そんな彼がこの地に辿り着く、数年ほど前。
オラリオ中を震撼させた大事件が、幕を開けようとしていた。
聞くところによると、闇派閥に一応のトドメを刺したであろう疾風のリオンは、無事に保護されたらしい。自身も何度か世話になったことがある
ぼうっと感慨に浸っていると、目の前の少女はテーブルの上に広がった書類を眺めながら、ぱんぱんと、二度手を鳴らした。
「何ボーッとしてるのよ。大事な打ち合わせでしょ?」
「あぁ......悪い。」
レンリ・オブリージュ。ハーフエルフの少女で、ハチマン専属の迷宮アドバイザーでもある。二つに結んだ金髪は肩の辺りまで届いており、はみ出した髪の毛を、彼女はうっとおしそうに耳にかける。
そんな彼女とハチマンは、明日に控えた迷宮探索について、事前の打ち合わせを行っていた。
ハチマンが所属するのは、オラリオでも最大規模の"アシュタルテ・ファミリア"である。尤も、団員が多すぎるため、高レベル冒険者は全て"本隊"に所属しており、少数精鋭で活動している。
一方で、ハチマン達......その他大勢の団員達は、迷宮探索の際には幾つかのチームを編成し、交代で潜るようにしているのだった。
ハチマンは、そのうちの一つの指揮を任されている立場でもあった。
「取り敢えず探索は明日ね。了解したわ。それじゃ、今回は私も同行するから。」
レンリは当たり前のように同行を申し出た。アドバイザーといってもレンリ自身Lv.4の"元"冒険者であるため、戦闘能力は申し分なかった。初めは拒否していたハチマンだったが、彼女が戦う姿を見てから、徐々に拒めなくなっていき、なし崩し的に同行することが増えていった。
ただし、正式にはレンリはギルドの所属ではない。
暗黒時代から平穏の時代に突入したオラリオは、冒険者の数が激増していた。そのため、ギルドの正規職員だけでは業務が回らなくなったため、"期限付き"で昨年の夏に外国から派遣されてきたのが、レンリなのである。
因みに、彼女自身の主神は存在するし、恩恵も受けている。このため、ギルドの職員は神々の恩恵を受けない。という暗黙の了解を考慮して、期間限定の応援要員ということになっているわけだ。
「は?ついてくるの?」
「うん。久しぶりにハチマンのパーティを見ておきたいし。担当アドバイザーとしては。」
気だるげなハチマンに対して、レンリは"私は当然のことを言っているまで"といったような口調で返す。
「いや、いきなりすぎんだろ......」
「大丈夫大丈夫。私の実力は知ってるでしょ?中層程度なら、自分の身くらい自分で守れるから。」
正直、ハチマンとしては願ったり叶ったりではある。分隊というのは、本隊と違って低レベル者も多い。このため、場合によっては中層程度でも苦戦を強いられることがある。
死者が出るほどではないが、ハチマンや彼の側近のベイガンといった、高レベル者の負担がどうしても大きくなる傾向にあった。
「そりゃ知ってるけどよ。こっちにも連携ってもんがあってだな」
一応というか、形だけでも拒否しておく。アドバイザーに積極的にダンジョンに潜ることを推奨するのは、あまり体裁が良くない。ハチマンはそう考えていた。
「私が居ればハチマンが無理して前に出る必要もないでしょ。大体あなた本当は前衛向きじゃないんだから。いい加減、ずっと前衛に出張るのはやめなさい。」
レンリの言っていることはかなり的を得ている。ハチマンのステイタスは良く言えばバランス型、悪く言えば器用貧乏。しかも、耐久力に難がある。
"裏技"を使用すれば前衛で暴れ続けることも可能と言えば可能なのだが、それも、そう何度も多用できる様なものでもない。レンリの言う通りに出来れば一番いいのだが......。
「無理だ。俺のチームにはそれだけの人材がいない。」
「......だから私が行くって言ってるのよ。」
レンリはそこまで見越して提案しているのだった。放っておけば、それこそギリギリまで後ろに下がることが出来ない。なんてことになりかねない。
偏ったチーム編成に対して、彼の主神に対しての文句がふつふつと湧き上がってくるが、ここでは抑えておく。
