聖王国の鈴木悟   作:ニギ

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本当に遅くなりました。
弁解の余地がありません、本当に申し訳ありませんでした。

そして、二話で早速更新が停滞するという体たらくを晒しているにもかかわらず、それでも待ってくださっていた皆様、心から感謝いたします。


今回で、ようやっと前座が終わるという感じです。
パベルの妻の口調に関しては、参考資料が「私に勝てたら許してやる!」という、ネイアの回想の一言だけだったのでほぼ想像です。一応、レメディオスにもうすこしもう少し女性らしさを足したというイメージで書きました。




パベル宅へようこそ

「……は?」

 

 パベルは考える。今随分と、そう随分とおかしな言葉を聞いた気がする。

 なんだろう、この聖騎士団長様はあの不審の権化を、愛する妻と娘とともに生活させろとか仰りやがったりはしなかっただろうか?

 なんの冗談だろう。笑えない。

 

「スズキをいつまでもここに置いておく訳にもいかんだろう。しばらくの間お前の家で面倒をみてやれ」

 

「いやっ、ちょっ、ちょっとお待ちください! わ、私には家族がいるのですが?!」

 

「ん? ああ、お前の妻ならよく知っているぞ。あの人は実に優秀な聖騎士だった。彼女とお前なら、スズキの見張りにも十分な戦力だろう!」

 

 そういうことではない。そういうことではないのだとパベルは心の中で悲鳴をあげる。

 

 仕事を家庭にまで持ち込む男は家族に嫌われると何かの本で読んだことがある。

 そもそもまだ家には、愛らしい娘がいるのだ。あのような得体の知れない男を娘の半径10メートル以内に近づけるなどあってなるものか断じて。

 

 しかし、どうだろうこの聖騎士団長の中ではもう決定事項のようになっているではないか。

 

 パベルは、以前娘に嫌いと言われて以来の狼狽っぷりを見せる。そんな姿に同情し、グスターボが助け舟を出す。

 

「あー、団長? 兵士長殿にも家庭やプライベートがあるのですから、それは流石に酷ではありませんか?」

 

「ふむ、それもそうか……」

 

(副団長殿……!)

 

 ありがとう副団長、今度あなたのペットのバーニアに餌を差し上げます。

 

 パベルはグスターボの優しさに胸を震わせる。そして、無事この話は流れそうだと安心しかけたのだが、そうはいかなかった。

 

「では、一週間だ。このまま城に戻り、ケラルトやカルカ様にスズキの処遇について、一先ずの決定をしてもらう。長くても一週間のうちには城に召喚することになるはずだから、それまで面倒を見ててくれ。これならいいだろ?」

 

「一週間ですか……」

 

 なお、自身の提案を撤回しなかったレメディオスに、一度元気になったパベルの心は再び落ち込む。ただ、一週間と期限を指定されたのはせめてもの救いと言えた。終わりが分かっていれば、多少の苦難も耐えられるだろう。

 それに、仕方がないとはいえ、現状なんら罪を犯してない男を牢屋に入れることには、パベルも多少の罪悪感があった。

 

「かしこまりました……」

 

 パベルは渋々その提案を受け入れる。レメディオスはその返答に「よし!」と満足げに答えると、自身の本来の職務に戻っていく。

 グスターボも、少しの間気の毒そうにパベルを見ていたが、すぐにレメディオスを追った。その際、パベルに慰めの言葉をかけたが、消沈している彼に届いていたかは不明である。

 

 そんな二人を見送ってから、パベルは事の次第を伝えるために、サトルのいる部屋へ戻っていく。

 

「取り敢えず、ネイアとの会話禁止令は出しておくか……」

 

 肩を落としてそう呟く兵士長に、見張りの兵士は静かに敬礼を送ることしかできなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 *****

 

 

 

 

 

 

 

 化粧台の上に手を置いて、そっと何かを呟く。すると、その手を中心に淡い光を放つ魔法陣が構築された。完成した魔法陣は、そこから薔薇の香りのする蒸気を発生させる。その香りは上品で、心地の良いものである。

