宇宙戦艦作品の技術考察(銀英伝中心)   作:ケット

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技術、教育

 あらゆる宇宙SFで、どの技術が発達しどの技術が発達しないか。

 

『三体2』も、前提があるからのことです。

「時空に穴を掘る」「超光速航行」「超光速通信」「自己増殖性微小機械」「小惑星に穴を掘る」などの技術がやたら発達しにくい。

 反面「恒星系を消し飛ばす」「思考する素粒子」「すごく丈夫な艦」などの技術は簡単。

 という。

 

 遠すぎる隣人がどんな人かわからない、だからとりあえず殺す。

 どこかが「宇宙全部の人がいるかもしれない星を全部、大量生産とすごく速い超光速航行で潰す」か「たくさんの即時通信機と惑星破壊砲を積んだ無人艦を、すごく速い超光速航行で宇宙全体にばらまき、『みんな通信し合って仲良くしろ、さもなきゃ潰す』とやる」どちらも、これまでどこもやってないから。

 

 居住可能惑星主義……スペースコロニー、氷小惑星に穴を掘ってワイヤーで振り回すよりも、数少ない居住可能惑星にこだわりよそを征服したり、テラフォーミングしたりする方が儲かる。

 穴を掘るのが難しいから。

 

 地球型惑星以外では採算のとれる鉱山はない。低品位鉱山から資源を取るのは難しい。まして木星や太陽の水素を元素番号転換するのはもっと難しい。

 

『銀河英雄伝説』は自動化技術、コンピュータ技術が低い。ルドルフの遺訓に縛られていない自由惑星同盟も、何百年もあっても帝国の二倍の生産性にしかなっていない。

 多くの作品では、人間の代わりに仕事ができるロボットがないか高価であるため、人間の奴隷がある。

 

 特にシンギュラリティ……ロボットが自分より賢いロボットを作る、それで知能がめちゃくちゃに高まる……と、自己増殖性全自動工場……低品位の小惑星などから資源を採掘し、製品を作りつつ、工場それ自身の部品も作って工場そのものを増殖させる、それはどちらもストーリーを根こそぎ破壊しかねない。

 逆にある時期は、「シンギュラリティもの」とジャンルにすべきであろう宇宙SFが多数ありました。

 

 

 そしてこの『現実』は一言で言えば「空飛ぶ車を注文したのに手に入ったのは140字(ピーター・ティール)」。

 コンピュータは、古典SFが想像している品の何桁上かわからないのを人類の大半がポケットに入れている。でもシリウス日帰りどころか、世界一の金持ちも月旅行にも行っていない。

 M16系統が半世紀を超えて使われている……鋼鉄以上に熱に強く安く丈夫な素材も、真鍮薬莢を過去の遺物とする樹脂も生じていない。

 技術発展の不均衡は、『現実』にも嫌というほどあるのです。それは、マラリア薬のように経済によるかもしれませんし、物理法則そのものかもしれません。

 

 

 技術によって、もっとも大きく変化した社会は『スタートレック』でしょう。

 なにしろ、貨幣がない。

『スターウォーズ』にも『銀河英雄伝説』にも貨幣があります。

 レプリケーター・転送・ホロデッキなどの技術は、それほど違うということでしょうか。

 

 ですがおかしいとも言えます。『スターウォーズ』は十分労働ができるドロイドを大量生産する技術があります。すべての成員が必要なだけの生活をして、他と接しない世界になることは可能でしょう。

 ドロイドと、レプリケーターなどは質的に違うのでしょうか?

 

 貨幣のない世界、それは現実の人類の、共産主義との長い葛藤とも深く関係します。平等を求める情熱が生んだ悲劇と、逆に平等を求めること自体に対する憎悪。

『断絶への航海』が、貨幣も政府もない異様な人類世界を大胆に描きました。

『所有せざる人々(アーシュラ・K・ル・グィン)』もその葛藤を丁寧に描いています。

 やや違う形ですが、『2312-太陽系動乱』も主人公の属する陣営に「モンドラゴン」というスペインの労働者協同組合システムの名があります。

 

 ふと……「満足している」原始社会は、少なくとも第二次大戦以前のヨーロッパにとっては、それ自体が悪です。絶対に襲って虐殺し、借金を負わせ奴隷化し、本国にとっても損にしかならなくてもプランテーションに、領土にし、同時にキリスト教を布教しなければならないのです。キリスト教が、それが弱まっても近代国家という宗教が、それが(彼らが人と認める白)人の絶対の義務だと叫んでいるように。

