長らく大倶利伽羅が来なかった本丸にようやく顕現した彼は『な』が言えなかった。そんな『な』が言えない大倶利伽羅を甘やかし可愛がりたい光忠達のお話。
みつくりですが大倶利伽羅総愛されに近いです。シリアス寄り。

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『な』が言えない大倶利伽羅

 僕達の本丸に大倶利伽羅は一人しかいない。俗に言う難民っていうやつでもなければ全刀剣を一振りずつしか持たない方針でもない。実質入手し難い刀剣や主に好かれている刀は何振りかずつ存在しているわけで。戦場に赴けば幾度となく見かけるし鍛刀でも来るその刀を手元に残さないのは至極単純な理由。

 主を含めこの本丸全ての刀達に愛されているのは一振り目の大倶利伽羅である『彼』だけだから。ただそれだけのことだった。

 

 それは目眩がしそうなほど蒸し暑い夏の日。ただでさえ気温が高いのに炎を扱う鍛刀部屋ともなるとそれは一層地獄で。日課と化している鍛刀を早々に終わらせるべく主と近侍である僕が新人君を迎えようと炉の中を覗き込んで、思わず目を丸くする。刀鍛冶君によってしなやかに鍛え上げられたその刀はどう見ても伊達の旧友、大倶利伽羅そのものだった。殆どの刀剣男士達が出揃っているにも関わらず彼だけが来なかったからもう会うことができないのかと思っていたけど、まだ僕は見放されていなかったらしい。主が彼の魂を降ろしている間僕はずっと浮かれていた。あの頃のように「馴れ合うつもりはない。」なんて言いながらも僕の右側に立ってくれたりするのだろうか、動物に優しいところがあるから本丸の近くに遊びに来る猫達と戯れていたりして。夕餉で皆に紹介する前に鶴丸さんにも報告しようか、そんな事を考えていた時だった。舞い散る桜の中褐色の青年が姿を現わす。左腕に巻きつく龍は紛れもなく彼の由来となった倶利伽羅龍だろう。毛先だけ緋色に染まった癖っ毛がふわりと揺れる。その引き締まった体躯にただただ見惚れていたのだが。

「大倶利伽羅だ。別に語ることはにゃい。にゃれあう気はにゃいからにゃ。」

彼が一言喋った瞬間、その場の空気が凍りついた。

 

「お、大倶利伽羅……?」

「にゃんだ?随分と間抜け面をしているが。」

「え、いや、……今、にゃって……????」

 あの落ち着いていて他の者と距離を置きたがる大倶利伽羅が、にゃ。可愛すぎるだろ……と頭を抱え蹲りそうになると心配と侮蔑が半々くらいの眼で射抜かれる。慌てて格好を整え一つ咳払いをしてから取り繕うように差し出した手。軽くあしらわれたものの触れた指先からただの付喪神だったあの頃にはなかった確かな体温を感じる。それが嬉しくて強く抱きしめれば恥ずかしくなったのか鳩尾を軽く殴られたのだが。

 僕達が逢瀬を楽しんでいる間に主が予定通り鶴丸さんを呼んでくれたらしい。ようやく倶利伽羅が来たか!と楽しそうに肩をバシバシ叩く姿に思わず頰が緩む。

「で。その『にゃ』はワザとなのか?」

唐突に鶴丸さんが確信に触れた。普段から回りくどいやり方は気に入らないと宣言していたがあまりにストレートすぎて思わず目を丸くする。でもそれは僕だって聞きたかったことだ。敢えてしているのであればとんでもない確信犯だし、もし僕達が別れた後鶴丸さんのような刀の影響を受け驚かそうとしてきたのであれば目的は十二分に果たされた。

「にゃんの事だ……?」

「え、倶利伽羅気づいてなかったの……?」

 予想もしていなかった純粋な目で返されて、僕の心は驚きというジェットコースターに揺さぶられている気分だった。

 

「……つまりお前さんは自分の滑舌になんら違和感を感じていないと。」

「? ああ。」

 そうか……と鶴丸さんが嘆息する。無自覚でこんな事になる刀がいるなんて。僕としては可愛らしいから別に構わないんだけど、布越しに透けて見える主の口元が微かに引き攣っている事からもやはり異常事態なのだろう。……ただあれは可愛がりたいが今後の対応をどうすれば良いか分からない、というまるで捨て猫を拾った子どものような挙動に見えるから喜んではいるのだろうが。倶利伽羅も空気の探り合いをしている僕達に違和感を感じたらしい。顔つきがどんどん険しくなっていく。言いたいことがあるならハッキリ言え、と言わんばかりの眼力に先に負けたのは僕だった。