「取り敢えず、出発は明日の朝。ロキ・ファミリアが遠征中でゴライアスは倒されてるから、階層主の心配はなし。18階層の
「あぁ。それでいい。悪いが、今回は宜しく頼むわ。」
「ん、了解したわ。......コンちゃんの手入れ、しとかないとね。」
"コンちゃん"というのは、レンリの愛斧である"コンビクション"のことだろう。レンリが繰り出す謎のネーミングセンスに、ハチマンは首を傾げることが多いが、口には出さないでいた。
それはともかく、レンリが来てくれるなら今回の小遠征は、特段の問題は発生しないだろう。そう思い、ハチマンは少しだけ気持ちが楽になったのだった。
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ハチマン達のホームはオラリオ北東に位置しており、付近では魔石製品の製造が行われている。つまるところ、この都市全体の利益を産んでいる大本の地区ということになる。
その一角に、"無地の舘"がある。
無地といいながら、外観は紫なのは謎だが、気にしたら負けだろう。
ハチマンが舘に入るなり、ガシャガシャという金属音を響かせながら走りよってきた、中年の男。名を、ベイガン・シュバルツと言う。
「おお!ハチマン殿!打ち合わせが終わったのですな!?」
「あぁ。今回もあいつが来てくれるから、宜しく頼むわ。」
「なんと!レンリ殿が!これは士気が上がるというものですなぁ!」
「はは......落ち着け。あと、近い。」
ベイガンは騎士装束に身を包んでおり、腰には威圧感のある騎士剣が帯刀されている。
彼は、主にパーティの盾役を担っており、ハチマンの側近でもあった。
レンリが来ると聞いて、テンションの上がっているベイガンを見て、思わず苦笑いを浮かべてしまう。
確かに可愛いのは認めるが、一度ダンジョンに入れば、常に死と隣合わせの状況となる。そんなことを考えている余裕はないのだ。
「取り敢えず、体調だけは整えといてくれ。ベイガンが居ないと俺が死ぬことになる」
「はっはっは!ハチマン殿は防御に"難あり"ですからなぁ!お任せを!この剣に誓ってお守り致しますぞ!」
「お、おう......宜しく頼むわ」
高笑いを響かせながら騎士剣を抜刀して、ベイガンは外に出ていってしまった。恐らく、明日に備えて素振りでもしようとしているのだろう。
「良い奴なんだがやかましいんだよな......」
ベイガンはいつも先程のような調子である。対して、常時テンションが低めのハチマンは、しばしば彼の勢いに飲まれてしまいそうになるのだった。
とはいえ、見た目の通り、真っ直ぐで信頼に足る人物であると、ハチマンはベイガンのことを評している。そして、ベイガンはとにかく"硬い"ため、防御に難はあるものの、攻撃力はそれなりのハチマンとは相性が良かった。
信頼できる人間と上手く連携できるということは、迷宮探索を行う上でとても重要なことだ。極端な話、能力的に相性抜群だったとしても、窮地に追い込まれたら逃げ出すような奴と組むのは、死んでも御免だ。
それこそ、命がいくらあっても足りない。
「さて......」
休憩室を除くと、やはりというか人の姿はまばらである。昼過ぎという時間のため、殆どの団員達は出払っているようだった。
ハチマンは、手頃な椅子を探して腰掛けると、ゆっくりと目を瞑り、想像する。
18階層までのマップは頭に入っている。イレギュラーが起こりやすい箇所も同様に、彼の頭の中に叩き込まれている。
それでも、繰り返し、繰り返し、想定できる想定外を頭の中で浮かべ、整理する。
ある時から、ダンジョンに潜る前には、この"作業"を行うのがハチマンの常だった。
冷や汗を背中に流しながら。
臆病すぎるほどに臆病。不安要素を取り除いておかずにはいられない小心者。それが、今のハチマン・ヒキガヤという少年。
それでいて、
それが、"本隊"の高レベル冒険者達のハチマンに対する評価だった。
そんな風に評される彼が、何故分隊に留まっているのか。
――答えは単純であった。
彼は一度、失敗したのだ。
自分のパーティを全滅させ、"一人"生き残った"死神"。
彼のことをそんな風に揶揄する者も、このファミリア内では少なくはない。