 異端を信じている人が山奥に一人生きているだけでも、神が怒って世界を滅ぼすと信じて魔女狩り・宗教戦争を続けるように、近代に参加していない人が一人でも、土地が一エーカーでもあることが、近代国家の人にとっては絶対悪なのです。

 もしどこかに、キリスト教原理主義でありつつ原始的な満足な自給状態にある集団が存在していたとしても、襲って征服しないことは絶対の悪だったでしょう。

 

 

 結局のところ、宇宙戦艦SFというのは作者の立場で見れば、「戦争を続けるために技術を制限する」これがすべてなのです。

 戦争がなければ物語にならない。だから技術を制限する。

 とはいえ、本当に全員が全知全能になるほどの技術水準で、それでも戦争が続くということは考えられないでしょうか?

 ギリシャ神話の神々が戦争を続けるように……

 

 作者の立場を忘れて見まわすと、あらゆる宇宙戦艦作品の文明は、ハーバー・ボッシュ法を研究するのではなくグアノ島を奪い合って戦争をしているようにも見えます。

 アホなのでしょうか、それとも「元特殊部隊員の正義漢を拷問するのに目・指・膝を潰さない悪役」と同じストーリーの奴隷に過ぎないのでしょうか。

 

 そして現在の、現実の人類は。

 本当に技術は今が限度なのか。

 それとも、やっていないだけなのか。

 

 

 ストーリーを成立させるためには、技術を封じることも重要になります。

 

 たとえば、遺伝子技術・人工子宮技術などは、王室が続くかどうか、本当に**が王の血を引いているかどうかなどの問題を解決してしまいます。

 それらの問題は歴史的にも戦争を含め大きく歴史を動かし、君主制貴族制を取る世界では実に重要になります。

 

『銀河英雄伝説』はルドルフの技術嫌い、劣悪遺伝子排除法、もともとの技術水準などで、要するに皇室の遺伝子をきれいに掃除し人工子宮で十分な数の、しかも超高IQで健康な世継ぎを作る、がないのは確かです。

『デューン』も昔あった人工知能との戦争で、人工知能開発を厳禁しています。それだと宇宙航行がきついので、ドラッグを使ったりいろいろします。

 

『ヴォルコシガン・サガ』でバラヤーは、人工子宮技術が入ってきたことで大混乱を起こしています。まず激しい拒絶と保守クーデター、次に男子ばかり……マイルズの世代の貴族は深刻な女不足……『現実』のインドや中国も産児制限と女児殺しでとんでもないことが起きています。

 

 遺伝子をいじる、クローン、人工授精などは、超能力や天才を制御することもできます。

 超能力者を無限にクローニングされたらたまったものではない。

 だからそれができないことにする、というのもよくあります。

 

『スコーリア戦記』ではローン系サイオンは人工授精不可、結果滅亡に瀕しています。別の時代や敵から遺伝子を取ってくるぐらいに。

『終末のハーレム(宵野コタロー)』『世界を変える日に(ジェイン・ロジャーズ)』は、人工授精すりゃいいだろというツッコミを回避するため人工授精ではだめなんだということにします。

 

 根本的には、本当に「愚民に叡智を授け」(機動戦士ガンダム 逆襲のシャア)てしまう技術こそ、ストーリーを崩壊させる禁断の技術と言えるでしょう。

 やったところでディストピアになりそうな気もします。

 本当に人間がより賢くなる話は難易度が高いのか、『理解(テッド・チャン)』など短編が多いです。『サイボーグ009』は001が超知能に改造されていますがその分活躍は少ないです。『マルドゥック・スクランブル(冲方丁)』もそれですか。

 

 

 そして技術の進歩が社会に与える影響を描くのも、SFそのものが得意とすることです。

 

『彷徨える艦隊』は、実は新技術による大きな社会の変化の最中です。

 異星人が悪意を持ってアライアンス・シンディック両国に提供したハイパーネット・ゲートシステム。それによる移動速度・距離の大幅な向上と、ゲート建設にかかる費用は星々の格差を拡大しました。

 