「えっとね倶利伽羅。気づいてないかもしれないんだけど、君『な』って言えてないんだよ。」

「は……?そんにゃ筈は」

「そんにゃ。」

 間髪入れずに鶴丸さんが彼の言葉を繰り返すと段々顔が赤らんでいく。

「嘘……だ。光忠、にゃにか『にゃ』がつく言葉を言ってくれ。」

「うーん……。じゃあ『泣かないで』。」

「にゃいてにゃい。」

「違う違う、例を出せっていう話だろう?ほら、『涙は君に似合わないよ』?」

「『にゃみだは……あんたに似合わにゃい』? だからにゃいてにゃいと……にゃ?にゃいて、にゃ……!?」

「漸く自覚したか。ほら、『にゃ』って言っているだろう?」

 鶴丸さんが半ば呆れるようにそう言うと「それにしても君はそんな言い回ししかできないのか」なんて僕の言葉の選び方に難癖をつけられ。肩を震わせ笑う鶴丸さんと主に対し突然だったんだから仕方ないだろう!?と弁明していると不意に茶髪が微かに震えた。

「……明瞭にゃ発音すらできにゃいにゃど、かたにゃとしての……かたにゃ、かた…………おい光忠俺の本体を寄越せ。」

「今渡したら自害する勢いだろう君!そんなこと僕の目が黒いうちは許さないからね。」

「あんた金色だろう。」

  僕達としては愛らしい事この上ない些細な癖だが本人にとっては一大事なのだろう。このままではしょうもないコンプレックスを抱えたまま彼は生活することになる。若しかしたら今のように自ら刀解を望んでしまうかもしれない。折角出会えた倶利伽羅にそんな思いをさせたくなかった。きっかけはただそれだけ。

「ごめんね、君の反応が楽しかったからつい。…………実はこの本丸に来る大倶利伽羅は、皆『な』が言えないんだ。だから君だけが悩む事はないんだよ。」

「……そうにゃのか?」

 両隣から痛いほどの視線を感じる。こんな嘘をついても何も変わらない事くらい僕が一番分かってる。でも彼をおかしな刀だと割り切って捨てる事もせず、無理にでもこの場所に留まらせようとしているのだから少しくらい生活しやすい環境にしたかった。二人の顔色を伺うこともできずただ薄っぺらい笑みを貼り付けながら何処ともしれぬ虚空を見つめていると。

「…………あー。そうだな、この流れも毎度の事なんだ。からかって悪かったな。許せ倶利伽羅。」

 反射的に顔をあげる。視界いっぱいに広がる白に輝く金色の瞳が悪戯っぽく僕に近い側だけ瞬く。

「別に、気にしてはいにゃい……。」

「……えっと。本日が期日の書類があったのを忘れていました。少し席を外しますが二振りが言うように倶利伽羅が気に病む必要はありませんよ。」

 お先に失礼しますね。そう言いながらそそくさと席を立つ主を見送る。あの方の言葉は常に優しさと誠実さに溢れているから、恐らく嘘を突き通せる自信が無くてこの場を去ったのだろう。そうまでしてこの話に乗ってくれたのだ。どんな事があっても彼を大切に守り抜く事が決まった瞬間だった。

 

 その日の夕餉は倶利伽羅を皆に紹介して、夜には有志で彼のための盛大な宴が開かれた。事前に『な』が言えないこと、あまりからかい過ぎないことを伝達していた甲斐もあってか彼もさほど嫌そうな顔もせず混じっていたようだった。久しく新しい刀が来ていなかったこともありいつも以上に飲めや歌えやの無礼講で大層賑やかな夜を過ごした、その翌日。主の部屋に近侍の僕と長谷部君が呼び出された。重々しく長谷部君が口を開く。

「……さて、倶利伽羅の対応だが。報告すべき事がある者は。」

「昨日手合わせをしてみたけど戦闘面に関しては特に気になるところはなかったかな。」

 顕現されてすぐ身体を慣らしておきたいと本人たっての希望で顕現されて早々に手合わせを行った。その剣技は人の身を得たばかりとは思えないほど嘗ての動きと遜色なく、あの様子なら本丸の主戦力になるまでそう時間はかからない筈だ。

