なんか八坂真尋に憑依したらしいけど、ツッコミとか上手くフォーク投げるとか出来ないし、何より面倒だからそこら辺は本人に任せて俺はボケに回ることにした 作:姉川春翠
次はこちらの番だ。クー子は問いかけて内心呟く。
クー子の問いにニャル子は堪らず目を大きく開いていた。明らかな動揺が揺れ動く瞳に表れている。
「なっ……あんた急に何を言って」
ニャル子は声を震わせる。見てみると体も小刻みに震えていた。
「な、なな! なーにを言ってんですか! 大体あんたなんか変身しなくても余裕なんですよ。ヨユー!」
明らかに話を誤魔化そうとしている。冷や汗を滲ませて、上擦った声をしていながらさも冷静であるかのように振る舞おうとしている。
そんな見え透いた嘘にクー子が騙されるはずもなかった。
クー子は炎を纏いながら首を傾げる。
「……質問の意味がわからなかった? じゃあ今度ははっきりと言う」
クー子は制服姿から本来の姿へと変身する。
「……変身しないと多分死んじゃうよ? ニャル子」
本気だ。ニャル子は直感する。今目の前にいるクトゥグアは殺す気でこちらに向かってきている。放たれる殺気がそう物語っている。
クー子は一歩一歩ゆっくりとニャル子に近づく。その所作は隙だらけで、いつものニャル子であれば隙を見逃さず一撃入れていたことだろう。
しかしニャル子は、
「く……ッ!」
あろうことか一歩後ずさった。
クー子は立ち止まる。ニャル子のことを見続けてきた彼女が、その行動を見逃すはずもなかった。
「……やっぱり」
変身を解くとクー子は肩落とす。この予感は当たってほしくなかった。
「敵前で変身を解くとは余裕のつもりですか? クー子」
「……挑発しても無駄。私がどれだけニャル子のことを見てきたと思ってるの?」
「油断させるための罠かもしれませんよ?」
「じゃあどうして、私が変身を解いた今でも逃げ腰なの?」
「えっ……?」
ニャル子は思わず自分の足元を見る。先程よりもさらに二歩後ろに下がっていた。完全に無意識の行動だ。
「……ニャル子が隠そうとしても私には分かる。何度もニャル子と喧嘩した仲だからこそはっきりと。今のニャル子は明らかにルルイエで再会した時よりも弱っているって」
拳を握り締めて、唇を噛みながらニャル子は俯く。もはやこれ以上隠し通せはしないと観念していた。
「いつ気づいたんですか?」
「最初に違和感を覚えたのはこの間の事件の時」
「この間というとイースの……?」
「……そう。あの時ニャル子は自分で戦闘をするの避けているような気がしたから」
クー子の指摘にニャル子は「まあそうですね」と呟く。
当時ニャル子は真逆に任せるつもりで動いていた。それは紛れもない事実だ。
状況が状況だった故、クー子も真逆を頼ること自体に反対はしなかった。一方でいつものニャル子ならばそんな要求をしないのではないか、という違和感もあったのだ。
「……それが確信に近づいたのは、私ともう一人の少年が、少年のお母さんとあの人について行った時」
クー子はこの時のニャル子の表情をはっきりと鮮明に覚えていた。真尋とハス太は気がついていなかったが、去り際に背中越しで見たニャル子の表情はこれまで見たことがないほどに青ざめていたのだ。
「……それで思ったの。ニャル子はもしかしたら何かの原因で力が弱くなっているのかもしれないって」
そして先ほどのやり取りが最後の決め手だった。
どれだけ殺気を放ってもニャル子は変身しようとしなかった。それどころか敵前で戦意すら失っていたのだ。
「……どうしたの? なにがあったの?」
クー子は問いかける。今の弱々しいニャル子はそれはそれで魅力的だが、求めているのは屈強で決して折れることなく向かってくるニャル子だ。一体なにが原因でそうなったのか知りたい。
対しニャル子は苦笑する。つくづく今ここに真尋がいなくて良かったと。
「幻夢境でのこと……覚えていますか?」
クー子は静かに頷く。忘れるはずがない。あの日のこと、真逆から知らされた時の衝撃は、今でも鮮明に思い出せるのだから。
「私はあの時事件の元凶である兄を倒しました。けど事件はそれで終わらなかった」
ニャル子の兄ニャル夫を倒した後、突然不可解な現象が起きた。何者かが彼に乗り移り、兄とは遠く離れた姿に、女の姿に変貌した。そして自身のことを〝ニャル美〟と名乗っていた。
今にして思えばあのニャル美という女は真逆の世界の自分だったのかもしれない。などと考えながらニャル子は話を続ける。
「あのニャル美とかいう女と接触した時、なにやら力を吸われているような感覚があったんです。実際身体能力も落ちていましたからね」
「……けど彼女はもう一人の少年によって倒されたはず」
「ええ、そうです。だから力も戻っているだろうと思って、実は誰もいないところで変身してみようとしたんです。ですが」
「……変身できなかった?」
