なんか八坂真尋に憑依したらしいけど、ツッコミとか上手くフォーク投げるとか出来ないし、何より面倒だからそこら辺は本人に任せて俺はボケに回ることにした 作:姉川春翠
居間でお茶を啜るニャル子を呆然と眺める。
不意に我に帰り、僕は心を落ち着かせるように深く長く息を吐いた。
「どうです? 少しは落ち着きましたか?」
両手で茶器を包みながら、ニャル子が問いかける。
「あ、ああ……大丈夫」
ぎこちなく答えながら、胸の辺りに手を当てる。さっきまであった激しい感情が今は驚くほどに落ち着いている。
「いやー驚きましたよー。まさか真尋さんともあろう人があそこまで取り乱すなんて」
遡ること少し。
「煙で何も見えない!」
「ま、待ってて! ぼくがなんとかするから!」
女が謎のアイテムを使って周りに緑色の煙を撒き散らした。
煙が母さん達の姿を隠し、それを見たハス太はすぐさま反応して風で吹き払った。けど煙が晴れた時にはもう母さん達の姿は消えていた。
「クソっ! 早く母さんたちを追いかけないと!」
「真尋さん落ち着いてください! お気持ちはわかりますが、今闇雲に動いても徒労に終わるだけです!」
ニャル子の指摘は最もだ。そう頭で分かっていても、この時の僕は完全に冷静さを失っていた。
母さんを連れ去られたという焦りと、このままじゃ母さんが死んでしまうかもしれないという恐怖。今まで抱いたことのない強い感情が、荒波のように押し寄せて抑え切れなくなっていた。
「落ち着いていられるかよ! 母さんが危ないんだ! なのにどうしてお前らはそうやって呑気にしてられるんだよ!」
「ですから。しっかりと行き場所を特定して」
「うるさい! お前たちが動かないなら例え僕一人でも!」
「真尋さん一人でどうにかなるわけが」
「じゃあお前らで早くなんとかしろよ! 今すぐに! どうせ何か都合の良い技術かなんかあるんだろうが!」
「ま、真尋くん。お願いだから落ち着いて?」
「だから落ち着けるわけ」
そんな僕を落ち着かせるためにニャル子は思いも寄らぬ行動に出た。冷静になった今でもどう反応すればいいのか分からない行動に。
「いやー、実に美味でしたよー。愛する人の口の中ってあんな感じなんですね」
語尾にハートマークを付いたようなウキウキとした口振りでニャル子が言う。
その発言に当時の事を思い出して顔が熱くなった。ニャル子の顔を直視できず、堪らず逸らしてしまう。
「おや? もしかして照れてます? 照れてますよね?」
「う、うるさい……」
「キャー! これはもう完全にフラグが立ちましたよー! いや危なかったぁ。あまりにイベントをことごとく亡きものにされるものですから、危うく私以外の人のルートに行くところでしたよ。いえ厳密に言えば私は人ではないのですがァ!」
だーはっはっはと上機嫌に女の子らしからぬ高笑いを上げるニャル子。
この会話を聞けば大体が察するだろうが、そう、目の前にいるニャル子めは僕を止めるために唇を……唇を……いやそれどころか舌を……しかも吸って……。
「うわぁーッ!! もうこの世の終わりだ! 僕はどうしたらいいのか分からない! どうすんの!? どうすんだよ俺ェ!」
「続くゥ!」
「続かせねぇよ!」
頭を抱えて身悶えする。心もざわついている。現実を受け止めることが出来ない。
「クソ……どこで選択肢を間違えたんだ? もしかして最初の選択肢で助けを呼ぶことを頑なに拒んでトロフィーを手に入れようとしたのが間違いだったのか?」
「SAN値振り切れて別の世界線の話ししてますよこの人……」
「てか大丈夫か? 卵とか産みつけられてないよな? 胃の中のもの全部吐き出した方がいいのか? それとももう手遅れなのか?」
「錯乱しているとはいえ平然と傷つくこと口にしますね真尋さん。幾ら私でもそんな」
「ところでハス太の姿が見えないけどどこ行ったんだ?」
「わぁ!? 急に落ち着かないでくださいよ!」
そんなに驚くほどのことだろうか。
改めて事情を聞いたら何か分かるかもしれないとハス太の姿を探すが同じ部屋にはいない。
行方を聞いてみるとニャル子は照れたように顔を赤くして言った。
「ハス太くんならその……うふふ。私と真尋さんのラーブラブチュッチューな場面を見たら石像みたく固まってしまいまして。それはもうゴルゴンの目を見てしまったかのように」
「お前……まさか外にそのまま」