 無事、魔法が発動したことを確認すると、顔を近づけてその蒸気を浴びる。かるく前かがみの姿勢になり、長い髪がサラリと落ちる。艶めく鮮やかな光沢を湛えた、金糸のような髪であった。

 

 聖王国王女カルカ・ベサーレス、門外不出の美容魔法行使の瞬間である。

 

 美しい顔も相まって、その様子は非常に優雅であったが、彼女の心の中は適年齢への焦燥でまったく穏やかではない。その非凡な魔法の才能をフルで使って、幾つもの信仰系“美容”魔法を開発しているあたり、彼女の美への鬼気迫り具合が窺える。

 

「どうしよう……本当にそろそろ良い人を見つけないと……」

 

 カルカは今、結婚相手を求めている。

 聖王女という権威につられて彼女に擦り寄る貴族は多くいるが、彼女が求めるのはそんな自分を利用しようとするような男ではない。地位や名誉など一切なしで、糸を纏わぬカルカ・ベサーレスという人間そのものを愛してくれる殿方こそ彼女の理想である。カルカの美貌をもってすれば、けして贅沢な望みではないように思われるが、聖王女という立場上どうしてもそれは難しい条件となってしまう。

 ただ、聖王女という立場以上に彼女を結婚から遠ざけているものがあった。

 

「違うのに……私は普通に殿方が好きなのに……」

 

 “聖王女様、ご子息ご息女のご誕生不可能な嗜好をお持ち説”である。

 

 ケラルト・カストディオ、レメディオス・カストディオという未婚、交際経験なしの美人姉妹と常に一緒にいることから囁かれてはじめた噂だ。

 カストディオ姉妹とカルカの三人セットで語られる根も葉もない悪評はいくつかあるが、カルカにとって、どうしても払拭できないこの説こそ最大最悪の悪評であった。

 

 「レメディオスやケラルトが早く結婚してくれたらいいのだけれど……いや、それは先を越されたみたいでなにか複雑ね……」

 

 いつものように、魔法の効果が切れるまでこの悪評を無くす手立てを考えるカルカ。平常であれば、あと半刻は彼女の自由にできる時間であるはずだったが――――

 

 

 

 ――――コンコンと、扉を叩く音がした。

 

 

「カルカ様、ケラルトです」

 

 刹那、カルカはパンと手をたたいて魔法陣を消滅させる。蒸気も空中に霧散して消えた。

 サッとハンカチを取り出し、しっとりと湿った顔をふく。そして、椅子に優雅に腰かけて、適当なページを開いた本を持って応える。

 

「どうぞ」

 

 カルカの許可を得て、ケラルトはそっと扉を開け、一礼して入ってくる。カルカは「自分とあなた達の仲なのだから、公式の場でない時ぐらい楽にしても構わない」といつも言っている。しかし君主を敬愛する姉妹は、他の者と比べればカルカとも会話を自由にするが、それでも一定以上の礼儀は遵守していた。

 ちなみにカルカのそういった発言が例の噂に信憑性を持たせているのだが、本人はそのことを知らない。

 

 部屋に入ると、ケラルトはスンと鼻を動かす。

 

「良い香りです……薔薇ですか?」

 

「そ、そうなの、薔薇の香水をいただいてね! そんなことより急にどうしたのかしら? ケラルト?」

 

 急ぎ、話題をそらす。カルカは、窓を開けておかなかったことを少し後悔した。

 

「ええ、そうですね。まずは、それですね。どうやら、姉様がもう戻ってくるみたいなんです」

 

 そう言ってケラルトは、トンと自身の額に指を置いた。レメディオスに同行していた神官から《伝言/メッセージ》を受け取ったようである。

 《伝言/メッセージ》は、正確性において何かと不安の多い魔法であるが、ある程度の技量を持った者同士がそれ程離れていない距離で、危険度の低い情報をやり取りするには便利な代物であった。

 

「あら、もう? 戻るのは明日になると聞いていたのですが」

 

「はい、私もそう聞いてたのですが、何やら急ぎ連絡することがあるそうで……何でも、国境で妙な男を保護したとか」

 

