戦場黙示録 カイジ 〜 ザ・グレート・ウォー 〜   作:リースリット・ノエル

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第6話 地獄の釜 Ⅵ

膨大な砲弾が空を高く舞い、空を切る音を聴きながら、地上の兵士達は前に進む。

 

無数の兵士が歩く、歩く。

互いに肩を並ばせ一定の間隔を持ちながら整然と緩やかに歩き続ける。

 

雄大な景色が広がるアルサス平原を軍靴で踏みならし、戦車の履帯で蹂躙しながら積年の敵たる帝国軍の防御塹壕線に確実に近づいてゆく。

 

「帝国軍防衛線まで約4000!味方の勇猛なる準備砲撃終了まで5分を切った!まもなく帝国軍の防御火力線に入るぞ!中隊総員、警戒を厳とせよ!!」

 

立派な口髭を蓄えた中隊長のがなり声が砲撃音、爆発音ともに指揮下の兵士達は耳に入る。

 

間も無くその時が来る事に緊張とともに備える。

 

帝国軍塹壕地帯に対し、部隊の犠牲を糧とした総員突撃。

 

兵士達は無言で身を低くし、ライフルを構えながら早足に歩き始める。

 

高鳴る緊張と高揚感、降りかかる不安と恐怖が混じり合った感情を堪えながら若き兵士達は前に進み続ける。

 

その中に20歳になったばかりのジャン・ピエール上等兵がいた。

 

フランソワ軍の突撃部隊の第一陣の先鋒の中に、第3師団 第42連隊 第2大隊 第1中隊に所属する彼は周りに蔓延る不安と恐怖を感じるつつも、激しく昂ぶる闘争心に身を包んでいた。

 

幼少期から憧れた軍人となり、今まさに最前線に立ち上がり祖国のために戦えることはこの身にまさる光栄だった。

 

そう戦える、戦場で戦えるのは本望だ。

その相手がヨーロッパを脅かす悪逆たる帝国であるならこれ以上に望むべきものはない。

 

彼にとっては、帝国との戦争は待ち望んでいた夢の舞台だったからだ。

 

ふと遠目に見れば僅か先にある帝国軍の塹壕陣地は容赦ない砲火にさらされている。

 

幾重にも重なる爆発は大地をとことん抉る。

 

巻き上げられる土砂が塹壕を覆うのを目の当たりにし、おびただしい炸裂音が耳に入る。

 

「やっぱり….すげぇ…なんて破壊力だ」

ジャンは思わず口を漏らし、我らが砲兵部隊の威力に感嘆する。

 

我がフランソワ軍の猛砲撃に帝国軍はもう半壊していてもおかしくはなさそうに見える。

 

そう感じてもおかしくはない、異様に速射性に特化し演練を重ね続けた共和国軍の砲兵部隊は短時間でも数千、数万発に及ぶ火力投射を実現した。

 

猛烈な砲撃の効果は視覚、聴覚的な感覚だけでなく平原を揺さぶる地震としても感じる。

 

準備砲撃が終わった後には、もう何も残っていないのではないか?

 

残っていたとしても、深い戦傷を抱え息も絶えの残党しかいないのではないか?

 

労せずして、帝国軍の防衛戦を突破し、簡単に塹壕地帯を占領出来るのではないか?

 

それはそれで、困る。

 

せっかくの戦争だ。

この時のために日々、欠かさずライフルを綺麗に整備して、銃剣はピカピカに磨き上げて刃先は鋭利に研ぎ澄ませた。

 

帝国兵を滅多打ちにしてやるために銃剣術の鍛錬も重ねたんだ。

 

少しはしぶとく帝国兵には生き延びて欲しい。

 

でなければ、血に滾る銃剣突撃で塹壕に引きこもる帝国兵の心臓に銃剣を突き刺す事は出来ない。

 

確たる戦果を上げれないではないか。

 

本当は、こうは願ってはいけないだろうが帝国兵には自分の訓練の成果と武勲を上げるために骨太に生き抜いて欲しいと願う。

 

「(まぁ、ここまで徹底的に打ちのめされてはここでも自分の望みも叶わないかもしれないな…せめて死にぞこないの帝国兵に最後の慈悲ぐらいはかけてやるか…)」

 

それに戦争は始まったばかり、これからも戦いは続く。

 

まだまだ手柄を立てるチャンスは転がっている、またの次回に期待だと思った矢先に隣にいた分隊長のアルバン軍曹に呼び掛けられる。

 

「ジャン、大地を揺さぶる壮麗な我が軍の猛砲撃に感動しているようだが、お前が思っている以上に帝国軍に損害は与えられていないんだぞ。」

その言葉にジャンはキョトンとした顔を浮かべる。

「えっ…?あんなにバカスカ打たれまっくてれば、生き延びている帝国兵なんて僅かなものではないのですか?」

 