『ヴォルコシガン・サガ』は何度も解説したように、高度技術、特に人工子宮技術に触れた封建社会の葛藤がメインテーマです。

『反逆者の月』は人類が先進文明の技術を取り戻すと同時に、あまりにも近く決戦が予定されています。人を徴用し、巨大工事をし、反発する人々をねじふせて戦い続けています。

『宇宙軍士官学校』など多くの作品にその構造があります。

 

『約束の方舟(瀬尾つかさ)』では、以前激しく戦い、和睦して共存する、強化宇宙服のように働く異星知的種族との共同生活があり、それは技術の進歩と同じように働いています。異星人とともに働くことにほぼ生来慣れている子供たちと、異星人に家族を殺され敵として憎む大人との激しい葛藤が物語を作っています。

 

 反面、特にロボットアニメでは、社会・人間の心に技術が与える影響を強く制限する傾向があります。

『スーパーロボット大戦OG』では多くの技術を手に入れていながら、庶民の生活はあまり変化しません。

『ガンダム』宇宙世紀では、脳と機械の直結すら例外的です。それがのちに強化人間・サイコミュの形で人数としては増えていますが、人類全体の一般技術にはならず、サイコミュ自体が封じられます。

『ガンダムSEED』は人間の遺伝子改造による種分化という、技術による変化が根本的な戦争の原因です。

『ガンダムOO』は序盤から軌道エレベーター、さらに異星人との融合による人類全体の変質という、ガンダムとしてはやや異質な作品となりました。

 

 海外SFドラマでも、人間の役者が言葉で演じるという制限から、異星人も進歩しているはずの人間も、地球人とだいたい同じ姿をして同じ言葉を話す状態が普通です。

 

 無論、逆に技術の暴走で滅びる・滅びた世界も無数にあります。

 

 

 特に重要な技術として、テラフォーミングについて。

 

『銀河英雄伝説』は多くの星をテラフォーミングすることで、人類は生存圏を拡大し、人口を大きく増やしました。結果的に、地球がほぼ破壊されても人類が存続したのは別の生存圏があったからでもあります。

 反面、テラフォーミング技術に頼っているように見えます。また連邦末期・ゴールデンバウム帝国-自由惑星同盟戦争の後半ではテラフォーミングすら進まない経済状態がありました。

『2312-太陽系動乱-』では、困難すぎるであろう金星のテラフォーミングまでかなり詳しく描かれています。また無数の小惑星に穴を掘って活用することで、人類の多様性がけた外れに高まっています。

『道を視る少年(カード)』ではバリアで包まれた船をぶつけ、現地の生態系も無茶苦茶にするという無茶な工事が描かれます。

『スターウォーズ』の、ベスピンのクラウドシティも金星型惑星の利用法として考えられた浮遊都市の応用です。

 

 火星のテラフォーミングは実に多くの作品で描かれています。

 

 

 また、技術を封じることは支配のためにも有用です。

『星界』シリーズは宇宙航行をアーヴが独占し、被支配民を地上に閉じ込める統治を行っています。

『現実』でも、西洋の多くの帝国が有色人種の高等教育を制限しました。

 アメリカの奴隷制州では、奴隷に読み書きを教えること自体が犯罪でした。

 教育制限が厳しいナチスのポーランド支配は、異質なまでに残虐とされます。

 

 そして技術が停滞する……それは文明の退廃、滅亡への長い道の始まりです。

『銀河英雄伝説』では、連邦の退廃の諸症状の一つとして科学技術の停滞がありました。『火の鳥 未来編』でも、科学も文化も進歩しなかったという症状があります。

 

 

 教育は……英米の士官学校、新兵教育、米国海兵隊教育こそ最高究極。それが、特にミリタリSFの大きな共通部分です。

 日本の、正規軍人を排除し少年を活躍させるロボットアニメも、結局少年の心で勝つ。それは間接的に、日本の核家族・近所・幼稚園から学校が優れているということ。家庭が機能していない・特訓ばかりの子もいる……その場合は近所と学校、また子を特訓して育てるシステム自体、要するにスポ根系の伝統家庭・道場・部活の称揚。

 