「国境で、ですか……」

 

 そう呟いてカルカは、自国の誇る要塞線を思い浮かべる。あそこは、亜人の侵攻を食い止める聖王国の盾である。であるから、その向こう側には亜人共が跋扈しているわけで、そんな場所にいた人間ともなれば当然カルカも警戒する。

 

「なるほど、それは確かに重要な案件ね」

 

「ですね。詳しいことは聞いていないので、一先ずは姉様達が戻るのを待ちましょう」

 

「そうね、じゃあここでお茶して待ちましょう。今から紅茶を入れるわ、あなたはそこに座っていてね」

 

 そう言って立ち上がるカルカに、ケラルトは少し慌てて言う。

 

「ああ、もう、カルカ様、この場合そういった雑事は私の役目ですよ。紅茶は私が入れますから……」

 

「いいのよ、誰が見ているわけでもないのだから、こんな時ぐらい友人として接してほしいのだけれど?」

 

 そう言ってカルカは、さっさと部屋の奥に行ってしまった。ケラルトは溜息をつくも、主人からの嬉しい言葉に少し頬を緩めて椅子に座る。

 

 カルカは、そんなケラルトの様子に満足したように笑うと、さり気なく窓を開けて、香りの強い種類の紅茶の瓶を手に取った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「失礼します!」

 

 元気の良い挨拶とともにレメディオスが入室する。そして、そのままカルカ達のもとへ歩いて行き、主人に一礼してからテーブルにつく。

 

「モンタニェスさんもどうぞ」

 

 カルカにそう促されて初めて、グスターボは敬礼を止めて部屋に足を踏み入れる。そして、カルカにもう一度深く辞儀をして、レメディオスの後ろに立った。

 

「モンタニェスさん、あなたも椅子に座ってもらっていいんですよ。ほら、ちょうどあと一席空いています」

 

「いえ、私なぞ皆様と比べれば、立場も能力も大きく劣る身、この場にご一緒させていただくだけで十分でございます」

 

 グスターボの返事に、カルカとケラルトは顔を合わせて微笑んだ。グスターボにこの場にいてもらわなくては困るのはこちらの方なのに、と。

 2人がなぜ笑ったのか分からないが、レメディオスも取り敢えず口角を上げておいた。

 

「それではレメディオス、早速ですけどその保護された男について詳しく教えてくれます?」

 

「はい! ああ、えーと、そうですね。そいつはサトル・スズキというやつで、あー、中部拠点でパベル・バラハが、ほら、あの九色の黒の弓の腕のたつ男です。で、そのパベルが保護して、なんだったか……ユグ何とかという外道の王の国からきた可哀想な男で、カルカ様の偉大さを語ってやったところ、大いに感動していたから見どころはありますね。私からは以上です。あとはグスターボから聞いてください」

 

 最終的に報告が感想になったところで、レメディオスはグスターボにぶん投げた。その潔さはいっそ清々しい。

 大体こうなることは予想がついていたが、それでもカルカがわざわざレメディオスに話をふったのは、癒されたかったからである。狙い通り、今のカルカはとてもほっこりしていた。

 

「はっ、では私からご説明させていただきます……」

 

 カルカが微笑み、ケラルトは額に手を当て、そして何故か――ほんとに何故か分からないが――レメディオスがドヤ顔をかます中、グスターボは団長から引き継いだ報告をはじめた。

 

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

「それで、娘は聖騎士を目指しているわけだ。妻の反対は凄まじくて、俺が盾になることで何とか説得できたわけだが――あの時は久しぶりに娘からありがとうと言ってもらえたな。あのネイアは本当に可愛かった……いや、もちろんいつだって可愛いのだがな? というか娘が可愛いのは自明の真理というか……そうだ可愛いといえば――」

 

(何回目だよその話……馬車に乗ってから何回同じ話をしたよ……)

 

 先程から「そうだ~といえば」の乱用により、幾度となく繰り返されているパベルの娘自慢にサトルはげんなりする。

 

