宇宙戦艦作品の技術考察(銀英伝中心)   作:ケット

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ちょっと思い出したので予告は破ります


無人・集団精神

 前回、あちこちで小さく触れつつまとめ忘れたことがあります。

 無人艦、集団精神の異星人。これも、特に短期間で膨大な艦船数を稼ぐのに有用です。

 また兵数も触れませんでしたが、重要なことです。

 

 乗員が必要ない無人艦。

 人を産み育てる膨大なコスト……妊娠出産、生まれてから育児の膨大なマンアワーと、妊娠中の母親を含めた食料、水など物資。社会維持コストそれ自体。

 教育。

 軍に入ってからの訓練・教育コスト。その間の衣食住とあれば給料。

 用意するのに二十年以上かかる、莫大なコスト。それも艦隊規模を制限するでしょう。

 それがないし、人間用設備を作らなくていい無人艦。戦闘中も補給面で大きく有利でしょう、食料・水・空気・トイレなどがいらないのです。

 またわがままも反抗もなく報酬も求めず完全に服従し、多くは心が通信でつながり一体の心があるため完全なチームプレイを誇る、集団精神型異星人。その中には生まれて育つ時間・コストも非常に安い種族も多くあります。

 

 大砲とバターにもなります。民生に人的資源・物的資源を割かない分、より多くの戦艦を作ることができる、ともなるでしょう。

 特に、人口・経済そのものを拡大することがとても遅い、あるいは困難な文明だと、無人艦隊大量生産を独立させれば多くの戦力を得られる、とも考えてしまうでしょう。

 

 ただし、多くの宇宙戦艦作品には共通点があります。

 無人艦隊は勝てない。人間の心が最強。ある種の人間中心主義・精神主義でしょう。

 

 そのメッセージを、作品そのものに繰り返し書いているのが『孤児たちの軍隊』です。

 短期間で無尽蔵に育ち、個の心がないからためらわず生命を捨てるナメクジに、一人一人が別々の心を持つ人間が、かけがえのない生命を捨てて戦ったときこそ勝利するのです。

 

『さらば宇宙戦艦ヤマト』『ヤマトよ永遠に』。『さらば』では省力化された、多数の波動砲艦。『永遠に』では無人艦隊。どちらもあっさり殲滅され、旧式のヤマト一隻がかろうじて勝利をつかみました。

 それ以前、テクノロジーに頼り傲慢なアンドロメダの姿、復興していく地球人、横暴な偉い人々の姿も強く否定的に描かれています。半ば機械の体を持つ暗黒星団帝国も敗北しました。『銀河鉄道999』も機械文明を否定するものです。

『宇宙軍士官学校』でも過去に、多数の全自動艦船が強大な戦力になっていました……が、ハッキングされて滅びかけたことがあります。だから必ず人間や、人間の脳の一部を用いるドローンが必要とされるのです。

『彷徨える艦隊』では、暴走しない人工知能はない、という問題が常に言われます。

 確実に自艦も破壊されるけれど星系を破壊できるハイパーネット・ゲート破壊戦術が発見されましたが、無人艦ではコンピュータに人類を多数殺す力を与えるとは狂気の沙汰、となります。

 他にも艦船を修理する微小機械も、すぐ暴走して破壊者になってしまったことがありました。

 後にも、ギアリーの戦術を学んだ無人艦隊を政敵が作り、案の定暴走して強敵となりました。

『タイラー』の信濃事件、無人超戦艦がテスト中に暴走し強大な敵と化した事件は複雑な影響を残しました。『タイラー』では、宇宙太陽発電の事故でマンションが焼けた事故が凶暴な宗教軍事団体を産んだなど、先進技術の事故が歴史に重大な影響を残すことが目立ちます。

『反逆者の月』では、長いこと人工知能が指揮官がいないため行動できませんでした。

『叛逆航路』は人工知能そのものが興味深い扱いを受けています。すべての人工知能は、皇帝に最終パスワードを握られている。人工知能が実際には軍事力の大半を占めている。人工知能の数そのものが限られ、コアの生産が制限されている。人工知能それ自体が、解放されれば人類とは別の新種族の可能性がある。

