SINODA-1
棋院勤めの篠田は、他のプロ有段者に比べて棋士達のプライベートに接する機会が多い。
立ち入った事には踏み込まないたしなみを持ち合わせ、尚且つ自らのこういった立場がお役に立てればというスタンスなので、内外の者に信頼厚く、頼られる事もしばしばある。
そんな篠田が、棋院一階の廊下で呼び止められた。
相手は一般囲碁サロンの常連で、アマ段位も取得している、顔見知りの二十代の男性。
確か何処だかの雑誌社勤めで、棋院記者部の何人かとも懇意にしている筈だ。
「お忙しい所すみません。あの、先ほど桑原本因坊をお見かけしたのですが」
「ああ、今日は雑誌関係の取材で来られたのだと思います。何か?」
「桑原先生にお尋ねして確かめたい事があるのです」
「どのような?」
篠田は今一度相手を見た。
個人的なファン根性でトップ棋士にまとわり付きたがるタイプではない。
知った限りでは、若いけれど礼節のある常識人だ。
「分かりました、記者部へ連絡して、桑原先生に時間を頂けるか確認してみますね」
「あ、大した事ではないのです。一言で済む質問ですので。桑原先生のお身内に『桑原カヤコ』という女性がいらっしゃるかどうか、だけで」
「『桑原カヤコ』なら儂の孫娘じゃ」
男性の話の途中で眼前のエレベーターが開き、丁度桑原本人が、数人の編集者と共に降りて来た。
「カヤコがどうかしたか? 惚れても嫁にはやらんぞ」
「あっ、いや、いいえっ」
突然現れたお目当ての人物に男性はピリッと緊張し、それから慌てて名刺を引っ張り出した。
「は、初めましてっ。『月刊クレアシオ』編集の北上と申します」
「くれあ・し・・」
桑原は面倒くさそうに受け取った名刺をねめつける。
「古今東西近代古代、映像絵画建造物と、クリエイティブ関連なら何でも扱う雑誌です」
「・・・・」
桑原はますます不機嫌風になり、周囲の編集者はハラハラした。
「それでですね、先の『東雲杯』絵画部門で銀賞を受賞された桑原カヤコさんは、先生のお孫さんでいらっしゃるのかと」
「??」
桑原が目を真ん丸に見開いて止まった。
止まった桑原の代わりに、側にいた北上の顔見知りらしい編集者が聞いた。
「その『東雲杯』ってどういうの? 『日展』みたいなヤツ?」
日展なら、よく芸能人とかも入賞していて、一般人に馴染みが深い。
「日本美術展覧会略して日展は、広くアマチュアにも門戸を開いているから知名度はあるけれど、東雲杯は玄人向けで、海外ではこちらの方が評価が高くて……」
北上は、説明し慣れているテンプレートを暗唱しようとした。
「おいおい、一般人にも分かるように言え。そのナンチャラ杯の銀賞ってのは、囲碁界でいうとどの辺りなんだ?」
一般人にはもっと分からないであろう質問だ。
「だから、頭に卵のカラをくっつけたような新人が、いきなり本戦とかリーグ入りしたみたいな物なんですってば!」
SINODA―2
一同、ポカンとした。
北上だって棋院記者とも親交があるアマ有段者。
『例え話』の加減を大きく違(たが)えたりはしないだろう。
「凄いじゃないですかっ、桑原先生!」
篠田が満面の笑みで、黙ったままの本因坊を覗き込んだ。
岩手の田舎から上京して来た孫娘に下宿代代わりに運転手をさせているというのは、桑原から聞いていた。
駐車場で寸暇を惜しんでスケッチをする彼女も何度か見かけている。
そして、あの『脳天直撃』の現場にも居合わせた。
そうかあの娘(こ)が……
普段、若い棋士達の成長を見守っているだけに、囲碁であろうと絵画であろうと、努力が実を結ぶという事に、篠田は素直に感動する。
「知らん・・」
唸るように呟く桑原に、一同(え??)となる。
「初耳じゃぞ」
北上は硬直する。『子供が親に内緒で芸術の道を志すパターン』は、ありがちだ。
しまった、特ダネを取れる筈が、トンでもない事態を招いたらどおしよう……
「おい、誰か駐車場へ行ってカヤコを呼んで来い。黒のプレジデントの運転席におるわ」
不穏な空気から逃れるように、一人の編集者が駐車場へ走った。
周囲に人が立ち止まり始めたので、篠田は桑原をロビーのソファへいざなった。
北上も恐々と着いて行く。
「あのあの、東雲杯って、本当に凄い賞なのですよ。過去受賞者の中には世界でグローバルに活躍する作家さんも大勢いて……」
おどおど取り繕う北上を、篠田は気の毒な目で見た。
桑原は雰囲気で威圧感があるだけで、本当は大して怒ってはいないと思うのだが、慣れない若者には怖いのだろうな。
「それで北上と言ったな。お前さんは、カヤコをどうして儂の身内だと思ったんじゃ?