 少し話を前に戻そう。

 パベル達は、オルランドへの任務の引継ぎもありレメディオス達に半日遅れる形で実家のあるホバンスへと出発した。馬車の中はサトルとパベルの二人だけである。レメディオスの意見もありサトルへの警戒が大分弱まったこともあるが、サトルのもっとも近い場所での監視がパベル一人に任されているのは、ひとえにパベルの実力が信頼されているからである。

 

 パベルは、出発と同時にサトルに言った。

 

「いいか、妻にも娘にも触れるな、というか話しかけるな。妻に関しては向こうから話しかけられた場合は仕方なしとするが、娘とは接触する機会すら与えんからな。というか、部屋を一室与えるから基本的にそこから出るな。用を足す場合は俺を呼べ、廊下で娘と偶然すれちがうという可能性もあるからな……まったく、なんでお前のような訳の分からん男を……そうだ、男をだ! 同じ屋根の下に……」

 

 突如バラハ家のお約束十か条をぶちまけ始めたパベルの、敵意というよりは悲しみを感じる言葉に、何を返せば良いか分からないサトルは苦笑いを浮かべる。

 初対面の時とは違い、自分に対する警戒を隠そうともしないパベルの態度であるが、サトルは別にそれを不快とは思わなかった。そもそも自分が警戒されるのは仕方のないことと自覚していたし、それ以上に、パベルの態度の変化は、娘を家族を愛するが故のものであると分かったからである。その様子は微笑ましく、すでに両親のいないサトルにとっては若干羨ましくもあった。

 ネズミの化け物を倒してくれたことと、牢屋に行くことになる予定だったらしい自分を――不承不承であるが――引き取ってくれたことから、サトルのパベルに対する好感度は高い。それに、パベルの家族に危害を加えるつもりはもとより無いので、彼の要求をのむことに抵抗はなく、精神的に余裕があった。   

 

 それ故に、あの一言を口にしてしまったのである。

 

 

 

「大切な娘さんなんですね」

 

「ああ、そうだ自慢の娘だ」 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(いやさ……最初の方は、本当に娘さんが大好きなんだなあってほっこりしたよ? でも、もう一時間以上ずっと話し続けてるぞ……それも同じ話を……溺愛しすぎだろう……)

 

 『木彫りの人形編』『初めてのお弁当編』『家族でキャンプ編』『聖騎士を目指す編』『最近若干冷たい編』のランダムリピートに、社会人時代の接待スキルで対応していたサトルであったがそろそろ限界が近い。ホバンスに着くまでにこの国の情報をできるだけ得ておきたいとも考えているので、なんとか別の話に持ち込めないかと隙をうかがう。

 

「……というわけで、もうすぐネイアは聖騎士訓練生として家を出てしまうんだ……そうだ…」

「そうです! そ、その聖騎士のことなんですが!」

 

「……む? 聖騎士がどうかしたのか」

 

 何度目かの『聖騎士を目指す編』が終わった隙に、すかさず別の話を切り込む。それが、うまくいき話の主導権はサトルへと移った。

 

「先ほどお話しさせていただいた方が、ご自身を聖騎士団の団長と仰っていたのですが、やはり団長ともなればお強いのでしょうか?」

 

「ああ、カストディオ団長のことか、そうだな、個の武力で言えばこの国であの方の右に出るものはいないだろう。周辺諸国でも随一の強さを誇っているのは間違いないな」

 

「やはりそうですか……いえ、話していて妙に威圧感があったので、強そうだなあとは思っていたのですが……」

 

 パベルの答えを聞いて、サトルは気を引き締める。聖王国最強、周辺諸国で随一ともすればそれは相当な強さであると見るべきであろう。まさか、ワールドチャンピオンであるたっち・みー以上ということではないだろうが、戦うことは避けるべき相手だとサトルは考えた。

 

「しかし、当然、カストディオ団長だけが強いというわけではない。団長には及ばずとも、この国には強者は多くいる。例え剣の腕は平凡でも、この国を民を守らんとする強い意思を持った者たちがたくさんいる。そんな真の強者達が血と汗を流し、剣をふるっているからこそ、この景色は今日も美しいままなんだ」