「……旧知の者ならその目に狂いはないだろう。」

「ただもう一つ気になるのが、」

  昨日倶利伽羅が顕現された後、出陣していた別の僕が墨俣で別の大倶利伽羅を拾った。一度来た刀はその直後にまた来やすいという本丸に伝わるジンクス通り、あれだけ苦労した大倶利伽羅がその日だけで二振りも揃ったのだ。それだけなら喜ばしいこと……なんだけど。

「……彼奴は言えたんだよな。『な』を。」

 そう、あの刀には違和感も何もない僕が知っている通りの大倶利伽羅だった。とりあえず一振り目の倶利伽羅の目に触れぬよう小さな部屋に押し込めているが今後もそのままでよいのかと問われると違う気がする。かといってあの可愛らしい倶利伽羅を手放すつもりもない。

「そんな目をするな、彼奴を刀解するつもりはない。主もあの倶利伽羅をいたく気に入っているからな。……ただ問題は。」

「政府への報告をどうするか、だよね。」

 再び沈黙が訪れる。この地域では折れた場合は勿論の事、戦場で刀を拾う時や鍛刀果ては錬結や刀解をする時まで刀の増減を逐一報告をすることが義務付けられている。それに加えて鍛刀などを行う際に生じる霊力も観測することで資料上刀剣が不自然な現れ方や消え方をしたり、申請していない刀に不当な扱いをするブラック本丸というものを見抜くためのものらしい。だが彼等は常に完璧を求めている。それ故に刀剣男士として不適合だと判断された個体は速やかに政府の手によって処分されることも多々あるそうだ。個体差というものを極力排除しようとする思想は上の立場的には分からなくもないが今の僕たちにとっては高く分厚い障壁だ。

 更に今後顕現し続ける予定のある刀は端末越しではあるものの政府の役員と軽い会話を交わさなくてはならず、当然報告の義務を怠ればそれなりの処罰が下る。よくそんな面倒な仕事をするものだとある種感心はするがそうまでしても守らなければならない歴史のためある程度は割り切っているのだろう。しかし。

「一応調べてみたけど、どこの大倶利伽羅も一言目は私達が聞いたとおりの口上をするらしいね……。」

 溜息まじりに主がつぶやく。参ったな、最初から言えないじゃないか。そのまま言っても口ごもっても不審に思われるだろう。下手に言い回しを変えても同様。何百何千という彼の言い方を聴き続けている相手に小細工が通用するとも思えない。謁見しない方向で行くなら隠し通すしかない。拾った刀に関しては霊力を使わないから二振り目の彼を倶利伽羅として申請するとしても鍛刀で生じてしまったエネルギーは向こうに知られている訳で、どうにも辻馬が合わない。八方ふさがりに思えたその時、一つの案がすっと舞い降りる。

「ねえ。このまま話し合いを続けていても何も生まれないから一度休憩しようか。長谷部君、少し話があるんだけどこの後いいかい?」

 怪しまれない程度に会話を切り上げ早々に主の部屋を出る。行き先は長谷部君の部屋。場所はどこでもよかったんだけど僕は倶利伽羅と相部屋だし下手に裏庭なんかで話したら誰に聞かれるか分かったものじゃない。音もなく障子を閉めると部屋には静寂が訪れた。

「要件はなんだ。手短に言え。」

 自分の力ではどうにもできない現状に彼も少なからず苛立ちを感じているらしい。藤色を灯す瞳にじっと見つめられ揺らぎそうになる心を必死に隠して平静を装う。

「……あのね長谷部君。次の出陣で僕を重傷にしてほしいんだ。」

 想定外の言葉だったのだろう。口を半開きにして惚ける彼は凄く間抜けだった。

「とにかく傷をつけてくれ。誰が見ても折れる寸前にまで。」

 「……何が、目的だ。」

 俯き小さく震えながら言葉を紡ぐ彼に憤りの色が見える。

 長谷部君が義理堅くて周囲にも案外気を配っていることは本丸では有名な話だ。その原動力が『主に無駄な気苦労をさせないため』なのがなんとも彼らしいのだけど。だから自分から傷つけてほしいと願い出る僕に内心とても動揺しているのだろう。特に僕と長谷部君は顕現した時期も近く、元の主が同じだったことも相まって幾度となく同じ部隊で背中を預けてきた。