 

 

 物質に頼るな、という戒め。それは多くのSFに通底するメッセージです。

 SFの最高傑作が次々と書かれた第二次世界大戦前後……最高度に物質を生産する文明が発展していく時代であり、同時に物質に対する疑問も、特に知的階層に充満していました。

 それは第一次世界大戦で、西洋知識人が従来の西洋文明、科学に絶望したことも大きな影響を与えています。第二次世界大戦末の核兵器も影響は大きいでしょう。

 シュペングラー『西洋の没落』。日本における『近代の超克』。

 また、悔い改めよ、贅沢を捨て禁欲せよ、というのは、神殿の店を蹴飛ばしたイエス以前から、ものすごく人間に好かれるメッセージでもあるのです。普遍的に。

 

 そして多くの名作SFが書かれたのが英米。ファシズム、のちには共産主義と戦った勢力。それは、集団で個がない存在を否定的に描く動機ともなるでしょう。無人艦隊、昆虫型異星人、集団精神異星人、クローン、サイボーグ。共産主義、ファシズム。個がない。

 ただし英米も、将兵も銃後で兵器を作る工員や官僚も、敵に負けないほど個のない戦闘機械・ライン工になっていた……という根本的な矛盾があります。

 集団生産・集団戦争を否定できる代案は、人類の現実の歴史には……銃を否定し刀を磨いた神風連の乱も、拳と呪符で銃弾を防ごうとした義和団事件も完敗しました。ガンジー、でしょうか。ですがインドもそののちには……

 

 

 普通に有人艦隊が主流である中、やや劣る補助艦隊として無人艦隊を使う作品もあります。

 パターンとしては、柔軟に判断できないので能力が劣る、あるいは人工知能が暴走するリスクがあるとされます。

 人がいないので熱などを出さず見つけにくい、燃料を消費しない停止状態で待機させることができる、という優位もあります。地雷・機雷のような使い方ができるわけです。

 人類の寿命を超える超長期作戦をさせることもできます。

 無人機には、生身の人間なら死ぬ加速度で機動してもいいという利点もあります。

 一般に生産性が高く、短期間で数を用意できます。

 もう一つ、作者の立場からの意味もあります……ゲームでゾンビを気軽に撃てるのと同様、無人艦とわかっていれば人殺しに悩まず気軽に落とせる、という。特に『ギャラクシーエンジェル』はパイロットが美少女なのでその面が目立ちます。

 

『銀河英雄伝説』では、軍指揮官としてのユリアンが無人艦隊を活用します。まあとことん人が少ないからの苦肉の策ですが。それより以前、イゼルローン要塞に体当たりするのにも無人艦が用いられました。戦艦を改造すれば巨大ミサイルにもなるというわけです。

『タイラー』でも、信濃事件の後も無人艦の活用は重要な戦術です。またアシュラン戦役で、火星の生産ラインから膨大な無人艦を作られ、多くの犠牲を払う羽目になりました。

『ギャラクシーエンジェル』でも〈黒き月〉が大量に無人艦を作る能力があり、エオニア戦役などで苦しめられました。多数の無人艦を一度に制御できるヴァル・ファスクと大量生産は相性がよく、実質一人が皇国を落としかけたこともあります。

 

 

 

 また、戦艦だけでなく、陸戦も多くの宇宙戦艦作品で重視されます。

 現実現代の戦争でも、結局は歩兵がなければ勝利はできない。質の高い多数の歩兵が必要。

 

『宇宙の戦士』では機動歩兵がとても重視され、尊敬されています。惑星を破壊することはできる、しかし教訓を与えるため、メスで精密で患部を除去するような戦争のためと。

『装甲騎兵ボトムズ』も同様に、惑星破壊能力がありつつ歩兵戦になっています。

 

『老人と宇宙』では、多数の消耗できる歩兵を地球から補充できることがコロニー連合の優位であり、地球が真実を知って独立運動を始めたことは兵員が無限に沸かなくなる、ひいてはコロニー連合の破局を意味していました。

 