 

 そう言って、パベルは窓の外を眺める。それにつられて、サトルもここまであまり気にしていなかった、車窓の向こうに目を向けた。

 空と空を反射した湖の青色に挟まれて、鮮やかな緑色の草原が広がっている。その中にポツリ、ポツリと建っている民家の白い壁は朝日を反射してキラキラと輝いていた。

 自然と人の営みが調和している、完成された景色であった。

 

「ああ……本当に……きれいです……」

 

 それは、サトルの心の底からの言葉である。

 

 空が青い。水が清い。日が差している。本物の緑がある。

 

 すべてが、彼の過ごしていた世界では「昔はあったらしいもの」でしかなかった。

 

 絵本の向こう側の光景であった。

 

(色々あってあまり気にしてなかったけど、これって凄いことだよな)

 

 リアルでは、例えどれだけの金を投じてもこれほどの景色を直に見る機会は得られないだろう。そんな景色が一介のサラリーマンにすぎない鈴木悟の眼前に、当然の如く広がっているのである。

 

「……良い国ですね。ここは、毎日がきっと楽しいでしょうね」

 

 目を輝かせてそう呟くサトルを見れば、その感動に噓がないことはすぐに分かった。その純粋さにパベルは頬を緩めるが、同時に疑問も抱く。

 

 その、初めて目にしたかのような顔はどういうことだろう?

 

 ユグドラシルとは一体どんな国であったのだろう?

 

「……なあ」

 

「はい?」

 

「あー、いや……何でもない」

 

 パベルはユグドラシルについて聞こうとしてやめる。こんな雑談のような形でする話でもないだろうし、今、個人的に抱いた疑問はサトルの回答次第では余計な私情を抱きかねないものであったからだ。

 サトルは少し不思議そうにしたが、別段気にする様子もなく再び窓の外に目を向けた。

 

「あの丘で昼寝とかしたら心地よさそうですね」

 

 サトルは陽のよく当たったある丘を何気なく指さす。そこは、たまたま、パベルの良く知る場所であった。

 

 それでパベルは、そういやまだあの話はしてないなと思い出す。

 

「ああ、あの丘か、あそこは昔、娘とよく遊びに行っていた場所でな……」

 

「えっ?! ちょっ……」

 

「そうだ、娘と遊ぶといえば……」

 

 

 ホバンスへの道のりはまだ長い。

 

 

 

 

 

 

 *****

 

 

 

 ホバンス一等地、バラハ宅

 

 洗濯で庭に出ていたネイアは、そこをたまたま通りがかった隣家の婦人と柵越しに話をしていた。

 

「それにしても、お子さん大きくなりましたね」

 

「そうなの、まだ手で体を支えながらだけど少しづつ歩けるようにもなってきてね。ちょっと目を離すとすぐどっか行っちゃうから毎度ハラハラさせられるわあ」

 

 婦人はそう言って嬉しそうに笑う。話の中心である子供は、背中のおんぶ紐の中でグッスリ寝ており起きる気配がない。

 

「ああ、そういえばこの間はごめんなさいね? せっかく抱っこしてくれたのにこの子ったらあんなに泣いちゃって……」

 

「いえ……全然大丈夫です……」

 

 お腹がすいてたのかしらね? と婦人は気を利かせているが、その子が泣いた理由が自身の狂眼にあると自覚しているネイアは、歪な愛想笑いを顔に貼り付ける。

 泣きたいのはネイアの方であった。

 

 おそらく笑っているのだろうネイアの有様に同情しつつ、婦人は半ば強引に話を変える。

 

「あー、そうそう、果実園をしている知り合いが居るんだけど、この間、安くでたくさん譲ってもらったのよ。後でお裾分けするわね」

 

「いや、そんな悪いです。タダでなんて……」

 

「いいのよ。ネイアちゃんのお母さんには怪我した時にいつもお世話になっているんだから」

 