 彼にとっても主にとっても酷な作戦であることは重々承知の上だ。でも君にしか頼めない。

「自分で言うのもなんだけど僕達の主は燭台切光忠に些か重すぎる情をかけている、それは何振りも顕現されている僕を見れば誰でも分かるだろう?……だから僕が重傷で帰城すれば間違いなく主は取り乱す。そして気が動転している状態で手入れ部屋に押し込むだろう。」

「……まさか。」

「間違いなくあの人は必要以上の精神力と霊力をつぎ込むだろうね。でも手入れにかかる時間は手伝い札を使ってくれるから一瞬の筈だ。」

 長谷部君が目を見開く。

「つまりお前は……『な』が言えない倶利伽羅の鍛刀に使った霊力を、お前を手入れする時に過剰に発生した力だと……説明するつもりなのか?」

「そう。観測されている霊力も一日程度ならシステムの揺らぎとして見做される範疇だ。この本丸の資材と主の心臓には優しくないけど……どうかな。」

 永遠にも思える程の沈黙。こういう時西洋では『天使が通る』なんて言うらしいけど通るなんて可愛らしいものじゃない。大名行列だ。やがて長考を終えたらしい長谷部君が音もなくスッ、と立ち上がる。

「長谷部君、」

「何をしている。行くぞ。」

「……え。」

 カソックを軽く正し些か乱暴に戸を開け放つ彼の後を慌てて付ける。つかつかと早歩きで向かうのは恐らく主の元。主は演技ができる人ではない。このまま報告されてしまえば何処か態とらしい力になるだろうし、そもそも許しを得られるとも思えない。やはり主が生きる中心になっている彼に頼むべきではなかったのか、早くも後悔し始める。部屋の前に着くと主と話があるから帰れ、と眉間のシワを隠そうともせず告げられる。

「……お前の限界くらいとうに見極めている。安心して主を心配させろ。」

小さく呟かれた彼なりの承諾を理解するのにそう時間はかからなかった。

 

 

 俺がこの本丸に顕現されて嵐のような一日が過ぎ去った。久々に来る奴が物珍しかったのか宴の席でもやたらと絡まれ光忠達が間に入ってくれなければそうそうにバテていただろう。今日は練度の低い者達と鳥羽を何度か回り、自ら刀を振る感覚に打ち震えていた。昨日も光忠と手合わせを願い出たが、やはり持ち主に使われるだけのモノであった頃には知り得なかった体験ができるというのはなんとも興味深いものだ。

 暫くして疲弊した者達を休息させるため本丸へ戻る。俺達と入れ違いで第一部隊が厚樫山へ向かうらしい。部隊長を務める長谷部はなにやら深刻そうな表情をしていたが誰も気に留めていないことから恐らくいつものことなのだろう。後に続く光忠も俺の前にいるとは打って変わり口元を引き締めキッと鋭い眼光で正面を見据える。あれが戦に出る時の光忠なのか。元から整った顔が更に引き締まり世辞を抜きにしても格好いい。……が、俺を認識するやいなや精悍な顔立ちは何処へやら、頬が落ちてしまうのではないかというほど締まりなく笑いながら俺の頭を撫でる。

「おい。子ども扱いするにゃ。」

「僕なりの愛情表現のつもりだったんだけどなぁ。……時間だ、行ってくるね。」

「…………気をつけて帰ってこい。」

 何だかむず痒くて思わずそう呟くと驚いたように目を見開かれる。厚樫山には手練の敵が多くいると聞いたから最低限気にかけたつもりだったのだが、少し顔を引きつらせていたのは俺がそんなことを言うのは些か想定外だったからなのか。過度な馴れ合いをするつもりはないが最低限の交流は必要だろう。礼儀が欠けている奴だと思われていたのだろうか。少々憮然たる面持ちで見送った。

 

 

 空いた時間をどうやって潰そうか思案していると、広々とした場所で寛ぐのも悪くないぞと教えられ広間へ向かう。そこでは主や年長の男士と共に遊ぶ者、仲の良い者同士が集まり内容の無い話に花を咲かせている者、或いはその様子を見ながら隅で茶をすする者、沢山の刀剣男士達が自由気ままに過ごしていることが伺えた。

 そんな和気藹々とした空間に突如として耳を劈くは主の悲鳴。離れた場所からでも刀剣男士達の状態を確認することができるらしい未来の端末を急に慌ただしく操作し始める。口から漏れだす意味を持たない母音に混じり零れ落ちるように聞こえるのは嘘、だのどうして、だの動揺を隠そうともしない声だった。何人かが近づき主を宥めると共に端末に目を滑らせると皆一様に身体を強張らせる。もしや出陣先で何かあったのだろうか。不穏な空気が漂う中、カタカタと震えていた主が言葉を紡ぐ。

