「お願い! 警察とヒーローに連絡をッ! すぐに逃げて!」
かろうじて葉隠がそう叫べたのは、それ以外に選択肢が無かったからだ。野次馬もボロボロの吉良やヴィランを目にするとざわめきだし、その内の何人かが警察と通話しながら去っていく。
「待ち合わせ場所の管理室に不在で、通路には戦闘の跡があったのでもしやとは思いましたが、まさか彼が負けるとは」
と黒霧が心底不思議そうに尋ねた。
「いったいどうやって倒したのか……は、まあ本人に聞けばいいでしょう。彼を渡してください」
こいつが黒霧か、と吉良は滲む視界でなんとなく理解して言った。そしてもう、この消耗した身体ではキラークイーンのスタンドパワーはもう限界に近い。
「……個性解除後の姿を知っている、という事は『
「あなたは?」
「誰だっていいだろ。大気汚染の塊みたいなきみは、『無敵』ではなく『
黒霧は答えなかった。
「なに図星を突かれましたって感じで黙りこくってるんだよ。そういえばおたくのボスは数年前にオールマイトと戦ったらしいな。そいつが『
この判断力。たったあれだけのセリフで、『
「命までは取らないつもりでしたが」
「おいおいおい、きみのミスだぞ。きみが迂闊にも個性解除後のこいつを認識したのが悪いんじゃあないか。それにわたしたちを殺しても、もう遅いがな」
ジャケットの袖から携帯端末がアスファルトに転がり落ちて画面を下に止まった。風が不穏に吹きすさぶ。
「警察に連絡を取っていた野次馬がいたからな、電波妨害は地下だけに限定されていたのだと確信した。もっとも地表を巻き込んでは騒ぎになりかねないが……通話していた、すでに」
「……誰と」
「うーむ。慌てていたからわからないんだ、自分でも本当に。どうしたんだ、怒っているのか? 黙っていてもわからないぞ、せめて黒いモヤを頭の所だけ真っ赤にしてくれないか」
黒霧が転がった携帯端末に歩み寄る。接触起爆する携帯端末に。
葉隠に肩を借りた状態でDwaLBは使えない。爆破能力がここにいるヴィランにバレても殺されるよりマシだ。黒霧というこの場のリーダー格を粉々に吹っ飛ばして、士気をくじいて逃げる他ない。
挑発に乗ったのかどうかはわからない黒霧が、携帯端末までほんの数十センチのところで止まる。
「やはり冷静になってみれば、『
黒霧が一歩引くと、代わりにヴィランが歩み出て手を伸ばした。
吉良はそれを絶望的な眼で眺めるしかなかった。こんな最悪な時にこそ、運命は味方してくれるはずなのに、と。
不穏を表すかのように雲行きが怪しくなり、ぽつりと雨粒がアスファルトに染みを作る。
――――――
「運命」は吉良に味方しない。
去ってしまっているから。
――――――
脳無が地面を抉る程の脚力と重量で突っ込んで来る。もうキラークイーンを出す事も出来ない。ひどく寒かった、身体が震える。
強風でジャケットとタイがはためく。駐輪してあった自転車が倒れた。
――――――
入試試験の時、「正義の心」を持った受験生に負けた。
体育祭の時、「正義の心」を持った生徒に負けた。
「正義の心」に敗れ去った「運命」は、吉良吉影が「正義の心」と相対する限り味方しない。
――――――
脳無の眼前に何かが落ちてきた、一時停止するかのように足を止める。それは大型ペットボトルほどの大きさで、エラがあり、ヒレがあり、ピチピチと跳ねていてる魚だった。魚だったが、魚屋で目にするようなものではない。虚ろに黒く大きな瞳と、小さく鋭利な歯が並んでいる。
――――――
それは転じて、「悪意の心」に相対する限り、そうでないという事。
――――――
喫茶店のオシャレな黒板看板が倒れ、街路樹がしなる。
ヴィランの一人が悲鳴をあげた。信じられない事に陸地で腕をサメに噛みつかれていた。
黒霧と配下のヴィランが背後の異様な風音に気付き、そのままゆっくりと振り返る。強烈な威圧感に固唾を飲みながら。
┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨
仄暗い局所的ハリケーンに逆流する形で泳ぎ、空中に佇む巨大なホホジロザメ。その全長は大型トラックよりも大きい。漆黒の眼が、眼下のヴィラン達を見下ろしている。
「ば、バカなッ! シャークは沖に出ていたはず!」
と、これからサメの餌食になるので名前の無いヴィランが叫んだ。
「あの新入りの『
ハリケーンから歩み出る一人の男が答える。
「ジョックのやつ、職場体験を終わらせたら金髪美女と結婚するつもりだとなぜか前日に相談しに来たし。既読無視だなんて、きっとあの女の所だわって金髪美女が喚くもんだから、まさかと思ってシャークを呼んでおいて正解だったようだな」
そのまま『
その背筋の凍りそうな駆動音にヴィラン達は冷や汗をかく。