ニャル子は頷き、自分の手のひらを見つめる。微かに震えていた。変身できなかった時に抱いた「真尋を守れないかもしれない」という恐怖を思い出してか、それとも現状に対する不安からか。
「まるで元からそんな力なんて無かったかのような感覚なんですよ……今は」
ニャル子は悔しそうに拳を握る。
幸い変身以外のことは以前ほどではないが出来る。真尋に危機が迫ってきてもある程度応戦することは可能だろう。
だがもしニャル美のような途轍もない脅威が迫ってきた時、果たして今の自分だけで対処できるのだろうか。
真逆とクー子がいなくなった時、ニャル子はその最悪の事態を想像していた。想像し、絶望した。今の自分にはやはり真尋を守るだけの力はないのだと。
もしあの時真尋が酷く取り乱していなければ、或いはニャル子が発狂していたかもしれなかった。それくらいにあの一瞬で彼女の心は追い詰められていた。真尋の唇を奪ったのも、そんな自分を落ち着かせるための行動でもあったのだ。
「笑いたければ笑えばいいですよ。こんなに弱くなった私なんて、あんたが愛想つかすのも当然って話です。まあその方が私も邪魔されずに真尋さんと幸せな家庭を築くことが」
「……ニャル子、私は今のあなたを笑ったりしない。絶対に」
「……そうですか。まあそこは素直に感謝しておきます」
二人はしばし無言になる。両者ともにこれ以上交わす言葉が見つからなかった。
場の空気がどんよりと重くなる。
もしここに真尋たちが居合わせたら一体どんな反応をするだろうか。想像してニャル子は微かに笑った。
「まあそんなわけで私は絶賛弱体化中というわけです。で、つまりなんですか? あんたはそれを確かめるためにわざわざ真逆さんまで連れ出したってことですか?」
「えっ? なんのこと?」
ニャル子の問いにクー子は小首を傾げる。
「え? いやあんたがクトゥルー側についたのって私が変身できなくなっているかどうかを確かめるためでは? じゃないと今のあんたの行動に説明がつかないですし」
「え? 違うよ? 私はただもう一人の少年と新しいゲームハードで遊べると思っただけ」
「は? いやいやいや、言っている意味がわからないんですが」
困惑するニャル子に対し、クー子は無言で一枚の紙片を人差し指と中指で摘み、軽い動作で投げた。
綺麗な弧を描いて飛んだ紙片をニャル子は受け取ると、そこに書かれた文字を読む。
「えーと、なになに? 株式会社クトゥルー……ゲーム開発事業本部ジェネラルマネージャー兼、第一ハードウェア研究開発部……部長……ルーヒー・ジストーン」
読み終えたニャル子は蝶ネクタイを軽く結び、深いため息を吐く。
なるほど。そういうことか。ようやく全てが繋がった。
思えば確かに今回やたらとゲームに関する話題が多かった。変身できないことから過剰なまでに警戒していたかもしれない。よりによってこんな簡単なことに気がつけなかったとは。
「なるほど……へー、そういうことですかー。ふーん」
納得してニャル子は俯く。体が微かに震えている。拳を握り、頭の血管が浮き出るほどに表情を歪ませている。
「なんでしょうねぇ……この沸々と煮えたぎる炎のような感情は。今ならストームと叫べば複数のドラゴンを呼び出せそうですよ」
今の今まで自分が抱いていた感情はなんだったのか。まさかこれが、こんなことが事件の真相なのか。挙句よりによって最大の天敵であるクー子に弱みを握られるなんて。
考えれば考えるほど心の奥底から怒りが湧いてくる。
「……にゃ、ニャル子? なんだかいつもより怖い。もしかして怒ってる?」
ただならぬ殺気を感じて、さすがのクー子も一歩後ずさる。ニャル子の背後に千手観音のような何かが見える気がするが、これは恐怖からくる幻覚だろうか。とにかく冷や汗が止まらない。
「怒ってる? ええ、そうですね。これは怒りの感情……そう、私は今とても怒っていますよ」
先ほども同じようなやり取りをした気がするが、今のニャル子にとってそんなことは至極どうでもよかった。
ニャル子は激怒する。必ずやあの自分の心を弄んだ邪智暴虐なる者どもに怒りの鉄槌を下さねば気が済まないと。
まずはこの目の前にいるクトゥグア。その次はクトゥルーの女ルーヒー。そして最後は全ての原因である真逆の順に。そうしなければ心の安寧は訪れないのだ。
「クー子……」
「……な、なに?」
まずいとクー子は生唾を飲み込む。
立場は逆転した。このままではやられる。なんとかこの場を脱しなければ。ああでも今のニャル子になら殴られても気持ちいいかもしれない。あ、そういえばまだ次世代ハードについて説明を受けてない。
色々考えながら、ニャル子には悟られぬよう逃走経路を探す。探してもあまりの恐怖で足を動かせない以上、なんの意味もないのだが。
「まずはその腐った性根ごと叩き潰すから覚悟しろやゴラァ!」
どこぞの世界の女神のような雰囲気で叫びながら、ついにニャル子はクー子に鉄拳を振りかざした。
後に残ったのはクー子の断末魔にも似た悲鳴だけだった。