「嫌ですねそんなまさか。ちゃんと適当に見繕って『題名ハス太くん像 作ニャル子』と彫った台座の上に乗せて外に置いてありますよ」
「なおタチ悪いわ!」
「今頃たくさんのお捻りが」
「大道芸かよ!」
心配になり慌てて部屋を飛び出す。そして玄関に差し掛かったあたりでふと、僕の部屋の方から何やら微かに物音が聞こえてきた。
「どうしました? 真尋さん?」
追いかけてきたニャル子が、急に立ち止まった僕を見て首を傾げる。
自分の耳はこんなに良かっただろうかと疑問に思いながらも耳を澄ませた。
『ここが真尋くんお部屋……』
ハス太の声らしきものが聞こえた。どうやら僕の部屋に向かったらしい。ニャル子の言っていたことは半分冗談だったということだろう。
「ハス太のやつ僕の部屋にいるみたいだ」
「なるほどー。てなんですとぉ!?」
立場が逆転し今度はニャル子が慌てた様子で階段を駆け登っていく。元気な奴だ。
とりわけ慌てる必要もないかなと思い、僕は歩いて部屋に向かった。
「こらハス太くん! あなたこんなところで何やってんですか! ダメでしょうが私の愛しの真尋さんの――もとい人様の部屋に勝手に入っちゃ!」
「お前、どの口が言ってんだ」
コイツ僕の部屋に不法侵入を繰り返しているはずだが。
しかしニャル子は僕のツッコミを気にも止めず、ハス太のこめかみ辺りにぐりぐりと拳骨を押し込んでいる。
「痛い! 痛いよニャル子ちゃん!」
「ほら痛がってるだろ。やめろよニャル子」
「何言ってんですか真尋さん! 我々の愛の巣に土足で踏み込んだというのに許されるとでも!?」
「誰と誰の愛の巣だって?」
懐からフォークを出してチラつかせる。
するとニャル子は即座にハス太から距離を取り、土下座の姿勢に早変わりした。
あまりにも早い所作。僕でなきゃ見逃しているところだ。
「すんません。勘弁してください」
「ほらハス太。大丈夫か?」
「あ、うん。ありがとう」
ハス太の頭を軽く撫でてやる。弟がいたらこんな感じなんだろうか。
「ぐぬぬ……熱いラブラブのキッスというイベントを越えてもここまでの仕打ちが待ち受けているとは」
「き、キッス……っ!?」
ニャル子の発言にハス太が硬直した。
なるほど。どうやら先の戯言はあながち嘘でもなかったらしい。本当に石にでもなったかのように直立で固まっている。
「ほほう? これは」
ニャル子がニヤリと不敵な笑みを浮かべる。嫌な予感しかしない。
「ハス太くんハス太くん」
「はっ!? な、なにニャル子ちゃん?」
「キーッス」
「ガチーン!」
ガチーンて口で言うの初めて聞いた。というかニャル子の行動は案の定というかなんというか。
「ハス太くん」
「えっ? あ、なにニャル子ちゃん?」
「キッスキッス」
「ガチーン!」
「ハス太くんハス太くん」
「あっ……ど、どうしたのニャル子ちゃん?」
「キスキスキス……キスキスキス」
「ガチーン!」
「いやお前ら遊んでんじゃねぇよ」
ハス太もノリで遊んでるようにしか見えないんだが。
「大体落ち着いたとはいえ母さんのことはまだ気掛かりなんだ。早く追いかける方法を考えないと」
「ああ、それならご安心ください。もうそろそろ連絡が来ることかと」
「連絡?」
問いかけるとニャル子は服のポケットから携帯を取り出して、見せびらかすようにこちらへ突き出した。
「真尋さんが平常を取り戻している間に、上司に掛け合って居場所を突き止めてもらってるんですよ」
「へぇー。お前意外と仕事できたんだな」
「失礼な! 私はかーなーり強くて仕事のできる女ですよ!」
「初めて会った翌日、位の一番に買い物したやつがよく言えるよな。しかも密航に等しいし」
返しにニャル子がぐぬぬと唸り出す。言い返す言葉がなかなか出ない様子だ。
「でも犯人の居場所も特定できるっていうのは、やっぱり凄い技術持ってるんだな惑星保護機構」
「ああいえ、特定してもらっているのは女の居場所ではなくクー子の居場所です」
「クー子の?」
一瞬どうしてと思ったが、考えてもみればあいつも惑星保護機構のエージェント。ともなれば上の人間がその位置を特定することは造作もないんだろう。
そう考えるとあの謎の女の行動は計画性に欠けている。居場所を特定されれば向こうも困るだろうに。
計画を丹念に練る余裕もなく、なりふり構っていられない状況にあるということなのだろうか。
「ところで真尋さん」
「うん?」
「少しだけお聞かせ願えますか?」