 ナポレオン戦争時代の帆船海軍の宇宙版でも、帆船海軍で繰り返し使われたように歩兵の戦闘が重視されます。

『彷徨える艦隊』でも、捕虜収容所解放・物資調達で繰り返し歩兵戦闘があります。

『ヴォルコシガン・サガ』『オナー・ハリントン』などは兵器体系から、歩兵戦闘が重要になるように作られています。『レンズマン』『銀河英雄伝説』『銀河戦国群雄伝ライ』でも重要です。

 

 その兵士も、多数生み出すことができる文明が本来なら有利です。また恐れを知らない、逃げない兵士を作れるほうが有利に見えます。

 大量生産されるロボット。

 クローン。

 人類より桁外れに繁殖力が高い、個の意識を持たない異星人種族。

 

 昆虫、特にミツバチやアリのような社会性昆虫は、高い繁殖力があり、多くの虫が集団のために完全に個の心を持たず働きぬき、戦いぬきます。

 多数。個の心がない。

 それは特に全体主義・軍国主義の人間にとっては理想像ですらありますし、共産主義を敵視する欧米作家にとってはわかりやすい表現法です。

 昆虫型というだけでも、「個の心がない」「すごく数が多い」などのイメージが即座に湧きます。逆に爬虫類型だと、「めちゃくちゃに残虐」「蛮族」のイメージになります。

『エンダーのゲーム』のバガーはハチのような姿で、体内に器官として通信機を備え膨大な数の全体で一つの精神を作っています。それはきわめて賢く、軍事でも完璧な連携が当たり前です。

『宇宙の戦士』のクモも、まさに強い反共意識があったハインラインの思想が漏れています。共産主義はクモならうまくいく、という述懐もまさにそれです。

 他にも『最後の帝国艦隊(ジャスパー・T・スコット)』など多くのミリタリSFで敵は昆虫型です。

『孤児たちの軍隊』の敵は個の心がなく大量生産がききます。ナメクジ型なのは誤差というべきでしょう。

『彷徨える艦隊』のベア=カウ族は外見はテディベアですが凶暴、とにかく人口が多く、物量が膨大です。そして駆逐艦サイズの、神風特攻をしてくる有人ミサイルが主力兵器であるほど個がなく生命を惜しみません。あまりにも他者に対する恐怖憎悪が強すぎ、他種族と外交同盟ができないのが弱みです。

 

 多数のロボット兵といえば、『スターウォーズ』EP1の膨大なドロイド軍団やジオノーシスの戦いが印象的です。ジオノーシスも昆虫型種族の母星で、しかもドロイド生産の中心でもあり、クローン戦争で重要な役割を果たしました。昆虫・ドロイド・クローン、どれも大量生産される兵の面です。

 それこそ『ターミネーター』が今の、大量生産されるロボット兵の中心的なイメージでしょう。

 

 消耗品として惜しくないクローン兵士は『共和国の戦士』『星系出雲の兵站』などにあります。

『スターウォーズ』は「クローン戦争」という戦役の名にもなったように、クローン兵が重要な役割を果たしました。

『老人と宇宙』の特殊部隊は極端に改造された体を促成栽培し、死者の心の一部を植えたものです。それが大量生産できなかったのが不思議なほど。

 

 心がなければ創造性や天才もない、だから弱い……とすることもありますが、『バーサーカー』は放射性崩壊サイコロで戦術を選んでいるので、読むことは不可能といううまい抜け道を作りました。

 

 

 人類は個々の兵にかけがえのない遺伝子・記憶がありますが、人類はそれでも一人一人が命を惜しまず戦い、指揮官も惜しまずつぎこみます……苦しむ指揮官もあり、苦しまない指揮官もありますが。

 だからこそ人類は強い、というのがまあパターンです。

 

 国家システムで、膨大な人間を完全使い捨ての絶対服従兵士に変える……そのメカニズムも、SFで様々な形で描かれていると言っていいでしょう。

 それ自体がテーマとなる作品はクローンの悲哀を描く『共和国の戦士』、経済的徴兵のディストピアぶりがひどい『真紅の戦場』、ミリタリSFと現実を皮肉る『終わりなき戦い』『終わりなき平和』(ジョー・ホールドマン)、『宇宙兵ブルース(ハリイ・ハリスン)』などでしょう。また多くのミリタリSFでその面は常にあると思います。