 遠慮するネイアに、婦人はそう答える。

 もとは聖騎士であったネイアの母は、魔法による加護で軽い怪我なら治癒することが出来た。そして、多くの聖騎士と同様の強い正義感のために近隣の住民に頼まれれば、治せる範囲で無償の治癒を行っていたのだ。

 

「ここら辺は神殿から少し離れてるからね、ネイアちゃんのお母さんには本当に感謝してるのよ」

 

「あはは……神殿の方達はあんまり良い顔しませんけどね……」

 

 無償で勝手に治癒を行われることは、お金を取って人々の治療にあたる神殿からすれば当然容認し難いことである。ただ、ネイアの母がするのは、神殿で診てもらう程ではない軽傷の治療や神殿で診てもらうまでの応急処置ばかりであり、よって黙認されていた。

 

 母に対する感謝に「伝えておきます」とだけ答える。

 ネイアは、聖騎士を目指す者として、当然母のことは尊敬していた。というよりは、母という存在があったから、聖騎士に憧れたのであろう。

 そんなネイアにとって、母が感謝されることは、やはり誇らしいものであった。

 

 

「―――なんだか、随分話しちゃったわね。ごめんなさいね? お手伝いの途中だったのに」

 

 しばらく他愛のない世間話をしていた二人だったが、ネイアの洗濯物を干す作業が停止していることに気が付き婦人は謝罪する。

 

「いえ! そんな! 気にしないでください」

 

「本当にいい子だねえ、ネイアちゃんは。この子もネイアちゃんみたいに育ってほしいわぁ……ああ、それじゃ、これ以上お仕事の邪魔しちゃ悪いから、また後でね」

 

「はいっ! お気をつけて!」

 

 すぐそこなのに気をつけるも何もないわよー、と笑いながら婦人は家に帰って行く。

 残りの洗濯物もさっさと干してしまおうと、ネイアがカゴに手を入れた時、その鋭敏な聴覚が馬鉄の音を捉えた。

 

「こんな時間に何事だろ」

 

 気になって様子を伺う。しばらくして、一台の馬車がこちらに向かってきているのが見えた。馬を操っている兵士には見覚えがある。

 

「あの人って確かお父さんの部下の人だよね」

 

 過去に数回、家に訪れたことがあったので顔を覚えていた。しかし、昨日家を出たばかりの父は、あと四日は帰らないはずである。一瞬、父が何かをやらかしたのかと考えたが、あの真面目な父に限ってそれは無いだろうとその考えを捨てる。

 だが、異常な事態であることには間違いなく、ネイアは少し身構えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 やはり、馬車はバラハ宅の前に止まった。扉が開き、パベルが降りてくる。

 

「お父さんお帰り。えっと、どうしたの?」

 

 庭から出て、玄関の前でネイアは父を出迎える。

 

「ああ、ただいまネイア。あー……お母さんはいるな?」

 

「うん、今家の中で掃除してるけど……」

 

「そうか、じゃあ、詳しいことは後で話すから、ちょっとお母さんを呼んできてくれるか? それと、お母さんを呼んだらネイアは家の中で待っていなさい」

 

「え? でも、まだ洗濯物が途中なんだけど」

 

「それは、お父さんがやっておくから」

 

 やはり、何かが起きたのは間違いないらしい。いつもと様子の違う父親にネイアは少し不安になる。しかし、なんやかんやでパベルのことは信用しているので、ネイアは大人しく父の言葉に従った。

 

 

 ネイアが家に入ってそれ程間を置かず、ネイアの母が家から出てくる。ネイアも詳しい話をされていない以上、ネイアの母にも「取り敢えず来てくれ」という情報しか伝わらず、訝しげな顔をしている。

 

「どうしたの? というか何事よ、忘れ物?」

 

「そうではないが……ちょっと……いや、大分面倒なことになってしまった。これは、俺としても本当に遺憾であり……もう、なんでこんなことになったんだか……」

 

「だからどうしたの? はっきりしないな」

 