「なにを?」
「どうして真尋さんがあそこまで取り乱してしまったのか、ということです」
ニャル子の表情がいつになく真剣で思わず言葉を詰まらせる。
頭をかきながら、当時のことを思い出す。正確には当時僕が垣間見た光景を。
「なんていうかその……あまりに荒唐無稽で言いづらいんだけど」
「大丈夫です。真尋さんの言うこと信じますから」
はっきりとした声音に後押しされ、僕は少し曖昧ながらも答えた。
そこは知らない部屋だった。
部屋の壁一面にはぶち撒けたように赤い何かが付着していて、その中央に誰かが倒れていて、うつ伏せになった体からも赤い何かが畳に染み込むように流れていて。
そんな思い出しただけでも悍ましい光景が一瞬脳裏に過ぎったのだ。
「なるほど……真尋さんはその倒れているのがお母様だったらと思ってしまったわけですね?」
「まあ……そういうことになる」
「でもどうして真尋くんはそんなものを見ちゃったんだろ?」
「真尋さんが見たそれは、おそらくですが真逆さんの記憶の一部なのかもしれませんね」
腕を組み、口元に手を当てていつになく真剣な顔のままニャル子は言う。
「真逆くん? てあの猫ちゃんみたいなぬいぐるみの?」
事情をまったく知らないハス太は不思議そうな目で首を傾げる。
「そうでした。ハス太くんはまだ事情を知らないんでしたね」
ニャル子は端的にだが僕と真逆の関係を説明した。
それを聞いてハス太は少し驚いた様子で僕の顔を見てから、小さく「そうなんだ」と呟く。
普通に考えたらあまりに現実離れした話だが、コイツらの存在も現実離れしてるしすぐに受け入れられるだろう。
「あくまでこれは仮説ですが、真尋さんが抱いた感情は、本来なら真逆さんが抱くべき感情だったのかもしれません」
「それどういう意味だよ?」
「思い出してもみてください。真逆さんはあの時落ち着いている様子でしたよね?」
指摘されて思い出してみると、確かに真逆が取り乱している様子はなかった。
「けど過去のことだと割り切っていたり、本人が今はもう気にしていなかったら普通なんじゃないか?」
「そうですね。ですが真逆さんのこれまでを見ていると、そう簡単に割り切れるタイプじゃないと私は見ています。それこそすり減って小さくなってもズルズル、ズルズルと延々と引きずるタイプじゃないかと」
まあ確かにニャル子の言っていることも理解できる。実際そういう性格なんじゃないかというのは僕も思っているところだ。
「原因は分かりませんが、真逆さんの記憶の一部が見えるくらいに繋がりが強くなっているのかもしれませんね。他にも何か記憶の断片のようなものを見た覚えは?」
「一応……あるにはある」
問われて、ニャル子達に似た少女たちが出てきた光景を思い出す。そこには今日初めて出会ったハス太に似た少女の姿もあった。
ただ何故か口にしない方がいいような気がして「けどすぐに忘れた」と答えた。
ニャル子は腕を組んで思案を巡らせる。ここまで真剣に考えてくれているあたり、こいつの言う「愛している」も真実なのかもしれない。
「これは真逆さん本人にも色々聞いてみる必要がありそうですね」
聞いても適当にはぐらかされそうだけど。と苦笑したタイミングでどこかで聞いたことのあるメロディが流れる。
どうやら上司からの連絡が来たようで、ニャル子は携帯を取り出すと耳に当てた。
「はいもしもしニャル子です。はい。はい。ええ、クー子の息の根はちゃんと止まってましたか?」
おいちょっと待てと入りたかったが、どうせいつもの悪ノリだろうと思いスルーする。
案の定上司に電話を切られそうになったのかニャル子はすぐさま「冗談です、すみません」と謝った。
ニャル子が通話している間、なんとなく先ほど聞いたメロディを思い返す。あれってなんの曲だっただろうか。確か何かのゲームの曲だったような。それもそこそこ古いゲームの。
「はい、分かりました。ありがとうございます」
通話が終わりニャル子は携帯を閉じてふぅと一息吐く。
「クー子の居場所わかったのか?」
「ええ。どうやら南緯四七度九分、西経一ニ六度四三分の海底だそうです」
「それって確か……」
ニャル子が口にした経緯度になんとなく思い当たる節がある。それに海底と言われればひとつしか思い浮かばなかった。正直あまりいい予感がしない。
「ルルイエランド……クー子たちはそこにいるようですね」
ため息混じりに出たワードに僕は天を仰いだ。