「ファンまでいるなんて聞いてないぞ! こんな危険な場所にいられるか、おれは抜けさせてもらう」
背を向けて走り出すヴィランの首筋にハンマーヘッドシャークの断頭台じみた頭部が激突した。強烈なラリアットを食らったように空中で数回転し、泡吹いて白目剥いてぶっ倒れる。
その様子を見て、他のヴィランは逃げ道など残されていないのだと腹をくくる。
「こうなったら、やるしかねえ、逃げてもやられるだけだ」
「シャークの操るサメの攻撃で出血はしない! 痛みはあるがすべて血糊だ!」
「やつらはあれでもヒーローだ、殺されはしない!」
虐殺だった。
犬を虐待するのが好きな動物虐待ヴィランがイヌザメの群れに襲われ、大量出血糊。赤子にコーラばかり飲ませ、全ての歯を虫歯にしたあげく児童養育施設に預けた育児放棄虐待ヴィランは、大量のコモリザメのサメ肌で全身をあやすようになでられて全身血糊ダルマ。何件もの恐喝、強請り、泥棒やスリの罪で指名手配されていた強盗ヴィランは数えきれない程のコバンザメに吸着されその重みで吐血糊。
うららかな街の一角が、一瞬で血糊の海と化す。
「くっ、こうなったら仕方がありませんね。脳無!」
ゴゴゴゴゴ
その言葉で脳無は20メートルほどに『巨大化』した。
木の個性のヴィランを即席チェーンソーでアレしていたファンが、シャークにアイコンタクトを送る。
ファンはハリケーンに飛び込み、両腕で抱えきれないシャークの太い尾ひれを『旋風』で自分側に押しつけて固定。巨大なシャークをガイドバー(刃を回転させる板のとこ)にし、彼の従えていた無数のサメをソーチェーン代わりにした。一匹一匹が獲物を求めて口を開閉しながら高速回転している。
「待ちたまえ、ヴィラン連合にはまだワシが残っている事を忘れてもらっては困る」
いままで沈黙を続けてきた中年のちょび髭ヴィランが演説のように語る。
「ワシの『寺院の地図記号を左右反転して左45度傾けたアレ』には勝てん、どんな個性だろうと……連合国を除いてな!」
ちょび髭の足元からどす黒い粘質な液体がズズ ズと広がり、こぽりこぽりと泡立つと幾人もの兵隊へ形を変えた。みな一様にヘルメットとガスマスクを身に着けている。中には四肢が鋭利な槍であったり、両手が鎌の大男もいた。
しまった! 現在、ハリケーン・シャークはシャークチェーンソーとなっており、多数を相手できる状況ではない。
吉良と葉隠に迫る『寺院の地図記号を左右反転して左45度傾けたアレ』兵。
危なーい!
鋼鉄の身体の『寺院の地図記号を左右反転して左45度傾けたアレ』兵の頭が撃ち抜かれた。
「いったい何が起きた!?」
黒霧が銃声のした方向を見やると、爆走する深紅の無人カウンタックのルーフに立ちながら拳銃を構えた男が一人。
赤い鉢巻きに同色のタンクトップ。黒の革ジャンとジーンズにローテクスニーカー。悪を憎む、厳めしい顔つきをしていた。
低い声で唸るように、何が起きているかを答えてやる。
「My job」
バァ―――z___ン!
「ガン・フューリー!」
憎しみを籠めてちょび髭ヴィランはその闖入者の名を叫ぶ。
巨大化脳無の振り下ろされる一撃に、真っ向からシャークチェーンソーを突き刺すように跳んだハリケーン・シャーク。その足元で『寺院の地図記号を左右反転して左45度傾けたアレ』兵がガン・フューリーにユニークキルされ続けていた。
地獄絵図だった。
黒霧は黙ってワープゲートを通って帰った。一匹の勇敢なイタチザメが突入したが、途中でゲートが閉じられて半分に切断された死体が残る。
――――――
吉良と葉隠はすぐに病院へ搬送されたので詳しくは知らないが、事態は紆余曲折(月まで行った)の末に収束した。医療費は監督責任を感じたハリケーン・シャークが全額を負担。葉隠の手の骨折は出張してくれたリカバリーガールの治療で完治。だがリハビリは必要だろう。
隣の病室で、「体が勝手に動いたんだ。学生を危険に晒すくらいなら身代りになってやるっていう反射的な行動だった。結果的に大怪我を負ったが、未来ある子供を庇っての傷なら、俺にとっては勲章さ」とジョックが金髪美女にぺらぺらとくっちゃべっている。
あの場に居た黒霧を除く全てのヴィランは奇跡的に生きており、警察に引き渡された。
問題の地下商店街にいたヴィランは、爆破されゆく身体を『
妻子が病室に訪れ、泣き崩れていた。葉隠はそれを聞いて胸がつらくなった。
救ったつもりが、却って被害者を増やす事もある。この不幸な現実を認めるにはもう少しだけ時間が掛かりそうだった。
地下商店街で何があったかを警察、相澤と普通科の担任と交えて話したが、葉隠は吉良の個性を喋らなかった。
事情聴取に全てを語らない事は、ヒーローを目指すものとしては不適格だろうか?