 本当は、教育もあらゆるSFで重要な要素です。

 教育が機械化できれば、少ないコストで優れた将兵を作ることができます。

 空想的に高い水準の教育は、上記の人間精神支配技術と同じ効果を持ちます……統治コストや軍の報酬コストをなくし、神風特攻でも好きなだけさせることが可能になります。

 宇宙SFには特殊なビルディングスロマンや貴種流離譚、みじめな階層の子が高い教育を受けて高い身分に順応する話も多くあり、高度な教育がストーリーの本質になります。『銀河市民(ハインライン)』『ダイヤモンド・エイジ(ニール・スティーブンスン)』が特にそれに特化しています。

 

 

『若き女船長カイの挑戦』では矯正ソフトがあり、勉強の仕方を教え意欲を高めることができるようです。

『叛逆航路』シリーズでも、市民一般に試験を受けて職を得ることができるシステムが完備しています。教育システムも優れ、一般に子供に寛容です。

 

 多くの士官学校がSFにもあります。また新兵訓練が描かれることもあります。

『宇宙軍士官学校』はそのまま表題にもなっており、地球の常識と異なり知識は脳に直接注入される、異星人の先進文化に適応し戦うための教育が描かれました。主人公はそれまでの地球ではエリートとは言えない成績・地位であり、その劣等感がずっと人格の根本を成しています。序盤ではだれもが認めるエリートとの葛藤が話の主軸でした。

『銀河英雄伝説』でも、帝国・同盟双方の士官学校・幼年学校は多くのキャラに様々な影響を与えています。士官学校が学費無料・生活費も支給されることなど、財産を持たぬ者が教育を受け高い市民となるには軍隊しかない、という構造もあります。

『エンダーのゲーム』の多くは異星人と戦うため、国の枠から離れたバトルスクールが舞台です。後半も、本人たちは要するに大学院での試験だと思っていました。

『真紅の戦場』『宇宙兵志願』なども前半は厳しい訓練が描かれます。脱落が死を意味することすらあります。

『孤児たちの軍隊』で主人公は新兵訓練で取り返しのつかない過ちを犯しています。

『老人と宇宙』でも奇妙な新兵訓練、そして新兵の多くが死んでいく戦場で、主人公は多くの現実を学びました。

『ヴォルコシガン・サガ』は『戦士志願』冒頭で、マイルズが士官学校の入試に落ちることから始まりました。

『若き女船長カイの挑戦』も士官学校退学から始まります。

 何度か触れたように『レッド・ライジング』は貴族が腐らないため、本当に死人が出るバトルロワイヤルを課します。

『スタートレック』の艦隊アカデミーも様々な話の舞台となり、キャラクターたちにとってはアカデミーでの経験が人としての基盤となっています。

 

 また教育はエリート層の教育と下層の教育を分けるべきでしょう。

 上記の、『現実』のイギリスのパブリックスクールやフランスのグランゼコール。

 特に下級兵から出世する主人公は、兵・下士官という身分から士官・将校という身分の壁を破るために、特殊な教育を受ける必要があります。そのためにはどうしても後援者が必要です。

 士官学校内部を描く作品では、身分制度、星による差別、種族差別などさまざまな差別が内部に持ち込まれ、人間関係をより過酷にします。『現実』のアメリカで、空母の艦長を夢見る黒人少女が克服せねばならない無数の困難と同じく。

 

 軍の教育機関としてのシステムも強調されます。軍ではただ戦って戦死するだけでなく、退役して高い市民となることも期待されています。

『現実』でもそうですが軍用車の運転、工兵として基地を作るための工事機械の運用などはそのまま民間でも通用する資格となり、職を得る希望があります。読み書きも当然習います。

 ただし、格差・階級が極端に厳しい作品では、かなり昇進して退役してもまともに生活できる希望は事実上ありません。

 

 軍でなく船でも、『大航宙時代』は仕事をしながら、まるで大きな学校であるかのように常に学ぶことができ、学んで資格を取ることで給料も上がります。料理も、荷役も、環境も……『現実』の調理師試験やクレーン諸資格と同じように、学科と実地両方で学び、高い資格を持つ上司が試験官となって試験してくれます。

 

 

 ロバート・A・ハインラインは特に教育を好みます。

『宇宙の戦士』では普通の学校、機動歩兵訓練、士官になるための学校の三通りの教育を描きました。

『銀河市民』では奴隷としての「教育」、老乞食による高度な教育、そして自由商人、軍、金持ち、経営者それぞれの教育が詳しく描かれました。

 