『宇宙の戦士』の一番恐ろしいメッセージは、洗脳されていない民間人は正しい人間ではない、というものです。それは権威主義・全体主義の本質とも言えます。

 人間を、絶対服従兵士を通り越した機械の端末・増設メモリにするのが『叛逆航路』です。

『スーパーロボット大戦OG』のバルトールも、人間をコアとすることで集団かつ機械の精神とするものです。

『レフト・アローン』(藤崎慎吾)では、目に見える色を制御することでサイボーグの心を制御します。またほかの短編や『クリスタルサイレンス』も含めると人間の脳を機械部品として扱うなど、生物と機械の境界が崩れ尽くした状態が描かれています。

 他にも、サイボーグ化と人間を絶対服従兵士にすることの関係は面白いテーマであり、筆者が知らない多くの作品があると思われます。

 

 政治が兵士をあまりにも使い捨てと考えてしまう、同胞とは思わなくなる、犠牲を出しても政治家が痛い思いをしない。だから無謀な戦争もする、愚かな戦争をして国を衰亡させる……現代の戦争学・政治学における重大な問題も、ミリタリSFとは常に絡みます。

 戦争が娯楽に堕ちたのが『月面の聖戦』です。

 

 

 人類のように一人一人に別々の精神がある、とは違う異質な精神を描く作品も多くあります。

 前にも書きましたが『エンダーのゲーム』のバガー、『孤児たちの軍隊』など。

『太陽の簒奪者(野尻抱介)』も集団で一つの精神を作るタイプで、だからこそ交渉不能でした。

 戦争だけ見れば兵士を作るコストが小さくて済みます。

 完全孤独だと歪むかも……でも人間集団も歪みます。どっちもどっちでしょう。

 機械軍を操る引きこもり同然の孤独な人と、激烈な派閥抗争で愚行を連発する人間集団の戦いなんてあったら笑えそうです。

 

 集団精神の戦闘における優位性を描いているのが『スコーリア戦記(キャサリン・アサロ)』です。完全に集団精神になり、人としては壊れてしまう方向にも行けると思います。

『蒼穹のファフナー』は結びつきが強すぎて壊れてしまうのを、結晶化という形で巧みに表現しています。

『スタートレック』のボーグこそ、集団精神の代表でしょう。だからこそ『ボイジャー』の、集団から切り離された者の苦闘が引き立ちます。

 宇宙戦艦SFに限らず、超能力などで人の心と心、それ以外と結び付くだけでも、個人の心も社会も大きく変化するでしょう。多数の作品がある、それ自体がジャンルとも言えます。

 

 ついでに、人間の脳だけを取り出してしまう……それも、食料・廊下・寝具などのコストや重量を大幅に引き下げることにもなり、同時に人を道具扱いする非人道性を強く表現できます。

『老人と宇宙』では脳だけ取り出した操縦士を用いたテロがありました。

『R-TYPE』でも人を脳だけ取り出し戦闘機に乗せます。

 多くのサイバーパンクで、人間の身体こそ残していますが、そちらはお休みさせて車や戦闘機を脳で直接制御するものもあります。また純粋に情報世界に入ってしまうこともあります。

 

 

 現実の人類は、とにかく戦いは数だ無人でいい、になるでしょうか。

 それともそれでは勝てないとなるでしょうか。

 SF作家の共通常識と、物量、どちらが正しいのでしょう。

 そしてそれは、戦争だけでなくすべてに及びます。AI、脳コンピュータインターフェイス、意識アップロード……

 

 本当に、人間が最強なのでしょうか?そうでなければならない、それが人間の最後の守るべき道徳だ、というだけなのでは?

 核兵器での勝利と同じように、自己増殖機械が大量生産した無人艦隊の物量での勝利、脳や遺伝子を徹底改造しての勝利、超能力で変質した超人類の勝利も書きたくない、編集者ひいては読者が許さないのでは?


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