だがキラークイーンの能力は危険すぎる。ただでさえヒーロー科がヴィラン連合の標的になったというのに、戦闘訓練を受けていない普通科の吉良がヴィランに狙われるのはマズい。
葉隠は自分でそう判断し、決断した。
個性を秘密にする権利を掲げるシャークのおひざ元という事と、正当防衛性が認められたことから追及は無かった。相澤がそれとなく遠回しに葉隠に尋ねるが、フラれる。
難を逃れた黒霧だったが、本拠地である地下バーは一緒にゲートを通ってきたサメの上半身と切断面からまき散らされた臓器や血でまみれていた。死骸はワープで捨てられるが、壁や椅子にへばりついた残骸の一つ一つはそうはいかない。
『
腹の底から『ザマミロ&スカッとサワヤカ』の笑いが出てしょうがねーぜッ!
――――――
「結局、職場体験の一週間はほぼ病院生活だったね」
と、雄英に戻る新幹線の中で葉隠が言った。
「やっぱりまだ痛む?」
「いや。なぜだ」
「難しい顔してるから」
痛いだけならまだマシだと吉良は内心で独り言ちる。結局、地下商店街では葉隠と共闘した形になった。借りを返せるチャンスだと思っていたのに。いったい、熟睡はいつになる。
「……入試の時の借りを返せなかったからな」
つまらなそうに言う吉良に、葉隠は一瞬だけきょとんとしてからあっけらかんと答える。
「なんだ、そんな事か。借りなら、もうとっくにチャラだよ」
「な、なに。いつだ」
「それこそ入試の時かな」
「どうやって」
「さーねー。個性に悩める女の子の絶望を木っ端みじんに爆破してくれたってとこかなー」
吉良はさっぱり思い当たる節が無かった。無かったが、相手が借りは返してもらったと言っているのだ。それならどうでもいい、これで胃薬ともおさらばだ。
「あ、ねね。外見て! 掌の先で操作してる簡易チェーンソーをタイヤ代わりにしたファンさんと、鳥みたいにヒレで羽ばたいてるシャークさんが追走して見送りに来てくれてるよ! おーい」
吉良は胃薬をあるだけ飲んで、寝たふりをした。新幹線に並走するんじゃあない。
こうして、美しい砂浜、透き通るような海に面したある街の職場体験は終わった。
――――――
「命」を「運」んでくると書いて、「運命」。
葉隠の「命」を、死地から「運」び出す。
それが「悪意の心」と相対した瞬間に定められた、吉良吉影を味方する「運命」だった。
――――――
xxxxxx
職場体験から時間は経ち、夏休み真っ盛り。吉良は平穏を満喫していた。体調も全快し、しょっちゅう雄英の図書館に赴いて本を借り、敷地内の静かな所でサンドイッチでもパクつきながら読書するのが日課だ。携帯端末でネットフリックスを見てもいい。
何やら近所で違法アイテムを作っていた犯罪組織が襲われたり、そこのエンジニアが逃げ出したり、ジェントルとかいう個性ユーチューバーが何とかという個性VTUBERとコラボしたり。
とにかくいろいろとニュースになったらしいが平和だ。
まるでパターソンの主人公のように平穏な人生だ。けっこういいな、雄英。敷地がバカみたいに広大だから静かで、美しい自然にあふれている場所がそこかしこにある。図書館もそこらの大学よりも充実しているんじゃあないか。
サンドイッチの欠片を地面に放ると、かわゆい小鳥がつつきに来た。吉良はこれに結構幸せを感じている。
陽が落ちる頃、神野区から離れた閑静な住宅街へ帰った。
その夜も寝る前にぬるめのミルクを飲み、ストレッチをして熟睡していた。
―――一方その頃、神野区市街―――
あのお方ことオールフォーワンが、脳無製造工場を制圧したベストジーニストを圧倒し、その余波で何棟ものビルが崩壊した。
――――――
う、う~ん。と吉良は遠くから聞こえるその破壊音に寝返りを打つ。
――――――
その頃。オールフォーワンが数キロに渡ってオールマイトを吹き飛ばし、やはりビルが崩壊した。
――――――
吉良は布団を被り、近くを通る救急車や消防車、とにかくサイレンが鳴る車両の音を防ごうとした。
――――――
その頃。オールマイトのトゥルーフォームが晒されていた。報道ヘリの飛行音と近所のざわめき、ちらほらと悲鳴も聞こえる。
――――――
吉良は諦めて布団から出て窓の外を見る。空が赤く燃えている。いつも見えるビル群が軒並み消えていた。
勢いよく自室の襖障子が開かれ、吉良の親父こと吉廣が叫ぶ!