 妻に急き立てられて、パベルは、事の詳細を語り始める。ただ、その中でパベルは、自分が如何に今回この様な結果となってしまったことを残念に思っているのかを力説した。仕事を家庭に持ち込んだのはまったく不本意であり、けして家族の団欒というものを軽んじたわけではないのだと、俺の家族愛はいまだ火球(ファイヤーボール)だと訴えかけた。しかし、妻はそんなパベルの言葉を「そういうのはいいから、要点だけ話せ」と切り伏せる。

 きっと、言うまでもなくパベルの家族愛は妻に伝わっていたのだろう。そうなのだろう。

 

 パベルは、全てを話し終えて妻の様子を窺う、どうやら機嫌が悪くなるということは無かったようである。一安心だ、と思いきや妻は思わぬことを口にした。

 

「なるほど、つまりお客さんが来ているということだね」

 

「うん? いや、違うな、断じてお客さんではない」

 

 あれ、おかしいな? とパベルは首をひねる。自分はサトル・スズキのことを、(我が家に)招かれざる監視対象であると説明したはずであるのに、これはどうしたことであろうか。

 

「いや、あの男は極めて得体の知れない存在であって、それ以前に男であって、うちのネイアは天使であるからして、決してお客さんなどとおもてなしすべき対象ではないのだ。わかるな?」

 

「しかし、別に不法入国者というわけではないんだろ?」

 

「まあ、そうだが……」

 

 そう、パベル達が気絶したサトルを救出のため国内に運び入れたのであって、サトルが自分の意志で勝手に国土に踏み入ったわけではない。

 

「そして、別に何か悪事を働いたわけでもないんだろ?」

 

「まあ、今のところは……」

 

「レメディオス団長が、うちで面倒見るように指示したんだろ?」

 

「まあ、不本意だが……」

 

「では、客人だね」

 

「そんな……馬鹿な……」

 

 現状、サトルのポジションは極めて微妙な位置にあり、それこそ接する人の気持ち一つで簡単に扱いが変わるものであった。パベルとしても別に、サトルを邪険に扱いたいわけではない。しかし、我が家に来るとなれば話は変わる。隔離せねばならない。

 

「ほら、いつまでも馬車で待たせてたら失礼でしょう。早く上がってもらわないと。しかしまいったな、まだお酒は残っていただろうか……」

 

 そんな、パベルの思いとは裏腹にパベルの妻は着々と歓迎のための思案をはじめる。団長にしても妻にしても、聖騎士の正義感はこれだからとパベルは泣きたくなるが、今回は多分パベルの過ぎた子煩悩にも問題がある。

 

「わ、分かった。客人待遇は分かったから、せめてネイアとは会わせないでおこうか」

 

「何言ってるのよ、ちゃんと挨拶させないと」

 

 泣きそうな顔になるパベル。しかし、娘を持つ男親ともなれば程度の違いこそあれ皆こんなものである。分かってあげてほしい。いや、知らんけど。

 

 

 

 

 

 *****

 

 

 

 

 

「サトル・スズキと申します。この度は私のような、どこの誰とも分からない人間を迎え入れて頂き誠にありがとうございます」

 

「迎え入れたわけではない。一週間のうちに出ていってもらっゴフッ!」

 

「何か不便があれば、私にでも旦那にでも娘にでも気楽に声をかけてくれると良い。できる限り、力になるよ」

 

 脇腹を抑えて膝をついたお父さんに、スズキさんは少しの間心配そうに目を向けていたが、すぐにお母さんの言葉に応えるようにもう一度深く頭を下げた。

 スズキさんが頭を上げるのを待って、自己紹介をする。

 

「娘のネイア・バラハです。よろしくお願いします」

 

「こちらこそよろしくお願いします。とても賢そうな、礼儀の正しい娘さんですね」

 

「ふふ……そうだろう? 自慢の娘だ。うちのネイアはだな……」

「お父さん、やめて」

 

 また、いつものように私の自慢話をしようとしたのですぐに遮る。私の冷たい声に、この世の終わりみたいな顔をしているが気にしていられない。毎度毎度、誰かが来るたびに絶え間なく私の話をする癖は、ほんとにどうにかして欲しい。それを、聞くたびに顔から火が出るほど恥ずかしくなるのだ。