「今見ている光景を見れば、そう思っても不思議ではないだろう。だが、現実は半数も殺れていない。」

 

「そうなんですか?」

 

「ああ、実際は1割ぐらいか。上手くいって2割か。まぁ、そんなもんだ。場合によっては何ら損害を受けていない事もあるんだ。」

 

「そんな馬鹿な…」

ジャンは驚きを隠せなかった。

帝国軍防御陣地に万遍なく降り注ぐ圧倒的な鉄量の暴力の前では全滅していてもおかしくないと思っていたのだから。

ジャンの表情を見ながら歩を進めるアルバン軍曹は話を続ける。

 

「塹壕に潜んでいる敵はそんな簡単にくたばりはしない。」

 

そこから軍曹の塹壕講座が開始される。

 

「まず、一見敵が生き延びていないと思うほど大量の砲弾を浴びせても塹壕は思いのほか頑丈だ。」

 

人間の身長以上に深く掘り下げられた塹壕は砲弾の衝撃波と破片の殺傷から兵員を守る。

 

塹壕内に直撃を与えなければ明確な損害は与えられない。

 

そして簡単には崩れないように土嚢、レンガ、材木で固められ、中にはコンクリートで堅牢に工事されたものもあり堅牢な防護陣地として機能している。

 

そのため塹壕を野砲による面制圧で打ち砕くには難しく、効果は思いのほか限定的と軍曹は語る。

 

「特に帝国軍の野戦築城能力は高いからな。あの程度では潰せないさ。」

 

「あれだけの砲撃が、あの程度って…」

 

「見た目は派手だが重砲使ってないだろ。弾数多くても威力不足は拭えないな。」

 

奇襲性を求めたフランソワ共和国の攻勢計画に合わせて各部隊は進撃速度、突破力を重視した編成と装備に置き換えている。

 

火力的な全般支援を担当する砲兵部隊も機動力に富んだ戦闘部隊に追従できるように編成されている。

 

それに対し威力はあっても移動するにも何頭の馬が必要となり、馬力はあるがトラックを使用して牽引するにも鈍足な重砲は、機動力が低い。

 

移動するにも手間がかかる上、弾薬運搬、射撃用意、陣地変換には1門だけでも多くの人員が必要で労力がかかりすぎる。

 

敵防御線の突破、進撃を繰り返す戦闘部隊には切り離されるのは明白であり、重砲による直接支援は難しい面が目立つ。

 

結果的に重砲に比べ小型軽量で扱いやすい共和国の主力野戦砲 M1897 75㎜速射砲を中心とした装備で砲兵部隊は運用されることになった。

 

塹壕などの防護陣地に対して威力不足な面は、持ち前の速射性と数にものを言わせた弾幕射撃で問題を解消しようとした。

 

「重砲が使えない。使える野砲も中口径が主体なら陣地の破壊とか敵に損害を与える事を目的としない。ではどうするか、弾幕射撃で敵の肝を冷やし混乱を誘う。」

 

弾幕射撃は特定の地点を狙い破壊するのではなく、敵のあらゆる行動を妨害、無力化・混乱させる事を目的とし、戦線に対して横一列に並んだ砲撃を加える射撃である。

 

そして弾幕射撃により敵の行動が阻害され、混乱している間に前線に展開する戦闘部隊が塹壕に突撃、敵防御陣地を制圧するといった形になる。

 

という事はどうか。

 

「敵の殲滅を目標とせず、あくまでも無力化させる事に主眼としているのなら多くの敵が生き残っている事になる。」

 

「それに敵が無力化されているかどうかも不明確だ。砲撃は難しいんだ。明後日の方向に散らばる事も珍しくはない。だから弾幕の効果も不確実。だから相応の抵抗を受けると考えとけよ。」

 

そう語るとアルバン軍曹は、小さなため息をつく。

 

「なるほど、勉強になります。気を抜いてはいけないという事ですね。」

ジャンは、軍曹の話を聞いて心なしか安堵していた。

 

またもお預けを食らったと思った餌が、実は目の前に隠されているだけだった。

 

今回は戦える…戦えるぞ!