「み、みつた……光忠、が……」

 重傷。その一言で広間は水を打ったように静まり返ったた。

 

 

 第一部隊が帰城した。長谷部に抱えられながらグッタリとしている光忠は辛うじて折れてはいないものの呼吸も浅く不安定だ。首の皮一枚で繋がった生、というやつなのだろう。おそらくそう長くない。再び悲鳴をあげ長谷部の手を引きながら手入れ部屋へと消えていく主の絶望に染まった顔がやけに脳裏に焼きついた。

 刀剣男士達とはいえいつかは終わりが来る。今の主が情に熱い人だというのは俺が顕現された時もどことなく感じていたが、戦場で怪我を負うことは多々あるだろうにたった一振りの重傷であそこまで動揺するのだろうか。少しばかり気にかかったので近くで何処か所在無さげにソワソワしていた鶴丸に聞くと、この本丸で重傷者が出ることは久しくなかったらしい。

「加えて光忠は主の気に入りだからなぁ。余計に衝撃も大きいんだろう。」

 確かにここに来てからやたらと光忠にすれ違うと思った。あれは見間違いではなく主が好き好んで収集しているらしい。自分が目をかけている奴が生死の危機に立っているのであれば気も動転するだろう。ただ鶴丸は怪訝そうに続ける。彼奴らは検非違使という強い相手に運悪く当たったそうだが、それでも彼らの練度であれば十二分に勝てる敵だと。

 

「光忠は、検非違使の残党にやられたそうだ。不意をつかれてのことだったから辛うじて生還できたことが奇跡だろう。皆今後とも十二分に気をつけるよう。常に敵の数は確認するように。」

 夕餉の席で光忠の顛末が主の口から語られる。そして手入れは完了したが未だ意識が戻らないとも。それは前例の無い現象だったらしく場が静かにざわめく。推測に過ぎないが受けた傷が深すぎた為に心と身体の乖離が生じてしまったのではないかと主は続ける。ただ所詮は素人の憶測に過ぎないためどうすれば意識が戻るのか分からない。解決の糸口が見えない以上暫くは審神者の霊気を注ぎ続けることにした。真っ白な顔でそれだけ伝えると黙々と食事を胃袋に納める姿は酷く痛々しかった。主にとって食事を摂るこの時間すら惜しいことは誰の目から見ても明らかである。それでもこの場にどうにか留まっているのはきっと誰かに諭されて連れてこられたのだろう。貴方が体調を崩せば元も子もないと。

 結局主は食べ終えると早々に手入れ部屋へと消えていった。食べ始める頃合いは合わせるものの解散のタイミングは自由だが、普段から最後の者が食べ終わるまでその場で談笑しているあの人らしくもない、と不安そうな顔をする者も見えた。

 人もまばらになってきた頃を見計らって俺も席を立つ。風呂に入るには少し早すぎる時間、暫く部屋に篭っていようかと思ったがどうにも落ち着かない。数多いる燭台切光忠のうちの一振りにしか過ぎないにも関わらず、顕現してからずっと俺に付き合ってくれた彼奴に情の一つでも芽生えたのだろうか。このまま光忠が戻ってこないのではないかと言い得もしない不安にかられてくる。悪い想像を振り払いながらもそっと手入れ部屋に近寄る。刀剣の立ち入りは禁止されていないが、壁越しでも全身に打ちつけるような霊気を感じた。

 「……失礼する。」

 部屋に入り真っ先に見えるのは布団に転がされた光忠の姿。少しばかり青白く透き通る肌、整いすぎた顔のパーツは変わらないのに引き結ばれた唇と固く閉じられた瞳が何処か浮世離れした美しさを引き出していた。

「倶利伽羅、」

「……光忠の様子は。」

 無言で首を横に降る主。そうか、とだけ返すと再び光忠へと目をやる。もし、万が一光忠が目覚めなかったとして果たして俺は耐えられるのだろうか。たった一振りの、されど一番俺の癖に真摯に向き合ってくれた光忠。気がつけば主が撫でさする光忠の手と逆の手を握りしめていた。