 

 そんな、私とお父さんのやり取りを、スズキさんは苦笑いしながら眺めていた。

 お父さんが異常に警戒していたから、一体どんな人が来るのかと随分と身構えていたが、スズキさんは拍子抜けするほど普通の人だった。顔立ちこそ、ここらではあまり見かけない、いわゆる南方系の顔であったが、話し方は穏やかでとても優しそうな人である。

 

(それに、私を見ても少しも怖がらなかったな)

 

 これまで私が出会ってきた人は、大人子ども問わず、程度の違いはあれ初対面なら多少の動揺を見せてきた。そのつどなかなか傷ついたものだが、このスズキさんという人は、私を見ても顔色一つ変えないで普通に挨拶を返してくれた。

 これだけのことで喜んでいたら、お前はどれだけ幸が薄いのかと人に言われそうだが、それでもこの目つきの悪さは深刻なコンプレックスであっただけに、スズキさんの対応が妙に嬉しかった。

 

「ネイア、市場でパンとハムを買ってきてくれる? 切るだけなら私にもできるからな。ああ、あとお酒もあまり残っていなかったから、いつものを一本」

 

「ああ、そんなお構いなく……」

 

 そう言ってスズキさんは、出かける準備をはじめる私に申し訳なさそうな目を向ける。

 

「大丈夫です。歓迎させてください」

 

 私はそう言って笑った。真顔のほうがまだ愛想が良いと言われる私の笑顔だけれど、それでもスズキさんは、少しも顔色を変えなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あと、お父さんが代わりに干すと言った洗濯物を、結局やっていなかったので私がお母さんに怒られた。

 かなり、イラっとした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 *****

 

 

 

 

「――――以上のように、サトル・スズキについて対応している状況です」

 

 グスターボが、中央部拠点でのサトル・スズキに関するあらましを簡潔明瞭に説明した。カルカやケラルトに並んで、レメディオスも初めて聞きましたみたいな顔をしていることに心の中で眉をひそめたグスターボを誰が非難できるだろうか。

 

「ユグドラシルですか……私は、聞いたことありませんね。ケラルト、あなたはどう?」

 

「私も聞いたことがありません。それに、突然現れた理屈についても常識で納得のいくものはすぐには思いつきませんね」

 

「カルカ様とケラルトにも分からないなら、私が分からなくても仕方がないな!」

 

「姉様、そんなに快活に言うことじゃありませんよ」

 

 いつも言いたくても言えないことを、ケラルトが言ってくれるのでグスターボはすこしだけ優しい気持ちになれた。彼は今、早く帰ってペットを愛でたい。

 

「なんにせよ、これだけではあまりに情報が足りませんね。やはり、一度会ってみた方がいいかしら」

 

「そうですね。ただ、姉様、兵士長さんには一週間以内にと伝えたのですよね?」

 

「ああ、多分そうだ」

 

「間違いなくそうです」

 

 横からグスターボが、情報を確実なものにしてくれる。

 

「では、まずは一週間、兵士長さんの家で様子をみましょう。ホバンスならここから近いですし、何かあればすぐに情報がくるよう伝達網をつくっておきます」

 

「そうですね。では、スズキさんが新しく聖王国民となる可能性も高いですから、私はその準備をしておきましょう」

 

 ケラルトとカルカで一先ずの方針を立てる。レメディオスはその様子を笑顔で眺める。

 

 

 取り敢えず言えることは、「一週間以内ということなら、存外明日明後日には城に召喚されるのでは」というパベルの淡い期待は、泡沫のようにはじけて消えた。

 

 




次回更新も、大変申し訳無いのですがいつになるか分かりません。

あと、また、パベルの妻ですが、一応今は「お母さん」「パベルの妻」「妻」という風に表記していますが、今後話をつくっていくうえで、あまりに出番が増えるようなら何か適当な名前を与えようと考えています。その時は、マリアとかそんな無難でありきたりなやつにするつもりなので、できるだけ抵抗を感じないで頂けると嬉しいです。

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