 E・E・スミスの「前提」は、「人間は教育により無限に高まる」です。

 レンズマン……最高の教育を受け、この上なく厳しく選抜された人たちは、絶対に腐らない。これ以上に現実の人間と異なる前提はないし、そして人間が理想とするものもないでしょう。

『キャプテンフューチャー』もそうですが、とても古いSFには、天才科学者・金メダリスト・大探検家・特殊部隊兵士を兼ね、しかも人格的にもけた外れに高いとんでも白人男性が当たり前でした。

 古いロボットアニメでも、操縦者やその父親がそういう存在である作品は多数あります。

 

 学校によらない教育もあります。貴族や皇族、宗教、鍛冶など技術。

『スターウォーズ』の過去ではジェダイ評議会が子を教育し、それが崩壊したのちルークをオビ・ワン、そしてヨーダが学校とは違う形で鍛えました。

 人をジェダイに教育できるのか、それが映画・非正史問わず、スターウォーズの核心にあります。

『デューン』で主人公はベネ・ゲセリットという特異な教団に属する母から特殊な教育を受け、同時に貴族としての武術訓練などを教わり、さらに砂漠の民の間でも様々なことを学びました。

 

 教育は、育児も、支配服従の面も持っています。

 士官学校の中でも、集団がいじめを起こしたり、班長でも教官でもサディストが混じると地獄が生じます。

『スコーリア戦記』では皇太子を教育した大臣が、皇太子の正体を知っていることもあり残忍に虐待しました。

 宇宙SFで、奴隷を教育するシステムは幸い思い当たりません。正直読みたくありません。

 教育と、洗脳、奴隷化、拷問、強姦はおぞましくも近いものです。そして軍隊や刑務所は、その近さがわずかに見えるところでもあります。『現実』や『銀河英雄伝説』での、再教育キャンプという強制収容所を見ても。その先に『叛逆航路』の再教育……

 

 

 また近代化それ自体。軍事・航海技術の発達が財政を拡大し、国を変質させ、さらに教育された人が科学を研究し技術を発達させ、新産業を生み出し軍事・交通・通信技術を増大させ、さらに人口と生活水準が……と、教育とそれによる科学技術の発達が重大な要因であることにも触れておくべきでしょう。

 だからこそ、『ヴォルコシガン・サガ』でマイルズは自領の貧しい村の教育に金を出しました。

 軍事力を本当に高めるのは科学技術の進歩だ、とわかっている文明もあり、それらは熱心に教育をします。

 特に「天才」はそのために重要な資源でもあり、争奪戦もあります。

『老人と宇宙』では主人公の同期の一人は、新技術を入手した時その研究に駆り出されました。

 

 

 SFには本質的な葛藤があります。

 技術は人間を、人間とは別のものにする可能性がある。

 しかし、異質な「後の人」がうごめくだけの世界は、要するに売れない。

 だから技術は制限しなければならない。

 

 教育で人間を高めることは、現在の、特に軍隊の論理が許す範囲で容認される。

 特に、ある時代以降は、あまりにも理想的な教育を描いてしまうと、人間を理解していないという批判を浴びたり、要するに共産主義国の宣伝SFと石を投げられる。

 

 本当に人間とは異質な知的存在を描けるのは多くの短編、また『ネアンデルタール・パララックス』や、集合精神型の異星人との戦いがあります。

 また『断絶への航海』も、かなり高い異質さがあります……無論、人間に可能な範囲にすべく最大限配慮されて。

 

 それらは、作家がどの程度人間を理解しているか、人間をどう思っているか露骨に暴き出す……実力・思想を露骨にえぐり出してしまいます。

 

 まず学ぶべきなのは、地球人に可能な社会と、不可能な社会。

 近代で、平等だったり、家族ではなく男女とも共有したり、親子関係自体を否定したり、炊事洗濯を共用したりするのはどれもこれも失敗した。いくつか例外的に長く続いている集団はあるが、それも近代の生産に寄生している。

 逆に、中米では生贄の心臓をえぐる帝国がかなりの長さ存続した。

 

 現実の人間をありのまま知らなければ、理想を押し付けたら、地獄が生じてしまう。でも人類はあまりにもしばしばやらかす。

 

 では技術に、教育に何ができるのか。これから『現実』の人間は、何をするのでしょう。何ができるのでしょう。


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