「光忠。お前がいにゃいと、その、不安だから……帰ってこい。」

 誰に届くわけでもないが呟いた言葉に重なった手が小さく震える。それは俺だけのものではなくて。

「みつ、ただ……?」

「…………あるじ。くり、から。」

 ただいま、へにゃりとした笑みを浮かべながらそう口元だけで伝える伊達男を揺れる視界の中一心に掻き抱いた。

 

 

 

「信じられない、信じられないっ!どれだけ心配したと思って……!!!」

 あの後意識が戻ってから感動の再会をして。……正直二人の抱擁が熱烈すぎて圧死しそうになったのは秘密だけど。倶利伽羅を帰してからやんわり事情を説明して取り急ぎ手続きだけ終えたものの、案の定主にめちゃくちゃ怒られている。

 結局政府には倶利伽羅の後に拾った本来の大倶利伽羅を向かわせ、認可が出てからこっそり刀解した。一振り目の倶利伽羅を鍛刀した時と身代わりになってくれた大倶利伽羅を刀解した霊力は、全て重傷を負った僕を助ける為費やしたエネルギー。審神者の精神が不安定だったためシステム上で数日の誤差が出て、僕が目を覚まさなかったのは主の力が膨大すぎて本能的に身体が拒否反応を起こしたから。という体で怪しまれることなく通っている。これで公に『な』が言えない大倶利伽羅がこの本丸にいることになった。

「意識が戻らないなんて聞いていない。」

相変わらず眉間に皺を寄せたまま長谷部君に小突かれる。少し前まで重傷だったというのに相変わらず容赦の一つもない。

 決行するのは従来そこにいるべき相手よりも遥かに強い検非違使が出現したタイミングだと決めていた。皆が目の前の強敵を逃すまいと散った直後、長谷部君が瞬殺した二体のうち片方を引きずって離れた草陰に隠れていた僕の元に。それを認識した直後に訪れるとんでもない熱。肉を骨を斬り裂かれる痛みより傷口を中心とした燃えるような熱さが全身に広がり、呆然としているうちに膝が落ちる。あぁ、身体が重い。主を悲しませる為に自ら仲間を傷つけてこんな重たいものを引きずって帰る気になるなんて、長谷部君もあれで存外倶利伽羅が可愛くて仕方ないんじゃないか。落ち着いたら僕がいない間誰もいない部屋で『な』を言う練習をし続けていた倶利伽羅の可愛いエピソードでも話そうか。霞む視界の中そう何処かフワフワした面持ちで僕は意識を手放した。

 ……筈だった。気がつけば傷は全て塞がっていて。この手入れ部屋に入るのも久しぶりだな、なんて関係ない事を考えていたのだけれど。予想していたより霊力が少ない。勿論本来の手入れのコストを考えれば過剰すぎるくらいだ。ただ長い間近侍をしていれば鍛刀や刀解に使われる主の霊力を大雑把にだが把握することができる。それと照らし合わせるとどう控えめに見積もっても足りない。

 それで、狸寝入りをした。実際のところ出陣続きだった事に加え倶利伽羅のことで頭を捻っていたから疲れが溜まっていたこともあるだろう。身体中を巡る確かな力に身を委ねて自堕落な一日を過ごしてしまった。主はともかくとして長谷部君や本丸の皆が気にかけてくれるのはなかなか新鮮な体験だったけど、夜が更ける前までには起きないと流石に誤差の範疇ではなくなってしまう。そう思いながらウトウトしていた時だった。耳に深く馴染む声に引かれて意識を浮上させれば側には倶利伽羅がいて。所々『にゃ』になった可愛らしい口調で、帰ってこいなんてか細げに鳴かれたら流石に目を覚まさざるを得なかった。半日ぶりに出す声は少し掠れていたけど、瞳に薄っすら膜を張らせた倶利伽羅が視界に映ると自分がどれほど彼を……いや彼等を心配させてきたのかようよう自覚が湧いてきた。それで、あのザマである。

 今後はそんな無茶なことはしない。もし実行するにしても事前に相談するように。まだ目元を真っ赤に腫らした主に泣きつかれながら言われた言葉は懇願というよりは主命に近い。流石に無茶しすぎたかな、なんて反省しながら部屋に戻る。明かりは既に落とされて規則正しい寝息が聞こえてくるが、律儀に僕の布団も用意されているのを見るとどうにも頰が緩んでしまって仕方がない。

「絶対に、君を守ってみせるからね。」

 髪を撫でながら密かに呟いた声は、静かな部屋に溶けて消えた。


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