 

燻っていた内なる熱情が湧き出てくる。

 

思えば、初陣からお預けをくらい続けていた。開戦時、意気揚々と戦線に突入してみれば、帝国が撤退した後で何もなかった。

これは自分のいた部隊が後発だったから仕方ない事だ。

 

しかし、幾ら進軍を続けても敵と戦闘する事はなく、目に入るのは放棄された陣地と燃える戦車、散らばる装備、地面に横たわる息絶えた敵兵の死体の数々のみ。

 

収穫は置き去りにされた補給品のジャガイモとパンだけ。

 

他の部隊は帝国軍と矛を交え戦い続けているのに、こっちは長距離行進訓練なのかと思うぐらいにただ歩き続けている。

 

「(2時間歩いては小休止、装備の点検、また2時間歩いての部隊行進の繰り返しにもうウンザリだ!)」

 

他部隊にいった教育隊の同期はもう死線を潜って戦功を立てている筈だ。

 

こっちは遅れをとっているから、早く追いつけ追い越さなければならない。

 

ライフルを固く握り締めながら力強く歩く。

 

はやく戦いたいものだ

 

そう思うと自然と顔がほころぶ。

 

過剰な戦闘意欲が滲み出た彼の顔を見たアルバン軍曹は呟くようにジャンに語りかける。

 

「おい、ジャン」

 

「はい!何でしょう」

「戦場はお前が思っている以上に残酷で悲惨だ。この世界では、命なんて一瞬で次々と消える。次の一歩が最後の一歩になるかもしれないんだ。」

 

はぁ…と気が抜けたような返事をするジャンに対し軍曹は続ける。

 

「新兵は、よく戦場をロマン溢れる冒険みたいな想像をするが…そんな胸踊るような世界じゃないんだ。そこを履き違えるなよ。」

 

「わかりました分隊長。」

 

わかっているよ分隊長と心の中で呟く。

 

戦場が危険な場所だとは百も承知だ。

命のやり取りをする殺しをするシンプルで非情な世界だ。

ロマン溢れる冒険だなんて思った事はない。

 

軍曹がさっき相応の抵抗があるといった。

 

実際どれだけの抵抗を受けるのかは、まだ間近で見た事も経験もしていないから、わからない

点もあるがある程度は想像はつく。

 

なら多く生き残っている帝国軍の砲撃と機関銃掃射が壮烈なものだから覚悟しろ言いたいのだろう。

 

だが覚悟なら陸軍に入隊した時から決めている。この時のためにキツく辛い訓練を乗り越えてきた。

心身共に充分な準備を整えて来たんだ。

 

敵だって自分の故郷があるから命を犠牲にする覚悟を持って、あらゆる手段を持って必死の抵抗をするだろう。

 

自分が逆の立場だったなら、同じ事をする。

刺し違えになってでも自分の持ち場を守り続けようとするだろう。

 

それが戦場だ。

自分なりに理解している。

勿論、自分が命を失うかもしれないという点も理解している。

 

死に対する恐怖や不安もヒリヒリと感じているが、反面ジャンは根拠のない自信があった。

 

それは「自分は必ず生き残る」という妙な確信だった。

 

自分の物語は始まったばかりで、そんな簡単に終わる事はない。

 

様々な困難が迫っても「エランの精神」を持ってすれば、這いつくばっても必ず乗り越えられる。

 

かつて訓練教官がよく言った「エラン・ヴィタールの精神」を反芻する。

すべてを克服する意思を持った兵士たれば、勝利は必ず手にすると学び、自らも熱狂した。

 

強い精神力を持った軍隊は精強かつ、最強であると。

 

それに誓ったのだ。

 

自分は一人の愛国者として共和国の守護者となり祖国を守り続けると。

 

あらゆる戦線を戦い抜き、いずれは共和国に名を残す兵士として名誉と誇りを手にする。

 

無論、帝国軍を叩きのめしてだ。

 

自らの確固たる意志を反芻していると、いつのまにか味方の砲撃が終わっている事に気づく。

 

最前衛に横一列で並ぶ100両近い戦車のエンジン音を轟かせる中、中隊長のがなり声が耳に入る。

 

「帝国軍防衛線まで約3000を切った!いよいよ戦えるぞ、中隊諸君!!中隊総員、突撃用意‼︎敵の火力防御に注意しながら、進撃し合図を待て‼︎」

 

「ついにか…ジャン、気をつけろよ。」

「はい!」

軍曹はえらく心配性だなと思いながら、眼前に広がる無数の砲弾痕の中を進む。

 

さぁ、始まったぞ。自分の戦争が!

 

高鳴る胸の躍動を抑えられない。

興奮が頂点に達した時、帝国軍陣地後方から一斉射の砲撃音が聞こえる。

 

「帝国軍の砲撃だ!中隊総員、砲弾落下に注意‼︎砲弾落下に注意‼︎」

中隊長が後ろを振り返って、叫びまくる。

 

まずは帝国軍の歓迎だ。

まぁ、凌いでみせるさ。

 

ふと空を見ると黒い粒が幾つも見える。

 

あれが、砲弾かと認識した瞬間に異変に気付く。

 

直上落下する砲弾が突如、白い発煙とともに分解、無数の光の粒子となって降り注いでくるのが見えた。

 

「なんだ…あれは…」




次回、ようやく戦闘シーンに移れそうです。

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