桑原という名字は、そこら辺に幾らでも転がっとるだろう?」
「あっ、はいっ、えとその」
「あの娘が、儂の事を何処ぞで自慢しよったのか?」
篠田はハッとして桑原を見た。
絵画の世界の事は分からないが、『祖父がタイトル棋士』というのは、若い女性作家には話題性の取れる肩書きなのかもしれない。
例え彼女が作為しなくとも、周囲が彼女を売り出す為に審査に手心を加えたのだとしたら?
そうではなかったにしても、それを勘ぐってコネクションだと揶揄する者も現れそうだ。
彼女が祖父に受賞を臥せるのは、何かゴタゴタに巻き込まれているのでは……
我が事のように心配になって来た。
「いえっ、違うんですっ、そうじゃなくてっ」
北上も同じ意味に受け取ったらしい。
「受賞作を見て頂ければ……えっと、今お見せします」
青年は慌てて自分の鞄からA4タブレットを取り出す。
必死で画面を繰る青年に、隣の篠田は心で一生懸命応援した。
「おじいちゃん?」
タブレットが目的の画面にたどり着く前に、当のカヤコが、編集部員に連れられて登場した。
真っ白な肌と真っ黒な髪が、いかにも東北娘らしい。
全体的に素朴で飾り気無く、言っちゃなんだが芸術家というイメージは無い。
「どしたの? 聞きたい事ってなあに?」
「桑原先生は、君の東雲杯受賞の経緯をお知りになりたいそうだ」
篠田が口を挟んだ。
差し出がましいとは思ったが、何とか彼女の味方になりたかった。
「この若い記者さんが、どうして君を桑原本因坊の身内だと思ったのか? とか」
「そんなの当たり前だわ」
カヤコは篠田の心配などどこ吹く風で、呑気にサラリと答えた。
「だって、おじいちゃんを描いたんだもの」
SINODA―3
またまた一同、口をあんぐり開いた。
「桑原先生を? えっと、桑原先生を、絵の、モデルに?」
「それも初耳じゃぞ」
老人がギロリと孫娘を睨む。
「えーっ、言ったってば。『描いてもいい?』ってちゃんと聞いたよっ」
「濡れ縁に脚立を立てた時か? あれはてっきり庭を描くものだと」
「脚立じゃなくてイーゼルっ」
「どっちでもええっ」
老人の血管が本気で心配になって来た篠田が、再度口を挟む。
「カヤコさんは、単純に純粋に、ただ、桑原先生を描きたかったの?」
「ハイ、だっておじいちゃんカッコイイでしょ? 囲碁を打つおじいちゃんが世界で一番カッコイイ。だからおじいちゃんを描いたんです」
あっけらかんと言い切られて、桑原は口をパクパクする。
「東雲杯に出した他にもおじいちゃんの絵が10枚位あって、ゼミの先生が、その中から出品作を選んでくれたんです。お前どんだけおじいちゃん好きなんだよって笑われた。あはは」
能天気に一気に喋る娘にもう何も言えなくて、篠田は恐々と桑原を見やる。
老人も毒気を抜かれて、どう反応していいやらの顔をしていた。
少なくともこの娘は、コネクションとか、コネクションだと思われる心配とか、そんなのは脳みそに入っていないようだ。
「ありましたぁ!!」
必死にタブレットをまさぐっていた北上が、疲弊した声で叫ぶ。
A4の黒い板は桑原に渡され、篠田他一同も横から覗き込む。
「・・・・」
正直、『桑原の絵』というと、教科書に載っていた岸田劉生の麗子像のような、おどろおどろしい人物画を想像していた。
違った。
液晶に映し出されていたのは、遠くに山を配した田舎家の、美しい風景。
庭の前面に白や紫、淡い桃色の花、後ろには初夏の瑞々しい黄緑。
濡れ縁のある家屋の開けられた障子の奥に、碁を打つ老人が座す。
障子は半分しか開いておらず、老人の対座は見えない。
が、それが独りの詰碁ではなく、誰か親しい者と打っているのが分かる。
老人の様子が、本当に楽しそうなのだ。
大仰(おおぎょう)に笑っている訳でもないのに、それが分かる。伝わって来る。
見る者に、見えない対局者と老人との間柄を想像させる。
どこか懐かしい、穏やかな、暖かな心になれる絵だった。
老人は確かに桑原だったが、言われてそうかと気付く程度だ。
この風景の中にしっくり然と溶け込んでいる。
「ほらね!」
声を無くして見入る一同に、北上が自分の事のように誇らしげに言う。
「東雲杯を見くびらないで下さい。本当に実力ある作家さんにしか取れない、硬派な賞なんです。私は桑原先生のお顔を存じておりましたので、作者の桑原という名字を見て、もしかしてと思っただけで」
篠田は、一時でも、カヤコの受賞にオトナの事情を絡めて考えた事を、申し訳なく思った。
「それで勿論記事にしたいのは山々なのですが、……その、ご意向に沿わないのならば、諦めます。第一私は、この絵のファンなのです」
「いや、むしろ、棋院の発行物でも取り上げたいですよっ。あとこれ、囲碁啓発のポスターとかにどうです? イケますよね」
