越射撃が可能です。偵察から得られた目標地点のグリッドを修正するだけでも敵砲兵を叩くには効果があり、充分です。」

 

我が帝国は、極東戦争における貴重な戦訓を多大に加え、砲兵戦術を戦略単位まで昇格させる。

 

それが今に繋がる魔導師、観測斥候員、射撃管制所と無線通信所を複合的に連結、一元化した野砲による迎撃システムだ。

 

間接照準による定点射撃の精度は、世界随一である。

 

最悪、作戦地図にピンされたプロット地点だけ分かれば間接照準無しでも精度は落ちない。

 

諸君、素晴らしいだろ?

 

「そのため事実上一方的な砲撃が可能です。」

 

「(まさしく、アウトレンジ射撃だ。最大射程の散布界誤差は、直接空中観測し修正すれば問題ないさ。)」

 

ターニャは自らの体躯を覆うほど大きい作戦図に身を乗り出し、作戦図上にあった指揮棒で指し示めしながら説明していると突然、横槍が入る。

 

「それならば、敵砲兵と彼我が近いローゲルバッハとホウッセンの砲兵隊が行えば充分ではないか?」

 

彼女の説明に横から口を出してきたのは、師団砲兵指揮官の1人であるベーレント少佐。

肩幅が広い精悍な体躯と茶髪のオールバックヘアできっちり整えた姿が特徴的。

 

見るからに帝国将校団の一員と自負するオーラを放つ彼は、ナイフのような鋭い眼光をターニャに向けながら、話を続ける。

 

「両砲兵隊は、共に77ミリ砲(7.7㎝砲)を装備した一個大隊規模の陣容だ。我が師団下ではないが、共同運用すれば良いだろう。」

 

ベーレント少佐は、専門的な戦術砲兵士官課程、野戦火力運用課程を経た若手将校である。

 

砲兵将校としてエリートコースを歩んだ彼からすれば、ターニャは兵科の異なる外野手であり部外者で、明らかに格下と見ていた。

 

彼の心中はこのようなものだ。

 

何処の馬の骨とも知らない一介の魔導師が、ただの偵察要員が「砲兵」を語らせるのかと。

 

しかも単なる子供に語らせるのか!

 

内心、ターニャに対する強い否定の感情を僅かに漏らしながら20歳以上年が離れている幼児にまくし立てる。

 

「77ミリ砲を合計45門以上擁するならば、地理的に見て有効射程内に収まる。付け加えて…」

 

子供が気安くも作戦計画を立案するのかという軽率さにおこがましいと感じるエーベルトは自らが持つ正論をぶつける。





皆さま、お久ぶりです。

すっごい長くなりましたが、一応砲兵の発展経緯を書いておかないと今後の展開上、必要になるので仕上げました。
あとは原作で不明瞭な砲兵の姿を自分なりに考察して形にしたかったのもあります。

だけど、途中からやっぱり、説明長いなぁと思いましたね。

話もあんまり進まなかったし、色々考え過ぎましたね。

そろそろモノローグ終わらせないとなぁ……

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