「吉影ぇ! 避難勧告が出とる! すぐにこの場を離れるんじゃ!」
どうやら付近の住民も避難する様子で、ばたばたしている。
ば、ばかな。一体何が起こっているというのだ。
とにかく警察の指示に従い、指定緊急避難場所へ向かう。
何故だかとてつもなく嫌な予感がした。途方も無くどうしようもない程の「運命」が待ち構えている気がする。
避難場所は小学校の体育館で、簡易的なパーティションで区切られたスペースが割り当てられた。
空調が効いているとはいえ、こんな人混みの中で吉良吉影という人間が眠れるわけがない。エコノミー症候群になりながら朝を待った。携帯端末でネットニュースを見るに、オールマイトが戦っているらしい。
翌朝、通信環境の問題で確認できなかった動画を確認すると、どうも件のヴィランは複数の個性を使っているらしかった。
まさかこの趣味の悪いスーツ姿の男が、
クソッ。こいつのせいでわたしはあんなひどい目に遭ったのか。
ほとぼりが冷めたので、ぽつぽつと自宅を確認する人々に紛れて帰路を急ぐ。
しかしどうにも嫌な気配。段々と見慣れた風景に近づくにつれ、規格外の個性戦の爪痕に泣き崩れる人々が増えた。
飛来したコンクリートの塊に潰された家を前に、これからどこで暮らしていけばいいのか途方に暮れている。
まさか……と吉良は角を曲がり、慣れ親しんだ生まれ育った家を確認する。
「わが家がッ!」
と、驚愕せずにはいられない。
「ロードローラーにッ!」
ブッ潰されていた。
あまりの事に周囲を確認するが、別段吉良家の運が悪かったわけではない。お隣さんも、お向かいさんも、どの住宅も大なり小なりの被害を受け、半壊に近い。移住を余儀なくされている。塀が崩れた程度の物件もあったが、そもそもインフラが破壊されているので定住するにはまだ尚早。
ばかな……この吉良吉影の平穏を……ゆ、許せん。
その後、遅れてやって来た吉良の親父に腕を掴まれ、爪を噛むのをやめさせられた。
「吉影、どうやらヴィラン連合はほぼ全員逃げ切ったそうじゃ。その残党どもにいつまた雄英が襲われるかわからん。で……提案なんじゃが、あんな危ない学校は辞めて、どこか別の、ヒーロー科の無いところへ転校せんか? え? もうヒーロー関連には関わらん方が……」
「このわたしが雄英を離れるだとーーッ!」
がっしりと吉廣の肩を掴む。
「あの素晴らしい環境を手放せと言っているのか! 冗談じゃあないッ! 雄英の広大な自然と整備された施設を兼ね備えた場所が、他にどこにあるというのだ」
「じゃ、じゃがヴィラン連合は、残党はまだ」
「雄英は決して離れないぞ!」
「吉影……しかしおまえはいつ誰に襲われるか気にして暮らしていける性格では……」
ハッと気が付き、それだけはよしてくれと震える声で言った。
「よすんじゃ、そんな、何もおまえがやらんでも!」
雄英を離れず、しかし雄英を襲う輩に怯えずに人生を送る方法は一つしかなかった。たった一つの難き道。
吉良は吉廣の肩を離し、戦闘の中心があったオフィス街へ視線やる。
黒煙が所々にあがり、凄惨に群がるように報道ヘリが飛んでいる。
ヴィラン連合は足元に注意すべきだったのだ。吉良吉影というたった一人の男の、心の平穏を踏みつけている事に気付く前に。
ま! 当面は安心して眠れる場所を確保する所からだがな。
吉良は内心で独り言ちて、踵を返した。
――――――
吉良吉影は強運に守られている。
「正義の心」に敗れ去った運命ではなく。「悪意の心」と相対した運命によって。
故に運命は吉良に定めを仕組む。「悪意の心」と相対させるべく。
誰かの「命」を「悪意の心」から「運」び出せと。
――――――
吉良吉影のヒーローアカデミア 完