「あっ、ダメですぅ」
カヤコの間延び声があがった。
「著作関係はもう先生と一緒の画廊さんとケーヤクしてるので……えっと、シヨウとかテンサイとか、画廊さんを通して下さいってコトです」
「・・それも初耳だぞ・・」
桑原が立ち上がった。
「お前、いつの間にそんな一人前の作家面(づら)出来るようになった? このコンテストの結果も、儂は何も聞かされておらんのだがっ?!」
篠田が隣でまたハラハラしたが、当のカヤコは平気の平座で言い返す。
「え~~、だってぇ」
「だって、何じゃ?」
「おじいちゃん、一等賞の報告以外は要らないって言ったじゃない。岩手の家に、お父さんとお母さんを説得しに来てくれた時。絵の勉強の学費も何もかも、心配せんでえぇ任せておけって、啖呵きってくれた時」
「・・・・」
桑原は口をへの字に曲げて押し黙った。多分覚えがあるのだろう。
「銀賞は、まだ、二等賞だもの」
SINODA―4
「棋院の上の階には初めて上がりました」
「そうですか、ようこそ」
キョロキョロ歩くカヤコの先に立って、篠田は手合い所の襖を開けた。
時間が早いので、道場はまだ無人だ。
「如何です? 意外と広いでしょう?」
「畳の匂いが清々しいです」
カヤコは目を細めてニコニコしている。
頭の中で既に絵筆を握ってイメージを膨らませているのだろうなと、篠田は思った。
東雲杯銀賞のカヤコの絵を見た者の間で、棋院に飾る絵を一枚描いて貰おうという話が持ち上がった。
桑原翁は渋ったが、周囲になだめ倒された末、『プロの正式な仕事として引き受ける』『自分は描くな』という条件を付けて許した。
あと、出来上がった作品は、カヤコの契約画廊から自分が買い上げて棋院に寄贈すると、ややこしい提案を押し通した。
先生は意固地なんだからと他の職員が笑う中で、篠田は、桑原のカヤコへの愛情を垣間見て、心和んだ。
孫がコネクション呼ばわりされるのを一番心配していたのは、この人だ。
篠田は、若い院生達が夢に向かって精進している姿を描いて欲しいと願い出た。
有名棋士の華やかな対局の絵も良いが、篠田としては、名もない子供達をこの女性に描いて貰いたいと、個人的に強く思った。
篠田の提案が通り、本日カヤコがイーゼルを担いで訪れたのだ。
「バスで来たのですか?」
「はい、おじいちゃんはゴルフで、今日はプレジデントは宮守さんが運転手です」
宮守というのは桑原邸の使用人で、カヤコが上京して来る前は、彼が桑原の外出に同道していた。
カヤコが運転手としてここに来ている姿しか見ていなかったので、彼女が画学生であるとかプロの絵描きを目指す為に上京したのだとか、まったく知らなかった。
思えば桑原邸には、桑原夫人が存命中からの家政婦も居たし、孫娘が祖父の世話の為に上京する必要など無かったのだ。
「下宿代払うよっておじいちゃんに言ったら、じゃあ『運転手』やれって。私がアルバイトに出たら何かやらかすとでも思っていたのかしら」
きっとそうだろう。
言ってくれれば良かったのに、桑原先生。
まあ、照れ臭かったんだろうな。 孫の夢を応援しているなど、確かに柄じゃない。
あときっと、『好々爺(こうこうや)』とか言ってからかいそうな人物が、約一名いるし……
「どういった段取りで描かれます?」
描き位置を定めたらしいカヤコに、篠田が訪ねた。
「そうですね、院生さん達のみえる土日に4~5回スケッチに来て……下描きが出来たら、後は自宅で仕上げます。絵の具の匂いが研修の邪魔になってはいけないし」
「それで大丈夫なの?」
「必要になったら、使っていない時に、部屋だけ描きに来させて貰うかもしれません」
「じゃ、その時は私に連絡して下さい」
「はい」
しっかりした所もあるんだな、と思った。
桑原の前だけで力の抜けた孫娘になるのが、自分達と真逆で面白いな、とも。
「そういえば、カヤコさんは囲碁は打たないの?」
「はい、自分では、打ったこと無いです」
部屋の端に積まれた足付きの碁盤を眺めながら、彼女はぽつっと答えた。
「ああこの盤、木目が本当に綺麗。こういうのが描きたいなあ」
篠田は声を立てずに苦笑した。
碁盤を見て石を打ちたいではなく、絵に描きたいと言う者が、この世にいるとは思わなかった。
「勿体ない、おじいちゃんに習えばいいのに」
家族がまったく囲碁に興味を持ってくれないとボヤく囲碁仲間は多いが、この娘は囲碁もおじいちゃんも好きそうなのに。
「私に囲碁は向いていないって言われました。私は絵だけを描いていればいいと」
「桑原先生が?」
「いえ、トモダチが」
「友達? ですか?」
エレベーターホールに賑やかな声がした。
子供達がやって来たのだろう。
二人は話を中断して部屋を出た。